夢子の夢

夢子の夢

トルコ旅行 2007 1



5月26日(土)晴れ

この日の朝9時半過ぎにオジさんがシンポール・マレーシアの出張から帰ってきた。約3時間のご対面の間で、私はオジさんの出張中の洗濯物をして、あれこれメモして、バタバタと午後1時迎えのシャトルバスで関空へ。
このシャトルバスの運転手さんオジさんが今回の出張で関空に行く時の方。
忙しい夫婦だと思ったことだろう。
関空で、友達と落ち合ってシンガポール航空にチェックイン。
両替はとりあえずは¥30000円をUSドルに。
楽天のお友達のMYCAさんが『何でも\1000円の国だから¥1000円札を沢山持っていったらいいよ。』とアドバイスしてくださったので3万円分は¥1000円札で持っていった。
16:55定刻に総勢37名のツアーのメンバーを乗せてSQ621便はTAKE OFF !!!

これからが長~い!!!先ずはSQ(シンポール航空)だからシンガポールでトランジット。シンガポールまで7時間。
今回はオンディマンドだから退屈はしない。
「フラガール」「硫黄島からの手紙」「武士の一分」と見逃していた見たい映画3本を制覇!!!
シンガポールにほぼ定刻につき約1時間のトランジットで、今度はSQ490便で23:35にイスタンブールに向けてTAKE OFF。
このとき私は持ってきていた睡眠導入剤を服用。
途中の経由地ドバイまで爆睡していた様で、ドバイで掃除のスタッフが通路を掃除機で掃除したことも何も知らなかった。
ZZZ--------zzzz====!!!
友達がこんなに騒がしいのによう寝てるわとあきれていた。^~^
ドバイで給油も終わりイスタンブールに向けて再度TAKE OFF。
今度は4時間のフライト。
5月27日(日)AM7:40定刻にイスタンブールに到着。
飛行機の中が長ーーーーーーーーーーーかったのでなんとなく足がふらつきおかしかった。
寝られた分ジェットラグ(時差ぼけ)は幾分楽だった。
イスタンブールで入国後直ぐに専用バスで市内観光へ。

5月27日(日)晴れ   イスタンブール~チャナッカレ
イスタンブールで専用バスで市内観光に出発。
トルコの現地ガイドはツナさん(男性)・バスの運転手さんはウールさん・添乗員さんは中野さん(女性)
ツナさんはとっても日本語が上手で大学も3回も行っていて、なんでもとても詳しい方。
今回は現地ガイドさんがずっと同じ方でとても知識も豊富でいい方だったのが、先ずラッキーだった。
最初にまるで地下宮殿のようなビザンチン帝国時代の6世紀に造られたかつての地下貯水槽。
整然と並ぶ大理石の円柱やレンガ造りのアーチが、まるで宮殿のように見えるので、地下宮殿と呼ばれているとか。
柱の高さ調節のためにどこかの神殿から持ってきたらしく、ギリシア神話のメドーサの首が逆さや横向きに湿っぽく暗い地下宮殿にあるのがやや不気味ではあるが、ライトアップされていて神秘的な空間だ。

次は、ビザンチン建築の最高傑作と言われるアヤソフィア大聖堂。
『聖なる叡智の聖堂』を意味するアヤソフィアは360年にコンスタンティヌス2世によってギリシア正教の総本山として創建された。
半円のドームが真ん中のドームを支える造りになっているにので内部は意外にも柱が少ない。
見事なモザイクが美しい。



アヤソフィア1


アヤソフィアのステンドグラス


アヤソフィアの大ドーム



トルコがおおざっぱにヒッタイト(1000年)⇒東ローマ帝国(約1000年)⇒オスマントルコ帝国(約600年)⇒トルコ共和国と征服者や宗教が変わったことが良くわかるように、このギリシア正教の総本山として建てられたアヤソフィアもキリスト教のイエスや聖母マリアや大天使ガブリエルなどのモザイクと並んでアラビア文字のイスラム教の言葉や飾りが混沌として存在するのがとても不思議。
これは1453年メフメット2世がコンスタンティノーブルを制圧して聖堂からモスクに改修したからで、その時、それまでのギリシア正教の聖堂を破壊することなくモスクに改修したと言うからすごいと思う。
以前小説の『ダヴィンチ・コード』に刺激されキリスト教に関する小説を読んだ時にも、キリスト教とかイスラム教とか、国とかの違いがあってもなぜか不思議と神のおわす場所は同じ場所であることが多いと書いてあった。
そのことにも通じるのかなあと思いながらそれぞれの神が同じ場所おわしたことの意味深さを感じながら見学する。
キリスト教の教会からモスクにそして1934年建国の父初代大統領アタチュルクによって博物館となっている。
このアヤソフィアでトルコがまさに西洋と東洋(ヨーロッパとアジア)の架け橋なんんだということを実感することに遭遇。
と言うほどのことではないが、ツアーの恒例のトイレタイムの行列。
前にはどこかヨーロッパ系の女性人が一杯並んでいる。
仕方なく我々日本人のおばさんたちも並んでいると、前の方から一番端のトイレを指差して「ナンタラカンタラ・・・アジアスタイル!!」としきりに言ってくれる。
私は彼女たちの動作から、ひょっとして和式のトイレがある???・・・・と思って、私より前にいる何人かのツアーメンバーに端のトイレをのぞいてみようと声をかけてのぞいてみた。
思ったとおり、おなじみの和式トイレいやイスラム式トイレ!!
よく考えたらこの国の98%はイスラム教。だったらマレーシアやシンガポールで見た和式タイプがあってもちっともおかしくないのに、妙に東西の架け橋なんだわー!!と感激してしまった。
その後、スルタンたちの豪華絢爛な住居オスマントルコ帝国の至宝の数々の並ぶトプカプ宮殿へ。
トプカプ宮殿はボスフォラス海峡と金角湾、イスタンブールの町全体を見渡すことの出来る小高い丘の上に立つ。
トプは大砲、カプは門の意味。
15~19世紀にかけてオスマン帝国の中心として国政が行われ、歴代君主スルタンと家族が暮したトプカプ宮殿は外観は地味だが、内部に入ると贅を尽くした装飾の数々にため息ばかり。
大きなエメラルドで飾られたトプカプの短剣や、アホらしいほどの大きな86カラットもあるダイヤモンドの周りを49個のダイヤモンドが飾るスプーン職人のダイヤモンド。
無造作に籠のようなものに入れられた大粒の沢山のエメラルド。
どれを見てもため息ばかり。
このトプカプ宮殿内のレストランで昼食。
メニューはドネルケバブ(塊肉の串焼き)
美味しい!!スープが豆かかぼちゃのスープで香辛料が効いていてとっても美味しかった。



マルマラ海≪トプかピ宮殿レストランの照らすより≫


トプカプ宮殿2


トプカプ宮殿の門より



トプカプ宮殿近くの屋台の店1


トプカプ宮殿近くの店2



午後はマルマラ海(このマルマラ海から沢山採れる石が大理石=マーブル)をフェリーでダーダネルス海峡沿いの港町チャナッカレへ。
ヨーロッパ側からアジア側に渡る。
今夜のホテルはダーダネルス海峡がエーゲ海に注ぐ丘の上に立つ林の中の一軒だけのホテル。
各部屋がロッジのようになっている。
明日の朝は小鳥たちのさえずりで目覚めることだろう。
お疲れさん!!!
おやすみなさい!!!
zzzZZZZZ-----zzz===



5月28日(つき)晴れ一時雨
         チャナッカレ~トロイ遺跡~ベルガモン遺跡~イズミール

朝6時小鳥のさえずりで目覚める。
小鳥のさえずりで目覚めるなんていうことは何年ぶりのことだろう!!!
だがしかし、我々が起き出した時にはもうすでに隣近所のロッジのツアーメンバーたちは散歩から帰ってきたらしくドアの開け閉めする音や、『おはようございます。』の声が聞こえる。
友達と『エエーッ!!時間間違ってる???まだモーニングコールの前ヤン!!」
皆さん異様にお早い!!!
何はともあれ身支度を済ませて、部屋のトランクを外に出すがどの部屋前にも出てない???(もう、すでに皆さんのトランクはポーターさんが運んだ後)
荷物だしの時間より少し早いが出して朝食に行くと、もう皆さん大方朝食も終わり楽しそうにお話してたり煙草タイムになってたり。
我々が一番遅いらしい。でも、予定時間通りなのに。
バスでトロイ遺跡に出発。
ホメロスの詩『イリアス』に出てくる都市が実在するとひとり信じて発掘に私財を投じて命をかけた男、ドイツ人考古学者ショリーマンの情熱とロマンを感じる。
ウン十年前大学の考古学の授業でシュリーマンがトロイを発見したのは、周りと明らかに草丈が違う場所があったことによると言う様なことをことをノートに黒板の図解と一緒に書き込んだ乙女(ほんちょっと前の私夢子!!)がいたことを思い出しながら歩く。
1870年にシュリーマンによって発掘されたトロイ。
この地に初めて集落が出来たのはBC3000年ごろ。
その後、繁栄と没落が繰り返され、400年までの間に9つの時代の都市層が重なり合っている。
シュリーマンが発掘してドイツに持ち帰った財宝はすべて消息不明のままだと言う。
トルコを訪れる観光客が一番多い国は今もドイツだとか。
有名なトロイの木馬は1975年に復元されたものでまだ新しい。
いかにも観光客用という感じながらミーハー私は木馬の中に入りしかも一番上の窓から手を振って写真を撮ってきた。
このトロイの町は初めて人間重視・商業重視・民主主義重視をした町だったとか。
特に、商業において今で言うブランド戦略の長けていたとか。
そのいい例が『海の門』を入って直ぐのところに3階建ての贅を尽くした王様のための建物を造り、海からトロイに入ってきたか他国の人々に「おおオー!!トロイは物凄い!!」と言うインパクトを与えたのだとか。
トロイ戦争の時ギリシア軍が木馬をポセイドンにささげて戻って行った振りをして、船を島影に隠し、トロイの兵たちが祝杯で酔いつぶれた頃、木馬に潜む20人ほどの勇者が城門を開けて島影に隠れていたギリシア軍が攻め込んだのは有名な話。
今はこの海が平野に、ギリシア軍が隠れた島々は丘なっている。
高台からその平野と丘を眺めると、つい先日見た映画『トロイ」のブラッド・ピッドが現れそうな気さえする。



トロイの木馬1


トロイの遺跡1


トロイの遺跡3


トロイの遺跡4


トロイの遺跡5


ここでワンポイント歴史講座
<トロイ戦争の原因は略奪婚??!!>
紀元前(BC)1200年ごろ起きたトロイ戦争には、女神達の争い大いに関係している。
神々の宴でゼウスの妻ヘラ、戦いの女神アテナ、美の女神アフロディーテの3人が誰が一番美しいか競い、ゼウスに判断を迫った。困ったゼウスはそれをトロイ王家の王子の一人パリスにゆだねた。
3人の女神たちはそれぞれ賄賂をちらつかせた。
アフロディーテの提案は、絶世の美女ヘレネとの結婚話。
パリスはアフロディーテの勝利を宣言。(ほんまに何時の世もどこの世界でもアホなんやから!!この時一番の美女は3人のうちの誰でもなくヘレネ!!と言えばよかったものを!!)
しかし、これがきっかけで10年にも及ぶトロイ戦争に発展していくのだ。
なぜなら、ヘレネはギリシアのスパルタの王妃。つまり、れっきとした人妻で子供もいた。
無理矢理の略奪婚に激怒したギリシア軍が大挙してトロイを攻め込んだと言う訳である。
(そりゃアカンやろ!人のモン取ったらアカンよね!!アフロディーテもよくそんないい加減なこと提案したもんだわ!!でも、
一番のアホはパリスやわ!!ほんまに男は・・・・)
以上為にも害にもならない歴史講座でした。

次はペルガモン遺跡
遺跡のあるぺルガマはかつてはペルガモンと呼ばれ、アレクサンダー大王の遺産を継ぎBC281年に建国されたペルガモン王国の壮大なアクロポリスや、ローマの医療施設アスクレピオンの遺跡がセリヌス川を挟んだ丘の上に立っている。

医学の神アスクレピウスを祀った総合医療施設のアスクレピオン。
聖なる道を歩き聖なる泉、劇場、診療所などの遺跡を見る。
当時最大の保養所だったという。有名なローマのカラカラ帝もここで治療を受けたと言う。
ここは精神を病んだ人の療養所だったらしい。




アクロポリス
標高333mの丘の上に広がる古代ペルガモン王国の遺跡でアクロポリスの丘は強い風が吹き飛ばされそうだった。
ゼウスの祭壇の基石だけが残っている。
祭壇本体はドイツが持っていってしまって、現在はベルリンのペルガモン博物館にあると言う。
ヨーロッパのミュージアムは略奪品の山だと言ってる友がいるが、祭壇本体全部をごっそり持っていくなんてちょっとやり過ぎじゃないかしら。
トラヤヌス神殿・大劇場跡を見学。
大理石で造られた真っ白なトラヤヌス神殿はペルガモンのシンボル。コリント式やイオニア式の列柱が美しい。



ペルガモン遺跡アクロポリス


ベルガモン遺跡アポロポリス


ベルガモン遺跡野外劇場(アクロポリス)


バスで今晩のホテルのあるイズミールへ移動。今回の旅行中の唯一の雨はこの2時間ほどのバスでの移動中のみ。
嵐(風雨強し)を呼ぶ男オジさんがいないとなぜかお天気続きなのだ。
バスの中で、雨を見てちょっとだけオジさんどうしてるかなあーて思い出してしまった。
今宵のホテルはホメロスの誕生地イズミール。
明日に備えておやすみなさい!!
ZZZZ---zzz--



5月29(火)晴れ

   イズミール~エフェソス~パムッカレ

本日も上天気!!
バスでエフェソスに移動中にガイドのツナさんのトルコ語教室。
ツナさんは、とっても日本語が上手で知識が豊富で、穏やかな話しぶりで真面目に話されるのになぜか笑わせる不思議な魅力のある方。
真面目な話なのについ笑ってしまう。
先ず
おはよう:ギュナイドン(牛肉ない牛丼ギュナイドンと覚えましょうと教えてくれた。^0^)
こんにちは:メルハバ
ありがとう:サオール(さおを折るサオール)
とっても=超;チョク(チョキ)
大変ありがとう:チョク サオール
お元気ですか?:ナススン?
水:ス

1:ビル
2:イキ
3:ウチュ
4:ドルト
5:べシ
6:アルトゥ
7:イェディ
この1から7の覚えたかは1(ビール)を2(一気)に飲んで3(宇宙)に行って4(ドイツ)人と5(めし)食って6(アル中)になって7(家出)した。
こんなふうに面白い覚え方で1から7までの数字を教えてくれた。

エフェソスに向かう途中革製品のメーカーの"ナチュレル"に寄り、革のジャケットなどのファッションショーの見学。
トルコのこのメーカーは上質のラムの革で0.4mmのシルクタッチレザーが有名でイタリアやパリの有名ブランドもここが製造してるのだそうだ。
プラダやバーバリーもあった。
私はこの3年毎年知り合いのブティックで皮のショートコートやジャケットを作ってるので、もう要らないし買う予定もなかった。
予定は予定ではあるが。・・・・
ショーが始まると若くてスリムできれいな女の子やかっこいいハンサムボーイが次々と素敵なジャケットやコートを着て登場。
出されたチャイを飲みながらショーを楽しんでたら、私の前に素敵なハンサムボーイが立ち手を差し出す。
????と思ってたら私の手を引っ張りステージの奥に連れて行く。
私のほかにおばさん二人とおじさん一人がすでにいてジャケットを着せられている。
お客を数名モデルにするらしい。
私は即座にショーでモデルが着ていたジャケットを指差して着たいという。
彼はうなずいて着せてくれて私の手をとりステージに歩き出す。
こうなったら私も根が嫌いな方ではないので、一寸したモデル気分で彼の動きに合わせてステージを歩きターンまでして拍手喝采。
こうなったらもう、テンションが上がり、次のお買い物タイムには、友達が「あんた去年赤いジャケット作ったばっかりヤン!!」と止めるのも聞かず、買う気満々の私を友達はもうアカンと言うような顔で見てる。
お値段はと言うと、タグには550$とある。「??!!550$って?・・・¥66000円???アカン!!」
そこはプロ!!!「お客様!!とってもお似合いですよ。ショーの拍手物凄かった!!!!モデル割引!!!モデル割引!!
OK.!!」ナンタラカンタラと上手く乗せられて結局375$でサインしてしまった。
ここで止めておけばいいものを、息子夢吉君のも買おう!!と思ってしまったのが大きな間違い!!!
友達はここまで暴走し始めたら止められないともう知らん顔!!冷たいよね!!!止めときとなぜ言ってくれなかったのぉー!!!
結局夢吉君のジャケット1100$も買えば二つで1100$にするという。
「貴方の550$のジャケットをモデル料としてのプレゼント!!」と言う女心をくすぐられて、お買い上げ!!
いくら、テンションがハイになっていたにしても今思えばああぁーーーー!!

毎回買わんでもいモンを買うが今回はちょっと痛い。
この後バスの中で、「帰国したら、祗園で芸者のバイトをするわ。」と冗談を言ってたら、斜め前のご主人がのりのいい方で、
「世のため、人のためにやめて!!」周りは大爆笑!!!!
またやってしまいました。
こんな笑いを乗せてバスはエフェソスへ。


エフェソス(エフェス・エフェソとも言う)

BC11世紀ギリシアからやって来たイオニア人によってエフェス近郊に都市国家が建設され、湾岸の植民地と交易して発展したが、川の土砂によって港が埋もれ疫病が蔓延した。
BC278年仕方なく海から4.5km離れた現在の場所に遷都した。10万人の人が暮してたと言う。
また、キリストの死後、使徒ヨハネが聖母マリアを伴って移り住み余生を過ごして地でもある。
ハドリアヌス神殿・トラヤヌスの泉・プリタネイオン・ヘラクレスの門・公衆トイレ・セルスス図書館・大劇場などを大理石通りを歩き見て回る。
遺跡の80%はまだ土の中に埋まっているとか!!物凄い広さ!!!
大劇場で私の隣でおじさんが突然大声でカンツォーネをとうとうと歌いだす。
びっくりしたが本当にいい声で、周りから大拍手が起きる。
本人も一度こんな大劇場で歌いたかったんだろうなあー。
また何かイベントがあったのかローマの兵士の格好の男の人たちが楽器を演奏して歌っていた。


エフェソス遺跡1


アカンサスのレリーフ


ヴァリウスの浴場(エフェソス)


ドミチアン神殿≪エフェソス≫


ハドリアヌス神殿(エフェソス)


公衆トイレ(エフェソス)


エフェソス遺跡s3.jpg



ここで円柱がイオニア式かコリント式か見分けるポイントを教えましょう。(上の二本の円柱写真参照)
円柱の上のほうの飾りが渦巻きのような模様ならイオニア式、アカンサスの葉ならコリント式。両方があれば混合なのだそうだ。
これもツナさんからの伝授。



大理石通り(エフェソス)


セルスス図書館1(エフェソス)


セルスス図書館2


セルスス図書館のメドゥサ


エフェソスの遺跡を出て本当は立ち寄る予定のない場所でバスが止まる。
そこはアルテミス神殿跡。
このアルテミス神殿跡はとても不思議な場所。
なぜなら、2700年前のアルテミス神殿・2000年前のイエスの弟子のヨハネの墓・そして800年前のモスクと3つの時代の遺跡が集まっていると言う珍しい場所なのである。
こういう歴史的に不思議な意味ある単なる観光地でない場所にわざわざ立ち寄ってくれるツナさんのガイドとしてのレベルの高さに感謝。
その後、イエスの死後ヨハネに伴われた聖母マリアが過ごした聖母マリアの家へ。


聖母マリアの家



バスでもこんな高い山をどうして登ってのかと思うくらいの高い山の上に聖母マリアの家はあった。
とっても小さな質素な家である。
ここでマリアはどんな暮らしをし、祈りをささげたのだろう。
ローマのサンピエトロ寺院のミケランジェロの十字架からおろされたわが子イエスを抱くマリアの像ピエタ(慈悲・慈しみ)を思い出さずにいられなかった。
オジさんがもう一度見たいという「ピエタ」をもう一度オジさんと二人で見に行きたいと思った。
ローソクの明かりをささげて、オジさんと息子夢吉君に聖母マリアの家のスタンプを押してもらって絵葉書を出す。

その後、道中でトルコの代表的なお菓子ロクムを買い、聖なる町ヒエラポリスと綿の城と呼ばれる階段状に連なる石灰棚のパムッカレへ向かう。
パムッカレでは靴を脱ぎズボンをたくし上げて子供みたいに石灰棚の温泉に足をつけて大はしゃぎ。
自然の造形にただただ驚き、感動する。



パムッカレ2


パムッカレ3



ホテルまでもう靴は履きたくないと皆持ってきたサンダルでぺたぺたぺた。
今夜のホテルはリゾートホテル。
プールもあったが、水着に着替えるのが面倒だったのでパスした。
ツナさんが前にツアーの一人の男性が夕食時間になっても現れないので、添乗員さんと探し回っても見つからずに困っていたら、嬉しそうな顔でその男性が現れたとか。
その男性がプールにいると、全く何もつけてない(はっきり言ってオールヌード)外人の女性たちが来て出るに出られず、ゆっくり堪能してきたとか。
周りのおじさんたちから「夕食抜きでもそりゃーいいよなあー!!」の声。
本日も平和裏に終わる。
おやすみなさい。
GOOD NIGHT !!!


5月30日(水)晴れ
     パムカッレ~コンヤ~ユルギップ

おはよう!!!
ほんまにお早くて今朝の起床はAM.4:30!!!
このツアーを選ぶ時カタログにゆっくりマーク2つ付いてなかったかなあー???!!!
ツアーメンバーは全員あのユックリマーク2つは、ゆっくリたっぷり飛行機にバスに乗れますの意味なんだぁー!!と納得。
本日もユックリたっぷりバスに乗れると言う民族大移動の日で、走行距離は730km!!!朝6:30に出発してとにもかくにもホテルには入れたのはPM9:00!!!
なんと我慢強いツアー客たちよ!!!
たっぷり時間があるので、またツナ先生のトルコワンポイント講座の開始。
朝でも昼でもコンヤ!!と言うコンヤの町で観光するメヴラーナ博物館のメヴラーナ先生の教え(メヴラーナ教団の教祖)

メヴラーナ教
メヴラーナ教とは「我が師」の意味で、教団創立者ジェラルッディン・ルーミーのこと。
ツナさんはメヴラーナ先生といっていた。
彼は高いレベルの科学の知識を持ち詩集『メスネビー』と言うイスラム教の神秘教団の教えの中心となるものを書いている。
彼の教えは

人間はアラーの神のすばらしいもの(所)を必ず1つ持っている。だから、自分の神と同じ優れたことの専門家になろう。そして生涯勉強しましょう!!


セニ セビョルン=I LOVE YOU.=貴方が好きです。
全てのものを愛しましょう。愛は無償のものです。
人間が選択をする時頭だけでなく心も働かせて選択しましょう。


寛容しましょう(許しましょう)
人間は相手を理解できたら許すことが出来る。
怒るのは理解できないことがあるから、理解できないことを見つけてそのことを勉強しましょう。

これはツナさんが言われたことのメモだから間違ってるかもしれません。
こんな様な教えのメヴラーナ教の修道士をメフレビーと言う。
メヴラーナ教のグルクル回る踊りと言うのはちょっと???目が回るだけじゃないの??
このくるくる回ってるメヴラーナ教徒のフィギュアー人形をあちこちで売っていた。

メヴラーナ博物館
メヴラーナ霊廟とも言われ、教団の舞踏の時着る衣裳や儀式用具やメヴラーナ先生の棺が置かれていた。


メヴラーナ博物館1


メヴラーナ博物館2


メヴラーナ博物館4


メヴラーナ博物館3


メヴラーナ博物館5



インジェ・ミナーレ神学校(彫刻博物館)
インジェは「細長い」、ミナーレは「尖塔」
美しい彫刻やレリーフが見られて、ブルーのタイルが美しい天井が高く開放的だった。



コンヤのインジェミナーレ1


インジェミナーレの天井


インジェミナーレのレリーフ



朝が早かったので、お腹がぺこぺこ。

今日のお昼はかつてのシルクロードを旅するラクダの隊商宿だったキャラバンサライを見学、800年以上前の隊商宿『ホロズルハン』でピデ(トルコ風ピッツア)。
はっきり言ってちょっと油ぽかった。(--;)



キャラバンサライ2


キャラバンサライ1


キャラバンサライの食事の1つ



コンヤを出て少し走るとバスはそれは見事な芥子畑のそばで止まる。


国営の芥子畑≪大麻草≫1


芥子2


芥子3



チャイの町の芥子畑(大麻草の畑)は手術の麻酔などに使われるので、トルコの国営で厳重な生産管理が行われているのだそうだ。
そりゃそうよねえー!!
ツナさんが「写真は撮ってもいいですが、花や種は取らないでください!!」と笑わせてくれた。
こういうジョークが日本語に長けてるツナさんらしい。

その後はただただ広大な平原の続くアナトリア高原をバスはユルギップを目指してひた走るのであった。

ユルギップというのは町の名前で、バスは先ずコンヤからアクサライの町まで行きトイレ休憩。
このアクサライの近くにハサン山と言う日本の富士山に似た休火山”トルコ富士”があり、ユルギップやカイセリの町の近くにエルジェス山と言う休火山がある。
この二つの休火山ハサン山とエルジェス山は約2000年前は活火山だった。
そしてこの二つの火山にはさまれ火山活動によって出来た火山灰台地があの有名なカッパドキア地方なのであ~る。
カッパがドキドキしたと言う(ツナさんのジョークです。ーー;)カッパドキアは町の名前ではなくその地方の名前なんです。
このカッパドキドキまでバスはひた走り、本来は明日の見学予定のカイマクル地下都市(お買い物が好きなカイマクル。これもツナさんのジョークーー;)を何とかPM6:00過ぎに繰り入れて、明日のカッパドキア地方をユックリ見学時間を取ることに。
このカイマクル地下都市は、イスラム教の迫害を逃れるために地下に移り住んだキリスト教徒の巨大地下都市である。
ほんまに腰が痛くなるほどの姿勢で地下洞窟と言うか迷路と言うかありの巣のような細いところを頭をぶつけないように進む。
絶対メタボリックの人は通過できないほど細い迷路だ。
こんなところで迷子になったら、ひとり地下都市から永遠に出られそうにないくらいだった。
敵が攻めてきた時の隠れ家だったらしいが、こんなところでどれほどの人が暮したのだろうか??
丸い穴のあいった大きな岩は、敵が侵入してきた時に、通路をふさぐためのものだと言う。



カイマクル地下都市1


カイマクル地下都市2


カイマクル地下都市4


カイマクル地下都市5



このカイマクル地下都市の見学が終わり、先ずは基本プランの方のホテルへ。
我々は限定10名様だけの洞窟ホテルを取っていたので、その後ツナさんに連れられバスで洞窟ホテルへ。
ちょっとリッチにお風呂はジャグジーつきでゆったり。
デナーもバイキングでなくちょっぴりおしゃれ。



洞窟ホテルアルフィナ1


洞窟ホテルアルフィナ2



なんだかんだと長~いバスの移動の一日はこうして終わるのであった。
明日のカッパドキドキに備えて、
お・や・す・み・な・さ~い!!!!

ZZZZZ---------GU GU gu----





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