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溝口~雨月物語 おすすめ映画


先週はかなり忙しい週だった。映画の作品データの更新と原稿書きが93本あった。その数日前に60本くらい。hpを見る時間さえなかった。
やっと書き上げて、ふぅ~と手にした映画が重い、実に重いが何故か魔力に負けてしまう帰来の映画「溝口監督の雨月物語」を観てしまった。観るのはよそうよそうと思いながらも、つい!観てしまったのだ。観始めたら、アカン!と思いしや、最後まで小生もその魔力に魅されてしまった。


琵琶湖周辺に荒れくるう羽柴、柴田間の戦火をぬって、北近江の陶工源十郎はつくりためた焼物を捌きに旅に上った。従う眷族のうち妻宮木と子の源市は戦火を怖れて引返し、義弟の藤兵衛はその女房阿浜をすてて通りかかった羽柴勢にまぎれ入った。彼は侍分への出世を夢みていた。合戦間近の大溝城下で、源十郎はその陶器を数多注文した上臈風の美女にひかれる。彼女は朽木屋敷の若狭と名乗る。注文品を携えて屋敷を訪れた彼は、若狭と付添の老女から思いがけぬ饗応をうけ、若狭のふと示す情熱に、もう彼はこの屋敷からのがれられなかった。

一方、戦場のどさくさまぎれに兜首を拾った藤兵衛は、馬と家来持ちの侍に立身する。しかし街道の遊女宿で白首姿におちぶれた阿浜と巡りあい、涙ながらに痛罵されてみれば、いい気持もしない。阿浜は自害した。日夜の悦楽から暫時足をぬいて町に出た源十郎は、一人の老僧に面ての死相を指摘される。若狭たちは織田信長に滅された朽木一族の死霊だというのだ。老僧からもらった呪符をもって彼が帰りつくと、朽木屋敷には白骨だけがのこっていた。源十郎はとぼとぼと妻子のまつ郷里へ歩をかえした。戦禍に荒れはてた北近江の村。かたぶいた草屋根の下に、彼は久方ぶりでやせおとろえた宮木と向いあう。しかし一夜が明けて、彼女も幻と消えうせた。宮木は源十郎と訣別以来、苦難に耐え、そして耐えきれずにすでにこの世を去っていた。源十郎は爾後の半生、この二人の女を弔いつつ陶器つくりに精進した。その傍らには、立身の夢破れて帰村した義弟、藤兵衛の姿もあった。

こういうあらすじだが、魅了される怖さとある種の美しさは怖いもの観たさのような京マチコ、森雅之、田中絹代の俳優器の大きさに脱帽する。能面のような顔付は戦乱の世の時代にワープしたかのような錯覚に陥る。知らず、振返ればぞーッとする浦島太郎のような死霊との時間経過も見事。夢また夢、女はあの仕業はやむなき仕業で理由があったというために、ついに結婚まで進む。女はしだいに禍々しい正体を指摘され、それなら男も改心するかというと、逆に哀れな女の性に吸引されていくという、徹底して不幸に魅入られた関係が三段階にわたって奈落に堕ちゆく構造である。


53年の作品だが、大凡溝口監督の作品には、奥行きが深い距離感のある陰影ある撮影方法が目立つ。「元禄忠臣蔵」の出だしを思い出してみれば、それは伺えるだろう。すべては映画のために作成したセット。シーンのためにどこぞの御城の協力を得たのではなく、それすらもこの時代に創りあげている。「天井桟敷」とは言わなくとも、当時の日本でここまで創り上げた監督は皆無だろう。幻想リアリズムの映像に肌身が凍りつく思いを抱く鑑賞者は小生だけではあるまい。思えば源十郎は類稀な陶芸家だったのだろう

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