ひこうき雲3



ボクが、橋を渡りきると、そこは今まで見た事もないまぶしい世界が広がっていた。そこには、たくさんのワンコやにゃんこが遊び回っていた。中に何人かの人間がいて、動物たちはその人間に飛びついたり、背中にのったりしていて、時々人間が手に持ったボールのような物を遠くに投げると、一斉にそれを追いかけていき、また戻ってくる。
 楽しそうだ。
 でもボクはやらない。やりたくないんだ。なぜってあの人間は知らない人だもん。母さんでも、お兄ちゃんでもお姉ちゃんでも、ドッグランのスタッフの人でもない。知らない人とあんなことしても、何も楽しくないもん。
 ボクはひざを抱えて座っていた。これは人間向きの表現。正しくは体を丸くして横たわり、前足の上にあごをのせて寝ていた。
 どれ位の時間が経ったんだろう。ボクは背中に暖かいもの、ちょうどお日さまが当たった時のような、はっきりとした温度を感じた。
 「お前か、犬太っていうのは?」
びっくりして振り返ると、そこには小柄で頭のはげた初老の男がにこにこしながら立っていた。
 「おじいさん、ボクを知ってるの?」
そう言ってみて驚いた。何とボクは人間の言葉をしゃべっている。今まではしゃべっても口からは「ワン」とか「クゥーン」とかいう声しか出なかったのに、いまはちゃんと言葉になっている。ボクはあわてて両手で口を押さえた。こりゃ、妙な事はしゃべれない。
 「わっははは、わっははは」
おじいさんは、さも愉快そうに大きな声で笑った。
 「びっくりしたか?したやろ?しゃべれるなんて思うてへんかったやろ?」
おじいさんは、ボクが今まで聞いた事のないしゃべり方でしゃべった。いや、聞いた事はある。テレビでこんな言葉で「漫才」っていうのをやっていて、お兄ちゃんがそれを聞いて大声で笑っていたのを思い出した。
 漫才をする人は、たいてい最後に「ええかげんにせい!失っつ礼しましたあ」っていって頭を下げて逃げるように去っていく。このおじいさんも最後に「ええかげんにせい」って言ってどこかに行くんだろう。それだけじゃない。漫才の途中で頭を叩いたりすることもあるんだ。このおじいさんには気を付けた方がよさそうだ。
 「わっはっはあ、ちゃうちゃう、わしは漫才師とちゃうでえ。お前の頭を叩いたりもせえへん。心配せんでもええ」
 えっ、ええーっ!このおじいさん、ボクがまだ言葉に出していない、心の中で思った事まで分かるんだ。
 「おじいさん、一体誰なの?」
 「わしか?わしはなあ・・・・。犬太、お前さくらパパって知っとるか?」
 「うん、さっきお仏壇に向かって、泣きながら拝んでた人でしょ?」
 「そや、わしはあいつのお父さんなんや、そやからこれからはわしのこと『さくらじいさん』とでも呼べ」
 「変な名前だなあ。あっ、そういえば頭のうすいところが、よく似てる」
 「余計なことに気づかんでもええ」
 「でもパパのお父さんがどうしてここにいるの?」
 「わしは、今から20年も前にこっちに来たんや・・・」
 さくらじいさんの話は、こうだった。
………
 わしが、いつものように雲の上で大好きな本を読んでいると、どこからか
 「お父さん、お父さん」
という声が聞こえた。
 どこかで聞いた声だと思って、部屋の窓を開けるとそこには息子のさくらパパが、ロウソクに灯をともし、線香をたて、数珠を手にかけてこっちを向いていた。
 「お父さん、お父さん。」
 「おお、わしじゃ。お前が呼ぶなんて珍しい。どないしたんや」
 「お父さん、今『犬太』っていうワンコが、そっちへ行ったよ。どこへ行ったらいいか迷ってたら、連れて行ってやってよ」
 「何やてえ?久しぶりに来たらよそのワンコの話かよ」
 息子はつい先日のわしの命日にも、「お父さん」って呼んだが、わしは色々話がしたかったのに、息子はそそくさとリビングに消えてしまい、ちょっと寂しく思っていたばかりだった。
 でも、今日の息子の表情は今までにない真剣さに満ちていた。
 わしは、息子の心に指の先をツンと当ててみた。息子が何を考えているのかが一瞬にして分かった。
 わしは、自分のことでなく会った事もないわんこのことで一生懸命祈っている息子をちょっぴり見直した。こいつわしが死んだ時の10倍位真面目に拝んどるわい。
 「おう、よっしゃわかった。犬太は当分面倒見たろ。まかしとけ」
 「ほんまやで、ほんまに頼むでお父さん」
こいつ、わしの言うことが聞こえたのか深々とお辞儀をして、鉦をチーンと叩いた。
………
 「それで、わしは大急ぎでここに来たって言う訳じゃ」
 そう言ってじいさんは、ボクを抱き上げあぐらをかいた膝の上にのせた。不思議な事に、抱かれ心地はお兄ちゃんとそっくりそのままだった。じいさんは、ボクの頭やら背中やら静かに撫でた。撫で方は、母さんやお姉ちゃんそのままだった。
 「お前のことは何でも知っとる。お前がどれほど人を幸せにしてきたかも」
 じいさんの身体に耳をくっつけてみると、ドックンドックンとお兄ちゃんの心臓の鼓動が聞こえてくる。
 「ふーん、で、ここはどこなの?」
 「ここか?犬太が今まで暮らしていた世界と、これから暮らす世界との真ん中じゃ」
 じいさんの言うには、ここは人生(ボクの場合は『犬生』)を終えた者がこれから行く世界への中間点、わんこの世界では「虹の橋」、仏教の世界では「三途の川」と呼ばれているらしい。住んでた世界でずいぶん呼び方もイメージも違うもんだな。
 で、死んだ者はまずここへ来て、先に死んだ家族や、これまでの関わりの深い者と再会することになっているらしい。
 そう聞いて、橋の終点を見てみると、1人また1人と人間が出てきて、周りをきょろきょろしている。するとすぐにこちらから誰かが駆けつけて、抱き合ったり手を取り合ったりしている。
 迎えに来ているのは何も人間とは限らない。虹の橋のたもとに向かって一目散に走っていくわんこが見える。
 「あれは、生前の飼い主。一生懸命生きてきて人は、ここで先に来ているわんこやにゃんこに迎えられるんや」
 「じゃ、どうしてボクには、おじいさんなの?」
 「それはなあ。飼い主も生きていて迎えに来る人がいない時は、飼い主と関わりの深い人が来る事になる」
 そんな話を聞きながらボクはいつの間にか眠っていた。

 どれくらい眠っただろう、目が覚めるとぼんやりとお兄ちゃんの顔が見えた。
「お兄ちゃん!」
でも、お兄ちゃんじゃなかった。ボクを抱っこしているのは知らない人だった。
「誰なの?」
「おお、すまんすまん、わしや」
しゃべり方はじいさんだが、目の前にいるのはじいさんとは似ても似つかないイケメンの青年だった。
「犬太、こっちではなあ。生きていた時に一番元気やった頃の姿で暮らしているんや。びっくりしたやろ?お前が今見てるのは、海軍から返ってきた20歳頃の俺や。どや、男前やろ」
「じゃあ、どうしてさっきまではおじいさんだったの?」
「そりゃあ、いきなりこの姿で出てきて、パパの父のじいさんですって言うてもお前は信じへんかったやろ?そやから、とりあえずじいさんらしいカッコしてたんや。わーっはっはっはぁ」
なんでも、こちらの世界では、その人生で一番輝いていた頃の姿で過ごす人が多いらしい。また、病気や障害があっても、こちらに来る時にこの世(ボクから見れば『あの世』)に置いてくるので、こちらは極めて快適だそうだ。
どおりで、人もわんこも若くて元気だと思った。
「おじいさん、ここはいいところだねえ」
「あのなあ、犬太。相談なんやけど、姿も若うなったことやし、そろそろ『おじいさん』はやめてくれ。俺の名前は『カツミ』。これからは『カッちゃん』って呼んでくれへんか」
「いいよ、カッ・・・ちゃん」
「もっと大っきな声で」
「カッちゃん!」
「行くぞ!犬太!」
「どこへ?」
「ええから、一緒に来い!」

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