大陸が眠るまで。

~1~





整然と並ぶ石畳が、陽の光を反射してきらめく。
教会の白壁。時を告げる鐘の音。
愛らしい花が咲き、どこからか甘い果実の香りがただよう。

(クロノスほど美しい街が、他にあるだろうか――)

目深にかぶった頭巾 (フード) を少しあげ、男は目を細めた。

(……といっても、私はクロノス城以外の都市を訪れたことがないのだがな)

口もとにかすかな笑みを浮かべながら往来をゆく、この少々気色悪い男は、
バフォラートと名乗っている。
駆け出しの魔術士だ。
当節、冒険者や賞金稼ぎといった職業は、決して珍しくはない。
燃える功名心と荒ぶる闘争心を粗末な鎧で包んだ彼らは、
宗教都市クロノスに場違いな活気をもたらしている。
危険な任務にわれ先に飛びつき、わずかな賞金で糊口 (ここう) をしのぐ、無謀な賭博師 (ギャンブラー)
その一人として、この男も若さを元手に刹那 (せつな) と退廃とに身を任せているのだった。

今まさに、冒険者バフォラート氏はベノムトゥーリント退治の報酬を握りしめ、
ひざびさにパンと水以外のものを口にしようと、城下の酒場へ向かっているところである。


<推奨>クロノスのBGMフォルダの2番を聞きながらお読みくださいw


喧騒から身を避けるように隅の席にかけたバフォラートに、酒場の女主人が近づいてくる。

「いらっしゃい、ブラザー。注文は?」

「あ、ええと……私は『今は』修道士ではなくてですね……」

シェリル嬢はくつくつと笑い声をたてた。

「知ってるわよ。その暑苦しいなりでこの店に入ってくるのは、あなたくらいのものだからね」

「はぁ、それは……そうでしょうねぇ」

「間違われたくないのなら、さっさと服を替えればいいのに。で、注文は?」

注文を取り終え去っていく後姿の、咲き誇る花のような美しさを目で追いながら、
(は) い回るドブネズミのような衣装の「魔術士」はため息をついた。
くすんだ茶色一色の、フードつきの衣をはおり、腰のところを縄で縛る。
このいでたちは、コエリス神を信奉する修道士のものだ。
そして従順・貞潔・清貧を誓った修道士ならば、シェリルの店のような
「いかがわしい」
場所に近づくことはないのである。


コエリス教団とは、文字通りコエリス神を信じ尊ぶ勢力であるが、
過去一千年にまでさかのぼるマクアペル教団との『聖戦』を通じて、
オラクル学会・カノン魔導学院・プラトゥニス城の聖騎士団などに代表される、
大小さまざまな組織を編入、吸収して巨大な連合 (ユニオン) を形成していた。
そういった組織の中にはいくつかの修道士会も含まれており、
彼らは神への情熱を暗い僧坊に押し込めることなく、『聖戦』の前線においてそれを発揮したため、
味方はもちろん敵からもその存在を広く知られていたのだった。

孤児として生まれた男は、ある会派に属するクロノス城内の大修道院で育った。
他の孤児たちと同じく「身を捧げた者」として。
神のために生き、神のために死ぬ――
それが当然だと教えられ、そして当然だと信じてきた。

あの「事件」があるまでは。

ほんの些細 (ささい) な、たった一つの出来事によって、若き修道士は信仰を棄て、神から授かった名を棄てた。
できれば服も棄てたかったところだが、あいにく僧衣以外の服を持っていなかったのだ。


「ごゆっくり♪」

料理と酒を運んできた自分より年上の(そう思われる)女性に軽く会釈すると、
僧衣の魔術士はさっそく鳥肉の香草焼きをほおばり、咀嚼 (そしゃく) した。
十数日ぶりかの肉の脂 (あぶら) と歯応えがもたらす悦楽を存分にむさぼる。


大修道院の塀を乗り越えたときに作った傷跡が消え、剃髪 (ていはつ) していた上頭部に黒髪が生えそろうころには、
自らを「バフォラート」と名付けた男は小鬼 (ゴブリン) を殺して日銭を稼ぐ境遇に落ちぶれていた。
初歩の呪文に格闘術、敵の特性についての詳細な知識、そして命のやりとりに怯 (ひる) まない剛腹さ……
結局は修道院で教え込まれた知識、技術によって自分が生かされているという皮肉に、
背教者は一人、唇をゆがませて笑うのだった。

(それでいい。神のために得た力を自らのために用いて……
私は私の持つ力のみで、生き抜いてやる……!)

額の高さに掲げた杯を満たすのは、神の血にたとえられる赤い液体である。

(なんとしてもながらえて……あのとき、至善を見棄てた不全なる神に、
その意志に、どこまでも逆らい続けてみせる……)

水で割った葡萄酒とともに、暗い決意が胃の中に落ちていった。


「ふぅ……」

皿とグラスに一片の肉片も、一滴の液体も残っていないことを確認して、
声にならぬ満足を吐息で表現する。
気付くと、すぐ背後でシェリル嬢が艶然たる笑顔をこちらに向けているではないか。
かたちのよい紅唇が開くよりも前に、バフォラートは嫌な雰囲気を感じとっていた。

「あなたにお願いがあるの……」




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