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[1].「優生主義」の普遍化
*「優生主義(Eugenics)」=正/負の価値軸に応じた社会集団の選別を目指す思想と実践⇒この思想と実践は、「この私の(または誰かの)生存が、他の誰かの生存よりも一層生きるに値する」という言説として明示化され得る無意識的信念にもとづくと仮定される。
[2]. 「普遍化された優生主義」の分析に向けて
*「普遍化された優生主義」を、<我々自身の無意識>として捉え直し分析する。
[3]. 「普遍化された優生主義」の分析論
*基本的分析テーマ:「生まれてくる前の子どもの遺伝子を変えること(以下「遺伝子改変」とする)」というテーマを巡る正当化の論理
1.「難病の予防の特権性」による遺伝子改変の正当化の論理
*他者の生死という分岐を操作・決定する思想と実践の総体=「生命の選別操作」
2.「生まれてくる前の子どもの遺伝子を変えること(遺伝子改変)はしてはならない」という主張の正当化の論理:「子どもは、親またはカップルの欲望に応じて存在するものではない」
2-[2]:他者の価値観への問い:「たとえ生まれてくる前であっても、親とは別の存在、あるいは一個の別人格を持つ存在である。そうである以上、これから生まれてくる子どもの、言い換えれば、親またはカップルとは別人格を持つ存在の遺伝子を勝手に変えることは許されない」
3. 意思決定=選択行為の概念的・方法論的規定
*意思決定=選択行為を導く「個人の価値観」があらかじめ存在していたのではなく、まさにこの経験あるいは意思決定=選択行為を通じて、「個人の価値観」が何らかの様態において生成したと考える(記述する)ことができる。
*現実の意思決定=選択行為の主体ではない任意の個人、すなわち上記の個人またはカップル以外の任意の個人としての<私たち>
*<私たち>によるその現実の意思決定=選択行為の「価値付け」と「価値相対主義的中立化」という上記二つの操作=記述行為は、いずれもそれ自身の正当化の根拠を持ってはいない。
*生存それ自体が健康であることを希求し欲望する遺伝子の改変は、個別的な属性の序列化が生存そのものの序列化と本質を同じくすることから肯定される。すなわち、生存それ自体が健康であることを目指す遺伝子の改変は、生存それ自体の序列化の肯定である。
*テーマ文に応答する任意の個人=記述主体にとって、テーマ文1は、「生存それ自体が健康であることを希求し欲望する遺伝子の改変」に対応するものとして肯定的に意識化(記述可能なものとしての対象化)される傾向がある。
*テーマ文2は、「個別的な属性を序列化する欲望に基づく遺伝子の改変」に対応するものとして否定的に意識化される傾向がある。
*以上二つの応答する個人=記述主体の主観的な意識化過程の分岐がこの個人=記述主体において存在する場合、それぞれのテーマ文に対する二つの応答記述が、それぞれ肯定的・否定的という形で一見不整合なものとして分岐する。
*「生存それ自体が健康であることを希求し欲望する遺伝子の改変は、肯定的なものとして意識できるが、個別的な属性の序列化への欲望に基づく遺伝子の改変については、私は懐疑的である」という応答記述は、根底的な文脈生成過程の連続性の効果であり、その連続性を表現している。
*予防的排除のメカニズムが作動する無意識の領域が、個人=記述主体の記述が位置するその都度の文脈の生成過程に関して最も根底的な文脈生成過程である。
*テーマ文3によってテーマ化された受精卵の選別・廃棄という行為に対する応答に迫られた個人=記述主体は、同時に、無意識における予防的な排除のメカニズムが揺らいでいく過程に直面することになる。
*この揺らぎの過程が、同時に「生存それ自体が健康であることを希求し欲望する遺伝子の改変」と「個別的な属性の序列化への欲望に基づく遺伝子の改変」の両者がどちらも生命の序列化・選別操作であるという認識の生成過程の端緒となり得る。


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