あくびな毎日

あくびな毎日

退院



昨日は消灯してから、同室の人はみんなすぐにはやはり眠れないらしく、テレビを10時まで(10時までは許可されている)つけていた。
なので、私も気兼ねなくつけてポケーとしていた。

仲良くしていただいていたMさんは消灯して真っ暗になっても、気兼ねなく大声毎晩テレビを見ながら笑う(笑)
そんなMさんが大好きだった。
明るいし、年齢の差を感じさせない(Mさん60代)
昔はテキ屋でたこ焼きをずっと焼いていたそうで、その頃の話もとても面白かった。

「退院だね~もう戻ってくるなよ~」とMさん。
そんなMさん、実はガンの治療で入院されている。
私が退院した後、外泊して、まだ8ヶ月の赤ちゃんのお孫さんに会えるのを楽しみにしている。
これから長い入院生活が待っている。

私は退院がとてもとても待ちどうしく、嬉しかったけど、それを思い切り表現するのを当たり前だけど出来なかった。
一週間後にまた診察があるから、必ず顔を出すね。と約束

仲良くさせていただいてた、同室の方はみんな実は大変な症状、ご病気だった。

Tさん。
Tさんも糖尿と低温やけどが原因で、右足をふくらはぎから下を切断されて、この後はリハビリが待っている。
当然、退院はまだまだ。
自由に動けなくなった身体で、ストレスもあっただろうに、いつも明るく振舞っていた。
毎日、息子さんや娘さん、お孫さんと、たくさんの方が面会に来ていた。
家族仲が良く、素敵だった。

あともう1人Iさん。
ガンが見つかって、手術が難しい摘出しにくい場所に出来てしまって、毎日のように先生と相談していた。
とても物静かな優しいIさん。
他にも、腫瘍が違う箇所にも見つかり、大変な状況。
前向きになれずにいたところ、私達と話すようになり、段々と笑顔も出てきて、ホッとしていた。

私は、みんなに比べて軽症で短期入院。
それでも、「話す」ことによって、とても元気づけられた。

私は鼻にガーゼや綿球が詰まっているから、寝ている時に「クガークガー」といびきが出てしまう。
自分でも、ウトウトしながら時々聞こえる音。
それを詫びると、みんな口をそろえて「そりゃ当たり前だがね、気にせんでいいわ みんな音しとるで」

みんな、少しでも元気になれますように。
お祈りしてます。

退院の準備を整え、タクシーで帰るつもりだったけど、お見舞いに来てくれた幼稚園のお母さんが「そんなん、迎えにいくわ」と言ってくれた。
「そんなんいいわ~」と断ったけど、退院時の荷物が多くて、下まで運ぶのに大変なことになりそうで、朝、やっぱりお願いできるかの電話をしてみると、「行く気やったよ~」とありがたい(>_<)

お家について、寝てればいいのに片付けしたり、何だカンダと動くと、どっと疲れた。
夕方には、アクちゃん(犬)とともに家族全員がそろった。
旦那さん、朝方から夕方まであっちこっち移動して、本当にご苦労様でした。

せなっちは、車の中で「早くお母さんに会いたい」と何度も言っていたらしいです。
再会は、お互いギュウと抱きしめ合い。
満面の笑みで再会を喜んでくれるせなっち。
よく頑張ったね。

でもその後は・・・我がまま凄かったです。
きっと、長距離の移動も疲れが出たのだと思います。

鼻にはまだタラーと血が混じった鼻水が出てくるので、綿球を詰め、マスクをして出かけました。

マスク・・・もう7月にもなると誰もつけていません・汗

せなっちとの再会は何よりも嬉しいけれど、またずっと2人きりの毎日。
出来るだけ無理せず過ごしたいと思う。
子供がいると、どうしても子供を優先してしまう。
それが無理しすぎると、後々自分に返ってくる。
もっと、自分の身体を一番に大事にしていかななければ・・・
今回のほんの8日間の短い入院だったけれど、我が家は旦那さんも夜はいないし、せなっちもまだ4歳。
預け先の両親は遠い。
旦那さんのご両親は、色々事情があって、預ける事が出来ない状況で・・・
なので、準備だけで正直大変でした。

そこをお友達がみんな助けて下った。
感謝の気持ちでいっぱいです。

入院の記録はこれで最後です。
同じ症状に悩む方がいたら。と思って、記録を書きました。

命にかかわる重病じゃないけれど、著しく日常生活に支障が出る「慢性副鼻腔炎」
ひどい倦怠感(ダルさ)と微熱と顔の激痛を何度も繰り返しました。
ウツな気分で、精神面にも辛さがでました。

これで、治るといいな・・・と思います。

途中、余分な事がたくさん書かれている事を許してくださいm(__)m
これは、私にとっても大切な記録としたいと思います。

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