ゆずはかあちゃんの独り言

ゆずはかあちゃんの独り言

闘病記6



父は今日は体調が悪くてお話できませんでした。

眠れるなら眠っていた方が楽だもんね。。。そっと。。そっと。。。静かに片付けて帰ってきた。

ゆう君が小声で何か語りかけてた。明日になれば。。。きっとまた元気な父になってるかな?



2004年06月22日

「帰れ~~!」「はい、はい・・・帰りますよ~」と言いながら・・・たった5分で父の病室を後にした。

今朝からまた熱が38度~39度だった。「痛い。全部痛い。。。帰れ~」思わず言ってしまったんだろう。

ゆう君にも冷たい対応仕方ない。側に居てくれと言えない頑固者の父。私にそっくりだ。

普通の人だって熱が出れば、体が痛くなるし、だるいし話もしたくない。

入院生活も5ヶ月・・・よく頑張ってるしストレスもすごいと思う。

無理するなよ。。。甘えていいぞ父!私は懲りずに明日も行くからね(* ̄m ̄) ププッ



2004年06月25日

父!熱が下がらないねぇ。つらいねぇ。でも。。。私が病院に行くのを迷惑に感じるの?

弱ってしまうのは仕方ないよ。人間だから。すごく頑張ってるよ。今まで頑張ってきたよ。

発病発覚の時に3~6ヶ月と言われて。


あの日からもうすぐ2年です。


長かったような。でも短かったような。頑張って生きる事。しっかり教えてもらってますよ。

「命」は儚いけれど強いもの。命は奪ってはならないし、大切なもの。



2004年06月27日

病院は温度管理がしっかりしてて~気持ちいい気温。指示されるがままに動いて。父はイライラモード。

「痛い~しんどい~」熱は下がったり上がったり。下がってもだるさがぬけないらしく・・・・

願うしかありません。




2004年06月29日 (731日 発病から2年)

父が末期食道癌と診断を受けてから731日。

2年です。2年生存すごいじゃん~!!



1月の再発はつらかった。。。



どのような治療をしても、再発した食道がんが治る可能性は非常に少ないと考えねばなりません。

再発した場合には、およそ半年ぐらいの余命と考えられます。放射線や抗がん剤の治療で1年以上生きられることもありますが、

がんの進行が早ければ3ヶ月以内のこともあります。



もう5ヶ月過ぎた!ヾ(*^▽^*)〃

父は色々な文献や資料は参考にならないや~と改めて思う。まだまだ静かな戦いの日々は続く。


2004年06月30日

父の所に痛さを表示したカードがある。1~5段階に分かれてて。話せない状態でも表示を指せばいい。


今日は痛い度4。話したくなく、起き上がりたくない。帰ってくれ。


痛い度4なら仕方ないか。。。何て思いつつ。先生に思いっきり話しちゃった。

「病院まで来るのに20分。痛い!で5分で帰るつらさを理解して欲しい。
痛み関係の治療は????どうなってるんですか??????」モルヒネ以外のお薬で痛みを軽減していくと。。。

私は父が眠ってしまってもいい。父が楽ならば。痛くないように。苦しくないように。酸素もいっぱい吸わせてあげてください!!

(父にも原因あるんだけどね(汗)父のプライドなのか・・・座薬系の薬を拒否するのですわ。。。)

2004年07月05日 (MRSA感染の為個室に)

父が抗生物質が効きにくい菌(MRSA)に感染してしまいました。個室に入りました。

他の患者さんに感染するといけないので父が病室から出ないでもいいようにトイレも洗面台も完備の個室。
こんな部屋があったのねぇ~。

今までと違うのは・・・

病室を出る時にも手の消毒をする事。

1時間以上病室に居る時にはマスクを付ける事。

お見舞いは遠慮してもらう事。

ごみの捨て方。(病室内のゴミ箱に入れて看護婦さんが処分する)

ゆう君は子供なので面会の時はマスクを付ける事。うがいをする事。

まぁ、他の患者さんにうつさないように気をつけます。

熱が38.9度なので下がってくれるといいなぁ。


個室に軟禁状態の父。立派なお部屋に緊張しているのか。

話し方までおとなしかった(* ̄m ̄) ププッ

痛みもパッチ(シールみたいなの)と点滴と座薬(←やっと観念したらしい)で何とか安定してきたみたいだし。



2004年07月06日

個室2日目。熱が下がり気味で痛みのコントロールも上手くいってるのか。

口が元気で・・・はぁ~もう病院に行かないからね~~~~だ!!アッカンべ~~!

テレビカードも自分で買いにいけないでしょう!ふんっ!勝手にしなさい。知らない。。。



2004年07月09日

う~ん… "σ(._.@)今日は病院に行ってあげようかな。。。2日間困ってたかな?

ゆう君に電話してもらおうっと。



2004年07月14日

洗濯物を持って~病院へGo!父は寝ていた。。。

個室に入ったら。病人らしくなちゃって。酸素も付けっ放し。いいのか悪いのか。。。

「本当に強いお父さんだね」先生の一言が重かった。



2004年07月16日

父は痛み止めMAX状態でも痛くて苦しくて。左肺がかなり悪くて。

レントゲンも白くなってて。(炎症していると白く写る)声がかなりかすれ出したので喉の方まで癌が来ている可能性が高く・・・

血液製剤(アルブミン製剤)の使用も始まった。熱も38度代から下がらない。ボロボロになっても頑張っている。

MRSAの事を気にして私達を1秒でも早く病室から帰したいらしく。思いとウラハラ状態。

MRSAは気にしないでもいいよ!と言ったけど。分かってるのかな。。。

ゆう君もちゃんと紙のマスクして消毒もきちんとできる年齢だから。って言ったけど。人が傍に居るのも苦痛になってしまうのだな。



父も・・・病気になる前に彼女くらい居ればよかったのにね。そうしたら、きっと弱い所も辛い事も言えただろうに。

娘と愛する人とは違いますか?父の本音を話せる愛している人は誰ですか?そっと教えてくれないかなぁ。

まだ、突然目の前から居なくなった母を思ってるのですか?

結局・・・除籍する事もなく今も父の妻の欄には母の名前がある。お父さん、会いたい人は誰ですか?



2004年07月19日

父は腕の血管がダメになってしまい。中心静脈からの点滴に切り替え。熱も下がってきてちょっと一息つきました。



2004年07月24日

父と私。老人ホームに入れちゃった。。。って感じです。父の足を見た骨と皮だけだった。

浮腫んでなかったからよかったけれど。悲しくなった。面会時間10分。必要な物を持ってくるのと洗濯係り。


ゆう君は・・・「僕が居たら疲れるもんね。咳もひどくなっちゃうもんね~また来るでね」と潔く病室から出る。

私達が行くと咳もひどくなる。何も出来ない。



2004年07月28日

きっと後悔します。もっともっと喧嘩しても父の傍に居ればよかったと。

でも、父の強がりなプライドも保てているうちは尊重してあげたいです。

そんな事考えてると・・暗い暗い長いトンネルの中に居るようです。

何をどうしたいのか。それすら見失っている私。

険悪な父と娘のまま最後まで喧嘩してるのもいいかも~父と私らしいかもね。



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