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今回はクアラルンプールからバンダル・スリ・ブガワンへの移動をレポートします。私の旅行らしく酷い移動になりました。まあ、昨年3月の「北斗星4号強風で長時間停車缶詰、その上小牛田で運転打ち切り」よりはましですが…。【音声】AK796便出発アナウンス今回のレポートでは音声ファイルがちょこちょこ登場します。最初の音声は出発前のアナウンスです。エアエイシアらしい元気なアナウンスです。この時点ではちょっとディレイ気味でしたけど、順調な出だしでした。これがエアエイシアの機内です。最近はA320なんかももっているみたいですけど、基本は733です。シートは革張りなんです。非常に安い運賃の割にシートは豪華なんです。【音声】AK796便セーフティデモB737シリーズにはディスプレイは普通は積んでいません。セーフティでもも客室乗務員の実演+マニュアルアナウンスでした。これがJTAだとプリレコーディングになってしまい味気ないのですが…。【音声】AK796便離陸アナウンスいきなりアナウンスが間違っています。take offと言うべきところでlandingと言ってますね。離陸後1時間は順調に飛行が続きました。この航空会社の運賃は本当に安いのです。クアラルンプールからバンダル・スリ・ブガワンまでは飛行時間で2時間以上かかります(離陸前アナウンスでは2時間20分と言ってました)。この国際線の運賃は税込みで往復400リンギです。13000円くらいです。良いでしょ?。格安航空会社ですので、機内サービスはみんな有料です。この機内食は僅かに6リンギです。煮干みたいなのが美味しいのです。飲み物は3リンギでした。有料と言っても安いです。昨年の夏の南米旅行の時に乗ったアメリカ国内線の飯は5ドルもしましたけど、大違いです。まあ、あの時のユナイテッドのサンドイッチは美味しかったので5ドルは惜しくはないですけど。クアラルンプールからバンダル・スリ・ブガワンに限らず、半島マレーシアからボルネオ行きの便は大抵海岸沿いには飛ばず、海を飛び越えてすぱっと行くんですが、何故かボルネオ島の海岸に平行して飛んでいます。嫌な予感が………。【音声】AK796便ラブアン到着直後やはり…、ダイバードでした。ダイバードは実に久しぶりです。10年近く前に、東京→青森便で青森空港濃霧のため仙台空港に着陸という経験がありますが、それ以来でした。ラブアン到着直後のアナウンスです。着陸後でも理由の説明はありませんでした。会社の指示というばかりなり…。機外に出るのかどうかもこの時点では指示がありません。シートで待っていました…。【音声】AK796便ラブアンで機内待機中のアナウンス会社の要請ねえ…。座ってろと言われて静かに待ってました。タバコ吸いたい…。そのうち給油作業まで始まりました。おいおい、何分ここで待つのですが…、と不安になりました。【音声】AK796便着地変更理由の説明ぎゃっ。何と言う…。ダイバージョンの理由はブルネイ空港(バンダル・スリ・ブガワン)の爆弾騒ぎでの閉鎖だったのです。このアナウンスで、まともな遅れではすまないことを覚悟しました。【音声】AK796便 降機指示そのうち、こんなアナウンスで降機しました。ブルネイ空港の再開時間は判らない。従って、何時着くかも判らない。降りろ。とほほ…。とぼとぼ機外に出ました。降機した際に撮影した機材です。こんな塗装の飛行機に乗ってクアラルンプールからラブアン島まで来たのでした。この時点で、旅行先はラブアンに変更かなあ、と半ば覚悟しました。まあ、ラブアンはラブアンで美しいところだし、ラブアンから高速船でブルネイに入るのも面白いかな、なんと考えてました。ラブアンで貰ったエアエイシアのトランジットパスです(蛇足ながらトランジットパスとは経由便で経由地降機する際に再搭乗の確認を行うために配布する搭乗券みたいなものです、大抵は再利用するのでボロボロ)。エアエイシアは経由便は今は無いと思います。なかなか珍しいものを貰ってしまいました。ちなみに、エアエイシアのライバルであるマレーシア航空(MH)は経由便をバンバン飛ばしてます。こんなところも対照的なのです。ラブアンの保税区域で一時間くらい待たされました。保税区域に売店も食堂も無かった(正確には営業していなかった)ので辛かったです。一時間ほどで再出発となりました。ほっ。【音声】AK796便ラブアン出発直前もうこの時点で真っ暗になってました。完全日没です。この日はブルネイでの撮影は絶望になってしまいました。ああん。涙。【音声】AK796便ブルネイ到着ラブアンからバンダル・スリ・ブガワンは直ぐです。高速船で1時間かからないくらいの距離なのです。あっという間に到着しました。哀しいことに、到着が遅れたので空港バスの終バスが出てしまっておりました。空港バスなら1ブルネイドルで宿まで行けるのに…。タクシーに乗らざるを得なかったので25ブルネイドルもかかってしまいました。ブルネイは夜が早いのです。市内に着いた時には飲食店は殆ど閉まっていました。あーあ。ホテルの近くの安食堂しか開いていませんでした。この日の夕食です。ビーフンとプロウンセットです。ブルネイでは海老がたくさん取れるようで、妙に安いのです。このセットで7ドルでした。このまま寝るという気分になれませんでした。一枚でもいいから夜間撮影をしてやれっ、という気分になり、モスク(アリ・サイフディン・モスク)を撮影して、就寝したのでした。次回から本格的にブルネイレポートを開始します。「金満国家への旅路」というシリーズ名にした理由の一つはこれです。辿り着くのに随分苦労したからです。旅路って感じがしますでしょ…。【本日のマイレージジャンキー的な成果】再掲朝食(SUICA) 4マイル(JL)ポプラ(EDY) 4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/31
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こんばんわ、皆さん。最近、コメントへのお返事が滞ってました。いくつか、本文でご紹介したいコメントがございます。そんな訳で、いつもと少し違う書き出しです。maimi09さんのコメント 「パソコンショップ」三鷹駅の北口にはスリーホークスというパソコンショップがあります。(リンクは私が付けました)このお話に共感しました。私の実家は東京都下の某市なんですが、この街にも数年前にドスパラが出来ました。PCショップが近所にあるというのはいいもんですよね。安心感が違うのです。はい。まんぞうセブンさんのコメントすごい!すごい!パラパラマンガみたいに見えました。しかし、この最後って格納庫なんじゃ??こんなとこまで乗れるんですか?最後は格納庫ではなく、アイランドの駅なんです。この鉄道は車庫はないみたいでした。しゅう_shuさんのコメント面白いですね。どうやって動いてるんでしょう?動力は普通の電気モーターみたいです。レールから集電しているようでした。ガイド方式が微妙です。ケーブルカーに近い感じでした。単一閉塞区間運転ならでは、という感じでした。野々田 村人さんのコメントここは搭乗手続きした後じゃないと乗れない「日本にある外国の鉄道」ですよね。懐かしいです。流石は野々田村人さんです。上手な表現です。感服しました。日本国内では関西空港にもありますよね。日本のものは速度が遅いですけど、外国のは早いです。香港とクアラはまじでびびる位速かったです。修理屋マイスターさんのコメントまだ一度も、お目にかかったことの無いファーストクラスです。スターフライヤーのエコノミーは大変豪華ですよ。経営大丈夫かなぁ~今年4機目、5機目導入らしいです。スターフライヤーはビジネスジェット風の革張りシートです。もう高級感バリバリです。白いカモメか白いソニックみたいです(以上です)。九州の方は高級感のある移動手段に恵まれて羨ましいです。darling.さんのコメント実は一人のときはこっそりアナウンスのまねをしてみたりしています私も似たようなことをしています。マイクテストはいつも中央線の車掌か、新宿駅の駅員、中央線最終電車出発時のアナウンスの真似です。あはは。山ちゃん5963さんのコメント山ちゃんファミリーは・・・・・ここKLジャラン・ブキットビンタンに・・・・3年住んでいたんや・・・・・・繁華街にお住まいだったんですね。今はモノレールが通るようになって益々便利になりました。ツェップさんのコメント 「立ち位置の違い」立ち位置の違いによって、随分景観が変わるものですね。そうなんです。意図的に撮影すると色々な演出も可能です。露出を絞りに絞ってシャッターを長く開けるとかですね。今回のクアラでの撮影では、とにかく美しい写真を撮りたかっただけですけど。ykkさんのコメント 「喜界島在住」台風の凄さがわかりますか?空港ビルは屋根が飛ばされ半壊し、ロビー内は滅茶苦茶でした。空港の職員、業者で1日で復旧されたようです。私の表現が拙く、不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありません。台風の経験は、山があって風の被害が出にくい石垣で風速50メートルの経験しかないのですが、私にとっては物凄いものでした。しかし、石垣では、風圧で窓ガラスが割れるとか電柱が倒れる程度の被害しかありませんでした。私が滞在していた石垣島は比較的風の被害が少ない島だったのです。石垣と違って山が低い宮古では更に凄まじい被害が出た跡を見たことがあります。管制塔が破壊されていました。空港周辺の街路樹は全滅でした。喜界空港旅客建屋を一日で再建したというお話は初めて知りました。本題です。前回は、クアラルンプール市内のコロニアルな一角をご紹介しました。誤解なきように補足して置きますが、クアラルンプールは高層ビルの立ち並ぶ大都会です。その中の一角に英国植民地の雰囲気が残っているという状態なのです。いよいよクアラルンプールからクアラルンプール国際空港へ向いました。この赤いバスで移動することになります。空港まで9リンギです。安い…。これがターミナルです。ローコストキャリアターミナルというターミナルなのです。シンガポールのチャンギ空港なんかもやってますが、格安航空会社専門のターミナルです。全体に安っぽいのですけど、ほんとに安いので、OKです。LCCTで食べた昼食です。ペナンラクサという麺です。東南アジアではどの国でもお気に入りの麺料理があります。シンガポールではプロウンミー、ベトナムではフォーガーです。はい。このバスは、クアラルンプール国際空港の通常ターミナルと格安ターミナルを結んでいます。殆ど別の空港扱いです。通常ターミナルはKLIA(クアラルンプール国際空港)、格安ターミナルはLCCTと呼ばれているようです。ローコストターミナルも捨てたものではありません。国際線もガンガン発着します。ちなみに、私が行った時にはエアエイシア専用ターミナルと化していました。これが発着案内板です。エアエイシアの赤い色ばかりでした。ローコストですので、当然のように徒歩搭乗になるのです。徒歩搭乗ですと、写真を撮れるのでうれしい…。今回はここまでにさせて頂きます。次回は、エアエイシアでのバンダル・スリ・ブガワンへの移動をレポートします。涙のダイバージョンレポートです。【本日のマイレージジャンキー的な成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)ポプラ(EDY) 4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/31
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前回はムルデカ広場をご紹介しましたが、今回は周辺の建築物をご紹介します。午前中に撮影するともろに逆光なんで非常に厳しいのです。画像の仕上がりはともかく、建物は素晴らしいです。この建物は連邦ビルなんと言われています。かつてマレーシア連邦政府が入居していたそうです。露出を調整してなんとかしようと努力しているのですが、上手くいってませんね。立ち位置をうんと南にずらして漸くまともに写るようになりました。後の方にKLタワーがうっすらと見えます。マレーシア歴史博物館です。ここも押さえておくべきスポットです。クアラを訪れた際には最初に入って知識を仕入れるのも良いかも知れません。歴史博物館の前から写した3枚です。この辺りに立つと英国植民地の雰囲気がばっちり残ってますよね。再びマスジット・ジャメです。クアラルンプールはここからスタートした街なんです。川の合流点に作られた街だと分かりますよね。今度は川越しに連邦ビルを撮影してみました。やはり裏口は大した見栄えになりません。こんな景色を見ながら、地下鉄のマスジット・ジャメ駅に向いました。地下鉄の入口です。地下鉄入口から見た形式です。右の方の高いのがKLタワーで、中心部に尖塔みたいにちょこっと見えているのがペトロナスツインタワーです。この二つがクアラルンプールのランドマークになってます。街の中のどこからでも大体見えます。こんなものを撮影しているうちに、だんだんブルネイ行きの飛行機の時刻が近づいて来ました。次回はブルネイへの移動をレポートします。トラブル続きの涙の移動になるのですが…。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】再掲朝食(SUICA) 4マイル(JL)AMPM(EDY) 1マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/31
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前回はこのムルデカ広場の入口までご紹介しました。今回はこの周辺を歩きます。柱越しにクラブハウスを撮影してみました。写楽祭さんのテクニックを真似てみました。英国人は植民地にもこういうものを持ち込むんですねえ。でも、香港ではこのようなものは見たことはないです。クアラルンプールは英国植民地時代は保養地的な機能を付与された街だったのでしょうか…。ムルデカ広場に隣接する教会です。セントアンドリュースだったかなあ。教会までもこんな感じのチューダー様式なんです。これがムルデカ広場です。広場だけだとただの芝生です。ムルデカ広場の南端にはこのような巨大な国旗掲揚塔が作ってありました。マレー連邦の独立記念式典はこの広場で開催されたそうです。国家の歴史の聖地でもある訳ですね。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】再掲朝食(SUICA) 4マイル(JL)AMPM(EDY) 1マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/30
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皆さん、コメントありがとうございます。なはさんからコメントでご質問を頂きました。KSML?MOML? なはさん あの、下の機内食のページにあるKSML、MOMLってなんですか?? ミールの種類ですか?(2007/01/30 02:51:14 PM)おっしゃる通りミールの種類です。KSMLはユダヤ教食、MOMLはイスラム教食です。他にもミールコードは色々あるみたいです。マダムローさんの日記で紹介されているので、ご関心がある方はご参照ください。さて、続きです。とりあえずマレーシアに入って、空港連絡鉄道の画像を紹介してきましたが、今回はクアラルンプール市街中心部です。マレー鉄道の本部です。マレー鉄道公社の庁舎です。もちろん、英国植民地時代に建築されました。マレー鉄道のクアラルンプール駅です。日本では現在でも鉄道輸送が陸上輸送でそれなりのシェアを占めていますが、他の国では鉄道は衰退が著しいです。普通の国では鉄道の最盛期は19世紀から20世紀の初頭までです。この期間は、イギリス第2帝国の絶頂期に当たります。英国植民地は鉄道の時代に形成されたものが多いのです。そんな訳で植民地時代の建築物はクアラルンプール駅の周辺に集まっているのです。クアラルンプール駅の裏側です。表側の駅舎の建物はなかなかのものなのですが、凄く写しにくい(建物が馬鹿でかい割には駅前広場が狭い)ので、今回は撮影しておりません。2004年にクアラを訪れた際の撮影分がありますので、宜しければ!。鉄道中央駅と鉄道本社がセットになって配置されています。この辺りは旧日本国有鉄道本社と東京駅に近いものがありますね。ちなみに、今回の日記で中央駅という表現を避けていますけど、元々はこのクアラルンプール駅が中央駅機能を果たしていたのですが、所詮は線路の本数が少なく、中央駅の機能を果たすには苦しいので、現在はクアラルンプール駅の隣にクアラルンプールセントラル駅が作られています。中央駅と書いてしまうとどっちの駅を指すか分かんなくなってしまうので、この表記を避けてきました。現在は空港連絡鉄道も長距離列車も全部クアラルンプールセントラル駅(KLセントラルと表現されることが多いです)発着になりました。クアラルンプール駅は廃止はされなかったものの、コミューターが停車するのみです。林越しの撮影なので余りはっきりしませんけど、クアラ発祥の地のマスジット・ジャメです。現在はモスクが配置されてます。クアラルンプールは現在のマレーシアの首都ではありますが、あまり歴史の古い街ではないのです。19世紀に錫鉱業が生じて建築された町なのです。マラッカとかとは随分違うのです。英国植民地時代でも、中心都市はシンガポールでした。これがモスクです。モスクですが、英国チックな建物になっています。先ほどシンガポールに触れましたが、英国から独立した以降のマレーシアの歴史もなかなか複雑です。最初は1957年にマレー連邦として半島マレーシアだけの国家を建設します。この時期の地域最大都市はシンガポールでした。マレー大学なんかもシンガポールに置かれていた訳です。この半島マレーシアで形成されたマレー連邦に、シンガポール、サラワク(ボルネオ島北西部です。ブルック王朝という白人王朝でした。英国人民間人が私的に領土をブルネイの王様から掠め取ってでっち上げた王国です)、サバ州(ボルネオ島北東部です。英国北ボルネオ会社の領土でした)と合併してマレーシア連邦になります。このマレーシア連邦は内部にマレー人と中国人の相克を抱え込んでおり、色々と苦労します。そんな中、中国人が多く住んでいたシンガポールを連邦から追放します。この時の国境線が現在まで続いている訳です。こんな成り立ちの国なんで何となく「若い」のです。首から下の胴体だけで始まった国なんです(首はシンガポールですね)。一方で、シンガポールはマレーシア連邦から追い出されて泣く泣く独立せざるを得ない国家でした。狭い領域に大量の人口を抱え込み、食糧はおろか水すら自給できません。周辺諸国よりも強い経済競争力を維持しなければ生き残ることは出来ないという危機感を強くもった国家になっていきます。これがその後の経済的な成功の基礎となっていく訳なんですが…。これはもう余談です。お話をマレーシアに戻しましょう。これは英国人が立てた教会のようです。クアラルンプールには高層建築が多く、繁栄している都市という感じなんですけど、植民地時代の建物は背が低いのです。通りを挟んで撮影しているのでちょっと分かりにくいのですが、ムルデカ広場です。右下の建物は英国植民地時代のクラブハウスです。ここが街の中心広場です。ちょっと文字数が多くなってきたので一旦切ります。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】再掲朝食(SUICA) 4マイル(JL)AMPM(EDY) 1マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/30
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さくさく続けてしまいます。さくさく続けないと中々ブルネイに着かないのです。金満国家への旅路は長いのです。今回は、KLIAとKL市街を結ぶ鉄道の車輌の写真をご紹介します。最初はこれです。車輌基地です。一編成出てきました。この路線は大体30分から40分の走行距離です。運転間隔は15分に一本です。と言うことは、起点から終点までに2編成が走っている訳です。上下線で4編成ですね。そんな路線ですから、編成の数も大したことは無いはずです。トップスピードは180キロくらいだそうです。アジアでは最近高速鉄道のラッシュですので、この程度のスピードではそんなに驚きはありません。それでも目の前を通過していくのを見ると迫力があります。速度がありますので撮影もちょっと難しいです。近づいてから撮影しようとすると上手く行きません。遠くに居るうちに大望遠で撮影する必要があるのです。車内です。テレビ付きです。何となく、香港の機場快線に似ておりますね。ちなみに車体もシステムもドイツ製みたいです。便所です。広い…。そもそも走行時間30分で便所が必要か、という議論は別にして、大きくて広いです。もちろんバリアフリーです。洗面所もでかいです。これが個室内にあるんです。でも、ちょっと臭かったですね。次回は、クアラルンプール市内での撮影分をご紹介します。クアラルンプール市内は超高層ビルが有名ですが、英国植民地の雰囲気を残したところもたくさんあります。ちょっとコロニアルなところをご紹介します。次回からは鉄色はなくなります。おまけです。 JL723便の離陸前アナウンス(音声) JL723便のシートベルト着用アナウンス(音声) JL723便の着陸後アナウンス(音声)【昨日のマイレージジャンキー的な成果】再掲朝食(SUICA) 4マイル(JL)キオスク(SUICA) 6マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/29
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楽天スタッフブログが段々昔の雰囲気に戻って参りました。いい感じです。管理画面改悪問題でごうごうと炎上して、スタッフさんも萎縮している感じでしたけど、今は、普通に戻ったような気がします。気楽にテンプレートの話題なんかが載ってます。いい感じです。がんばれ!。ただ、残念なのは、炎上した2回(18日分と19日分)へのトラバの数が減ってしまいました。エロトラバを消したみたいです。消す前には、18日分は500以上、19日分は600以上のトラバ数であり、壮観だったんですけどねえ。現在は494トラバ、598トラバに減少しています。さて、続きです。今回はクアラルンプール国際空港に到着した後の撮影です。このレポートの目的地はブルネイ王国なんですが、残念ながら、我が国とブルネイの間には直行便が飛んでません。シンガポール経由かコタキナバル経由かクアラルンプール経由かなんかになってしまいます。あ、バンコク経由もありますね。クアラで一泊せざるを得ないのですが、今回はこんなコテージに泊まりました。KLIA(クアラルンプール国際空港)はクアラルンプール市街から随分離れています。空港の近くには自然が残されているのです。緑の中の空港と名乗っていますが、まあ、実態に近いですね。熱帯の夜明けでございます。一夜明けても、直ぐにブルネイ行きの飛行機が出るわけではないのです。格安航空会社のエアエイシア(AIR ASIAをこのように発音します)のバンダル・スリ・ブガワン(以下面倒なのでBSB)行きは午後にしかなかったのです。そこで、このKLIAトランジットに乗って、クアラルンプール市内に一回出て時間を潰すことにしたのでございますね。なかなか近未来的なデザインの駅舎でございましょ?。クアラルンプール国際空港とクアラルンプール中央駅(KLセントラルなんと云います)の間には2種類の鉄道が走っています。鉄道と言うか運転系統ですね。ノンストップのKLIAエクスプレスと、途中3駅に停車するKLIAトランジットです。鉄道が絡むと急に写真を撮影する意欲が湧いてきます。このお皿は雨受けです。馬鹿でかいのでした。この列車にはSALAK TINGGI駅から乗車しました。この駅は車輌基地に隣接しています。つまり、車輌を撮影するチャンスがたくさん在った訳です。当然撮影を行いました。次回はKLIAと市街を結ぶ電車をレポートします。【本日のマイレージジャンキー的な成果】再掲朝食(SUICA) 4マイル(JL)キオスク(SUICA) 6マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/29
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今までインフォシークの億万長者ゲームをやってました。これが凄く劇的な展開でした。ちょっとまだふらふらしてます。さて、続きです。この金満国家への旅路は何となく軽いタッチになりそうな気がします。なんか肩の力が抜けてる旅行だったのです。ブルネイってお金持ちの割に気さくな感じの国なんですもの。なんかほんわかしてる国なんです。こんなところも北朝鮮と対照的なのです。でも、ブルネイレポートに入る前に、時系列で移動をご紹介していきましょう。私が日本航空で移動するときはこのシートを使うことが多いのです(半分見栄、生涯で40回しか乗ったことがありません)。この椅子に座るだけなら、当時は、伊丹成田に乗るだけでOKでした。本物のファーストクラスとしてこの椅子に座ったのは10回のみです。Cとして座ったことが1回。後は国内線の普通席としてでした。ファーストクラスの椅子に座って、国内線の青い薄っぺらい毛布(クラスJの赤い毛布よりもだちゃい)を被って、紙コップでブラックコーヒーを啜って、映画を見るものの、半分過ぎたところで成田空港に着く、というお洒落な搭乗です。今回のブルネイ行きで利用したのはこちらです。767-300ERのYクラスです。日本航空に関しては経営状況に関してなかなかシリアスな噂が何回も流れています(実情は不明です)。東京クアラルンプール線はかつてはMD11とか777-200とかが投入されたのですが、今は767-300ERという小さい機材の路線になってしまいました。便名は723便で変わりませんが、機材は随分変わったものです。この日も出発遅延でした。最近多いのですよねえ。なんでだろう。大抵の場合は、機内エンターテインメントの故障とアナウンスされますが、本当はどんな理由なのかしらん…。便名は723便ですが、ダイヤは昔に比べて随分遅くなってます。この機材は、関西=クアラと共通なので、機材交換に使う路線になってしまったのです。成田→クアラ→シンガ→関西と回るようです。こちらが機内食です。趣味でいつもKSMLをチョイスしています。昔は、MOMLだったのですが、KSMLの方がちょっと量が多めなので、最近はこっちです。KSMLは日本では大変入手が難しく、天下の日本航空も輸入しています。成田積込みの場合はニューヨークから持って来るケースが多いようです。その昔、仕事でユダヤ人の食事の手配をしたことがあったのですが、非常に苦労しました。多分、イスラム教よりも食事制限は厳しそうです。同時に、イスラム教よりも個人差が大きく、もう何でも食べます、という人から、厳格に規制します、という人まで落差が非常に大きいのです。広尾のシナゴーグから「お祈りして、血抜きして、殺した鶏の肉」を入手して、これで行けるぞ、と思っていたら「どんなに血抜きしても肉に血は残る。血は食べられない」と言われて、廃棄処分にせざるを得なくなったことがありました。今回はここで切ります。直ぐに続けます。【本日のマイレージジャンキー的な成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL)キオスク(SUICA) 6マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/29
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寒い寒い北海道から帰ってきました。帰って来て、書き始めるのは暑い暑いブルネイレポートなのが何とも言えませんですね。この旅行の搭乗経路は非常に単純です(発券上はです。実飛行ではラブアン島へのダイバージョンが発生しました。)。 成田=クアラルンプール クアラルンプール=バンダル・スリ・ブガワン バンダル・スリ・ブガワン=クアラルンプール クアラルンプール=成田要は、ブルネイの首都であるバンダル・スリ・ブガワンへの単純往復です。つまり、今回のシリーズは世界最強の金満国家であるブルネイ王国レポートです。昨年11月にお送りした北朝鮮旅行シリーズ「【過去旅行】劇場国家への旅路」の姉妹編という位置付けかなあ…。金日成はお金持ちを夢見て世界最悪の貧困を産み出しましたが、ブルネイは石油と天然ガスに物を言わせて超金満国家になりました。この旅行をやっている最中に書いたリアルタイムレポートへのリンクを付けて置きます。よろしければのぞいてみてください。 【暫定】クアラ近郊 【暫定】ラブアン国際空港へのダイバージョン 【暫定】バンダル・スリ・ブガワン市内のホテルにて 【暫定】KLIA(クアラルンプール国際空港) 今回はスタート回ですけど、連続写真のみを掲載して、本格的な旅行レポートは次回に回してしまいます。GIFアニメ用に連続撮影した、成田空港の第2ターミナルのアイランドとピアを結ぶシャトルの車窓です。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】新千歳空港の売店(EDY) 3マイル(NH)サンクス(EDY) 1マイル(NH)モノレール(SUICA) 4マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/29
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番外編です。このシリーズの第1回目でご紹介した連続静止画をGifアニメにしてみた物です。宜しければ…。こんな感じのシャトルでした。アニメでは速いように見えますが、実際は非常にゆっくりでした。【本日のマイレージジャンキー的な成果】再掲E電(SUICA) 3マイル(JL)プロント(EDY) 1マイル(NH)今週末の航空券購入(JCB) 800×1.5倍=1200マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/28
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この前にリポートを終えた「瀬戸内縦断」のリンクつき目次を作ってみました。前半は松山市の伊予鉄道の「坊ちゃん列車」レポートで、後半は全然趣向が変わって軍港呉のレポートです。結構お気に入りのレポートです。【確定レポート】(1)出発から伊予鉄道古町駅まで(2)伊予鉄道の「坊ちゃん列車」の驚くべき方向転換作業(3)伊予鉄道の「坊ちゃん列車」で古町駅を出発(4)伊予鉄道の「坊ちゃん列車」で道後温泉駅へ移動 (5)伊予鉄道を乗り継いで松山観光港へ(6)フェリー四万十川で四国から本州へ(7)軍港呉を巡る「くれ歴史ロマンクルージング」(8)大和ミュージアム(広島県呉市)(9/終)海上自衛隊第一術科学校(旧海軍兵学校、広島県江田島市)【実況レポート】【出撃】今週末は瀬戸内です。 【暫定】羽田空港第二ターミナル【暫定】予讃線松山駅 【暫定】坊ちゃん列車@古町駅【暫定】伊豫鐵道道後温泉駅【暫定】まだ道後温泉です。 【暫定】伊豫鐵道松山市駅前 【暫定】松山観光港 【暫定】呉港入港 【暫定】呉の大和ミュージアム 【暫定】江田島へ向けて航行中【暫定】海自第一術科学校 【暫定】呉線呉駅 【暫定】東京モノレール2ビル【帰投】江田島から帰宅しました。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/28
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楽天様のスタッフブログの炎上トラバも600で打ち止めのようですね。それにしても凄い数でした。ユーザー様の広範なお怒りが集まってしまいましたですね。さて、1月28日の動画もこれでお終いです。この「支笏湖氷濤まつり」の滑り台は人気でした。皆さん悲鳴を上げていました。恐怖感がある滑りのようです。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/28
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極端に明るいところでは携帯動画はだめなのですねえ…。なみだ。白飛びが激しすぎです。なお、アナウンスが流れていますけど、この「支笏湖氷濤まつり」の財政も厳しそうです。いつまでも続いて欲しいのですが…。
2007/01/28
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ちょっと白飛びが激しいです。…。
2007/01/28
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千歳駅前から支笏湖への道中です。市街地を抜けると、ひたすら人工林の中を進んで行きます。ある意味で北海道らしい光景です。
2007/01/28
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破産した自治体「夕張市」の財政再建団体転落に関する住民説明会の模様です。何にせよ、哀しい風景でございますねえ。頑張れ、夕張!。
2007/01/28
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大雪でした。冬の北海道と言う感じがするでしょ!。
2007/01/28
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これも羽田空港のキャンセル待ちカウンターでの光景です。
2007/01/28
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今回の旅行では往復ともキャンセル待ちになりました。羽田空港での処理風景です。いつもながら慌しい一瞬です。こっちも乗れるか乗れないかではらはらしながら見ています。
2007/01/28
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マイスターさん、コメントありがとうございました。羽田空港は、第二ターミナルが開業して以来予習してから使わないと行けないですよね。ただでさえ国内線としては国内有数の規模のターミナルが結構離れて2軒、国際線ターミナルも含めると3軒ですから…。ADOとSKYの乗り換えはもとより、JL相互の乗り換えも、ゲートによっては時間を要するようになりました。画像は、NHが第二ターミナルに去った後に、JL相互の乗り換え時間を短縮するために、保安区域を拡張して、南北通路を設置した部分です。昔は非保安地区のショッピングエリア〈レストラン〉でした。こんな工夫をしても乗り換えは大変ですけど…。今まで、私が長距離空港マラソンを強いられたのは、海外ではHKGでのTG→OZの乗り換え、国内では、FUKでのJLドメ相互の乗り換えでした。沖縄から第3ターミナルの端に到着して、第一ターミナルまで伴走付きでした。第2ターミナルと第1ターミナルの保安区域を結ぶ通路を初めて通してもらいました。どっちも到着便の遅延がマラソンの原因でした。もうやりたくないです。さて、こんな時間に東京に帰って来ましたので、都内で用事を済ませて置こうと思います。旅行は今この時点で終了にしますが、自宅でPCに触るのはもう少し後になります。こんな訳で、帰着レポートをアップしますが、背景は不在モードのままです。皆さん、お付き合いありがとうございましたっ!。当初アップ日時:2007/01/28 05:52:03 PM
2007/01/28
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maman.mさんに教えて頂いた「北海道開拓おかき・ホタテ味」を早速購入しました。試食してみましたが、なかなかうんまいのです。はい。1パック350円とお値段もお手頃です。ホタテ味の他にも、いか味とか昆布しょうゆ味もありましたが、今回はホタテ味×2にしました。当初アップ日時:2007/01/28 03:15:43 PM
2007/01/28
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直前の日記にエロトラバが21発も付きました。今までのエロトラバの本数記録は80発以上ですので、記録更新の可能性は小さいと判断せざるを得ません。記録を更新できなけれは、エロトラバは削除します。さて、現在は新千歳空港で東京羽田行きのキャンセル待ちをしています。日没まで2時間くらいあるのですが、写真的な収穫が充分得られたので、このまま家へ帰ろうと思っています。今回も動画を少々撮影しましたので、帰宅した後にアップしたいと思います。書き忘れていました。画像は新千歳空港の中にかる「北海道ラーメン道場」の入口です。道内の人気があるラーメン店6つが出店しています。私は特一番が好きです。当初アップ日時:2007/01/28 02:55:38 PM
2007/01/28
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支笏湖から千歳駅まで戻って来ました。千歳駅から新千歳空港までは電車よりもバスの方が遥かに安いのです。関西空港と同様に、空港連絡鉄道線に特別運賃が上乗せされるためです。バス停でバスを待っていると、自衛隊の駐屯地行きのバスなんかが目に入って来ます。昨晩にネカフェの入会フォームに記入した時にも、職業欄に「自衛隊」と言う選択肢がありました。かつての「千歳空港」は航空自衛隊千歳基地に間借りしていましたが、この空自千歳基地は我が国最大最強の航空基地です。いや、我が国は言い過ぎでした。米軍嘉手納基地がありますね、自衛隊最大ですね。千歳は基地の街なのです。陸上自衛隊もこの辺りに強力な部隊を配置しています。陸自唯一の戦車師団〈機甲師団だったかしら、装甲師団だったかしら…〉である第7師団は隣の恵庭市や千歳市に駐屯しています。その割には、自衛隊の制服を全然見ないのです。呉市とは大違いなんです。なんでかなあ。北海道の人は自衛隊員に優しくないのかしら…。当初アップ日時:2007/01/28 02:01:46 PM
2007/01/28
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maman.mさん、有益情報をありがとうございました。苫小牧は以前に訪れているので、やはり、今回は支笏湖に致しました。今回の画像は支笏湖氷濤まつり会場の風景です。北海道の観光地にありがちなんですが、FITは殆どいません。大半がグループバックスです。なぜ片仮名で表現したか?、大量の外国人観光客が来ていたからです。冬の北海道は台湾人観光客に人気があります。なんと言っても台湾には雪が降りません。雪自体が観光資源になっている訳です。一昨年真冬の道東を訪れた際にも沢山の台湾からの人々を目にしました。楽しむ態度も堂にいったものでした。リピーターでしょうか…。この支笏湖氷濤まつりは夜のライトアップが美しいのですが、この寒い中、日没を待つ訳にも行きませんので、ここで旅程を切り上げようかと思っております。空港でmaman.mさんに教わったお菓子を買わねば!。当初アップ日時:2007/01/28 12:16:47 PM
2007/01/28
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支笏湖に来ています。現在は、毎年恒例の「氷濤まつり」の期間中でして、目当てはそっちなんですが、まずは、鉄系のものから…。この橋は、北海道官営鉄道上川線の鉄橋として使用するために、英国から輸入したものだそうです。それが、払い下げられて支笏湖に来たものだそうです。こんなところにまで鉄道があった時代があるんですねえ…。当初アップ日時:2007/01/28 10:15:29 AM
2007/01/28
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もう寝ます。今日は寒冷地での屋外行動が多かったので、消耗しました。屋外歩行距離は楽勝で10キロを超えています。先々週の南房総ではコートを着て歩くと汗をかきましたが、今回は外気温が低いので、全然汗をかきませんでした。何もなければ疲労から眠くて仕方がない筈なのですが、日中、列車の中で結構寝てしまったので、余り眠くありません。〈列車で寝るなんて鉄の風上にも置けない行為なんですが、夕張での消耗度合いがさほど厳しかったのです〉さて、今回の画像は、今晩撮影した清流千歳川の氷と光のオブジェです。この撮影は氷点下10度前後で行いました。我がFZ50は寒い環境下で、問題なく動作しました。先日のブルネイで暑い環境での能力を証明してくれたのに引き続き、寒冷地でもOKと言うことが分かりました。うんうん…。ワールドワイドに使える機材と言うことが分かりました。それでは寝ます、皆さんお休みなさい。明日も良い日になりますように!。当初アップ日時:Jan 27, 2007 11:30:23 PM
2007/01/27
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今日は千歳駅の近辺に宿を確保することにしました。千歳市では、札幌雪祭りとは規模では比較になりませんけど、氷のオブジェの展示を千歳川の川原でやってました。ほんの2時間の撮影だったのですが、日没後の屋外行動は堪えます。氷点下10度くらいだと思いますが、寒さでぼろぼろです。千歳線は北海道の特急銀座です。札幌から、函館方面を目指す特急も、道東へ向かう特急もここを通ります。その上、15分に一本の快速エアポートも通っていきますので、鉄道の騒音が凄いです。寝るには向かない場所に宿を確保してしまったかも知れません。今日は夕張での「住民説明会」参加と、千歳市主催の氷のオブジェが収穫でした。明日はどうしようか悩んでいます。ネットで美味しい撮影対象を見つけられなければ、支笏湖に行って、支笏湖氷濤まつりを撮影してこようと思っています。新千歳空港に降り立って、札幌市に入らずに東京に帰るのは、「修行」を除くと初めてです。
2007/01/27
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ファダイママさん、コメントありがとうございました!。夕張線はいつか乗らねばと思っていた線区なのでした。予想通り、ローカル線の野趣味溢れる路線でした。満喫致しました。この夕張線の復路の列車が追分止まりでして、延々と追分駅で列車を待ってます。北海道の鉄道の運転間隔は、数時間運転がないのはざらです。この前に乗り潰した只見線クラスがゴロゴロしています。まあ、夕張線追分駅の場合は、スーパーとかちやスーパーおおぞらが停車しないので、普通のとかちを待たねばならないと言う訳なのでずが…。話は変わりますが、今日はJR北海道の企画きっぷの「一日散歩きっぷ」を使っています。長万部以東、新得・美瑛以西の普通と快速乗り放題と言う内容で、ミニ青春18きっぷみたいなものです。特急・急行禁止な訳です。しかし、追分から南千歳方面の普通を待っていると、更に一時間待ち時間が増えますので、涙を飲んで、一駅だけ特急「とかち8号」に乗ることにします。どうせ、183系気動車の面白みのない特急なんでしょうけど…。当初アップ日時: 2007/01/27 03:32:05 PM
2007/01/27
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マイスターさん、すろーにんさん、ご声援ありがとうございました!。北の鉄道車輛はごついのです。窓は当然二重だし、防寒のため、40系気動車にデッキが付いています。JR九州なんか、特急として使用している、キハ147にすらデッキを付けていないのに…。→追記です。JR九州のキハ147は元々キハ47であった車体の発動機を換装した車輌です。もちろん、40系気動車の一種類です。さて、現在は夕張線の終点である夕張駅付近を探索中です。夕張市は先の財政再建団体指定で一気に知名度が上がってしまいました。自治体破綻は久しぶりだったので、ニュースバリューが出てしまいました。今日は自治体破綻後に住民サービスがどのようになるのかを市民に直接説明する、夕張市主催の「住民説明会」が開催されていました。画像は、今日の住民説明会で苦境を説明する夕張市長です。「市役所で希望退職を募ったら想定以上の応募があって職員が半分以下になってしまい、思うように仕事が進まない」等と、泣かせる話を聞かせて頂きました。当初アップ日時:Jan 27, 2007 01:45:58 PM
2007/01/27
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画像は千歳線各駅停車の車輛です。結構雪が着いてますでしょう。現在は夕張線の普通列車に乗って東に向けて移動中です。車輛はキハ40の単行です。今は追分駅に停まっています。追分駅は室蘭本線と夕張線の交差駅なんです。ここで特急を待ってます。室蘭本線も夕張線も地方交通線ではなく幹線です。ただ、都市間輸送に使われる部分とローカル線の部分の落差が激しいのでした。夕張線で言えば、南千歳から新夕張までの区間は札幌から帯広や釧路へ向かう特急がガンガン走るし、特急走行に合わせ、路盤も改良されていますが、残りの新夕張から夕張まではローカル色の濃い区間です。室蘭本線も同様で岩見沢から苫小牧まではド・ローカル線です。でも、苫小牧から長万部までは、札幌と函館を結ぶルートなので、頻繁に特急が走るのです。そろそろ発車です。夕張は中々遠いです。当初アップ日時:Jan 27, 2007 11:23:36 AM
2007/01/27
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今週も飛行機での移動にしました。羽田から新千歳空港に来ています。予定通り、天候は雪です。気温は氷点下6度です。いやー、北海道に来たぞー、という感じがします。素晴らしい!。これから南千歳駅に向かい、その後夕張線を乗り潰します。今日も良い日になりそうな気がします。当初アップ日時:Jan 27, 2007 10:33:40 AM
2007/01/27
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今週は久しぶりに北海道方面に出動します。背景も不在モードに変更しました。帰京するまで色が違います。
2007/01/27
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「土日きっぷでFZ50デビュー」の番外編です。よきんさんからのコメント「GIFアニメ楽しみ」にインスパイアされて、このシリーズの第8回目「山形駅と山寺温泉の芸者さんの踊り」でご紹介した山寺温泉の芸者さんの連続写真をGifアニメにしてみました。撮影した時にはゆっくりとした舞に見えたものですが、GIFアニメにしてみると結構かくかくしてしまいました。割と速い踊りであったことがわかります…。【本日のマイレージジャンキー的な成果】再掲E電(SUICA) 3マイル(JL)プロント(EDY) 1マイル(NH)今週末の航空券購入(JCB) 800×1.5倍=1200マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/26
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続けてしまいます。前回は調子に乗って、芸者さんの100連写を載せてしまいました。連写性能もOK、ポートレートもOKと言うことが確認できましたので、後は帰るだけです。帰路にお世話になったのはこの車輌です。400系新幹線です。新在直通の嚆矢となった車輌です。まだ頭にEがつかない時代の車輌でございました。エンブレムに「つばさ」と列車名が入っています。山形新幹線専用の車輌としてデビューして、今でも山形新幹線専用に使われております。こまちもこんな使われ方をしておりますね。普通車の車内です。空いておりました。椅子もまあまあでした。車輌ごとにモケットの色を変えていました。こんな色の車輌もありました。便所です。このFZ50の高感度は便所を撮影するためのものだったのでしょうか…。つばさ号の車窓です。心残りは紅葉を思う存分撮影できなかったことです。寒すぎて散っているか、赤くなっていないかばかりでした。この辺ならいい写真が撮れそうなのに…。赤湯駅で見た長井鉄道の車輌です。スイングガールズと書かれていますよね。あの映画にも登場した車輌なのです。いつかロケ地めぐりをしてみたいと思っております。最後の画像は山形新幹線と東北新幹線の合流部です。東北新幹線の福島駅は連続立体交差なので、ぐぐっと高度を上げて行きました。これでFZ50の性能の確認と習熟のための試運転旅行を終えました。次回からは、FZ50の本格稼動をお見せしたいと思います。シリーズ名はこれから寝ながら考えますが、11月下旬実施のブルネイ旅行をレポートします。【本日判明のマイレージジャンキー的な成果】 2007/01/20 JL1915 羽田-沖縄 Y 生マイル 738マイル eチケットレス割引ボーナスマイル 100マイル マイルUPボーナス 984マイル 合計 1,822マイル 2007/01/21 NU0052 沖縄-羽田 Y 生マイル 738マイル eチケットレス割引ボーナスマイル 100マイル マイルUPボーナス 984マイル 合計 1,822マイル 2007/01/20 JGC会員ボーナス 3,000マイル 2007/01/20 JALカード毎年初回搭乗ボーナス 2,000マイル 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/26
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昨日判明した、A寝台とB寝台の取り違え事件に動転して、コメントにお返事もかけておりませんでした。マイスターさん、2回もコメントありがとうございました。実際のところ、なかなかいい雰囲気だったのです、面白山高原は。しかし…、寒かったですよ~。電車を待つこと数十分凍えてました。ルキノちゃんさんからもご指摘頂きましたが………、今日は久しぶりに画像サーバが停止しました。数時間画像が見られなかったと思います。大変失礼致しました。お許しください。いろいろ反省することがありますので、今日は反省色の紫で行きます。さて、続きです。前回は面白山高原駅までレポートしました。面白山高原で屋外撮影テストを行った後に、再び仙山線に乗り込んでひたすら山形駅を目指しました。面白山高原駅の次の駅の山寺駅です。ここには温泉があって、この温泉から来た芸者さんを山形駅で撮影するのですが、これは後ほどご紹介します。山寺駅構内に留置されていた除雪車です。車籍は無さそうです。仙山線は719系ばかりなのです。安心です。青春18キッパーにとっての天敵である701系恐怖症にかかっていました。もう少し北に行くと701系ばかりになってしまいます。山形駅に到着した後に撮影した左沢線(あてらざわせん)の車輌です。この山形駅で、ちょうど都合の良いことに、山寺温泉のキャンペーンをかねて、芸者さんの踊りを披露しておりました。ポートレートの練習とばかり、しっかり連続撮影して参りました。ここから先は延々と動画の素材みたいな踊りの連続写真です。言い忘れましたが、100枚以上続きます。【本日のマイレージジャンキー的な成果】二日連続成果なしでした。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/26
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続きです。急行「きたぐに」のA寝台の写真とB寝台の写真を取り違えるという手違いをやってしまいましたが、気を取り直してレポートを続けます。ここで下車しました。下車した動機は紅葉だったのですが…。この駅は「鉄子の旅」でもご紹介されておりました。妙な形状の待合室があります。かなり早い時期に無人化されたと思われます。窓口だったとおぼしきものはありませんでした。駅の脇にはトンネルがぽっかりと口を開けていました。仙山トンネルという名前です。5キロもあります。このトンネルで分水嶺を越えました。もうここは山形県なのです。空は晴れていました。この面白山高原は駅名に高原とあるだけあって、標高があります。ここから山形まではそれなりの傾斜があります。この標識は1000分の33の傾斜であることを示しています。駅から離れました。線路には雪がうっすらと積もっています。こんな状態ですので紅葉は殆ど終わってました。地面には落ち葉と霜が…。探し回りましたが数本しかありませんでした。路側で倉庫として使われているものです。元は国鉄の有蓋貨車ですね。スキーリフトがありましたが、まだ雪が積もっていないので営業してませんでした。ガスが出てました。うーん、山間部って感じです。ここからは望遠のテストです。広角から望遠に向けて動かしていきます。別のアングルで同じテストを行いました。屋外でのデジカメ試運転の結果は満足の行くものでした。この山間部に長居しても仕方が無いので、山形市へ移動しました。次回は山形で撮影した芸者さんの画像をご紹介します。【本日のマイレージジャンキー的な成果】再掲ありませんでした。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/26
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楽天ブログの管理画面が変わりましたね、なんてしたり顔で書き始めようと思ったら…、あー、やってしまいました。このブログはみなさんのご指摘で少しずつ良くなるブログだあ、なんと言って割といいかげんな写真も載せていたのですが、前々回の583系の車内を紹介する回でやってしまいました。致命的なミスを…。穴があったら入りたい。鉄の恥さらしです。うひー、後悔…。実は、前々回の日記でA寝台としてご紹介した写真が実はB寝台で、B寝台としてご紹介した写真がA寝台でした。うひー。ご指摘いただいたのは鉄の重鎮のibukino-johさんです。テーマ「鉄道雑談」の主宰者でもあります。ibukino-johさんのありがたいコメントを全文引用します。最初の写真はB寝台では?? ibukino-johさん 1枚目の写真、手前が2段になってますが、その奥のほうは3段になってます。(良く見ると、はしごが上段まで届いておりカーテンも中段と上段とで別になっている)手前が2段なのは「パンタ下」部分でスペースが取れないので上段がない部分です。(ここの中段は、他の中段と比べスペースが広いので、「ゆうづる」「はくつる」当時を良く知る人は、ここを指定して寝台券を取っていました)2枚目がB寝台中段、3枚目がB寝台上段ですね。(上段は「はくつる」中段は「ゆうづる」で乗りました)5枚目がA寝台下段、6枚目がA寝台上段です。(こちらは利用したことないですが「きたぐに」乗車時に見に行ったことあり)既にコメントにあるように「きたぐに」にA寝台を連結させるため、583系になかったA寝台を作るべく、既存のB寝台の上段を取り払い、中段を少し上の位置に変更しただけでA寝台となっただけのものですが、B寝台にはない「使い捨てスリッパサービス」がA寝台にはあります。(使い捨てスリッパ、17枚目の写真を見ると、布団の間に挟まってます)普通車部分で、勝手に寝台を引き出されないように、寝台部分には固定金具がついていたりします。 (2007/01/25 03:10:27 PM)全てご指摘の通りです。気付いてくださってありがとうございました。訂正で来て良かったです。これがA寝台でした。スリッパが見えます。こっちがB寝台でした。大変失礼致しました。反省しきりです。今データを捲ってみると、喫煙室画像と連番になっているのがまさしく上のA寝台でした。はー。反省しております。【本日のマイレージジャンキー的な成果】ありませんでした。 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/25
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「楽天ブログ管理画面変更問題」に依然として事務局側は沈黙を守っています。19日に最後のコメント「昨日リニューアルした管理画面について表示の不具合や、ご意見を多数いただいております。大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。順次対応してまいりますので、今しばらくお待ちくださいませ。」が発せられて以来1週間が経過しましたが、その後は何のコメントも発していません。ユーザーさん達は猛烈な反発を続けており、この楽天スタッフブログへのトラバは500を超えました。500を超えるトラバというのは中々壮観なものがあります。宜しければ、是非訪れてみてください。前回の日記では新潟駅で撮影した583系寝台電車を用いた急行「きたぐに」をレポートしました。今回は移動をレポートします。新潟から東京へ戻る移動です。新潟駅からは「ムーンライトえちご」のロザを使いました。これが「ムーンライトえちご」のロザ車内です。「ムーンライトえちご」には半室だけグリーン車が連結されています。「ムーンライトえちご」は快速電車ですので、グリーン料金は非常に安く、実質1400円に過ぎません。全車指定運転で、普通車に座る場合にも指定席料金500円がかかるので、グリーン車と普通車の料金格差は僅かに1400円なのです。しかしながら、グリーン車は中々使えません。「ムーンライトえちご」のような夜行快速を使うという場合は大抵の場合は青春18きっぷを用いているのです。青春18きっぷでは、グリーン車指定席に座ることが出来ません。もし座ると運賃まで支払わねばならなくなります(グリーン車自由席なら大丈夫なんですが…)。そんな事情で、いつもはこっちのハザにばかり載せられております。やはり、夜行で就寝するので、ロザとハザの格差は大きいのです。この撮影テスト旅行では、「青春18きっぷ」ではなく、「土日きっぷ」を用いましたので、1900円を支払って、グリーン車でのけぞって夜を明かしました。当然のことながら良く眠れました。はい。この列車で一旦東京に戻り(新宿駅に到着しますので、ここで乗り換えて、中央線の普通電車〔早朝なので快速運転はありません〕で東京駅へ移動し)、今度は東北新幹線に乗り込みました。一旦グリーン車に乗ってしまうとだめです。次々にグリーン車に乗ってしまいます。東北上越長野新幹線のグリーン車の座席は大体統一されてきました。古いグリーン車のシートは殆ど目にしません。新在直通車を除けば、はやてに乗ってもやまびこに乗ってもMAXときに乗ってもグリーン車はこんな椅子ですね。枕の位置を変えられるので快適です。日本航空の古いビジネスシートくらいの快適さがありました。6時4分発の始発の盛岡行きに乗って北を目指しました。この時期には、東京駅ではまだ夜が明けません。しばらくは車窓も楽しめないのです。福島の手前くらいです。流石に夜が明けています。快晴です。つばさ・やまびこ号と入れ違いになります。東北上越長野新幹線の車輌の中で、デザインはつばさに使われる400系が一番のような気がします。こまち以降の車輌は空力を意識したデザインになって、どうもチャーミングじゃないのですよね。福島の北の車窓です。東北新幹線らしい車窓になってきました。白河以北二束三文という言い回しがありますけど、そんな感じです。仙台駅で新幹線から降りました。仙台からは、仙山線で西を目指しました。紅葉を求めて山形県と宮城県の県境の山岳地帯を目指したのです。この画像は仙台市内ですけど、仙台市内ではまだまだ緑色が多いのでした。標高がないと紅葉していない時期でした。仙山線でお世話になった車輌です。クハ718-20と読めますね。719系です。客室内です。いい感じです。東北の車輌は701系という、ロングシート3扉の車輌が沢山居ます。これが許し難いことに、延々と長距離を走ります。青春18きっぷで東北を移動する際には、もう泣けてくるのですが、719系はこんな車内で箱席もあります。快適です。719系の運転台です。この電車で面白山高原まで進み、ここで下車し、屋外撮影のテストに臨みました。再び初期の目的であった、新購入のデジカメの試運転と習熟運転を再開しようとしたのです。面白山高原駅は不朽の名作マンガ「鉄子の旅」でも紹介された駅です。情報は鉄子の旅しかなく、何も考えずに降りました。次回は面白山高原駅レポートをお送りいたします。【本日のマイレージジャンキー的な成果】楽天ブックス(JCB) 30×1.5倍≒約45マイル(NH)楽天ブックス(楽天SP) 15÷2≒約7マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/25
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★この回の記述には重大な事実誤認がありました。詳しくは下のほうにあるibukino-johさんのコメントをご覧下さい。A寝台とB寝台の写真が入れ替わっているのです。私の反省文はこちらにあります。大変申し訳ありません。以下、当初アップ時の文章です。白い文字は当初アップ時のもの、赤い文字は追記です。楽天ブログ管理画面変更問題は本日も進展はありませんでした。現在でもトラバの増殖は継続しておりますが(500トラバ突破おめでとうございます)、議論の中心はスタッフブログがリンクを消した(多分、一回新しい日記を書いて消した)ことへの疑問に移っています。これに対し、楽天側が依然として沈黙を守っています。そんな騒ぎを続けているうちに新しい管理画面に慣れてきてしまった…。楽天の術中にはまっておりますな、私は。さて、続きです。前回は583系寝台特急電車で運行されている急行「きたぐに」の外観をご紹介しました。今回は車内をご紹介します。古い寝台電車ですので、高度成長期のアコモデーションです。最初の画像はA寝台の車内です。良く分かんないと思いますけど、2段寝台になってます。 →実はこれがB寝台でした。下段の寝台です。どこがA寝台なん?、と突っ込みたくなります。この583系は非常に意欲的な作品でしたが、登場当初はA寝台もグリーン車も無かった筈です(ここ、うろ覚えです。事実誤認の指摘大歓迎です)。 →これもB寝台でした。A寝台の上段です。狭い…。特に上下スペースが狭いのです。車体設計時にA寝台もグリーンも想定していなかったと想像しています。投入後に意外にも好評で、ロザとロネを後付けでこしらえたものと想像しています。下段に至っては、A寝台とB寝台のベッドの幅が同じなのですよ。 →これもB寝台でした。寝台はしご収納庫の表示です。この車輌の評判の悪さは、昼間仕様と寝台仕様の転換に膨大な人的資源の投入が必要であったことです。各車輌の寝台を組み立てるのも、梯子をつけて回るのも全部人力です。当時の各車輌基地のご苦労は酷かったようです。組合が強かった当時にこんなものを…。 →これもB寝台でした。モハネ…。下段をもう1ショットです。一応、これもA寝台くさい配置ではあるのです。進行方向に平行に寝台を配置する形式を「ブルマン式」と云います。ブルマンというのはオリエント急行の車輌のメーカーの名前です。別にコーヒーとは関係ありません。 →これがA寝台でした。20系客車以降の軽量客車(死語)の時代には、開放A寝台はブルマン式、開放B寝台では進行方向と直角に寝台を配置するのが半ば常識でした。この583系寝台電車の寝台配置は正に典型的な開放A寝台の寝台配置だったのです。ちなみにこの画像の上の方に小さな窓が写っていますね。開閉可能なのです。 →これもA寝台でした。喫煙室です。これも見なくなった装備です。私が寝台車に関心を持ち始めた頃には、個室寝台は「さくら号」(これも死語。往時の東京=長崎の豪華寝台特急)位にしか付いておりませんでした(マニアには直ぐに年代を特定されそうです)。A寝台も開放式が常識だったのです。開放寝台でたばこを吸われると苦しいものがあります。そこで、開放A寝台にはこのような喫煙スペースが設けられるケースが多かったのです。現在では個室寝台が普及し、B寝台すら個室が常識(言い過ぎ)となっている時代です。A寝台は個室が主流になりました。開放A寝台が減少している現代の目で見ると、珍しく、懐かしい装備です。今でも開放A寝台を繋いでいるのは、銀河ときたぐに(両方急行ですね)位しか思い付きません。A寝台の洗面所と便器です。洗面所は明らかに更新されています。便器はデフォルト便器かなあ。いずれにせよ、B寝台と同じ装備です。また、設計が古いのでバリアフリー化も全然考慮されてません。ロネの連結部です。右の方に温度計が見えますね。気温は16度に設定されています。この位が私には快適です。道内の列車はなんであんなに気温を上げるのかなあ…。>JR北海道さん。次にご紹介するのはロザです。言い忘れましたが、ロザとかハネというのは、 ハネ B寝台 ロネ A寝台 ハザ 普通車 ロザ グリーン車という意味です。ハネとロネは形式名から来ています。ハザとかロザというのは発券系の言葉です。旅行代理店の発券の人が使っていました。もちろん、「鉄」は使いますけど。「異常」に天井が高いのです。ロザは流石にリクライニングできないと不味いだろう、リクライニングさせると寝台との共用は無理だよね、で、こんな設計になったんでしょう。車体設計は寝台車輌と同じサイズ(と言うか設計を流用したと踏んでいます)にしたので、こんなに天井が高いのでしょうね。この583系寝台電車の走行性能は485系とニアリーイコールのはずです。現代の目で見ると、サロ581なんか作らずに、サロ485を連結してしまえば良いような気もしますけど。ハザです。手持ち撮影です。暗いので少しでも露光時間を短縮しようと絞りは全開にしています。一番奥にピントを合わせてシャッターを切ったので、手前の座席は少しピン甘になってます。この車輌は、昼間特急として使用する場合はこのようなボックスシートになっていました。急行型のボックスシートに比べるとピッチが遥かに大きいので、まあ、良いか、という判断だったのでしょうね。寝台を組み立てるとB寝台としても使用可能な車輌です。形式はモハネ583です。形式名からは寝台専用車輌と区別は付きません。「きたぐに」は営業上の要請と思いますが、寝台として供用するモハネ582&3とハザとして供用するモハネ583&582が混じっています。ハザと同じ形式の車輌ですが、こっちはB寝台として使用されている車内です。今では殆ど目にしなくなった三段寝台です。はしごが複雑怪奇なのです。 →こっちがA寝台でした。「鉄」を自認する私なのですが、恥ずかしながら、三段寝台で寝た経験はありません。B寝台では三段寝台が主流であった頃には、まだ若くて貧乏で(今でも貧乏ですが)、寝台に乗るなど想像も出来ませんでした。ひたすらハザばかりに乗っていました。やっと寝台に乗れる身分になった時には、B寝台は二段ばかりになってしまっていたのです。やはり三段だけあって、上下のスペースは非常に狭いです。ハワイ真珠湾で見た潜水艦バウフィン号の乗組員のベッドを思い出しました。 →A寝台の証拠のスリッパがくっきり。B寝台の便所です。A寝台とかわりません。冷房装置の制御部です。乗客が弄れるのです。車体のエンブレムです。手持ちで撮影してまして、かなり手ぶれしてますが、ブログ用に圧縮すると目立ちません。あはは。銘板です。583系ですので製造は古いです。昭和45年の近畿車輛製でした。車齢40年弱です。改造を受けていないので、プレートの数は少ないのでした。以上で、583系寝台電車で運行されている急行「きたぐに」のレポートをお終いにします。この急行「きたぐに」に使用されている583系車輌はアコモ改善は殆どやってませんが、色は国鉄時代とは違う配色に改めています。国鉄時代の配色の車輌はJR東日本にしかないようです。昨年7月に仙山線を走った国鉄色の583系の写真も過去日記に載せています。宜しければ比べてみてください。この写真を撮影したあとには、新潟発新宿行きの快速「ムーンライトえちご」のグリーン車に乗りました。更に東京でターンして効用を求めて東北を彷徨うのです。次回は、「ムーンライトえちご」の車内からレポートを再開します。宜しければお付き合いください!。 →ボケてました。皆さんどうかお許しを。【本日のマイレージジャンキー的な成果】ローソン(JCB) 1×1.5倍≒約1マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/24
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「楽天ブログ管理画面改悪問題」については24日午前7時現在楽天側は一切の対策を打たずに事態を放置したままになっています。19日のスタッフブログで「ごめんなさい、何とか致します」声明発表以降沈黙を守っています。19日のスタッフブログ「管理画面について」へのトラックバックは474件に達しました。楽天ブログスタッフの次の一手が楽しみです。今回も、FZ50のデビュー戦の際に撮影した画像をご紹介していきます。今回のお題はこれです。583系寝台電車で運行されている急行「きたぐに」です。この583系電車はかつては、昼行特急と夜行電車の両方に使用され、東京口では東北方面の特急電車として目にすることができました。しかし、経年劣化が進み、次々に退役し、現在でも583系寝台電車を定期運用しているケースは、この急行「きたぐに」だけになってしまいました。この急行「きたぐに」は全編成583系電車で運行されています。バラエティがあって、 A寝台 B寝台 グリーン(座席)車 普通(座席)車で構成された10両編成で運行されています。走行区間は大阪駅から新潟駅までで、毎日一往復走っています。まずは車号からご覧下さい。大阪方から クハネ581-37 モハネ583-37 モハネ582-87 サロネ581-4 サロ581-29 モハネ583-68 モハネ582-68 モハネ583-75 モハネ582-75 クハネ581-22の10両編成です。6M2Tです。ちょっと目立つのは581系と583系が混じっていることです。この寝台電車は関西と九州を結ぶ路線に最初に投入した関係か、直流電源と60Hz交流電源に対応した車輌として製作されました。これが581系電車です。その後活躍の範囲を広げ、糸魚川・富士川以東でも走行できるように、50Hzにも対応できるように改造を行ったものが583系なのです。両形式の違いは電源だけですので、583系は電動車しかありません(形式に「モ」の字があるものが電動車)。そんな訳で、電動機を積んでいない、制御車やA寝台やグリーン車が581という形式なのです。所属は「京キト」でした。昼間は向町で寝ているんでしょうね。ヘッドマークは新潟県の地形と佐渡おけさです。急行「きたぐに」よりも、今は亡き急行「佐渡」(現在のムーンライトえちごと概ね同じダイヤでした)に似合いそうです。今回はここまでにします。次回も急行「きたぐに」をレポートします。今度は車内での撮影分をご紹介いたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】再掲キオスク(SUICA) 3マイル(JL)ローソン(JCB) 1×1.5倍≒約1マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/24
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今日も書き出しは楽天ブログの管理画面の問題です。18日から楽天ブログの管理画面が非常に使い難くなりました。楽天さんがSNSに強引に誘導することを目的に、機能アップもしないで管理画面を大幅に変えてしまったのでした。これに対し、ユーザーからはかなりエキセントリックな反応がありました。楽天のスタッフブログへのトラックバックがまだまだ増加中です。詳しくは18日の楽天スタッフブログと19日の楽天スタッフブログをご覧頂くと宜しいかと存じます。壮観です。2チャンネル全盛期の「祭り」の迫力はありませんが、大人しい楽天ブログの世界では中々のものです。さて、今回もFZ50(パナソニックのデジカメ)のデビュー戦というか試運転旅行の続きです。FZ50の前はFZ30を使ってました。このFZ30は大ズーム+手ぶれ補正で明るいところでは強烈な能力を発揮するのです。飛行機を撮るなら非常に便利です(FZ30のデビュー戦は米軍嘉手納基地を題材に取りました)。でも暗いところに弱いのです。FZ50では暗いところでの撮影性能が向上した、との触れ込みでした。そこで、新潟で暗いものを盛んに撮影致しました。上の画像は新潟駅の新幹線口です。F2.8(絞りを開いた状態)で撮影しました。同じ構図でF7.1まで絞った画像です。街灯の光の拡散の仕方が違いますでしょ。同じく新潟駅構内で暗い場所での撮影分です。忠犬たまです。忠犬ハチ公は有名ですが(渋谷駅と大館駅にありますね)、タマ公は余り有名じゃありません。そもそも「たま」は猫の名前ですよね。今度は鉄道車輌です。だんだん所期の目的から離れてきました。はー。撮影テストが目的のはずだったのですが…。まあ、撮影テストは新潟市内の信濃川&万代橋でさんざんやったので、もういいと言えば、良いのですが…。露出ブラケットという機能で、普通・明るい・暗いで三連写してみました。この車輌は気動車です。形式はキハ52と云います。かつて日本国有鉄道の標準機関車の地位にあった20系気動車の末裔です。20系と言いつつ52という形式名なんですが、これは発動機を1台積んでいるものはキハ22、発動機を2台積んでいるものはキハ52と呼称したために、こんなナンバーなのです。JRで生き残っているナローボディ気動車の最後の形式です。しかも、この色は国鉄時代の標準気動車色でしたので、色々と撮影してしまいました。所期の目的の「撮影テスト」から「ただの鉄」になってしまいました。ちなみにこの車輌は「新ニツ」所属でした。新津の車輌です。車号です。キハ52-122でした。表示には「キハ52122」とハイフンが入っておりません。この記載方法も懐かしいです。サボもまた古臭いのです。良い感じです。昨年5月に訪れた山田線の臨時列車「快速・秘境駅」号を思い出しました。郡山工場で全般検査を行ったことを示しています。キハ52は結構色々なところで生きています。冬の青春18きっぷではJR西日本の大糸線を走るキハ52に乗ってきました。こちらはバリバリとは言いませんけど、結構な山岳路線を走るので迫力がありました。別の構図からです。殆ど同じ設計なんですが、昨年の4月には茨城交通湊線を走る気動車も撮影してきました。こちらは、エンジンを1台積載したキハ22に近いものです。これは手持ち撮影分です。ISO800で25分の1秒の露光にしました。苦しいです、ノイズが。縮小したブログ画像なら我慢できますが、A4に引き伸ばす気にはなれませぬ…。実用の限界はISO400かISO200ですね。キハ52の運転台です。ガラス越しのストロボ付という悪条件です。こんな古い形式なのですが、保安装置はATS-Psです。まあまあ強力なものを積んでいます。こういうところがJR東日本らしいです。保安装置にはお金をけちらないのです。トイレです。出荷時に近い感じです。このシリーズではやたらをトイレを撮影してしまいました。今回最後の画像は、同じく新潟駅で撮影した気動車です。100系気動車です。ローカル線の快速や各駅停車に使用されています。今回はこんな感じで切らせていただきます。この気動車を使ってカメラのテストを続けているうちに、またまた著名列車が入線してきました。急行「きたぐに」です。次回はこの列車の画像をご紹介します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】キオスク(SUICA) 3マイル(JL)ローソン(JCB) 1×1.5倍≒約1マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/23
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楽天ブログの管理画面リニューアルへのトラックバックは依然として増えつづけ、19日分の楽天スタッフブログ記事に対するものも400を超えました。18日分へのトラバも増えつづけています。炎上状態ですね。さすがにそろそろ楽天スタッフさんからの反応があっても良さそうですけど…、沈黙を守っています。ここまで引っ張ると、何か次の一手を打ち出さないとスタッフブログの更新もままなりませんね。私としては、管理画面の幅が広くなりすぎているのが使いにくいです。インターネットエクスプローラーを全画面表示にせずに使っているので、普通のブログ画面と同じくらいの幅にしてもらえると嬉しいのですがねえ。どうでしょ?、楽天スタッフさま。今回から新シリーズです。昨年11月のFZ50のデビュー戦をレポートします。私のブログに掲載している写真は殆どがFZシリーズで撮影したものです。パナソニックの大望遠シリーズなんですが、殆ど皆勤賞で買っております。私のFZ遍歴は FZ1 光学12倍ズーム初号機 2メガ FZ10 画素数4メガへ 重かった FZ20 画素数5メガへ オールプラスチック FZ30 画素数8メガへ 手動ズーム燃費良し FZ50 画素数10メガ!とこんな感じです。FZ1を手にした時には萌えました。でもノイズの多さと、画素数の少なさによる画質の荒さにだんだん幻滅しました。FZ10は重すぎ(オプションを入れると1キロ)で1年足らずで売却。FZ20は惚れ込みました。これはいい機材でした。FZ30は可も不可もなしでした。そしてFZ50へ、です。今回のレポートはFZ50を手にして舞い上がって、旅行出発の前日に思い付きでチケッティングして、準備無しで出動したので、旅程の筋は悪いです(冬の青春18きっぷもそうですが)。まあ、カメラのテスト目的であったとご理解ください。なお、使用した切符は「土日きっぷ」というJR東日本が発行しているフリー切符です。土日のみ有効で、18000円で、仙台以南乗り放題、新幹線自由席もOKという代物です。三連休パスに比べると若干割高感が残る切符ですが、通年発売ですので、割と使いやすいです。最初の画像はあずさ号(E257系の方)の車内です。先ずは中央本線で信州を目指したのでした。何も考えていない乗車でした。小淵沢駅と小海線です。小海線と言えば高原列車の代名詞みたいな線区です。信越本線(軽井沢~篠ノ井)が経営分離されてからは、JR線としては盲腸線になってしまい、ちょっと乗りにくくなりました。なーんも考えずに、終点の松本まで乗りました。無計画の極致でした。とにかく、特急に乗って元を取ろうと、あずさ号の次は、JR東海のしなの号に乗って長野へ出ました。「しなの」はJR東海の特急ですけど、JR東日本の線路も走りますので、土日きっぷでも乗れる区間があるのです。この画像は大望遠で撮影したものです。大望遠性能はFZ30と変わりありませんでした。383系電車です。特急電車で「クモハ」は珍しいですよね。しなの号というと昔は381系という日本国有鉄道初の振子車輌(量産型では最初です。試作車輌として391系がありました。)でしたが、今は予備車扱いになってしまい、中央西線では殆ど目にできません。紀勢線のJR西日本部分では結構見ますけど。この辺からカメラの試運転らしい写真になって行きます。FZ50は、FZ30に比べて強化された部分がいくつかあります。感度の増強と、被写体ブレを感知して自動的に感度を調整する機能です。上の画像はストロボ付で撮影したものです。こちらはノーストロボで6分の1秒です。どうでしょう…。ノーストロボで8分の1秒です。なかなか行けます。暗い場所での撮影のテストは結構良好な実績と言えるでしょう。更に厳しい環境で撮影を行いました。これはストロボを焚いたものです。ノーストロボで6分の1秒です。ISO800です。さすがにノイズが目立ちます。しかし、何が写っているかは分かります。こんな感じでテストを重ねながら、信濃路を北上して参りました。この辺りはもう篠ノ井線です。カメラの試運転旅行ですので、紅葉を撮影したかったのですが、なかなか綺麗に赤く染まっている場所にたどり着けません。長野市周辺はこんな感じでした。長野駅です。今でも長野オリンピックのシンボルマークが掲げられていました。長野からは新幹線で東京に戻りました。東京からは二階建て新幹線のMAXときで新潟へ移動しました。フリー切符を買うと、本能的に距離を稼げる新幹線に乗ってしまう傾向が強いのです。それにしても、このMAX普通車の二階の3-3シートはなんとかならんですかねえ。快適ではないのです。MAXときの灰皿です。ストロボを焚いたものです。こちらはノーストロボです。ISO800で6分の1秒です。やはりノイズが…。FZ30は最大感度はISO400でした。でもISO400まで感度を上げるとノイズが多くなり、とても人に見せられない写真になってしまいます。FZ50になって画像エンジンが変わって、ISO800まで(別途高感度モードでISO1600もありますが)感度が上がったので楽しみにしていたのですが…。やっぱだめでした。今回最後の画像は新潟駅周辺のラーメン店のラーメンです。なかなかいけました。次回は新潟駅周辺での夜間撮影のテストの成果をご紹介します。若干鉄分が濃くなります。宜しければお付き合いください。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/23
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楽天ブログの管理画面への厳しい反応で、楽天様のスタッフブログのトラバ数に注目してたのですが、19日分へのトラバは300件台半ばに留まっています。18日分の400件以上には及ばないようです。ちょっと残念です。また、前々回の日記でエロトラバの件数記録を更新したのですが、昨日アップの前回の日記には87件も来ました。一日で記録を再更新しました。これもせっかくなので保存します。話は変わりますが、実に恐ろしいことに、そのまんま東氏が宮崎県知事に当選したようです。どんなことが起きるのか…。想像するだけで恐ろしいです。さて、このシリーズも今回でおしまいにします。回数は9回と少ないものの、掲載期間中に都内で開催されたイベントのスペシャルレポートをバンバンアップしたので期間は飛び飛びになってしまいました。前回までは呉市の色々なものをご紹介しましたが、今回は対岸の江田島に渡ります。呉港と江田島の間にはこのようなフェリーが頻繁に走っておりました。呉港に入港するところです。短い航路のフェリーなのです。航走時間は短いものの、交通量は結構ありました。自動車がドンドン船内に吸い込まれていきました。船内です。20~30分で終わってしまう航海なんですけど、船内は連絡船の佇まいです。マス席までありました。そう言えば、昔ご紹介した関門フェリーもマス席がありましたね。呉港を離れます。あっという間に目的地小用港に到着です。小用港に到着したところです。手際よくランプが降ろされて、自動車がどんどん降ろされて行きました。小用港からはバスに乗り換えました。この辺りは江田島市のはずなんですが、バスの呉市交通局でした。数分も走ると、この停留所に到着します。術科学校前です。ここから先は徒歩移動になりました。目的地の正門です。まあ、入口は普通の自衛隊施設です。これが見学案内板です。旧海軍兵学校は現在は海上自衛隊の学校として使用されています。言ってみれば、現役の軍事施設なのです。校内の見学は、海上自衛隊員によるガイドツアーに限定されています。校内を案内してくれた海上自衛隊員です。この制服は旧海軍兵学校の制服と概ね同じデザインです。海上自衛隊生徒の方です。自衛隊員の募集は大卒対象、高卒対象が主力ですが、一部中卒を対象に募集を行うものがあります。陸上自衛隊であれば少年工科学校、海上自衛隊であれば海上自衛隊生徒です。各自衛隊の下士官を育成する過程です。但し、残念ながら海上自衛隊生徒は廃止が決まっています。最初に案内されたのは大講堂です。海軍兵学校の講堂として建築されたそうです。海上自衛隊の施設にありがちなんですが、非常に良い状態に整備されています。中はこんな感じです。玉座がもうけられています。旧海軍兵学校の卒業式には天皇の名代が出席していたそうで、そのためにこのようなものが作りつけられているそうでした。現在でも、用途は変わらず、入学式や卒業式をここで行うそうです。2000人くらい入れるそうです。色を見れば直ぐに分かりますが、花崗岩で作られています。建築年度は大正6年だそうです。旧海軍らしい、イギリス趣味の建物でした。次は幹部候補生学校庁舎です。通称「赤レンガ」と言うそうです。明治26年の作品です。この建物に使われているレンガは全てイギリスから輸入されたものだそうです。その際にレンガを金属製の容器に入れて輸送したそうな。イギリス人はレンガを指してブリックと呼んでいたのですが、日本人は容器を指していると勘違いして、日本語が一つ誕生しました。そうです。「ブリキ」の語源は海軍兵学校の建築材料だったのです。このレンガは建築後100年以上を経てもこの通りすべすべしております。そこで、このレンガに触ると、年をとっても肌がきれいでいられるという言い伝えがあるそうな…。隊員の方に進められて、皆さんレンガに触れていました。大講堂と幹部候補生学校庁舎のツーショットです。晴れていないのが残念。戦艦陸奥の主砲塔です。海軍兵学校の教材として据え付けられたそうです。案内してくれた隊員の方々です。次は教育参考館です。昭和11年の作品です。内部には、海軍に関する諸資料が展示されているのですが、残念ながら撮影禁止ですので、ご紹介できません。聖地という色彩を強く前に出した演出になってました。東郷平八郎、ネルソン、山本五十六の遺髪などもございます。教育参考館の脇に展示されていて甲標的です。昭和16年12月に真珠湾に潜入したもののうちの一隻だそうです。以上で、旧海軍兵学校の見学はお終いです。呉も江田島も地上設備は本格的な空襲を受けておりません(停泊艦艇には艦載機の攻撃が加えられました)。その結果、この通り、戦前の建築物がすっきりと残っている訳です。再びフェリーに乗って呉に戻りました。呉駅です。駅前のモニュメントはスクリューでした。造船と海軍の街らしいですね。長々お付き合い頂きありがとうございました。前半の松山と、後半の呉で全然雰囲気が違うレポートになりました。どっちの街も魅力的です。呉に関しては時間的な制約から見落としたものが沢山出てしまいました。また、来ることになるでしょう。次回からは、昨年11月に実施した、デジカメ(FZ50)購入後の撮影テストのための小旅行をレポートします。JR東日本の「土日きっぷ」を利用したために、ちょっと鉄分が濃くなります。宜しければお付き合いください。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】ローソン(JCB) 1×1.5倍≒約1マイル(NH)モノレール(SUICA) 4マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/22
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楽天スタッフブログの炎上はペースを落としながらも粛々と継続中みたいですね。告知の回へのトラバは400超、ごめんなさいの回へのトラバも300を超える勢いです。リンクス退会騒ぎも起きているようです。どのように事態を収拾するのか…。興味津々です。ついでに私のブログもエロトラバの新記録達成です。前回の日記に49本のトラバが付きました。那覇市から帰ってきました。完全に空振りでした。悪天候で何も出来なかった…。確定レポートなしの旅行になってしまいました。涙。実況レポートでご報告した通り、那覇都市モノレールの車窓を動画撮影しただけで終わってしまいました。さて、本題です。今回も松山&呉レポートの続きをお送りします。今回のお題は「大和ミュージアム」にしようと思うのですが、その前にこれをご紹介します。「大和むすび」でございます。大和ミュージアムの前で売られておりました。こんなものでございます。これで500円なり。戦艦大和で最後に兵員に配られた「戦闘配食」のレプリカです。戦艦大和ではかなり前から総員戦闘配置が下令されていたので、最後の食事は各員の持ち場で直ぐに食べられる、こんなものだったようです。先ずは屋外展示物をご紹介します。戦艦陸奥の主砲です。陸奥は戦時中に事故により瀬戸内海で爆沈しました。そのような事情で、今でも色々なものを回収出来るのです。大和は外洋で沈んだので、回収は極めて困難なのですが…。これが入場券です。もちろん、絵柄は戦艦大和です。入館すると最初に目に入るのが、この戦艦大和の10分の1の模型です。まあ、これがでかいんです。大和には色々な造船技法が試されていて、戦後の造船業に大きな影響を与えています。独特の船首の形状(当時は、です。今では極普通の形状です)なんかもそうです。水の抵抗を減らして、速度や燃費の向上に役立っているそうです。ディティールにも当然気合が入っています。大量の高角砲や機銃が装備されています。副砲と主砲でございますな。大和級の弱点は副砲の防御にありました。副砲が被弾すると比較的簡単に誘爆する構造であったとする説が多いのです。艦橋です。大和のように大口径の主砲を積むと、当然主砲の射程は延びます。水平線の向こうにいる敵に狙いをつける必要が生じます。艦橋が高くないと主砲の能力を発揮できないのです。上から見下ろしたものです。大和のものかどうかは定かではありませんが、機関室のレプリカです。小型の潜水艦の展示もありました。甲標的かなあ…。魚雷を外側に抱いています。普通の潜水艦よりも遥かに小さい船体なのでした。各種の艦砲弾です。それなりに大きいものです。零式艦上戦闘機ですね。これは63型だそうです。国内で掘り起こしたものだそうです。大和ミュージアムの展望テラスから見た風景です。結構高さがあるので眺望良しでした。大和ミュージアムの直ぐ脇に、この「展示潜水艦」がありました。まだ据え付けたばかりで内部の公開は始まっておりませんでした。4月からは中に入れてくれるそうです。こんなものを見つつ、大和ミュージアムの参観を終えました。非常に人気のある施設、という感じです。とにかく混んでました。戦艦大和は日本海軍が建造した、世界最大の戦艦であり、宇宙戦艦ヤマトがアニメ作品として大ヒットしたこともあって、日本では非常に有名です。しかし…。海外では驚くほど無名なのです。実戦参加が少ないからでしょうね…。次回は、江田島の旧海軍兵学校をレポート致します。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】ファミマー(EDY) 6マイル(NH)宿代(EDY) 14マイル(NH)マンガ代(EDY) 6マイル(NH)モノレール(SUICA) 4マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/21
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楽天様のスタッフブログがトラックバックで炎上してますね。管理画面改悪がよほどユーザーの神経を逆なでしたのか…。告知した回に400以上、ごめんなさいした回に200以上もついています。凄い数です。壮観です。侃々諤々の議論ではなく、不評一色です。楽天スタッフの 方 → 肩 を持つ人は殆ど居ません。どうする?、楽天スタッフ…。 →こんなに短い日記で変換ミスをやってしまいました。 →笑人さん、ご指摘ありがとうございました。新管理画面の極端な不評に苦しむ楽天スタッフ様の次の一手に興味津々です。ところで、本題です。バーゲンフェアで沖縄に来ました。しかし悪天候で何もできないです。うーん。あまりに成果がないので、出発レポートも帰着レポートもなしになりそうです…。我ながら不運です。仕方がないので、沖縄都市モノレールの車窓を延々と動画で撮影してました。東京に帰ったらねっとりアップします。
2007/01/20
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楽天ブログにクレーム殺到です。今日から楽天ブログの管理画面がリニューアルされました、猛烈に使い難いです。ユーザーに恨みでもあるんか…。誰がどのように発想すると機能も増やさずにこんなことが出来るのか…。階層構造も分かり難いし…。スタッフブログへのトラックバックでも酷評散々です。非難轟々でした。当然でしょう。さて、本題です。間が空きすぎた瀬戸内縦断レポートの続きをお送りいたします。はい。前回は瀬戸内を渡るフェリー「四万十川」をご紹介しましたが、今回は呉に到着したところからです。カーフェリーを降りて直ぐにまた船に乗ったのです。今度の船は「くれ歴史ロマンクルージング」です。要するに呉の軍港を巡る観光船です。これが切符です。1000円でした。大和ミュージアムの入口がこの観光船の集合場所でした。ここに集まってから埠頭に進むのです。大和せんべいの試供品をくれました。この煎餅は結局土産物として買ってしまいました。こいつが船内です。中央に立っているのがボランティアガイドさんです。この人が色々と説明してくれました。説明内容が造船業に集中していました。何となく退役造船エンジニアという感じがしました。早速出発です。軍艦(自衛艦)を見ながら湾内を進みます。窓ガラスが塩分で汚れているので絵が汚いです…。艦番が4000番台ですね。外見は護衛艦なんですけど、違うのかな。左側の船には「とわだ」という艦名が書かれています。右側に潜水艦が見えますね。海上自衛隊名物の通常動力潜水艦です。日本は歴史的な事情から原子力潜水艦を保有していません。先進国で原子力潜水艦を持たないケースは少ないのです。そんな訳で通常潜水艦が異常な発達を遂げているようです。どの国の海軍でも潜水艦は最も秘匿性が高い兵器であり、機密保持に気を使うものです。我が国海上自衛隊も例外ではありません。潜水艦には艦名も艦番も書かれていません。日本の場合は、大抵の軍艦(自衛艦)は国産です。趣味の問題かも知れませんが、国産主義が貫徹されています。潜水艦も同様で、全部国内で作っているようです。潜水艦という船は構造が特殊であり、専門の造船所じゃないと建造できません。日本の場合は神戸にある2箇所の造船所で交互に建造しているようです。軍艦建造と言うのは因果な商売で、建造を止めてしまうと直ぐに技術の散逸が始まってしまいます。生産能力を維持するために、潜水艦専門の造船所にいつも仕事があるようにしておかねばならないのです。そんな訳で、神戸の二箇所の造船所で通常動力潜水艦を作りつづけた結果、我が国海上自衛隊には潜水艦が余るようになってしまいました。潜水艦と言うものは鉄道車両並みの寿命がありまして、20年は楽にもつのです。潜水艦見物が終わると、早速帰路に就きました。呉と江田島の中間にある小島の灯台です。米軍の倉庫です。日本の大きな軍港は、横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊の5箇所なんですけど、そのうち、横須賀と佐世保は合衆国海軍の基地です。合衆国海軍で外国の軍港が空母の母港になっているケースは日本の横須賀しかありません。佐世保は強襲揚陸艦の母港になっています。米軍は、沖縄の海兵隊、岩国の海兵隊航空隊、それを載せる佐世保の強襲揚陸艦、横須賀の海軍部隊がセットになって東半球での戦争を遂行します。在日米軍はアメリカの軍事戦略において非常に重要な地位を占めていました。今後はこの関係は徐々に失われていきます。日米同盟がどのように変貌していくのか…。これに対し、呉には米軍戦力はありません。この倉庫だけなんです。非常に日本色の濃い軍港なのです。湾内の小島です。戦争中までは旧海軍の弾薬庫が置かれていたそうな。海上保安大学です。海上保安官を育成する学校です。割とよく知られていますが、海上自衛隊の生まれは他の自衛隊とは異なります。多くの教科書には陸上自衛隊の生まれは書いてあります。警察予備隊→保安隊→自衛隊というステップが書かれているのです。これに対し、海上自衛隊は、海上保安庁の一部として発足しかけた経緯があります。海上自衛隊と海上保安庁には根深い近親憎悪の関係が延々と続いてきたと言われています。多分本当です。関係が悪いことは船名艦名を見ればわかります。同じ名前の船が海上自衛隊と海上保安庁の両方にあるケースがたくさんありました。流石にこれは酷い、というお話になったのか、今後は同名艦船の建造は行わないようです。映画「海猿」に登場した階段です。映画では、この階段を登ったり降りたりする訓練のシーンが登場しました。ガイドさんによると、海上保安大学校では、階段の上り下りの訓練は行っていないそうです。あはは。以上で、湾内クルーズはお終いです。次回は大和ミュージアムをレポートします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/19
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本日から楽天ブログの管理画面がリニューアルされるみたいです。機能強化はアナウンスされていないので、単に管理画面が変わるだけみたいです。操作性が向上するのか、逆に低下するのか…。ちょっと不安です。さて、正月休暇以来、青春18きっぷツアーを入れすぎたり、都内のイベントに参加したりしたことが多くて、実況レポートやインターミッションを入れ過ぎて、ブログの更新がやや荒れております。コメントへのお返事も滞り気味で申し訳ありません。どこかの週末で建て直しをしたいのですが、今週末も遠出しますので、中々建て直しのチャンスがありません。どうするべ…、悩んでおります。このシリーズも、途中で他のレポートを入れたりして、各回の感覚が開き過ぎました。既掲載分へのリンクを作ってみました。日付が飛んでますこと…。5日に書き始めて6日、10日、11日、12日という更新のタイミングです。我ながら酷いです…。(1)出発から伊予鉄道古町駅まで(2)伊予鉄道の「坊ちゃん列車」の驚くべき方向転換作業(3)伊予鉄道の「坊ちゃん列車」で古町駅を出発(4)伊予鉄道の「坊ちゃん列車」で道後温泉駅へ移動 (5)伊予鉄道を乗り継いで松山観光港へ 本題に入って参ります。前回は、松山観光港に到着して、松山から呉に向うフェリー四万十川に乗船する直前までをレポートいたしました。今回はフェリーでの移動をご紹介いたします。カーフェリーに良くあるケースですが、車輌甲板の脇からの乗船です。こんな感じで車輌もバンバン乗ってきます。瀬戸内にはこんな船がガンガン走っています。瀬戸大橋とかも出来ましたが、こういう架橋がなされる前から、海の道で結ばれていたんですねえ。内航船が独特に交通網を形成しています。関東地方とはかなり雰囲気が違うのです。軽く船内を一回りして見ます。この船は瀬戸内を数時間だけ走る船ですので、やや簡素な造りになっていました。この画像は休憩室ですね。マッサージチェアが見えます。ゲームコーナーです。数時間の航路なので、エンターテイメント設備はこのくらいでした。旅客デッキです。鉄道車両の特急普通車の椅子みたいな感じでした。短い航路なので、この他にはスタンド形式の売店があるのみでした。食堂もありません。後部のオープンデッキです。遅いフェリーにはこのような露天デッキがあるのが嬉しいです。圧倒的に写真を撮りやすいのです。速い船だと安全面から露天デッキを設けることが出来なくなります。松山から呉までずっとこの露天デッキで過ごしました。車輌の積み下ろし用のランプウェイですね。前後両方に設置されていました。ここから先は後部露天デッキからの撮影分が続きます。最初の画像は船から撮影した松山観光港のターミナルビルです。出航時に撮影した海岸線です。砂浜という感じではありません。このような海岸線ですと、水深があって、喫水が深い船も安心して入港できそうです。航走時の波です。余り速くないのです。この後に下地島に行った時に波とは大違いです。瀬戸内と違って、沖縄近海の内航船はとにかく速いのです。この四万十川はゆっくりと着実に進みました。海上は非常に明るいのです。この写真は高松方向を撮影したものですが、プログラムAEモードで、F11の800分の1秒が設定されました。F11です。下関方向を撮影したものです。割と多くの漁船やプレジャーボートが出動してました。山肌には灯台がありました。呉港の入口です。何となく佐世保に似ています。外部から港内を見ることが出来ない地形なのです。この画像に写っている赤い橋を潜って右に進むと呉港なのです。防衛上有利な海岸を選んで軍港を建設したのでしょう。呉の色々な場所で目にした光景です。最近の海運業の好況を反映してか、建造中の船体を至るところで目にしました。軍港である割には軍艦の建造シーンは少なく、形状から判断する限り、民間高速輸送船ばかりでした。呉の湾内に入ったところです。前の前の画像に写っていた赤い橋が見えます。呉湾の中心部に停泊していた海上自衛隊の船です。最初に目に入った軍艦でした。輸送艦「くにさき」です。上部甲板をパーキングスペースとするために平面にしてますので、独特のフォルムになってます。何となく空母に見えますが、固定翼機の着艦は不可能なのです。一応輸送艦という艦種に分類されていますが、強襲揚陸艦に近い機能を持っています。すれ違った船です。クラシックな外観です。観光船かなあ。呉湾の中でも盛大に輸送船の建造が行われてました。タンカーみたいですね。軍港に隣接する日新製鋼の向上です。製鉄会社が船を持っているのかしら。船体にNISSHIN STEELと記されています。逆光が厳しい写真ですが、日新製鋼の工場です。高炉らしいものは見えませんでした。高炉が無い工場なのかも知れません。この画像の向上は形状から推測して圧延工程のもののようです。呉のフェリーターミナルが近づいてきました。フェリーターミナルの横に停泊していた船です。海上自衛隊の補助艦艇なんでしょうね。非常に小さな船です。フェリーターミナルを出発していく船です。車両用のランプを下げたまま航走していました。呉港と江田島を結ぶ船です。船舶にしては短い区間を走るのでこんな航走になっているのでしょうね。フェリーターミナルの直ぐ脇に潜水艦が見えます。海上自衛隊の退役潜水艦で、内部を一般公開する予定の船です。今年の4月にオープンするようです。公開開始後にもう一度呉に来たいですね。入港時に撮影した補助艦艇群です。フェリーターミナルの近くには、このように小さな船しか停まれません。大型艦艇はもっと沖のほうの泊地に居ました。次回ご紹介します。漸く入港です。フェリー四万十川ともお別れです。カーフェリーにありがちな入港シーンですが、旅客よりも先に車輌の積み下ろしが始まります。せっかちに自動車が出て行きました…。次回からは軍港である呉の散策レポートに致します。呉港に入った直後に今度は軍港巡りの観光船に乗船しました。このシリーズの後半は海上移動の連続です。次回は、観光船ツアーをご紹介いたします。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】朝食(SUICA) 4マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/18
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楽天様が新しいツールを考えているようです。クリック数に応じてポイントが貯まるツールみたいです。これは結構期待できるような気がします。詳細の発表が待ち遠しいですね。さて、最近の厳しい青春18きっぷへのご声援コメントありがとうございました。正月関連のインターミッション(皇居一般参賀・東京消防庁出初式・警視庁年頭視閲式)とか、旅行実況レポートで確定レポートの行進がズタズタになってしまいました。まあ、特別レポートを作るのは楽しいのですが…。調子の乗ってレポートを作ったので、気がつくと12月以降の日記通数が300を越えていました…。読みにくくなってしまいました。今回から「瀬戸内縦断」レポートを再開します。随分間が空いてしまいました。前回までは、松山の伊予鉄道の坊ちゃん列車を延々とレポートしてきたわけですが、今回からは内容ががらりと変わります。今回は二日目の朝からです。この旅行ではホテル代をケチって、漫画喫茶で夜を明かしました。松山駅前の漫画喫茶を出たところです。伊予鉄道の路面電車に乗り込みました。早朝だけに貸切でした。この電車で、松山駅前停留所から松山市停留所へと移動しました。移動する過程で撮影した路面電車の運転台です。非常に簡素なつくりです。路面電車というのはどんな保安装備を積んでいるんでしょうねえ。数分で伊予鉄道の松山市駅に到着します。ここで、伊予鉄道の高浜線に乗り換えるのですが、その前に、路面電車の車体をもう少し撮影しておきました。やっぱ、路面電車は良いものです。日本で路面電車の車輌を楽しむのであれば、広島か高知だと思っていたのですが、松山市もなかなかのものでした。ぼろぼろになってますけど、系統の看板です。錆びてました。この松山では循環線というか環状運転もやっているんです。松山市駅からはこの電車で高浜に移動しました。京王帝都の5000形だった車輌です。なんか懐かしかったのでした。この電車に20~30分くらい乗ると、高浜駅に到着しました。高浜駅です。この駅で伊予鉄道ともお別れです。今回のテーマは鉄道雑談を選択しましたが、ここから先は海が中心になってまいります。高浜駅からは、この伊予鉄バスに乗って松山観光港に進みます。1キロちょっとなんで歩いても何とかなりますが、バスがあるときにはバスに乗ります。これが松山観光港のフェリーターミナルです。CIQは無いみたいですが、大した規模でした。関西方面、九州方面、瀬戸内沿岸に向けて結構な便数が運行されておりました。先ずはこのチケットを購入しました。呉港まで2150円でした。松山観光港→呉港の間にはフェリーと高速船の二種類が運行されているのですが、時間の関係でフェリーを利用したのでした。船を待つ間に、他の航路の船を撮影して置きました。この、いかにも速そうな船体はシーマックス号です。福岡県北九州市の門司港までぶっ飛ばす船です。一度乗ってみたい気もしますが、揺れそうで恐いです…。出航していきます。太い排気管と黒い排気煙が速そうです。全力を出すと凄いことになりそうでした。こっちはカーフェリーです。フェリーダイヤモンドという名前のようでした。速くは見えない船体ですが、たくさん積めそうです。私が乗ることになる、呉行きのカーフェリーが近づいてきます。接岸しました。早速乗り込みました。乗船タラップから撮影したフェリーターミナルです。大きな建物です。少し望遠気味にして撮影したものです。何となく、関西航空のターミナルに印象が似ていませんか?。これが船名です。「四万十川」という名前でした。まあ、四国の川ですが、四万十川は高知県ではありませんでしたっけ…。電車みたいな行き先表示板がありました。松山発呉経由広島行という感じですね。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】朝食(SUICA) 5マイル(JL)キオスク(SUICA) 1マイル(JL) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/17
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この回は過去日記へのリンク付目次です。新しい内容はありません。旅行記の整理のために時々このようなページを挟んでいます。今回ご紹介するのは、2007年のお正月期間中に東京都内で撮影したものが中心です。2005年は「ファーストクラスで世界を巡ろう」、2006年は「鉄道で日本を回ろう」でしたが、2007年は「徒歩で東京を歩こう」がテーマになる予感がします。その他にも、首都圏近郊で撮影したものへのリンクを付しています。宜しければ併せてご覧下さい。★平成19年 警視庁年頭視閲式 兼 部隊出動訓練 <確定レポート> その1 開会と部隊査閲 その2 機動隊の行進 その3 制服警察官の行進 その4 特科部隊の行進 その5 車列行進 その6 特車行進 その7 警視総監訓示 <動画のみレポート> 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練1 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練2 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練3 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練4 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練5 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練6 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練7 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練8 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練A 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練B 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練D 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練E 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練F 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練10 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練11 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練12 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練13 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練14 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練15 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練16 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練17 警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練18 ★平成19年 東京消防庁出初式 <確定レポートは1本のみ> <動画のみレポート> 東京消防庁出初式の開会 東京消防庁出初式 来賓挨拶の最中 東京消防庁出初式 これも来賓挨拶の途中 東京消防庁出初式 東京消防庁音楽隊演奏 東京消防庁出初式 東京消防庁音楽隊の演奏 2 東京消防庁カラーガード隊演技 東京消防庁カラーガード隊演技の続き★平成19年 皇居新年一般参賀 <確定レポート> (1) 日比谷通り→坂下門 (2) 坂下門→宮殿前広場 (3) 宮殿前広場での「お出まし」待機 (4) 「お出まし」 (5/終) 退出 <実況レポート> 皇居新年一般参賀に参加 皇居到着! 現在の皇居の行列 今、箱根駅伝が通過 依然として皇居前 坂下門前の待機場所へ 警視庁の警備車輌 暇だなあ…。 現在の待ち行列 宮殿前広場でスタンバイ 宮殿前広場の群集 参賀完了★新宿サザンテラスのイルミネーション(1本完結)★平和祈念展示資料館(新宿区)(1本完結)★遊就館(千代田区) その1 その2★ときわ路パスその2(茨城県) <確定レポートのみ> (1)発端と勝田駅までの移動やE531系車輌の内装など (2)勝田駅で撮影したキハ205の外観と車内の装備などのご紹介 (3)キハ205で勝田駅→那珂湊駅→阿字ヶ浦駅と移動する過程で撮影したキハ222及び阿字ヶ浦駅放置のキハ221 (4)阿字ヶ浦駅で撮影したキハ205(帝国車輌昭和40年製)の外観 (5)キハ222 (6/終)羽幌炭礦鉄道からの転入車キハ222の車内及び帰路で撮影したその他の画像など 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/16
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お付き合い頂きありがとうございました。今回で警視庁年頭視閲式レポートをお終いにします。枚数が増えてしまい、新春一般参賀シリーズに匹敵する分量になってしまいました。さて、本題です。終盤に入る前に…。報道陣の皆さんです。結構な報道陣が集まった割には、報道量は少なかったような気が致します。皆さん高い脚立を持ってきていました。パレードは高さがないといい絵にならないのです。警視総監訓示を受けるために、警察官が集結し、整列しました。新出動服の機動隊員です。何となくアニメっぽいです。警視総監の訓辞が始まりました。犯罪発生件数の減少、検挙率の向上、交通事故死亡者数の減少など、計数関係がやたら多い訓示でした。民間企業の営業報告みたいでした。警視総監訓示の後には警視庁の歌の斉唱が始まりました。こんな歌があるんですねえ。知りませんでした。海上自衛隊の歌だけはCDを持っていますけど。歌が終わると、最後の警視総監への敬礼が始まりました。前列で各隊旗が高く掲げられました。「警視総監殿にぃぃぃ、注目っ!」の号令と共に、隊旗が前に傾けられました。答礼する警視総監です。続いて国旗降下が始まりました。国旗の方を向くので、隊列の後を向いてくれました。国旗降下が終わる直前です。降下の後に「回れ右」の号令がかかり、元の姿勢に戻りました。以上で、警視庁年頭視閲式レポートはお終いです。この週末に「冬の青春18きっぷ」に出かける前に、どさくさ紛れに動画をアップしております。宜しければご覧下さい。【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練1 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練2【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練3【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練4 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練5【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練6 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練7 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練8【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練A 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練B【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練D 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練E【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練F【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練10【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練11 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練12 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練13 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練14 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練15 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練16 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練17 【動画のみ】警視庁年頭視閲式兼部隊出動訓練18 お付き合いありがとうございました。次回から「瀬戸内縦断」レポートに戻ります。【昨日のマイレージジャンキー的な成果】ベッカーズ(SUICA) 4マイル(JL)ローソン(JCB) 2×1.5倍=3マイル(NH) 良ければ一票お願いします。過去の旅行先の一覧はこちらに!
2007/01/15
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