ひこうき雲4



カッちゃんは、銀色の大きなバイクにまたがり、スピードを上げた。
「カッちゃん、待って、待ってってばあ」
ボクは、カッちゃんのジャンパーの後ろに噛みついたあと、しっかりとカッちゃんにしがみついた。
バイクはものすごいスピードが出ていて、遠くから雲が近づいては消え、また近づいては消えた。
 後ろを見ると、マフラーから真っ白な飛行機雲が伸びていた。

「着いたぞ」
ヘルメットとサングラスを外したカッちゃんは、ボクを手招きした。
その建物は、大きな大きな木のおうちのように見え、屋根の一番てっぺんは空に届いていた。
「ここはどこ?」
「ここは、えんま堂。大王様がおられるところや。死んだ者はここで大王様の裁きを受けるんや。悪い事をした者は地獄へ、いい事をしてきた者は極楽へ、嘘つきは舌を抜かれる事になる」
「ええ~っ、地獄。ボクやだ!」
逃げ出そうとするボクのしっぽをカッちゃんはしっかりとつかんだ。
「犬太っ!ここを通らなどこへも行かれへんぞ。勇気を出して通るんや」
「カッちゃんも一緒に行ってくれるの?」
「あかん、ここだけは1人で行かなあかん。けどお前は心配いらへん。早う行け!」
カッちゃんは、半べそをかいているボクの顔を両手で挟み、笑いながら頬ずりしてくれた。
 建物に入ると、係の鬼が鬼のような顔をして
「名前は何という?ええっ?」
と、脅かすように聞いた。
ボクは蚊の鳴くような声で
「犬太・・・」
と答えた。
すると、鬼は怖い顔をしながら、帳面を1枚めくり、そしてまた1枚めくった。
 次に、
「ええ~っ、君が犬太君?」
と言ったかと思うと、顔はみるみる優しくなり、角はひっこみ、背中から羽根が生え、天使に早変わりした。そして
「お帰り、犬太」
って言いながら、ボクを抱きしめてくれた。天使はお母さんの匂いがした。
「あのぅ、さっきは確か鬼だったよね?」
「あのね犬太、鬼も天使もあなたのイメージで作り出したものよ。これから逢う方も、怖い怖い閻魔大王に見える人もいれば、そうでない人もいるわ」
……ギィィィー
大きな扉が開いた。
その中には、目を開けていられない位、まぶしい光が見える。
次の瞬間、ボクはその光の中に吸い込まれていった。ボクはまぶしくってずっと目をつむっていた。
「これから、あなたの審判をはじめます。目を開けなさい」
 すると、まぶしい光は、ちょうど目を開けていられるくらいの明るさになった。
そこには閻魔大王はおらず、ただ光とボクだけがいた。
「よく還ってきました、犬太」
「あなたは、誰ですか?」
「そうねえ、神様と呼ぶ人もいれば、仏様と呼んでくれる人もいるわ。要はその人の生前の生き方によってとらえたかは違うの、あなたにはどう見える?」
「ボクには光にしか見えないや」
「じゃ、光さんと呼んでちょうだい。これから私と一緒にお前の地上での一生を振り返りましょう。さあ、あれをごらんなさい」
光が示す方向に、スクリーンのような物が見える、そのスクリーンは真っ黒でどこからか『ドッドッドッドッ』という太鼓を叩くような音がする。
うっっ、苦しい。ボクは何をしてるんだろう。さっきまで暖かい光に包まれていたのに。『ドッドッドッドッ』身体が押しつぶされそうだ、ゆっくり回りながらボクは動いている。「あっ、出てきた!」人間の声だ。
そうだ!思い出した!これは、ボクが生まれた時のことだ。暗闇から明るいところに出てきた。でもとっても寒い。目が開かない。息も出来ない。
ペロペロ、誰かがなめている。ボクの鼻と口の周りの袋を噛みやぶってくれている。ママだ。ボクを産んでくれたママだ。
周りに人間がいて、その様子を見つめている。
寒い。ママにくっつかなくっちゃ。耳をくっつけるとさっきの『ドッドッドッドッ』という音が聞こえる。ママの心臓の音だったんだ。
「犬太」
「はい、光さん」
「どんな気持ち?」
「何だか、不安で頼りなくって中途半端な気持ちです」
「周りの者に触れてご覧なさい・・・・どう?」
「不思議です、触れた途端、その気持ちまで分かるんです。まずママ、『よく来たわ、わたしの坊や』って言いながら舐めてくれている。周りの人間は、無事に生まれて良かった、なんて小さくてかわいいんだろうって喜んでいます」

 場面は少し進んだ。人間は、「いよいよ今日だね」って話をしている。そうだ。ボクは今日新しい飼い主にもらわれるんだ。ママに触れると、「お前は、今日からよその子になるのね。ああかわいい坊や。新しい人にもかわいがられるのよ。元気でね」って、泣きながら言っているのが分かる。でも、このときのボクには、まだ、もらわれるとか新しい親とか言う意味が分からなかった。
 「まあ、この子ですか?」
あれは、母さんの声だ。そうだ、ボクがもらわれた先が母さんちだったんだ。早く逢いたい、母さん。
ボクは初めて母さんに抱っこされた。
「まあ、ふわふわだわ」
母さんのその時の気持ちが今、伝わってくる。母さんは心の中で
「かわいいかわいい、うちの末っ子」
ってうきうきしている。母さん、ボクをもらってくれてありがとうね。

 次に見た場面では、ボクは少し大きくなっていた。
母さんちには、母さんの他、お兄ちゃんとお姉ちゃんがいた。
母さんは、今まで撮りためたボクのデジカメ写真を誰かに見せたり、情報を共有する手段として、ホームページを開いた。その名も『犬太とお散歩』。
母さんのページを見た人の輪が、次から次へと広がっていった。
母さんは、蘭ちゃんが目の手術をすると言っては祈り、ラッキーくんが歩けなくなったと言っては祈った。
その時の母さんに触ってみる。分かる分かる、母さんの気持ち。
母さんは、ページで知り合った人をとても大切にしていて、自分の事はほっといて、人の幸せを祈っている。
自慢の我が子をみんなに知ってもらいたい。みんなが大切なわんこの喜びや悲しみを共有したい。この時母さんは、ボクとホームページ抜きの生活は考えられないとさえ思っている。
お兄ちゃん、お姉ちゃんにも触ってみる。みんなそれぞれ悩みや不安を抱えている。でもボクと遊ぶ時は全然そんなそぶりを見せない。だから、今まで知らなかった。みんな、何も知らなくてごめんね。

 次の場面は、やっぱり一番つらかった。
 ボクが死んだ晩のことだ。母さんはパソコンに向かって一生懸命何かしている。ボクはその側で寝そべっている。もうすぐボクが死んでしまうのを、母さんもボクも知らない。分かっていれば、もっと母さんにくっついたのに、もっとお礼を言いたかったのに。
 母さんが、散歩に行こうと誘ってくれた、ダメだ!行っちゃいけない!でも、ボクは何も知らずにしっぽを振っている。
 トラックがやってきた。
・・・・・・ボクは、ボクの身体から飛び出してしまった。

「犬太あぁぁぁ」
母さんの叫び声!あの時は自分が死んでしまったんだと分からなかったが、今なら分かる。
それにしても、母さんの取り乱しようは・・・。
母さん、ものすごい形相で家に走って戻った。駆け寄るお兄ちゃんとお姉ちゃん。
「私が犬太を死なせたんよ」
母さん、違うよ。違うんだ!ボクが勝手に身体から飛び出してしまったんだ。
「母さん、俺が連れて行ってたら・・・ごめんよ」
お兄ちゃん、違うってば!
「助けてあげられなくてごめんね」
お姉ちゃん、こっちこそごめんよ。
この時の3人に触れると、その悲しみの余り、世界が壊れそうになっている。
こんなに悲しませてしまって、本当にごめんなさい。

母さんが、ページ友達に電話している。泣いていて話がなかなか通じない。聞いている友達に触れてみる。やはり、ヤケドしそうな位悲しい。
日本中のあちこちで悲しみが、遠くから見たストロボのようにはじけている。
母さんを中心に悲しみが波紋となって広がっていく。

それが、翌日になれば様子が変わってきた。届いた波紋が、同情、慰め、励ましとなって、今度は母さんに向かって一斉に押し寄せているのが分かるのだ。
その時の母さんの気持ちに触ってみると、悲しみと同じ位の温かさを感じている。
みんな、ありがとう。母さん、ありがとう。でも、ごめんね、ごめんね。


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