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Zero-Alpha/永澤 護のブログ
4.2
宮永:はい、それでは再開いたします。永澤さんでしたよね。よろしくお願いします。
永澤:先ほどの佐藤さんのお話との絡みで、言おうと思ったことがあるのですが、書くことの大枠、フレームが決められているということが、この国に限ったことか分かりませんけれども、この国にはよくあるということだったと思うのですが、私が注目しているのは、樫村さんとのコラボレーションで、「笑い」ということについて扱おうと思っているのです。どういう( ?)に笑うのかという枠は決められているという傾向がかなりあって、確かに(子供 ?)ということで教えられたことでは、俳諧とか、いろんなことでそこに可能性があったのですが、何か枠を決められているということがあります。お笑いに関して私が注目したのは、テレビの画面に出てくるテロップですよね。テロップというのが必ず先取り的にどこで笑うか、ということが制御されているということがまずあると思うのですね。あと、会場の笑い声です。あまり面白くなくてもそこで笑い声が笑われている、ということでつい笑ってしまう。ですから、それは私たちの感情とかが制御されているという問題よりも、起承転結の問題だと思うのです。どういうフレームで、どういう言葉に反応するのかという言語的レベルで、コントロールされているのではないか。それを私は、テロップということで呼んでいるというのが、さっきのお話の問題です。
それからもう一つは『ヒミズ』というのは、ここにちょっと例がありますけれど、まさにニートなのです。簡単に言うと。中学も中退してしまうんですよね。彼は、父親がとんでもない、レッテルを貼れば反社会的人格障害みたいな人で、母親に愛想をつかされちゃって家を出てしまっている。母親は浮気をしているけど、みんな出てしまっている。つまり彼は、父と母に去られてしまって、ぼろやに一人でいるわけです。一応ボート場の経営というのがあるので、自分はここで( )俺は別に( な?)となっている前、自分でボートをやって一生生きていくんだということなのですが、それも続かないわけです。結局ここに書いてあるのは、分科会の話になりますけど、(お前ら クソみたいな人生だろ?)という自重の意識もあると。やっぱりそこに階層化の( )があるのではないか。要は何もしていないし、何もできない。まさに純然たるニートで、ただ引きこもりと違うのは、一応友達とかもいるので引きこもりには分類されないで、ではどう名付けようかと言ったら、まさに村中さんが言っているニートとしか言い様がない。さらにそれが煮詰まってしまって、彼は、まさにこれは今でいう診断( )ですけど、統合失調症なのですね。つまり幻覚、幻( )幻聴もたえず聞こえてしまう。それで最終的には自殺してしまうわけで、悲惨なことになってしまうわけです。結局彼みたいな人間は別に珍しくなくて、要は我々自身も含めてざらにいるという問題が、先ほどから話題になっているということだと思うのです。つまり街中歩けばいくらでもいるということです。
先ほど、なぜニートとニート的存在の違いにこだわったのかというと、大枠としてニート的存在として捉える方が有効だから、私も一応その立場を共有しているわけです。そうしないと、引きこもりとフリーターとかとパラサイトとかと共通に見えている問題が見えてこないから、ということがあるのです。ただ、会社に入れている人間はかなりエリートではないか、という気も一方でするわけです。ヒミズみたいな、そのレベルの人が結構いっぱいいて、我々の社会を揺るがし始めているという問題があって、これが文部省とか政府からいうと我々の社会は危機なんだ、何とかしなくちゃいけないんだという脅し文句につながっちゃうから、あまり言いたくないのですが要は当たり前の事象として、そういうものを見ていかなくちゃいけないというのが基本的な私のスタンスなのです。そこにおいて、今までタブー視されていたようなことも取り扱わなくちゃならない、タブー視されているというのは、ここがまさにヒミズのすごいところだと思うのですが、セリフとして「世の中には頭の悪い奴がたくさんいるんだ、そういう連中はいくら考えたってどうにもならない、じゃあどうする?」、教育とかも不可能だと。「全ての答えを行動でだしていくしかないだろう?」とか「バカがバカを殺す、それでいいじゃないか」とかこういうレベルで過激に見えるのですが、実はステレオタイプだと批判するようなことを言うような人もいますけど、これをステレオタイプで片付けては今までのレベルから一歩も進まないというふうに私は思っていて、まさにこういう事態を現実のケースとして見つめていき、考えていかざるを得ない状況になっていると。本人たちは、どうすることもできないと思っているし、自分の父親はどうせあんなろくでなしで、「死んだら笑える人」No.1の男でクズなんだから自分もどうせひどいとか、こういうふうに思って絶望して生きているわけです。若者がそういうふうになっている。ですから、答えはないにしろ、どこかでそういうところも拾い上げるようなかたちでやっていかなくちゃならないなと(雑駁な例では?)思います。
ご存じの方も多いと思いますが、『稲中卓球部』を書いた方です。『稲中卓球部』は、隣の質問した方も読んでいるのですが、キャラとしては同じなのではないかと思います。つまり、外れている人が増えているので当たり前という話をした上で、なおかつ笑いをとれている奇妙なキャラは外れている中学生たちの暴走みたいな笑いなのですが、あれはギャグに純化しているのでそれを裏返すとほとんど同じような奴なんじゃないかと。明るさのカケラもないヒミズの方に出てくる中学生は。要するに同じ中学生が別様に描かれたのではないのかというふうに彼も同意してくれたのですけど。これは一つの見方にすぎないのですが、私もなるほどなと思いました。以上です。
宮永:はい、他に今のご意見に対して何でもご意見おありの方、はい、井上さん。
井上:ニートの議論をずっと聞いてきて、思い出すことがありまして、それは何かというとルイ・デュモンという人類学者が書いた『ホモ・ヒエラルキクス』というインドのカースト社会について分析した本なのですけど、あれはインドのカースト社会というものを個人・集団という社会対個人という関係上で描いていて、カースト社会を集団の側に位置づけて、個人というものを西洋の側に位置づけて、ところがもう一つそこからはみ出る集団というものがあって、それは何かというと出家主義集団であった。出家者というものをインド社会の中に個人を許す社会という部分として位置づけて、いわゆるインド社会をよく見ている。そういう意味では社会というものがあって、個人という両方が一つの統合された中で生きることができる、ということなのです。
それでなぜそれがニートに関係するかというと、最初に村中さんが発表された時に、個人主義、集団主義の規範というかたちで分析されていた。そのことからそれを思い付いたのですが、いわゆる出家者の集団というのは一体何かというと、いわゆる一般の社会においては人間の生涯というのはお勉強する時期、それから働いて子供を育て家族を育てる時期、引退して好き勝手なことをやる時期。好き勝手なことをやる時期というのは、普通一般的な社会においては歳をとってからやって下さいと。動きが鈍くなってからやるべきものであって、若い内はやるべきものではないという、そこがカースト社会の掟でもあるわけです。ところがそれ以外にインドでは、出家主義集団というのを認めているわけです。そういう人たちというのはいわゆる若くして、それこそ十代でももっと若くても自由に出家してその人たちは何をやっているのかというと、何もしていない。すなわち、社会に何もせずに巣食って生きているだけなのです。食わしもらっている。例えばそれでちょっと身体に( ハイカン?)なんかを塗って、町を歩けばその存在が認められている。居場所がある。ある人は漫画を書く代わりに、おたく的な芸能に熱中する代わりに30年間左手を上げたまますごすとか、そういうことが直接的にカースト社会の生産構造の中に役立っていたとは思えないことをずっとやっている人たちが過ごすことのできる、居場所があるということです。すなわち、ニートの問題というのは日本の現在の社会を考える限りにおいておそらく、今ではインドでもそういう場所はほとんどなくなりつつあるかも知れませんけど、そういう人たちが生活できる居場所がないのではないか。そのこと自体が非常に問題になっているのではないかということを非常に強く感じました。
そういう意味ではこれは極めて新しいということではなくて、本来ならばそういう人たちというのは、いて当然であって、さっき永澤さんもいて当然と言われましたが、そういう人たちの居場所がなくなったこと自体が問題になっているのではないかということは一番感じたことです。この話題が続くのであれば他の人への質問はあとでしますけれど、一つは小井さん、もう一つは森さんへの質問です。
宮永:では森さんがその次だから、森さんにして頂けますか。
井上:では森さんの方を先に。森さんのところでネットワーキングということを表にだしてあるのですが、私が考えるネットワークのイメージというのは、森さんが出された例とはかなり違うものです。まず、ネットワークという、この中にはIT関係の方もいらっしゃるようなので、間違っていたらそれで良いのですが、まず中心を設定しないということがネットワークの特性だと思います。中心がない。どこも中心がない。例えばここから情報を発信すると、別に中心を経由しなくても別のところに行くからネットワークなのであるというふうに考えるわけです。そうすると、そういうネットワークのイメージから先ほどの出社の例というのはかなり離れているような気がします。なぜならば、中心は教祖にあるのであって、あくまでもそれで各出社に自律的な批判の領域があるとしたら、その集団自体がかなり民主化されていて代議制みたいになっている。すなわち、その後組織化されてネットワーク性が薄れたというかたちになっていますけれど、まず組織化する前の段階として中心があってその下に各指導者グループがあって、その下に一般の信者がいるわけですから、少なくとも三層構造になっていたと当初から考えられるわけです。それが強化されれば組織的原理が出てくるのは当たり前なのであって、いわゆるネットワークという考え方とかなりイメージが違うような気がしますので、そういう意味ではプレ組織と言いますかそういう構造のことを言っているように思われます。ネットワークというものはあくまでもコンピュータのような中心を想定しないのではないか。ただしコンピュータネットワークだっておそらくドメインは、アメリカが全部包括的に管理しているのでアメリカがドメインをある日突然( ?)包括的に全部やろうとしたら実は全部システムがダウンしてしまうという話もあるので、実は影の隠された中心が存在するのだという話も聞いていますから、ですけれども我々が考えているネットワークというのはそういうものじゃないかというふうに思います。
宮永:はい、難しい点がいくつか入っていますけど、森さんどうですか。
森:はい、ではまず先ほどのお話について本当は意見があるのですけど、最初に井上さんに頂いたご質問からご意見からなのですが、おっしゃるように確かにネットワーキングというのは、網の目状のものだからこそネットなのであって、中心を設定しないということはおっしゃる通りだと思います。そういう意味で金光教の出社連合について、私の言葉が足りなかったと思うのですけど、確かに教祖は一番大事な存在なのですが、ネットワーキングをしているときに信者たちは教えというものを核として、そこにつながるかたちでネットワークしていたというふうに考えたいのです。その時に一つ教祖の言葉として、大事だと思うのは教祖が、私が「おかげのうけはじめ」という言葉を使うのですけど、つまりたまたま私は最初に神から声を聞いたけれども、みんなが神になる可能性があるしそういう意味で神の神号を与えていたことが重要だというのはそういうことなんですけれども。だから、全ての人が平等な神からの教えから等距離にある可能性がある、という意味で必ずしも教祖が中心的な権威を持った存在ではないということを言いたかったのですね。
それがご質問についてはそうなのですけれど、もう一点先ほどのフレームから外れていく人たちの受け入れる先の場があるかどうか、というお話のところで思ったことがあるのですけど、まずフレームから外れたときに個人としてはどう対応するかという話になると、ニート的な存在で何もしない、何もできない、絶望して生きているというふうにおっしゃってまさにそういう対応の仕方が一つあると思うのですが、そういう意味では村中さんのおっしゃっている玄田さんの本からの引用では特に何もしていないと答えた人々、というふうに定義されていますよね。ですから数量的にそういうかたちで、例えば何歳以上何歳未満で、というふうに数量的に捉えただけじゃなくて、本人たちが主観的にそう思っている人をカタカナのニートと言っているわけで、だから絶望したかたちで対応していくというかたちが一つと、あるいは場があるインドの出家者というところがあるのでしたら、そこに入っていくというチョイスもあります。これは我田引水なのですが、ネットワーキング、例えば出社的なものを作っていく、金光教的なものを作っていく、金光教的なものというよりもその組織原理に基づいてネットワーキングを作っていく、というチョイスもあるのではないか、というところにつなげたかったわけです。今のお話につなげて言わせて頂きました。以上です。
宮永:はい、一つちょっと質問なんですけど、ニートと呼ばれる人たちはネットワークをしているのですか。
村中:していません。
宮永:でも友達もいるわけでしょ。そういうのはネットワークと言わないのですか。私はネットワークの定義はいろいろあると思うのですけど、小さなネットワークというのはあると思うのですよね。5、6人のネットワークとか。
村中:今の宮永先生の質問に答える前に、一番最初の宮永先生の質問に答えたいと思うのですけれども、今井上さんの方から私が非常に興味深く聞いていたのが二点あって、一つはネットワークの定義の問題、私はIT系の仕事をしていますのでいわゆるIT産業のネットワークというのは、1964年にポール・バランという人が、通信システムのネットワーク構造が当時の冷戦時代のソビエトの核攻撃に対して、どんなコンピュータのネットワーク構造が一番攻撃に対して強いのかという分析をする時に、アルゴリズムで考えて(セントラライズド?)、(デセントラライズド?)それからディスティリビューティドという三つの型があると。(セントラライズド?)というのは中心が一つ、(デセントラライズド?)というのは中心がいくつか、ディスティリビューティドというのが中心がないのですよね。中心がないのが一番強いと、要するに中心を攻撃されても全体的に情報の流通が効くので、大丈夫ですと。そのことが最近特に(バランさん?)の『リンク』という本で、通貨インターネットという物理的な存在で再評価を浴びて、いわゆるネットワーク型というと、このディスティリビューティド型です。その定義だと、本当にその自律かどうかというのは、自ら情報を発信するかどうかというふうに情報科学的には捉えます。自ら情報を出したり受けたりするような点と点が相互に接続されていて、中心を持たない存在というのが、ディスティリビューティド型のネットワークの定義になるかと思います。定義を一つにしろといわれた場合には、この定義に情報科学ではなるかと思います。ポール・バランはグーグルで引いて頂ければ、この論文は無料でネットワークで読むことができると思います。これは補足なのですが。
興味深く思ったのは、井上さんのニート的な存在というのは古いのか新しいのかという質問があります。先ほど大越さんとお呼びしていいですか、大先輩なのでどうしようかと思っているのですが(笑)、「さん」ですいません。大越さんの方から、15年くらい前から大学で役に立たない、あるいは何も勉強してこなかったので、役に立たない人はいたので新しい問題ではないよというお話がありました。その後、宮永先生の方からニートという全く新しい存在の定義づけのところで二元論を持ち出してくるというのは、使う道具が違うのではないかというご指摘がありました。これに関して私の答えは、宮永先生のご指摘は私の表現の問題です。どういうことかというと、これは言い訳ではなくて問題提起として聞いて頂きたいのですが、存在自体は確かに何もしない存在というのは昔からいたと思います。その通りなのですが、それが今急激に定量的なデータとして、急増しているのは何かというとやはり集団主義が良いのだというふうに、一方向に動機づけされていたのが、いや個人主義でなければグローバル化時代を闘い抜けないと急に変わったことによって、立ち往生している存在に、立ち往生している人たちがニート的存在の中にいっぱい出てきたので、嵩が増えて急増しているというふうに捉えています。それで、そういう価値基準、そういう精神状態にあるいわばニートらしいニートというか、そういう存在というのは、宮永先生のおっしゃる通り新しい存在だと思います。
これを記述するためには、新しい表現が要るんじゃないかと思っています。パラダイムが変わったのに二元論とおっしゃったのは、まさに私もその問題意識は感じています。今のパラダイムは何かというと、いわゆる量子力学からの転用が社会科学の中でも流行っていますけれど、不確定性原理ではないですども、存在そのものを観測者が、特定のもの、時で特定できないのが現在のパラダイム的な思考になると思うのです。私もやりたかったのは個人主義者と集団主義者をなぜ行動とアイデンティティの問題に分けたかというと、一つに特定されるわけではなくて、その人その人が例えば会社にいるときには自分の給料を最大化するために、特に妻子がいる人は経済合理的に動くわけです。もちろん奥さんも子供もいない独身貴族の場合は、自分の趣味的な興味を最大化するように動くこともあるでしょうし、その一方その帰りはクラブで踊っていくとなると、そのクラブでの人付き合いというのは、自分が格好良く見られるために、あるいは異性をゲットするために適した行動をとる。その場合、場合によっていろいろ振る舞いが変わる。それを個人と集団、組織というものに照らし合わせてみると、ある特定の存在として表現で固定することによって、ニートらしいニートというのは捉えられなくなるのではないかというふうに自分では思っていて、捉えられなくなるよということを証明するために、二元論の限界を示すために二元論を持ち出してきてるところがあります。
では捉えられないものを記述するには、どうすればいいのか、というところで実は表現に悩んでいまして、ネットワーク論の延長線上で、ちょっとこの集団主義、個人主義の要素というのをパラメーターにして人工生命でプログラミングして、ソースコードで説明しようとかいろいろ考えているのですけど、まだ表現しきれていないという状態です。
宮永:はい、では池松さんどうぞ。
池松:はい、池松と申します。出版社の方に勤務しております。今お話を伺っていて非常に感じたのは、先ほど南部君が言っていたことと非常に似てまして、村中さんがおっしゃっているなぜニートが今問題になっているのか、ということに対する説明として伺っている限りで非常にしっくりくるのは、個人主義と集団主義の対比ではなくて価値づけの問題なのではないかと非常に感じました。その意味で永澤さんが説明されている仕方が非常にしっくりくるのではないかと思っております。ニート自身の定義というのが、自身がニートであることを認めているという、自身の価値づけをきちんと自分で自覚しているというところにあるんじゃないかなと思っておりまして、永澤さんも先ほどおっしゃっていましたけれども、ニートの存在というのは非常に当たり前になってきていて、2ちゃんねるとかはまさにニートがネットワーク化できる場所になっているのではないかと思っています。その意味で考えますと、個人主義、集団主義というよりも自分自身の価値づけの問題として今浮上してきているのではないかなというふうに非常に感じています。やはりその意味では永澤先生の説明というのが、何かしらの後押しになっている感想を持っているのですけれども。
宮永:大越さん、お願いします。大越さんを「さん」と言うのは高校の同級生だからです。
大越:私も宮永さんと言います。(笑)先ほど15年前から議論しているという話の中で、何を展開したかというと、我々エンジニアの社会で、ヨーロッパもアメリカも同じエンジニアの仲間で議論するのですが、その中で一つネットワーキングという言葉は、普通はアイデンティティが同じ人がネットワークを築くのはネットワーキングと呼んでいるのですね。ですから、例えば協会に入って下さいとか学会に入って下さいという冒頭に何を書くかというと、ネットワーキングと書くのです。大体ヨーロッパでもアメリカでも、パンフレットを見て下さい。そう書いてあります。
そういう中でアイデンティティに入り込んでいくのですけど、我々80年以降何を議論したかというと、実は我々の世界だけじゃなくて、音楽とか文化も皆そうだと思うのですが非常に高度化しました。細分化したんですよね。物凄い細分化してしまったわけです。これは何を意味しているかというと、実はアイデンティティそのものが多様化しているだけなのです。あるぼやっとしたアイデンティティそのものが、自分の周りに10個くらいしかなかったのが、今多分100個くらいになってしまった。それで自分で付き合えなくて、自分のアイデンティティはいっぱいあるけれども、多分選ばなくちゃいけないという中でまごまごしてくるのではないか。それと同時に、小さい社会だと決められてますよね。人生というのは。例えばフランス行ったってドイツ行ったって、我々議論していると人生ってあんまり選択の余地はないのですよね。つまりアイデンティティが決められていてほとんど人生その村を出られない、職業は何だ。そういうのがみんな決められていく。
そういう中で戦後日本はあまりにも解放されすぎちゃって、つまり小さなグローバルの中であったって、それはもうグローバリゼーションの中に入っちゃったんですよ。仕方なく。本当は人生は決まっていた方が楽なのです。僕の中学時代ですと、半分の人が就職しています。50%は就職なのです。今50%は大学へ行くのです。だけどそんなにアイデンティティを持った人間ばかりが行っているとは思わないし、そうすると周りに食べるものがいっぱいあるとあれも食べたい、これも食べたいと気が狂って死んじゃうのかなという感じがするのですよね。
そういう中でエンジニアという生き方を例えば欧米と日本で見たときに、非常に違いがあります。僕が今日本で展開しようとしているのは、普通学生時代にエンジニア協会に入ります。全てそこに行かないと職業が成り立ちません。オーストラリア行こうとみんなどこでも同じです。学生が自分の職業的アイデンティティを持つのです。それはだから、自分の生き様というアイデンティティをまず持たされる。そして社会に出ていくわけです。ところが日本というのはまず会社に入るわけです。全部倫理なんか会社ですよ。だから職業人として大事なのではなく、企業人なのです。そういう中でパラダイム転換してしまったわけです。つまり、バブルが弾けて全部リストラして教育も止めだと我々はそれをやっているわけです。それが十年前に始まっていく。それまで我々は大学に対しても、いや基礎ができればいいよなんてあまりはっきり言わなかったわけです。入社の一番の条件は、一に体力、二に気力なんて平気で言っていたのです。ところが今企業はあっという間にパラダイム転換してしまった。能力がなければ駄目と、たった十年ですよ。そういう中でアイデンティティというのは、いかに多様化したかという中で先ほど言いましたように、実は我々はアイデンティティこんなになっちゃってどうするの、そういう中でもうちょっと自由度を小さくした方がいいのではないか。そういう意味で僕は大学生に我が協会に入りなさいと。(笑)そうすれば会社なんかどうでもいいと、人生うまく行くよという宣伝、キャンぺーンを今しております。以上です。
宮永:それをもっと早く知っていれば良かったのですけどね。(笑)はい、他にどなたかありますか。南部君どうぞ。
南部:まず、先ほどから論じられているようにニートが何故今注目されてきているか、という点についてですが、集団主義と個人主義に関しては僕はあまり変わっていないのではないかなと思います。まず日本人の自己の一貫性を求めるのが、帰属意識に基づいているというのが集団主義だと思うのですが、それはまだ変わっていない。ニートが注目されている理由としては、グローバル化で今まで日本の会社のシステムがうまくいかなくなってきた。今までの労働力ではない、もっと流動的で好きなときに確保できる労働力としてフリーター、もしくは派遣で派遣される能力のある人が必要とされるようになってきた。その時に必要とされていない人、もしくはそういうシステムの中の一部になるのを拒否する人がニートなのではないかなと考えました。
宮永:そうしますとシステムを積極的に拒否する人がニートなのですか。積極性がそれだけあるんだったら絶望してはいないわけですか。先ほどから絶望しているという、絶望ってどういうことなのかよく分からない。でもこれ一言だけ言わせて頂くと、クラシックな社会学ではアノミーと言っていたと思うんですよね。こういうのって。
永澤:私がさっき絶望しているって言ったのは、意識されている必要は毛頭なくて、特に希望という言葉と無縁というか、肌が合わないとか何かそれなんで、とか全部含めて言っているわけで、むしろ希望をポジティブに持っている方が意識されていないといけないので、よほど何か目標がある人とか珍しいのではないか。比較的幸運なんじゃないかというのがあって、さっきちょっと印象として絶望しているという側面が強く伝わり過ぎたので、それはそうではないのだということです。
宮永:絶望という価値を持っていないのですよね。
永澤:それは価値じゃないですから。
宮永:いや、絶望だって価値になりえると思うんですよね。
永澤:それは物語ですからニートは違うんですね。
宮永:そう、だからニートはそういうものは持っていない。アノミーの場合は、持っていないんですよね。そういうものをね。だからそれをアノミーと言ったと思うんですが、そうするとすごくクラシックな状況のように思えてきたんですけれど。
永澤:十年前どころか、60年代から引きこもりの第一世代と言われている人たちは出てきているわけです。問題になり始めているのは、不登校とかそういったことは70年代に、60年くらいに、私もその世代ですけれど産まれた人が学校に行かなくなったり、脱落していったりする頃からです。落ちこぼれということで、問題として、はっきり社会問題としてターゲットにできるのはすでに70年代の初頭ですから、そういう意味では40年、30年くらい前ですけど、私の用語では昔ながらの問題ではないわけです。70年代以降というのは。
大越:まあ我々の時代が悪いことをしたといえば、(笑)宮永さんも同じなんだけど。本当は、ここまで言及したくなかったのだけど、実は60年代後半で学生運動やりましたよね。あれは何かというと、知性を壊したのですよ。知性を壊すことは何かというと、学ということの根本を叩き割ってしまったのです。つまり価値観を全く無にしたところで、それ以後はずっとおかしな問題が出てきて、と僕は思っております。同世代の方。(笑)
宮永:全く同世代です。いや、私は学生運動に関して被害者だと思っています。いろんな意味で、学生運動をやってた人と話し合って説得して、向こうが説得されちゃって、もっと上の人が出てきてあいつとは口聞くな、という話になったりその後もいろいろあったんですけど、それはそれで良いのですが。
そうではなくて、やっぱり日本は裕福になったので、学生運動も丁度裕福になる、貧しかった日本から、裕福になるところに出てきたのだと思うんですよね。学生は身軽だからそういうことをやったので、それ自身は力が無かったけど、やっぱり学生だから自分がやっていることが何かすごいことだと思いたかったのだとしか私には思えないのですね。それで当時だってクールな人はいたので、学生があんなことをして時代を変えられるかと思っていて、そういう人たちが上のジェネレーションにいらして、ここにもいらっしゃいますけども、クールにそれを見ながら運動した人や何かをあとから取り込んで、力にして日本の繁栄の時代を築いたと私は思っているのです。それでその結果、周辺的なところにもお金が回りだしたので、60年代までは脱サラしても成功しなかったわけですよね。本当に会社がいやで、脱サラした人たちというのは、結局は挫折してしまった。ところが、70年代の後半から80年代になると、脱サラしても生きていけるようになったわけですね。90年代に入ると、経済は右肩上がりではなくなったかもしれませんけれども、周辺に結構お金があるので、会社に必ず属さなければ食べていかれないということはなくなったわけです。
だからこそ、このニートという言葉が出てきているのだと思うのです。これは、村中さんには電話で言ったのですが、この最初の部分もそうだと思うのです。これは確かに頭文字なんですけれども、頭文字が、これスペリングも違うのですけれど耳から聞いたときに「neat?」なんですよね。この人たちはイギリスだったらば、階級に属していないのです。そこがすごくニートなんですよ。それは英語、アメリカ語で言ったら、アメリカ人だったら「cool」というところなんです。それをイギリス人は「cool」と言わないから、「neet」なんです。すごく「neet」だと思うのです。階級に属さないで。どこかよく分からない社会空間のあいだを浮遊している。それが、どんどんプランクトンのように、増えていくというのは、すごくニートだと思うんです、ある見方をすれば。
その人たちは、学生運動と同じなんですよ、要するに、当時の。その人たちに本当に階級を解体する力があるかといったら、無いと思うのです。この人たちはどこかに定着すると、すごくスノビッシュで、元から何代か階級でいる人たちなんかよりはずっとひどい階級主義者になるし、下に人を使う時には容赦なく使うようになったりするわけです。浮遊しているあいだは、人畜無害でいいのです。数が多いというだけで。ところがそれを日本に輸入してきたときには、そういう新しい状況よりもニートという言葉を借りてきて、でもこれ村中さんの論ですよね、借りてきて換骨奪胎して、階級の話はどこかに飛んでしまって、古いアノミー論を新しくして、面白いというところにきたんじゃないかな、という感じがするのです。15年前に、そういう周辺部ができてきたという本を書いたんですけれど、日本では誰も興味を持ってくれなくて、それで英語で書いてアメリカで出たのですけれど、日本に帰ってきて発表したら仲間からは総すかんを食ってしまいまして、宮永さんはそう言うけど、そんなものはないとか言われて、それでないとか言っているうちに孫さんとかいろんな人が周辺から出てきたわけです。私の理論というのは、周辺が、グローバル化ではむしろ真ん中の親方日の丸の護送船団なんかよりも、ずっと外の世界、つまりアメリカとかアジアの国とかにリンクできるということを言っているわけです。それで孫さんなんかまさにそうだと思うんですよ。日本にいても絶対に東大にも行けないし、東大に行ったって駄目かもしれないので、アメリカに留学して今度そこで力をつけて日本に帰ってきて大成功したわけです。大成功する社会空間はあるけれども、人を育てる社会空間はないのですよね、日本には。それは大学で教えていて痛感しました。多分企業でも同じではないのかという感じはするんですけどね、いかがでしょうか。
だから、パラダイム転換をやっぱりするというのは、すごく難しいなと思います。ここはパラダイム転換が必要なんですよね。それで見るとか見えるという話になってくるわけです。つまり中心の親方日の丸の人たちからは、周辺がどんなにできてきても、それはやっぱり誤差であって見えないのです。存在しないのです。だから、、、、ここからは愚痴になるのでやめます。(笑)では小澤先生よろしくお願いします。ここから先、そんなところなんですけれども。だからこそ、パラダイム転換をどのように私達自身一人一人の問題として、扱うことができるのかということなんですよね。誰かのために、パラダイムを論じてあげたり、それから定義をしてあげたりするんじゃなくて、要するにだから今どうするか、ということなんです。簡単に言っちゃうと大越さんの学会に入るか入らないかとか、そういうどうでもいいような決断が、その一つ一つが重要なわけです。それなんですよね、結局。それをするのに何かグローバル社会とかパラダイム転換とかパラドックスとか聞きなれない話をしなければいけないのが、やっぱり今の状況でそんなものつまんないなあと思うと、アノミー状態になってもういいや、考えなくてもいいからニートに生きようという。でも語感の良い意味でのニートにはやっぱり(生きる?)ことができないらしいですね、今日の話では。そうなるとますます難しいですね。でも、それをここで個の問題として論じたいと思います。皆様、どうか分科会にいらっしゃって下さい。あと5分ですが、これで今日はおしまいにして、約20分後に懇親会が始まります。すぐここを懇親会用に作り変えて頂きます。お開きにする前に自分はこれだけはどうしても一言言っておきたいと言う方。ではなければ、終わりに致します。どうも有難うございました。
Copyright(C) 2005.1-,Kuniko.Miyanaga & Nagasawa Mamoru(永澤 護)
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