石鹸作りの世界的歴史4







石鹸の製造

水酸化カリウムと油脂の摂取ができたら、ついに石鹸を作る工程までやってこれます。大きい鍋に、水酸化カリウムと油脂を入れ、同じように外で焚き火で沸騰させます。長い間沸騰させることで生地はだんだんと固くなり泡が立ち始めた頃に、舌で触ってもピリっとしない時点で火からおろされました。生地の量や水酸化カリウムの強さにもよりますが、大体この過程は6~8時間かかりました。

ジェル状石鹸と固体石鹸

木の灰から作られた石鹸は固体ではなくジェル状のものでした。上記の方法でできあがった石鹸は次の日には茶色いジェルのようなものになり、触るとぬるぬるし、それを水で流すと手がきれいになりました。この石鹸生地は木製のたるの中に保存され、必要に応じて玉じゃくしですくって取り出されました。

固い石鹸を作るには、油脂と水酸化カリウムを沸騰させる最後の時点で塩を入れることで、鍋の表面に固い石鹸が層を作りました。しかし、塩は当時、高価なもので入手が困難でしたので、固い石鹸を作るためなどにはなかなか使われませんでした。塩は、家畜の餌にしたり、食べ物を保存するためのものとして使うほうが価値があると考えられました。ジェル状の石鹸でも、固体石鹸と同じように洗浄力があったため、植民者たちは固い石鹸を作る必要がありませんでした。しかし都市で石鹸が売られるようになると、固体石鹸の方が持ちが良く、輸送もしやすいということから、塩を使って作られた固体石鹸が好まれるようになりました。この頃にはラベンダーやウィンターグリーン、キャラウェイから取れるオイル(エッセンシャルオイル)を石鹸に使われるようになり、化粧石鹸として都市の人々に売られるようになりました。固体石鹸は、木型を使って作られ、小さく切って小分けすることなく、包まれて売られました。大きい石鹸を買って、それを自分で小分けして使うのが普通で、石鹸はパウンド(約450g)単位で売られていました。小さい石鹸が売られるようになったのは19世紀中ごろからでした。

ちなみに、石鹸作りは当時、女性だけの仕事でした。というのも、石鹸作りは農場での仕事の中で困難な仕事の一つであったからです。

石鹸作りで困難だったこと

石鹸作りで当時一番難しいとされていたのは、水酸化カリウムの強さを測定することでした。じゃがいもか卵を水酸化カリウムの液体の中に入れ、ある程度のところでこれらが浮いたら、石鹸作りに使うのに相応しいという方法で水酸化カリウムの強さを測っておりました。じゃがいもが、水酸化カリウムの水面から500円玉くらい上を出して浮いているのがちょうどいい水酸化カリウムの強さだと考えた植民者が多かったようです。水酸化カリウムの強さを強めるには、水酸化カリウムを沸騰させたり、新たにその水酸化カリウムを使って木の灰で水酸化カリウムを作り出す方法があったようです。強さを弱めるには、水が注がれました。

「鹸化法」などの化学的の知識が当時の石鹸作りをする人たちには欠けていたので、石鹸作りに関する迷信がたくさんありました。潮の干満や月の位相に関係して良い石鹸ができる、などです。ペンシルバニアーダッチのレシピでは、ササフラスの木の棒だけが、石鹸をかき混ぜるのに使われ、必ず一方方向にかき混ぜなければならないと注意書きがあったそうです。

植民時代の後期に石鹸の通商が都市で始まり、石鹸に興味のあった人たちが、自分たちでも品質の高い石鹸を家で作るようになりましたが、19世紀の中ごろまで田舎に住む人々は、カリ石鹸を作っておりました。この時代でも石鹸作りは難しいもので、石鹸作りに関する民間伝承がたくさん存在しておりました。アメリカの元大統領ジョン・アダムスの姪っ子に当たるエリザベス・ランチ・ノートンの1799年に書かれた日記からは、石鹸作りが当時どれだけ耐え難く、彼女を憤激させるものであったかが読み取れます。彼女はある時、自分の家族のためにたる一つ分の石鹸を作る前に、3回も石鹸を仕事のために作らなければならなかったようです。


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