05


永澤 護
*テーマ:「この私は他人より、生存に値するか」という価値軸に沿って、我々一人ひとりが際限なく階層序列化されていく社会的過程⇒「汎優生主義(Pan-eugenics)」
1.社会的過程としての<我々自身の無意識>の基礎論的位置づけ
*我々が、次の一連の質問に答えることを想定してみたい。質問は、次の三つである(配布資料参照)⇒<我々自身の無意識>としての「汎優生主義(Pan-eugenics)」
・遺伝子の改変という技術的過程の<我々自身の無意識>を介した社会的継承:個々人の選択に際して、技術的な力による子どもの生産という現実が強制力として作用する
・人の属性の序列化は、属性の序列化に応じた、そのような属性を持った人の生存自体の序列化でもある⇒属性を序列化する価値観=生存それ自体を序列化する価値観
:「遺伝子疾患」という属性を持った人の生存は、そうした属性を持たない人の生存に比べて「より価値が低いもの」であり、「本来はその出生(生存)自体が予防され得た」という社会的強制力
・そうした強制力が偏在する世界のイメージ⇒「遺伝子改変により難病等の属性が除去された状態」と「いまだ除去されていない状態」という階層序列がつねにすでに前提されている世界
・耐え難く退屈な世界:無意識に置ける「もはや、あるいはつねにすでに、すべては超微細レベルで決定されている」という言表の際限のない反復
:個々人が<我々自身の無意識>に直面するという事態はあらかじめ排除されている。
・遺伝子改変という自らが選択した行為の責任=応答可能性(responsibility)の引き受け⇒もし我々が、種を改変し得る選択をなし得たとしても、その選択の時点から際限なく続く時間の中でのヒトという種の変容に対する責任=応答可能性を負うことはできない
⇒原理的な無責任あるいは応答不可能性
2.「汎優生主義」の展開―「ユビキタス社会」の登場とデータベースの実践
・事例:「遺伝子の個人差を90分で解析 理研などが共同開発」(2005年09月27日19時39分 asahi.com)「1滴の血液から約90分で遺伝子の個人差を解析できる装置を、理化学研究所と島津製作所、凸版印刷が共同開発し、27日発表した。来秋の製品化を目指す。遺伝子の個人差は薬の効きやすさや副作用に関係しており、解析が簡便になることで、病院での薬の選択に生かすなど「オーダーメード医療」の実現に貢献するという。 調べたい人の血液を入れると、含まれるDNAを自動処理し、約90分で検査結果を出すことができる。従来は血液からDNAを抽出する操作などに手間がかかり、解析に半日以上かかっていた。装置は事務机の上に載る大きさで、病院が導入しやすいよう500万円以下での販売を目指す。 ある種の抗生物質で難聴が引き起こされる個人差や、血液を固まりにくくする薬の効きやすさを左右する個人差の検出で、装置の性能を確認した。何を検査するかは1人ごとに取り換えて使う検査チップ(1個数千円程度)次第だが、1回の検査で最大24カ所の遺伝子の違いを調べられる。米国では、抗がん剤の効きやすさの予測で、こうした検査が実用化されている。どのような遺伝子を対象にした検査チップを販売するかは、来秋までの研究動向をみて決めるという」
・我々は、マイクロチップに定着され可視的なものとなった自分の遺伝子を自分の好きなように改変できるチャンスに直面する。このとき「汎優生主義」は、より生存に値する存在に我々自身を改変する際限のない志向性として機能する。
・「汎優生主義」が社会的装置として配備されたものとしてのデータベース装置 
3.事例としての<ヒミズ>――汎優生主義のリミット
・『ヒミズ』:「より生存に値する/値しない」という価値軸が浸透した<我々自身の無意識>が偏在的なものとなった世界における個人の問題をその限界地点において提起した事例
少年の言葉の分析:第一巻
[1] オレは「自分も特別」などと思い込んでいる「普通」の連中のずーずーしいふるまいがどうしても許せん ぶっ殺してやりたくなる」(1-7)
*「普通」というテーマ:<普通/特別>という階層序列
[2] 「情けない奴だ 実に情けない お前 超弱い遺伝子」(1-13,14)
*「普通」の自己矛盾的性格の根底には、強/弱という階層序列が存在している。
[3] 「……それより何より ……たまに見える…… お前は何だ!!? ちがう! ちがうぞ!! …あれは目の錯覚だ! オレは普通だ! …正常な中学生だ!!」(1-47,48)
*「普通」へと飲み込まれていく「正常」とともに、少年の自己もまた拡散していく。
[4] 「…オレと正造は高校へは行かない…… 中学出たらすぐに働くんだ(中略)オレはここでのんびりボートを貸す たぶん一生… ここには大きな幸福はないがきっと大きな災いもないだろう オレはそれで大満足だ どうだ? お前からしたらクソのような人生か?」(1-51,52)
*「お前からしたら」という階層序列化の眼差し
[5] 「正確に言うと元とーちゃん オレの中で「死んだら笑える人」No.1の男だ 世の中にはよ… いるんだよ 本当に死んだ方がいい人間が 生きてると人に迷惑ばかりかけるどーしようもないクズが」(1-54)
*<我々自身の無意識>によって治療・矯正不可能とされる者との遺伝的つながりとしての親子関係の受容不可能性は、否定することもできないという葛藤と不可分である⇒親(であった者)を受容できないが否定もできないという袋小路
[6] 「…オレは勝負しない… 夢というリングに上るどころか見もしない だから殴られる心配もない…… オレの願いはただひとつ…… オレは一生誰にも迷惑をかけないと誓う!! だから頼む! 誰もオレに迷惑をかけるな!!!」(1-62,63)
*「汎優生主義」への無意識的抵抗の不可能性⇒少年の欲望は、自らを放棄して階層序列からの離脱を試みるという最も危険な形を取る。
少年の言葉の分析:第二巻
[7] 「…たまたまクズのオスとメスの間に生まれただけだ… だがオレはクズじゃない オレの未来は誰にも変えられない 見てろよ オレは必ず立派な大人になる!!」(2-21)
*クズである他ないオレはクズじゃない(オレはクズである他ない…)という際限のない袋小路:「立派な大人」という見守る者がいない世界において、「立派な大人になる」という宣言の意味は、他者の欲望を欠いた(同時に自己の欲望を失った)オレが自滅へと向かうことでしかない
[8] 「…… ……死ね みんな死ね」(2-55)
*他者が欠如しているため、少年にとっての他者は全くの空虚としての「みんな」に置き換えられ、この「みんな」へとオレの空虚さが投影される。オレ=みんな=他者一般が攻撃対象となる⇒自爆テロ
[9] クソォ!!! 全部あいつだ! 全部あいつのせいだ!! お前のせいでオレの人生はガタガタだ!! いつもみじめな気持ちでいっぱいだ!! わかるか!! お前はオレの悪の権化だ!! 死ね!! 死んで責任をとれ!!(中略)もう…ダメだ! もうダメだ!!」(2-83,84,85)
*父=象徴的秩序の空無化:<宿命=我々自身の現実>の生成。
[10] 「…オレが普通じゃないからこんな事になるのか?… ちがうだろ? …オレじゃなくたって………」(2-103)
*「普通」からの脱出はもう不可能だ、またはもともと不可能だったという叫び
[11] 「…悪い奴はどいつだ? …悪い奴はどいつだ? …オレはもう普通じゃないぞ…… 特別な人間だ…… 気を付けろ…悪い方で特別だぞ… ごみ同然のあまった命…」(2-115,116,117)
*「普通」が無際限に階層序列化される「汎優生主義」においては、「普通」はいかなる「普通じゃない」事も潜在的な序列として内包する⇒どんな不幸(普通じゃないこと)も、結局は相対的な評価/階層序列化の対象=「普通の事」に過ぎない
少年の言葉の分析:第三巻
[12] 「要するに クズとクズの間に生まれるとそいつもほとんどクズになると… そんなクズ遺伝子は世の中からなるべく早く滅びる方向でって事か? 厳しいですな~~~」(3-98)
*この認識を自分自身のこととして引き受ける<自己>の消失
[13] 「世の中には頭の悪い奴がたくさんいるんだ…そういう連中はいくら考えたってどうにもならない…じゃあどうする? …すべての答を行動で出していくしかないだろう?」(3-108)
*「頭の悪い奴」:他者との関係が、<我々自身の無意識>によって(生まれつき)乗っ取られ空無化した者たち⇒<我々自身の無意識>に駆動された「行動」のみが「すべての答」となる
少年の言葉の分析:第四巻
[14] 「自分で自分をコントロールする自信をなくすってのも…けっこう怖い事だな… …次のきっかけをもらったら自分がどう反応するかわからない… 自分で自分を信用できない… それは要するに「もうどーでもいいや」って事といっしょだろ? …すごいな… とうとう最低の無責任野郎に成り下がったワケだ…」(4-7,8)
*「責任」=他者の呼びかけに対する応答可能性の空無化。「最低の無責任野郎」=他者を喪失した自己の喪失状態
[15] 「わかってる そんな事は分かってるんだ…… …………バカがバカを殺す…それでいいじゃないか……」(4-70)
*無際限の階層序列化のプロセスに組み込まれた個々人の生存は、「余すところなく完璧に対象化されてしまう」という意味において、生活世界における居場所と足場を失う
少年の最後の言葉
[16] 「………やっぱり………ダメなのか?… ……どうしても…無理か? (……決まってるんだ)…そうか……決まってるのか……」(4-182,183)
*他者を欠いた時空における<幻視>と<幻聴>の強制力のもとで、少年が追い求めた「普通」という生存の行き着く先=死が、<宿命=我々自身の現実>として少年に告知される。少年にとって、「普通」とは、声=幻聴となった<我々自身の無意識>が、すでに決定済みの<宿命=我々自身の現実>として告げる自滅=死を意味する
*附論:<我々自身の無意識>に照準した<言表分析>の方法論⇒「普遍化された優生主義仮説」の妥当性を検証する試み
*仮説は、遺伝性疾患の診断、治療、予防に関わるハイテクノロジーによるQOL(生活・生命の質)向上としてイメージされ得る事例に関わる。さらに、ここでの「ハイテクノロジー」は、より広く遺伝子改変という技術的介入の総体とする。
*次に、仮説の基本成分としての「普遍化された優生主義」を、「この私の(または誰かの)生存(+)が、他の誰かの生存(-)よりも一層生きるに値する」という言説によって明示化され得る信念とする。この信念は、通常<我々自身の無意識>という暗黙のレベルにとどまる。<言表分析>は、上記「普遍化された優生主義」が充当された<我々自身の無意識>を、分析の過程を通じて言語化(対象化)する試みである。
*「この私の(または誰かの)生存(+)が、他の誰かの生存(-)よりも一層生きるに値する」という信念は、正/負(+/-)の価値軸としての一元的な価値尺度を前提している。よって、この信念は、「個々人のQOLは、正/負(+/-)の価値軸としての一元的な価値尺度により階層序列化可能である」という信念に置き換えることができる。
*さらに、この信念は、「正/負(+/-)の価値軸としての一元的な価値尺度の基盤となるテクノロジーの介入による個々人のQOL向上は正当化され得る」という信念に置き換えることができる。
*<我々自身の無意識>としての「普遍化された優生主義」は、「会話的文章完成法(Conversational Sentence Completion Test)」を活用したアンケート調査結果の<言表分析>を通じて言語化(対象化)されると仮定する
*「普遍化された優生主義仮説」:ある個人Aが、「この私の(または誰かの)生存(+)が、他の誰かの生存(-)よりも一層生きるに値する」という言説形態において明示化され得る無意識的信念を持つ⇒この信念は、より簡潔に言えば、「この私は他人より、生存に値する」という無意識的信念である。逆に言えば、「他の誰かが、この私より生存に値する」となる。
*言表分析によってその妥当性が検証される「普遍化された優生主義仮説」:
ある個人Aが、「遺伝子改変という技術的介入による個々人のQOL向上は正当化され得る」という言説形態において明示化され得る無意識的信念を持つ
*補足:<我々自身の無意識>は、さまざまな言説実践を通じて構成される社会的コンテクストを媒介するレベルとして想定される。<言表分析>では、発話行為や書く行為として反復される一群の言説を「言表」として主題化する。この意味で<言表分析>は、被験者による会話的文章の完成という言説実践を通じて生成される言表群の分析である。この場合、被験者の言説実践によって完成される会話文が分析対象としての言表群となる。これら言表群の生成過程を媒介する文脈を追跡する<言表分析>により、<我々自身の無意識>の考察が可能になる。

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