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中学生の作文「僕と弟」「私の兄」

中学生の作文「僕と弟」「私の兄」


たまたま巡り会った”ゆかぽん”さんのブログで素晴しい作文を読ませていただきました。
当時、中学校3年生 石田 周平さんの書かれた作文です。
第24回全国中学生人権作文コンテスト兵庫県大会最優秀賞を授与されました。
”ああ、そう!!そのとおり!!”と膝を打ちました。
是非、この作文を私のブログにも載せたいと思いました。

石田 周平さんが当時在籍していた中学校の校長先生にあてて手紙を書きました。
石田 周平さんとご家族が許可をして下さったら、転載したいので、出来たら連絡をとってほしいとお願いの旨を書きました。
私のブログを何ページもプリントアウトしていっしょに郵送しました。
今日、石田 周平さんのお母様からお手紙が届きました。
周平さんもお母様も大変喜んで下さって、許可していただきましたので、ここに転載します。
娘さんの作文も、平成17年度 人権問題文芸作品「のじぎく文芸賞」随想部門 最優秀賞を授与されました。
あわせて、転載させていただきます。
石田、周平さん、流平さん、夢美さん、お母様、ありがとうございます。
ゆかぽんさん、ありがとうございました。

「僕と弟」

        富士中学校3年 石田 周平さん


 僕の弟は今年、中学校に入学した。僕の弟は先天性の重度の自閉症である。
本で調べてみると、「自閉症児は、周囲に対して無関心であり、同年齢の子供はもとより、親をはじめ人とのコミュニケーションが困難である。
また、常同的で反復的な異常行為を示し、言語面ではオウム返しのことば等が特徴である。
その半面、自分が興味をもった対象にはことのいかんを問わずに固執したり熱中する。
脳機能障害、特に認知機能障害を基盤にもち、コミュニケーションの障害を主とする発達障害と考えられている」というようなことが書かれている。
確かに、そのとおりだったが、弟を表す言葉としては、もの足りない。
さらにひとこと付け加えなければならない。
「とてもかわいい」と。

 今年の前半、弟は一時的にブームに乗った。テレビドラマ「光とともに」がヒットした
からだ。
ただ、僕はあまりこのドラマを見なかった。
何か弟と関わるヒントがあるかもしれないから見ようと思い、何度かチャンネルを合わせたのだが、自閉症児役の子供が不自然で、「?」という気持ちが我慢できなかったし、ちょうどたまたま見たときに、母親役の人が、

「この子は世間にお世話にならなければ、一人では生きて行けない子なんです。だから私は出来る限り長生きをしなければいけないんです」

と言っていたので、その後すっかり見る気がなくなってしまった。
弟もこれから先、どれくらい成長するか分からない。
もしかしたら(いや多分)、一生ひとりで何もできないに等しいままかもしれない。
だが、「だから親が長生きして、一生めんどうをみなければいけない」というのは僕にはとても納得できない。
それは障害児を「生んでしまった」罰なのか?

なぜこの母親はそんなふうに、人ひとりの全人生を自分で背負っていこうとしているんだろう。
だれも他の人の代わりにはなれないのと同じで、ほかの人の人生の責任を背負うことはできない。たとえそれが母親でも。「障害児だからと思ってナメてるんとちがうか、この母親」とさえ思ってしまったセリフだった。

 弟にはほかの人には絶対にマネできない特技がある。
それはたとえば「僕をとても幸せな気分にしてくれる」ということだったりする。
いやなことがあった時でも、弟の笑顔に出会うと、僕も自然に笑顔になってしまう。
僕が宿題の提出期限が迫ってあせっていても、弟はかまわず僕をTVゲームに誘う。
ムカついて、つい怒ってしまっても、弟は何が悪いのか分からなくてぼう然としている。
それでも弟は僕を嫌いにならない。
ほんとうは宿題なんかより、一緒に遊びたいんだよ。

 「光とともに」の母親が何を望んでいるのか、僕にはわかる気がする。
あの人は、スタンダードな子供を生みたかったんだと思う。
光が自分の望んだ通りに生まれなかったからなんとか近づけようと悪戦苦闘してしまったのだろう。
その姿は、音楽の才能がない子供を優秀なピアニストにしようとして、有名な先生を訪ね歩く母親のようだ。
子供をピアニストにしようとする母親は、非難されたり笑われたりするだろうに、光をスタンダードな子供にしようとする母親は、なぜドラマを見たみんなに応援されたのだろう。
僕の母は、僕をピアニストにしようとも、弟をスタンダードにしようともしなかった。
だから僕たちはとても助かった。
時々は僕に英語の問題集をさせようとするし、TVゲームをしたがる弟を買い物に連れて行くが、それは許容範囲内だろう。

 誰もが特長をもっていて、それは最大限に認められ、ほめられるべきだ。
弟が独特の性格でも、ほかのものにすりかえようしてはいけないと思う。
もちろん、弟は日々、こつこつと努力を重ねさせられ、徐々にではあるがコミュニケーション能力もつき、お気に入りの友達ができるほどに、周囲に関心がもてるようになった。
だが人格は変わってはいない。
僕は一度も「弟がほかの子だったらいいのに」と思ったことがない。
一緒に野球ができなくても、テレビを見て笑い合えなくても、別にかまわない。
障害児教室にいるのが僕の弟だということを確認しに来る人もいるが、恥ずかしいとは思わない。
というか、「かわいいな」と言ってくれる人のほうが多いので、ちょっとうれしい。

 いつか、僕も弟も大人になる。
「かわいい」だけではすまされない時が、弟に訪れたとき、僕がどんな気持ちになるのか、今の僕には想像できない。
その時が来ても、弟はきっと僕を好きでいてくれる。
それだけは断言できる。
そして、それは僕にとって何よりの宝になるに違いない。

(第24回全国中学生人権作文コンテスト兵庫県大会最優秀賞)


平成17年度 人権問題文芸作品「のじぎく文芸賞」随想部門 最優秀賞

「私の兄」

                 石田 夢美さん

 私は「障害者」という言葉が好きではありません。何となく、「社会のじゃまもの」と言われているような気がするからです。本当は、「その人が生きていく上で何か不都合なところがある人」という意味なのだと思うのですが、もしそうだとすると、私のひとつ年上の兄は「障害者」ではありません。兄は自閉症なのですが・・・・

 私の兄は、いつもとても幸せそうです。大きな声で独り言をしゃべり、いきなりゲラゲラ笑い、歌います。小学校に入学した時、兄のいる教室に、たくさんのおもしろそうなおもちゃが並んでいるのを見て、「私もこのクラスがいい」とだだをこねたそうです。学校では、時々友達と一緒に兄を訪ねていきました。でも、兄のことが気になるためではなく、おもちゃで遊びたいからでした。

 私は兄をうらやましく思っていました。先生たちやみんなから”ちやほや”され、できてあたりまえと思えることができたからといって、すごくほめられ、掃除当番もないし、給食を残しても叱られない。ちょっとでもいやなことを強制されたらパニックを起こし、それで許してもらえると思っている。私といえば、難しい勉強ができて当然、できなければ居残り、友達とトラブルがあっても我慢しなければいけないし・・・・兄のように自分の好きなことだけやっていればよいという生活がしてみたい、とずっと思っていました。

 私は家の事情で二年間、兄や母と離れて住んでいました。この三月に久しぶりに再会した兄は、二年前とほとんど変わっていませんでした。外見がおじさんっぽくなったのと、パニックがおさまったことぐらいで、あとは変わったといえば、独り言の内容だけでした。それなのに、いつのまにか、「兄」という気がまったくしなくなっていました。まるで弟です。兄の方は私を覚えていたようですが、多分、「おねえちゃん」ぐらいに思っているでしょう。自分のことも幼稚園児くらいにしか思ってないかのようです。笑ったり、甘えたり、あいかわらず幸せそうです。でも、私の方の意識が変わっていて、もう今はうらやましいとは思わなくなりました。

 私は、前の学校の友達と文通をし、新しい友達もできて、吹奏楽の部活に燃えています。兄の場合は、そういう種類の、今私が楽しいと感じていることができないのです。辛いことに立ち向かい、乗り越えていく必要もないかわりに、達成感も、喜びも、感動もないように思えるのです。そして、多分十年たっても、兄は今のままの意識でいるのでしょう。とりあえず一人で着替えもできるし、ごはんも。食べられるそのうち根気よく練習すれば、いつか洗濯も買い物も、もしかしたら簡単な料理だってできるようになるかもしれません。でも、テレビで漫才を見て笑ったり、ドラマで感動したり、友達とうわさ話をしたり、そんな楽しみは味わいたくても味わえないのです。

 つまり、兄の場合は、生きていく上での障害になることはなくても、自分で悩み苦しみ、喜びや幸せを感じることができないという「障害」があるのです。もしかしたら、身体に「障害」のある人の方が、苦しみを乗り越えるという意味で、障害のない人の”二倍も”生きることができるのかもしれません。そういう意味では、兄は人の”半分しか”生きている実感がないのかもしれません。このごろ、そんなことを、兄を見ていて考えてしまいます。

 残念ながら、兄は周りの人に迷惑をかけている存在であると言わざるをえません。運動会でも、兄のクラスはいつも勝てません。音楽会でも、子どもだけでなく大人の人も、兄の大きな歌声にクスクス笑っていました。中学校では、音楽室などに移動するときには必ず誰かに手をつないでもらっています。朝礼でも大声で独り言を言うので、周りの人は、とてもいやそうにしているのを目にします。正直言って、私も妹でいるのが嫌になることが、時々あります。兄には悪気が全然なく、むしろ他の誰よりも純粋なのですが、どうしてもはみ出したり、ふみはずしたりしてしまうのです。兄だけの世界や意識があって、それがどんなものなのか、誰にも理解できません。

 兄は、もっと他の国や地域に生まれていたら、今ほどはみ出さなかったのかもしれません。でも、それよりも、もっと優しい人ばかりで、兄のことを理解し、受け入れてくれる社会になってくれたなら、兄が本当の意味で「障害者」でなくなるのではないでしょうか。


2006/12/1記
このブログは、広告の書き込みを削除するのが面倒なので、楽天ユーザーしか書き込めない設定にしています。

中学生の作文「僕と弟」の作者が私のもうひとつのブログにコメントを下さったので紹介します。


Shu:
どうもはじめましてそれ書いた本人です。
なんかこういうとこで載ってるの見ると照れますね。
楽天ブログのほうも見させていただきましたがこれだけいろんな人に誉めていただくと嬉しいですね。
わざわざ手紙までいただいて、ありがとうございます。
手紙見てから実際にブログ見るまでこんなに時間が空いているという腰の重い本人でした(笑)



また、お時間があったら見に来てくださいね。

オバチャン、オジチャン達はともすると思考が膠着してしまいます。
良い刺激を与えてくださると嬉しいです。


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