あきゅらのちょっと休憩

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天の故郷・・・



「しかし、事実、彼らはさらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。・・・」新約聖書 へブル人への手紙11章16節

誰にでもある故郷。それは、いつでもそこに行けば、安らぎと安心感がある。

しかし、ここでいう「さらにすぐれた故郷」とは、自分の生まれ育った故郷ではなく、天国である。

聖書はここで、何を言いたいのだろうか?

イエスキリストを信じて、自分の主として心の中にお迎えした瞬間から、天国に国籍を持つものとなる。そして、天国が新たな故郷となるのだ。そして、その新しい故郷は自分の生まれ育った故郷とは比較にならない、素晴らしいところである。

次のような実話がある。

昔、あるアメリカの宣教師が、アフリカで宣教師として40年間布教活動をして、任期を終えて、アフリカから船に乗って帰国の途についた。すると、当時のアメリカのルーズベルト大統領が同船していることが分かった。

アメリカに着き、船から下りる大統領を待っていたのは、真っ赤なカーペットと、トランペットの響きと、歓声を挙げて迎える国民であった。そして、宣教師が船から降り立った時には、既に真っ赤なカーペットも無いは、トランペットの響きも無いは、喚起の声を上げた群衆もいなくなっていた。

そこで、宣教師は心の中でつぶやいた。「神様。私はアフリカであなたのために、40年間の時間と労苦と、財を惜しみなく使い宣教活動をしてきたのに、私を歓迎してくれる者は何も無いんですか!」と。

すると、神様の声が微かに心のうちに聞こえてきた。「おまえはまだ、本当の故郷に来たわけではない。本当の故郷に来たときは、私はおまえを赤いカーペットどころか黄金のカーペットを敷き、トランペットの響きどころか万軍の御使いたちの、喜び歌う声で迎えよう。」と。

つまり、本当の故郷は地上ではなく「天」なのだ。この世での歩みは旅と同じである。旅を終えて本当の故郷に行ったならば、この世では想像できない程の素晴らしいところなのだ。だから、その「天」をめざし、私を信じ、私から永遠の命(天国に行ける保障)を受けて歩みなさい。と聖書は私たちに訴えかけています。

あなたも、この「天」を目指して歩み出しませんか?


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