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Zero-Alpha/永澤 護のブログ
4
【第二部:植民地戦争へ】
あの偽装された『触発・分析プログラム』の余白に場違いな何かとして書き込まれた記
述[恐らく、あの街/装置の生産過程の総体を来るべき植民地戦争という形で系列化した
ダイアグラム概念図をプログラムの余白から読み取った者が、その概念図を書き換えて再度プログラム
の余白に接続したものと考えられる。偽装プログラムを経由したこの書き換え操作によっ
て、原プログラムの基礎的諸概念への予測不可能な感染作用が発動する]の
読み取り/展開開始――
植民地――或いは、『飼育管理地』にて
新たに《-------最終処分場変換跡地》かいわい界隈を占領した通称『飼育管理者たち』は超きが飢餓状態
におちい陥った後で避けがた難い準生体政治工学的廃棄物への永遠の欲望をどこ何処迄も加速させていっ
た(…………)〈出来事〉はいんぺい隠蔽され、我々には「見えないもの」となった。我々はつい遂に〈出
来事〉への接近を断念する。いつ何時しか我々は内密にかこ囲い込まれ、いた到る所が植民地――或い
は、通称『飼育管理地』となった。其処には、打ちか克ち難い重力に充ちた知と権力の領域
が形造られていったのだ(…………)先週カラナントナク見掛ける超飢餓状態の人々は何
処から見テモ全くあせ焦ってはいなかったヨウニドコカで思われていた様だがヒョットシテ今
ヤいか如何なる裏切リも不可能になっていタノデハナカロウカという或るおもてだ表立たない申し合わ
せガホボ完全に共有されているノダトイウごくひ極秘の建て前の下に全ての規則ノマサニ決定的
な根拠ソノモノが存在している筈デアリ厳密に唯其れダケが彼らの驚クベキ退屈サト恐怖
とせんりつ戦慄と不安のコロイド状態をこ此れを限りに分析しつ尽くす筈ダト極く一般的なおもわく思惑或イハ
広くるふ流布していた或る見解マタハタダノ噂ニヨレバ信じられていタノダッタガ実際には其
れ所デハナク寧ろ問題の超飢餓状態ハ(…………)こうして、「語ること」と「語られたも
の」、そして「書くこと」と「書かれたもの」の歴史を、超管理回路が見えない規則に従っ
て生産し始める。だが、この「歴史」の舞台で展開された〈光景〉は一体どの様なものだ
ったのか? 一体誰がそれを見たのか? 〈出来事〉は遂に「見ること」と出逢えなかっ
た。何時しか〈出来事〉は、あらかじ予め超管理回路に取り込まれた〈光景〉=「見られたもの」
とゆちゃく癒着し消されていった。〈出来事〉は、殺されたのだ。そして、「見えるもの」と「見え
ないもの」の分割を調整/とうぎょ統御する装置への抵抗が遂にな為されようとするたび度に、その抵抗
は予めそし阻止されたのだった(…………)問題の超飢餓状態との因果関係をどうしても「立
証出来ない」との最終的結論が下されたことは決して《-------最終処分場変換跡地》かいわい界隈の
愉快で待ち遠しかった無数の散乱する超巨大バエ同士の準生体政治工学的反応の第一次的
な原因とは言い切れなかったばかりか寧ろこれら無数の超巨大バエどもが包み込んでいる
超もうどく猛毒性キャンベル・ス─プに限っては「ぜひ是非喜んで」と今やいたたま堪れない程の超快楽に
思わずふる震えながら(…………)だが、まさにこうした「震え」こそ、残酷にも震える当事
者自身がその「因果関係の立証」というつまず躓きの石を課せられたあの「症状」であったのだ
(…………)結局、一連の問い掛けはふう封じ込められ、「見ること」は最早誰も手に負えない
程のせんりつ戦慄にみ充ちたものとなった。即ち、この「当事者/誰か」は消滅をよぎな余儀無くされ、以
後決して「在り得ない者」、「在ってはならない者」となった。そして誰もいなくなった。
何も起こらなかった。人々の噂/沈黙の中で、その街は忘れ去られた。とにかくそのすじ筋の
者たちにとっては待ち遠しかった超大量ぎゃくさつ虐殺の開始である(…………)だが言う迄も無く、
これらたと例え様も無く誠実な超快楽巨大バエどもは日夜訓練に訓練を重ねつつ健全で非の打
ち所の無い増殖を続け(…………)思考の経験をと閉ざすくらやみ暗闇からのが逃れようとする試みも全
て、常に同じ囲い込みを繰り返してしまうことになる。そしてこの際限の無い超管理回路
から、何処から見ても何の変哲も無い我々の生存が絶えずぶんぴつ分泌されて来る。それは、終わ
り無き問い掛けのひょうてき標的であり、この問い掛けの外では(……………)あの通称『飼育管理
塔』の中庭へと物めずら珍しげに寄り集まって来た人々にニコ-ニコ-ニコ-ニコ-ニコ-ニコ-ニコ-
ニコ笑いをバラバラにバラバラばらま撒きながらいよ-いよ-いよ-いよ-いよ-いよ-いよ-いよ超
快楽巨大バエ実験を何時もの様に始めた子供たちの傍らで超飢餓状態の飼育管理者たちが
何時迄もそわそわそわそわそわそわそわそわそうこうそうこうそうこうそうこうしている
内にも到る所の街角で《或るもの=X》の接近は静かに続き飼育管理塔付近の広場で訓練
につ次ぐ訓練に次ぐ訓練に次ぐ訓練に次ぐ超訓練を日夜絶え間無く反復していた標本訓練型
飼育管理者たちが極度のほっさ発作に激しくあえ喘ぎながら「あれ-あれ-あれ-あれ-あれ-あれ-あれ-あ
れ」と言う間にも飼育管理塔の中庭の裂け目が遂に……………
―――だが、一体誰の生存なのか?
……………………………………………………………………………………………………
ディスプレイ画像のふち縁すれすれに〈外〉からの声。それは、どんな超管理回路にも除去
不可能な条件として組み込まれている見えない亀裂、言い換えれば、何時しか我々に植え
付けられ感染してしまった『〈自己〉免疫不全ウィルス』から贈り与えられた触発因子だ。
――今夜、私はさば裁かれるのだと言う。いやも若しかしたら、裁くのは私の方かも知れない。
私は、そのほうてい法廷が、何時しか超コントロ―ルの空間へと移行していくのを見る。そして、
其処でこの私に降り掛かるさいやく災厄を。其処では、ウィルスである私が被告なのか、即ち、こ
の私に感染したとされる彼がウィルスである私を見ているのか、それとも彼が被告なのか、
即ち、ウィルスである私が彼を見ているのか最早分からない。私と彼は決して出逢うこと
は無いのだが、お互いがお互いの背後にいるのだ。……仮に、私が彼を見ているのだとし
よう。私は彼を見ることによって、彼の存在を何らか「与えてしまう」のか?もしそうな
ら、一体どの様な存在を、そしてどの様にして? 例えば、これは多分最悪の場合だが、
私は彼をあわれ憐れんでしまうかも知れない。無論、こんなことは在り得ない様に思える。……
だが、もし彼が罠に落ちたならばどうであろうか? 或いは常に罠に落ちざるを得ないの
だとすれば? 例えば、彼は密かに何の変哲も無い箱の中にかくり隔離されてしまい、唯其処に
いることを「確認される」だけで、その都度私=ウィルスに、そして同時に人々=皆にれいぞく隷属
してしまうという仕組みだ。その時は、彼と運命を共にする致命的な病原体として、私=
ウィルスも彼に隷属してしまうだろう。「それでは、いいですね。いつもの検査です……」
――我々の想像を超えた超コントロ―ルのゲ―ムが其処にある。……ゲ―ムだって? い
や、私はそんなことは語っていない。私にはどうしても、「彼と私との関係」が見えないの
だ。何時もの光景の中で、人々は何時もの様に通り過ぎて行く。余りに有り触れた光景こ
そ、誰一人見ることの出来ない恐れをはら孕んでいる。人々にしょうかん召喚され、確かに裁かれる私は、
その法廷にはいないのだ。そして勿論彼も。何故なら、私と彼が共に召喚される時、その
法廷は、既に其処には無いのだから(…………)――さあ、今こそ我々の幸福な記憶と身
体に感染するちしせい致死性ウィルスを全てまっさつ抹殺しよう! 彼らがいる限り、我々のぶそうかいじょ武装解除はあ
り得ない。我々の戦いに終わりは無いのだ。……いや、もう駄目だ……間に合わない……
何故なのかは分からないが、そしてそれが一体何なのか分からないが、「それ」は必ず追い
かけて来る。変換してしまった記憶と身体。「それ」を一体何と呼ぶべきだろうか? この
仕組みに組み込まれている限り逃げ場は無いのだ。果ての無い感染の疑惑が広がる。ちょうこう徴候と
さくらん錯乱の織り成す近付き難い記憶の光景。その仕組みとは、例えば、こうだ。さくそう錯綜/錯乱す
る我々の記憶を織り成す網の目は、其処でウィルスが「現実に」活動するであろう「客観
的領域」と最早区別出来ない。この変換跡地界隈においては、記憶と現実を区別するあら
ゆる方法をあの飼育管理塔の占領者たちによって奪われ、せんゆう占有されている。こうして記憶
の汚染或いは感染が進む。我々の生存は、彼らによるこのはくだつ剥奪によって生産されているの
だ。〈自己〉という名の植民地として(…………)[ここで、基督暦1990年に迄さかのぼ遡る『〈自
己〉という名の植民地を巡る手書きの手記』をプログラムの余白の余白にそうにゅう挿入]
それは、始まりも終わりも無い旅から切り取られた断片だった。だが、そんな旅の切れ
端には、しばしば新鮮な贈り物が転がっているものだ。その贈り物とは、「***人だ」と
いう極く低い調子の囁きと、それに伴う「***人であること」への特異な眼差しだった。
私にとって、そんな出逢いの経験が最も強く印象付けられたのは、カフカがその生涯の殆
どを過ごした街プラハだ。過去の様々な建築様式が重なり合って残存し、持続する民族の
伝統がその奥深い襞を織り成している奇跡の街。彼方からの多様なアジアの波が深くうが穿た
れた情念となって流れ込むモスクワとは違って、ヨ─ロッパという生きた観念が今再び力
強くおういつ横溢し始めたとしても何の不思議も無い街……。1990年2月の半ばに、このプラハで
私に次の様な問い掛けが生まれた。私はその問い掛けの最初の素描を、2月15日の夜プラ
ハ郊外の或るアパ─トメントの寝室で書きと留めた。そのアパ─トは、ハベル大統領をその
地下活動の初期からしえん支援し続けた或る工科大学教授の自宅だった。今思えば、この問い掛
けは、あのカフカの『城』と深く反響し合っていたのだ。
私は、ささやかな問題にうなが促されてここへやって来た。カフカは不眠症で死ぬ思いをした
らしいが、何故か私の体内の神経細胞の極く一部が、もう永いこと不眠症に罹かってしま
っている。ところで、旅の最中で問題を移動させることは「民主主義」と呼ばれるものに
とって取り分け大切なことだろう。そこで試みに、こう問い掛けてみよう。この問い掛け
の作業が、これ迄「民主主義」と呼ばれてきたものとどう関わるのかは、それ自体一つの
問題となる筈だ。
――「民主主義」と、「自己の支配を誰かが、或いは何かが代理すること」とはどう異な
るのか?
ここで、この「誰か、或いは何か」を《或るもの=X》と名付け、この『《或るもの=X》
による〈自己〉の植民地化』という事態を描き出してみよう。
この事態において、我々は、《規則化/コントロ─ルの装置》に連結されることになる。
この装置は、それがその都度出会う〈自己組織化因子〉が常に、「自己の支配を誰かが、或
いは何かが代理すること」を受けい容れつつ自己形成する様に訓練する。ところで、こうし
た規則化/コントロ─ルの装置において、自己の支配を代理される全ての〈自己組織化因
子〉は、同時に「代理する誰か」でもある。即ち、「自分で自分を支配すること」を《或る
もの=X》によって代理される私は、改めてその代理された自分自身の支配をう請けお負う
「我々=X」でもあるということだ。
他方、おのおの各々の〈自己組織化因子〉のあらゆる生存の表現/実践は、その本性上自由を目指
す。それは規則化/コントロ─ルの装置によるほかく捕獲やきょうせい矯正を嫌い、それらに抵抗する。逆
に自由は、その本性上生存の表現/実践として現実化する。そしてこの生存の表現/実践
は、どんな「同じもの=Xであること」という仕組みにも還元されない。必ず、其処から
はみ出る何かをも、表現/実践しているのである。
『《或るもの=X》による〈自己〉の植民地化のプロセス』とは、何らかの〈自己組織化
因子〉が、規則化/コントロ─ルの装置によって「同じもの=Xであること」という仕組
みに逃れ難く囲い込まれ、「我々=X」となるプロセスなのである。
「同じもの=Xであること」という仕組みと連結された〈自己組織化因子〉として自己形
成/訓練プロセスの内にある〈日本人であること〉、〈ユダヤ人であること〉、〈ピュ─リタ
ンであること〉、〈白人であること〉、〈黒人であること〉、〈アラブであること〉、〈アイヌで
あること〉、〈***人であること〉、〈ムスリムであること〉、〈女であること〉、〈男である
こと〉、〈レズビアンであること〉、〈ゲイであること〉、〈トランス・セクシュアルであるこ
と〉、〈**教の信徒であること〉、〈**主義者であること〉、〈人間であること〉、〈狂人で
あること〉、〈***族であること〉、或いは〈***共同体の成員であること〉、更には〈仮
想空間=Xの誠実な住民であること〉等々は、互いに異なりながらも相互に作用し合う様々
な生存の表現/実践として生成する。即ち、闘争、戦争、補食/同化、補食/異化、感染、
寄生、きょうせい共棲、ゆちゃく癒着、対消滅、等々である。先に述べた様に、これらの生存の表現/実践が
「同じもの=Xであること」という仕組みに還元されてしまう訳ではない。これらは各々
力、方向、速度を持ったプロセスとしてその都度生成する。これら生存の表現/実践の各々
は、殆ど無限に多様なその都度の生成プロセスを内包し、それらをたば束ね、訓練している。
さて、このその都度の生成プロセスに先立っては、最早どんな「同じもの=Xであること」
という仕組みも想定出来ない筈である。だが、規則化/コントロ─ルの装置は、その都度
多様な生成プロセスを内包している生存の表現/実践を、『その都度の生成プロセスに先
立つゼロ、或いは不在のレベル』によって代理してしまうのである。即ち、「私=我々=ゼ
ロ」という仕組みの誕生である。あらゆる生存の表現/実践が、この仕組みによって抹消
されていく。例えば、予め自分以外の誰か、或いは何かによって代理/代表された戦いを
請け負うことは、どんな生存の表現/実践にとっても余計であり、不利益なものである。
だが、〈自己〉の植民地化のプロセスは、あらゆる生存の表現/実践が自己形成/訓練を代
理された上で、改めてその代理された自分自身の支配を「誠実に」請け負うことを可能に
する。それは、あらゆる生存の表現/実践を自己分裂へとか駆り立て、しかもその自己分裂
を無際限の代理プロセスにおいて引き延ばしながらいんぺい陰蔽していくのである。
従って、もし仮に「民主主義」と呼ばれるものが、あらゆる生存の表現/実践に開かれた
ものとして生成するのならば、それはより基礎的だとされる観念、例えば、特定の関係者
にとって都合のいい仮説に基付く「共同体」に従属する二次的な政治システムではあり得
ない。それは、そもそも「政治システム」等といったものでは無い筈だ。仮にここで「理
念」が表現されているのだとしても、この「理念」は、その都度の生存の表現/実践とし
て「支配を誰かが、或いは何かが代理すること」という装置にその都度抵抗する限りでの
み、その生命と創造の力を持つのだ……。
――永い不在の時の流れを経た後で、今ここを超えて、私は再びあのたんしょ端緒の問い掛けと出
逢う。それは、始まりも終わりもない旅から切り取られた断片として、我々の没落と共に
生成する来るべき者たちへの呼び掛けとして、そのあざ鮮やかな姿を現したのだ。『城』をも飲
み込む超管理回路のす直ぐ傍らで、彼方へと延びていく舗道の向こう側から、来るべき者た
ちの影が延びる。
(…………)ところで、今私がたまたま偶々眼にしている準生体ディスプレイの裏側に一見こお凍り付
いた様にセットされている――ディスプレイの治療用に開発された――準生体モニタ―蝿
は、極度に退屈そうである。治療すべきディスプレイの「症状」が見当たらないのだ。他
方、この治療蝿自身の「症状」に対する治療は一切約束されていない。だが、この治療蝿
は、賢明にも自らの「病識」が欠けていることを自覚している。ふと気付くと、何時にな
く静まり返ったディスプレイのコントロ―ル・ユニットは黒く焼けこ焦げてしまっている。
だが、最早それを気にする気にも成れない……[このモニタ―蝿に埋め込まれたハイパ―
マイクロ・チップ・ウィルスには、それ自身の総合処方系モニタ―回路に極くまれ稀に混入す
る『総合処方システム系かくらん撹乱性ウィルス』をその都度完全に殺菌/不活性化するという問題解決ス
テップのネットワ―クをモニタ―し、それによってその都度新たなル―ルを獲得していく
『究極モニタ―・メソッド』――通称『モニタ―蝿・ハイパ―マイクロ・チップ・ウィル
スに付いて何も言いたくない』――が組み込まれている。『総合処方系撹乱性ウィルス』の
突発的な出現という予測不可能な出来事に直面したモニタ―蝿・ハイパ―マイクロ・チッ
プ・ウィルスの総合処方モニタ―回路が、優れて出来事的な問題解決をせま迫られる結果既存
のあらゆるル―ルの適用を断念する場合、この『究極モニタ―・メソッド』は、モニタ―
蝿・ハイパ―マイクロ・チップ・ウィルスに対する(そして同時にモニタ―蝿・ハイパ―
マイクロ・チップ・ウィルスのモニタ―蝿に対する)あらゆる言及プロセスの生成条件を
ふうさ封鎖してしまう全く新しいル―ルによって、『総合処方系撹乱性ウィルス』の感染プロセス
そのものをこっけい滑稽な迄に無意味なものにしてしまうのである。今や、確かに『究極モニタ―・
メソッド』はモニタ―蝿・ハイパ―マイクロ・チップ・ウィルスに付いて(そして同時に
モニタ―蝿・ハイパ―マイクロ・チップ・ウィルスはモニタ―蝿に付いて)「何も言いたく
なかった」のである。最早驚くべきことでは無いだろう。この『究極モニタ―・メソッド』
は、全てのル―ルにとっての「深層構造」を偽装した総合処方系へと予め組み込まれた『総
合処方系撹乱ウィルス』によって飼育管理された無数の超管理回路のほんの一例に過ぎな
いのだ。]
(…………)――嘗て、私が未だ幼かった頃、部屋の外には、昼と夜があった。午後の青
空の彼方から、星のまたた瞬きが降り注いで来るのを見た。……いや、違う。嘗ては部屋の外な
ど無かった。私はテラスに立ち、暗黙の了解と呼ばれる領域に問い掛けていた。その領域
は部屋の中だったのだろうか? 恐らくそうではあるまい。私は部屋の中で誰かと暗黙の
了解を共有していた訳ではなかった。従って、部屋の中から出て来たのでもなかった。私
は唯其処にいただけである。……暗黙の内に了解されていたのは不安であると誰かが飽き
もせず繰り返していた。だが不安という表現について問うなら、それはいつも同じである
ことへの不安なのか? それとも、何時かは同じではなくなることへの不安なのか? そ
れともこれら両者のハイブリッド雑種と化してしまうことへの不安なのか? 不安の宗教の信徒たち
は、この問いに対して無力にも沈黙を守ってきた。それは除去出来ないものなのである。
「――ソレハ、ダレモガキョウユウシテイルモノデアル。キョウユウサレタフアンハ、キ
ョウユウサレタゲンソウデハナイ」 ……成る程、では誰もが不安におのの慄いているとしよう。
その気は無くとも、一旦お前たちの言うことを聞いてみる訳だ。だがそれで私にどうしろ
と? 彼らが我々をしゅうげき襲撃する前に、予め彼らを殺せとでも? だが私には興味がない。「し
かし、あなたは、彼らの憎悪、復讐、そして狂気を恐れないのか? 我々はあなたの正気
を、即ち我々に対する誠実さを疑わざるを得ない」 ……それは何処かの――例えば、崩
壊した植民地特有の手持ちぶさた無沙汰な飼育管理者たちをかい介して、或いは誰一人眼にすること
の無い感染経路をへ経て指令されたプログラムなのか? 「―――(思わず苦笑しながら)
そんなにおおげさ大袈裟な話ではないのです。実に単純明快なこと。……あなたは我々全てに不安
を抱かせた。いいですか? 全てにです。イイカエレバ、ダレモガフアンデイル。これで
証明されました。完璧です。(尤もその必要さえ無かったのですが。ハハハ。) 従って、
あなたの犯したごびゅう誤謬、即ち裁かれるべき罪は明白なのです。無論極刑に値します。しかも、
「ところで結局あなたは一体誰なのか?」という我々の哀れな飼育者たちの問いに我々の
満足のいく形でそくざ即座に答えることの出来ないあなたの素朴さと、我々の被飼育者たちの永
遠のおのの慄きを踏みにじ躙る様な残酷さをどうやって了解しろというのですか? いいですか?
敵は迫っています。***族の攻撃、或る未知のウィルスによる超管理回路への致死性感
染が今にも始まるのです。即ち、これは決してゲンソウなどではなく、ゲンジツなのです。
この様な状況において、全く驚くべきことに、あなたのそうした態度というものは、まさ
にごうまん傲慢と無責任さの極みであり、我々としてはとうていかんか到底看過することは出来ない訳です。従っ
て、あなたは既に無権利状態に置かれています。言い換えれば、我々に保護されていると
も言えます。勿論あなたに治外法権はありません。一般に我々はそうしたやばん野蛮なものを認
めていません。それにそもそもあなたは「外部」に所属している訳では無いのです。又お
分かりの様に、亡命も不可能でしょう。我々は如何なる太古の悪習も認めていません。暗
黒時代は過ぎ、しゅうち羞恥心は洗練の度を増しました。言う迄も無く、弁護請求権もありません。
言うも愚かなことです。少なくとも五千年前の死語です。それどころか、あなたがこうし
て通常のしんり審理過程をかいま垣間見ることさえ出来なかったのも……」(何らかの出来事により彼
らは突然瞬間快楽蒸発。画像のゆが歪んだ奥行きに沿って引きつ攣った笑い声が続く。続いて画
像そのものも絶対誠実錯乱。彼らが恐れていた***族の襲撃が始まったのか? 彼らは
何時も先に仕掛ける筈なのだが……) 直ぐ眼に付くことがある。ディスプレイはボロで
ある。無数のボロテレビたちが、不注意にも頭をドロドログシャグシャにされたあの飼育
管理者たちの様に、くうきょ空虚な姿で転がっている。そして何よりも空虚な***族のオモチャ
の群れ。[モニタ―蝿・スパイラル・ガン:いったんはんようせい一旦汎用性〈自己〉免疫不全ウィルスに感染し
た或る種の生き残りモニタ―蝿は、或るせんれつ鮮烈な触発作用をおよ及ぼす特殊なねじ捩れ運動を半永久
的に反復する。この種の捩れ運動に慣れることがかなりの確率で絶望的に困難であるとい
う飼育管理者たちの致命的な特異性をこうみょう巧妙に応用している。] これ迄、何度この様な光景
が繰り返されてきたことだろう。彼らは生まれて来るべきではなかったのか? もしそう
である/ないのならば……(遥か彼方の砂漠で、充ち足りた笑い声が静かに響く。)
(…………)――だが、今の所あらゆる領域で画像は無際限な自己反復を続けている。そ
れはディスプレイと共に分裂・分散し、へんざい遍在する。我々は其処にせいそく生息している。ところで
彼らにとって、生体として出発した我々の生存そのものは、生体が内包する超微小振動の
レベルで根底からコントロ―ルされた上で反復/再生産されなければならなかった。しか
も永遠に。その為にこの画像はどうしても必要だったのだ。従って、それは誕生した。遺
伝子の傍らにひそ潜む反復系列を訓練/育成する。それは太古の、彼らの遠い祖父母たちの発
明である。彼らにとっては、他者のせきしゅつ析出は不必要であった。それどころか、それは全く余
計なものであり、いては困るのだから、もしいたとしても予め静かに消すべきものである。
その可能性をアプリオリに排除するのだ。結局、論理的前提において消せばよい。彼らに
とって、ディスプレイに映し出された画像はその変わらぬ証明過程となる。言う迄も無く、
あくまで彼らにとってのことに過ぎないのだが。一方、「彼ら」という集合体も様々である。
ついさっきもちょっとしたテレビ局――何と懐かしい言葉だろうか――で二つの集合体が、
対消滅したばかりだが……。それは同時に我々でもある。画像/ディスプレイ=ゼロ。即
ち、無際限のひまく被膜。ソレハナニモノデモナイ。 ナニモノデモナイ《或るもの=X》=ゼロ。
――或いは、私=我々=ゼロ。もしディスプレイが未だに存在し続けているのならば、そ
れは我々=彼らの最後の時迄死に耐えることは無いだろう。我々を包み込む無際限の被膜
として…………
植民地的通常誠実空間の考古学
――買い物に出かける。私の最大の楽しみは買い物である。生きがい甲斐であり気晴らしなの
だ。ここには何の矛盾もない。誰一人、私のこの行動をじゃま邪魔することは出来ない。このこ
とが既に私の喜びである。私の自由が其処にある。掛けが替えのない時間。時間とは、私に
とっては買い物という感情そのものである。現に生きているという感情。或いは、官能的
なコギト。その感情のさなか最中でよ酔いし痴れながら、知らず知らずの内に溶解してしまう。時に
は静かな喜びであり、又時には熱狂のうず渦である。自己救済。そして解放だと言えば大袈裟
だろうか? しかし、それに対する一切の反逆を不要にするものが自由でなくて、一体何
が自由なのか? 私にとって、自由とは幸福である。幸福の感情。それは感情なのであり、
私の場合それこそが買い物という感情なのである……。だが、これ程迄の情熱をいだ抱きなが
ら、私は一体何を買うのか? そもそも、買い物とは何であろうか? (私はあのちょっ
としたテレビ局裏手の『***商会』の事務所=簡略には『***事務所』の傍らでふと
立ち止まる。) 勿論、私には分からない。考えたこともない。確かに、この買い物無しに
は、おそ遅かれ早かれ私は死ぬだろう。生活は崩壊する。しかし、私は買い物という訳の分か
らない何かを消費しているだけかも知れない。不安がふと心を過る。だが何であれ、危険
なことを試してみる勇気は無い。更に、この買い物そのものが私自身の消費、或いは死に
近い何かを次第にまね招いてもいる。……例えばあそこには店員が多過ぎる。即ち、実際には
一人もいないあの人々或いは店員たちのことではなく、事務所のカウンタ―にもさり気無
く置かれているホワイトチョコのあわだ泡立った表面にねばつ粘付きながら連結され、眼に見えない速
度では這いずり回っている極小モニタ―粒子のことだ。何故かと言えば、常に彼らに粘付か
れている。日々のサ―ビスである。これら不在の店員たちは言わばおとり囮であるが、それでも
やはり時には強制しっこう執行にも出てくる。今度はあら露わな、目に見えるサ―ビスである。今日も
子供が一人事務所二階の踊り場でささやかな『お楽しみ会』の練習の為に踊りかけただけ
で終末処理監禁された。即ち、囮たちに拠れば、あこが憧れの店員ごっこに晴れて参加出来るの
である。それは何と、先週の土曜日の午後私の行き付けの『***商会』の『信用調査の
小部屋』内部で陽気にはしゃぎ回っていたあの愛苦しい***坊やではないか! 今思え
ば、既にあの時坊やは極小モニタ―粒子の最後の警告を受けていたのだった。子供たちの
笑顔と未来。それが先ず消される訳である。何時もの様に、其処に笑顔に充ちたサ―ビス
がやって来る。其処には何も無い。ゼロ或いは不在の超コントロ―ル空間。人々の沈黙。
明るい部屋。その最もきはく希薄な、そしてなめ滑らかな空間にこそ、かんぺき完璧なコントロ―ルが成立す
る。それが我々の領域である。じゅくこう熟考が必要になる。しかし私はそれをどうしてもつか掴めない。
私のこの眠りは深い。しかし、私はこの眠りの仕組みに触れることが出来ない。この眠り
は、何者かによって組み立てられている様だ。私のこの眠りの背後で、一体どれ程の人々
が消されていったのか? 私が殺したのだ。――私が死ぬことによって。しかし、もしそ
うだとしても、私はそのことに触れることが出来ない。私は苦痛を感じることが出来ない
のだから。私は、滅び去っていった人々の生存に触れることが出来ない。……来るべき訴
訟領域。それが私の体内で密かに活動を開始した。
(「今思えば、そのきっかけ切掛は極くささい些細なものでした。商談を終えた『密緒』のおかみ女将密緒が、私
の眼の前で意味有り気にそで袖で唇を隠しながら、何かを――恐らくは内密で皮肉な袖振り笑
いを――他ならぬこの私に投げ掛けてからなのです」) 私は私自身の生存を、何者かによ
って、予め組み立てられていたのだ。私がそれを、刻み始める前に。――来るべき訴訟領
域、或いは、コントロ―ル不可能なものとなった体内。今や私は内側から折り返され、裏
返しにされる。最早街とも呼べないはいきょ廃虚のただなか直中で、眼に見えない抵抗=ゼロの皮膚に覆わ
れ、隠されていた体内の無数のひだ襞が今や黄昏の光にさら晒され、永い眠りから目覚める。それ
は、何とも言い難い。それは最早、あの治療対象ではない……。この新たな戦いが私を何
時もとは違った領域へと導いていくのかどうか。それはその都度一度限りの実験なのだ。
(…………)私=我々=ゼロという関係の誕生。私=我々は、これ迄辿ってきたきせき軌跡に
そうぐう遭遇する。眼を閉じる。その時は来た。誰もが深い眠りに落ちていった。新たな戦いへと
際限も無く流れ込んでいく為に。いま未だ嘗て誰一人見たことも無かった戦い、支配、そして
れいぞく隷属の光景を、我々がこれ迄辿ってきた歴史、そして二度と忘れることの出来ない未来の
記憶としてきざ刻み込む為に……。
(…………)――村外れのみちばた道端に佇みながら、私は遠い追憶の中へと入り込んでいった。
やがて私はこの道を思い出す。嘗て、私にこの道を教えた者がいた。それは、あの曲がり
角で私を誘った者である。其処に誰かがいたのだ。だがそれは、一体誰だったのか? 私
をゆうわく誘惑した何か或る者。それは、遥かな昔にこの道を私に教えた誰かの記憶である。私の
生存に最小限の方向を植え付け、その方向に或る特異な感情を深くし染み込ませた者。その
時一つの始まりが、従って、一つの終わりが私と共に獲得されたのだ。『思考の方向を定め
るとはどういうことか?――カント』 今やこの問い掛けがふじょう浮上して来る。私があくまで
もこの道を辿ろうとするのは一体何故なのか? 何時から、そして何処からそれは始まっ
たのか? 殆ど、解答不可能な問い掛けの様に思える。だが、私はそれを探究しなければ
ならない。何故なら、もし私がこのふくろこうじ袋小路から脱出出来なければ……。この道は、日々の
生活のわく枠である。それは枠であり続けることで持続している。私はこの方向と秩序、そし
てこの秩序と私の感情を分離することが出来ない。――或る者たちは、この探究の過程で
いっきょ一挙に「民族の記憶」と呼ばれるものへとたく巧みに誘導され、到る所でちまみ血塗れの闘争を繰り
返していく。密かに送り込まれた何者かによって、彼らは「国家」がこの道を教えたので
はないことを教えられたのだ。彼らは叫ぶ。「この道は、国家と呼ばれるものよりも古い!」
「ああいう人々こそ、あらゆる手段を使ってでも抹殺すべきなのだ!」と「国家」は絶え
ず沈黙の内に教え続けてきた筈なのに、そしてそれによって「国家」は人々の欲望に最も
分かりやす易い形を与え続けてきた筈なのに、今度は――何者かによって誘導されてだが――
人々が「民族の記憶」と呼ばれるものに従って、さつりく殺戮の対象を独自に決定し始めているの
だ。あの何者かが「国家」と呼ばれるものの代理人であったのか、それとも「国家」と呼
ばれるものがあの何者かの代理人であったのか……。ここで独りであり続けることは死を
意味する。今は独りでこの道を歩き続けることは危険だ。何故なら、この道は既に彼らに
よってふうさ封鎖されてしまった。完全武装した人々の群れが常に監視を続けている。まともに
この検問をとっぱ突破しようとすれば、私は直ちに捕獲され、殺されるだろう。もし私がこの袋
小路から脱出出来なければ……。何と、相も変わらず再び「国家」への道なのか? それ
とも、既に極秘の資源探査が始まっているのか? だが、探究の過程が終わることはない。
私と共に、数多くの者たちが滅び去っていくだろう。私と共に、様々なぬのじ布地で織り成され
た一つの道/枠が浮きぼ彫りになり、激しく引き裂かれていく。それでも、何時しか、私は
あなたと出逢うだろう。だがそれは、最早何時でも、そして何処でもない(…………)
コギト エルゴ スムCogito ergo sum/我思う、故に我在り。……神は存在する。……故に、私=我々は存在す
る。……故に、私=我々は正しい。[……これで、善い。](ここで、超大量殺戮の扉が静か
に開く。) ――だが、私=我々とは誰なのか? もしそれが、今も沈黙と暗闇に閉ざされ
続けているのだとすれば? ……何故なら、恰もこの瞬間に不意に誕生したかの様に、そ
して同時に、嘗ての秘められた闘争のさなか最中から、未だかいまみ垣間見ることさえ出来ない意志の営
みがそれをやっと産み出したかの様に、一つの避け難い問い掛けがここ迄聞こえて来る。
―― 一体、誰が誰をさつりく殺戮し、支配したのか? ――確かに私=我々は殺戮し、支配した。
だが、その私=我々は、何処にもいなかったのだ。―― 一体、誰が誰に隷属しているのか?
―― 確かに、私=我々は隷属している。だが、その私=我々は何処にも存在してはいない
のだ。即ち、この装置の元では、私も、我々も存在しない(…………)問い掛けは、何時
しか「解答」へとす摩りか替えられる。私=我々=人間という、その都度偽装された関係の誕
生。私=我々=人間という関係は、自らを見ることが決して出来なかった為に、他の私=
我々=人間という関係をこうてい肯定することが出来ず、たいてい大抵の場合にはそれを「在り得ない者」、
「在ってはならない者」としてまっさつ抹殺するより他は無かった。ここから、「歴史の全体」の支
配を目指す試みが開始される。即ち、あの世界戦争はその現実化に先立って是認され要請
されていた。ここで、来るべき訴訟領域の二つの局面、或いはリミット極限があら顕わになる。やがて
地球外宇宙環境をも含んで展開する筈の、全地球規模に及ぶ超大量殺戮のもくしろく黙示録的光景は、
私=我々=人間という関係が齎す避け難いさくご錯誤或いはかしょう仮象として、予定された沈黙の中で
先取りされている。だが、私が出遭ったあの《もう一人の娘》は、何時どんな場合でも、
我々によって《……人》と呼ばれる何か=X、言い換えれば《我々=……人》といった何
かではなかった。だからこそ、あの娘は、この私に呼び掛けた。そして私も、その呼び掛
けにこた応えたのだ。しかし、この出遭いが表現するものは、勿論これだけでは無い。私=我々
=人間という関係が組み込まれた植民地状態による追放と囲い込みのただなか直中で、自らの運命
と意志のだっかん奪還を賭けた戦いが開始される。来るべき者たち、或いは、《……人に成ること》
は、今尚到る所で続くその戦いの直中で、嘗て無かった何かとして、全く新たに生まれ出
るのだ。これら二つの極限の出逢い。それを生きるのは、一体誰だろうか?
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