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K【韓国】【北朝鮮】反日 慰安婦 徴用工 ベトナム虐殺 237
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司馬遼太郎のNHKドラマ「坂の上の雲」を見る原作は読んだのだが「日本人の役者は兵隊と娼婦を演じさせれば絶品]とよく言われるまさしく、その通り兵隊はいいのだが、日本人将校役は全員、力み返るばかりで将校の品格がおよそ無いツアーリのロシアの貴族・将校のそれにに及ぶべくもないロシア人が『東洋の猿ども』と劇中でいうのも、うなずける当時の日本とは、こういうものだったのか当時の欧米には、こう見られていたのだと知る
2010.12.27
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■ドラマの商社場面はお笑いこの間、映画「不毛地帯」をテレビで見た今話題の山崎豊子さんの原作自衛隊機に採用されるロッキードとグラマンの商戦を巡る商社が舞台であるモデルがある主人公のシベリア帰りの元大本営参謀の壱岐正中佐(仲代達矢)は、伊藤忠の瀬島龍三専務ライバル・東京商事の鮫島辰三(田宮二郎)は、日商岩井の元副社長海部八郎首相は、派手(歯出)な容貌を強調されているので、岸元首相とすぐわかる(笑)ところで、私はいつも思うのだが、商社ほど一般の人のイメージと現実がちがう職種は少ない特に商社が舞台の映画やテレビドラマの場面となると・・・私など、思わず苦笑いしてしまう思いきり、わざとらしいのである上役、特に社長重役クラスは、これ以上ないと思われるほど、傲慢・尊大で威厳があって、権威主義的で、威嚇的で、いかにも「超大物」ぶるまるでローマ皇帝である少なくとも、役者がそういう演技をするまあ、これは商社に限ったことではないかも知れないビジネスもの・社会ものでは、こ~ゆ~手法が多いもちろん、実際には、それほどではないそれに、社員同士の「戦略会議」的なものが可笑しい笑ってしまうこれも大げさで、幼稚である総合商社に勤務したことのない人には、ちょっと想像力の埒外(らちがい)なのかも知れないいや、商社に限らず、ビジネスの現場とは、特殊なものなのかも知れない同情すべき点は、この「戦略会議」での発言は、読者や観客への説明も兼ねているから、ある程度、そうなるのだろうとは思うしかし○○だから、△△で、だから□□ではないか?などと、くどく、鈍く(笑)、超真剣に、芝居気たっぷりに(芝居なのだが)(笑)語り合うのだが、それが非常に低レベルなのだ(笑)「今さらそんなことを相談していてはダメなんじゃない?」と、思わずつぶやいてしまうのである(笑)こんなに頭の悪い人間はどの商社にもいない(笑)それに実際には、ビジネスライクな、サラッとしたものなのだつまり、実際には、現場では、そ~ゆ~場での出席者は、もう問題点やタスクを熟知している人間であって、後は「どういう方策を、どう実行するか?」というオプション(方策)のエバリュエーション(評価比較)と、決断だけである要するに商社とはこ~ゆ~ものだろう、怪しい謀議・密談ばかりだろう・・・という「ゲスの勘ぐり」(失礼)(笑)というか、「群盲象をなでる」というか、どうも適切な表現を見つけることが出来ないが、そんな、ぼんやりとした想像で書いているから、あの山崎豊子氏にしてから、私からすれば紙芝居の様な「会議」になる商社マンにそういう場面だけでも監修してもらってはどうなのだろう?
2009.11.11
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昨日はBSで古い映画が放映されたピエトロ・ジェルミ監督主演の「刑事」である○ 冒頭からあの主題歌が響く「♪アモーレ アモーレ アモーレ アモーレミーオ」というアリダ・ケッリの哀切な深い歌声であるこの主題歌は封切り時から長くヒットして、私も高校時代だと思うが、ドーナツ盤を購入いまでも手元に残っているイタリア人の歌声というのは、やはり、ある意味、世界一だと思う声だけでこれだけの表現力があるファドのアマリア・ロドリゲスの声質と似ているかも知れない○ 私はミルバが好きだが、彼女の声にも、そういう、ただ声だけで我々をノックアウトしてしまう魅力がある例えばピアソラとの共演盤での「タンゴ・イタリアーノ」という曲でのミルバミルバと言えば、彼女がまだ新人だった頃、来日してテレビに出演したことがある当時の彼女は、まだあか抜けなくて太ったお嬢さんだったその時歌った「ウナ・セラディ・トーキョウ」も好きな曲である私は「神田川」という題名?のブログ記事で、この曲について書いている○ この「刑事」には、有名なところで・クラウディア・カルディナーレ(一時、ブリジッド・バルドーに対抗して、CCと呼ばれていた) ・ エレオノラ・ロッシ=ドラーゴが出演しているこのエレオノラ・ロッシ=ドラーゴの出演場面になった時、あまりの魅力に卒倒しそうになった(笑)臈長けたと言う表現がこれほど似合う女優はいない私は貴婦人タイプの女優さんが好きである・英国代表はデボラ・カーだと思う・ フランス代表はダニエル・ダリュー また、ちょっと仇っぽいタイプだがミシュリーヌ・プレーヌも入れよう・ 米国は移民の国だから貴婦人というタイプは少ないが、だれかいたような記憶があるが今は思い出せない・ 彼女の初期の出演作品は下記その内、私が見たことがあるものは★をつけよう1952年 人間魚雷(伊)1953年 戦争と女(仏・伊)★1954年 埋もれた青春(仏・伊)1955年 ナポレオン(仏・伊)★1955年 女ともだち(伊)1955年 出撃命令(伊)1958年 悪銭(仏・伊)★1959年 刑事(伊)★1959年 激しい季節(仏・伊)★1959年 南十字星の下(アルゼンチン・伊)1952年 人間魚雷(伊)見たことは無いのだが、当時の映画雑誌で彼女のダンスシーンの写真を見たが、胸が魚雷みたいだった(笑)★1954年 埋もれた青春(仏・伊)ビデオは持っているのだが、なんと、いままで見ていなかった早速見よう★1955年 女ともだち(伊)テレビ放映を録画した彼女のしっとりとした、知的で上品な面が印象的★1959年 激しい季節(仏・伊)高校時代だと思うが、豊中の二流館で見たこの時代、こんなセクシーなベッドシーンのある映画は無かった★1959年 南十字星の下(アルゼンチン・伊)「母を訪ねて三千里」の映画化である彼女が実に美しい今まで私は貴婦人タイプの女優としては、デボラ・カーが一番好きだったのだが、これからは断然、エレオノラ・ロッシ=ドラーゴである (オイオイ)美貌・肉体美・気品・知性・母性・淑やかさすべてを持っている希有な女優である実際に彼女は名家出身であるロッシ=ドラーゴというようなダブル・ネームは、名家同士が婚姻関係にはいるときに良家の家名をそのまま残すためにする姓である著名なデザイナーでもあったという○ 私はポーランド映画とロシア映画とイタリア映画(ネオ・リアリスモ)が好きである なぜか、イタリア映画には身近な感じがある それはイタリア人そのものの持つ、人間らしさ・生活感なのかもしれない
2009.11.06
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ジャンヌ・モローへのインタヴィュー【復刻日記】旧東ドイツのビジネス体験談に【復刻日記】をアップしようと思ったが、【復刻日記】では、共産国ビジネスの裏事情まで書き込もうと思っているので、今日は、とりあえずこの【復刻日記】私が楽天日記をはじめた2004年1月のもの ―――― ◇ ――――ジャンヌ・モローへのインタヴィュー【復刻日記】先ほど(午後6時50分)終わった「ジャンヌ・モロー 語る」というテレビのインタビュー番組何気なく見ていたら面白くなって、結局最後まで見たこのアクターズ・ステュディオ製作の番組はいろんな映画俳優を招いてインタヴィューをするのだけれど、今まではほとんど見ていないこの頃の俳優にはあまり興味のない私だからしかし、ジャンヌ・モローはもうだいぶ古い女優で、私が見る映画の年代の女優だジャンヌ・モローの映画はそれほど観ていない先ず「黒衣の花嫁」それから退廃したヴェネチアの海水の匂いが漂うような「エヴァの匂い」しかし、彼女がデュラスの「愛人・ラマン」に出演していたとは・・・彼女の出演場面を覚えていないな~(後にぴーたろーさんから、モローは、女主人公の独白というか、ナレーションを担当していたことを教えられる)彼女の父はフランス人、しかし母親はイギリス人だと言うことは知っていたが、その母親がダンサーで少しアイリッシュの血が混じっていたというのは初耳モローはさぞや上流家庭で育ったのだろうと思っていたが、どうもそういうわけではなかったようだ英語は流ちょうだが特に知的な語彙を操るというほどのものでは無く、それに明らかにフランス訛りがあるまた20歳の史上最年少でコンセルヴァトワールに入団というのも、意外だった役者としての素質が認められたのだろうか ―――― ◇ ――――インタヴィューのさわりどころだけをメモってみよう ーーーー ◇ ーーーー○ ジャンヌ・モロー(=以下、JMと省略する)○ 司会者(=以下Qと省略する)JM 内気であることは俳優にとって特別な宝物恥ずかしさに打ち勝って演技することが重要JM (ある舞台を観て感激して)私は舞台に立つ人間だと自分で悟った観客席に座る人間としてではなくてJM (女優になるのに反対だった父に対して)女優は娼婦とは同じでは無いことを証明したかった(Qが飲み物のコップを差し上げて、JMに)「あなたの愛に!」といい、JMがこれに応えて「あなたのにも」と応じる)(私の経験からはアメリカ人の男は案外普通はこんなキザなことをあまり言わないと思うのだが、この司会者はアメリカ人のくせに(笑)イギリス風を気取っている男だし、それにこのインタヴィューが行われたのはパリだから、司会者も合わせたのかな?)Q (当時ヌーベルバーグの映画に出演していて)映画の歴史を変えているという自覚はあったか?JM イエス 「突然炎のごとく」を制作中に、パトロンがヌーベル映画に驚いて資金提供を打ち切ったために予算が不足し、スタッフ同士もいろいろ協力し合い、私はスタッフの料理を作っていた監督はそのために私の出番は12時近くにはしなかったほどQ 映画では監督の指示に従って演技をするのか?自分の理論で演技するのか?JM 監督の指示に従う 私は制約を好む制約の中で演技する だから俳優業は魅力的 自分のインスピレーションで演技する部分は少ない 例え自分の考えだけで演技しても、そんな演技はお風呂の中に垂らしたワインのしずくのように薄まって流れてしまうが、それでも俳優は、他人のものではない太古からの潜在的な記憶をもっている(alex99注 この部分は興味深い)そんなものが制約の中の演技にも生きてくるJM 「黒衣の花嫁」の女主人公(男を次々と殺す悪女)は黒い蜘蛛なのだ王女メディアでもあるのだから、自分に不当なことをした男達を処刑しなければならないメデューサでもあるのだから、彼女の目を見た男は石に変えなければならないQ 他の俳優から影響を受けたかJM ノン(役者の名はあげない) 作家から人生を学んだ スタンダール・神話・フローベール・ゲーテ・(ジェームス)ジョイス愛読書はデュラス(alex99注 私の知るところでもモローはデュラスと個人的親交があったデュラスは私の好きな作家でヴィエトナムで育った彼女の自伝的映画「愛人・ラマン」がある 私はモローには、どこかデュラスに人間として似通ったものを感じる)JM 俳優は美を他人に伝えることができるJM 好きなことは「新しい発見」(alex99注 同感)
2009.10.25
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島谷ひとみさん、あやや、小津安二郎映画【復刻日記】昨日は数多くのコメントをいただいて、深謝申し上げますレスを書くのに疲れたので(笑)今日は【復刻日記】である私が楽天日記を始めた年の、それも初期のものである ―――― ◇ ――――【復刻日記】きのうNHKラジオを聞いていると「亜麻色の髪の乙女」をカバーした歌手の島谷ひとみさんがゲストで出てきた調べてみたらこの「亜麻色の髪の乙女」は1967年にザ・ビレッジシンガーズというグループ・サウンズがヒットさせたとあるもちろん、私は覚えてはいるがテレビで島谷ひとみさんがこの曲を歌っているのを2・3回見たことがある歌い方はサッパリ・スッキリ系で、濃くは歌わないだからよけいにだろうけれども、あまり印象は無かったせいぜい、近頃の若い芸能人の女の子にしてはスッキリして都会的で感じのいい子だな・・・ぐらいだった長くて艶のある美しい髪は印象的だったどうも彼女のこの髪の毛がレコード会社の人間に、この曲をカバーさせようと言うインスピレーションを与えたのではないだろうかとにかくあまり芸能人らしくなく、すれてもいない、その辺の育ちのいいお嬢さんと言った感じを受けたそんな先入観をもちながら、なにげなく「ながらベースで」聞いていた番組だが・・・この番組は小学校レベルの彼女のファンからの彼女に対する電話による質問を受け付けるというもので、実際に子供たちが、時には幼稚園児がかけてきて島谷さんに質問をするのだただ局側の意図と異なるハップニングが起こったらしい質問者を受け付ける段階で、対象の小学生では無くて、島谷さんと話したくてたまらない、「年のいったニセ小学生」、つまり中年のおじさんたちが必死でかけてきた例も、数件あったようだけれど・・・かわいそうに島谷さんにたどり着くまでに、はねられてしまったそうだ彼女がアナウンサーと話をしたり、子どもの質問に優しく答えたりしているのを聴くうちに・・・本当にびっくりしたこんなに、感じのいい、マナーのいい、優しい、温かい、お茶目で、自然で、人なつっこい、気取りのない、正直な、上品な、誠実な、思いやりに満ちた、生き生きとした、フレッシュな、・・・こんな女性がいるんだな~と驚嘆した(ずいぶん形容詞をならべたが)満点を100点とすると、ひとみちゃん(もうすっかりファンになってしまっていることに注意!)は、文句なく?150点たどたどしい幼児からの質問に優しく辛抱強く応対するのだが、みじんもじれている雰囲気は感じさせないラジオで聞くだけでこの人の人柄がわかるこの点、ラジオはテレビよりも深いものを持っているのかも知れないこの人は私よりはるかに人間が出来ている~と(あたりまえか?)、反省容姿と共にこのラジオでの話し方も洗練された感じなのですっかり東京出身だと思っていたが、彼女自身が語るには、広島出身、呉の近くの島の出身だとか家族の話をするにしても、いかにも愛情一杯の家族の間に育ったという感じがにじみ出ていて、好感がもてる正直なところ、もうメロメロラジオだけなのにお顔ももうひとつよく思い出せないのに・・・松浦亜弥ちゃん以上にすばらしい!(いけない!!あややのファンだということがバレてしまった)言っておきますが~! 私はロリコンでは無い!芸能人好きでも無い!歌番組などはほとんど見ない・聴かないだから誤解しないで欲しいのだが~(何を?)私はモーニング娘を見てやに下がって喜んでいるようなオヤジではない昔のクラシック洋画の女優さんなんかは好きだけれど、今時の芸能人には興味は無い(そこまでいばることも無いか?)あややの歌なんかにも全く興味がないヘタだし・・・ファンでも ない・・・(力弱く・・言い切る)ただ松浦亜弥ちゃんがテレビ・コマーシャルでアップになって・・・あのお茶目な目でじっと私だけを(ちがうでしょう?)見つめてくれると・・・瞬間、胸がキュンと・・・大いに恥を書いたところで、すばやく?話題を移すが、小津安二郎生誕100年記念ということで、NHK BSが年末からつい先日まで、小津作品を大量に放映し、私も大量にテレビ録画で対応した私は邦画にはうとくて、実際の話だが、小津安二郎を小津安三郎と覚えていたりしていたついさきごろ、この新年のことだ巨匠小津をむりやり安三郎にしてしまっては、やはりいけない小津作品を順に鑑賞していくうちに、「はまってしまった」まず最初には画面が描いて行く「古く懐かしい日本の風景」に吸い寄せられたたとえば日本家屋である玄関の引き戸をリリリ~~ンと鳴らして、お父さん(たいてい笠智衆)が会社から帰ってくる今のお父さんのように残業や焼鳥屋で上役の悪口を言ったりで遅くはならない映画の様子では、どうも6時頃、せいぜい7時頃には玄関に入ってくるまだそう暗くはなっていない時間であるすかさず「お父様?お帰りなさ~い」という気持ちのいい声が、娘の原節子からかかって、いそいそと玄関にお父さんを迎えに出る美人で品のいい娘であるそれだけでなく、例えようのない優雅さ・こころの暖かさ・・・とにかく形容が追っつかないが、日本女性の美点をすべて集めたような娘が出迎えてくれるただし体格は白人女性並みであるそれに表情の華やかさ・豊かさはたぐいまれなものこれは原節子自身がハーフまたはクォーターだというから不思議ではない娘でない場合は奥さんの三宅邦子が迎えてくれるこの人もきれいなこと、上品なこと、言葉を待たない原節子とはタイプが違い、まるでイタリア人女性のような端正で彫りの深い彫刻型美人であるこの人もどうも庶民的な家庭や安サラリーマンの家庭のかあちゃんでは不釣り合い、はきだめに鶴どうしても上流家庭のお奥様という風情二人とも「今日はお早いのね」なんてことも言う「うん」お父さんはこの時代の人だから寡黙である別に不機嫌なわけでは無い夏目漱石の時代にまでさかのぼると、お父さんは不機嫌と決まっていたようで「不機嫌の時代」という本まである私の父は夏目漱石年代でもないのに私の子ども時代は不機嫌で帰ってきたもっぱら不機嫌な表情を子供たちに見せて、父親の威厳を示していたようである笠智衆のお父さんはそこでかぶっていたソフト帽をぬぐ昔は一人前の男は、特に勤め人は帽子をかぶっていたものだ今日は大恥をかいた上に、日記が未完となった小津映画に関してはもうちょっと楽しみたいので、今日はこれで打ちきりとしよう ―――― ◇ ――――以上が【復刻日記】である以下が、今日の追記である私の名誉のために言っておくと、私はその後、あややはすっかり忘れてしまったあのお茶目な眼でじっと見つめられても、もうじ~~んとしないのである島谷ひとみさんも、その後、すっかり忘れてしまったのであるただ、先週だったか、明石家さんまの番組に島谷ひとみさんがゲストで出ていた私は、その時はじめて、島谷ひとみさんをまともに見たのだが、なかなかの美人であるそれよりも、あの時のラジオでの印象通り、本当に感じのいい女性である今どき、こ~ゆ~、女らしく、つつましく、控えめで、優しく、しとやかな女性はいないっ!・・・と、あらためて感心した絶対に、猫をかぶっている様子ではない(どうしてわかる?)あの仲間由紀恵さんと親友であるというのも、むべなるかな・・・である現代の日本に、女性はこの二人でいいこの二人で充分である出来れば、【復刻日記】でふれた、原節子さんと三宅邦子さんを加えて、日本女性は、この四人でいいのであると暴走したところで今日はこれくらいにしといたるわ
2009.10.21
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新居にケーブルテレビがやっと導入されてからは、以前同様、ケーブルテレビの視聴を楽しんでいる私が観るのは主にドキュメンタリーのジャンルのチャンネルだが、とにかくいろいろなチャンネルがあって、その中に日本映画専門チャンネルというものもある以前は、このチャンネルは素通り (笑) していたのだが、この頃は、私のお気に入りのチャンネルのひとつに昇格して、週間番組表から興味ある邦画を録画予約するようになった最近まで洋画しか観なかった私が邦画を好んで観るという映画史上に残る裏切り行為をしている(笑)理由としては、いろいろあるしかし端的に言うと、やはり古い邦画のスクリーンに展開する昔なつかしい日本の風景・・・というものに、ほっとするのが主な理由かも知れない例えば・・・電信柱だらけで、土埃だらけの未舗装そこをレトロな自動車がヨタヨタ走ってゆく通る人々もまばらである男性は白い背広にカンカン帽女性はまだ和服そんなセピア色の風景が好きなのであるそれに昔の日本人のしゃべる日本語が美しい特に小津映画に出てくる原節子などの山の手言葉の上品で美しいこと杉村春子とチャキチャキとした下町言葉もいい(杉村春子は、どうしても生活の臭いのする下町イメージになってしまう 原節子とは違う (笑) 東京物語のインパクトが強いのだ) ―――― ◇ ――――ところで、今年になって、田宮二郎の主演映画のシリーズがまとめて放映されている私は田宮二郎など (笑) には、今まで全く興味がなかったのだが、背景の昭和の情景にひかれて何となく見てしまった少し前は「犬」シリーズ今月は「黒」シリーズである洋画しか観なかった私が(くどいかな?) (笑)田宮二郎の映画をはじめてテレビ放映で観たのは、数年前のことで、勝新太郎と共演の「悪名シリーズ」であるその時は、達者な役者だと思ったぐらいで、特に印象は無かった田宮二郎が演じる人物が、「犬シリーズ」の主人公同様、あまり現実的では無いやたらに調子のいいチンピラ・キャラクターだったからかも知れないところが最近放映された「黒シリーズ」における田宮二郎を、はじめて真面目に見てみて、びっくりした「悪名シリーズ」や「犬シリーズ」とちがってシリアスな社会派サスペンスとでも言うべき「黒シリーズ」その中で田宮二郎は、ある時はニヒルで野心的な、ある時は真摯で正義感に燃える男性像を演じるただ、例え性格的には野心派と真面目派と、正反対でも、エネルギッシュな行動力と都会的な知性は共通しているこんなにも知的で極めて都会的なハンサムの男優が邦画界にいたとは、知らなかった国際的な日本人俳優・・・というと、丹波哲郎や伊丹一三など、外国映画に一・二度出演しただけの人間がそう呼ばれることが多いが、田宮二郎なら、もともと外交官志望で英語も堪能だったというから、機会さえあったら(残念ながら大映とのトラブルなどでそんな機会は訪れなかったが)本当の国際派男優として成功したのではないかと思ってしまう ―――― ◇ ――――容貌やタイプ的には、アラン・ドロンに近いかも知れないが、田宮にはアラン・ドロンには無い知性を感じさせるそれに日本人からは美男子の典型とされたアラン・ドロンだが、フランス人に言わせるとアラン・ドロンの顔立ちは上流階級の人間のそれではなくて、むしろ下層・庶民階級のものだというそう言われればドロンは、その美貌のどこかに、一種の卑しさや陰り、危うさがあって、またそんなところが女性ファンにとって魅力らしい加えて言えば、彼の経歴も極めていかがわしいものである十代で外人部隊に入隊している一般に外人部隊は、訳ありの人間が逃げ込むところだというさらに、ドロンは男娼だったころがあるようだ月刊文藝春秋で10年ほど前にあるフランスに住んでいる日本人デザイナーが暴露していたが、ドロンは男性のシンボルの先端に花の入れ墨をしていたそうであるなぜそれがわかるかというと、その男娼窟では穴がズラッと横一列に空いた板塀があって、その穴からは男娼のシンボルだけが出ていたそうであるそのシンボルを見て、客は指名を入れるシンボル指名である (笑) ある意味、間違いがないかも知れないなお、ドロンの先端 (笑) は薔薇の入れ墨だったそうである映画俳優として大成功した後、彼のボディーガードが殺人事件を起こしたこれはドロンが深く関係していた事件だとされているしかし当時のフランスの大統領、ポーンピドーの指揮権発動?によって事件はもみ消されたというそれに関連して明らかになったことだが、ドロンはポーンピドーとホモ関係にあったという噂であるしかし、妻のナタリー・ドロンも負けてはいない (笑) 彼女の方は、ポーンピドー夫人とレズの関係にあったというただ私は、ナタリー・ドロンの下品で淫らな雰囲気が大好きなので、このことは許そう (笑) それにしても、フランスという国は素晴らしい国である一般的には、ロジックの国と言われているが、実はセックスが年令もジェンダーも人種をも乗り越える国である日本ではセックスなど、単に快感を与える人生のおかず・・・程度のものでしかないそれほどの意味のある存在ではないのである階級と言えば、私は、「太陽がいっぱい」で共演したモーリス・ロネや、「いとこ同士」のジャン・クロード・ブリアリなどが欧州の上流階級の容貌なのではないだろうか?と思う不肖私の元妻の実家も欧州のある国の貴族・士族階級だったので、その親戚の人々の容貌や品性を思い出してそう思うのであるこのへんはBonbonus さんのご意見をいただきたいところである ―――― ◇ ――――田宮二郎は知的なハンサムではあるが、美貌という形容はふさわしくないような気がするそれに、ドロンと違ってバイセクシュアル的な匂いは無いとにかく、日本映画に田宮二郎のような、魅力的な男優がいたということは、私にとって新発見であったと同時に、彼の自殺は残念だったと今さらながらに思う ―――― ◇ ――――ここまで田宮二郎をほめまくっておきながら、突然こう書くと、みなさんは驚くかも知れないが(怒るかも知れないが)・・・私は高校時代に級友たちに「田宮二郎に似ている」と言われたことがあるのである「田宮二郎みたいな顔してるな~」と言われていたのである冗談も休み休み言え!と言われるだろうが、まあ、私はヨタヨタの前期高齢者だから、冥途の土産としてこんな事を書いても勘弁してもらおう高校時代には邦画を見たこともなく、彼に興味も無かったので級友にそういわれても「へ~ そうなの?」と思っただけである私の中での田宮二郎は勝新との「悪名シリーズ」での軽薄なチンピラのあんちゃんとしてのイメージだったからである・・・と言っても、時は非情に過ぎゆく(涙)昔の田宮二郎??・・・も(笑)、今は年金受給者であるそれに人間、死ぬ前には、何を言ってもいいのである合掌 今日はこれくらいにしといたるわ
2009.10.02
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このところ、NHK BSー2では、ポール・ニューマン特集である今夜はエリザベス・テイラーとの共演「熱いトタン屋根の猫」明日、火曜日の深夜は、ピア・アンジェリとの共演の「傷だらけの栄光」であるこれは私が高校生の時に、何度も映画館で見た映画であるこの「傷だらけの栄光」はロッキーのモデルにもなった、ボクシングの世界チャンピオン、ロッキー・グラジアーノの伝記映画であり、ピア・アンジェリは私が最初に好きになった女優である私が確か中学生か、高校生の頃の事だったと思うが、自宅でまだ白黒のテレビを見ていたら「明日では遅すぎる」というイタリアの名作映画を放映していたピア・アンジェリの初出演・初主演映画である彼女の父親が有名な建築家で、その友人の映画監督のレオニード・モギイが、まだローマの美術学校生だったピアを自分の映画の主演に抜擢したということであるこの映画は世界的なヒットとなって、まもなく彼女はハリウッドに招かれることになる彼女は、ジェームス・ディーンの恋人だったと言うことでも有名である「傷だらけの栄光」では、ポール・ニューマンが最初にピア・アンジェリと出会うシーンがあるこの時の、ピア・アンジェリの清純な美しさは実に印象的である私は本当は、こ~ゆ~女性と結婚するはずだったのだが (笑) 画像 1画像 2画像 3画像 4画像 5
2009.07.06
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現在、ある仕事で極めて忙しいしたがって、毎日、更新とはゆかないということで、また【復刻日記】私が楽天ブログを始めた年の最初の月の記事である何の主張もない、純情な (笑) 記事であるこれで勘弁して欲しい (笑) ―――― ◇ ――――小津安二郎の映画 「浮草物語(旧作)」と「東京の宿」 【復刻日記】年末からNHK BSで小津安二郎の映画が、連日のように放映されていて、「東京物語」「秋刀魚の味」のような聞こえた名作はもとより、戦前のサイレント作品まで観ることができる。戦前の映画なんてさして面白く無いだろうと思っていたが、観はじめてみると結構面白くて、見始めるとどうも最後まで観ることになる。 ーーーー ◇ ーーーー昨日は「浮草物語」の旧作の方だったが、新作(中村雁次郎・京マチ子・若尾文子・杉村春子・川口浩)より素朴で、むしろ楽しかった。旅芸人の座長が昔の愛人およびその愛人に生ませた息子の住む町へ巡業しに来て興行を打つ。興行がはねた後は愛人宅に来ては息子と親しむ。息子は父親は死んだと聞かされて育ち、座長は叔父だと言われ、それを疑っていない。そのうち一座の花形であり現在の愛人でもある女がこの事実を知り、一座の若い娘に息子を誘惑させる。高校生の息子はとまどいながらも初めての女性に夢中になる。娘の方もはじめこそ金で頼まれた誘惑だったが、すぐ真剣になってしまい、二人は毎晩のように密かに逢い引きをするようになる。座長はついにこのことを知り激怒、愛人とももめた勢いで一座を解散することになる。出発の夜、座長は娘の真剣さに打たれ息子との仲を許し、彼の母、昔の愛人に二人を託して去って行く。 ーーーー ◇ ーーーー今日は「東京の宿」(1935 松竹)。原作がフランスの小説らしくて日本の東京に焼き直してはいるが、筋がいかにもフランス映画っぽい。中年の男が二人の男の子を連れて毎日職を探しては安宿に泊まる。その内にやはり無職・安宿泊まりの美貌の女性を知る。男は幸い職を得て一応の安定を得るがある飲み屋で酌婦になっている女性と出会う。女性は一人娘が疫痢(えきり)で入院、金のために酌婦になったのだが男にはそれが許せない。衝動的に盗みをはたらきその金を病院の女性に届けさせ自分は自首する。主人公をジャン・ギャバン、美貌の女は「望郷(Pepe Le Moko)」でジャン・ギャバンが憧れる巴里からきた女、ミレーユ・バラン、それをデュヴィヴィエが監督したフランス版を観てみたいような気になった。特筆事項としては、主人公が思いを寄せる女性役で岡田嘉子が出演していることだ。岡田嘉子は当時人気の新劇女優。後に演出家で恋人の杉本良吉と樺太(今のサハリン)の国境線を馬ソリでソ連国境へと亡命、「赤い恋の逃避行」と大きな話題になった。杉本は亡命後ほとんどすぐにスパイ容疑でソ連政府に殺され、彼女自身はその後モスクワに住んでいた。さすがに美貌。
2009.05.30
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■ 白いリラの花が咲く頃 宝塚歌劇団【復刻日記】今日も【復刻日記】なのだが、これは私の最初の楽天ブログ記事である ―――― ◇ ――――【復刻日記】今日から楽天日記を始めます最近読んで面白かった本の一つに「イヴの七人の娘たち THE SEVEN DAUGHTERS OF EVE」という本があります(ブライアン・サイクス著 大野晶子訳 ソニーマガジンズ発行)この本の内容を一言で言えば、「現代人の共通祖先は約15万年前、アフリカにいた一人の女性である」という仮説の経緯とその説明ですこの仮説は今ではほぼ定説になっているので、驚いたことに我々人類はみな親戚同士と言うことになる ーーーー ◇ ーーーー夕方のテレビを見ていると、SF作家の小松左京さんがゲスト「左京」というペンネームは学生時代京都市の左京区に下宿していたからそれにちなんでのものだと、ご自身がおっしゃっていた小松さんは「想い出の曲」として宝塚の劇団歌「スミレの花の咲く頃」の原曲というシャンソンをリクエストしかし、さすが博覧強記の小松左京先生もこの件では間違っています(全面的にまちがいとは言えないのですが) ―――― ◇ ――――この曲はもちろん日本の曲では無くて、白井鉄造氏が昔、アイディアを求めて欧州に旅行した折り、当時パリで流行っていた「白いリラの花がまた咲く頃」 (Quand refleuriront les lilas blancs)というシャンソン曲を持ち帰って来て、「リラ」を日本人にイメージがわきやすい「スミレ」に変えたものと言われていますしかし私が調べてみると、この曲はもともとはシャンソンでは無く、1928年にウィーンでフランツ・デレ作曲、フリッツ・ロッター作詞のコンビで作られた曲で、ドイツ語の原題は「Wenn der weise Flieder wieder bluht」だという原題の意味は、フランス語のそれと同じ戦後、その題名そのままの「白いリラの花がまた咲くころ」(1953)という映画が作られ、音楽担当はこの曲を作曲したフランツ・デレ自身主演はマグダ・シュナイダー、そしてその娘の役で実際にも娘であるロミー・シュナイダー(当時14歳)が映画デビューを果たしたそうです私はもちろんこの映画は観ていませんただ、マグダ・シュナイダーは古典的名画「制服の処女」にも出演したということですが、「制服の処女」を観てみても、どの女性がマグダナのか?、わかりませんでした先生役の知的な美女、ドロテア・ヴィークに強い印象を受けましたがマグダは恐らく生徒役のひとりだったのでしょうこの曲、「白いリラの花がまた咲くころ」は、1956年にアメリカのビルボードに登場今度は題名も英語で「When the White Lilacs Bloom Again」リラは英語では Lilac ライラックです ―――― ◇ ――――私が昔、東欧のある国にいた頃、ある時私がふとこの曲を口ずさんだら、まわりの皆が口をそろえて「それは戦前流行った有名な曲で、我が国の歌だ どうしてその曲を知っているんだ?」というのです私の母と祖父母が昔、宝塚歌劇のファンだったので、ふとこの曲を思い出したのですがそれからしばらく、すっかりそれを信じていましたが、最近ネットで調べたら上記のような次第らしいしかし、考えてみれば恐らくそれほど当時は欧州各国で、各国語で愛唱された曲で、各国の人間が自分の国の人間が作曲した曲だと信じてきたのでしょう私自身も白井鉄造氏が作曲した日本の曲だと思っていましたからね一度宝塚歌劇団にも原曲について電話で問い合わせたことがあるのですが、歌劇団の方でもハッキリしたことはわからない・・・・の解答でした
2009.04.26
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■ アメリカ映画協会、映画史100年のベスト100映画【復刻日記】昔 (笑) 、この記事には大量のコメントをいただきました加えて、リンクのみなさんがたが、よってたかって (笑) 浅学な私が知らない邦題や内容を解説してくださったので、そのコメントを残すためにも直接リンクとしましたなお、この記事の続編として「コメント編」その一・その二がありますだから、とうぶん【復刻日記】で行けそう★なおこの記事で「bjkeiko」というHNでコメントを下さっているのは、現在のHN「kelly」さんですこの「bjkeiko」というHNは「美人のケイコ」という自信を押し隠したHNだと、私は思うのですがどうでしょうか?(また怒られる~)★音信不通の「ねこのひげ99」さんどうして急に消えたんですか?寂しいじゃないですかヒゲを切られちゃったんですか?アートネイチャーやアデランスあたりに相談して、また出てきて下さい ―――― ◇ ――――【復刻日記】アメリカ映画協会、映画史100年のベスト100映画【復刻日記】コメントは(If any)【復刻日記】ではなく、リアルタイムの方にお願いします
2009.04.22
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昨日いただいたbonbon さんさんのコメントへのレスのコピーなのだが ―――― ◇ ――――bonbonさん>先日小津安二郎の【秋刀魚の味】を見ていたら,設定は昭和39年ごろ>みたいだけれど、「torys]バーがでてきて,当時はウイスキーは>ショートグラスでストレートが主力だったみたいですね。>既に会社勤めをしていた兄貴から,ウイスキーの飲み方を伝授してもらった記憶があります。>いいですね。あの雰囲気。>再開はあの感じでいいのではないでしょうか。女性はフラッパーのようなスカートで,品性のある女性でいきましょうや。-----私はまだ「再開!」など、大げさに考えていないまあ、そこそこの短文のものにするつもりちょっとみなさんと温度差があるかも知れない私にも「ブログ命」という時期もあったが、今はリアル・ライフを充実させたいという気持ちが強いブログによる自己主張・自己確認という作業はかなり終えた様な気がするからだただし、書くからには面白くて意味のある事を書きたいと思っている書き出すからには、序論、例示、比較、それから最後には私なりの結論・主張を書きたい私は自分の思考、自分のポジションというものを常に鮮明にしたい男なのだそうするとまた長文になるその両立が難しい ―――― ◇ ――――bonbon さんが見たという小津安二郎の「お茶漬けの味」その中のワンシーン岸田今日子ママのトリスバー軍艦マーチがかかっている駆逐艦「朝風」の元艦長(笠智衆)とその部下(加藤大介)が飲んでいる加藤「ねえ艦長 日本はどうして負けちゃったんでしょうね?」笠智衆「う~ん まあ・・・」加藤「勝ってたら艦長、今頃あなたも私もニューヨークだよ、ニューヨーク。パチンコ屋じゃありませんよ。ホントのニューヨーク。アメリカの。」 笠智衆「そうかね けど、負けてよかったじゃないか」加藤「そうですかねえ? うーん そうかもしれねえな 馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね 艦長!あんたのことじゃありませんよ あんたは別だ」 加藤「大本営発表!」加藤 「帝国海軍は、今暁5時30分、南鳥島東方海上において」・・・笠智衆「負けました」加藤「そうです、負けました」笠智衆「しかし、負けてよかった」加藤「そうですね 負けてよかった」 ―――― ◇ ――――負けて良かったのだろうか?勝つことは出来なかったと思うが
2009.04.15
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ジャンヌ・モローへのインタヴィュー【復刻日記】「ジャンヌ・モロー語る」というテレビのインタビュー番組を何気なく見ていたら面白くなって、結局最後まで見たこのアクターズ・ステュディオ製作の番組はいろんな映画俳優を招いてインタヴィューをするのだけれど、今まではほとんど見ていないこの頃の俳優にはあまり興味が無いからであるしかし、ジャンヌ・モローはもうだいぶ古い女優で、私が見た映画の年代の女優だジャンヌ・モローの映画はそれほど観ていない先ず「黒衣の花嫁」それから退廃したヴェネチアの海水の匂いが漂うような「エヴァの匂い」その他にもあるが、とにかく悪女系の性格を売りにした女優さんであるその彼女がデュラスの「愛人・ラマン」に出演していたと知ったが、彼女の出演場面を覚えていない(後にぴーたろーさんから、モローは、女主人公の独白というか、ナレーションを担当していたことを教えられる)彼女の父はフランス人、しかし母親はイギリス人だと言うことは知っていたが、その母親がダンサーで少しアイリッシュの血が混じっていたというのは初耳モローはさぞや上流家庭で育ったのだろうと思っていたが、どうもそういうわけではなかったようだ英語は流ちょうだが特に知的なシャープな英語・・・というほどのものでは無く、それに明らかにフランス訛りがあるまた20歳の史上最年少でコンセルヴァトワールに入団というのも、意外だった役者としての素質があったのだろう ―――― ◇ ――――このインタヴィューのさわりどころだけをメモってみようジャンヌ・モロー(=以下、JMと省略する)---------------------JM 内気であることは俳優にとって特別な宝物 恥ずかしさに打ち勝って演技することが重要JM (ある舞台を観て感激して)私は舞台に立つ人間だと自分で悟った 観客席に座る人間としてではなくてJM (女優になるのに反対だった父に対して)女優は娼婦とは同じでは無いことを証明したかった(司会者が飲み物のコップを差し上げて、JMに)「あなたの愛に!」JMがこれに応えて「あなたのにも」と応じる)(私の経験からはアメリカ人の男は案外普通はこんなキザなことをあまり言わないと思うのだが、このインタヴィューが行われたのはパリだから、司会者も合わせたのかな? また、この司会者はアメリカ人のくせに?英国人気取りの所があるので、そのせいかな?)司会者 (当時ヌーベルバーグの映画に出演していて)映画の歴史を変えているという自覚はあったか?JM イエス 「突然炎のごとく」を制作中に、パトロンがヌーベル映画に驚いて資金提供を打ち切ったために予算が不足して困った スタッフ同士もいろいろ協力し合い、私はスタッフの料理を作っていた監督はそのために私の出番は12時近くにはしなかったほど司会者 映画では監督の指示に従って演技をするのか?自分の理論で演技するのか?JM 監督の指示に従う 私は制約を好む 制約の中で演技する だから俳優業は魅力的 自分のインスピレーションで演技する部分は少ない 例え自分の考えだけで演技しても、そんな演技はお風呂の中に垂らしたワインのしずくのように薄まって流れてしまうが、それでも俳優は他人のものではない、太古からの潜在的な記憶をもっている(この部分は興味深い)そんなものが制約の中の演技にも生きてくるJM 「黒衣の花嫁」の女主人公(男を次々と殺す悪女)は黒い蜘蛛なのだ王女メディアでもあるのだから、自分に不当なことをした男達を処刑しなければならないメデューサでもあるのだから、彼女の目を見た男は石に変えなければならない司会者 他の俳優から影響を受けたかJM ノン(役者の名はあげない) 作家から人生を学んだ スタンダール・神話・フローベール・ゲーテ・ジョイス愛読書はデュラス(alex99注)(これはなるほどと思う いかにもと思う 私の知るところでもモローはデュラスと個人的親交もあったデュラスは私の好きな作家であるデュラスはヴィエトナムで育った自伝が映画化された「愛人・ラマン」がある私はモローには、どこかデュラスに人間として似通ったものを感じる)JM 俳優は美を他人に伝えることができるJM 好きなことは「新しい発見」(ここは同感)
2008.12.28
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ローマの休日とライター型カメラ【復刻日記】年末で時間がないので【復刻日記】です(こればっかり)この過去ログは私が楽天で書き始めたころの文章なので、語り口が低姿勢なのが印象的だと自分でも思います (笑) ―――― ◇ ――――【復刻日記】最近、「ローマの休日」という映画がデジタルマスター版となって再公開されたようで、ネット上でも大いに話題になっているようですオードリー・ヘップバーンという人はもちろん世界の大スターですが、日本で特に人気があるように思います私は「ローマの休日」以降のオードリーにはそれほど魅力を感じないのですが、「麗しのサブリナ」あたりは、「ローマの休日」で世界を震撼させた?清新な魅力がまだ横溢しているように思いますもっとも、この衝撃のデビュー時のオードリーは「美人」とは呼ばれず「ファニー・フェイス」と呼ばれて当時の流行語になったものです数日前に読んだ雑誌の記事で、ある人が撮影所で「生」オードリーを見かけたが「映画の彼女とは違って、目と鼻と口が異常に大きくてアンバランスな顔だったのには意外な感じを受けた」と書いていますが、やはり実物はファニー・フェイスなのかな?(実物を見たというbonbon さんのご意見をいただきたいところです)私も昔ローマを訪れたことがあり、イタリア階段やチボリの泉や大理石でできた大きな円盤状の海神トリトーネの「真実の口」などを廻りましたところであの「真実の口」はどうしても手を差し入れてみたくなるものですローマという街はやはり桁外れの魅力のある街で、さすがの私も?その時は感激で胸がいっぱいでしたが、今考えてみるとモノクロ画面の「ローマの休日」で描かれたローマの方がはるかに美しく魅力的なような気がします「黒水仙」や「赤い靴」などの特に色彩の美しい映画をのぞけば、一般にカラー映画よりもモノクロ映画の方が街や人物をより美しく描写できるのではないでしょうか?あのオードリーやハンサムなグレゴリー・ペックがカラーだとしたら、あそこまで「永遠の名作」にならなかったかも知れない暴論かも知れませんが、個人的にはそんなことを感じます写真でもそうですが、情報量が制限されたモノクロ画面の中の方に、人間はより想像力を働かせることができるのかも知れませんそれから「ローマの休日」の中で、グレゴリー・ペックの友人のカメラマンが、ヘップバーンを隠し撮りするのですが、そのカメラがジッポーに似たライターにカメラを仕込んだ「ライター型超小型カメラ」当時大いに話題になったようです私はあれは現在でも販売されている日本製のコーナンとうカメラだと思っていたのですが実際は違いました鈴木光学製で16ミリフィルムをフィルムカッターで8ミリに切断した8ミリフィルムを使用したもの最初の発売は1951年「エコー8」、その後カメラライトと呼ばれたとのこと 私も高校時代、このカメラではありませんが、ライターぐらいの大きさの豆カメラを買って、好きな同級の女生徒を下校の途中で隠し撮りしたという恥ずかしい過去があります制帽にわざわざ小さな穴を開けて、そこから隠し撮りをしたんですが、あのカメラと写真は今でも手元にあります ―――― ◇ ――――『追記』ただ、本当はこの写真の彼女の映像はぶれていて、満足にあのうるわしいお顔が映っていません当時のフィルムは感度が低かったのでぶれてしまったのだろうと思います多少は残念ですが、彼女の容姿の記憶ははっきり私の灰色の脳細胞にきざまれていますので、大丈夫?ですこのごろは、人の「顔」をヴィジュアルに記憶するのが苦手になってきていて、記憶が鮮明でないのですが、青春時代の想い出の中の人物の顔は鮮明に想い出すことが出来ますこれはすごいことなのかも知れません
2008.12.27
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レスリー・キャロンのレストラン【復刻日記】JALの情報誌「Agora」を読んでいたそのなかで、「我ら地球人 稲垣大助」という見出しで、フランスでミシュランの一つ星レストランのオーナーシェフとして活躍している日本人が特集されていたので、これに関してちょっと書いてみたくなったというのは、二・三年前にテレビで昔のミュージカル映画のスター、レスリー・キャロンが現在所有するレストランを紹介する番組があって、それに彼女のレストランのシェフは日本人だということだったので興味深くて覚えているのだが、偶然だけれど、そのレストランの日本人シェフというのがこの稲垣大助さんなのだ ―――― ◇ ――――レスリー・キャロンについて日本で公開された洋画のデータ・ベースである「all cinema on-line」というサイトがある洋画映画ファンなら知っている人は知っているサイトで、ここでレスリー・キャロンのプロフィールについてこんな説明がある本名はLeslie Claire Margaret Caronパリの修道院学校を卒業後、第二次大戦を経て47年からコンセルヴァトワールでバレエを習うその後シャンゼリゼ・バレエ団のプリマとなって巡業中にジーン・ケリーに見出され、51年「巴里のアメリカ人」で映画デビュー以降はMGMミュージカルのスターとしてバレエで培ったダンスと愛らしい容姿で活躍53年の「リリー」でアカデミー主演賞候補にもなった4度の離婚を経験ウォーレン・ビーティとも一時期交際していた ―――― ◇ ――――51年「巴里のアメリカ人」で映画デビュー・・・とあるが、この役割は、本当は「雨に唄えば」や「バンドワゴン」「絹の靴下」「ブリガドーン」などのシド・チャリースが演じるはずだったのだが、シドが妊娠してしまって、レスリー・キャロンが代役になったいきさつがあるこれは私だけが知っていることで (笑) 、実はシド・チャリースと夫のトニー・マーチンの共同自伝?「The Two of Us」にこのことが(口惜しそうに) (笑) 書いてあったのですそれにしても、28作にも出演していたのか・・・私のかすかな記憶にある彼女の映画は下記の通りしかし、映画雑誌でストーリーを読んだものが大半で、映画館で見たものはそんなに多くないかも知れない・ファニー(1961) ・地下街の住人(1960) ・恋の手ほどき(1958) ・哀愁物語(1956) ・足ながおじさん(1955) ・三つの恋の物語(1953) ・リリー(1953) ・巴里のアメリカ人(1951)
2008.12.25
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「ロード・ジム」 コンラッド 【復刻日記】昨日の日記は、【復刻日記】20世紀に英語で書かれた小説、ベスト100篇 だったイヴリン・ウォーの作品が数点も入っているのが、意外だった兄のアレックスの作品は無いコンラッドは最も多いかな?コンラッドはポーランド人なのに、英語で世界の名作と言われる作品を書くとは偉い!>085 Lord Jim, Joseph Conrad (1900) ロード・ジム(映画化されている)(ジョセフ・コンラッド)今日、偶然に地方局テレビでこの映画を観たもっと思想性があるだろうと思っていたのに、完全な活劇映画だったピーター・オトゥール主演若い頃のピーター・オトゥールって、今まで気がつかなかったけれど、ちょっとゲイリー・クーパーに似たところがある年を取るにつれ、だんだん怪優?になってゆくけれど ―――― ◇ ――――この映画を二重音声の英語の方で聴いていたら、面白いセリフがあったあるギャングの親分が子分にこう言う■ We have to eliminate one person.オレたちはヨ~ あるヤツを消さなきゃいけね~部下が答える■ You mean murder.つまり「殺せ!」とおっしゃるのでやんすね?親分が答える■ Justice! いや 「正義!」って~のを、やるだけよ ―――― ◇ ――――なるほど~アフガニスタンやイラクでの米軍を思わせるねただし、justice に the がつくと、「神の裁き」 The Justice = Justice of Heaven となるいう事になるらしいだから、天上にもまた「親分」がいるらしい
2008.10.26
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私は例の「ALWAYS三丁目の夕日の続編」の方は観ていないが、多分、第一作と同じようなものだろうと推測している。「三丁目の夕日」の一作目の方を見て、感じたことを書いたら、msk222さんの乱入を受けたたが、msk222さんはまた、ご自分のブログでもこの映画を論じている。もちろん、私とは正反対意見である。くり返しになるが、私にはどうもあの、ふわついた安手な空気が、昭和のものと思えなかった。原作が漫画だから、笑いを意識しているのだろうけれど、なにもそう直ぐに笑いに持って行かなくてもいいではないか、という場面が多かった。主演の作家志望の青年、芥川龍之介役の吉岡君の演技も、寅さんシリーズでの演技の方がよかったのに。昭和って、もっと骨太だったという思いがしてならない。過日の、たけし主演の松本清張原作、「点と線」。昭和は昭和でも、終戦後の時代だが、あの世界は重厚で、昭和という感じでうれしかった。~~~~~~~~~そこへ行くと、同じファンタジーでも、もっと荒唐無稽でも、片岡鶴太郎と、風間杜夫が出演し、大林監督作品である■ 「異人たちの夏」が、ファンタジーでありながら、むしろ逆にある種リアルなようで、身につまされて泣けた。私の場合、両親ではなく、祖父母を想い出して・・・だけれど。この映画は、はっきり「ファンタジーだ」と開き直っているし、その上で、われわれの今は亡き肉親を偲んで「もう一度あの人達に逢いたい~!」という気持ちが、よく表現されていると思う。また、大林監督の幻想的な作風が好きなのかな?
2007.12.27
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点と線見た人も多かっただろうと思うが、鳴り物入りの宣伝の二夜連続のテレビ朝日系列の開局50周年記念テレビドラマ「点と線」(松本清張原作)を見た。さすがに「開局50周年記念テレビドラマ」というだけに、金をかけた、豪華な出演者をそろえたもので、思わず見入ってしまい、第一話が終わった後は、翌日の第二話が待ち遠しかった。2ちゃんねるでは、主演のビートたけしの演技への批判が多かったが、私はそうは思わなかったし、たけしの存在感は大したものだと思った。執念の捜査ということで、「饑餓海峡」での刑事役、伴淳三郎を思いだした。おどろいたのは若い刑事役の高橋克典だった。経歴をしらべてみると、両親とも音楽家の良家のおぼっちゃん。その育ちの良さがうまく役柄とマッチして、地方の落ちこぼれ刑事のたけしと好対照の、若々しいエリート刑事を好演した。いつもの乱れ髪とことなり、ピッタリなでつけた七・三の髪型にすると、実にハンサムである。私は、キムタクなど爬虫類系の気持ちの悪い顔だと思っていて、こういう容貌こそハンサムというものではないか?私の好みは、オールドファッションかな? ~~~~~~~~キャスト○ 警察関係者鳥飼 重太郎:ビートたけし 鳥飼 つや子:内山理名→池内淳子(特別出演) 小林 安子(重太郎の義姉):樹木希林 田中係長(博多東警察署):小林稔侍 永井課長(博多東警察署):平泉成 刑事:でんでん 監察医:金田明夫 刑事(北海道警):深水三章 笠井係長(警視庁捜査二課):橋爪功 児島刑事(警視庁捜査二課):金児憲史 柳原刑事(警視庁捜査二課):芦川誠 寺崎課長(警視庁捜査二課):名高達男 警察幹部:河西健司 三原 紀一(警視):高橋克典→宇津井健(特別出演) ○ 産業建設省中尾 正(推進課長):本田博太郎 佐々木 喜太郎(事務官):大鶴義丹 石田 芳男(企案局長):竹中直人 原 種臣(大臣):江守徹(特別出演) ○ その他の登場人物安田 辰郎(安田交易社長):柳葉敏郎 安田 亮子(辰郎の妻):夏川結衣 佐山 憲一(産建省課長補佐):大浦龍宇一 桑山 秀子(お時):原沙知絵 桑山 ハツ(お時の母):市原悦子(特別出演) 博多の旅館の番頭:升毅 仲居:星野真里 八百屋の店主:斉藤洋介 とみ子(割烹料亭「小雪」の仲居):筒井真理子 八重子(割烹料亭「小雪」の仲居):あめくみちこ アパートの大家:伊佐山ひろ子 河西:佐戸井けん太 函館駅駅員:半海一晃 車掌:梨本謙次郎 東京駅助役:小野武彦 長谷川(亮子の主治医):坂口良子 ある家の女:かたせ梨乃 ドロップを差し出す女:高橋由美子 喫茶店の給女:滝沢沙織 駅員:山谷初男 2人の死体を発見した漁民:志賀圭二郎 タクシーの運転手:伊藤克信 ナレーション:石坂浩二 ~~~~~~~~その他、印象に残った出演者○ 三原 紀一(警視):高橋克典→宇津井健(特別出演) 宇津井健が高橋克典の50年後・・・とは、容貌的に無理があるな~。ではだれがいい?と聞かれても困るが。○ 鳥飼 つや子:内山理名→池内淳子(特別出演) 池内淳子も、悪いが、老けた。○ 桑山 ハツ(お時の母):市原悦子(特別出演) 秋田の老婆を抜群の演技で演じたが、まあ想定内。○ 駅員:山谷初男 秋田弁がうまい!なんという存在感!(笑)○ 産業建設省 石田 芳男(企案局長):竹中直人 例によって怪演。○ 産業建設省原 種臣(大臣):江守徹(特別出演) 江守とは気がつかなかった。○ 安田 辰郎(安田交易社長):柳葉敏郎他の役者の方がよかったのでは? ○ 安田 亮子(辰郎の妻):夏川結衣 色っぽかったと評判。たけしと対決の場面の目の演技は、確かに。○ 桑山 秀子(お時):原沙知絵 東京駅25番ホームを男と歩いている時の笑顔は、木訥な秋田女には見えなかった。○ 寺崎課長(警視庁捜査二課):名高達男 刑事には、かっこよすぎ。(笑) ~~~~~~~~言い忘れたが、あの東京駅は、JR大阪駅の隣の空き地(現在は)に作ったセットだという。これにはおどろいた!また都電も(行き先が新宿になっていた)は、古い車両を岡山に移送したものだという。岡山では路面電車が現役なのだろう。
2007.11.26
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映画女優・デボラ・カーが亡くなった。彼女は、私の好きな女優のひとりで、このブログにも彼女に関して日記を、三回ほど書いたので、それらを【復刻日記】としてみたい。【復刻日記】初恋の人【復刻日記】デボラ・カー 映画千夜一夜【復刻日記】デボラ・カー PART TWO バレリーナだったデボラ・カー ~~~~~~~~なお、私が日記でふれている三人の女優の映像を下記にコピーしました。PIER ANGELI ピア・アンジェリDEBORAH KERR デボラ・カーCYD CHARISSE シド・シャリース
2007.10.19
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映画カサブランカにまつわる歴史秘話!の続きです。【復刻日記】 今日は昨日の続き、映画「カサブランカ」のモデル、カレルギー伯の逃避行の全貌今日は昨日の続き、映画「カサブランカ」でバーグマンの夫の役柄のモデルだった、青山栄次郎の逃避行について「エリザベート ハプスブルク家の最後の皇女」という本を拾い読みしながら、私なりに説明をしながら書いて行くつもりだ。というのも、今晩は外出していて、今帰ってきたばかりであるし(当然一杯飲んでるし)、楽園じゃなかった、楽天が混雑していてなかなか開かなかったので、時間も押し詰まっているし(いつもこれだよ!)ほろ酔いだし・・・どこまで書けるか?疑問。まあ、書けるところまで書いてみよう。ヘロヘロ・・・。 ―――― ◇ ――――「エリザベート ハプスブルク家の最後の皇女」文藝春秋社刊第二十四章 トイツ軍ウィーン占領1938年3月13日、オーストリアはドイツに完全併合されてしまった。同じドイツ語圏とはいえ、オーストリアとドイツはちがう。オーストリアは近代欧州の最高の名家・ハプスブルグ家の本拠地であり、オーストリア・ハンガリア帝国を形成して欧州全体の覇権を握っていたのだ。ドイツという国はイタリアと同じように、いろんな独立国が併合されて最後にドイツという国になったわけだが・・・。ヒトラーは14日リンツからウィーンに到着、ヒステリックに熱狂しきった60万の群衆は歓呼・歓喜して、隣国から凱旋したヒトラーを迎えたという。ぬれねずみの様に不遇だった故郷・オーストリアに凱旋したヒトラーは、そのオーストリアの輝かしい盟主・ハプスブルク王朝の王宮バルコニーに立って歴史的な大演説をした。ナチスのすべての高官が参列し、まるでオーストリアを押しつぶすような勢いがあったようで、ウィーンの家々にはドイツ空軍機が運んだどいうナチスの旗、ハーケンクロイツがたなびいたという。欧州の列強がヒトラーに臆病風を吹かしていた中で、ナチスに反旗をひるがえしたのはパリにいた若いオットー・ハプスブルクがいて、それにハプスブルク家は歴代ユダヤ人保護に力を尽くしていた。ヒトラーは欧州の名門ハプスブルク家の復活を極度に恐れていて、ハプスブルク家への弾圧を強めていた。そんな状況の中で、完全併合への最後通告を受けたオーストリア側には、いち早く逃亡脱出する人も多かったが、皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートの孫娘のエリザベートは断固として脱出を拒否していた。パン・ヨーロッパ=汎欧州運動のリーダー、栄次郎(もうクーデンホフ・カレルギー伯爵と呼ぼう)は、あるナチス党員から秘密裡にヒトラーの完全併合へシナリオとオーストリアへの最後通牒を突きつけるとのニュースをもらい、さらに別の友人から電話で「首相が辞任したこと、ドイツ軍のウィーン進駐が近いこと」を知らされる。それまでにカレルギーは1932年10月にはパン・ヨーロッパ会議で政権を取る以前のヒトラーやスターリンを非難している。さらにチャーチルの援助も得て、欧州中をかけまわって反ヒトラーおよびパン・ヨーロッパ運動を拡大している。ヒトラーがウィーンに進駐してくれば、彼が真っ先に標的にされるのは間違いない。併合直前の日に、開いていたパーティーを急きょお終いにして、彼は妻のイダとともにスイス大使夫妻が貸してくれた自動車に最小限の荷物を積み込み、ナチスのデモ隊であふれる街からの脱出を試みた。そのデモ隊に囲まれて危機一髪のシーンもあったのだが、自動車がスイスの外交官ナンバーであったことから紙一重で危機を逃れ、隣国のチェコスロバキアのブラティスラヴァに逃れた。翌日、ハンガリーの首都ブダペストに向けて夜中だけを選んで全速力で走る。昼間は森の中に潜む毎日だ。ユーゴスラヴィアからイタリアに入ると、連絡を受けていた反ナチスのイタリアの高級将校が出迎え、スイスまで護衛付きで送ってくれた。スイスではナチスの宣伝相ゲッペルスがクーデンホフ・カレルギーを逮捕し公開裁判に付すと宣言した新聞記事を読む。ここで彼はしばらくスイスを本拠地にしながら欧州各地を奔走し、なおも反ヒトラー運動をすすめ、特にパリには滞在することが多くなる。しかしそのうちにパリもが、ドイツ軍に占領される事態になり、米国への亡命を決意する。この辺がボガートがバーグマンと逢瀬をかさねる時期ということなのだろう。 ~~~~~~~~現実のカレルギーはスペイン経由ポルトガルに入り、米国ビザを取得しようとするのだが、なんとリスボンの米国大使館にビザの発給を拒否される。当時の米国大統領ルーズベルトはソ連との友好関係のため、さらに米国自身のためにもパン・ヨーロッパ運動は好ましくないとしていたのだ。これに対して英国の首相チャーチルは、戦後の欧州の平和構想の中心にとまで、このパン・ヨーロッパ運動を買っていて、カレルギーを支援していた。こんなところに、英米のスタンスのちがいがあったのか?現在のドル安はユーロ通貨の強さが一因と言うから、あながちルーズベルトを責めるわけにもゆかないかな?リスボンで渡米工作の日々を送っているうちに、北アフリカのマグレブの地のモロッコはカサブランカに行けば、闇(やみ)のパスポートとビザが入手できると聞いて、まさに出かけようとした時、1940年(昭和15年)夏、タイミングよくあるアメリカの大学から教授として招聘したいという電報が届いて、カレルギーは無事に米国に渡ることができた。このへんが映画とのちがいで、映画ではこの大学の招聘が無いばかりに、カレルギー夫妻はわざわざモロッコくんだりまでの逃避行となるわけで、大学よ、しっかりしてくれ!・・・これはちがうか?しかしこれで終わりではない!! ―――― ◇ ――――これで「終わり」だとすると、「映画カサブランカ」が、この夫妻をモデルにして、モロッコを舞台にして、企画されたという発端は、どこにあるのだ?!?!と、みなさん思うだろう。もっともこの映画は、本当のところはやっつけ仕事で、脚本も・・・おそれ多いが、かの井上ひさし先生のように、遅れてその場かぎりで・・・、俳優もスタッフも、明日はどうなるのか?わからなかったらしい。それなのにそれなのに・・・、結果として、この映画が映画史上に残る永遠の?名作になるとは人生万事塞翁が馬・・・、ちがうか? ―――― ◇ ――――ニューヨークに到着したリヒャルト・イダ夫妻は、あるホテルでたまたまラジオを聴いていた。そのラジオのニュースで、おどろいたことに、ニューヨーク・タイムズの記者が「カレルギーは死んでいても不思議はない!」とコメントしたという。まあ、ワイドショーではあるまいし、夫妻の決死の逃避行を随行取材したわけではないのだから、わからなくて当然だよね~。 ―――― ◇ ――――余談だが・・・。この「余談だが・・・」と言う言い方、司馬遼太郎さんが乱用したよね、いや濫用。なつかしいし、・・・「いいな~~と思う」。 ~~~~~~~~余談だが・・・、この 「きしゃ」ということばを打ち込むと 記者 貴社 汽車 帰社 喜捨 喜捨 騎射 ・・・とワープロソフトの変換能力を試すがごとき有様になるのは、「みなさん、ご存じのはず。 ~~~~~~~~この誤報というか、悲観的な推測情報におどろいた夫妻は、すぐNYタイムズに電話をかけて、その本人がまさにここにいることを告げる!もうたいへん!全米がわきかえり・・・夫婦の決死の逃避行はいちやく、当時の最大の話題になり、パン・ヨーロッパ、汎欧州運動は、ハリウッドにも映画のネタにされてしまったという・・・おそまつ。
2007.03.14
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今日は四作目の日記である。粗製濫造だから、【復刻日記】を入れないともたない。 ~~~~~~~~【復刻日記】 映画カサブランカ バーグマンの夫は青山栄次郎という日本人「カサブランカ」といえばイングリット・バーグマンとハンフリー・ボガート共演の名作だが、陰に隠れたような役柄ながら、このバーグマンには夫がいて、この映画の人間関係は三角関係である。ここで「あのバーグマンの夫には実在のモデルがあって、そのモデルは日本人で青山栄次郎」と書くと、ウソだろう!と言われそうですがこれは本当。バーグマンの役柄とその夫役には本当に実在のモデルがいたのである。今日、BBSへのviafmさんの書き込みの中に「ハプスブルグ家のエリザベート」という部分があったので、それに触発されてこの話を思い出し書くことにした。 ―――― ◇ ――――まずちょっと長い話になるので、先ずあの映画の登場人物を説明しよう。「カサブランカ」の主題は、下記の人物の三角関係。1) ナチスに追われる抵抗運動の指導者・ヴィクター・ラズロ2) その妻、イルサ・ルンド(イングリット・バーグマン)3) モロッコのカサブランカのカスバで、ナイトクラブを経営するアメリカ人リック(ハンフリー・ボガート)物語を説明するにしても実は私は一回しかこの映画を観ていないのでちょっとあやふやながら、ストーリーをはしょって紹介してみることにする。物語の始まりはパリ。このパリのシーンはフラッシュ・バックで表現される。バーグマンの夫は対ナチス抵抗運動の活動家ですが、ナチスに逮捕され死亡したらしくある日、消息が途絶え、その心の隙間を(よく使われる言葉だが・・・)埋めるように、バーグマンはボガートとの逢瀬を重ねる。ところがいよいよトイツ軍がパリに侵攻してきたので二人は手に手を取って逃げる予定だったが、その直前突然思いがけず夫のヴィクターが帰って来た。バーグマンは「逢えない」というメモだけを残してボガートのもとを去ってしまう。つまりボガートはあっさり振られてしまったわけになる。しかもその理由も知らされずに。かなりの歳月が経った後、亡命途上にカサブランカに立ち寄ったヴィクター、バーグマン夫妻が、ボガートのバーに偶然に入ってきて、バーグマンとボガートは複雑な気持ちで再会をする。彼らは地下人脈にも通じるボガートに、偽パスポートの手配を懇願する。しかし同時にバーグマン自身は、この異境で再会したボガートと夫ヴィクターとの二人の男性の間で、どちらを選ぶべきか?苦悩する。ボガートも同様に夫ある身として現れたバーグマンへの思慕を断ち切れず、苦悩する。色々あって結局は夫婦がボガートにパスポートをもらい飛行機に乗って亡命先へ逃れる。この霧の中で飛行機に乗り込むシーンはウディー・アレンの「ボギー・・・」でも再現されている名場面だろう。 ーーーー ◇ ーーーーあの双発機はダグラスDC-3だと思う。ボガートのあのトレンチはバーバリーでは無く、ライバルのアクアスキュータムだそうで、何かの本にそう書いてあった。私はコートはアクアスキュータムが洗練されていていいと思うが、トレンチコートはバーバリーの方が軍用の面影を残していていいと思う。 ーーーー ◇ ーーーーこれはラブ・ロマンスの比重の大きいハード・ボイルド。ハード・ボイルドというジャンルを一言で言えば、やせ我慢男の義理人情ロマン?または武士は喰わねど高楊枝というところかな?この映画で観るかぎり、バーグマンの心はボガートの方に惹かれている。このめくるめく強烈にエキゾティックなアラブの土地に住み、なおかつ有力者として生活していて、通行証をやみ手配できる(裏社会とは言え)力を持つボガートの男らしさに惹かれるのは、状況上女性として当然かも知れない。 ーーーー ◇ ーーーー舞台は変わって以下は史実 :明治25年(1892)、東京牛込は青山のある骨董商の店先で、当時駐日オーストリア代理公使であったハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵が馬で通りかかった。折悪しく、店の前の打ち水が凍ったところがあって、伯爵の馬がすべって転んだ。そのカレルギー伯を素早く介抱したのが、その骨董商の娘、青山光子(1874~1941)。知り合った二人は、それから二週間もするとこれも素早く、領事館で同棲を始める。そうして光子はカレルギー伯と18才で国際結婚、親に勘当される。日本で二人の男の子(光太郎・栄次郎)が生まれる。この次男の栄次郎のオーストリー名はリヒァルト・ニコラウス・クーデンホーフ・カレルギー。1896年、カレルギー伯爵に本国より帰国命令が出る。ミツコは夫と二人の子供と一緒にオーストリアに渡る。彼女は合計7人の子供を出産、ボヘミヤの領地の城で暮らす。夫ハインリッヒが1906年に急逝、遺言により全財産を受け継ぐ。光子は文化の壁を乗り越え伯爵夫人としてウィーンの社交界の花形となる。今から約100年も前の欧州で貴族夫人として活躍した日本女性がいたと言うことはすごいことだが、これが、旧姓青山光子、結婚してからオーストリーでの名前はミツコ・クーデンホーフ、の略歴でである。20年近く前に吉永小百合さんが、このミツコの娘を訪ね、ミツコの生涯を検証するというテレビ番組があったのをご覧になった方も多いと思う。 ―――― ◇ ――――ゲランの有名な香水に「ミツコ」というのがある。私は未だ香りを嗅いだことがないが、昔から最も有名な香水の一つ。この「ミツコ」という香水の名前は、実はミツコ・クーデンホフにちなんで命名されたという説が強い。ゲラン社は公式にこれを否定しているが、当時の欧州に知られていたミツコという名前は、ミツコ・クーデンホフであるというのが常識だと思う。もう一つミツコという名前が知られていて、これはフランスの小説「ラ・バタイユ」のヒロインの日本女性の名前。このミツコもミツコ・クーデンホフに名前を拝借したのではないかと思うが時系列を調べてはいない。まあ、どちらでもいいのだが、とにかくミツコは当時のフランス人にとって日本女性を代表する名前であったということだけは確かであろうと思う。そうして、「カサブランカ」のイングリット・バーグマンの夫の役柄は、このミツコの次男、がモデルだと言われている。「カサブランカ」の映画の中で、ナチスに追われる抵抗運動の指導者でチェコスロヴァキアの外交官であるヴィクター・ラズロ Victor Laszlo。彼こそ、青山光子(ミツコ・クーデンホフ)の次男の栄次郎であり、栄次郎オーストリー名はリヒァルト・ニコラウス・クーデンホーフ・カレルギー。実はこのバーグマンが扮したイルサ(Ilsa Lund)ラズロも、栄次郎の実在の妻、ウィーンの美人舞台女優イダ・ローランがモデルである。美男でもあった栄次郎はこのイダと恋に落ち、ミツコの反対をおして駆け落ち結婚をして、このため栄次郎はミツコから勘当される。栄次郎は成人して、欧州統合を目的とする汎ヨーロッパ運動の創始者となる。この思想が → EEC(ヨーロッパ経済共同体) → EC(ヨーロッパ共同体) → EU(ヨーロッパ連合)となって今日に至る。はるか東洋から嫁いできて異文化の中で苦闘した母をもった栄次郎は、文化や国の統合という思想をこの環境ではぐくんだのではなかろうか?栄次郎は後に第一回鹿島平和賞を授賞し母の国、そうして自分が生まれた日本再訪を果たすのだが、・・・しかし、この映画の中では、まだその思想性からナチスに追われ亡命途上。なお、小林秀雄、中原中也、河上徹太郎、大岡昇平、永井龍男、白州正子などの師匠であるあの青山二郎は、この青山家の出身である。この受賞の際、青山家は栄次郎と会うことを拒んだという。光子の結婚は、縁切りだったのかも知れない。長男の光太郎もハンガリー・オーストリー二重帝国初の女性パイロット(飛行機乗り)だった女性とミツコの反対をおして結婚。この女性はユダヤ系だったこともミツコの反対の原因となったのであろうと思われる。自分が東洋からの異邦人であったミツコにもやはり人種偏見があったということか? ―――― ◇ ――――栄次郎とイダは実際にオーストリーから逃れる際に、モロッコ経由亡命するという予定もあり、そこから「カサブランカ」のアイディアが生まれたらしい。「エリザベート・ハプスブルグ帝国最後の皇女」(塚本哲也氏著)「文藝春秋社」という本を持っているのだが、例によって未だほとんど読んでいない。しかし、この本の中に栄次郎の亡命の経緯が書かれている部分だけは読んでいるので、ちょっと抜粋して紹介したいが、これは明日にゆずることとする。 ―――― ◇ ――――尾崎放哉の生涯を描いた小説(古書)を入手した。絶版の「海も暮れきる」。吉村昭著。講談社。
2007.03.12
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考えてみたら、チャングムを私が解説しても仕方がない。それに、そんな面倒なことはしたくない。では、そんな面倒なことをしているサイトを紹介するから、そこを見て欲しい。そこから、話を広げよう。 ~~~~~~~~NHK 「宮廷女官 チャングムの誓い」ホームページ「宮廷女官 チャングムの誓い ファンサイト」「宮廷女官 チャングムの誓い」宮廷女官チャングムの誓い 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「宮廷女官 チャングムの誓い」毎日がキャバリア ~~~~~~~~付け足しとしてNHKのサイトに専門用語の説明があるので引用させてもらおう。ア行 医女 いじょ 下級階層の役職のひとつ 簡単な医術を学び、医者の手伝いをする女性 アルサム アルサム 薄焼き卵でひき肉の具を包んだ料理 任士供 イムサホン 燕山君の側近 燕山君をそそのかし、甲子士禍を引き起こした 義禁府 ウィグムブ 王命に従って、罪人の取調べを行う官庁 牛島 ウド チェジュドの東側にある小さな島 カ行 功臣田 こうしんでん 国に功績のあった臣下に与えられる田 皇女 こうじょ 中宗の長女 孝恵公主のこと 甲子士禍 カップチャサファ 1504年ヨンサングンが生母ユン氏の復位問題を理由に両班を粛清した事件 気味尚宮 キミサングン 王に出す料理を毒見する女官 巳卯士禍の政変 キミョサファのせいへん 1519年、政治方針を変更した中宗のもと、保守派が改革派を粛清した事件 京畿道 キョンギド 朝鮮半島中西部 ソウルを中心とする地域 サ行 女真族 じょしんぞく 中国北東部に勢力を持ち、朝鮮王朝期には国境をたびたび脅かした 成均館 せいきんかん 儒教の教育をつかさどる最高の国立教育機関 司オン院 サオンウォン 宮中の食材を取り扱う官庁四山 ササン 漢陽を取り囲む山 司憲府 サホンブ 政治を論評し、不正を禁じる事務を掌握する官庁 尚宮 サングン 女官の役職の一つ 淑媛 スグォン 王の側室に与えられる称号の一つ スバル尚宮 スバルサングン 王の身辺近くでいろいろ世話をする尚宮 水剌間 スラッカン 王の食事を調理するところ スン(スンチェ) スン(スンチェ) 白菜のこと 当時は結球しておらず青菜のような形状をしている 昭格署 ソギョクソ 道教の保全を図る官庁 ソルロンタン ソルロンタン 牛の肉や骨をじっくり煮込んだ白濁スープ 成宗 ソンジョン 朝鮮王朝第9代王 名君で知られる タ行 太平館 たいへいかん 明の使臣を接待した宿所のひとつ チマ岩の伝説 ちまいわのでんせつ 政治的理由から離別した、中宗と最初の妃シン氏の悲恋にまつわる伝説 最高尚宮 チェゴサングン 水剌間など女官が働く部署の責任者 済州島 チェジュド 朝鮮半島の南方80KMの海上にある島 当時は政治犯の流刑地でもあった 提調尚宮 チェジョサングン 尚宮を束ねる女官、女官の最高責任者 至密尚宮 チミルサングン 王のそばを片時も離れず世話をする尚宮 左賛成 チャチャンソン 最高行政機関の議政府で首相たちを補佐する役職 チャプチェ チャプチェ 野菜と春雨を炒めあわせた料理 醤庫 チャンゴ 醤油、塩辛類を保管するところ 中人 チュンイン 両班に次ぐ階級で技術系官職に従事 チュンジョチョナプタン チュンジョチョナプタン 冬虫夏草入り鴨の水炊き 中宗 チュンジョン クーデターにより即位した朝鮮王朝第11代王 趙光祖 チョ・グァンジョ 中宗に擁護され改革を推し進めたが、巳卯士禍で追放された人物 全羅道 チョルラド 朝鮮半島南西地域 穀倉地帯で王朝の直轄領が多くあった チョンゴル チョンゴル 下ごしらえした材料を鍋に入れ、煮ながら食べる料理 従事官 チョンサガン 朝鮮通信使三使官の一つ 文官が任命される 晋城大君 チンソンデグン 成宗の息子で燕山君の異母弟 のちの中宗 大監 テガム 官職の中で最上位の役職 退膳間 テソンカン 配膳をおこなう台所 トッポッキ トッポッキ お餅炒め ナ行 ニクズク にくずく ナツメグのこと 東洋医学では生薬として用いる内医院 ネイウォン 宮中内の医療業務をつかさどる官庁 内禁衛 ネグミ 王の護衛隊 内侍府 ネシブ 王の身の回りのことなど、王家を管理する部署 ノリゲ ノリゲ チマチョゴリにつける装飾品 ハ行 漢陽 ハニャン 朝鮮王朝の首都 現在のソウル 朴元宗 パク・ウォンジョン 燕山君の暴政に対しクーデターを企てた首謀者のひとり パルグァタン パルグァタン 亀と冬虫夏草をじっくり煮込んだ鍋料理 訓育尚宮 フニュックサングン 女官になる女の子を探し教育する尚宮 附子湯 プジャタン 毒薬 解毒には甘豆湯(カムドゥタン)や緑豆をつかう 恵民署 ヘーミンソ 庶民ための医療施設 マ行 元妃ユン もときさきユン 成宗2番目の夫人 燕山君の生母 メミルチョンビン メミルチョンビン そば粉をクレープのように薄く焼き、野菜や肉を包んだもの ヤ行 良人 ヤンイン 常民ともいう 主に農民 両班 ヤンバン 貴族的特権階級 燕山君 ヨンサングン 暴君で知られる朝鮮王朝第10代王 ~~~~~~~~もう一つ付け足し。チャングムが「奴婢 ぬひ」という選民に落とされるが、この解説。奴婢出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』奴婢(ぬひ)は、律令制における、良民(自由民)に対する賤民(自由のない民)の中の位置づけの一つであり、奴隷階級に相当する。奴は、男性の奴隷。婢は女性の奴隷を意味する。奴婢は、一般的に職業の選択の自由、家族を持つ自由、居住の自由などが制限されており、一定年齢の年齢に達したり、その他の条件で解放される場合もあった。しかしながら基本的には家畜と同じ扱いであり、市場などで取引されていた。中国の奴婢制度奴婢制度そのものは、律令制によって正式に国家の制度に取り込まれるが、それ以前からも良民と賤民は区別されており、賤民はさまざまな制限を受けていた。賤民は大きく奴婢とその他に分けられ、その中でも国が保有する官奴婢と個人が所有する私奴婢に分けられる。秦・漢代においては、官奴婢は戦争捕虜や重罪を犯した氏族が中核を占めており主に官営工場の労働や牧場などでの馬・鳥・犬などの飼育を行っていた。一方、私奴婢は、破産農民などでしめられており、地方の大地主の元で農作業やその他の雑務に従事していることが多かった。北魏・隋・唐代では、律令制に組み込まれ、私奴婢は主人の管理下にあり、その主人を訴える事ができないなどと定められていた。明・清代にも奴婢は残っていたが、基本的に私奴婢が中心であり徐々に廃れていった。しかしながら19世紀には、代わりとも言えるクーリー(苦力)が現れた。これらの制度は中華人民共和国の成立で正式に廃止される。日本の奴婢制度日本における奴婢制度は、隋・唐の律令制を取り入れる時に日本式に改良して導入したものである。奴婢自体は、三国志魏志倭人伝に卑弥呼が亡くなったとき100人以上の奴婢を一緒に殉葬したと言う記述や、生口と呼ばれる奴隷(または捕虜。異説もある)を魏に朝貢したと言う記述が見られるように、少なくとも邪馬台国の時代には既に奴婢は存在していた。これらの古代から存在していた奴婢を、律令制を取り入れるときに整理しなおしたものが、日本の奴婢制度だと思われる。律令制における賤民は、五色の賎(ごしきのせん)と呼ばれ五段階のランクに分けられていた。その中で最下級に置かれたのが奴婢である。奴婢は、大きく、公奴婢(くぬひ)と私奴婢に分けることが出来た。日本の律令制下における奴婢の割合は、人口の5%前後だと言われている。公奴婢は朝廷に仕え、雑務に従事していた。66を過ぎると官戸に組み込まれ、76を越えると良民として解放されたようである。私奴婢は地方の豪族が所有した奴婢であり、代々相続することが可能であった。私奴婢には、口分田として良民の1/3が支給された。日本の奴婢制度は、律令制の崩壊と共に消滅し、900年代には既に奴婢制度の廃止令が出ている様である。奴隷としての賤民は早い時代に消滅したが、被差別階級としての賤民(いわゆる“穢多”“非人”)が中世の頃から顕著に見られ始め、近世を通じて存続し、明治4年(1871年)の解放令まで残っていた。他国の奴婢制度朝鮮半島においても奴婢制度は存在し、李氏朝鮮では賤民は大きく奴婢(ノビ)と白丁(ペクチョン)に分けることができた。中でも白丁は一番下の存在と位置づけられていた。奴婢には、官奴婢と私奴婢が存在し、住まい及び結婚、職業の選択の自由に制限を受けており、法的に市場での売買が可能であった。ただし、奴婢の身分から解放される場合もあった。官奴婢の一部は徴税を代行していたために、地方の農民より裕福な者も存在していた。さらに文禄の役の際に奴婢が反乱を起こし、役所に火を放ち戸籍を燃やしてしまい、また、戦費を獲得するために一定の額を支払った奴婢は良民になれるようにした。そのため身分制度は混乱し、ある地方では37%居た奴婢が2%まで減少し、代わりに人口の9%に過ぎなかった両班が70%を占めるという状況も起きた。
2006.03.10
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NHKで再放映されている韓国のテレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」にはまってしまった。今まで、こんな事は、一度もなかったのに~。(泣)私には、コレクター傾向がある。好きな女優さん(主に洋画の女優さん)のビデオやDVDは、残らず買い求めないと気がすまない。米国のビデオを輸入までしてそろえた。テレビで、シリーズをテレビ録画したことがある。「寅さん」シリーズは、ほぼ全作品を録画した。妹が、市川雷蔵のファンなので、数十本の映画を録画した。アンジー・ディッキンソンの「女刑事」シリーズが、地方局で放映されたので録画をした。しかし、今回は、コレクト(収集)するのではなくて、ドラマそのものにはまってしまった。テレビだけでは、おさまらなくなって、レンタルショップのDVDを、4日間ですべて借りて鑑賞してしまった。DVDは18枚あって、各3話あるので、一話は50分、それで合計54話である。韓国での放送は、70話あって、70分だったという。NHKはカットして、短縮しているのだ。ひどいことをするな!・・・と興奮するほど、はまってしまったのだ。こんなに、面白くて、楽しくて、涙が出る(泣いたのではない)ドラマは無い。続きは、明日の日記で書くだろうと思う。
2006.03.07
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昨日の続きであるが、映画話題になるかも知れない。■ 映画千夜一夜 (淀川長治 蓮實重彦 山田宏一) 中央公論社オビにはこう書かれている。無類の映画好き三人による一大座談会 これぞ映画の大殿堂私がBBSにコメントするきっかけとなったのが、映画BBSである。中学・高校と、女性への憧れと文学趣味を兼ねたものとして、映画が、それも洋画が好きだった。映画雑誌なども買い込んで、好きな女優の記事や写真をあきずにながめていたものである。ブロマイド屋に行って、女優さんのブロマイドを買い込んだりもした。私的な意味でインターネットには入っていなかったが、映画BBSというものを見つけて、魅入られるように入り込み、コメントを書きだした。だから、この本を買い込んだのだが・・・。この本は、以前、持っていたのだが、この三人のうちの蓮實重彦という人物が大嫌いなので、一度、古本屋に売り払ったのだが、やはり、映画話題を読み直したくて、買い直したわけである。なにしろこの本は、サイズはB6版とやや小振りだが、800ページほどあるという本であるから、内容の紹介など大変なのでやらない。ただ、あの淀川長治さんが、存分に独特の映画談義と、ハリウッド・スター達との思い出話をしているので、嫌いな評論家がひとり混じっていても、がまんをするのである。と言いながら、私は以前一度、読んだことがある。私の映画知識ではわからない個所も多いが、楽天のたいていの人よりは、洋画にくわしいかもしれない。専門のBBSに行けば、私など、それほどのものではない。ただ、年の功で、実際に、50年代・60年代の映画を観たという強みはある。○ 今パラパラとめくってみたら、淀川氏が、「この女優のために映画を見に行こうという女優は、マリリン・モンローとキャサリン・ヘップバーンだと話している。山田氏は、キャサリン・ターナーとシャーロット・ランプリングだと言う。○ 私が蓮實重彦を大嫌いな(笑)理由の大部分は、この本の中で彼が、「デボラ・カーは頭が悪そうな顔をしている」と言う大暴言をはいたからである。これに対して、淀川氏が激怒?する。淀川「こんな事生まれて初めて聞いた(後略)」淀川「僕は綺麗だと思うね」淀川「そんなこと無い どうしてあなた そうおっしゃるの どうして馬鹿なの ちょっと言ってくださいよ」その他、言葉を尽くして蓮實重彦をなじるのだが、蓮實重彦はがんとして「デボラ・カーは、馬鹿な顔をしている」と言い張るのである。しかも、その理由が「馬鹿な女の役が多い」と言うことであったり、説得力に欠けるのである。あげくの果ては、イングリッド・バーグマンまで、馬鹿な顔といいだすのである。まあ、この激論は以前読んで、私も激怒!したのだが、デボラ・カーの作品がこの議論の中に出てくる。それは○ 白い砂 ○ 黒水仙○ お茶と同情○ クォ・ヴァディス○ 王様と私○ 地上より永遠に○ キング・ソロモン○ 旅路○ 悲しみよこんにちは○ 旅○ イグアナの夜デボラ・カーは私の一番好きな女優のひとりである。今、テレビで盛んに「名画20本のDVD」というのを宣伝している。その中にデボラの作品が三本入っている。 ○ 黒水仙○ クォ・ヴァディス○ キング・ソロモンこの三本である。「黒水仙」では、デボラ・カーはヒマラヤの奥地の尼僧院の院長を演じる。彼女にもっとも適した?役柄のひとつが尼僧役であると思う。「白い砂」でも、尼僧役である。特に、黒水仙のデボラ・カーは、異常なほど綺麗である。蓮實重彦ごときに文句をつけられるものではない!しかし、デボラ・カーが一番綺麗なのは「クォ・ヴァディス」の中であったと言う意見が映画ファンには多い。私も「そうかな?」と思う。「キング・ソロモン」は、アフリカ冒険活劇のはしりである。貴婦人タイプのデボラ・カーが、実際にアフリカロケに挑んでいる。当時の映画は、CDなど夢のまた夢であったので、実写を中心にしていたから出演者はたまらない。デボラ・カーは、病に倒れて撮影が滞ったらしい。デボラ・カーは、ある英国のリーダーズ・ダイジェストとも言うべき雑誌に、この映画のロケ地の土人、と言うと不味いな、現地人のある部族についての記事を起草している。馬鹿ではないのである。それに彼女は有名な読書家で、私と同じように??、万巻の書を書庫に持っていたという。ヴィヴィアン・リーの成功に気をよくしたハリウッドが、「イングリッシュ・ローズ 英国の白バラ」と呼ばれていたスター候補第一のデボラ・カーを、英国から招いたのだが、その際、彼女は、自分の本をすべてハリウッドの自宅に運んだという。「地上より永遠に」は、日本軍の真珠湾攻撃の前後のハワイの基地を舞台にした、ある種の反戦映画である。しごきやいじめは日本軍だけの特技ではなかった。特に米軍の中では人種差別もからんでいた。フランク・シナトラ扮するイタリア系の兵士は、その跳ね返りの気性や、イタリア系であると言うことで、下士官連中から過酷ないじめを受けて死亡する。日本人が「ジャップ」という蔑称で呼ばれることがあるように、イタリア人は「ウォップ」という蔑称を持っている。英語で言うと「WOP」である。これを説明すると、WOP=WITHOUT PAPER つまり書類(入国許可)無しに密入国した野郎達・・・と言う意味である。デボラ・カーは、この基地の将校の妻である。しかし、夫の部下である軍曹(バート・ランカスター)にひかれて不倫関係に陥る。デボラ・カーは、この映画に出演するまでは、ハリウッドの時代劇・史劇(コスチューム・プレイという)にばかり出演していた。いや、出演させられていた。彼女は、見るからに英国の上流階級の女性・貴婦人という容姿であるから、米国の一般女性を演じるには多少の無理がある。ハリウッドは、当時、次々と映画化していた史劇に彼女を投入した。「ジュリアス・シーザー」「クォ・ヴァディス」なるほど、確かに、彼女の品位ある美貌は、この種の映画にピッタリではあったが、彼女自身としては、そんな役柄に不満を持っていた。彼女は、もともと、あのジョーン・フォウンテインや、「赤い靴」という映画に主演したモイラ・シアラーと同じ、英国のバレエ団「ロイヤル・バレエ」のバレリーナだった人である。正確には「ロイヤル・バレエ」の前身のバレエ団であるが。ジョーン・フォウンテインは四年先輩ということだから、ジョーン・フォウンテインとデボラ・カーが同じフロアで踊っていたことがあるのである。ただし、デボラ・カーは、当時のバレリーナとしては長身(170cm)のためバレエをあきらめ、演劇の道に進んだ。(オードリー・ヘップバーンもバレリーナだったが、同じく170cmと言う慎重のために映画女優になっている)だから、単なるお姫様・王妃役では不満があっても当然だったろうと思う。事実、彼女は後に「旅路」という映画の中で、極めて地味な容貌の、神経症のオールドミス役を演じている。私としては、あまり観たくない映画だが、一応ちゃんとビデオを持っている。この不倫の人妻役には、当初、ジョーン・クロフォードが予定されていた。不倫の人妻という役柄にピッタリの人である。しかし、クロフォードとの出演交渉がうまく行かないでいる間に、デボラ・カーのマネージャーが、なんとこの不倫の人妻役にオファーを出した。プロデューサー側は最初、貴婦人タイプのデボラ・カーなど候補に考えられなかったが、そのうちにプロデューサーが「う~~ん」とうなって、彼女の起用を決めた。夫との不仲で、それに不妊となったために、男あさりをして、もがいているふしだらな女に、デボラ・カーである。このミスマッチが、意外にいいのではないか?プロデューサー側は、この点に気がついたのだ。私としては、この「地上より永遠に」のデボラ・カーが一番、魅力的に見える。まぶしいほど美しい。女神の様だと思う。それに彼女の演技も素晴らしいと思う。 ~~~~~~~~次の日記につづく
2006.03.03
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今日は昨日の続きの【復刻日記】、映画「カサブランカ」のモデル、カレルギー伯の逃避行の全貌。【復刻日記】今日は昨日の続き、映画「カサブランカ」でバーグマンの夫の役柄のモデルだった、青山栄次郎の逃避行について、下記の本を拾い読みしながら、私なりに説明をしながら書いて行くつもりだ。【エリザベート―ハプスブルク家最後の皇女】塚本 哲也 (著) 文芸春秋社刊 ―――― ◇ ――――「エリザベート ハプスブルク家の最後の皇女」第二十四章 トイツ軍ウィーン占領1938年3月13日、オーストリアはドイツに完全併合されてしまった。同じドイツ語圏とはいえ、オーストリアとドイツはちがう。オーストリアは近代欧州の最高の名家・ハプスブルグ家の本拠地であり、オーストリア・ハンガリア帝国を形成して欧州全体の覇権を握っていたのだ。ドイツという国はイタリアと同じように、いろんな独立国が併合されて最後にドイツという国になったわけだが・・・。ヒトラーは14日リンツからウィーンに到着、ヒステリックに熱狂しきった60万の群衆は歓呼・歓喜して、隣国から凱旋したヒトラーを迎えたという。ぬれねずみの様に不遇だった故郷・オーストリアに凱旋したヒトラーは、そのオーストリアの輝かしい盟主・ハプスブルク王朝の王宮バルコニーに立って歴史的な大演説をした。ナチスのすべての高官が参列し、まるでオーストリアを押しつぶすような勢いがあったようで、ウィーンの家々にはドイツ空軍機が運んだどいうナチスの旗、ハーケンクロイツがたなびいたという。欧州の列強がヒトラーに臆病風を吹かしていた中で、ナチスに反旗をひるがえしたのはパリにいた若いオットー・ハプスブルクがいて、それにハプスブルク家は歴代ユダヤ人保護に力を尽くしていた。ヒトラーは欧州の名門ハプスブルク家の復活を極度に恐れていて、ハプスブルク家への弾圧を強めていた。そんな状況の中で、完全併合への最後通告を受けたオーストリア側には、いち早く逃亡脱出する人も多かったが、皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートの孫娘のエリザベートは断固として脱出を拒否していた。パン・ヨーロッパ運動のリーダー、栄次郎(もうクーデンホフ・カレルギー伯爵と呼ぼう)は、あるナチス党員から秘密裡にヒトラーの完全併合へシナリオとオーストリアへの最後通牒を突きつけるとのニュースをもらい、さらに別の友人から電話で「首相が辞任したこと、ドイツ軍のウィーン進駐が近いこと」を知らされる。それまでにカレルギーは1932年10月にはパン・ヨーロッパ会議で政権を取る以前のヒトラーやスターリンを非難している。さらにチャーチルの援助も得て、欧州中をかけまわって反ヒトラーおよびパン・ヨーロッパ運動を拡大している。ヒトラーがウィーンに進駐してくれば、彼が真っ先に標的にされるのは間違いない。併合直前の日に、開いていたパーティーを急きょお終いにして、彼は妻のイダとともにスイス大使夫妻が貸してくれた自動車に最小限の荷物を積み込み、ナチスのデモ隊であふれる街からの脱出を試みた。そのデモ隊に囲まれて危機一髪のシーンもあったのだが、自動車がスイスの外交官ナンバーであったことから紙一重で危機を逃れ、隣国のチェコスロバキアのブラティスラヴァに逃れた。翌日、ハンガリーの首都ブダペストに向けて夜中だけを選んで全速力で走る。昼間は森の中に潜む毎日だ。ユーゴスラヴィアからイタリアに入ると、連絡を受けていた反ナチスのイタリアの高級将校が出迎え、スイスまで護衛付きで送ってくれた。スイスではナチスの宣伝相ゲッペルスがクーデンホフ・カレルギーを逮捕し公開裁判に付すと宣言した新聞記事を読む。ここで彼はしばらくスイスを本拠地にしながら欧州各地を奔走し、なおも反ヒトラー運動をすすめ、特にパリには滞在することが多くなる。しかしそのうちにパリもが、ドイツ軍に占領される事態になり、米国への亡命を決意する。この辺がボガートがバーグマンと逢瀬をかさねる時期ということなのだろう。現実のカレルギーはスペイン経由ポルトガルに入り、米国ビザを取得しようとするのだが、なんとリスボンの米国大使館にビザの発給を拒否される。当時の米国大統領ルーズベルトはソ連との友好関係のため、さらに米国自身のためにもパン・ヨーロッパ運動は好ましくないとしていたのだ。これに対して英国の首相チャーチルは、戦後の欧州の平和構想の中心にとまで、このパン・ヨーロッパ運動を買っていて、カレルギーを支援していた。こんなところに、英米のスタンスのちがいがあったのか?現在のドル安はユーロ通貨の強さが一因と言うから、あながちルーズベルトを責めるわけにもゆかないかな?リスボンで渡米工作の日々を送っているうちに、北アフリカのマグレブの地のモロッコはカサブランカに行けば、闇(やみ)のパスポートとビザが入手できると聞いて、まさに出かけようとした時、1940年(昭和15年)夏、あるアメリカの大学から教授として招聘したいという電報が届いて、それでカレルギーは無事に米国に渡った。このへんが映画とのちがいで、映画ではこの大学の招聘が無いばかりに、カレルギー夫妻はわざわざモロッコくんだりまでの逃避行となるわけで、大学よ、しっかりしてくれ!これはちがうか?しかしこれで終わりではない!! ―――― ◇ ――――これで「終わり」だとすると、「映画カサブランカ」が、この夫妻をモデルにして、モロッコを舞台にして、企画されたという発端は、どこにあるのだ?!?!と、みなさん思うだろう。もっともこの映画は、本当のところはやっつけ仕事で、脚本も・・・おそれ多いが、かの井上ひさし先生のように、遅れてその場かぎりで・・・、俳優もスタッフも、明日はどうなるのか?わからなかったらしい。それなのにそれなのに、映画史上に残る永遠の?名作になるとは人生万事塞翁が馬・・・、ちがうか?それに・・・みなさん、というほどROMは多くないが、まあ、いい。 ―――― ◇ ――――ニューヨークに到着したリヒャルト・イダ夫妻は、あるひたまたまラジオを聴いていた。おどろいたことに、そのラジオ放送でニューヨーク・タイムズの記者が「カレルギーは死んでいても不思議はない!」とコメントしたらしい。まあ、ワイドショーではあるまいし、夫妻の決死の逃避行を随行取材したわけではないのだから、わからなくて当然だよね~。 ―――― ◇ ――――余談だが・・・。この「余談だが・・・」と言う言い方、司馬遼太郎さんが乱用したよね、いや濫用。なつかしいし、・・・「いいな~~と思う」。 ―――― ◇ ――――余談だが・・・、この 「きしゃ」ということばを打ち込むと 記者 貴社 汽車 帰社 喜捨 喜捨 騎射 ・・・とワープロソフトの変換能力を試すがごとき有様になるのは、「みなさん!」、(ROMは少ないって!!)、ご存じのはず。 ―――― ◇ ――――だから~、ニューヨーク・タイムズの~、ちょっと酔いが回っているのだが、酔眼・・・。この誤報というか、悲観的な推測情報におどろいた夫妻は、すぐNYタイムズに電話をかけて、その本人がまさにここにいることを告げる!もうたいへん!全米がわきかえり・・・夫婦の決死の逃避行はいちやく、最大の話題になり、パン・ヨーロッパ、汎欧州運動はハリウッドにも映画のネタにされてしまった。
2005.05.28
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まずは、今日の【復刻日記】この【カサブランカ】は数日分日記を書いていて、シリーズになっているので、その順に紹介してゆこう。【当日日記】は後ほど書く予定ですが、あくまで「予定」です。【復刻日記】【映画カサブランカ バーグマンの夫は青山栄次郎という日本人】「カサブランカ」といえばイングリット・バーグマンとハンフリー・ボガート共演の名作だが、陰に隠れたような役柄ながら、このバーグマンには夫がいる。だから、この映画の人間関係は、不倫の三角関係である。ここで【あのバーグマンの夫の役柄には、実在のモデルがいて、そのモデルは日本人、名前は青山栄次郎!】と書くと、ウソだろう!と言われそうですがこれは本当で、バーグマンの役柄とその夫役には本当に実在のモデルがいたのである。今日、BBSへのviafmさんの書き込みの中に「ハプスブルグ家のエリザベート」という部分があったので、それに触発されてこの話を思い出し書くことにした。 ―――― ◇ ――――まずちょっと長い話になるので、先ずあの映画の登場人物を説明しよう。「カサブランカ」の主題は、下記の人物の三角関係。1) ナチスに追われる抵抗運動の指導者・ヴィクター・ラズロ2) その妻、イルサ・ルンド(イングリット・バーグマンが演じた)3) モロッコのカサブランカのカスバで、ナイトクラブを経営するアメリカ人リック(ハンフリー・ボガートが演じた)物語を説明するにしても、実は私は一回しかこの映画を観ていないので、ちょっとあやふやながら、ストーリーをはしょって紹介してみることにする。物語の始まりはパリ。このパリのシーンはフラッシュ・バックで表現される。バーグマンの夫は対ナチス抵抗運動の活動家だが、ナチスに逮捕され死亡したらしくある日、消息が途絶える。その心の隙間を(よく使われる言葉だが・・・)埋めるように、バーグマンはボガートとの逢瀬を重ねる。ところが、いよいよトイツ軍がパリに侵攻して来て、二人は手に手を取って逃げる予定だったが、その直前突然思いがけず、死んだはずのバーグマンの夫のヴィクターが帰って来た。バーグマンは「逢えない」というメモだけを残して、ボガートのもとを去ってしまう。つまりボガートはあっさり振られてしまったわけになる。しかもその理由も知らされずに。かなりの歳月が経った後、亡命途上に、モロッコのカサブランカに立ち寄ったヴィクター、バーグマン夫妻が、ボガートの経営するバーに偶然に入ってきて、バーグマンとボガートは複雑な気持ちで再会をする。彼らは地下人脈にも通じるボガートに、偽パスポートの手配を懇願する。しかし同時にバーグマン自身は、この異境で再会したボガートと夫ヴィクターとの二人の男性の間で、どちらを選ぶべきか?苦悩する。ボガートも同様に夫ある身として現れたバーグマンへの思慕を断ち切れず、苦悩する。色々あって結局は夫婦がボガートにパスポートをもらい飛行機に乗って亡命先へ逃れる。この霧の中で飛行機に乗り込むシーンは、ウディー・アレンの「ボギー 俺も男だ」でも再現されている名場面だ。 ーーーー ◇ ーーーー彼らが乗り込むあの双発機は、ダグラスDC-3だと思う。ボガートが着用していたあのトレンチは、バーバリーでは無く、ライバルのアクアスキュータムだそうで、何かの本にそう書いてあった。アクアスキュータムのコートも洗練されていていいと思うが、トレンチコートはバーバリーの方が軍用の面影をより残していて、私はその方が好みだ。 ーーーー ◇ ーーーーこれはラブ・ロマンスの比重の大きいハード・ボイルドだと思う。「ハード・ボイルド」というジャンルを一言で言えば、「やせ我慢男の義理人情ロマン」? または「武士は喰わねど高楊枝」というところかな?この映画で観るかぎり、バーグマンの心はボガートの方に惹かれている。このめくるめく強烈にエキゾティックなアラブの土地に住み、なおかつ有力者として生活していて、通行証をやみ手配できる(裏社会とは言え)力を持つボガートの男らしさに惹かれるのは、状況上、女性として当然かも知れない。 ーーーー ◇ ーーーー舞台は変わって(以下は史実。つまり歴史上の事実) :明治25年(1892)、東京牛込は青山のある骨董商の店先で、当時駐日オーストリア代理公使であったハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵が馬で通りかかった。折悪しく、店の前の打ち水が凍ったところがあって、伯爵の馬がっそれに脚を取られて、すべって転んだ。そのカレルギー伯を素早く介抱したのが、その骨董商の娘、青山光子(1874~1941)。知り合った二人は、それから二週間もするとこれも素早く、領事館で同棲を始める。そうして光子はカレルギー伯と18才で国際結婚、親に勘当される。日本で二人の男の子(光太郎・栄次郎)が生まれる。この次男の栄次郎のオーストリー名はリヒァルト・ニコラウス・クーデンホーフ・カレルギー。1896年、カレルギー伯爵に本国より帰国命令が出る。ミツコは夫と二人の子供と一緒にオーストリアに渡る。彼女は合計7人の子供を出産、ボヘミヤの領地の城で暮らす。夫ハインリッヒが1906年に急逝、遺言により全財産を受け継ぐ。光子は文化の壁を乗り越え伯爵夫人としてウィーンの社交界の花形となる。(本当にウィーンの社交界の花形だったかどうかについては、異論もある。例えば松本清張がその著書の中で、否定している)今から約100年も前の欧州で貴族夫人として活躍した日本女性がいたと言うことはすごいことだが、これが、旧姓青山光子、結婚してからオーストリーでの名前はミツコ・クーデンホーフ、その略歴でである。20年近く前に放映された番組だが、吉永小百合さんが、このミツコの娘を訪ね、ミツコの生涯を検証するというテレビ番組があったのをご覧になった方も多いと思う。 ―――― ◇ ――――ゲランの有名な香水に「ミツコ」というのがある。私は未だ香りを嗅いだことがないが、昔から最も有名な香水の一つ。この「ミツコ」という香水の名前は、実はミツコ・クーデンホフにちなんで命名されたという説が強い。ゲラン社は公式にこれを否定しているが、当時の欧州に知られていたミツコという名前は、ミツコ・クーデンホフであるというのが常識だと思う。もう一つミツコという名前が知られていて、これはフランスの小説「ラ・バタイユ」のヒロインの日本女性の名前。このミツコもミツコ・クーデンホフに名前を拝借したのではないかと思うが時系列を調べてはいない。まあ、どちらでもいいのだが、とにかくミツコは当時のフランス人にとって日本女性を代表する名前であったということだけは確かであろうと思う。そうして、「カサブランカ」のイングリット・バーグマンの夫の役柄は、このミツコの次男、がモデルだと言われている。「カサブランカ」の映画の中で、ナチスに追われる抵抗運動の指導者でチェコスロヴァキアの外交官であるヴィクター・ラズロ Victor Laszlo。彼こそ、青山光子(ミツコ・クーデンホフ)の次男の栄次郎がモデルであり、栄次郎のオーストリー名はリヒァルト・ニコラウス・クーデンホーフ・カレルギー。実はこのバーグマンが扮したイルサ(Ilsa Lund)ラズロも、栄次郎の実在の妻、ウィーンの美人舞台女優イダ・ローランがモデルである。美男でもあった栄次郎はこのイダと恋に落ち、ミツコの反対をおして駆け落ち結婚をして、このため栄次郎はミツコから勘当される。栄次郎は成人して、欧州統合を目的とする汎ヨーロッパ運動の創始者となる。この思想が → EEC(ヨーロッパ経済共同体) → EC(ヨーロッパ共同体) → EU(ヨーロッパ連合)となって今日に至る。はるか東洋から嫁いできて異文化の中で苦闘した母をもった栄次郎は、文化や国の統合という思想を、この自分の環境ではぐくんだのではなかろうか?栄次郎は後に第一回鹿島平和賞を授賞し、母ミツコの国であり、そうして自分が生まれた日本再訪を果たすのだが、・・・しかし、この映画の中では、まだその思想性からナチスに追われ亡命途上。なお、長男の光太郎もハンガリー・オーストリー二重帝国初の女性パイロット(飛行機乗り)だった女性とミツコの反対をおして結婚。この女性はユダヤ系だったこともミツコの反対の原因となったのであろうと思われる。自分が東洋からの異邦人であったミツコにもやはり人種偏見があったということか? ―――― ◇ ――――栄次郎とイダは実際にオーストリーから逃れる際に、モロッコ経由亡命するという予定もあり、そこから「カサブランカ」のアイディアが生まれたらしい。「エリザベート・ハプスブルグ帝国最後の皇女」(塚本哲也氏著)「文藝春秋社」という本を持っているのだが、例によって未だほとんど読んでいない。しかし、この本の中に栄次郎の亡命の経緯が書かれている部分だけは読んでいるので、ちょっと抜粋して紹介したいが、これは明日にゆずることとする。
2005.05.27
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デボラ・カーという人は、実はバレリーナだったのです。あの伝説のプリマ、マーゴット・フォンティーンの所属していた世界最高の英国ロイヤル・バレエの前身、サドラーズ・ウェルズ・バレエに所属していました。4年先輩がフォンティーンで、一時2人は同じバレエ団で踊っていたわけです。後輩には、バレエ映画「赤い靴」などで有名なモイラ・シアラーがいました。しかし、デボラ・カーは身長が170センチと当時のバレリーナとしては背が高すぎて、17才でバレエを断念して演劇の道に進みます。オードリー・ヘップバーンもやはり英国のバレエ・スクールにいましたが、同じく170センチの身長のために映画へ転進しています。私はバレエが好きで、以前はNHK BSのバレエ番組はほとんどテレビ録画をしていました。マーゴット・フォンティーンのヌエレフとの共演の「ロミオとジュリエット」などのDVDも好きです。昔のことですが、ロンドン・ヒースロー空港で搭乗前、免税ゾーンの本屋で本を選んでいた時のことです。ふっと気がつくと、隣に豪華でつややかな黒テンのコートに、同じく黒テンの帽子の貴婦人が隣にいることに気づきました。やはり本棚の本に視線を走らせている。あまりに高貴な雰囲気に、思わず横顔を拝見した。なんとデイム(男性のサーに当たる爵位)・マーゴ・フォウンテイン!バレリーナ特有の引き詰めの髪の気品ある横顔。私がビックリしたのを察したデイム、ちょっと微笑んでくれた。「あら!貴方、私をご存じなのね」・・・って感じ。私は固まりながらも本を探す振りを続けたのですが。しばらくしてフォンティーンは歩き去った。バレリーナ特有のまるで体重を感じさせないような優雅な足取りで。最高のバレリーナと袖ふれあえて、私の幸運な想い出です。最近では、NYでABT(アメリカン・バレエ・シアター)の公演を観ました。NYにはニューヨーク・バレエ団とABTという二大バレエ団がありますが、とくにABTは世界的な大スターをきら星のようにオール・スターで踊るので本当にすごい。その中でも、私は前から好きだったジュリー・ケントがプリマとして踊るのを観てうっとり、翌日も、すでに買っていたミュージカルの切符をムダにしてまで、もう一度ジュリーを観に行きました。ABTのバレエDVD「海賊」は、ジュリーがプリマで、ABTのビッグ・スターと共に踊っている素晴らしい作品です。ジュリーはその他にもバレエを題材にした映画に出演しています。
2005.01.25
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私は好きな映画女優がいろいろあるので、ぼちぼちそういう話題を書いて行こうかと思っています。先ず、デボラ・カー。「王様と私」「めぐり逢い」などの名画に出演していますね。私の一番好きな女優さんですけれど、彼女のあるエピソードを書いてみたいと思います。デボラ・カーが、田舎で静養していたら、突然、目が見えなくなるというアクシデントに見舞われたそうです。田舎に一軒だけある小さな病院に急いでかけつけたのですが、どうしたことか、その病院は、眼科と精神科だけの病院だった。一人だけしかいない医師の問診を受けた際に、デボラ・カーは、目が見えなくなったというパニック状態ですから、少しでも真剣に診てもらいたいと思って、「私は女優のデボラ・カーです」と、自分から名乗ったそうです。すると、その医師はしばらくだまっていて、やがて、「あなたはいつから、自分がデボラ・カーだと思いこむようになったんですか?」と、聞いたそうです。この話は、デボラ・カー自身しか現場にいなかったわけですから、彼女自身が語ったことでしょうけれど、・・・う~~ん、諧謔味もあるし、ちょっとブラックジョークの味もあるし、面白いですね。=== 続く ===
2005.01.24
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アメリカ映画協会100年史ベスト100 コメント編 PART THREE.52. 地上より永遠に FROM HERE TO ETERNITY (1953)今日はこの作品について語りたいと思います。この映画は第二次世界大戦の中で、日本がハワイの米軍基地を奇襲攻撃した前後を舞台にした作品。米軍の軍隊内の暴力的な縦社会を批判した部分が縦線、そうしてその状況の中での個人の運命を横線に描いたものかも知れません。一種の反戦映画とも読めますが、劇中ではみなが、日本人・日本を「ジャップ JAP」と呼んでいます。戦前の日本人は、欧米人にはもっぱら「ジャップ」という蔑称で呼ばれていたのです。パリコレで有名なデザイナーの高田ケンゾーが「ジャップ」というブランドで有名になりましたが、ケンゾーをけしからん奴とも思うし、蔑称を逆手にとったという好意的な見方も出来るのかも知れません。私がある国際コンソーシアム(国際共同プロジェクトチーム)で、打ち合わせをしていた時に、イタリア人が思わず「ジャップ」という言葉を使いそうになって「ジャッ」まで言いかけて気まずい表情をしていましたが、イタリアと言えば、第二次世界大戦では、ドイツ+イタリア+日本の三ヶ国で「枢軸国」という連合を作って、米国+英国+ロシア+中国+オランダの連合国と戦った、いわば仲間なのですが(いい悪いは別にして)、そのイタリア人が日本人をいまだに「ジャップ」と日ごろ呼んでいると言うことには、少なからず反感を感じました。だいたいイタリア人は、戦争になるとすぐ降参する国で、第二次世界大戦においても、ファシストのムッソリーニに率いられ参戦したものの、例にもれずすぐ降伏し、ドイツ+日本を敵国として寝返った、情けない国です。(時代錯誤な話ですが、半分ぐらいは本気です)ドイツ人と日本人だけで話す時には、「こんどはイタリア抜きでやろう!」と、冗談半分で話すことがあります。笑い話でこういう話があります。――――――「こんど、イタリアが新型のすごい戦車を作ったそうだよ」「ほ~~? どんな性能の戦車だい?」「ミッション(=変速機のギア)が、前進一段 バック4段なんだ」――――――逃げ足の早いイタリア人を揶揄したジョークですが。そのイタリアに「ジャップ」なんて。「お前たちにだけは、言われたくないわ!」日本人がジャップなら、米国におけるイタリア人は、「ウォップ」と呼ばれています。ウォップ=WOPWOPは、「without paper」の略で、書類無し。書類とは、この場合正式なパスポート無しに密入国するイタリア人を揶揄して言う言葉です。それはそれとして、映画の舞台は、ハワイの真珠湾にあるある米軍基地。この部隊に転属となった兵士、モンゴメリー・クリフト(私が最も美男子として評価する男優の一人で、都会的な影のある内向的な二枚目です 「陽の当たる場所」「終着駅」「赤い河」などに出演しています)は、元ある部隊のボクシングの選手でしたが、試合中の偶然の事故で相手を死亡させてしまい、それ以降、ボクシングだけはやらないと誓っています。しかし、このハワイの部隊の上司である将校、ホームズ大尉は、自分の部隊のボクシング・チームの成績を上げることにより自分が昇進したくて、有名な選手であったモンゴメリー・クリフト(映画ファンの間ではモンティーという愛称で知られています ジェイムズ・ディーンが「ジミー」、ハンフリー・ボガートが「ボギー」と呼ばれたようなものです)に、自分のチームに参加して欲しいのですが、モンティーはそれをガンとして拒絶します。そこで部隊をあげてのいじめが始まります。旧日本軍の壮絶な虐めも有名ですが、米軍でも負けず劣らず。軍隊という世界はどこでも変わらない訳です。このモンティーに比較的理解を示す男気のある直接の上司、軍曹はバート・ランカスターが演じています。ランカスターという男臭さのかたまりのような俳優は、こういう下級将校が実に似合う俳優です。彼が部隊の本部の前で同僚と話をしていると、オープンカーを運転して、夫に会いに来たデボラ・カーを見かけます。彼は、その美貌と気品に一目惚れします。「この殺風景な兵舎に彼女が来ると、ここがまるでロイヤル・ハワイアン・ホテル(豪華ホテル)であるかのように感じる」彼はそうつぶやくのですが、同僚は「あの奥さんは案外、話のわかる女だよ」と、意味深なことを言います。デボラ・カーは、かって自分が妊娠中に女遊びにうつつを抜かし、産気づいた彼女が流産した現場にも間に合わなかった、それ以後妊娠できない身体になったことで、ホームズ大尉に激しい憎しみを持っていて、夫婦仲は完全に冷え切り、そのかわりの愛情を求めて軍隊内でも色々な男と関係を持ちます。ランカスターは大胆にもある雨の日、ホームズ大尉が不在であることを知りつつ大尉の自宅を訪れます。夫の不在中のランカスターの突然の訪問にとまどいつつも、デボラ・カーが「濡れるから中に入りなさい」というと、ランカスターが軍隊の雨具(レインコートに防水帽)から雨の滴をしたたり落ちさせながら、「私は、もう濡れているよ」と答えます。デボラ・カーは英国的な縦のストライプの清楚なシャツを着て気品に溢れていますが、どうじにセクシーなショートパンツ姿でもあり、ハワイという開放的な風土での退廃との入り交じった風情です。ランカスターは強引に部屋に入り込み「あなたの旦那が今飲んでいるように、私もここで一杯飲みたい」と言います。デボラ・カーは、ジッとランカスターを見つめ、それから、ウィスキーのボトルから直接グラスに注いで、らんかすたーに差し出します。しかし、そのうちにデボラ・カーはランカスターの訪問の理由が、業務上のものではないことを知って、その瞳を憤怒で燃え上がらせます。「私はあなたが思っているような女ではないのよ! 私は washd out、 使い古しのみじめな女よ。子ども産めなくなくなった役立たずの・・・」思いがけない彼女の告白と激しい反応にとまどったランカスターは、帰ろうとします。「ちょっとまって 私は 私は本当にどうしていいかわからない」そう言う彼女を見つめたランカスターは、やがて彼女に近づき、おたがいに抱き合ってキスをします。二人の背景の窓の外は、二人の欲情を象徴するような土砂降りで、木の葉が風に揺れます。=== 続く ===
2005.01.18
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アメリカ映画協会100年史ベスト100 コメント編 PART TWO.39. ドクトル・ジバゴ DOCTOR ZHIVAGO (1965)これは好きな映画です。ノーベル賞受賞のパステルナークの原作。テーマ曲「ラーラのテーマ」は、「風と共に去りぬ」の「タラのテーマ」を思い出させるロマンティックな、とても耳にのこる曲です。激動の歴史の流れという基調の上に、個人としての人間たちの運命を描いたメロドラマ。ロシア革命の遠因のひとつとして、帝政をゆるがした日露戦争があると思います。また、この時には、欧州内から、現在の「国境無き医師団」のようなヴォランティアが駆けつけ、あるウィーンの貴族の娘(看護婦志願)と某国からのやはり貴族階級の男性(医師でもあった)との間に恋が芽ばえて国際結婚にまで至ったという、この映画に似た実話があり、それが娘の祖先であると聞いています。オマー・シャリフも、ジュリー・クリスティーもはまり役ですね。40. 北北西に針路を取れ NORTH BY NORTHWEST (1959)ヒッチコックが、都会的なブロンドとして、エヴァー・マリー・セイントを起用し、喜劇的二枚目が得意の紳士、ケイリー・グラントが笑わせますね。「北北西」という邦題ですが、英語では北北西を「NORTH BY NORTHWEST」とは言いません。「ノースウェスト航空で北へ」と引っかけてある洒落です。劇中にグラントがノースウェスト航空に乗り込む場面がありますね。41. ウエストサイド・ストーリー WEST SIDE STORY (1961)これはもう、レオナード・バーンシュタインの名曲+ジェローム・ロビンスのダンスの振付+ロバート・ワイズ監督という素晴らしいコンビ。リチャード・ベイマーとナタリー・ウッドの恋は、あきらかに「ロミオとジュリエット」をなぞっています。プエルトリコ系の少年ギャング団のリーダー、ジョージ・チャキリス(実際の本人はギリシャ系)(この映画で一躍人気に)とイタリア系のリーダー、ラス・タンブリン(略奪された七人の花嫁)のダンス対決。「マリア」「アメリカ」は名曲。ただし、歌は「吹き替えの女王」といわれたマーニ・ニクソンが歌っています。彼女は「マイ・フェア・レディ」でもオードリー・ヘップバーン、「王様と私」でも、デボラ・カーのために吹き替えをしています。この舞台になったスラム街はハドソン川の西岸にありましたが、今は芸術の殿堂、メトロポリタン歌劇場などのあるリンカーン・センターになっています。このころのNYでは、ウェストサイドがスラムの代名詞でしたが、ロンドンでは反対にテームズの東、ウェストエンドが、ロンドンの庶民の街。イーストエンダーは、コックニーともいい、独特の訛りとメロディアスな話し方をします。42. 裏窓 REAR WINDOW (1954)これもヒッチコック。一説にはグレース・ケリーが最もセクシーな映画であるとのこと。私はグレース・ケリーにはそれほど感じない方です。しかし、ヒッチコックのこういうタイプが本当にセクシーなのだという原則には賛成です。ヒッチコックは「こういう一見冷たいタイプの女こそ、内面は燃えているのだ。彼女たちは、車の中で男性のズボンの中に手を突っ込んでくる女たちだ・・・」と語っていますが、ヒッチコックのズボンの中に手を突っ込みたい女性がどれほどいるか?43. キングコング KING KONG (1933)半裸の美女をかかえた(というより握っている)キングコングが、追いつめられてNYのエンパイヤー・ステートビルのてっぺんで大往生。数年前、エンパイヤー・ステート・ビルの頂上の売店で、この「キングコング」と、同じくこのビルが舞台の大メロドラマ「めぐり逢い」(デボラ・カー+ケイリー・グラント)の土産物を探したら、キングコングのものだけがありました。デボラ・カーがここでグラントとの待ち合わせをしようとして、途中で交通事故にあってしまい、身体障害者となってしまったと身をひく。そのなかで「ここは天に一番近い場所」という有名なセリフをはきます。44. 国家の誕生 THE BIRTH OF A NATION (1915)45. 欲望という名の電車 A STREETCAR NAMED DESIRE (1951)あの絶世の美女、ヴィヴィアン・リーが性的な不満に悩む精神病の中年女性を演じるという合ってはいけない状況の映画ですね。衰えた彼女が痛々しくて観る気がしませんでした。舞台が退廃の香りのするニュー・オリーンズというのもピッタリ。46. 時計仕掛けのオレンジ A CLOCKWORK ORANGE (1971)47. タクシー・ドライバー TAXI DRIVER (1976)48. ジョーズ JAWS (1975)娯楽映画としては確かに名作でしょうね。海という視界外から襲う常識外の怪物。49. 白雪姫 SNOW WHITE AND THE SEVEN DWARFS (1937)これも名作。幼児期はほとんどディズニーのアニメを観に映画館に連れて行かれました。あのころのディズニーの世界は、まさに天国でした。ただ、この白雪姫と「ピノキオ」の妖精は非常にセクシーで、子供心にも欲望を感じました。すみません。50. BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID (1969)51. フィラデルフィア物語 THE PHILADELPHIA STORY (1940)エイズ患者の物語。52. 地上より永遠に FROM HERE TO ETERNITY (1953)==== 続く ====
2005.01.17
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アメリカ映画協会、映画史100年のベスト100映画 コメント編知らない作品もあるが、各作品に短いコメントをつけてみよう。1. 市民ケーン CITIZEN KANE (1941)どんなランキングでも上位の定番。やはり名作だと思う。監督のオーソン・ウェルズは天才。しかし容貌怪奇。「第三の男」で主役ジョセフ・コットンの親友にして悪漢という男を演じているからごぞんじの人も多いはず。H・G・ウェルズの小説 "The War of the Worlds"(1898年)の邦題は「宇宙戦争」だが、これが彼によってリメイクされたラジオドラマが聴衆にパニックを引き起こしたことで有名。そのラジオドラマは、1938年10月30日に、アメリカのCBSネットワークにおけるマーキュリー劇場という番組で放送された。宇宙人が地球(アメリカ)に攻めてきたという内容である。現場からの報告など、実際のニュース放送のような形で放送された。そのため、多くの市民が現実に起きている出来事と勘違いし、パニックを引き起こした。そして、その作品をプロデュースしたのは、オーソン・ウェルズである。また、このパニックを題材にしたTV作品(アメリカが震撼した夜)も作成されている。こんどトム・クルーズ主演でリメイクされるという。トムはこの映画の興行収益の10%を出演料として捕るという契約を結んだ。予想される興行収入は約1900億円と言うから、彼の取り分は190億円となるはず。なお、戦略防衛構想 (SDI) は宇宙戦争(スター・ウォーズ計画)と呼ばれることもある。また彼は、世紀のセクシーグラマー女優、リタ・ヘイワースと結婚したことでも有名。美女と野獣と言うところか。美女と野獣と言えば、文豪バーナード・ショーに当時の名女優、サラ・ベルナールが求愛した文句がある。「私の美貌と貴方の知性を持った子供が生まれるなんて、素敵じゃない?」皮肉屋のバーナード・ショーはこう返答している。「私の容貌とあなたの知性を持った子供が生まれると大変だ」もったいないことをする男だ。私は「ソルティー・ドッグ」や「マルガリータ」という「お塩系の」カクテルが好き。共にカクテルグラスの縁に塩でスノウイング (snowing) するカクテルだ。「マルガリータ」は、このリタ・ヘイワースにちなんで命名されたという説がある。リタは実はダンサー出身。お父さんがスペイン出身のラテン・ダンサー。若い頃、10代のころにメキシコのナイトクラブで、お父さんと親子で踊っていた彼女の魅力がよほどすごかったらしくて、彼女の本名 Margarita Carmen Cansino にちなんで命名されたという。「ソルティー・ドッグ」とは昔の帆船時代の英国の帆船の甲板乗組員のことだそうだ。なるほど汗だらけで肌に塩を吹きながら(犬のように)重労働をしている彼らの姿が目に浮かぶ。2. カサブランカ CASABLANCA (1942)この映画は、どうしてこんなに名作あつかいされるのだろうか?ストーリーがドラマティックでロマンティックだからだろうか?この映画でイングリッド・バーグマンが演じた女主人公とその夫の役柄には実在のモデルがいる。また日本女性でありながら明治時代にオーストリー貴族の妻となって渡欧した青山光子の生涯。彼女にちなんで名付けられたと言われるゲランの香水「ミツコ」。ミツコの息子で汎ヨーロッパ思想の創始者、いまのEUの生みの親とも言えるカレルギー・クーデンホフ候(日本名 青山栄次郎)について下記の日記に書いたので、お読み下さい。復刻版日記 映画カサブランカ その一 バーグマンの夫は青山栄次郎という映画「カサブランカ」のモデル、カレルギー伯の逃避行の全貌3. ゴッドファーザー THE GODFATHER (1972)私はこういう映画は嫌いですね。冷酷に人を殺すというのが好きではなくて。だから米軍のイラク侵攻もフセイン打倒と言う側面では、むしろ「早くやっつけろ」という気持ちはありました。某国の将軍様も顔色も変えずに部下を殺すらしい。4. 風と共に去りぬ GONE WITH THE WIND (1939)スカーレット・オハラのようなわがまま女とはつきあいたくない!!5. アラビアのロレンス LAWRENCE OF ARABIA (1962)ロレンスという人物の実像とは別に、こういう生涯は、憧れです。名画中の名画だと思います。6. オズの魔法使い THE WIZARD OF OZ (1939)7. 卒業 THE GRADUATE (1967)この映画が名画かな~?音楽はいいけれど。結婚式の花嫁を奪略するなんて、後味の悪いことをするものですね。8. 渚にて ON THE WATERFRONT (1954)核戦争の果ての世界。東西冷戦の終結で、核ミサイル合戦と言う事態の可能性は少なくなったが、テロによる核攻撃はありそうですね。9. シンドラーのリスト SCHINDLER'S LIST (1993)心理的にまだ見る気になりません。故人ですがアウシュヴィッツにいた人も知っているし。でも、次回ポーランドへ行った時はアウシュヴィッツを訪問してみようかな?トラウマになりそう。10. 雨に唱えば SINGIN' IN THE RAIN (1952)ミュージカル映画は大好き。この映画も楽しいですね。客演のシド・チャリースの美脚が見所。11. 素晴らしき世界 IT'S A WONDERFUL LIFE (1946)クリスマスを舞台の人情劇。クリスマス・キャロルをちょっと思い出す。12. サンセット大通り SUNSET BOULEVARD (1950)ウィリアム・ホールデンという俳優は、その辺にいる都会のサラリーマンといった風情で、映画俳優らしくない人だということをいつも思います。13. 戦場に架ける橋 THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI (1957)とんでもない人種偏見の映画ですね。英国人はみんな騎士のような見事さで、日本人は卑しい黄色人種という描き方。14. お熱いのがお好き SOME LIKE IT HOT (1959)あまり面白さがわからない。15. スターウォーズ STAR WARS (1977)あまり面白さがわからない。16. イヴのすべて ALL ABOUT EVE (1950)未見。ビデオは持っていたな~。17. アフリカの女王 THE AFRICAN QUEEN (1951)あまり面白さがわからない。18. サイコ PSYCHO (1960)アンソニー・パーキンスという人は、実際にすごいサディストだったらしい。19. チャイナタウン CHINATOWN (1974)とても余韻を残す、印象的な映画だった。20. カッコーの巣の上で ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST (1975)21. 怒りの葡萄 THE GRAPES OF WRATH (1940)22. 2001年宇宙の旅 2001: A SPACE ODYSSEY (1968)きれいな画面だけれど、人が言うほど名画かな?23. マルタの鷹 THE MALTESE FALCON (1941)24. レイジング・ブル RAGING BULL (1980)ボクシングの映画らしい。25. E.T. E.T. THE EXTRA-TERRESTRIAL (1982) 私はこういうお涙ちょうだいは好きじゃないな~。26. 博士の異常な愛情(かな?) DR. STRANGELOVE (1964)ビデオを持っているんだけれど、観てみよう。27. 俺たちに明日はない BONNIE AND CLYDE (1967)これは名画だな~。ウォーレン・ベイティがインポだというところが面白い。フェイ・ダナウェイもの蓮っ葉さがピッタリ。28. 地獄の黙示録 APOCALYPSE NOW (1979)タイでロケしたとのことで、私の知っているヴィエトナムの風土ではない。しかし名画かも知れない。立花隆の解説本を読んでみよう。29. スミス都へ行く MR. SMITH GOES TO WASHINGTON (1939)部分的に観たような?ジェームズ・スチュワートの長広舌が見物らしい。30. 黄金 THE TREASURE OF THE SIERRA MADRE (1948)31. アニーホール ANNIE HALL (1977)ウッディー・アレンの代表作。観ていない。32. ゴッドファーザー PART II THE GODFATHER PART II (1974)33. 真昼の決闘 HIGH NOON (1952)やはり名画かな?グレース・ケリー、まだあまり美人じゃないぞ。美容整形疑惑?34. アラバマ物語 TO KILL A MOCKINGBIRD (1962)人種差別に立ち向かうグレゴリー・ペックの弁護士。35. ある夜の出来事 IT HAPPENED ONE NIGHT (1934)未見。定評のある映画らしいけれど。36. 真夜中のカウボーイ MIDNIGHT COWBOY (1969)余りよく覚えていないな~。37. 我等が最良の年 THE BEST YEARS OF OUR LIVES (1946)これも定評の名画、とされている。悪女の人妻、ヴァージニア・メイヨの脚がきれい。38. DOUBLE INDEMNITY (1944)39. ドクトル・ジバゴ DOCTOR ZHIVAGO (1965)40. 北北西に針路を取れ NORTH BY NORTHWEST (1959)41. ウエストサイド・ストーリー WEST SIDE STORY (1961)42. 裏窓 REAR WINDOW (1954)43. キングコング KING KONG (1933)44. THE BIRTH OF A NATION (1915)45. 欲望という名の電車 A STREETCAR NAMED DESIRE (1951)46. 時計仕掛けのオレンジ A CLOCKWORK ORANGE (1971)47. タクシー・ドライバー TAXI DRIVER (1976)48. ジョーズ JAWS (1975)49. 白雪姫 SNOW WHITE AND THE SEVEN DWARFS (1937)50. BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID (1969)51. フィラデルフィア物語 THE PHILADELPHIA STORY (1940)52. 地上より永遠に FROM HERE TO ETERNITY (1953)53. アマデュース AMADEUS (1984)54. 西部戦線異状なし ALL QUIET ON THE WESTERN FRONT (1930)55. サウンド・オブ・ミュージック THE SOUND OF MUSIC (1965)56. マッシュ M*A*S*H (1970)57. 第三の男 THE THIRD MAN (1949)58. FANTASIA (1940)59. 理由無き反抗 REBEL WITHOUT A CAUSE (1955)60. RAIDERS OF THE LOST ARK (1981)61. ヴァーティゴ VERTIGO (1958)62. トッツィー TOOTSIE (1982)63. 幌馬車 STAGECOACH (1939)64. 未知との遭遇 CLOSE ENCOUNTERS OF THE THIRD KIND (1977)65. 羊たちの沈黙 THE SILENCE OF THE LAMBS (1991)66. ネットワーク NETWORK (1976)67. 影なき狙撃者 THE MANCHURIAN CANDIDATE (1962)68. パリのアメリカ人 AN AMERICAN IN PARIS (1951)69. シェーン SHANE (1953)70. フレンチ・コネクション THE FRENCH CONNECTION (1971)71. フォレスト・ガンプ FORREST GUMP (1994)72. ベン・ハー BEN-HUR (1959)73. 嵐が丘 WUTHERING HEIGHTS (1939)ローレンス・オリビエ主演原作はエミリー・ブロンテですね。74. 黄金狂時代 THE GOLD RUSH (1925)チャップリンの映画は面白い。75. ダンス・ウイズ・ザ・ウルフ DANCES WITH WOLVES (1990)76. 街の灯り CITY LIGHTS (1931)77. アメリカン・グラフィティー AMERICAN GRAFFITI (1973)78. ロッキー ROCKY (1976)79. ディア・ハンター THE DEER HUNTER (1978)80. THE WILD BUNCH (1969)81. モダン・タイムズ MODERN TIMES (1936)82. ジャイアント GIANT (1956)83. プラトーン PLATOON (1986)84. ファーゴ FARGO (1996)85. DUCK SOUP (1933)86. 戦艦バウンティー? MUTINY ON THE BOUNTY (1935)87. フランケンシュタイン FRANKENSTEIN (1931)88. イージー・ライダー EASY RIDER (1969)89. パットン将軍 PATTON (1970)90. ジャズ・シンガー THE JAZZ SINGER (1927)91. マイ・フェアー・レディー MY FAIR LADY (1964)92. 陽の当たる場所 A PLACE IN THE SUN (1951)93. アパートの鍵貸します THE APARTMENT (1960)94. GOODFELLAS (1990)95. パルプ・フィクション PULP FICTION (1994)96. 捜索者? THE SEARCHERS (1956)97. BRINGING UP BABY (1938)98. 許されざる者? UNFORGIVEN (1992)99. GUESS WHO'S COMING TO DINNER (1967)100. ヤンキー・ドュードゥル・ダンディー YANKEE DOODLE DANDY (1942)
2005.01.16
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ベスト100ついでに、映画も。AFI's 100 YEARS...100 MOVIESというのがあります。AFI(アメリカ映画協会)が発表した、映画の歴史、100年間のベスト100。市民ケーン、カサブランカ、ゴッドファーザー、風と共に去りぬ、アラビアのロレンスがトップ5.スピルバーグの映画がこの中に5本も入っています。このリストの作品は、全体的に商業的が映画が多く、【私の評価する映画】、【私の好きな映画】とは、少し傾向がちがいますが、しょうがないかな?原題(英語)を邦題にしてみましたが、題名が英語のままの作品は、私が知らないか? それとも英語の題名では、その映画なのか? よくわからないままの作品です。そのうちに、「あの作品か!」と膝を打つかもしれませんが。The Complete List: ========1. 市民ケーン CITIZEN KANE (1941)2. カサブランカ CASABLANCA (1942)3. ゴッドファーザー THE GODFATHER (1972)4. 風と共に去りぬ GONE WITH THE WIND (1939)5. アラビアのロレンス LAWRENCE OF ARABIA (1962)6. オズの魔法使い THE WIZARD OF OZ (1939)7. 卒業 THE GRADUATE (1967)8. 渚にて ON THE WATERFRONT (1954)9. シンドラーのリスト SCHINDLER'S LIST (1993)10. 雨に唱えば SINGIN' IN THE RAIN (1952)11. 素晴らしき世界 IT'S A WONDERFUL LIFE (1946)12. サンセット大通り SUNSET BOULEVARD (1950)13. 戦場に架ける橋 THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI (1957)14. お熱いのがお好き SOME LIKE IT HOT (1959)15. スターウォーズ STAR WARS (1977)16. イヴのすべて ALL ABOUT EVE (1950)17. アフリカの女王 THE AFRICAN QUEEN (1951)18. サイコ PSYCHO (1960)19. チャイナタウン CHINATOWN (1974)20. カッコーの巣の上で ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST (1975)21. 怒りの葡萄 THE GRAPES OF WRATH (1940)22. 2001年宇宙の旅 2001: A SPACE ODYSSEY (1968)23. マルタの鷹 THE MALTESE FALCON (1941)24. レイジング・ブル RAGING BULL (1980)25. E.T. E.T. THE EXTRA-TERRESTRIAL (1982) 26. 博士の異常な愛情(かな?) DR. STRANGELOVE (1964)27. 俺たちに明日はない BONNIE AND CLYDE (1967)28. APOCALYPSE NOW (1979)29. スミス都へ行く MR. SMITH GOES TO WASHINGTON (1939)30. THE TREASURE OF THE SIERRA MADRE (1948)31. アニーホール ANNIE HALL (1977)32. ゴッドファーザー PART II THE GODFATHER PART II (1974)33. 真昼の決闘 HIGH NOON (1952)34. アラバマ物語 TO KILL A MOCKINGBIRD (1962)35. ある夜の出来事 IT HAPPENED ONE NIGHT (1934)36. 真夜中のカウボーイ MIDNIGHT COWBOY (1969)37. 我等が最良の年 THE BEST YEARS OF OUR LIVES (1946)38. DOUBLE INDEMNITY (1944)39. ドクトル・ジバゴ DOCTOR ZHIVAGO (1965)40. 北北西に針路を取れ NORTH BY NORTHWEST (1959)41. ウエストサイド・ストーリー WEST SIDE STORY (1961)42. 裏窓 REAR WINDOW (1954)43. キングコング KING KONG (1933)44. THE BIRTH OF A NATION (1915)45. 欲望という名の電車 A STREETCAR NAMED DESIRE (1951)46. 時計仕掛けのオレンジ A CLOCKWORK ORANGE (1971)47. タクシー・ドライバー TAXI DRIVER (1976)48. ジョーズ JAWS (1975)49. 白雪姫 SNOW WHITE AND THE SEVEN DWARFS (1937)50. BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID (1969)51. フィラデルフィア物語 THE PHILADELPHIA STORY (1940)52. 地上より永遠に FROM HERE TO ETERNITY (1953)53. アマデュース AMADEUS (1984)54. 西部戦線異状なし ALL QUIET ON THE WESTERN FRONT (1930)55. サウンド・オブ・ミュージック THE SOUND OF MUSIC (1965)56. マッシュ M*A*S*H (1970)57. 第三の男 THE THIRD MAN (1949)58. FANTASIA (1940)59. 理由無き反抗 REBEL WITHOUT A CAUSE (1955)60. RAIDERS OF THE LOST ARK (1981)61. ヴァーティゴ VERTIGO (1958)62. トッツィー TOOTSIE (1982)63. 幌馬車 STAGECOACH (1939)64. 未知との遭遇 CLOSE ENCOUNTERS OF THE THIRD KIND (1977)65. 羊たちの沈黙 THE SILENCE OF THE LAMBS (1991)66. ネットワーク NETWORK (1976)67. THE MANCHURIAN CANDIDATE (1962)68. パリのアメリカ人 AN AMERICAN IN PARIS (1951)69. シェーン SHANE (1953)70. フレンチ・コネクション THE FRENCH CONNECTION (1971)71. フォレスト・ガンプ FORREST GUMP (1994)72. ベン・ハー BEN-HUR (1959)73. WUTHERING HEIGHTS (1939)74. 黄金狂時代 THE GOLD RUSH (1925)75. ダンス・ウイズ・ザ・ウルフ DANCES WITH WOLVES (1990)76. 街の灯り CITY LIGHTS (1931)77. アメリカン・グラフィティー AMERICAN GRAFFITI (1973)78. ロッキー ROCKY (1976)79. ディア・ハンター THE DEER HUNTER (1978)80. THE WILD BUNCH (1969)81. モダン・タイムズ MODERN TIMES (1936)82. ジャイアント GIANT (1956)83. プラトーン PLATOON (1986)84. ファーゴ FARGO (1996)85. DUCK SOUP (1933)86. 戦艦バウンティー? MUTINY ON THE BOUNTY (1935)87. フランケンシュタイン FRANKENSTEIN (1931)88. イージー・ライダー EASY RIDER (1969)89. パットン将軍 PATTON (1970)90. ジャズ・シンガー THE JAZZ SINGER (1927)91. マイ・フェアー・レディー MY FAIR LADY (1964)92. 陽の当たる場所 A PLACE IN THE SUN (1951)93. アパートの鍵貸します THE APARTMENT (1960)94. GOODFELLAS (1990)95. パルプ・フィクション PULP FICTION (1994)96. 捜索者? THE SEARCHERS (1956)97. BRINGING UP BABY (1938)98. 許されざる者? UNFORGIVEN (1992)99. GUESS WHO'S COMING TO DINNER (1967)100. ヤンキー・ドュードゥル・ダンディー YANKEE DOODLE DANDY (1942)
2005.01.15
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私は旧い洋画が割合に好きで・・・というより、本当のことを言うと女優さんが好きなのです。古き良き時代の女優さんという人々は、本当によくこんな美人がいるものだというような、文字通り女神のような神秘的なまでの美しさです。それに比べると現代の女優さんは映画そのものがリアルな題材をリアルに描くようになったせいもあってか、いわゆる「girl next door」的な「隣の女の子」タイプになってきている。私は実生活は鬼瓦でもいいのですが(だれのこと?)、スクリーンでは「神秘的なまでに、女神のように美しい女性」を観たいと思う人間なので、旧い旧い洋画となるわけです。もっとも最大の原因は、私自身が「旧い旧い人間だから」ということに尽きるわけですが。さて、せっかく最近、DNAについて書いてきたので同じ映画話題でも、DNAに少し関連する話題を書いてみたいと思います。ジュディー・ガーランドといえば「オズの魔法使」という映画に主演して、「虹の彼方に」という歌でも有名なミュージカルの大スターです。私はこの「オズの魔法使」という映画が大好きで、観れば必ず楽しい気分になるといういわば「保険のかかったような」映画です。ジュディーはとびきりの美女では無いと思うのですが、可愛くて時にはセクシーでもあります。ある映画の一場面で彼女がタキシードの上着だけとシルクハットで歌う場面があります。タキシードの上だけ羽織るという着こなし、これは実はジュディーが始めたことではなくて、「アメリカの恋人」とニックネームのついた映画界の最初のスターともいうべき「メアリー・ピックフォード」がある映画で始めたことだそうです。この姿は粋でセクシーですね。次に娘のライザ・ミネリですが、彼女はみなさんもご存じの通り「キャバレー」という映画で主演、いちやく大スターになりました。なにしろ両親が両親ですから才能は文句なし。ただし、お顔は母親の方が可愛いと思いますが。再び母親のジュディー・ガーランドにもどりますが、ジュディー・ガーランドは彼女が奇跡的な復帰をした映画「スター誕生」の制作者であるシドニー・ラフトと、三度目の結婚をしてもう一人の娘、ローナ・ラフトを生んでいます。ローナ・ラフトは、後年、母親ガーランドとの生活を綴った自伝「Me and My Shadows: A Family Memoir」を出版していて、これは2001年に『Life with Judy Garland: Me and My Shadows』のタイトルでテレビ映画化されたそうです。つまりライザ・ミネリとローナ・ラフトは異父姉妹になるわけです。私は、一度ある映画雑誌でビンセント・ミネリとライザ・ミネリ、シドニー・ラフトとローナ・ラフトの4人の写真を並べてあるものを見た事があります。母親は同じジュディー・ガーランドでも、実に見事に、ライザ・ミネリはビンセント・ミネリに、ローナ・ラフトはシドニー・ラフトにそっくりでした。これもDNAのなせる業です。
2004.12.17
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昨日の「処分本」の一つに、下記の本がある。★ マダム・クロード愛の法則 パリ高級娼婦館女主人公の告白 クロード・グリュデ 光文社知恵の森文庫 映画にもなったマダム・クロードの本だが、期待した割に薄い。色情狂として聞こえた J.F.K.が館を訪問したエピソードぐらいかな?――――――なお、「色情」および「色情狂(病)」を英語でどう言うのか? という研究を真摯にしてみたい。研究社の「新英和大辞典」によるとsexual appetite 性的食欲とでもいうのかな?sexual desire 性的欲望 順当sexual passion 性的情熱 きれい事だなcarnal desirelustuful desire venereal desirelust 欲望 一般的conncupiscenece ??ではでは、色情狂、または色情病にあたってみよう。(私、うれしそうに見えるかな? それは間違いです 真理の探究です) sex mania erotomania satyriasis 男性の色情狂 nymphomania 女性の色情狂色情に耽溺する sex indulgence色情が起こる be seized with sexual passion色情をそそる excite[provoke,,stimulate] one’s sexual desire色情をそそる小説 a suggestive[lascivious]novel式場はどこですか? ・・・これは色情ちがいだった。私の英語程度で言うのもなんだが、やはり研究社の英語は堅苦しいのではないだろうか?スラング辞書に当たってみようかとも思ったが、きりがないので『この辺で許しといたるわ!』――――――なお、日本では一般的に、色情狂の事を「ニンフォ、またはニンフォマニア(ニンフォメイニア)」と言うようだが・・・。これは正確には、【女性の色情狂】という、非常に尊敬すべき、かつ社会に大いに貢献されている方々への尊称であるにとどまるのです。男性の色情狂という、とんでもない、唾棄すべき存在には、ちゃんとsatyriasis という言葉が用意されているのです。この言葉の存在、私は知っていました。発音は出来ないけれど。「サティリアシス」と発音するのかな?それなのに、世のフェミニズムの女性?は、こんな事を書いています。あるサイトからの引用ですが、引用の仕方が問題なので,URLはあえて掲載しません、ご容赦。――――――「ニンフォ」って不平等先日、フェミニストについて少しだけ記述したが、言葉の上でもまだまだ平等ではない。英語でも男尊女卑の印象を強く持つ単語がとても多く存在している。この「ニンフォ=ニンフォマニアック」ということばも、特に女性に対して使用されている。じゃあ、男性に対しての言葉があるのかといったら、無いのだ。近いものがあっても、そこまでひどい意味を持たないのが多い。――――――ちゃんとありますよ~。ところで、話が長くなったが、ケネディーは色情狂だった。妻のジャクリーンがいるにもかかわらず、いろんな女性をホワイトハウスに連れ込んだ。ハリウッドの有名女優も片っ端からで、断った女優はたった3人だという。あのオードリー・ヘップバーンもホワイトハウス訪問を成し遂げた?という。父親の愛人だったマレーネ・デートリッヒまで招待!して、マレーネを送ってエレベーターまで来てから父親との関係について心配そうに質問したという。あったに決まっているじゃないか。デートリッヒの伝記は数冊持っているけれど、みんな触れてるよ。それに第一、コトの前に聞きなさいよ!!
2004.11.04
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映画関係の復刻日記を。 ----------------私は旧い洋画が割合に好きで・・・というより、本当のことを言うと女優さんが好きなのです。古き良き時代の女優さんという人々は、本当によくこんな美人がいるものだというような、文字通り女神のような神秘的なまでの美しさです。それに比べると現代の女優さんは映画そのものがリアルな題材をリアルに描くようになったせいもあってか、いわゆる「girl next door」的な「隣の女の子」タイプになってきている。私は実生活はともかく(鬼瓦でも結構 だれのこと?)、スクリーンでは「神秘的なまでに、女神のように美しい女性」を観たいと思う人間なので、旧い旧い洋画となるわけです。もっとも最大の原因は、私自身が「旧い旧い人間だから」ということに尽きるわけですが。(それを言っちゃ~あ、おしまいだよ!)現代の女優さんの中での美女はだれでしょうか?(ご意見のある方はぜひBBSにお書き下さい)さて、せっかくDNAについて書いてきたので同じ映画話題でも、DNAに少し関連する話題から書いてみたいと思います。ジュディー・ガーランドといえば「オズの魔法使」という映画に主演して、「虹の彼方に」という歌でも有名なミュージカルの大スターです。私はこの「オズの魔法使」という映画が大好きで、観れば必ず楽しい気分になるといういわば「保険のかかったような」映画です。ジュディーはとびきりの美女では無いと思うのですが、可愛くて時にはセクシーでもあります。ある映画の一場面で彼女がタキシードの上着だけとシルクハットで歌う場面があります。タキシードの上だけ羽織るという着こなし、これは実はジュディーが始めたことではなくて、「アメリカの恋人」とニックネームのついた映画界の最初のスターともいうべき「メアリー・ピックフォード」がある映画で始めたことだそうです。この姿は粋でセクシーですね。次に娘のライザ・ミネリですが、彼女はみなさんもご存じの通り「キャバレー」という映画で主演、いちやく大スターになりました。なにしろ両親が両親ですから才能は文句なし。ただし、お顔は母親の方が可愛いと思いますが。再び母親のジュディー・ガーランドにもどりますが、ジュディー・ガーランドは彼女が奇跡的な復帰をした映画「スター誕生」の制作者であるシドニー・ラフトと、三度目の結婚をしてもう一人の娘、ローナ・ラフトを生んでいます。ローナ・ラフトは、後年、母親ガーランドとの生活を綴った自伝「Me and My Shadows: A Family Memoir」を出版していて、これは2001年に『Life with Judy Garland: Me and My Shadows』のタイトルでテレビ映画化されたそうです。つまりライザ・ミネリとローナ・ラフトは異父姉妹になるわけです。私は、一度ある映画雑誌でビンセント・ミネリとライザ・ミネリ、シドニー・ラフトとローナ・ラフトの4人の写真を並べてあるものを見た事があります。母親は同じジュディー・ガーランドでも、実に見事に、ライザ・ミネリはビンセント・ミネリに、ローナ・ラフトはシドニー・ラフトにそっくりでした。これもDNAのなせる業です。 ―――― ◇ ――――これから映画話題・女優話題も書いて行こう。
2004.08.26
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楽天日記のメンテで日記が書けなかったから、また復刻日記とする。 ----------------★ ジャンヌ・モローへのインタヴィュー ----------------先ほど(午後6時50分)終わった「ジャンヌ・モロー語る」というテレビのインタビュー番組を何気なく見ていたら面白くなって、結局最後まで見た。このアクターズ・ステュディオ製作の番組はいろんな映画俳優を招いてインタヴィューをするのだけれど、今まではほとんど見ていない。この頃の俳優にはあまり興味のない私だから。しかし、ジャンヌ・モローはもうだいぶ古い女優で、私が見る映画の年代の女優だ。ジャンヌ・モローの映画はそれほど観ていない。先ず「黒衣の花嫁」。それから退廃したヴェネチアの海水の匂いが漂うような「エヴァの匂い」。しかし、彼女がデュラスの「愛人・ラマン」に出演していたとは・・・彼女の出演場面を覚えていないな~。(後にぴーたろーさんから、モローは、女主人公の独白というか、ナレーションを担当していたことを教えられる)彼女の父はフランス人、しかし母親はイギリス人だと言うことは知っていたが、その母親がダンサーで少しアイリッシュの血が混じっていたというのは初耳。モローはさぞや上流家庭で育ったのだろうと思っていたが、どうもそういうわけではなかったようだ。英語は流ちょうだが特に知的なというほどのものでは無く、それに明らかにフランス訛りがある。また20歳の史上最年少でコンセルヴァトワールに入団というのも、意外だった。役者としての素質が認められたのだろうか。 ―――― ◇ ――――インタヴィューのさわりどころだけをメモってみよう。 ーーーー ◇ ーーーージャンヌ・モロー(=以下、JMと省略する)(司会者=以下Qと省略する Q&AのQである司会者というより質問者であるからだが)JM 内気であることは俳優にとって特別な宝物。恥ずかしさに打ち勝って演技することが重要。JM (ある舞台を観て感激して)私は舞台に立つ人間だと自分で悟った。観客席に座る人間としてではなくて。JM (女優になるのに反対だった父に対して)女優は娼婦とは同じでは無いことを証明したかった。(Qが飲み物のコップを差し上げて、JMに)「あなたの愛に!」といい、JMがこれに応えて「あなたのにも」と応じる)。(私の経験からはアメリカ人の男は案外普通はこんなキザなことをあまり言わないと思うのだが、このインタヴィューが行われたのはパリだから、司会者も合わせたのかな?)Q (当時ヌーベルバーグの映画に出演していて)映画の歴史を変えているという自覚はあったか?JM イエス。 「突然炎のごとく」を制作中に、パトロンがヌーベル映画に驚いて資金提供を打ち切ったために予算が不足し、スタッフ同士もいろいろ協力し合い、私はスタッフの料理を作っていた。監督はそのために私の出番は12時近くにはしなかったほど。Q 映画では監督の指示に従って演技をするのか?自分の理論で演技するのか?JM 監督の指示に従う。私は制約を好む。制約の中で演技する。だから俳優業は魅力的。自分のインスピレーションで演技する部分は少ない。例え自分の考えだけで演技しても、そんな演技はお風呂の中に垂らしたワインのしずくのように薄まって流れてしまう。が、それでも俳優は他人のものではない太古からの潜在的な記憶をもっている。(この部分は興味深い)そんなものが制約の中の演技にも生きてくる。JM 「黒衣の花嫁」の女主人公(男を次々と殺す悪女)は黒い蜘蛛なのだ。王女メディアでもあるのだから、自分に不当なことをした男達を処刑しなければならない。メデューサでもあるのだから、彼女の目を見た男は石に変えなければならない。Q 他の俳優から影響を受けたか。JM ノン。(役者の名はあげない)。作家から人生を学んだ。スタンダール・神話・フローベール・ゲーテ・ジョイス。愛読書はデュラス。★ alex 注 【私の知るところでも、モローはデュラスと個人的親交があった。デュラスは私の好きな作家。ヴィエトナムで育った自伝的映画「愛人・ラマン」がある。私はモローには、どこかデュラスに人間として似通ったものを感じる。】JM 俳優は美を他人に伝えることができる。JM 好きなことは「新しい発見」。(ここは同感)
2004.07.28
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きのうNHKラジオを聞いていると「亜麻色の髪の乙女」をカバーした歌手の島谷ひとみさんがゲストで出てきた。調べてみたらこの「亜麻色の髪の乙女」は1967年にザ・ビレッジシンガーズというグループ・サウンズがヒットさせたとある。もちろん、私は覚えてはいるが。 ―――― ◇ ――――テレビで島谷ひとみさんがこの曲を歌っているのを2・3回見たことがある。歌い方はサッパリ・スッキリ系で、濃くは歌わない。だからよけいにだろうけれども、あまり印象は無かった。せいぜい、近頃の若い芸能人の女の子にしてはスッキリして都会的で感じのいい子だな・・・ぐらいだった。長くて艶のある美しい髪は印象的だった。どうも彼女のこの髪の毛がレコード会社の人間に、この曲をカバーさせようと言うインスピレーションを与えたのではないだろうか。とにかくあまり芸能人らしくなく、すれてもいない、その辺の育ちのいいお嬢さんと言った感じを受けた。そんな先入観をもちながら、なにげなく「ながらベースで」聞いていた番組だが・・・。 ―――― ◇ ――――この番組は小学校レベルの彼女のファンからの彼女に対する電話による質問を受け付けるというもので、実際に子供たちが、時には幼稚園児がかけてきて島谷さんに質問をするのだ。ただ局側の意図と異なるハップニングが起こったらしい。質問者を受け付ける段階で、対象の小学生では無くて、島谷さんと話したくてたまらない、「年のいったニセ小学生」、つまり中年のおじさんたちが必死でかけてきた例も、数件あったようだけれど・・・。かわいそうに島谷さんにたどり着くまでに、はねられてしまったそうだ。 ―――― ◇ ――――彼女がアナウンサーと話をしたり、子どもの質問に優しく答えたりしているのを聴くうちに・・・。本当にびっくりした。こんなに、感じのいい、マナーのいい、優しい、温かい、お茶目で、自然で、人なつっこい、気取りのない、正直な、上品な、誠実な、思いやりに満ちた、生き生きとした、フレッシュな、・・・こんな女性がいるんだな~と驚嘆した。(ずいぶん形容詞をならべたが)満点を100点とすると、ひとみちゃん(もうすっかりファンになってしまっていることに注意!)は、文句なく?150点というほど。たどたどしい幼児からの質問に優しく辛抱強く応対するのだが、みじんもじれている雰囲気は感じさせない。ラジオで聞くだけでこの人の人柄がわかる。この点、ラジオはテレビよりも深いものを持っているのかも知れない。この人は私よりはるかに人間ができてるわ~と(あたりまえか?)、反省。容姿と共にこのラジオでの話し方も洗練された感じなのですっかり東京出身だと思っていたが、彼女自身が語るには、広島出身、呉の近くの島の出身だとか。家族の話をするにしても、いかにも愛情一杯の家族の間に育ったという感じがにじみ出ていて、好感がもてる。正直なところ、もうメロメロ。ラジオだけなのに。お顔ももうひとつよく思い出せないのに・・・。松浦亜弥ちゃん以上にすばらしい!(いけない!!あややのファンだということがバレてしまった) ―――― ◇ ――――言っておきますが~! 私はロリコンでは無い!芸能人好きでも無い!歌番組などはほとんど見ない・聴かない。だから誤解しないで欲しいのだが~。(何を?)私はモーニング娘を見てやに下がって喜んでいるようなオヤジではない。昔のクラシック洋画の女優さんなんかは好きだけれど、今時の芸能人には興味は無い。(そこまでいばることも無いか?)あややの歌なんかにも全く興味がない。ヘタだし・・・。ファンでも ない・・・(力弱く・・言い切る)。ただ松浦亜弥ちゃんがテレビ・コマーシャルでアップになって・・・。あのお茶目な目でじっと私だけを(ちがうでしょう?)見つめてくれると・・・。瞬間、胸がキュンと・・・。 ―――― ◇ ――――大いに恥を書いたところで、すばやく?話題を移すが、小津安二郎生誕100年記念ということで、NHK BSが年末からつい先日まで、小津作品を大量に放映し、私も大量にテレビ録画で対応した。私は邦画にはうとくて、実際の話だが、小津安二郎を小津安三郎と覚えていたりしていた。ついさきごろ、この新年のことだ。巨匠小津をむりやり三男にしてしまっては、やはりいけない。小津作品を順に鑑賞していくうちに、「はまってしまった」。まず最初には画面が描いて行く「古く懐かしい日本の風景」に吸い寄せられた。たとえば日本家屋である。玄関の引き戸をリリリ~~ンと鳴らして、お父さん(たいてい笠智衆)が会社から帰ってくる。今のお父さんのように残業や焼鳥屋で上役の悪口を言ったりで遅くはならない。映画の様子では、どうも6時頃、せいぜい7時頃には玄関に入ってくる。まだそう暗くはなっていない時間である。すかさず「お父様?お帰りなさ~い」という気持ちのいい声が、娘の原節子からかかって、いそいそと玄関にお父さんを迎えに出る。美人で品のいい娘である。それだけでなく、例えようのない優雅さ・こころの暖かさ・・・。とにかく形容が追っつかないが、日本女性の美点をすべて集めたような娘が出迎えてくれる。ただし体格は白人女性並みである。それに表情の華やかさ・豊かさはたぐいまれなもの。これは原節子自身がハーフまたはクォーターだというから当然だろう。娘でない場合は奥さんの三宅邦子が迎えてくれる。この人もきれいなこと、上品なこと、言葉を待たない。原節子とはタイプが違い、まるでイタリア人女性のような端正で彫りの深い彫刻型美人である。この人もどうも庶民的な家庭や安サラリーマンの家庭のかあちゃんでは不釣り合い、はきだめに鶴。どうしても上流家庭のお奥様という風情。二人とも「今日はお早いのね」なんてことも言う。「うん」お父さんはこの時代の人だから寡黙である。別に不機嫌なわけでは無い。夏目漱石の時代にまでさかのぼると、お父さんは不機嫌と決まっていたようで「不機嫌の時代」という本まである。私の父は夏目漱石年代でもないのに私の子ども時代は不機嫌で帰ってきた。もっぱら不機嫌な表情を子供たちに見せて、父親の威厳を示していたようである。笠智衆のお父さんはそこでかぶっていたソフト帽をぬぐ。昔は一人前の男は、特に勤め人は帽子をかぶっていたものだ。 ―――― ◇ ――――今日は大恥をかいた上に、日記が未完となった。小津映画に関してはもうちょっと楽しみたいので、今日はこれで打ちきりとしよう。
2004.02.01
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先ほど(午後6時50分)終わった「ジャンヌ・モロー語る」というテレビのインタビュー番組を何気なく見ていたら面白くなって、結局最後まで見た。このアクターズ・ステュディオ製作の番組はいろんな映画俳優を招いてインタヴィューをするのだけれど、今まではほとんど見ていない。この頃の俳優にはあまり興味のない私だから。しかし、ジャンヌ・モローはもうだいぶ古い女優で、私が見る映画の年代の女優だ。ジャンヌ・モローの映画はそれほど観ていない。先ず「黒衣の花嫁」。それから退廃したヴェネチアの海水の匂いが漂うような「エヴァの匂い」。しかし、彼女がデュラスの「愛人・ラマン」に出演していたとは・・・彼女の出演場面を覚えていないな~。(後にぴーたろーさんから、モローは、女主人公の独白というか、ナレーションを担当していたことを教えられる)彼女の父はフランス人、しかし母親はイギリス人だと言うことは知っていたが、その母親がダンサーで少しアイリッシュの血が混じっていたというのは初耳。モローはさぞや上流家庭で育ったのだろうと思っていたが、どうもそういうわけではなかったようだ。英語は流ちょうだが特に知的なというほどのものでは無く、それに明らかにフランス訛りがある。また20歳の史上最年少でコンセルヴァトワールに入団というのも、意外だった。役者としての素質が認められたのだろうか。 ―――― ◇ ――――インタヴィューのさわりどころだけをメモってみよう。 ーーーー ◇ ーーーージャンヌ・モロー(=以下、JMと省略する)(司会者=以下Qと省略する Q&AのQである司会者というより質問者であるからだが)JM 内気であることは俳優にとって特別な宝物。恥ずかしさに打ち勝って演技することが重要。JM (ある舞台を観て感激して)私は舞台に立つ人間だと自分で悟った。観客席に座る人間としてではなくて。JM (女優になるのに反対だった父に対して)女優は娼婦とは同じでは無いことを証明したかった。(Qが飲み物のコップを差し上げて、JMに)「あなたの愛に!」といい、JMがこれに応えて「あなたのにも」と応じる)。(私の経験からはアメリカ人の男は案外普通はこんなキザなことをあまり言わないと思うのだが、このインタヴィューが行われたのはパリだから、司会者も合わせたのかな?)Q (当時ヌーベルバーグの映画に出演していて)映画の歴史を変えているという自覚はあったか?JM イエス。 「突然炎のごとく」を制作中に、パトロンがヌーベル映画に驚いて資金提供を打ち切ったために予算が不足し、スタッフ同士もいろいろ協力し合い、私はスタッフの料理を作っていた。監督はそのために私の出番は12時近くにはしなかったほど。Q 映画では監督の指示に従って演技をするのか?自分の理論で演技するのか?JM 監督の指示に従う。私は制約を好む。制約の中で演技する。だから俳優業は魅力的。自分のインスピレーションで演技する部分は少ない。例え自分の考えだけで演技しても、そんな演技はお風呂の中に垂らしたワインのしずくのように薄まって流れてしまう。が、それでも俳優は他人のものではない太古からの潜在的な記憶をもっている。(この部分は興味深い)そんなものが制約の中の演技にも生きてくる。JM 「黒衣の花嫁」の女主人公(男を次々と殺す悪女)は黒い蜘蛛なのだ。王女メディアでもあるのだから、自分に不当なことをした男達を処刑しなければならない。メデューサでもあるのだから、彼女の目を見た男は石に変えなければならない。Q 他の俳優から影響を受けたか。JM ノン。(役者の名はあげない)。作家から人生を学んだ。スタンダール・神話・フローベール・ゲーテ・ジョイス。愛読書はデュラス。(私の知るところでもモローはデュラスと個人的親交があった。デュラスは私の好きな作家。ヴィエトナムで育った自伝的映画「愛人・ラマン」がある。私はモローには、どこかデュラスに人間として似通ったものを感じる。)JM 俳優は美を他人に伝えることができる。JM 好きなことは「新しい発見」。(ここは同感)
2004.01.23
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年末からNHK BSで小津安二郎の映画が、連日のように放映されていて、「東京物語」「秋刀魚の味」のような聞こえた名作はもとより、戦前のサイレント作品まで観ることができる。戦前の映画なんてさして面白く無いだろうと思っていたが、観はじめてみると結構面白くて、見始めるとどうも最後まで観ることになる。 ーーーー ◇ ーーーー昨日は「浮草物語」の旧作の方だったが、新作(中村雁次郎・京マチ子・若尾文子・杉村春子・川口浩)より素朴で、むしろ楽しかった。旅芸人の座長が昔の愛人およびその愛人に生ませた息子の住む町へ巡業しに来て興行を打つ。興行がはねた後は愛人宅に来ては息子と親しむ。息子は父親は死んだと聞かされて育ち、座長は叔父だと言われ、それを疑っていない。そのうち一座の花形であり現在の愛人でもある女がこの事実を知り、一座の若い娘に息子を誘惑させる。高校生の息子はとまどいながらも初めての女性に夢中になる。娘の方もはじめこそ金で頼まれた誘惑だったが、すぐ真剣になってしまい、二人は毎晩のように密かに逢い引きをするようになる。座長はついにこのことを知り激怒、愛人とももめた勢いで一座を解散することになる。出発の夜、座長は娘の真剣さに打たれ息子との仲を許し、彼の母、昔の愛人に二人を託して去って行く。 ーーーー ◇ ーーーー今日は「東京の宿」(1935 松竹)。原作がフランスの小説らしくて日本の東京に焼き直してはいるが、筋がいかにもフランス映画っぽい。中年の男が二人の男の子を連れて毎日職を探しては安宿に泊まる。その内にやはり無職・安宿泊まりの美貌の女性を知る。男は幸い職を得て一応の安定を得るがある飲み屋で酌婦になっている女性と出会う。女性は一人娘が疫痢(えきり)で入院、金のために酌婦になったのだが男にはそれが許せない。衝動的に盗みをはたらきその金を病院の女性に届けさせ自分は自首する。主人公をジャン・ギャバン、美貌の女は「望郷(Pepe Le Moko)」でジャン・ギャバンが憧れる巴里からきた女、ミレーユ・バラン、それをデュヴィヴィエが監督したフランス版を観てみたいような気になった。特筆事項としては、主人公が思いを寄せる女性役で岡田嘉子が出演していることだ。岡田嘉子は当時人気の新劇女優。後に演出家で恋人の杉本良吉と樺太(今のサハリン)の国境線を馬ソリでソ連国境へと亡命、「赤い恋の逃避行」と大きな話題になった。杉本は亡命後ほとんどすぐにスパイ容疑でソ連政府に殺され、彼女自身はその後モスクワに住んでいた。さすがに美貌。
2004.01.15
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なでしこ3779さんの「旧い旧い洋画」というテーマをお借りして、さっそく書くことにします。私は旧い洋画が割合に好きで・・・というより、本当のことを言うと女優さんが好きなのです。古き良き時代の女優さんという人々は、本当によくこんな美人がいるものだというような、文字通り女神のような神秘的なまでの美しさです。それに比べると現代の女優さんは映画そのものがリアルな題材をリアルに描くようになったせいもあってか、いわゆる「girl next door」的な「隣の女の子」タイプになってきている。私は実生活はともかく(鬼瓦でも結構 だれのこと?)、スクリーンでは「神秘的なまでに、女神のように美しい女性」を観たいと思う人間なので、旧い旧い洋画となるわけです。もっとも最大の原因は、私自身が「旧い旧い人間だから」ということに尽きるわけですが。(それを言っちゃ~あ、おしまいだよ!)現代の女優さんの中での美女はだれでしょうか?(ご意見のある方はぜひBBSにお書き下さい)さて、せっかくDNAについて書いてきたので同じ映画話題でも、DNAに少し関連する話題から書いてみたいと思います。ジュディー・ガーランドといえば「オズの魔法使」という映画に主演して、「虹の彼方に」という歌でも有名なミュージカルの大スターです。私はこの「オズの魔法使」という映画が大好きで、観れば必ず楽しい気分になるといういわば「保険のかかったような」映画です。ジュディーはとびきりの美女では無いと思うのですが、可愛くて時にはセクシーでもあります。ある映画の一場面で彼女がタキシードの上着だけとシルクハットで歌う場面があります。タキシードの上だけ羽織るという着こなし、これは実はジュディーが始めたことではなくて、「アメリカの恋人」とニックネームのついた映画界の最初のスターともいうべき「メアリー・ピックフォード」がある映画で始めたことだそうです。この姿は粋でセクシーですね。次に娘のライザ・ミネリですが、彼女はみなさんもご存じの通り「キャバレー」という映画で主演、いちやく大スターになりました。なにしろ両親が両親ですから才能は文句なし。ただし、お顔は母親の方が可愛いと思いますが。再び母親のジュディー・ガーランドにもどりますが、ジュディー・ガーランドは彼女が奇跡的な復帰をした映画「スター誕生」の制作者であるシドニー・ラフトと、三度目の結婚をしてもう一人の娘、ローナ・ラフトを生んでいます。ローナ・ラフトは、後年、母親ガーランドとの生活を綴った自伝「Me and My Shadows: A Family Memoir」を出版していて、これは2001年に『Life with Judy Garland: Me and My Shadows』のタイトルでテレビ映画化されたそうです。つまりライザ・ミネリとローナ・ラフトは異父姉妹になるわけです。私は、一度ある映画雑誌でビンセント・ミネリとライザ・ミネリ、シドニー・ラフトとローナ・ラフトの4人の写真を並べてあるものを見た事があります。母親は同じジュディー・ガーランドでも、実に見事に、ライザ・ミネリはビンセント・ミネリに、ローナ・ラフトはシドニー・ラフトにそっくりでした。これもDNAのなせる業です。 ―――― ◇ ――――これから映画話題・女優話題も書いて行こう。
2004.01.14
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最近、「ローマの休日」という映画がデジタルマスター版となって再公開されたようで、ネット上でも大いに話題になっているようです。オードリー・ヘップバーンという人はもちろん世界の大スターですが、日本で特に人気があるように思います。私は「ローマの休日」以降のオードリーにはそれほど魅力を感じないのですが、「麗しのサブリナ」あたりは、まだ「ローマの休日」で世界を震撼させた?清新な魅力がまだ横溢しているように思います。もっとも、この衝撃のデビュー時のオードリーは「美人」とは呼ばれず「ファニー・フェイス」と呼ばれて当時の流行語になったものです。数日前に呼んだ雑誌の記事で、ある人が撮影所で「生」オードリーを見かけたが「映画の彼女とは違って、目と鼻と口が異常に大きくてアンバランスな顔だったのには意外な感じを受けた」と書いていますが、やはり実物はファニー・フェイスなのかな?私も昔ローマを訪れたことがあり、イタリア階段やチボリの泉や大理石でできた大きな円盤状の海神トリトーネの「真実の口」などを廻りました。ところであの「真実の口」はどうしても手を差し入れてみたくなるものです。ローマという街はやはり桁外れの魅力のある街で、さすがの私も?その時は感激で胸がいっぱいでしたが、今考えてみるとモノクロ画面の「ローマの休日」で描かれたローマの方がはるかに美しく魅力的なような気がします。「黒水仙」や「赤い靴」などの特に色彩の美しい映画をのぞけば、一般にカラー映画よりもモノクロ映画の方が街や人物をより美しく描写できるのではないでしょうか?あのオードリーやハンサムなグレゴリー・ペックがカラーだとしたら、あそこまで「永遠の名作」にならなかったかも知れない。暴論かも知れませんが、個人的にはそんなことを感じます。写真でもそうですが情報量が制限されたモノクロ画面の中の方に、人間はより想像力を働かせることができるのかも知れません。それから「ローマの休日」の中で、グレゴリー・ペックの友人のカメラマンが、ヘップバーンを隠し撮りするのですが、そのカメラがジッポーに似たライターにカメラを仕込んだ「ライター型超小型カメラ」。当時大いに話題になったようです。私はあれは日本製のコーナンとうカメラだと思っていたのですが実際は違いました。鈴木光学製で16ミリフィルムをフィルムカッターで8ミリに切断した8ミリフィルムを使用したもの。最初の発売は1951年「エコー8」、その後カメラライトと呼ばれたとのこと。 私も高校時代、このカメラではありませんがライターぐらいの大きさの豆カメラを買って、好きな同級の女生徒を下校の途中で隠し撮りしたという恥ずかしい過去があります。制帽にわざわざ小さな穴を開けて、そこから隠し撮りをしたんですが、あのカメラと写真は今でも手元にあります。
2004.01.10
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今日は「イヴの七人の娘たち」の PART 2 を書くつもりだったけれど、ちょっと方針変更。JALの情報誌「Agora」を読んでいると「我ら地球人 稲垣大助」という見出しで、フランスでミシュランの一つ星レストランのオーナーシェフとして活躍している日本人が特集されていたので、これに関してちょっと書いてみたくなった。というのは、二三年前にテレビで昔のミュージカル映画のスター、レスリー・キャロンのレストランを紹介する番組があって、彼女のレストランのシェフは日本人だということだったので興味深くて覚えているのだが。偶然だけれど、そのレストランの日本人シェフというのがこの稲垣大助さんなのだ。これについて、色々書いてみたいと思うけれど、先ずはレスリー・キャロンについて。日本で公開された洋画のデータ・ベースである「all cinema on-line」というサイトがある。洋画映画ファンなら知っている人は知っているサイトで、ここでレスリー・キャロンのプロフィールについてこんな説明がある。本名はLeslie Claire Margaret Caron。パリの修道院学校を卒業後、第二次大戦を経て47年からコンセルヴァトワールでバレエを習う。その後シャンゼリゼ・バレエ団のプリマとなって巡業中にジーン・ケリーに見出され、51年「巴里のアメリカ人」で映画デビュー。以降はMGMミュージカルのスターとしてバレエで培ったダンスと愛らしい容姿で活躍。53年の「リリー」でアカデミー主演賞候補にもなった。4度の離婚を経験。ウォーレン・ビーティとも一時期交際していた。 28作にも出演していたのか・・・。私の記憶にある彼女の映画は下記の通り。ファニー(1961) 地下街の住人(1960) 恋の手ほどき(1958) 哀愁物語(1956) 足ながおじさん(1955) 三つの恋の物語(1953) リリー(1953) 巴里のアメリカ人(1951) と言っても、全部を見たわけではないけれども、やはり代表作は足ながおじさん(1955) 三つの恋の物語(1953) リリー(1953) 巴里のアメリカ人(1951) あたりかな?
2004.01.07
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今日から楽天日記を始めます。最近読んで面白かった本の一つに「イヴの七人の娘たち THE SEVEN DAUGHTERS OF EVE」という本があります。(ブライアン・サイクス著 大野晶子訳 ソニーマガジンズ発行)この本の内容を一言で言えば、このオックスフォード大学のサイクス教授が遺伝テクノロジーを駆使して打ち立てた、「現代人の共通祖先は約15万年前、アフリカにいた一人の女性である」という仮説(今ではほぼ定説になっているようだが)の経緯とその説明です。とすると、驚いたことに我々人類はみな親戚同士と言うことになる。明日はこの本の内容をもう少し書いてみます。 ーーーー ◇ ーーーー夕方のテレビを見ていると、SF作家の小松左京さんがゲスト。「左京」というペンネームは学生時代京都市の左京区に下宿していたからそれにちなんでのものだと、ご自身がおっしゃっていた。それに「想い出の曲」として宝塚の劇団歌?「スミレの花の咲く頃」の原曲というシャンソンをリクエスト。しかし、さすが博覧強記の小松左京先生もこの件では間違っています。(全面的にまちがいとは言えないのですが)この曲はもちろん日本の曲では無くて、白井鉄造氏が昔、アイディアを求めて欧州に旅行した折り、当時パリで流行っていた「白いリラの花がまた咲く頃」 (Quand refleuriront les lilas blancs)というシャンソン曲を持ち帰って「リラ」を日本人にイメージがわきやすい「スミレ」に変えたものとのことと言われています。しかしこの曲はもともとはシャンソンでは無く、1928年にウィーンでフランツ・デレ作曲、フリッツ・ロッター作詞で作られた曲で、ドイツ語の原題は「Wenn der weise Flieder wieder bluht」だという。原題の意味は、フランス語のそれと同じ。戦後、その題名そのままの「白いリラの花がまた咲くころ」(1953)という映画が作られ、(音楽担当はこの曲を作曲したフランツ・デレ)、主演はマグダ・シュナイダー、そしてその娘の役で実際にも娘であるロミー・シュナイダー(当時14歳)が映画デビューを果たしたそうです。私はもちろんこの映画は観ていません。マグダ・シュナイダーは古典的名画「制服の処女」にも出演したということを何かの映画雑誌で読んだような気がするのですが、どうも確かではありません。「白いリラの花がまた咲くころ」は、1956年にアメリカのビルボードに登場。今度は題名も英語で「When the White Lilacs Bloom Again」。リラは英語では LILAC ライラックです。私が昔、東欧のある国にいた頃、ある時私がふとこの曲を口ずさんだら、まわりの皆が口をそろえて「それは戦前流行った有名な曲で、我が国の歌だ。どうしてその曲を知っているんだ?」というのです。それからしばらくはすっかりそれを信じていましたが、最近ネットで調べたら上記のような次第らしい。しかし、考えてみれば恐らくそれほど当時は欧州各国で、各国語で愛唱された曲で、各国の人間が自分の国の人間が作曲した曲だと信じてきたのでしょう。私自身も白井鉄造氏が作曲した日本の曲だと思っていましたからね。一度宝塚歌劇団にも原曲について電話で問い合わせたことがあるのですが、歌劇団の方でもハッキリしたことはわからないとの解答でしたが、上記の事がわかった今は、この情報を教えてあげようかな?とも思います。
2004.01.06
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