馬 耳 東 風

馬 耳 東 風

猫の恩返し

【猫の恩返し】

~1~
【猫の恩返し~1~】
 浩平は頭を抱えていた。
 いったい、何が起こったのだ?
 目の前の状況を飲み込めないでいる。
 浩平の目の前にいる、真っ白なワンピースを身にまとった、美しい少女をぼんやりと眺めた。
 年は、同じか少し若いようだ。
 何故この子は、オレのベッドで寝てるのだ?
 誰なんだいったい。
 浩平は、目を覚まそうとベッドから這い出し、洗面台に向かった。
 冷たい水で顔を洗いながら、昨日のことを思い出す。

~2~
【猫の恩返し~2~】
 昨日はいつものように大学から帰る道のり、大通りのど真ん中に猫がしゃがみこんでいるのを見つけた。
 浩平は、車が途切れたのを見計らって、猫を拾い上げ、道を渡った。
「危ないだろ。こんなところに居ちゃ。どこの子だ?早くお家に帰りな」
 そう言うと、猫はニャ~と鳴いて、浩平のズボンに顔をなすりつけた。
「腹減ってるのか?」
 ニャ~。
「仕方ないな。メシ食うか?」
 ニャ~。
 浩平は、アパートまでの途中にあるコンビニに立ち寄ると、猫缶を買って、猫に与えた。
「腹いっぱいになったら、お家に帰るんだぞ」
 そう言い残し、猫をコンビニの前に残して、アパートへ帰っていった。
 ところが、猫は、浩平の後をついてくる。
「ダメだ、ダメだ。ウチはペット禁止なんだよ」
 ニャ~。
 猫は、おかまいなしに、浩平のズボンに擦り寄って、放れようとしない。
「お前、鳴かないでいられるか?柱で爪とぎとかしないか?無理だろ?だからダメなんだって」
 ニャ。
 返事をしたように、小さく鳴くと、ズボンにすりより、抱っこをせがんでるようにも感じる。
「仕方ないなぁ~。今日だけだぞ。・・・誰か飼える奴見つけないとな」
 浩平は、猫を抱き上げて、ジャケットに隠すようにして、アパートの部屋へと向かった。


~3~
「全滅かよ・・・」
 浩平は、部屋に戻って、片っ端から友人に電話をかけまくってみたが、猫を飼ってくれそうな奴は、一人もいなかった。
 深いため息をついて、浩平のあぐらの上で、満足そうに寝てる猫を見やる。
 どうしたものか。
 明日、学校で聞きまわるしかないか。
 アパートへ入ってから、一言も鳴かなくなった猫を見つめながら、もう一度、深いため息をついた。
「可愛い女の子なら、大歓迎なんだけどなぁ・・・」
 浩平は、冗談っぽくそう言うと、猫のひたいを、優しく撫でた。


~4~ 
 翌日。
 これである。
 可愛い女の子が、浩平の隣に寝ていたのである。
「まさか・・・だよな」
 顔を拭きながら、ベッドへと戻ると、まだ寝てる美少女は、猫のように丸くなって、気持ち良さそうに寝息を立ててた。
 起こそうかどうしようか、少し迷ったあげく、浩平は少女の肩に手をかけて、軽く揺さぶってみた。
「んにゃ~・・・」
「!?」
 やっぱり猫!?
「おい。起きろよ。おいってば!」
 手に力を込めて、今度は大きく揺さぶってみた。
 少女は、目を開けると、猫のように伸びをして、浩平の顔を見て、また、
「んにゃ~」
 嬉しそうに、笑っている。
「お前、昨日の猫なのか!?ま、まさか、人間に化けてるのか!?そんなこと、起こるのか!?まさかだろ。嘘だよな!?」
 一気に頭が混乱した。


~5~
【猫の恩返し~5~】
「と、とにかく、鳴くな。ココはペット禁止なんだから。・・・お、落ち着け落ち着け」
 浩平は、自分に言い聞かせるように、頭を数回叩いた。
 今日も講義があるし、大学にこいつを連れて行くわけにはいかないし、でも、部屋で一人にさせておくのも心配だ。
 どうしよう。
「・・・コウヘイ」
「!?」
 いきなり呼ばれて、ビックリして振り返る。
 この部屋には、オレと少女しかいない。
「お、お前が呼んだのか?」
「・・・コウヘイ」
「お、お前、しゃべれるのか?」
「・・・コウヘイ・・・」
 最後は、ちょっと小さな声で呼ぶ少女。
 浩平の名前だけは呼べるらしい。
「そうだ。オレは浩平。お前、名前なんて言うんだ?名前ないのか?」
「・・・ナマエ、ナイ」
「そっか。野良だったのか。・・・シロ。これじゃ犬みたいだな。・・・白猫だから、ユキなんてどうだ?」
「ユキ!コウヘイ・・・スキ!」
「そうか、そうか。気に入ったか。じゃあ、ユキで決定な。なぁユキ。一人で留守番できるか?」
「ヒトリ、ヤ・・・」
「そうかぁ~。でも、大学には連れて行けないんだよ。あ、言葉を覚えるのに、テレビ見てろ。な、それなら寂しくないだろ?」
 変な日本語覚えさせるわけにもいかないので、浩平は教育テレビをつけると、ユキに見せた。
 ユキは、食い入るように画面を眺め、テレビの後ろを不思議そうに眺める。
「ユキ、これは、こっちから見るものだ。これで、言葉覚えてろ。いいな。学校終わったらすぐ帰ってくるからな」
 ユキは、画面をまた食い入るように見つめながら、うなづいた。


~6~
 学校が終わって、せっかく誘われた合コンまで断って、浩平は帰りにコンビニで、猫缶を大量に買って、アパートへ戻った。
 ユキは、まだ教育テレビを見ていた。
「ただいま~」
「おかえりなさい」
 ユキが、満面の笑みで浩平を迎える。
「お、さっそく言葉覚えたか?お腹減っただろう?昨日、猫缶しか食べてなかったからなぁ~。また猫缶買ってきたぞ。食うか?」
「いただきます」
 ユキは、猫缶一缶をぺろりと平らげて、まだ欲しそうに、缶詰をつついていた。
「食べすぎは良くないぞ」
「この格好、お腹空く。ユキ、もっと欲しい」
「そっかぁ。猫のときは、小さかったからなぁ~。じゃあ、もう一缶あげよう」
「浩平、大好き!!」
 目をキラキラさせて、缶を開ける浩平の手元をじーっと見つめていた。
 結局、三缶平らげて、ようやく落ち着いたユキは、腕を舐めては、顔を洗い、舐めては洗いを繰り返していた。
 しかし、人間になってしまってユキは、腕に毛がないので、上手く洗えないようだった。
 仕方なく、タオルを持ってきて、浩平は、ユキの顔を拭いてあげた。
 満足そうに、微笑んだユキは、あぐらをかいてる浩平の上に乗ろうとして、
「わ、なにするんだ!ダメだぞ!!」
 慌てて止められた。
「人間の格好してるんだから、ちゃんと自分で座ってなさい」
 ユキは、しぶしぶ布団に座って、洗い物をしようと立ち上がった浩平を眺めた。
「しかし、なんで人間になんてなったんだ?ココがペット禁止だからか?」
「ユキ、浩平に恩返しする。何がいい?」
「突然聞かれてもなぁ・・・。下ネタしか思い当たらねぇなぁ~」
「下ネタ?」
「あ~、いいんだ。聞き流してくれ」
「ユキ、浩平と一緒にいたい。でも、ココ、ユキダメ。だから人間になった」
 人間になったらなったで、大変なんだよ。
 と、心で浩平はつぶやいた。


~7~
 こうして二人の(内一人は元猫)生活が始まったわけだが、助かった事に、教育テレビのおかげで、トイレのしつけは大丈夫だったが、問題は風呂だった。
 一緒に入るわけにもいかないが、猫は元々風呂嫌い。
 仕方ないので、あまり頼りたくないが、不思議ちゃんで有名な芳香に頼むことにした。
 芳香は事情を全部鵜呑みにしてくれて、喜んでユキと風呂に入った。
 ユキも、芳香のことを気に入ったのか、あんなに嫌がってた風呂に率先して入って、芳香とキャーキャー言いながら、風呂を楽しんでる様子だった。
「ユキちゃん、もう全部一人で出来るようになったよ」
「おー、サンキューな。こんな事頼めるの、お前くらいだからさ」
「こんな不思議な話なら、いつでも大歓迎よ♪でも、ユキちゃんは、浩平君と一緒に入りたいみたいだけど」
 にやにやしながらそう告げると、思い出したようにポンと手を叩いた。
「そうだ!ユキちゃん、下着着てないわよ。どうして?」
「え!?そうなのか!?そんなの知らなかったよ。どうしよう・・・」
「私、買ってきてあげようか?」
「マジで!助かるよ、芳香」
「こんな時は、お互い様よ~」
 こんな時って、滅多にないだろ。こんなこと。
 飲み込んだ言葉をごまかすように、芳香にお金を渡して、買ってきてもらうことにした。
 しかし、今まで気付かなかったのも、変な話だな。
 まぁ、いつもユキは、浩平の足元で丸まって寝てたし、ボディータッチのコミュニケーションは、出来るだけ避けてたからなぁ。
 芳香の存在は、かなり助かった。
 浩平は、ドライヤーでユキの髪を乾かしてやりながら、ぼんやり考えていた。
 いつまで続くんだろうなぁ。


~8~
「浩平、熱い!」
「あ!ごめん」
 ぼんやり考え事をしてたら、ユキの髪はもう乾ききっていて、皮膚に風が直接当たってたみたいだ。
「浩平、大丈夫?」
「ユキこそ、大丈夫か?もう熱くないか?」
「平気だよ~」
「そっか。良かった」
 今の生活をずっと続けるわけにもいかないし、どうしようか。
 浩平は悩み続けて、ペット可のアパートはないか、捜すことにした。
 女の子だからいけないんだ。
 だからこんなに悩むんだ。
 はっきり言って、ずっと一緒だとおかしくなりそうだし。オレが。
「なぁ、ユキ。猫に戻りたくないか?」
「何で?」
「人間だと不自由じゃないかなぁって思って」
「不自由?何それ」
「まぁ、ずっと猫だったから、人間になるのも大変だろうと思ってさ」
「浩平が学校に行ってる間、猫に戻る時あるよ。でも、最近少なくなってきた。あまり猫に戻らなくなってきたよ。だから平気」
「・・・そっか」
 安心したような、ガッカリしたような。
 なんで、安心するんだ?
 浩平は、自分で自分が何を悩んでるのかさえも、分からなくなってきた。
 このまま人間のままって言っても、ずっと一緒にいられるか分からない。
 八方塞ってこういうこと言うんだろうか?
 いや、四面楚歌?
 まぁ、いいや。
 浩平は、自分の欲を隠し続けていけるか、忍耐力の勝負だと確信した。


~9~
 ある日、学校から帰ったら、ユキが、猫の姿で寝ていた。
 お気に入りの座布団の上で。
 なんだか、拍子抜けしたような気分になった。
 やっぱり猫なんだっていう安心感と。
 心にぽっかり穴があいてるような虚無感と。
 そーっと部屋に入って、荷物を降ろし、ベッドに横になった。
 浩平は、ベッドが急に広くなった気がして、ちょっとやるせなく感じつつ、これでいいんだって、自分に言い聞かせていた。
「浩平・・・」
 不意に、名前を呼ばれて、びくっとして起き上がる。
 そこには、人間の姿のユキが、丸まって寝ていた。
 どうやら寝言のようだ。
 その日から、寝ては猫に戻ってる姿を見ることが多くなった。
 やはり、人間になるのは、相当な気力を使うのか。
 寝ている時間も長くなっていった。


~10~
【猫の恩返し~最終話~】
「ユキ、もう人間にならなくてもいいよ」
「なんで?言葉も覚えたし、トイレもちゃんと出来るし、お風呂も好きになったよ」
「そうなんだけど・・・お前、疲れてるだろ?人間になること」
「そんなことないよ~。寝てるときは、戻っちゃう時もあるけど、寝てるときは鳴かないし。大丈夫でしょ?」
「あぁ。でも、人間になってても、最近のユキは、疲れてる気がする」
「そうかなぁ?ユキ鈍感だから分からない」
「猫はもともと鈍感だからな。痛みとかには」
「そうなの?」
「あぁ、そう言うよ。だから、これからは、猫のユキでいいよ。ペット可のアパートも見つかったし」
「でも、恩返ししてない。恩返ししないと、ユキ、人間になった意味ない」
「十分恩返ししてもらったよ。この数ヶ月、とても楽しかったし」
「ホント?」
「ほんと、ほんと」
「あ、下ネタは?しなくていいの?」
 思わず噴き出した。
「するとかしないとか、なんでお前が知ってるんだ!?」
「だって、ベッドの下に沢山あったから。裸の女の人」
「いいんだよ。ユキはしなくて。」
 浩平は、ユキの頭を撫でて、額を撫でて、気持ち良さそうに目を細めるユキを見つめた。
「これで、十分」
「でも、ずっと一緒にいられる?」
「うん。本当の姿のユキとずっと一緒にいられるよ」
「時々、人間になってもいい?」
「いや、それはダメ。ユキは、猫なんだから、猫の姿でいるの。これ、当然のことだろ?」
「そうだけどさ。芳香さんとも仲良くなれたのに」
「猫の姿で、今度は可愛がってもらいな」
「そっかぁ。そうだね。ちょっと疲れてるかも。ユキ、眠いの。ずっとずっと眠いの」
「人間の姿は、疲れすぎるんだよ。だから、猫の姿に戻りな」
「じゃあ、ひとつだけ。人間じゃないとできないから」
 言うが早いか、浩平は、急に近づいてくるユキに抵抗する間もなく、唇をふさがれた。
 キス、というものを、知ったようだ。
「えへ♪この前、テレビでやってたの。教育テレビじゃないやつで。一度やってみたかったの。好きな人にするんでしょ?」
「あ、あぁ・・・」
 不意打ちをくらって、なんとも言い様がなかったが、浩平は少し、胸が熱くなった。
「じゃあ、明日の朝からは、猫に戻るね。今日で最後。だから、猫缶3つにして♪」
「あぁ。いいよ。4つでも食べていいぞ」
「そんなに食べられないよ~」
 クスクス笑いながら、お気に入りの座布団にちょこんと座って、猫缶デラックス(ユキが命名)を待ちながら、嬉しそうに浩平を見上げてた。
 そんな、いとおしい姿を見たら、浩平は思わずユキを抱きしめていた。
「今まで、ありがとうな。最高の恩返しだったよ。これからもずっと一緒だからな」
「コウヘイ、ダイスキ・・・」

 3日後、ユキは、浩平のあぐらの上で、静かに息を引き取った。
 限界に気付いて上げられなかったこと。
 判断が遅かったこと。
 いろんな後悔が浩平の頭をよぎったけど、出来るだけ楽しかった毎日を思い出そうと目をぎゅっと閉じて、涙があふれるのをこらえた。
 楽しかった。
 振り回された毎日が、とても楽しかった。
 後悔したら、ユキに悪い。
 最高の恩返しをしてくれたんだって、思わなければ。
 浩平は窓を少しだけ開けて、風をユキにあてながら、しばらく、しばらくの間、ユキの額を撫でていた。







                             おわり


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: