Supica's room

Supica's room

正義の旅



「初めまして。」

そう、僕は彼と初めて会ったその時から、僕と彼はこの先何らかの関係性を持つであろうことを確信していた。

現にそれは出会った翌日から始まる。


「先日はどうも。今日は散歩ですか。いい天気ですね。」

と彼は僕に馴れ馴れしく話しかけて来た。

「お隣、いいですか。」

「どうぞ。」

と僕は言った。

何の特別な日でもない、通常の月曜日。

二十五を過ぎた大人二人が月曜日に小さな町のはずれにある小さな公園の小さなベンチに腰掛けていれば、やはり子供を連れて幼稚園に行く女の視線がは避けられない。

「今日は休みですか。」

「僕らの仕事に休みも仕事もありません。どちらとも平行に並行していますから。」

と僕は言った。

「日本語って難しい。」

と彼は言った。

そしてぱんぱんに膨れたジャケットのポケットから煙草を取り出して、僕に勧めることなく吸い始めた。

しばらく僕ら二人は、ぼんやりと公園にあるアスレチックを眺めていた。

アスレチックとはなんてややこしいものなんだろう、と僕は思った。

作る時も作った後も、ややこしいものであることに変わりは無い。

市が管轄している公園に置くアスレチックなんだから安全性もとても高いはずだ。

しかし、アスレチックにしてみれば、アスレチックはアスレチックなりの自己主張をして子供達を楽しませている。

なのに大人から見られてややこしいもの、と位置づけされるのはなんて不憫なことだろう。

哀れとも言うべきか。

と、だらだら脳味噌を耳から垂れ流していると突然彼は話し出した。

「私の出身は東大なんです。東京大学。」

一瞬間が空いた。

「ふうん。」

と僕は言った。

どうでもいいことだ。

「そりゃあ、東大入るんだからもの凄く勉強しましたよ。勉強して勉強して。彼女も作らなかったし、高校の学際だって参加しませんでした。」

彼は吸っていたタバコを地面に落とし、足でねじ消した。

「私の行っていた高校は進学校だったんで、まわりからは特におかしいとも思われませんでした。そして三年間勉強を続けた結果、僕は東大に受かったんです。親はそれはもう喜びましたよ。家が八百屋なんでね。こんな家からも東大には入れるんだと。努力を続ければいつか報われるのだと。」

彼は静かに瞼を閉じた。

「でもね。文一にめでたく合格できたからって好きなことは出来ないんです。周りからはちやほやされるんですが、自分の本当にしたいことは何も出来なかったんです。東大に入ると東大の壁があると私は思いました。だって文一に受かったとしても、有利になるのは法律関係の仕事しかありませんから。」

「贅沢だな。」

と僕は言った。

「確かにそうです。贅沢なんです私は。しかし、こうも感じたんです。勉強によって私の人生が滅茶苦茶にされた、とね。勉強をすればするほど私の頭は悪くなっていったんです。考える喜びも、力も失い、与えられた仕事を完璧にこなすしか能力の無い人間になってしまったんです。」

彼は深いため息をついた。

「本当はね、そんなことに気がづかなければ、今頃涼しいクーラーの効いた役所でのんびりと事務作業をしていますよ。そして定年になれば天下って安らかに死んでいけたんです。しかし・・・。」

「それはとてもつまらない人生だ。」

と僕は言った。

「そう、そのとおり。まったくそのとおり。面白くないんです。興味も何も沸かない。むしろ人一倍努力して東大に受かったってのに、アスファルトで固められた人生なんてまっぴらごめんだ。上司にゴマすって不味い酒飲んで、同僚とは愚痴を言い合って、家に帰れば私を必要としない生活が待っていて、そんな人生の何処が面白いんでしょうか。スタート地点が先にある私がそんな人生になるのか。私は自分に激しく憤りを感じました。だからね、私はこの職業を選んだんです。能力のある人間が能力を必要とする職業を選んだんです。こんどこそ間違っていない選択になるでしょう。」

僕は彼を蔑んだ目でとらえていた。




「作家と言うのは、まわりからみれば変な人たちです。この職業は所詮、変な人がどれほど変な事を言えるかって言うのの競争なんです。僕が見てきた限り、変な人って言うのは普通の人と無理して暮らしているといつかあなたのようになって、変な人を求めるんです。渇きを潤すようにね。だから自分が変な人とわかったら、変な人や変な子供達と暮らしていくしかないんですよ。」

と僕は言った。

彼は僕の言葉を訊いて何かに気付いたような顔を一瞬覗かせた。


さすが東大、処理能力は早いじゃないか。

他人の人生と比べて、面白い面白くない人生と言っている時点で、君は普通の人なのだ。


「私はどうしたら良いのでしょうか。」

と彼はすぐに困った顔をして僕を見上げた。

「普通の生活に戻ればいいのに。」

と僕は言った。






あれから何年経ったのだろう。

彼はその後無事に役所に入り、神宮前にある東郷台で長年平和に暮らし、脂にまみれた笑顔を残して天下っていった。

彼にしてみればなかなかの人生じゃないか。

今でも彼から年賀状が送られてくる。

その度に、あの時の言葉を感謝している、と添え書きがされている。

やれやれ。

未だに彼は気付いていないのだろう。

あの時、僕は彼を困らせるために変な事を言ったに過ぎない。

それでも信じてくれる人は信じてくれるのだ。

小説とはそんなものなのだ、と僕は今でも思う。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: