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自己形成の困難から「生体政治工学」の問題圏へ――311以後の<自己の身体>の創造
1.導入:主要事例の提示とその含意
・基礎概念=<広場>の理念的規定:
原始的定義:<広場>とは、私たち一人ひとりがお互いに出会い、なにかを分かち合う場である。
条件:はじめはお互いに見知らぬ者たちと、またそれまでの生活において見知っていた者であったとしても、それぞれがどこに所属(帰属)しているのかに関わりなく、特定の価値や序列を括弧に入れる、またはそこから程度や質の差はあれ「離脱する」という条件において。
この「離脱」は、他の個人や集団との帰属横断的なネットワーク化という事態をもたらす。それは、複数の個人が、そのつどの対話を通じて、集団として創っていく時空として規定される。また、「自己形成」とは、この<広場>の創造過程において同時になされていく作業としてとらえられる。
本発表を通じたメインテーマは、とりわけ昨年の(歴史的規模の津波を伴った東日本大震災と福島第一原発事故の発生という複合的な出来事としての)「311」以後の自己形成の困難という状況のなかで、<自己の身体>を創造するという課題の実践的な意味を探究することである。この課題の中核部分は、上記の<広場>という時空の創造作業が占める。すなわち、自己形成作業としての<自己の身体>の創造という作業と<広場>の創造作業は不可分一体の関係性にある。とくに本発表で焦点化したいのは、その作業の「困難性」を示す事例の内実とそれが持つ意味である。
本発表では、311以後の困難性を示していると考えられる<広場>の事例として、フェイスブック[Facebook]を提示する。フェイスブックは、すでに世界的なさまざまな事例が示しているように、リアルな時空とネット上の時空との接合=ネットワーク化の拠点としてとらえることができる。
2.基本的な問題提起:
フェイスブックにはある種の「宗教性」が内包されている。その内包は、
1「世界宗教性」:普遍性の場というモメント
2「部族的・共同体的同胞倫理へと閉じた宗教性」というモメント
の複合である。
リアルな実践過程において互いにずれを孕み、逆行しながらせめぎあっているこれら二つのモメントの力動性を、そのつどの現場において、またそこから距離を置いた思考の場において、同時並行的に明晰に認識しておくことが不可欠な課題である。この認識を鍛える絶え間ない訓練過程が311以後の<自己の身体>の創造の鍵となる。
二つのモメントの力動性の事例:
[1]「脱原発」(相対的に開かれた事例)や「反TPP」(相対的に閉じた事例)等を目指すフェイスブック上での動きおよびそれと連動した日本と世界各地におけるネットワーク活動の状況において二つのモメントのせめぎあいが見られる。
フェイスブックに限定されないネット全般に観られるものだが、リアルな時空とネット上の時空との接合の諸様態において、非意図的な「差別・排除」や「優生主義」の問題が生じている。
[2][1]と複雑に絡み合った力動的要因としての、フェイスブック自体と諜報機関との密接な関係性
これに関してもフェイスブック単体ではなくグーグルとも連動して国家によるネットの統制管理の問題が浮上している。とくに中東における「フェイスブック革命」の事例が興味深い示唆を与えるが、証拠という点で分析は不十分にとどまらざるを得ない。
<広場>の創造が同時に<自己の身体>の創造プロセスとなるという課題の「困難性」を焦点化する二つの問題系=問題提起:
これらの問題系=問題提起は、先に指摘したフェイスブックの内包する宗教性の二つのモメントの関係性をどのように考えるかという課題にとって最重要論点となる。
1. 仏の哲学者メイヤスーによる「超越論哲学→関係主義(correlationism)→信仰主義(フィデイズムfideism)」批判
上記二つのモメントの関係性を考える上で、このメイヤスーによる批判がどこまで普遍性を持った分析を可能にするのか? (ただし、その哲学的含意に関しては簡潔に紹介するにとどめる。)
これは、ネットワーク化の実践全般の知的な基盤を再吟味する必要性を迫るものである。
2. (近未来に現実化する可能性のあるものを含めた)システマチックな生体政治工学的介入が、<広場>の創造の鍵となる<自己の身体>の創造プロセスのエレメントそれ自体をあらかじめ、またはそのつど消去し解体する可能性をどのように考えるのか?
これは、上記「事例2」とも関連して、インターネット自体の近未来における管理様態の考察も要請する。例えば、国家による仮想的で大規模なアカウント生成によるフェイスブック統制という第一段階に引き続いて、バイオマシンやヒューマノイドの参入、さらには私たち自身がヒューマノイド化した場合にこの可能性をどう考えるのか。
3.結論:課題遂行の条件
本発表ではフェイスブックをとくに取り上げたが、他の諸実践にも共有されていると思われる「宗教性」の二つのモメントの力動性を、その都度の現場での実践において、またそこから距離を置いた思考の場において、同時並行的に明晰に認識する訓練が求められる。
このことを条件として、もしメイヤスーの批判を真摯に受け止めた上で、それを突破する方向性を考えるなら、
私たちがなんらかの集団的ネットワークへとつながっていく行為が、人間(社会)の領域を超えたあらゆる領域とリンクしながら<自己の身体>を創造することにおいて、失われた生活世界に代わる「広場」(対話の時空)を創造していく行為となるという事態
が要請されることになる。
こうした行為――とくに「人間(社会)の領域を超えたあらゆる領域とリンクしながら<自己の身体>を創造すること」という事態――の内実を探索し思考していくことが現時点における切迫した理論的・実践的な課題となる。
※発表の骨格部分はここまでであるが、以下に補論として、理念型的な意味における311以後の自己形成の困難の状況を提起する。
補論:311以後の自己形成の困難の状況の例示およびその含意
1:国民国家の解体とそれと連動する国家装置の管理強化
私たちから税を徴収しそれを差配する装置=「国家装置(State)」と「国民国家(Nation)」の関係の焦点化。
国家とは、自分で自分を支配することを誰かに、あるいはなにかに代理される者が、つねにすでにその代理する誰かでもあるようなプロセスである。つまり、自分で自分を支配することを代理される私は、その代理された自分自身の支配を請け負う私たち「国民」、例えば「日本人」でもある。このプロセスは、「私たち国民」によって「国家(Nation=State)」と呼ばれる。つまり、国家装置と国民国家を媒介する要に「私たち=国民」が存在する。現在、国民国家としての国家は、解消へと向かっている。他方、国家装置としての国家は、その機能の徹底的な民営化によって小さくなっていくが、収税とその差配の装置としては残り続ける。中長期的には、あらゆる国家は、その機能の徹底的な民営化の果てに、超多国籍企業連合体のネットワークシステムによる直接統治下におかれていくと考えられる。今後、「私たち国民=日本人」は、事実上誰にとっても意味を感じられない、なにかよくわからないものとして消えていく可能性がある。
→これまでの「国家(Nation=State)」あるいは「私たち=国民」の解体・分裂と同時に生成する集団的ネットワークの可能性への問い
2:1の効果;
無意識の領域におけるメディアを媒介とした際限のない階層序列化機能による他者に呼びかける力の喪失。少なくても誰か一人と、対等な個人として、なにかをともにした経験を得る場が必要になる。そういう個人が現にいるということ。そういった世界があるのだということ。それがそういった場の創出という出来事になる。広場とはそういった時空として生成する。
→集団的ネットワークへと向かう流れと個々人がつながっていく必要性
3:<自己の身体>の規定とその可能性
このつながりにおける要になるのが自己の身体である。自己の身体とは、私たちはっきりと意識することはなくても、この私の身体と感じるその身体のことである。メルロ=ポンティによれば、「自己の身体は、始原的な習慣であって、他の一切の習慣を条件づけ、それらを了解できるものとする習慣である。」
テーゼの提示:
[1] 端的にそれ自体存在すると同時に、世界あるいは状況のただなかで私の意識が出会う他者という<両義的な存在>に対する介入実践とは、身体図式としての経験のシステムの生成母胎すなわち始原的習慣あるいは世界内存在の一般的運動としての<自己の身体>の経験であり、それは「この私の身体」と「他者の身体」との相互交錯的反復の経験として現象する。
[2] 始原的習慣あるいは世界内存在の一般的運動としての<自己の身体>の経験とは、そこにおいて「身体の空間的・時間的統一性、相互感覚的統一性」が生成する固有な経験である。
[3].「身体の空間的・時間的統一性、相互感覚的統一性」の生成プロセスとは、<今>が特別な意味を持つような時間と<ここ>が特別な意味を持つ空間との相互的かつ同時的な関係性における総合形式の生成プロセスである。この意味において、われわれは、この時空の総合形式の生成プロセスを、<自己の身体>の経験と呼ぶことができる。
4:システムによる生体工学的介入
現在、この私の身体(自己の身体)は、その創造過程をあらかじめ阻止するような形で生体政治工学的な操作へと組み込まれている。システムのテクノロジーと諸装置は、これまで「人間」と呼ばれてきたものを超え出た地点で私たちの生と死をコントロールし、生存と生存諸領域そのものを解体し構築している。それは、私たちの生存とその内的・外的環境相互の関係性を根底的に変えてしまう力を持っており、その根底的な転換を目指している。
生体政治工学:
生殖細胞系列をその端緒とする形で規定された<人間の身体>――この意味における<人間の身体>には、生殖細胞系列・胎児及び出生後の生体が含まれる――に対する、遺伝子改変を含む<生体工学的介入>という操作の焦点化。ここで「生殖細胞系列」とは、有性生殖のための配偶子すなわち卵子、卵細胞、精子、精細胞、無性生殖のための胞子、またそれらの元となる細胞としての生殖細胞の総称という意味を持つ。
ここでの<人間の身体>領域は、遺伝子改変技術による介入をその核心的な可能性として含む技術的介入の多様な実践およびその展開がそこへと位置づけられる文脈生成過程の変容に伴って、絶えずそれ自身と<非-人間の身体non-human body>領域との境界領域が識別不可能な領域を内包しながら変容するという性格を持っている。
すなわち、<生体工学的介入>とは、この意味での――<非-人間の身体>領域との境界領域を内包した――<人間の身体>領域への技術的介入の多様な実践及びその展開である。この概念は、「生体工学(Bionics)」を基盤の一つとした技術的介入の多様な実践及びその展開をも含むものとして定義されている。
<生体政治的効果>への着目により、上記<生体工学的介入>という事態を同時に<生体政治工学的介入>として読み替えることが可能である。この場合、<生体工学的介入>という事態は、その都度の多様な<生体政治>(Bio-politics)の文脈生成過程においてこの<生体政治>と不可分な生成的様態にあるものとして分析される。言い換えれば、<生体工学的介入>は、つねにすでに<生体政治工学的介入>という事態としてその都度固有な文脈生成過程において生成する。
論点:
[1] <生体工学的介入>の実践とその展開による「人間(社会)の能力・性能の増強:Enhancement」という問題系と不可分な様態において編成されたテクノロジーは、予防または治療上の目的への限定という象徴的枠組みのみならず、この「Enhancement」という象徴的枠組み自体をも(究極的には《我々=人間》との関係において規定可能なあらゆる象徴的枠組みを)空無(規定不能)化する潜在的力能を持っている。この論点は、「生を標的とする権力の近代的テクノロジー」あるいは「生-権力bio-pouvoir」(Foucault,1976)の諸装置の質的に新たな段階における実践および展開を巡る問題系と接続される。
[2] <人間の身体>領域との間の識別不可能な領域を内包する非限定無限(判断)領域としての<非-人間の身体>領域において生成する任意の他者は、その他者を操作・決定の対象とする任意の記述主体にとって、問われるべき<何か=X>すなわち《問題=X》であり続ける。この<何か=X>すなわち《問題=X》は、それを操作・決定の対象とする任意の記述主体の<人間の身体>領域への帰属の根拠を抹消する。
[3] 非限定無限(判断)領域への移行過程としての何らかの<生体工学的介入>において<何か=X>すなわち《問題=X》が生成しつつあったとしても、その<何か=X>の生成過程自体は――その事後的な記述可能性についてはその都度留保されるが――記述できない。
自己形成の困難から「生体政治工学」の問題圏へ――311以後の<自己の身体>の創造
個の可能性研究所 永澤 護
1.導入:基礎概念および主要事例の提示
基礎概念=<広場>の理念的規定
定義:<広場>とは、私たち一人ひとりがお互いに出会い、なにかを分かち合う場である。
条件:はじめはお互いに見知らぬ者たちと、またそれまでの生活において見知っていた者であったとしても、それぞれがどこに所属(帰属)しているのかに関わりなく、特定の価値や序列を括弧に入れる、またはそこから程度や質の差はあれ「離脱する」こと。
この「離脱」は、他の個人や集団との帰属横断的なネットワーク化という事態をもたらす。それは、複数の個人が、そのつどの対話を通じて、集団として創っていく時空として規定される。また、「自己形成」とは、この<広場>の創造過程において同時になされていく作業としてとらえられる。
本発表のメインテーマは、とりわけ昨年の(歴史的規模の津波を伴った東日本大震災と福島第一原発事故の発生という複合的な出来事としての)「311」以後の自己形成の困難という状況のなかで、<自己の身体>を創造するという課題の実践的な意味を探究することである。この課題の中核部分は、上記の<広場>という時空の創造作業が占める。すなわち、自己形成作業としての<自己の身体>の創造という作業と<広場>の創造作業は不可分一体の関係性にある。とくに本発表で焦点化したいのは、その作業の「困難性」を示す事例の内実とそれが持つ意味である。
本発表では、311以後の困難性を示していると考えられる<広場>の事例として、フェイスブック[Facebook]を提示する。フェイスブックは、すでに世界的なさまざまな事例が示しているように、リアルな時空とネット上の時空との接合=ネットワーク化の拠点としてとらえることができる。
2.基本的な問題提起
フェイスブックにはある種の「宗教性」が内包されている。その内包は、[1]「世界宗教性」:普遍性の場というモメント(X=non A;無限判断領域)、[2]「部族的・共同体的同胞倫理へと閉じた宗教性」というモメント(X=not A;否定判断領域)の複合である。
ここで、上記[1][2]の差違に関して原理的な規定を行いたい。
non Aという領域は、ある先取りされた「全体」の内部の一定の領域=Aの外部領域(not A)ではない。この私は、その「全体」を先取りしてとらえることのできないいわば虚空のただなかにそのつど投げ出されている。全体化不可能なそのつどの私が生きる場所、あるいはこの私の生のプロセスそのものがこの私にとっての無限(判断)領域=non Aとなる。この無限(判断)領域としての私自身の生を、私は私自身だけでそのもの=Aとしてとらえることはできない。その意味で、この私自身が、たえず自らの生との格闘を迫られる何か=Xとして、そのものとしてはある種の無としての無限(=non A)だともいえる。
フェイスブックにも内包されている<広場>の「世界宗教性」:普遍性の場というモメントは、この意味での開かれた私の生のプロセスを担保するものである。他方、「部族的・共同体的同胞倫理へと閉じた宗教性」というモメント(X=not A;否定判断領域)はこの開放性を一定の価値序列の下へと閉塞させていくポテンシャルとなる。
リアルな実践過程において互いにずれを孕み、逆行しながらせめぎあっているこれら二つのモメントの力動性を、そのつどの現場において、またそこから距離を置いた思考の場において、同時並行的に明晰に認識しておくことが不可欠な課題である。この認識を鍛える絶え間ない訓練過程が311以後の<自己の身体>の創造の鍵となる。
「脱原発」(相対的に開かれた事例)や「反TPP」(相対的に閉じた事例)等を目指すフェイスブック上での動きおよびそれと連動した日本と世界各地におけるネットワーク活動の状況において二つのモメントのせめぎあいが見られる。フェイスブックに限定されないネット全般に観られるものだが、リアルな時空とネット上の時空との接合の諸様態において、非意図的な「差別・排除」や「優生主義」の問題が生じている。
<広場>の創造が同時に<自己の身体>の創造プロセスとなるという課題の「困難性」を焦点化する二つの問題系=問題提起
これらの問題系=問題提起は、先に指摘したフェイスブックの内包する宗教性の二つのモメントの関係性をどのように考えるかという課題にとって最重要論点となる。
1.仏の哲学者メイヤスーによる「超越論哲学→関係主義(correlationism)→信仰主義(フィデイズムfideism)」批判
「この私にとっての世界」との関係から逃れることのできないカントの「超越論哲学」以来の「関係主義」という不動にも思える思考のパラダイムが、皮肉にも、そして危険にも「信仰主義(フィデイズムfideism)」という反知性主義に陥っているという批判である。このメイヤスーによる批判は、本発表においては簡潔に紹介するにとどめたが、ネットワーク化の実践全般の知的な基盤を再吟味する必要性を迫るものである。
2. 「生体政治工学」の問題圏へ
(近未来に現実化する可能性のあるものを含めた)システマチックな「生体政治工学的介入」が、<広場>の創造の鍵となる<自己の身体>の創造プロセスのエレメントそれ自体をあらかじめ、またはそのつど消去し解体する可能性をどのように考えるのか?
これは、インターネット自体の近未来における管理様態の考察も要請する。例えば、国家による仮想的で大規模なアカウント生成によるフェイスブック統制という第一段階に引き続いて、バイオマシンやヒューマノイドの参入、さらには私たち自身がヒューマノイド化した場合にこの可能性をどう考えるのか。
3.結論:課題遂行の条件
本発表ではフェイスブックをとくに取り上げたが、他の諸実践にも共有されていると思われる「宗教性」の二つのモメントの力動性を、その都度の現場での実践において、またそこから距離を置いた思考の場において、同時並行的に明晰に認識する訓練が求められる。
このことを条件として、もしメイヤスーの批判を真摯に受け止めた上で、それを突破する方向性を考えるなら、私たちがなんらかの集団的ネットワークへとつながっていく行為が、人間(社会)の領域を超えたあらゆる領域とリンクしながら<自己の身体>を創造することにおいて、失われた生活世界に代わる「広場」(対話の時空)を創造していく行為となるという事態が要請されることになる。
こうした行為――とくに「人間(社会)の領域を超えたあらゆる領域とリンクしながら<自己の身体>を創造すること」という事態――の内実を探索し思考していくことが現時点における切迫した理論的・実践的な課題となる。
テーマの構成概念に関する附記
<自己の身体>
自己の身体とは、私たちはっきりと意識することはなくても、この私の身体と感じるその身体のことである。メルロ=ポンティによれば、「自己の身体は、始原的な習慣であって、他の一切の習慣を条件づけ、それらを了解できるものとする習慣である。」
システムによる生体工学的介入
現在、この私の身体(自己の身体)は、その創造過程をあらかじめ阻止するような形で生体政治工学的な操作へと組み込まれている。システムのテクノロジーと諸装置は、これまで「人間」と呼ばれてきたものを超え出た地点で私たちの生と死をコントロールし、生存と生存諸領域そのものを解体し構築している。それは、私たちの生存とその内的・外的環境相互の関係性を根底的に変えてしまう力を持っており、その根底的な転換を目指している。
生体政治工学:
生殖細胞系列をその端緒とする形で規定された<人間の身体>――生殖細胞系列・胎児及び出生後の生体が含まれる――に対する、遺伝子改変を含む<生体工学的介入>という操作の焦点化。<生体工学的介入>とは、<非-人間の身体>領域との境界領域を内包した<人間の身体>領域への技術的介入の多様な実践及びその展開である。<生体政治的効果>への着目により、<生体工学的介入>という事態は、その都度の多様な<生体政治>(Bio-politics)の文脈生成過程においてこの<生体政治>と不可分な生成的様態にあるものとして分析される。言い換えれば、<生体工学的介入>は、つねにすでに<生体政治工学的介入>という事態としてその都度固有な文脈生成過程において生成する。
主要参考文献
Deleuze,G/Guattari,F.(1980) Mille Plateaux, Editions de Minuit.(宇野邦一他訳 『千のプラトー』 河出書房新社 1994)
Foucault, M.(1966)Les Mots et les Choses.Gallimard. (渡辺一民,佐々木明訳 『言葉と物』新潮社 1974)
Foucault, M.(1976) Histoire de la Sexualité,Tome 1: La Volonté de Savoir. Gallimard. (渡辺守章訳 性の歴史1 知への意志 新潮社 1986)
Meillassoux,Q.(2008) After Finitude.Continuum.
永澤 護.(2008)<生体工学的介入>の分析論――哲学的探究としての「メタ生命倫理学」構築の試み日米高齢者保健福祉誌 第3号
永澤 護.(2009)《我々=人間》の消滅とその彼方――ミシェル・フーコー『言葉と物』第2部 7~9章読解を核に 日米高齢者保健福祉誌 第4号
Merleau-Ponty,M.(1945=1967) Phnomenologie de
la perception. Gallimard. (竹内芳郎・
小木貞孝訳 『知覚の現象学1』 みすず書房.
1967. /竹内芳郎・木田元・宮本忠雄訳
『知覚の現象学2』みすず書房. 1974)
Merleau-Ponty,M.(1964) Le visible et l'invisible,
suivi de notes de travail. Gallimard.
(滝浦静雄・木田元訳 『見えるものと見えないも
の』 みすず書房. 1989)
Savulescu, Julian.;Bostrom,Nick.(2009)Human Enhancement.Oxford University Press.
Zizek, S.(2006)The Parallax View.Mit Pr.(山本耕一訳『パララックス・ヴュー』作品社 2010)
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