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こんなスーパー、いりません。 0
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慰謝料も払うことなく離婚したうえに、私のお店の処分で得たお金をを持ち逃げしたのだから、せめて、子どもの学資保険の満期受取額を、子どもの大学の授業料に! 子どもは、理系大学を2年在学し、中退。そして文系大学に入学しなおして、現在2年在学中。まだまだ、学費がかかります。 子どもの学資保険は、子どものためのもの。明治生命の学資保険です。そちらの家族の無駄遣いにしないでください。 このブログを見た、カスミの方、元夫に伝えてください。
2009年09月13日
私が、薬漬けにされ、神経の病気にされていたとき、母親と関係していた、あ、くじ、な男と夫は、私の店の処分をしたお金を手に入れたらしかった。5年ほど前の職場の女性数人がひそひそ話をしているのを漏れ聞いた。 私は自分の店を持つのが夢で、独身の間、無駄遣いせずに、こつこつと貯めたお金で、結婚後、店を持った。夫婦関係が結婚当初から思わしくなく、離婚後、独立できるようにと考えてのことだった。結婚していることから、夫の許可を得なければならない。夫が許可したのは、人も車も通らない、商売には不向きなところだったが、夫に従い、その場所で洋服の店を3年ほど営業していた。一輪車操業で3年続けたものの、これ以上は無理と、閉店の準備を始めていた矢先に、取り押さえられて入院させられた。 退院すると、洋服も棚(100万円以上した)も処分されていた。「処分料がとられたから、まったく金にならなかった。」と、夫は言った。私が処分していたら、いくらかのお金が残せたはずなのに、しょうがない人だと私は怒ったが、まさか、お金を懐に入れて、知らぬふりをしていたとは、思いもよらなかった。 ところが、このとき、処分したお金を頭金にして、あ,くじ、な男は、平成5年ごろ、土浦市にマンションを購入し、妻子と暮らしていると、ひそひそ話が漏れ聞こえて知った。元夫は、離婚後、銚子市にすぐ再婚した相手と生活しているらしい。あ、くじ、な男と夫は、いくら、山分けしたのだ?私からお金を横取りする目的で、私を障害がある人間にしたのか? だいたいに、まったく関係のないあかの他人が、何の権利があるのか? あ、くじ、な男に、多くの人間が加担するのか? 理解に苦しむ。犯罪だよ。
2009年09月13日
入院する必要のない私は、10種類ぐらいの薬づけにされた結果、運動神経と記憶に、障害が出た。 退院の半年後、事務員として働き始めた。事務所前の泥除けに、靴のかかとがひっかかり、前のめりになったとき、私は、そのまま、倒れて、顔をぶつけてしまった。鼻に少しの傷跡がついた。普通、運動神経が良くない人間でさえ、倒れそうになる際には、手で支えるために、顔から落ちることがない。高校生のとき、体育の5段階評価が5だった私は、常識の範囲内でさえ、運動神経の系列が悪くなったことに、私は、ショックを覚えた。 そして、パソコンに文字入力しようと、原稿を見て、パソコンに目を移すと、頭の中はまっしろで、入力しようとした言葉がまったくわからないほど、ひどかった。普通、人間の記憶は、5文字から9文字を、短期記憶で記憶できる。私は、退院後、5、6年ぐらいまで、この状態だった。わずか、2文字の熟語を入力するために、原稿を見て、パソコンを見て、これを、数回繰り返さなければならなかった。このとき、30代後半であったことから、老化現象には、まだ早く、記憶の神経経路がいくつか破壊されたのだろうと思った。 そのほか、入院前ではなかった、もろもろの、悪い症状のために、日常生活、仕事上、20年苦しめられてきた。
2009年09月13日
《モラルのない最低な出来事》 10年近く前、同僚から乳がんの検診を受けた方がいいと、何度も言われ、いつもは気にかけていないことだったのに、乳がんの検診を受けてしまった。 近くの、東京医大霞ヶ浦病院で。看護婦から、ブラジャーをはずすように言われた。スカートもはずすように言われ「?」と思ったが、たいていの人は、看護婦の指示に従うと思う。ショーツ1枚で、ベッドで横になっていた。すると、白衣を着た医師と思しき男が、にやにやしながら入ってきた。その時点で、ぞっとしたが、我慢した。さらに、乳がんとは関係のない、下半身へ目線がいっているのがはっきりして、不快だった。 にやつきながら、胸を触るのが、おぞましく、私は、目線を避けた。その後、この男は、ベッドに上向きに横たわっている私の上に、重なって寝そべってきた。(何。これ!)と思ったが、検診を受けたことがなかったので、こんなものなのかと我慢した。すると、看護婦は、その上から、バスタオルをかけてきた。(これが、検診?いやらしい) 私は、こんな耐えられないことなら、二度と受けないと誓った。 ところが、ところが、である。その後、4年ほどして、転職先の職場の同僚から、そのときの話を向けられた。誰にも話していないのに、なぜ? と思った。 私が医師の格好をした男から、胸を触られたとき、私が感じていたと、ありえない話に作り替えられていた。 誰が、検診で体に触れられて、感じるなどという人間がいるのか? 私は、そのときの耐え難い状況を思い出すだけでも、腹立たしく、さらに、まるで、私が喜んだ、いかがわしい女であるかのように、おもしろおかしく噂をされていると知って、屈辱に耐えられなく、今だに、怒りは収まらない。 その女性から聞いたことでは、その病院では、医師資格も、看護師資格もない人間が、「やらせてほしい」と頼むと、医師の代わりに患者の体を触ることが出来るというのだ。 医学的知識もなく、モラルについて学んできていない人間が、公然と女の体を触りたいために、白衣を着て医師のふりをしていることを、あ、くじ、を平然と行っているところが、病院なのでしょうか。 訴えたいけどね~。
2009年08月31日
1枚、2枚…。で有名な怪談。筋はいろいろあるようですが、私が若い頃に読んだものは、若い女が出来た夫が、、妻のお菊に難癖をつけては、家宝の皿をなくしていないか、うるさく言った。お菊さんは、毎日、皿の数を確かめて皿をなくさないように、気を使っていた。 夫は、お菊に毎日、毒を飲ませたことから、お菊の顔は、青く醜い様になった。 醜くなったお菊を離縁し、若い女と暮らし始めた男。 お菊さんは、お皿がきちんと揃っているのかが、気になって、家の中で皿を数えていた。醜い顔のお菊さんに驚いた若い女が騒いだことで、男は逆上して、お菊さんを殺してしまった。 殺されたお菊さんは、お皿がきちんと揃っているのか気になるので、死んでからも、お皿を数えるために夜な夜な現われて、「1枚、2枚…。」と数えた。錯乱した男が、お菊と若い娘を取り違えて、若い娘まで殺してしまうという筋でした。女が怖い。というのがほとんどでしょうが、男が怖いお話ですよね。お菊さんは、仕事をまっっとうするだけのまじめな性格で、脅かそうとして出ているわけではないと思います。男は、自分のわがままを押し通すためには、どんなひどいことでもするということです。被害者の会、会員より。
2009年08月14日
世の中には、理解の出来ないことが多いものです。が、その経験のない方には、取り違えた解釈をされるようです。 霊現象だけではなく、生きている人間により、憎しみや、そのほかのことが起きることもあるのですが、霊現象に関してはいくらか認知されている部分もあり、すべて、霊現象で、被害者が悪いと決めてかかるようです。 こちら側に、相手から恨まれることはまったくなく、相手側が、勝手にターゲットに狙ったというだけのことです。ストーカー被害者が、加害者を誘いこんでいないことと同じです。追い掛け回されている事に気付かずに、被害を受けていだけです。 結局、どんなに被害を訴えて、被害を打ち止めにしようとしても、被害者が悪いと見られているのですね。 虐待を続けた母親と共に、優秀を装いたい人間とが、ひとりの人間の存在を全面否定し続けてきた実態の一部を表明し続けていたが、私が最低と思われてるのだとわかりました。私は虚言癖があるのでもなく、どれだけ耐え難い目に合わされ続けたか、全てを表示するにはあまりにもひどいことばかりです。 高校を卒業しているのに、卒業していない馬鹿と侮られることが、私のほうに何の非があるのでしょうか。実際に高校を卒業しなかった人間の逆恨みで、事実と異なる噂を流され続けていた。…気付くのに、20年近くもかかりましたが…。 所詮、…、ですね。 これ以上、無駄なことは、やめにします。が、ほんのわずかの希望を持って、表示は続けます。
2009年03月28日
薬の説明もなく、薬の量が増えていく。話を聞いてくれない。診断を的確に行うことが難しい。薬の為に、病気がひどくなる場合など、さまざまな、うつ病の問題があった。 私が神経科と関わることになったのは、他人による悪意により、無理やり入院、何のための薬かわからないままに、たくさんの薬の処方をいきなり受けてからだった。 医者は、薬を処方してから、いきなり薬をやめると、大変なことになると、脅迫まがいのことをいうだけだった。病気ではない人間に対し、入院中の10種類ぐらいの薬は何だったのかと、退院後、医者に質問すると、馬鹿が何を言うのかという、見下した高飛車な態度で、侮り、患者である私を精神不安を起こす言葉を、ぶつけてきた。その言葉に、私の精神状態が不安定になったのを見て、ほら、おかしいじゃないかと侮る姿に、その部長先生へ、憎しみを抱いた。その後、数年間、何のための薬かわからないまま、この薬の為に、病気ではなかった者が、本当の病気にされてしまっているという、不信感の中で、飲んだり、飲まなかったりを、10年ぐらい続けた。薬を飲み続けたことで、薬をやめると、精神が不安定になってしまうことの繰り返しで、苦しんだ。 家の近くの、霞ヶ浦病院では、神経科を閉鎖するということで、その後、薬を飲んでいない。薬を飲まなくなってしばらくは、神経バランスが悪くなり、苦しんだが、5年以上も飲まなくなって、病院に入院する前のようではないにしろ、ごく普通に近くなってきた。 通院していたとき、医者は、カルテから目を離さずに、「どうでしたか?」と聞くだけで、こちらは、「変わりありません。」、そして医者は、「いつもの薬を処方しますね。」と、5分もかからずに終わっていた。 イギリスが国によって、認知療法を取り入れて、薬を処方しない方法を取っているらしいが、病気の診断が的確とはいえない状況では、薬をすぐに処方するやり方は改善していってもらいたい。
2009年02月22日
またしても、罪もない幼い子が被害にあった。被害者にも、将来があり、夢もあったはず。人間としての人権を、踏みにじられてしまった、被害者の声のない叫びが聞こえないのか?あまりに、自分本位の〔自分さえ良ければ〕の考え方が増えてしまい、被害者を、物以下と、捉えているとしか思えない。 被害者だけが泣き寝入りし、加害者が、のさばる社会、どうにか、ならないでしょうかね?
2008年09月22日
悲惨。これまでにも、色々な本を読み、ドキュメンタリーも、見てきた。さらに、悲惨さが良く理解できた。食料も武器もない、若者たちを、戦地の中へ、…。そして、捕虜となることを許さない。まさに、地獄だ。絶対服従の図式が、陸軍トップを、さらに、暴君と化すことになったのだろう。二度と、同じ、過ちは繰り返しては、ならない。戦争の状況把握が出来ていない、トップの甘さと、計画性のなさ、あきれるばかりだ。戦争の異常性、暴走性、冷静な判断が出来ないままに、突き進んでしまう、危険性を、十分に肝に銘じて、生きていかなければならない。 人間は、ひとたび、暴走し始めると、歯止めがなくなる傾向になる。戦争に限らず、人に対してさえも…。 己の方が上だ、上だと思いたい、そんな、くだらないこだわりが、人を執拗に叩き潰すことをする。絶対服従を、しむける人間は、皆、暴力的、暴走行動に出る。 己が欲求を満たすためであれば、他者はどのような被害を受けても構わないのか?逆らうことを禁じられた人間は、地獄の中で生きなければならない。基本的人権は、どこに?
2008年08月16日
祈り 二度と繰り返されることのないように。
2008年08月09日
信長の母は、弟を溺愛し、弟を跡継ぎにするために、信長を亡き者にしようと策略をしたらしい。信長は弟のみを、切ることで罰したが、母に対しては、子どもの立場として、罰することが出来なかった。 私は、信長の失敗は、母親を処分することができなかったことにあると思う。子の側である信長は母親をたてたのにも拘らず、母親の方は、最後まで、信長を失脚させることに執着していたのだろうと思う。 …、あくまでも、私個人の見解ですが。 私は、同じ間違いはしない。
2008年07月23日
絶対に、あきらめずに戦う。誹謗中傷を流してまでも、潰して、外堀を埋めたつもりらしいが、これまで直接、関わることもなく、これからも、関わることはない。絶対に、あきらめずに戦う。
2008年07月20日
毎日、眠い。ストレスがあると、眠い。事務用品の輪ゴムは、伸縮性がある。毎日、伸ばし続けると、すぐに切れて、使い物にならない。人間も同じ。切れて、使い物にならないように、休むことは、必要だとね。
2008年06月22日
加害者は、なかったことにしたいのかもしれない。なんとか、軽くなるようにと、考えるのかもしれない。 被害者は傷ついている。 事件そのことに、対しても傷つくだけではない。加害者側の正当化だてる言動にさらに傷つく。真摯に罪を認めてもらいたい。 被害者を何重にも苦しめるようなことのないように、と願う。
2008年06月06日
他人には、わからない悩みがあったのかもしれないが、どうして、自殺、という選択肢を選ぶのかな。 自殺するための準備をするぐらいだったら、次の自分のために、準備が出来なかったのかな。 自分の理想とする姿と、実際の現状が違うのなら、異なるこの現状の中で、納得のいく自分のあり方へと、変化し、進んでいくべきだと思うけど。もし、悩んでいる人がいるのなら、まだ、先は長い、死に急ぐことなどないからね。
2008年05月27日
ピーマンとなすが嫌いな私は、冷蔵庫にピーマンもなすもない。すると、ピーマン、欲しいだろ。なす、欲しいだろ、と余計なお世話で、うるさいのがいる。 他の人には、欠かせないからといっても、誰もが必要というものではない。ピーマン命、や、なす命、の人たちは、そんなはずはないと、しつこい。迷惑なんですけど。 お互いの価値観を理解できなくても、 それぞれ、異なるものであると、理解して欲しいよね。行き先は、人それぞれ。 誰も、邪魔立ては出来ないはず。
2008年05月02日
私が大好きな、ハンバーグやデザートを取り上げてしまって、食卓の上には、大嫌いな、ナスやピーマンだけがある。そして、食べやすく調理してしてあるのなら、まだしも、調理もせずに、並べてある。 そして、「さっ、好きなだけ食べろ。遠慮するな。」というのが、親や周りの人間たちだった。私は、嫌であっても、黙ってうつろに食べるか、何もしないかの選択しかない。 たぶん、不登校になった人たちや、不登校予備軍の人たちは、同じような思いがあるかと思う。 不登校になった人たちは、親や教師に対し、自己主張の一歩を踏み出すことが、出来たのだと思うよ。
2008年04月18日
出身地ではないせいか、周囲のあなどりのひどく、離婚後、大学進学を考えた。心理学を学びたくて、明星大学の通信教育で大学を卒業している。 教育と心理学を学ぶことが出来て、通学よりも割安の授業料で学べた。 虐待の傷や自分自身の理解をする上で、大学での勉強はとてもプラスになった。何か、自分の中のもやもやを、晴らす目的で、学ぶのも良いと思います。
2008年04月17日
子ども時代に、母親からひどい虐待を受け続けていた。周りへの言い訳に、私が知的障害があるから、ここまでしつけないとだめなのだと言っていた。誰もがそれを信じ、虐待を受けて当たり前と思われていた。テストの結果も、通信簿も母親に渡していたので、父親も弟も私がテストの点数がいいことを知らない。盛岡二高に、入れたことは、まぐれだと思っているらしかった。私は、あまり勉強をしなかった。予習、復習の仕方を知らない。それでも、成績は良かった。中学ではクラスの上位10番までの氏名を発表していたが、私は常に入っていた。馬鹿と思い込んでいた人たちからは、そうとうガリ勉しただろうと言われたが、そうではない。参考書も問題集もいっさい、持っていなかった。 高校入学後、クラス担任から、入試結果を教えられた。まったく勉強していなかった、数学と、国語の成績が良かった。96点と、97点だった。 公立高校の入試に不正はない筈です。私の成績の良いのを、カンニングだろうと否定しょうとする人間がいますが、入試でそのようなことができないと、誰もがわかることでしょう。
2008年03月22日
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