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そういう状況にある。それは一種の安定である。けれども絶望的な安定である。そういう類の状況の固定化が今の安定の本質である。その安定は匍匐前進の様にジリジリと物事を現実を前に進めていく。けれど状況がどうなろうと無頓着である。それが1年間の状況だったと思う。ある意味で掠め取られた或る物が容易に取り戻せないという逆説。その現実を今、正に体験をしている。そういう皮肉な時代に生きている。その自覚を持たないと今後の状況を自分なりに消化できない。そういう「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の時代に正に突入したのである。この鬱屈した世界は容易に変わらない。それは過去を振り返ると十分に理解できる。その間に自分自身にとって如何に耐え切れない状況が発生するか。その不安を払拭するという事にこそ個人のエネルギーの大半を割かなければならない。そういう時代に突入をしてしまったのだ。その酷さ加減が加速度的に急速に悪化している。そのスピードについていけるのかという不安そのものが払拭できない。そういう状況に達している。どこまでも底なし沼みたいに沈んで、そして、もがき切れない。そういう無茶苦茶な現状が何度もフラッシュバックしてまうのだ。いったん裏切られた関係性は容易には再び癒着しないのか。そういう問いをとりあえず立てて様子を見る。そういうスタンスでしか当座は乗り切れない。そういう間に合わせでしか日々の生活を納得させられない。そういう縮み上がった感覚をどうやって払拭しているのだろうか。
December 25, 2013
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その正体が見え辛い。そうした印象の強い1年だった。まるで片方の圧倒的な宣伝という喧騒の最中に据え置かれて一方的に耳障りの良い中味を伴わない空疎な言葉の羅列を繰り返し耳元で語られ仕舞いには見たくもない顔をあちこちで見せつけられる苦痛に満ち満ちた年だった。こういう悪質性と支離滅裂な振る舞いは親和性が高い。だから平気で特定の人間が餌食となり追放された。どこか恣意的な狡猾な陰湿でねちっこい粘着性のある悪意が周辺にはびこり威嚇的な言辞が半ば公然と吐かれる姿。そこには容赦のない執拗かつ悪質な意図が見え隠れした。どんな堅牢な構造物でも対応力を失えば崩れる。それは力を掛ける側の意思次第によって実に簡単に操作できる。つまり意図的に誘導できる。だから仕掛ける側の都合次第で行える。ただ仕掛けられる側は漠然と仕掛ける側の陰湿な攻勢が始まるのをビクビクして待つだけである。そういう嫌なシーンが今年だけでも何回もあった。それは傍から見ていて背筋の凍る様な嫌な性質のものだった。あれほどまでに傍若無人ぶりを発揮されてしまうと人間は心理的に参る。それらを見越して彼らは畳み掛けるようにして攻撃を繰り返す。だから決して手を緩めない。そういう振る舞いが日常化して当たり前になる。そのことを実は彼らが強く欲しているのだ。だから日常化するまで徹底的に愚行は反復される。まさに継続は力となる。それが如何に暴力的色彩を帯びていたとしても。その本質は常にレトリックにより隠され否定され続けるのだ。
December 24, 2013
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おそらく社会の成熟は一種の退廃を産み出し、やがて没落へのレールを辿る。そんな思考法をしていくと100年単位の歴史的展望はおぼろけながら予見できそうな気がしてきてしまう。やはり時々長い時間軸をキチンと振り返り直さないと今までの認識を再確認できないだろう。20~30年の時間単位の相違というものは案外と大きい。それは10年単位でもそうだが。それでも10年単位では見通せない時間の深さみたいなものを掬い取るためには20年以上の時間軸の俯瞰が必要である。それは一種の中間評価であって固定的ではないが必要な作業だ。この20年単位の価値観の「切り出し」。それはE・Hカーの著作に代表的だが、その考え方自体は今日にも通用する物事の見方が含まれている。それぞれの領域での活動がある一定程度の評価と展開に当て嵌められる様になるためには20年程度の時間の座標軸は必要なのだと。1993年から20年。そうやって測ってみると良い。このフレーズだけでも様々な領域での動きが漠然と想起できる。こうして常に時間軸の物差しを当てる事によって自分の生きている時間軸との対照だとかを考える。そういう作業を通じ今という時代を考える契機を得ている。あの当時の漠然とした感覚が現在の何に投影されているのか。そういう思考を繰り返すことは一種の回想かも知れないが現在から先に連なる将来の姿をイメージする作業でもある。そして将来は突然に現れるのではなくて常に過去の延長線上からしか存在し得ないことを承知する。
December 23, 2013
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そういう一種の問い掛けを時の世相は巧みに映し出す。そんな素朴な感慨に耽る様な時期こそ何とも貴重な一時である。そうやって思い返す時にこそ大切な教訓が含まれて居そうである。その言葉の「溜め」みたいなものを上手く自分なりに味わう。それもまた善いかもしれない。それ位に今の世の中は何でも責任の「擦り合い」だったりする。だから最初から責任感なんぞ持つこと自体がアホ臭く感じられてしまう様な雰囲気が辺りに漂っている。やたら個人の責任を強調して押し付けるという発想そのものが「責任転嫁」なのだから致し方のない気もする。あらゆる矛盾が長い時間をかけて巧みに積み重なり続けてしまうと一体どこから手を着けても対処の方法がなくなっていたりする。そういう何ともし難い理不尽さをここ数年くらいの短い時間に「これでもかっ!」と云わんばかりにギュっと凝縮させられた様な位に味わってきた。そうしたことへの疲労感というか倦怠感みたいな心の感覚のある種の鈍り感みたいなものが、どうも遂に今後はあちこちで一気に爆発しそうである。その爆発の仕方は、一見すると極めて地味なものに他人からは映るだろうけど積み重なるとある種のおぞましさを帯びる筈だろう。こうやって地球上のあちこちの地域に散らばって存在していた各種の問題が名実共に地球規模で一体化してしまうと予期せぬ問題へと発展してしまうのだ。これらの小さな爆発の連鎖でも連なれば必然的に大問題へと発展しかねない。そういう危うさを年の瀬を控えて感じていた。
December 22, 2013
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そういう意識というか感覚。そうしたものが必要なのかも知れない。それは自分の立ち位置を足元から見つめ直す、ということだ。つまり今の自分の視点が一体、何によって規定をされているのか、ということを自覚することだ。そうした物差しを持つことが今は大切なのだろう。あれこれと思案する。けれども考える前提となる自分の軸足をどこに置くか。そのことを意識しながら絶えず自分に問い直しながら思考していく。そういう地道な作業を自分なりに課していくこと。その積み重ねから出しか本当の結論は導けない。そういう気が最近して来ている。けれども落ち着いて自分の足元を確かめ直すことが難しい。むしろ忙しなさに抗いきれず意識的に突き詰める事を避けてばかりいる。そういう逃げを嫌と云う程に自覚させられ続けているという日常が続いている。それは一種の敗北の恒常化であり、自己欺瞞の正当化でもあるし。そういうビクビクした感覚が一般化している。だから敢えて何かを語ろうという気力そのものが萎えている。それを見透かした輩が弱り切った奴らの面を眺めては卑しく嗤い転げている。そういう光景が僅か1年余りで普通の景色になってしまった。とてつもなく怖ろしい話だが。あれだけ5年前に唾棄していた人間を再び迎え入れる。そのために乗り越えるべき現実という作為の連続に日々を明け渡してしまった。そういう痛烈な後悔の念だけが沸々と蘇える様な気がして何ともやるせない。ただ投げつけられる陰険な言葉の数々を浴び続けて暫し呆然とす。
December 21, 2013
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そういう世相を感じている。どこかモノクロームで鉛がかった色彩を帯びたイメージ。そんな印象に包まれている。その行き着く先に安堵感を見出せない。そういった不安に駆られているイメージ。そこからモガクしかない現実。そういう諸々の要因が重なっている気がしている。どこかで転換すべき時期を迎えている。そういう漠然とした自覚はある。けれども肝心の覚悟が追いつかない。むしろ焦っている。その焦りから落ち着いて対処できない。そんな繰り返しに明け暮れている。たしかに変わるべき時を迎えている。けれども向き合えない自分がいる。こうして焦りを積み重ねていくと行き詰る。その行き詰まりを払拭するために何が必要なのかという問いが浮かぶ。けれども明快な答えが見出せない。そうやってオロオロとしているうちに何となく時間だけが空費されていく。そうやって当てのない問答だけが繰り返されていく。まるで砂時計かアリ地獄か。そういった光景がボンヤリと見えてくる。どこまでも仕方のないことばかりで埋め尽くされた世の中に取り残された感覚だけが残る。そうやっていつまで立ち尽くしていたら気が済むのだろう。そういった思いを廻らしながら未だ迷いは拭えずに居る。変わることのない現実。その現実から目を背けずに居ること。その繰り返しから出しか現実と向き合うことはできまい。そういう理解までは可能だが実際に対処できない。そういう無駄な時間を費やさない限り本当に自分が納得をして対処できない。そういうレベルに至っている。
December 20, 2013
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京都で社長が射殺され、東京で知事が辞意を表明。なにかと師走は物騒である。未明の霙混じりの雨も何とか積雪を免れた。いつの間にか寒さも深まっていた。こうやって何となく感慨めいた感情を抱くのも年の瀬のせいなのか。そういう溜め息めいた風情が年越しの雰囲気を醸し出す。そして気忙しさも。当たり前の様にテレビは年末年始モードに入ってしまい余計につまらない。それが尚更に暮のショボさ加減を増す。どこも必ず「グルメ」と騒ぐ。そんな企画も食傷気味である。そういう形でヒトの欲求や欲望を掻き立てる。たしかにメディアの伝える内容の殆どは広告なのだが。こう多いと辟易してまう。どんどん便利で快適になる。それ自体は善いことだろう。けれども何かが削ぎ落とされてしまっているのではないかという懸念が募る。たしかにオリンピックというイベントも目出度い話だ。けれども本当に今、必要なことなのか。そういう違和感が何年も前から拭えない。やはり無駄遣いと思ってしまう。結いの党という政党の結党のコメントも難しくて理解できなかった。単なる自己保身を如何にもらしい大義名分にすりかえている様な気がする。どこかで本当のことが伝えられず互いの都合の善い部分だけクローズアップしているのではないか。だから周囲から見ていると本当は何を考えているか見えない。いろいろと世の中の価値観が多様化してしまって何が一番大切なのか見極め自体が難しくなったのか。そう考えると何かを一気呵成に変えてしまう様な話には実現性を疑わざるを得ないし疑った方がいい。よくわからないが理解できない様な話であれば自分だけでも「待てよ」と考え直したっていいと思う。
December 19, 2013
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あれは1月の成人の日あたりだった。こうやって1年に2回の雪模様を迎えるのは不思議な気分だが。あれだけクソ暑かった日々のことを想うと何だか信じられない気もする。それだけ1年の間に色んな事が起きた。だから未だ今年を振り返り感慨に耽る気分になれない。むしろ12月を迎えて焦っている。どこか半信半疑のまま新年を迎えた。そして半信半疑のまま年を越えようとしている。こういう不確かな感覚が拭えないのが何とも落ち着かない。どうやってスッキリとした明快な気分になれるのか。未だ不確かな状況で何とも先行きが見えない。だから落ち着かず不安も募る。こうした悪循環が続いてる。「一強多弱」というフレーズは「1%が99%を支配する」というフレーズに重なる。まだ世界的にも状況は悪いままだ。むしろ悪化し続けている。これまでの豊かさを取り崩す一方でその富がより巨大な富にくっついてしまう。そういうアンバランスなやりくりを続けているのが今の日本の様な気がする。東京を離れて今、大阪では第三セクターがアメリカ資本に売り飛ばされようとしていた。運賃サービスなどでは南海の方が好条件だったにもかかわらず。こういう所にこそ政治家の拠って立つ基盤がどこにあるのかが透けて見える。すべてはカネの論理。そのカネのニュアンスが大いに問題になっているが。どこか問題が隠されている。それは何も特定秘密法が成立する以前からの違和感である。その積み重なりが結局は特定秘密法の成立をアシストしている。その現実からでしか今さらながらでしか多分私たち自身は何かを振り返ることはできない。けれど何度でも現実を見つめ直す勇気を持ち続けて生きたい。
December 18, 2013
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そう思わずにはやっていられない。それだけ日々の出来事が重苦しい。まるで明日の展望が開けない。それが実感である。これが格差の二極化の実感である。どこまでも人間の欲求が際限なく拡大していく先にある悲惨。そういう悲観的な物の見方が意識を支配する。そういう妬みの心情が尽きない近頃か。ほどほどの感覚の喪失。それが奈落の感覚なのか。このまま一気に落ちていく。そうした不安が尽きないまま年の瀬を迎えている。どこまでも繰り返される不安の連鎖。その連鎖を断ち切れるだけの安心を得られない悲惨。そういう一種の不安を拭い去れない苛立ち。そういったものに意識を奪われている。大地震後の日々を繰り返し伝えるテレビ。確かに忘却は罪である。しかし逃れられない現実を日々晒し続けられるのも辛い。やはり耐えられない。そういう本音がある。しかも大地震以降も何やかやと災害続きだ。これでオリンピックなのか。やはり異常である。資本の論理が剥き出しの醜さに参っている。どうにか前へ。そう思う。けれど置き去りにできまい。そのジレンマに陥っている。たぶん置き去りは今後も増え続ける。その最中で幾人もの人間の心が確実に引き裂かれてしまう。そういうネガティブな側面は隠され続ける。そうやって今までも、これからも真実というものは陽の目を見ないで葬られる。それが本音、なのである。だから今年は本音が現実化した一年だった。どこまでも隠せるものであれば隠してみるがいい。それでも隠されたものは必ず暴かれる。それが人間の性である。そういう本音こそ一番かけがえのないものかもしれない。いつまでも悔やんでも過ぎ去った時間そのものに罪はないし。
December 17, 2013
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また再び「どん底」に居る感覚が蘇える。この「遣り切れなさ」感が簡単に消えてしまいそうにないのは何故だろう。あの1年前に感じた絶望感が確実に現実となったからなのか。どこまでいっても仕方のなさは変わらない。いったい何時に戻れば安心を感じられるのだろう。そういう虚しさに満ちている。どんどんと世の中の風潮が殺伐としてきている。どこまでも物事が簡単に紋切り型で決められている。ある一定の価値観が極端に是とされ他の考え方を薙ぎ倒している。そういう一方的な社会の空気が徐々に人々の価値感を変えている。それは必ずしも善いとは言い切れないが明確な反論にも窮してしまう。そういう屁理屈に世の中の空気が満たされつつある。そういう抽象的な言葉の洪水に世の中が支配されつつある。そういう正論を前にして反論ができなくなりつつある。そういう息苦しさの中で多くの人間が自分の核心を失い迷っている。その迷いが社会の活力そのものをも削いで不安を増幅させつつある。いくら大丈夫だと言葉で言われても実感がない。なにせ過去の失敗を失敗だと認めない為政者の口から説得されても説得力がない。そういう屁理屈まみれになってしまい言葉への信頼がなくなってしまったからだ。どこまでいっても口先の言葉は彼らの都合の良い方にしか解釈されなくなってしまったのだ。そういう無力感。それが余計に社会を衰退させている。いつの間にか成長を叫ぶその人間の威勢も萎え1年前の景気の良さ気な掛け声もマヤカシだったと明らかになった。そういう幾つものウソで成り立った現実そのものが最早、持ち堪えられなくなっている。その痛々しい現実を未だ直視できないでいる。
December 16, 2013
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それは絶えざる不安との格闘でもある。どこまでも尽きない不安の数々に自分として如何に向き合っていくのか。そういう物事との距離感を如何に保てるか。そのバランスが崩れてしまった時に自分の感覚をどうやって回復させられるか。そのことを考え始めてしまうとスランプである。なかなか難しいと。いつも物事は成功か失敗に大別される。それは物事のレベルを問わない。だから日常の何気ない出来事であったとしても個人的には対処の巧拙を考えてしまう。その状態が一種のバロメーターとなる。その繰り返しで日々は過ぎていく。決して終わりがない。だから自分の考えで納得させることになるのだ。どこまでも失敗の連続を重ねると自力で回復できなくなる。それでも自力で回復させていくよりほかに術がない。そういう状況を重ねていくと泥沼に陥る。この心裡的な萎縮を乗り越える。そのよすがこそ常に求められる。しかし容易に得られる訳ではなく日々の苦悶が待ち構えている。そして時間が経つ。その堂々巡りの中で漸く見つける。その苦しみに耐えかねることも多々ある。けれど乗り越えることでしか回復させられない。だからこそ耐え続ける。その軋みを自覚しもがきを意識することでしか多くの困難は乗り越えられない。そういう当たり前のことをキチンと納得しながら消化していく作業が要る。いつまでも癒えぬ苦しみはない。そう信じるほかない。その積み重ねから出しか見えてこない。そして続ける事でしか前に進めない。そういう繰り返しを通じて漠然と得ていくものがある。その糧を信じて前に進む。その繰り返しである。そうやって這いずりながら前に進む。ただその歩みを信じていくと。
December 15, 2013
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もともと人々の不安定な心理を呼び込んでいるだけに当たり前の反動でもある。そういう出来事だけが妙に印象深い。あれから1年近くが経とうとしている。けれども実際の生活を振り返ってみても何にも実感が湧かない。それが現実なのだ。こんな風にして裏切られるのが世の常か。そう考えたりもする。あのクソ暑い日々が一転し知らぬ間に厳冬を迎える。この落差と似たようなものか。そんな風に自分を宥めながら遣り過ごす。そういう機会が以前よりも増えた。別に今に始まった訳ではない。けれども前より堪える場面が多くなった。どうやっても昔の様に牧歌的に何かを想いうかべ持ち直せなくなった。そういう心裡も脆い。だから前向きになれない。そういうマイナスのネガティブな思考回路が形成されてしまっている。あらゆる出来事の解釈がすべてネガティブになる。そういうマイナスの連鎖が連想を呼び込む。そういう考え方が支配的になるとニヒリズムに結びつきやすくなる。何とも厄介な世相だ。どこまでも往生際が悪い。そういうことが常態化している。それはネガティブな足掻きでもある。その一方で何かを掴み続けようとしている。そういう執着の数々が滓の様に積み重なっている。だから往生できない。もともと無から有を生じさせたのに。そういう自分の力を信じられなくなってるのだろう。どこまでも弁解は続く。けれど弁解を信じる元がない。そういうことを続けているうちに本当の信頼を失う方が怖い。ふつうはそう考える。そういう思考ができなくなってしまった時点で彼はもはや常軌を逸してしまったのではないか。そう考えるとわかりやすい。それだけ人間はウソをつくには強くない。
December 14, 2013
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そういう世相を感じる。つまり女性の社会進出という一方で男女の賃金格差は是正されていないのだ。だから世帯の平均所得の長期的な減少を背景として高度成長期の専業主婦像が崩壊し働かざるを得なくなった女性の立場を単純に女性の社会進出という表現で済ませて善いものなのか。そういう気がする。やはり安倍さんの美しい云々のレトリックの本質はそこに存在するのだろう。横浜市長が選挙前に待機児童の統計を利用して宣伝材料にした。市長が女性というイメージに重なる材料を利用してアピールをした典型的なやり口だ。しかし彼女が当選後に打ち出した施策の数々は、これらのイメージと程遠い。あまり口から出任せが多すぎたので今や食傷気味である。どうも世の中が短期的な目先のミクロな視点でしか物事を評価しなくなってきている。そういった風潮の延長線上に私たちの価値判断の目線自体が当たり前の様に設定されてしまっているからジリ貧になる。どこまで底上げしてもキリがないからだ。そういった疲弊感を覆い隠すのがレトリックである。それはかつてのナチスの手法とも似ているのだ。そういう精神的な鼓舞が蔓延する社会は危ないし怪しい。それこそ北朝鮮の姿をテレビで面白おかしく報じるけれども本質的な部分で彼らこそ日本の戦前いや今のプロパガンダ手法を真似ているのだから。こうやって猪瀬さんも1年足らずで窮地に陥ったのだから二度目の安倍さんも早く躓いてくれないか。どうにも前回の危ない怪しい雰囲気に辟易とした経験があるので、彼には余り長く続いて欲しくない。かといって急に事態が好転すると思えない。やはり日本の今は戦前のそれと極めて似てきてしまった。
December 13, 2013
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そういう問いかけを自分の中で繰り返したりしている。おそらく巷の答えは「存在しない」という風になるのだろうか。とりあえず直接的に日本が戦争そのものに関わった実感がないだけで戦後も朝鮮戦争やベトナム戦争があったからこそ最前線基地としての日本は経済的に潤ってこられたのだ、といえる。だから、その意味で安倍さんは「過去の歴史に学んで」これからの日本の成長戦略を真剣に熟慮検討をなさった結果として武器輸出三原則を見直された。それは世界の趨勢から見れば「当たり前のこと」であって、むしろ今までの日本に欠けていた姿勢を「取り戻す」という意味で画期的な決断、でもある。その意味で世界的に見て経済が持続的な成長の機会を捉えるためには、世界的にも自由貿易の経済圏が拡張されることが望ましい。だからWTOやTPPといった枠組み合意が大切なのだ。それらと並行をして、あらゆるビジネスのチャンスとチャンネルが拡大されることが望ましい。そういうことなのか。そうだとしても今の日本の立ち位置では危なっかしい。日本としての国の存立を云々した場合に、今の安倍さんの主張で大丈夫なのか。やはり太平洋戦争に至った過去の歴史の失敗と同じ様な過ちを繰り返しつつあるのではないか。相互不信の連鎖からは相互扶助的な連帯を育む事自体が困難になるからだ。どこまで行っても日本は過度な依存と警戒に陥っては危ない。むしろ適度な均衡を保つ様に日本自身のスタンスを微調整し続ける姿を国の内外に印象づけた方がダメージは少なくなる。どこまでも原則だけチラつかせるという強硬な姿勢は相手あっての関係においては逆にマイナスに作用することが多いと。
December 12, 2013
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まるで平時から人の死を受け容れさせようという一種のプロパガンダを感じさせる。それは太平洋戦争の初期に戦死した兵隊を讃えた事例と似ている。そして人間は必ず死を迎えるという事実を当たり前のこととして受け容れさせる。その動機そのものが何なのか。その肝心な部分は実際には隠されている。かなり乱暴な表現になるが地震の起こる前から東北の各地の大半は悲惨な状況に置かれていた。それが地震を通じて一気に壊滅的な打撃を被り以前よりも酷い状況になった。だから物理的には驚異的な投資でも行わない限り被災地の復旧や復興というものは成立しない状況にある。その事実が隠されている。それは今までの日本の政府の失政でもある。だから政府は簡単に実情を白状しない。むしろ国策として原子力発電を推進させてきた。その結果として安全対策として喧伝してきたシステムの情報だって隠し続けた。それらは自分たちの自己保身のために使われた。そして「月命日」だけ繰り返し喧伝される。そういう無常感を植えつけるのは何故か。つまり仕方がないということを繰り返し喧伝することにより庶民に潔き諦めの精神を涵養させようとしているのではないか。その効果が復興増税という四半世紀の事実上の恒久増税の成功であり、それに続く消費税率引き上げといった諸政策成功の連続なのである。これだけの「不敗神話」を創り上げた以上もはや「戦争への道」は不可避である。その意味では特定の秘密だろうが共謀の罪だろうが「国策の遂行」に有益な政策は正に「総動員」される。そういう端緒を今年の暮にたまたま私たちは垣間見てしまったのだ。これから始まる悪夢の序章を見てしまったのだ。
December 11, 2013
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とりあえず総務委員会の閉会審査が24日まで予定されている。これは29日の都知事選告示1月投票というカレンダーを意識した日程である。これまでの質疑を見れば「リーク」に基づいた随分とミクロなツッコミが目立つ。それだけ安倍政権のダメージを回避する上で「徳田・猪瀬切り」が必要なのだ。素人同然の猪瀬の話は転がり続ける。だから辞任は既定路線。なぜマスゾエが参院選挙に立候補せずに居たのか理解できる。つまり事件の端緒は今年1~2月には把握されていたのだ。しかし参院選挙などのスケジュールを勘案して「ねじれ」解消後に事件化することが政府・与党内で了承されていたのだ。それは閉じられた国会が完成した暁に粛々と進められることになっていた。だから自民党としては徳田というシッポを斬る道具として利用し、猪瀬を快く思わない人間によって猪瀬切りのカードとして利用されることになった。まるで小沢一郎が彼の外堀から埋められて政治力をもぎ取られたのと似ている。こういう国策捜査の手法が実際に今までも自民党という保守政党を逆に守り続けてきた。だから改革を標榜しながらキチンと自分たちの権力維持装置は手放さず逆に着々と強化を進めている。谷垣大臣こそ今の共謀罪の創設のキーマンとなる。彼の変節こそ日本という国家を逆コースに貶める元凶だと思う。こういうドタバタの最中で密約は交わされる。もともと敷いたレールの上に乗せるみこしみたいな物だから誰が乗っかるかは本質的な問題ではない。まさに議会による議会のための都政が目前の現実になりつつある。むしろ腐敗が新たな腐敗の温床を用意する、という皮肉にこそ今の時代の複雑さが伺える。
December 10, 2013
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そして「矛盾」を隠してしまおうとする強引な手法も目立ってくる。それは日本の国内だけでなく国外においても顕著な動きである。かたや中国が主張すれば韓国も主張をする。北朝鮮の国内で体制の動揺を抑えようと疑心暗鬼から側近を次々と粛清する。これらは別々の動きだが動機的に極めて似ている。もともと広大な地域を抱える中国が関心を大陸から海洋へと転じるのは時間の問題だった。第二次大戦後も未だにアジアでの矛盾は放置され続けた。それが今頃になってクローズ・アップされてきている。その意図は単に中国のみならず中国と関わる各国との間での思惑も重なって複雑化しているのだろう。そういう複雑な状況を単純化できない。だから便法により事態の収拾を図ろうとする。アメリカや韓国といった折り合いのつけ方に慣れた国々は決して中国との対立を深めようとは考えない。しかし日本は政府の意思として中国とガチンコを望むフシがある。あまり毅然とし過ぎるのも危なっかしいだろう。つまり日本の政府は正月に起きたアルジェの件に明らかな通り日本人の安全そのものを軽視している。それが諸々の政策における彼らの価値観の背景にある。それは福田赳夫とは明らかに異なる安倍晋三のアイデンティティの象徴でもある。決して自分では詰め腹を切らずに他人の首を差し出す発想である。そういう意味での無責任な為政者に私達は今、命を預けている。そういうシビアな現実を考えると余計に何だか遣り切れない想いが募ってくる。それが「矛盾」を意識することなのならば改めて自分自身の生き方というものを考え直さないと厳しい時代に立ち至ったのだなあ、とシミジミと考えさせられる。
December 9, 2013
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あれこれとテレビが好況感を演出してもピンと来ない。これからの来春の消費税率の引上げを考えるとパぁーと景気よく気前良くという訳には行かないだろうに。よほどケチで損得勘定に長けた人間ならば今は買い時という商品や商売に手を出せるのだろうが。正に「貧すれば鈍する」の状態で無理である。いまの「一強多弱」という政界用語は世間の世情をも反映した言葉である。これこそ正にレバレッジの法則というヤツでテコの原理なのだ。一方的な重しが利かなければ経済も景気も反転(好転)しないというニュアンスがある。たしかにパイやマスの大きさがスケールとして比例するのはその通りだけど。あまり前向きになれない。そういう実感が日本の世の中に漂い始めている。それは過去に散々裏切られてしまったというネガティブな経験が余計にそうさせている側面もあるだろう。しかしそれ以上に再び騙されてしまう巷の詐欺被害者と同じ様な心理がどうやら日本国内に全国的な雰囲気として存在する。やはり情報の格差が経済的な格差を生み出している。だから特定秘密は重要である。まんべんなくフタをしてしまえば既得権は温存される。それは現在の権力が恣意的に何か事を運んでも在任する限りにはバレずに済むということである。それは一種の治外法権であり全権委任でもある。それは独裁である。圧倒的な権力に力の源泉を過度に集中させ独占させることは腐敗に結びつく。その原理を無視している今の日本の政府の姿勢がこのまま日本を平穏のままで居させてくれる保証はない。むしろ権力に抗う力そのものをこれからは徐々に、しかし完全に除去しようとする動きが一気に強まる懸念を深めている。
December 8, 2013
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そういう状況になってきた。たしかに昨年のインチキな党首討論での出来レース以降というのは一種の鬱々とした雰囲気を持っていた。しかし想像以上に狡猾で巧緻(?)な波状攻撃みたいなものに屈した感がある。それが野党の強かさだと肯定的に見ることも出来るけれど個人的には不快な出来事である。これから先には共謀罪の創設が視野に入って来た。ある特定の個別法における規定ではなく一般法への創設を図るということは本質的な意味の転換が含まれている。それが今回の特定秘密保護法の意図だし今後に続く怒涛の様な法の改変(改ざん?)作業の狙いでもある。だから今後の世相が荒んで見える。たしかに急に風向きが変わった訳ではない。その流れは小渕さんの時代に国旗や国旗というシンボルの設定から始まった。そして狙いは教育の統制にあった。その後の教育改革とは実質的には教育の統制を強化し続ける事と同義語となった。それで状況が良くなった訳ではない。しかし責任は現場に転嫁だ。本当に着手すべき課題を放置する一方で恣意的な統制の強化が続々と図られる。これが教育改革を発端として社会の隅々にまで拡張され始めた。それが構造改革の流れである。じつは規制緩和と叫ぶ一方で特定の人間に恣意的な裁量を与え経済的な利益の独占を供与するというのが実際の様な気がしている。こういうアンフェアを規制緩和というのならば、実質的にはモラルの撤廃と同じである。モラルが荒廃どころか存在しないところに今さら道徳を説いて偉そうにふんぞり返っているのが今の政府の姿勢だ。そういうスタンスで何かがマトモに再生できるだろうか。むしろ荒廃と破壊の連鎖しか見えてこない。
December 7, 2013
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あちらこちらで色んな動きがある。それらに逐一は対応できない。いったいどこまでが自分たちにとって大切な出来事なのか。そういった迷いが尽きない。どちらかというとどうでもよいことへと駆り出されているのではないか。そういう疑念が拭えない。どうにもつまらないことが多すぎる。もうアメリカで愛国者法が成立している。だから別に驚く状況でもない。むしろシステムの存在が社会のあり方を形づくっているのだという現実を見てきている。とにかく「逮捕」の二文字が日本でのニュース報道でも増えてきた。それを追認するのが今回の特定秘密保護法の趣旨だと思える。もともとニュース報道の花形は事件報道である。だから日本のメディアにとっては別に国家の巨悪というものを暴かずとも仕事は山ほど存在し続ける。いくら事件の真相や本質が見えなくとも事件そのものはニュースソースとなる。その意味でメディアは今までどおり淡々と粛々とやっていく。あらゆる物事の見立て自体が実際は時の為政者たちの胸先三寸で決まっている。それをどうやって事後的に検証できるか。そのシステムを考える必要がある。その意味で今の政権は歴史の重みを顧みる姿勢がない。むしろ将来に負の痕跡を残すまいと考えている。そこら辺が本当の問題なのだ。この歴史認識を巡る問題意識の欠如。これが少なくとも今の安倍さんに対して日本の内外から批難される必要がある。けれどもメディア報道を見ていると意図的にこの問題に対しての指摘を回避し続けようとしている。そういうメディアの姿勢の方が為政者の露骨な本音の吐露よりも悪質だと。
December 6, 2013
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だいたい今頃になると当たり前だが今年1年の全般を顧みる時期を迎える。その時点での気持ちが即ち今年の印象を決める。この時期まで息切れせずに踏ん張れないと厳しい。そういう感情だけが先走る季節。だから辛い。いったい今までの悪戦苦闘ぶりは一体、何だったのかと一人、ごちる。そういった後悔。それぞれに言い分はあるのだろうが言い訳にしかならない。それだけに口に出す勇気がない。そうやって押し込められていく。こういう感覚が困る。どうやって次の展開につなげられるのか。そういう見当がつかない。だから追い込まれる。いわば逃げ場のない窮地という訳。どこまでバッサリと切り替えられるか。だんだん切り替えが鈍ってきている。その分だけ落ち込みも激しい。そういう浮き沈みに疲れたのか。どんどんとジリ貧になっていく自分を情けなく思う。そこまで落ち込んで浮かばれる事もない。そういう無為に自分を委ねる愚かさ。そんな情けなさ。あてがない。どう考えても。そういう空っぽの心境。そこから何かを詰め込み直す。そういうフリをしていないと持たない。なんでこうなるのか。今更ながら思う。だけれども一瞬ごとの判断から積み重ねられたことだけは事実なのだ。この事実の積み重なりの本当の重たさを今実感している。とりあえず時間の軸に従う。そういう単純な発想でしか乗り切れない。だから余計なことは考えず一心に前に進むことにする。そういう積み重ねしかできない。今さらながら遅いのだが。そういう諸々の愚痴を今は封印し。そういう意識に集中していく他ない。そういう風に今は言い聞かせる。
December 5, 2013
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そんな最近である。この3年余り。あまりに一気に色んな出来事が相次いで今までにない程の情報過多となり落ち着いて物事を考えられなくなった。とりわけ大地震以降は毎日何かに圧されている様な息苦しさを感じ続けている。いつも不安を拭えない。そんな毎日は辛い。けれど続いている。あれこれと思考停止を繰り返す。何かがストンと落ちたりこぼれたりした様な感覚。いつも何かに急かされ続けている。そういうモルモットみたいな感覚。そういう感覚が続くと人間としての生気そのものが奪われていく。それが例の計画停電だった。何かを失うということの辛さを実感した。これまで正当化されてきた数多の事が一瞬にして覆される。そういうことの驚愕。そして落胆か。たしかに過去を悔やむことには限界がある。しかし区切りのつけ方には各人の思いがある。その点を無視できないから難しい。そういう一種のやり切れなさ。そういったものを未だ引きずる日々。だから中途半端だ。どこまでも好い加減だ。けれどもキチッと物事が理路整然と片付く訳でない。そういう悩みに結論が出ない。もともと「どうしようもない」ことだからか。そういう疑問がつきまとう問題に明快な結論など最初から出る筈もない。だから延々途方に暮れる人が存在し続ける。地震に加えて竜巻や突風あるいは豪雪や豪雨。そういった自然が一気に襲い掛かる日々を繰り返していると何だか妙に萎縮してしまう。そういえば最近では異様に天気予報を気にする気がするし。もっと落ち着いて日々を過ごしたい。そういう切実な感情が時折、湧いてくる。なかなか難しい。
December 4, 2013
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そういうせちがなさを感じる。どこも話題はショボク切ない。これがアメリカに近づくということなのか。それだけ今まで享受してきた世の中の懐の広さが懐かしい。そういうシミッタレタ想いが募ってくる。なかなか思考が前進しないから後退の連続である。こういうのが一番辛い、のだが。どうしても来春の消費税率の引き上げという既定路線が重たい。それに加えてキナ臭い。だから先行きの怪しさに怯えている。そういう引き気味の心持ちが何とも辛い。どうやったら明るい展望を抱けるのか。たしか一年前にはそんな風な話もあった様な。だけど気がつくとロクでもない感じ。いろいろな個人の尺度が狂う。そんな感覚でないか。これまでの経験みたいなものが通用しない。そういう一種の絶望感が蔓延している。それが社会の相当な世代に共通認識となってしまっている分だけ重症である。それらの鬱屈した感情が世間の風潮を作り出している。何ともやりきれない。そういう本音の部分が封印されている。だから為政者の好き勝手を暴こうという動きも禁じられて事実上の自主規制である。そういう風潮の延長線上には為政者の見据える将来が描かれようとしているが、それが果たして多くの人間の欲する状態なのか今の状況では皆目、見当がつけられない。そういう何か見えない物によって導かれていく不気味さ。そういうものを今ほど感じる時代はないと思うのだが。その気持ち悪さを正直に語るメディアは極めて少ないから心配である。自ら進んで権力に阿る。むしろそういったメディアの事なかれ主義的な本音がチラついて見えて来るのだが。
December 3, 2013
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そういう素朴な疑問が浮かぶ。それは幾らでも似た様な性質を持っているから。それだけの想像を巡らせたか否か。たぶん政治家としての思慮の浅さや深さの違いというものが如実に現れる場面である。それはカネの問題にせよ言葉の問題にせよ同じだ。それが表面化したタイミングで決まる。なにも有権者に二枚舌を使う行為は今に始まった訳ではない。ただ有権者が彼らの人間性を見極められなかったということだ。それを今更に喚いても仕方がないとは思わない。やはり約束の重要性という問題は残る。だから面倒だ。もっと最初から堂々と主張すべき話を隠すから問題が拗れる。あの安倍さんの幼稚で稚拙な人間性が今の日本の世の中を着実に好い加減な社会へ変えつつある。それが有権者の下した本当の判断なのかは別として。少なくともメディアの繰り返す一定方向へのサジェスチョンにも影響されながら民主党の政権運営に対する嫌気が別の選択肢を選ばせたのだ。そういう一種の吹き込まれた判断というのは実に危うい。だから一種の詐欺みたいな側面もある。そういう取り込みの先に二枚舌の問題が生じる。そもそも彼らがどっちを向いて生きているのか、という問題をどうやって理解できるのか。そこいらの事情は普通の人間に容易には理解できない。あの防空識別権に何故、北方領土が含まれて居ないのか。しかも1969年に設定した防空識別権そのものはアメリカが設定していたのだ。そう考えるとアメリカは日本に四島一括返還を吹き込みながら当時のソ連に領空侵犯そのものを黙認していた。そう考えると、どっちもどっちなのだが。
December 2, 2013
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どうにも駄目である。揺れが激しい。あのクソ暑い日々を何とか意地で乗り切ったものの肝心の所が詰めきれず積み残しのまま冬を迎えてしまった。まるでアリとキリギリスを地で行く様な話だ。どこまでも自分の放蕩ぶりが悔やまれる。されと後悔先に立たず、である。何とかするしかない。2月下旬から5月辺りまで毎週土曜の午前は馬を眺めていた。それで何かが変わったという訳ではないが「ならぬものはならん」的な至極、当たり前のことを再確認していた、様に思う。所詮は、どうでも良い事、の範疇なのだが。それでも自分と他者との間に横たわる場の空気を感じていた。ともかく何かで気を紛わせたかった。そういう心境だった。だからあまり褒められた話でもない。けれども何かをしていないと持たなかった。そういう心境だった。ただじっとしていることが苦痛で仕方がなかった。どこかに動きをつけていないと恰好がつかない。そんな心情だったのだろう。とりあえず決めたことを守り通す。ただそれだけだった。じっと耐え切れない分だけ動いた。その結果が今頃になっての「息切れ」である。いつもペース配分がおかしい。だから息切れする。その繰り返し。いつも後の祭り。それでも当時は一所懸命だったから自分を責められない気もするし。そんな幾つかの感情が頭の中を交錯する。だから悩む。それでも自分に何かを言い聞かせてやる。そうしてやることでしか立ち直れない。だから考え込む。いつも同じ場面で躓き挫けることの連続なのだから。そういう仕方のなさに呆れる。それでも前に進む。そうすることしかできないから。
December 1, 2013
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そんな風に頭の中で了解している。けれども実感としては何となく腑に落ちない。だから疲れる。そのミスマッチ感が辛い。いくらでも自分の感覚を覆す反証は存在するのだが受け容れられない。それが現状認識を大きく歪めてる。そういうことが積み重なると何だか非常にくたびれてしまう。きっと中国の国内でも幾つも混乱が生じているのだろう。それと同じ様に韓国や北朝鮮にも国内の事情が存在する。それらと見比べた際に今の日本の国内の混乱みたいのものと同列に並べて考えて良いのかも知れない。けれど物事を見ている人間が疲れ切っているので正確に認識できていない。けれど韓国でさえ撤回した様な法案をそのまま日本が踏襲するとは。この事実を踏まえれば法案の妥当性そのものが疑われる。しかし誰もその点を正面から指摘しない。むしろ慎重に審議しろなどといった頓珍漢な話になる。いったい彼らは誰のために存在しているのか。随分見当違いだろう。そんな体たらくだから与党の幹部からも正直な本音が堂々と文字にして告白されてしまう。確かに法案を読めば彼の述べる通りの解釈が可能なのだ。これは本音というよりは法案そのものから解釈される状況そのものなのだ。それにも関わらずバカな野党は幹事長個人の見解を云々する始末だ。そういう解釈が可能だという事実そのものに触れない卑怯さ。そのことの方が深刻だ。こういう風な好い加減な対応が続くから法案の核心そのものが伝わらない。そういう時間のばしをすることで野党は「とにかく頑張りました」を主張しようと最初から逃げを決め込んでる。だから許せない。
November 30, 2013
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そういう作為あるいは演出みたいなのが以前よりも気に掛かる。だから素直に受け取れないのだ。その分だけ思い切り楽しめない。いつも何か伏線が張られている様な感覚。それが台無しにする。たとえば夜7時のNHK総合テレビのニュース。なんだかピョンヤンの国営放送に似て見えるし。あの妙な抑揚を効かせたナレーション。なぜニュース番組の冒頭から視聴者に特定の印象を与える様な演出を施すのか。それが毎週の視聴率ランキングの上位を占める。つまり放送の流し手の意図するところが多くの視聴者に結果的に支持されている。その過剰な同調効果を末恐ろしく感じる。そして夜9時のNHK総合テレビのニュース。やはりキャスターの発言のブレに驚愕させられる。そういう一定の価値観に裏打ちされた報道なのは理解できる。けれども強い違和感がある。これを不偏不党というか。そういう疑問が追い打ちを掛ける。どう考えても不自然ぶりが際立っている。それでも受信契約者数は過去最多を更新しているという。それが裁判に訴えて勝訴を獲得し威嚇を加えた効果であったとしても事実として増えている。それだけ私達が好い様にあしらわれている。そうでなければNHK総合テレビの番組が陳腐化しているのに矛盾した結果が生まれる訳がない。まあ25年続く復興増税にも大きな反響は起きなかった。それを考えれば国民番号制もスンナリと導入されるし別に何が特定秘密に指定されても大した出来事にはならないのだろう。そんな風に、なんでも粛々と物事がスムーズに運んでいくのか。そう考え出すと随分とシンドイ話だと思うが。
November 29, 2013
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どうも10月に来春の消費税率引上げが確定して以降、明るい兆しがない。それだけでも今後への経済不安を感じるのに追い打ちを掛けるようなTPP絡みの話題が続く。いったい日本の政府なのに日本人を何だと思っているのか。そう云いたくなる様なアメリカへの露骨な追従ぶりが目立つ。いくらキャロライン・ケネディやバイデンが矢継ぎ早に来ても、彼らにしてみれば植民地へ訪ねるという位の意識でしかない。それが端的に現れていたのが大使着任後、早々に横田基地を訪問した一件だ。まるでイギリスがインドを植民地化したのと同じ様にアメリカの日本植民地化が進むと。この辺り日本人としての感情は複雑だ。だから「ねじれ」を起こしてしまう。やはりアメリカから「とやかく言われたくない」という一種の反発があるから安倍さんみたいに「アンシャンレジームからの脱却」だとかのためいて中国ピョンヤンぶっつぶせとアジテートしてみたくもなるだろう。そういう幼稚な観念を捨てきれない。だから70年近く前にマッカーサーに「中坊」呼ばわりされたのかも知れない。けれどもバカにも意地がある。そういう複雑さ故に悲劇は繰り返されるのか。そう考えると今の世相は常にルサンチマンに満ちている。だから残酷な事件が後を絶たないのか。この一気に状況を変えようとする一種の衝動性が今ほど頂点に達している時代はない。だからこそ人々は判断に迷い続ける。その間隙を襲って為政者は一気に仕上げようとする。この突き上げには際限がない。どこまでも引き続ける限り彼は容赦なく次の一撃を加えようと待ち構えている筈だ。
November 28, 2013
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その事実こそ如何に臨時国会が茶番かを物語っている。かつて所信表明しながら総理の座を辞したという姿と同じ国会を軽く見ている安倍さんの感覚が影響している。どこまでもレトリックに終始し本質を語らない。それが美しい国日本をスローガンに掲げた当時と全く変わらぬ彼のスタイル。それは一種の超然振りを発揮する。けれども今の世界で自国を超然とさせて国際協調できない国家は事実上、孤立する。そのバランスを意識できない政治家は少なくとも国家レベルの物事を決める立場に居るべきではない。けれども皮肉なことにそうした政治家が今の日本の舵取りをしている。どんな信条を持ち合わせていようが今の現実に立脚した政治そのものを推し進めていく責任こそが国のトップには求められる。その意味で安倍さんは本質から逃げ続けている政治家であって日本の信用をどんどんと低下させている。そういう姿を何もメディアは報じないし無関心を装っている。そういう「ことなかれ」なスタンスが逆に周囲の緊張の高まりを招いている。いくらガツンと反論したって逆に余計な揚げ足を取られかねない。むしろ日本が中国や韓国とのコミュニケーションを避け続けることにより無用の緊張が高まっている。そのことをそろそろ自覚しないと危険である。このまま高まり続ける緊張を無視することはできない。友好関係そのものを再確認することからでしか緊張の緩和は期待できない。近い地理的環境にあることのメリットもデメリットも理解した上で新しい局面を見つけていこうとするスタンスを意識的に作り出すポーズが今こそ必要なのだが。
November 27, 2013
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5月の憲法96条改正アピールに失敗し大幅に作戦を切り替え臨時国会の所信表明にも盛り込まず通常の法案と同様に粛々と審議を進める。その一方で私的懇談会で新たな解釈を打ち出す。そんな二正面作戦が水面下では着々と進められている。けれどもメディア報道は直前まで時限秘である。この1年でより世の中は酷くなった。うわべと本音との乖離が大きくなった。だから本音を考えてウカツに正直には語れなくなった。どこまでも建前の綺麗ごとが幅を効かせて実際の本音が一掃をされてしまった。もう逃げ場のない社会になった。あれこれ語っても何か虚しい世の中になった。たしかに10年位の間に真っ当な意見を堂々と開陳する人々は急速に主要なメディアから駆逐されてしまった。だから息苦しい雰囲気は存在していた。それが今年に入ってから一気に窒息しそうな位に圧倒的雰囲気をもって襲い掛かる場面が増えた。あからさまにメディア名指しで放言したり。それはナチスの増長過程と極めて酷似していた。だから今後の展開を考えると似たような嫌な将来というものが見えてくる。どんどん酷くなるだろうなという予感を払拭することができないことは非常に辛いものがある。その気持ちの縮こまりを何とかできないかと一所懸命に考えたりもする。たぶん臨時国会が閉幕すると一気に世の中は暗黒化する。その時に一体、何が起こるのか予期すらできないが。そもそも秘密の本質とは、その様なものだ。だから世間が萎縮し時の為政者の意向に逆らえなくなる。そういう新たな支配の道具をみすみす明け渡す。これが麻生さんの本音だろう。
November 26, 2013
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そういう印象を少なくとも特定秘密保護法を巡る福島市の公聴会での意見から受けた。その懸念が年明け以降の原子力発電所の再稼動を巡る一連の動きに早くも当てはまりそうだ。こうやって人々の意識から問題の所在を隠し、そうやって人々の関心を集めないようにする。それが本音だろう。それにしても何故、法務大臣の谷垣さんが法案担当しないのだろう。そして、かつては同種の法案に反対していた彼が何故、反対の意思表明をしないのだろう。どうして骨抜きになってしまったのだろう。この辺りが今の自民党の一番不安な部分だ。どうして急進的な考えが闊歩するのだろう。まるで猪瀬さんのスキャンダルは特定秘密保護法審議を隠すための芝居に見える。作家を自称する石原さんも頓珍漢なことを云いながら維新の会で法案の修正協議を肯定していた。これらの不自然な動き自体が政権という権力に抱き込まれた数々の政治家の奇行ぶりとして理解した方がいいと。それにしても、みんなの党の寝返り振りには呆れた。あれでは全権委任も同然なのに自画自賛だ。そういうことを平気で肯定してしまう彼に多くの有権者が騙された事実を考えてしまう。そうして調達された勢力の薄っぺらさ。それは麻生さんが7月に嗤った発言の真意と見事に重なっている。このまま法案が成立すれば後は原発再稼動へ邁進する。しかし特定秘密のヴェールが効いて報道は実に抑制的に成る。それが法案の趣旨だから。こうやって徐々に日本は世界から見ても異常で特殊な情報統制国家へと変化していく。その確実な端緒をここ最近の一連のドタバタは物語っている。
November 25, 2013
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そうとう中国の国内もキナ臭い。それだけ対外的な強硬姿勢を打ち出す必要性に指導部が駆られているということだろう。それにしても日本も中国も為政者が躁鬱みたいに揺れ幅が大きい振る舞いを重ねている。これら振幅の最大値がまかり間違って接触してしまうと取り返しがつかなくなる。たぶん日米韓の三カ国に向けられた中国の猜疑心なのだろう。かたやイランを巡っての六カ国協議は進展したものの北朝鮮を巡っての六カ国協議には進展の兆しすらない。そういう冷え込んだ情勢を踏まえ中国が北朝鮮を意識しながら意図的に対外的な強硬姿勢を示したのだろうと考えている。こうした緊張を解くカギが見当たらないため暫くの間はズルズルと膠着状態が続くのではないか。そして日本版NSCが12月当初に発足した時点で新たな緊張が生じる懸念がある。その時点までに日本と中国の間で如何なる協議が進むのか。そこにはアメリカの仲介が当然に予想されている。そこに介在するアメリカの意思が今後の日本と中国との関係をある程度は決めてしまうのだろう。その意味で今のスタンスが明らかに中国を半ば敵視している日本の立場は今後の緊張を深めるだけ反面で日本が抱える安全保障リスクを徒に引き上げる恰好になってしまっていないか気懸かりだ。もともと地政学的に見て中国自身が今までと違ったスタンスを示しだしたことのインパクトは日本だけにとどまらない。その意味で日本だけが過剰に反応するのは賢明ではない。むしろアメリカにだけ頼らずに地域の枠組みを意識しながら問題を処理していくスタンスの方が善いのではと思う。
November 24, 2013
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そう思う。なにせ説明が二転三転。これで納得できる筈がない。むしろ舛添さんが参院選挙に出ず後を狙っていた理由が理解できた。年明けの通常国会前後のスキャンダルから暮の臨時国会会期末までの長丁場。なんて政治の世界というのは陰険で狡猾で込み入っているのだろ。呆れてしまう。たぶん釈明のブレ加減を見ていると猪瀬さんがいつまでジタバタしていられるか次第なのだろう。きっと関係者は次の展開を描いている。けれども今の時点ではシナリオが伏せられているので私達は呆然と状況を眺めているしかない。そういうことの究極が本当は特定秘密指定なのだろうけど。どこも世界的に行き詰っている。だから他所の行き詰まりは早晩にして自分たち世界の行き詰まりと同化する。そのくらいの感覚を持っていないと急な他所の行動の変化というモノを落ち着いては理解できない。むしろ漠然とした不安が手伝って徒に不信や誤解だけが増幅してしまうだけだと。良くも悪くも政治家としての猪瀬さんは無防備過ぎる。だから今後は彼の人間性だけが彼の政治家としての人生を決めて行くことだろう。どこまでも自分を持たない人物であれば幾らでも逃げ回ることだろうし。それらを含めて史上最多の4百万人以上の有権者が何を選んだのかということだ。そういう一種の躁鬱な世の中になっている。7月下旬に麻生さんの発言が取りざたされたものの、その後は発言そのものが問題視されなくなってしまった。今から思えば特定秘密保護法案提出への意思をあからさまに語っていたのだと思う。その発言を追及した彼が番組を追われたのも不可解。
November 23, 2013
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そういった意味で今の世の中は極めて差別的である。それは経済的な合理性ゆえ合法とされているのか。いや未だ時代の最先端にまで普遍的な価値観が追いついていないだけなのか。けれども現実として今の世の中は反面で差別を肯定している風に見える。それが巧妙な仕掛けで隠されている。どこまでも自由を追求することは反面で何かを切り捨てている。そのことに想像が及ぶようにすることが近代の価値観の一つ、であるように思える。けれども現実は、そういった思慮といったものすら及ばない。どこまでも強さが優先させれている風だ。それでは半永久的に声をあげられない。それぞれの規範やルールといったものが相互の承認を得る。その連なりが多くの秩序を形づくり、安定をもたらす。そう信じられていた。けれども実際には不寛容の連鎖が多くの諍いを誘発して、どこまでも混乱を深めている。そういう相互不信の中から新たな紛争の兆しさえ見え隠れをする。こうやって周囲を見渡す限りでも争いの種は尽きない。お互いの不信感が引き起こす憎悪の感情がとどまる所を知らずに拡散していく。もう少しの理解さえあれば防げたであろう多くのトラブルも一度引き起こされてしまうと収束の糸口を見出すのは難しい。そうやって嘆き悲しむ光景ばかり。せめて少しでもトラブルを減らせないものか。そういう気持ちになる。どこまでもシステマチックに徹してしまうと肝心の相互のコミュニケーションを欠いてしまう。そんな気がする。だからこそ寛容の気持ちを持ちたい。これから暮になり気忙しい季節になるけれど少し心に留めておきたい。
November 22, 2013
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そう明確に定義した方がスッキリする。やはり自民党にある復古的な考え方が急進的な動きとして結実したのが今の特定秘密保護法である。もはや最高裁も無視してはばからない言動が闊歩をする様な自民党である。そうした彼らの思考の中に基本的人権などという言葉自体が死語なのである。それにしても重要法案の割に低調な審議である。件の西山氏を参考人として呼んだにもかかわらずメディアの取扱い振りには愕然とさせられた。おそらくこうしたメディアの取扱い姿勢そのものが今の粛々とした審議ぶりに加担しているのだろうと思った。彼ら自身の危機の意識がなさ過ぎる。故・佐藤道夫氏が西山氏の起訴状に「情を通じ」と敢えて記したことの顛末を考えれば、内閣総理大臣が特定秘密の管理を云々する等と云っても虚しい。権力の源泉が情報であるという本質を考えるならば権力による情報の独占に一定の歯止めをかける法制度こそが必要とされるのではないか。それが本来の情報公開であり公文書管理である。そういった権力の縛りを緩める法制度そのものが特定秘密保護という考え方である。それの保護のあり方を事後的にシステムとしてチェックできるものにするというのが一般的なルールである。それを示せないルールは何か問題があるのだろう。それは一種の白紙委任であり白地法規である。それは全権委任でもある。そういう危機的な状況をもっと認識した方がいい。いつでも物事の本質というのは隠されてしまう場合が多い。だからこそキチンと事の是非を吟味した方がいい。いつの間にか法案成立ありきの話は勘弁してもらいたい。
November 21, 2013
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そういった感覚というか意識が日常に蔓延っている。だから何か危機的な状況が起きつつあっても反応が鈍い。どこか他人事になってしまっている。そういう何ともむず痒い様な苛立ちだけが募る日々が続く。どうにもならないもどかしさ。そういうものに浸りながら傍観ばかりしている日々。こうやっている間にも為政者による何がしかの企てが着々と進行している。けれども具体的に抗う術を持たない。ただ野党政治家が徐々に篭絡させれていく様を眺めては嘆息しているだけなのだ。こうやって自分たちの自由が絞め殺されていく。その現実をただ傍観しながら頭を掻き毟るのみ。これから起きる恐怖の実体が見えない不安。その不安が人々の振る舞いを徐々に萎縮させていく。その連鎖が怖い。いや既にNHKの夜9時のニュースを見ていると彼らが正に今後の日本の報道を暗示する。どこまでも薄っぺらい話題の数々を寄せ集めて、ありきたりなコメントで締めくくる。安倍さんのいう「普通の人間」とは誰なのか。つまりはNHKの経営委員の様に彼の思想や信条を熟知し、決して彼を悪いようにはしない人間のことを指しているのか。こういう「やり方」自体が何かを履き違えている筈だが今となっては誰もとがめはしない。そういう人が「普通の人間」か。あれだけ特定の放送局や特定の番組が選挙期間中にヤリ玉に挙げられた事実を忘れてはならない。結局の所、特定秘密を定義することは今までの「やり方」に正当性やお墨付きを与える事なのだ。つまり、もっと為政者のやりやすい世の中にする。その目的の為に特定秘密は必要とされている。
November 20, 2013
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キャロライン・ケネディの大使着任を巡る一連の日本のメディア報道は概ね好意的である。しかし日米両国に横たわる懸案に対して踏み込んだ見解は未だ示されては居ない。それは今後の安倍政権の振る舞いを見極めようとする姿勢の表れか。それとも様子見を決め込んでの振る舞い、なのか。おそらく今後は横田に続いて東北を訪ね、その後に沖縄、というスケジュールなのだろう。つまり日米同盟の「絆」確認の旅である。そういう表向きのセレモニーの裏では来年度の自衛隊装備品にオスプレイが満額盛り込まれ、関東配備も決まるかも知れない。しかも東京の横田かも知れない。この数日にわたり横田基地で24時間体制の訓練が行われる。その中には未明の爆音演出もある。そういう最中に大使が基地を訪れる。けれども、こうした24時間体制訓練の事実は報じられないのだ。この東京でも沖縄と大して変わらない環境で生活している人間の存在が消し去られるのだ。やはりメディアには今だって隠然たるプレス・コードが敷かれているのだ。だから時折、米軍人の刑事事件は報じられたとしても基地周辺での生活への影響だとかいった普段のドキュメンタリーは流されないと。それは半ば公然化した暗黙のルールなのだ。米軍と自衛隊の一体化は深刻である。その一方で沖縄返還密約と似たようなグアム移転経費負担は粛々と進められている。世界中で日本ほどアメリカの軍事負担を肩代わりしている国家は存在しない。その事実そのものを直視できない体制へ徐々に外堀が埋められている。たぶん特定秘密の本質とは大半がそういったものだと思う。
November 19, 2013
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そういう疑念がよぎる。CO2排出をマイナスではなく数パーセント程度の増加に抑制するという日本の主張が通るのか。やはり安倍政権ではエネルギー政策についての確固たる方針がまだ未確立ということなのか。そのあたりのモヤモヤがスッキリとした形で収束する程、単純な話でもない。どうも世界的な景気の不透明感そのものは徐々に見え隠れしている。たしかにアメリカの株式市況そのものは空前の高値を更新し続けている。けれども暴落前の危惧を拭えない。依然として財政の規律に不安を抱え続ける異常事態は解消メドが立たない。そうした前提を考えると楽観できない。なりふり構わない施策のオンパレードが規制緩和だと取り違えて理解されている。もともとの規制根拠というのは相応の哲学を反映したものだ。つまり規制撤廃や規制緩和を実行するということは既存の価値観の枠組みを打ち壊すという実質的な意味や意図や狙いを内包していると考えられる。その意味で日本が信奉してきた世界標準なるものが日本にもたらしたものは何だったのか。そこで得られたものは何だったのか。そう考えると容易に既存の価値構造を打ち壊す事の危うさみたいなことを感じてしまう。たしかに世界との兼ね合いで日本が踏み出すべき立ち位置はあるのだろう。そう考えると既にCO2排出のみ云々する時代は終わったのかも知れない。むしろリスクに対する考え方自体を改めて議論すべき事態に陥っている。それが単にエネルギーの枠組みにとどまらない状況になってきた。そういうことを今後のCOP19における議論の推移からも考えて見たいと。
November 18, 2013
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そんな不透明感に包まれ続けている。それが3年近くになる。それは余計に酷くなっている。嫌気というレベルを超えている。いろんな醜いものが一気に吹き出てしまった。それらの収束それ自体からして気の遠くなる話なのに。それでも日々の当座の暮らしとの兼ね合いで対処を迫られるし。だから好い加減に考えたくない。そういう一種の拒絶反応が続く。そういうドサクサに紛れて世間では随分と好き勝手な方法が罷り通っている。そういう理不尽に文句を言う気力をなくしてしまい好い様にあしらわれている。だから何だか見捨てられた気分。こうやって見捨てられていくんだ。いろんな言い分が適当にあしらわれていく。そういう出来事が以前よりも露になって、しかも大量に日常に流れ込んでくる。だから、やりきれない。そう、感情的に割り切れない。そんな理不尽の積み重なりに参ってしまう。もう好い加減にして欲しい。そう願っても簡単に終わりそうにない。そんな風に徒に時間を潰していたら、とんでもない事態に陥っていた。これを抗うには時既に遅しなのか。まったく。こういうことのために多くの人間の疲れ切った感情が無理矢理に動員され次第に相手の思うままにコントロールされる。その凄まじさを間近で見ていると何だか耐えられない。あれこれが独立せずに従属したシステムへと組み込まれることへの恐怖。それが今の現実なのかも知れない。そう考えるとその解を見つけるのは難しい。だから今しばらくは未だ釈然としないまま生きていくのだろう。この悩みから解放される術をそのうち見つけ出す事ができるのだろうかと。
November 17, 2013
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それが少なくとも今年秋以降の安倍さんに対する評価である。だから日本版NSCや特定秘密保護法といった一連の重要法案は何も米国の要請ではなく安倍さんの政治信条を明らかにしただけだ。その点をキチンと見ないと本来の論点を見失ってしまう。彼が何をどうしたいと考えているのか。おそらく北朝鮮や中国に戦端を開きたいと考えている。そのために国内の反論を事前に封じ込める必要があると考えている。だから最初の政権で先ず教育基本法を全面的に書き換えた。今度は憲法を書き換えたかったがそれが無理でもメディアを特定秘密保護法で抑えれば同じ効果が得られる。こういった一連の政権によるコーティングによって私たちは徐々に日本の外での出来事に疎くなり日本国内での話題に引き込まれて一種の視野狭窄を起こしている。だから今の世の中で何が問題かといった根本的なレベルで既に考える術を見失っている。だから今まで粛々と日々が流れている。そういうレールが敷かれてしまったという現実をなかなか直接的には実感できない。けれども安定そのものが隠された真実の屍によって積み上げられた結果なのだとしたら怖ろしい話だ。そうして積み重ねられた嘘。それも今後は特定秘密として事実上の闇に放り込まれて検証ができなくなる。どういう発想で物事を考えているのか。そういう思いを復興増税成立のドサクサだったり消費税率引き上げの茶番などにも抱いてきた。しかし今後はそんなレベルではない何か巨大な問題そのものが覆い隠されてしまう。そういった危機を前にして自分という個人の小ささを嘆いているだけだ。
November 16, 2013
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それにしても特定秘密の指定の妥当性を総理大臣自らチェックするというのは。それは正に沖縄の返還で交わされた密約を自宅に持ち帰ってしまった佐藤栄作の愚を肯定するということになるが。そういう愚かな提案をする渡辺という人間も愚かだ。たぶん彼も弱みを握られているのだろうか。こういったシリアスな話題に割く時間を少しでも短くしようとNHKも下らない「話題」づくりでお茶を濁す。その手法は今に始まった事ではないが。こうやって考えてみると徐々にジワジワとだけれども個人が素朴な疑問を感じている事に対してマスメディアが応じなくなってきているなあ。まるで独裁国家だ。いや官僚の牛耳る独裁国家だ。そういう本質が露になっている。その主体こそ特定できないとしても戦前と同じ様な国家体制が着々と再構築されつつある。この日本という国家が未だに明治維新以来の古い体質を温存している以上、その異常性も同じ様に温存されていると。どんなシステムも組み込まれたソフト次第では如何様にも変わり得る。その悪い例を今見ている。その意味で戦後70年近くが経って再び戦前のソフトが復活したのだ。それは戦争を志向しているから厄介だ。その道筋を着実に辿る今の政権の意思をどうやって変えさせられるか。難問である。そこにメディアが常に政権に知恵を授ける。あの森政権だってそうだった。そういう権力に阿る。その体質を持ったメディアがある限り日本は再び滅びの道を転がっていくのだろう。そういう嫌な時代に立ち会ってしまった。その後悔を繰り返す。そういう悔恨の情の中で日々を過ごしている。
November 15, 2013
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そういう漠然とした不安が漂う。それは日本と韓国との間の非常に険悪な関係がより一層、深刻化する様相を呈しているからだ。しかも北朝鮮や中国との間の関係改善も不透明だ。そういった状況の中で日本の経済が成長をできるのか。そういった根本的な疑問が未だに解消されないのである。そうした不安をキャロライン・ケネディの大使就任をことさらに報じるメディアの異常ぶりに感じつつ今の日本の立ち位置は一体どこにあるのかと考えてしまう。どこまでも打開策の見えない日本周辺との緊張関係。この緊張関係に草臥れた果てに世論が迎え入れる感情を考えるとおそろしい。やはり中国との戦争を意識させられる。その意味で今の国会が持つ不気味さを思う。つまり日本の政府として中国と北朝鮮を他国とは別のカテゴリーで取り扱うことの意味を考える。それは敵国としての取扱いしか有り得ない。そのための特定秘密であり既に政府はその準備を進めているのだ。有事の定義と解釈が多様となった現在いくらでも戦端の口実は生まれる。そのことを前提としての特定秘密なのである。むしろ多様な解釈を講釈する自由が奪われる。それが特定秘密を保護する上での前提である。やはり何故、特定秘密を保護するのか。その目的を語らないのがあやしいのだ。美しい国だといった観念的なレトリックの集合体が果たして何を意味していたのか。そういった事が漸く姿を現し始めた。その端緒を知った上で私たちに出来ることが大してないと云う状況にあることを知ったとき初めて偽網の本質を理解する。こういう形でしかいつも理解できない悲劇かと。
November 14, 2013
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そんな風に後世の評価を受けるかも知れない。あの茶番めいた党首討論から1年。よけいに世の中は酷くなった。それでも何とか生きている。けれど先の保証はない。そんな先行きの不透明感こそ本当は怪しいのだが。交代可能というより後退可能な二大政党制という表現の方が似つかわしい。どんなに多数を標榜しようとも劣化した世論を後ろ盾にした政権は脆い。その世論の掻き集め方が稚拙であるが故に施されれる政策のメニューも劣悪だ。これらのメニューの正体を実感した頃には時既に遅しである。昨今の偽装騒ぎが何となく今後の日本の行く末そのものを暗示している様な。TPPやらEPAやら何やらわからん。そんなドサクサに紛れ幾つもの重要法案がドタドタと国会へ送り込まれ続けている。だから知らぬ間に何かが出来上がってしまう。そういったことが続くと鈍感になる。これまでも同じ様にドサクサで物事が決まってきた。だから急に慌てても仕方ない。そういう諦めのよさが身についてしまった。だから多少の酷い内容でも平気になっている。今後の日本の世の中を先取りしている。そう考える事にしている。そう考えないと耐えられない。こんな豹変ぶりの数々を日々見続けてると自分の方がおかしくなる。そういう耐えられない日々が続く。それにしても「みんなの党」の方が「維新の会」よりも酷くなっていた。たぶん代表の立場自体が脅かされているのだろう。こうやって選挙の幕が閉じてしまうと彼らのエゴや本性といったものが丸見えになる。いつもどおりのことではあるけれどもなんとかならないものかとくやんでしまう。
November 13, 2013
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そういう嘆きが相変らず溜め息と一緒に口に出る。どうも世の中は万事こういった調子で何とも歯がゆい。どのみちロクな世の中じゃない。けれども致し方がない。そういった意味での閉塞感だけ募る日々。これでは成長戦略なんて言葉も早晩どこかへ消えてしまいそうだと言うのが実感です。ムソリー二もヒトラーも当時の行き詰まりを経済成長による打開に求めた。それと似たような時代に入った様な気がします。どのみち行き詰る。その前に大盤振る舞いをする。どうやら世界的にも似たような振る舞いです。いまの状況が空前の株式市況とマッチしないけれども現実はそうかと。そんな風にして恐慌前夜というものは形づくられていく。それがガルブレイスの言いたかった事。いつも当たり前の様にして普通の人間の多数の心裡というモノが巨大な現象を引き起こすまでの間をとりもっている。そういう現実が今正に進行中なのだと。そう理解しても何もできないのです。よく考えてみたら似たような現実は幾らでも数え上げる事ができる。けれども同じ様に自分がそれをどうこうできる立場にはない。そういったことの積み重なりが日々の現実をある日、突然にして変えてしまう。そういうことなのだと。だから現実をみつめるということは非常につらいのです。そう考えると今の現実の多くは理解できるのです。どう考えてもロクな方向に行っていないのだとわかっていたとしても実際に抗う術を行使できない。そういうことの積み重なり。いくら後悔していたとしてもムダなのか。そういった引き気味の思考が日々の中で頭の中に浮かんでしまいます。
November 12, 2013
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そんな気がしている。1993年の政権交代。その後の20年間。ずっと不安というものが支配をしていた。だから拠り所の無い立場にあったとしても、絶えず人は何かの決断や選択というものを迫られ続けてきた。そして今も何かに駆り立てられ続けて人間相互は常に争い傷つけ合っている。そういう耐えざる緊張の連鎖が日本だけでなく世界をストレスの最中に放り込んでいる。その結果として人々は常に疲れている。その疲れを癒す暇を与えられることなく次の混乱に直面させられて自分を見失う方へと仕向けられている。その疲弊ぶりが社会を破壊し、より大きな争いを起こす。これからの20年。もっと苛烈な世界が待っているだろう。そういう悲嘆と悲観が支配的である。いつの間にか東尋坊の突端に追い詰められていた。そんな感覚、である。どこまでも個人としての立場が掘り崩されて足場そのものが奪われ続けていく。そういった底なしのどん底が迫っている。これが競争の本質である。それは確かに客観的である。けれども人間の信条は常に客観的なものによって支え切れるのだろうか。もう少しアバウトな安心が本当に必要とされる支えなのではないかと思う。けれど効率や経済性といったものは簡単に個人の心情を切り捨ててしまうものでもある。そういった合理性の極限に達した時、再び世界は何がしかの混乱に見舞われてしまうのだろうか。そういう疑問を今こそ差し挟まずには居られない。そういう問いかけの繰り返しからでしか自分の立ち位置を確認できない。そういう状況に至った。なかなか厳しい状況に至った、と感じている。
November 11, 2013
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まだ余震の本命ではないらしい。それでも朝から少し嫌な気分。後から台風30号がフィリピンを直撃したことを知り、やはり地震と台風との相関を考えてしまう。しかも今回の場合は高潮被害が地震の津波と変わらぬ位の、いやそれ以上の壊滅的打撃と被害とを与えたと知り余計に困惑する。熱海駅で午後2時頃から1時間くらいホームに居たが激しい雨が断続的に降り続いた。なんとなく対岸の方での激しい気候の様を伝えているかのような複雑な思いに駆られる。なにせ海の向こうに大島が見える。そういう意味で海の眺望というものは何となく難しい。そういう感傷に浸ったが。どうにも今後の日本の不気味な行く末と目下の異常な気象が引き起こす惨状の数々とを重ね合わせて見てしまう。それは昭和10年代前半のそれとも極めて相似している。だから余計に嫌になる。こういう因果は困る。そういう運命を変えるために何が可能だというのか。そう考えると悩むが。たぶん日本で自分だけが感じている空気だとは思えない。その意味で未だ救いはあるのか。いまだ行く末なんぞ見えないし、わからない。けれども嫌な雲行きくらいは、少しでも明るい兆しのある方へと変えておきたい。そんな漠然とした願望だけが今の自分の脳裏には何となく浮かんでいる。ただ揺り戻し、ということを考えると未だに安心できない。そういう心持ちに妙に地震だとか台風といった天災が重なってしまう。それが杞憂に終わることを願っている。けれども積み重なった分だけ何か大きな事に成りはしまいかと案じてしまう。そういう繰り返しをして、くたびれている。
November 10, 2013
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どうしても311東日本大震災を経験して以降は観天望気に心を振り回され気味である。なにしろ関東大震災だって直後に台風が火災を拡大したのだ。だから台風と地震との相関関係というものを考えない訳には行かないのだ。そういうことで海沿いに行くと目前の雲行きそのものが気になる。あえて新幹線でもなく各駅停車でもなく東海道線を巡っていくと妙な心持ちである。そういう気分も手伝って普段の野暮ったい観光地も幾分か新鮮である。そういう演出そのものが非日常のために必要とされる。そういう風に考えておく。そうした方が自分には納得がいきやすい気がしている。ここ数日の陽気の変化も手伝い暖かく感じる。いや普段の湯よりも違う。だから妙な気分である。そういう複雑な心境に寄り添うように海沿いの雲はドス黒く憂鬱である。なんでここまで来たかと泣きたくなる様な複雑な気持ちを見事に体現してくれている。とりあえずはそう思うことにした。とりとめのない気分を映し出す夜空。そこには実に頼りない月明かりが見え隠れしている。その空を幾分かの拠り所としながら自分の考えを導き出す。それは誠に情けない限りなのだが。そうして成り行きに任せながら時を潰し自分を宥める。そんな繰り返しが最近は実に多くなった気がする。こういう時は実に長く感じる。そういう時も普段と同じだけの長さしか持ち合わせない筈なのに。そういう不思議さを感じつつ自分の今の感情を再確認する。どこまでも苦痛な時の流れの中にあるという自覚そのものがそもそもの苦痛を呼び覚まし、その苦痛から逃れようと考えを急いている。
November 9, 2013
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そうでないと今の安倍政権の振る舞いを理解できない。つまりアベノミクスという政策の賞味期限が到来したのである。だから臨時国会では当初は標榜していた経済成長戦略そのものは脇役であり年を越してしまえば過去の遺物だと。その意味で年明けは中国封じ込めが政権テーマとなるのか。この調子で今後も「すりかえ」が続々と行われる。それは巷の「偽装」トラブルと同質のものだし考え方の根っこも大して変わらない。なにせ後から追及されたとしても「その当時は本当にそうだと認識していた」的な過去のイラクへの侵攻理由みたいな考え方と大して何も変わってないのだ。こういう「勢いに任せた」やり方には限界もある。もうそろそろ「手仕舞い」なのだ。そういう点から見て今後の安倍政権が何を支持材料に持ち出すのだろうか。そもそもの彼のポリシーが幼稚であればある程、化けの皮が剥がれるまでの時間は相変らず短いのだと考えていた方が良さそうだ。もはや「特定秘密」の拡張は「国権の最高機関」である「国会の形骸化」を図る手段でしかない。その本質を考えたら「法案修正」だとか「対案」だとかいう発想というか考え方自体がおかしい。そういう誤りをキチンと指摘できないメディアも政府・与党と結局の所は共犯ではないだろうか。そう考えると再び日本という国家が自ら視野を狭めて袋小路に陥っている。その陥穽をどうやって防ぎ切れるのか。もはや危機は迫っている。けれども危機そのものを自覚できずに右往左往をしていたずらに時を費やしている。その時の浪費が振り返ると後悔の念に耐えないものになりそうだ。
November 8, 2013
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そういう問いかけを残念ながら見聞きする機会に恵まれない。たしか自衛隊の情報保全隊によって市民団体の構成員などに関する情報が違法に収集されたとして裁判で違法性が認定された事例すらあった筈だ。そういう前提がありながら与党・自民党は最高裁の判決にすらケチをつけているし。つまり今の日本という国は放置国家であり法治国家ではない。その本質が今年5月辺りをピークに仕掛けられた憲法改正に向けた一連の機運向上を目的とした露骨で醜悪な与党・自民党による執拗かつ姑息なメディア利用と恫喝の数々だ。だから今の時点でメディアは不必要に沈黙をしている。この沈黙が過去にも数々の歴史的悲劇を生み出して来た。そうした出来事を再び起こさないという自覚が残念ながらメディアの大多数には存在しない。どこか報復を怖れている。そうした及び腰の偽善者然とした幼稚な論説が申し訳程度に主要日刊紙の紙面に少しずつ載せられアリバイと化す。これまで守れなかった恣意的な運用が法律が一層、包括的となることを契機として改められるなどという風に考えるのは欺瞞的な思考である。そういう思考を恣意的に行うことによって自分だけは何かを為したと言い訳するための論法でしかない。やはり今の問題をキチンと俎上に載せるのだ。どうも現行の特定秘密である防衛秘密ですら恣意的な運用が罷り通っているのだ。いくら公文書の管理法制が存在していても肝心の国の防衛の方針を決めるべき内容が瞬く間に抹消され続けている現在をどう考えるのか。そうした議論を欠いた今後の特定秘密の保全策など本質が透けて見える。
November 7, 2013
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そういうものである。それでもジタバタとする。それも人間である。なかなか人間それぞれ自分の思い込んだ型というか自意識に縛られると簡単な物事でも簡単に進められなくなる。たしかに簡単そうな物事の方が実際には難しい。だから悪循環に陥るのも一瞬の迷いが契機となってたりする。だから物事には反面、思い切りの良さが求められる。どのみち行き詰るのであれば早い段階で対応できた方がいい。そう考えると行動そのものは多少の拙速さがあっても良い。もっと大切なことは納得できることである。だから納得を重視するならば多少のロスは必要経費くらいに考えるのだ。それでも心配の種は尽きない。それは所詮は人間の為せる業だから。そうやって気を揉みながらも自分なりの納得を求める。その尽きない振る舞いの連続の中から拾い出すのかも知れない。納得を大切にするなら多少の時間が必要となったとしても仕方がないと思えるか。そこら辺の問題かと。それにしても思い切りの背中を押すものは自分の強い意思。だから強い意思を支える健康そのものを維持することが大事になる。いつも慌しい環境の中で自分の決断をサッと下せる様にする。その繰り返しからでしか自分の本当の納得というのは生まれてこないのか。ふと最近そんな風に思う。ありふれたありていのことば。そういったものからじつはみえるのか。なかなかつきないけれど。そういうじたばたみたいなものからしかかんがえられない。そのさきにこそあるとしんじて。そういうくりかえし。そのつみかさねからみえてくるのをじっとまつ。そんなきもちをもちつづける。
November 6, 2013
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