2013年10月01日
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カテゴリ: 映画・ドラマ
標的の村
を観てきました。

〜スクリーンに叩きつける、伝えきれない沖縄〜
2012年9月29日。
アメリカ軍・普天間基地は完全に封鎖された。
この前代未聞の出来事を「日本人」は知らない。

とチラシに書いてあります。


68年に渡って沖縄は沖縄の人同士で闘わされてきたんだね。
何度も何度も日本政府を信じて騙されて、沖縄の人同士が切り裂かれてきたんだ。

基地のおかけで仕事を得て暮らしている人も、みんな沖縄の人。
私にはそれがつらかった。

1963頃、ベトナム戦争のために、米軍は沖縄高江の村人をベトナム人に見たてて、
ベトナムの帽子と衣服を着せてベトナムの家屋を建てて、
ヘリを飛ばし軍人を降ろし、村人をあぶり出し征圧するための訓練をした。
そこには幼児も「徴用」されていた。
高江が孤立した村落なので知られる事が少なかった。

ベトナム村で訓練に参加した米兵の証言
「自分はベトナム戦争には出征していないのに、枯葉剤の後遺症があり
手術をしたりして大変苦労した。それは沖縄の訓練地に枯葉剤を使って草を枯らしたから。
枯れた草を始末したのは沖縄の住民。自分よりもっと後遺症が出たのではないか。」


また、辺野古の基地が住民の反対と折り合いながら計画を変更してきたかのように思っていたが、
実は折り合いの案は当初の案と酷似していたという。
この辺の史実や情報は、映画の中では、流れが早すぎて理解しきれなかった。


沖縄中の人々がオスプレイ配備に怒り、普天間基地を封鎖する。
しかし、実力行使で開場させられ、予定通りオスプレイは普天間に降り立つ。


と絶望する人々。

人にはいろんな形の絶望があるんだね。
絶望過ぎて笑いが出ちゃうような絶望があるんだな。
そして、絶望しても、また寝て起きてご飯を食べて働いて怒って笑って生きて行くんだな。
それでいいんだな。って思った。
そして諦めないでまた明日を迎えるんだな。
と、そんなことも感じた。

私が中学生の5月15日に沖縄の返還が実現し、その日の気持ちは今も鮮明に覚えている。
沖縄を返せ!という歌を歌いデモもみていたから、本当に歴史が変わるとまで思った。
しかしベトナム戦争と日本米軍基地の関わり、その後の基地を巡る事件や事故が私に疑問を突きつけた。

日本の中にあって、日本の言葉を使い、日本の政治の元におかれ、日本の法律を遵守する沖縄。
レジャーで行く時には関心を持つが、私たち東京(本土というのかな)の人間は
いったいどれほど沖縄に関心をもち、その歴史を知っているのだろうと、しみじみ思う。

この先も、ずぅーっと、海月ちゃんがつぶやいた通り、
闘いを子供たちがひきついでいく。
終わらない映画です。








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最終更新日  2013年10月02日 10時41分40秒
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Re:映画「標的の村」をみてきました(10/01)  
釜パトです さん
あんずさん!こんばんは!
勝手にシェアしてFBに投稿しました。
ゴメンなさい。あんまり素直で体温を感じてしまって!
いいねが もう3件も!
Twitterはやめたけど こっちで情報収集してます。
私は やっぱり行動と自分を大切にして行きます。
次回からは許可貰うようにしますから、今回は許して下さいね。 (2013年10月17日 00時02分42秒)

Re[1]:映画「標的の村」をみてきました(10/01)  
☆あんず☆  さん
釜パトですさん
ご無沙汰しています。私、ほとんどこちらをパトロールすることがなくって、今頃気づきました。
映画、私にしては遠くまで観に行った甲斐がありました。
いろいろと、きついことが重なってがんばりどころが多すぎる日本です。
やれることをコツコツ敷かないですね。
今日は思いがけずお目にかかれて(?)うれしい、うれしい!
ぽんきんさんがよく、釜パトさんがいないことがこんなに影響あるとは……さみしいと言っていますよ。
またお話聞ける時を楽しみにしています。
(2013年10月30日 21時52分29秒)

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