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当初、この 記事 (pdf)を見て、
続)能「聖パウロの回心」、文楽「イエスキリストの生涯」、観劇前の予習
何とも不可解だった、
なんで、311の鎮魂のための能と文楽に、
キリストが登場するのか??
後に、文楽の演目「イエスキリストの生涯」は、
英大夫がキリスト者であることを知り、
ナルホドと思ったものだが、能の観世清和は関係ないはず??
が、昨日、能の生い立ち・特徴・性格を見ていて、
個人的にピンと来たのが、観世清和 のこの言葉、
「そこには何の解決もないのです」、
「ただ彼らは無念を語り、生前の姿で舞い、
そして回向(供養)を頼んで消えていくだけです、」
なんとも、絶望的な言い回しだが、
この表現、自分には別のものを感じた、
わざと強調しているような、
この未解決が700年も続いてきたと言うのは、
すごいことであるが、その不条理(未解決)を、先代から、
エンエンと引き継いだ26代目の清和は、
おそらく、ズット考えていたのではないか、「解決は本当にないのか、」
その過程は知る由もないのだけど、
彼は、おそらく、
解決・回答を 見出したのではないだろうか、
ロマ書 8章 (文語訳)から
"21","然れどなほ造られたる者にも滅亡の僕たる状より解かれて、神の子たちの光榮の自由に入る望みは存れり。"
"22","我らは知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむことを。"
"23","然のみならず、御靈の初の實をもつ我らも自ら心のうちに嘆きて、子とせられんこと、ヲちおのが軆の贖はれんことを待つなり。"
誰かにより、 死んだ体・魂が贖われ、
新しくされ ることを、
死んだ体の贖い、復活のわざは、
先に、復活したものだけができる、
だからこそ、
キリストの復活劇を選択したのではないか、
そのクライマックスは、
パウロが復活のキリストと出会う場面である、
--> 使徒9章 (新共同)9:3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
9:5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
26代目で、世襲となっているからには、
個人的信仰を口に出すことは、おそらく禁じられていると思う、
それ故、ことの真実はわからないかもしれないが、
ひとつだけ、方法がある(と思っている)、
来たる311の舞台である、
憑依の霊が支配するといわれる能の舞台、
果たして、舞台を支配・跋扈するのは、何の霊だろう?
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