5日の昨日も、午前中雑用をして午後より射撃場へ行き、3ラウンド撃つと、どうにもこうにも遊び疲れがたまっていて、思うように銃さばきが出来ません。
4ラウンド目を撃ち始めると、飛翔クレーに銃スイングを全く合わせられなくなり、引き金を落とすタイミングも全く合わせられず、それでも25枚を撃つと、何と!、練習セットクレーで当たったのは10枚、それも、どうにもならない状態で2の矢も入ってですから、まともに撃てたのは7枚くらいの散々たる射撃でした。
結論としては、スイング時に腰のためが全く効かなくなり、飛翔ラインに銃スイングが出きず、引き金を落とすタイミングも全くずれてしまい、射撃にならずで、歳のせいか体力がなくなった為かは分かりませんが、今までで初めての体験でした。
連休最終日の本日は、銚子射場大会へ参加予定でしたが、このような体調で参加しても意味は無しと、仲間に不参加との連絡をしました。
そんなこんなの事情で、遊び大好きの私も本日はのんびりとガーディニングです。
ケーヨーD2にてゴーヤの苗を買ってきて、日よけゴウヤを植えつけ、庭の草取りをします。
その後に、先日消毒をした植木松の新芽を摘み取ります。
明日は雨とのことですので、草取りはほどほどで終了として、雨上がり後に、庭木松の大きい方の新芽摘みをし、その後に松の葉をすっきりとはずしていき、松をさっぱりスケスケに仕上げていく予定です。
私が本日立てた日程は、母親の墓参り、庭の草取りと庭木の手入れ、日よけゴウヤの植え付け、冬物衣料の整理でしたが、庭木の大きい松の手入れまではいかず、冬物衣料の整理も出来ずでした。
しかし、予定通りにはいかずは世の常ですから、遅れてしまった母親の命日の5月一日の墓参を本日午前中にすまして、終戦後に我が家に嫁いで、私の放蕩父親のおかげで姑にいじめられ続け、苦労三昧を目のあたりにしてきた私には、母親の辛さと、我慢と辛抱だけで生きてきたと言う思いの人生に、憐れみを感じてしまうのです。
私のお袋は、終戦時の当時としては間違いなくスタイル良しの美人で、金持ちのお妾の話もあったと聞いていますが、当時まだ地元の良家であった私の家に嫁ぐことにしたようです。
これが、私の祖父母の長男で生まれた、ダメ長男の典型の放蕩父親で、一般庶民では到底できない、登山にスキー、当時では先進のカメラに入れ込み、当然猟銃も所持していて、カメラと登山は相当入れ込んだようで、私の幼少時の記憶ですが、6畳間の押し入れが暗室で写真の現像をしていた事を思い出し、水平2連猟銃の装弾を、秤を使って手詰めで作っていたことも懐かしい思いでですね。
私のお袋の歩んできた人生は、昭和を生きてきた女性の多くに当てはまるのではと考えられます。
今の日本は、素晴らしいほどの自由に満たされ、働くことさえ惜しまなければ、食べていくことに不安は無しであり、努力もそこそこに報われる仕組みになってきています。
その中で我が日本国の経済矛盾を言えば、我が国に貧富の差が大きくなった元凶は人事院勧告その物であり、経済を論じる前に人事院勧告を深く考察すべきである。
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