5~そして、ワンルームネコへ



彼女が脱走したぽかぽか陽気の日は、高校の同級生の結婚式の日でもありました。

いついつにどこどこで結婚します、きてね♪というお便りは、ネコが脱走したからとてドタキャンできる種類のものではないことは、今ならば、分かります。
いえ、普通は分かっていて当然のことなんですよね、きっと。

その頃のわたしは、全く分かっていませんでした。その頃の自分の中の基本優先順位は、仕事→ネコ→その他でした。

凄い速さでヒョヒョヒョヒョーっと走っていくネコを、成す術もなく見送りながらわたしは少しだけ、現実逃避をしました、『五万が逃げた…これは夢である』。

夢なわけがないので、探すことにしました。

友人の結婚式への出席という、思えばとても大切なイベントと天秤にかけて悩むこともなく、裏山に入ってネコ探し。
大きな丸太が幾つも幾つも積まれている、その下の隙間から微かに『にゃぁ、にゃぁ…』と聞こえますが、どこから覗いても見えない。

呼ぶ、応える、姿は見えず、そして日が暮れる。

両腕で輪っかを作ったような直径の丸太を、どかせられる筈もなく、声はすれども姿は見えず、どこかに引っかかって出られないのかもしれない、いやそうに違いない、帰ってくる体力など残っていないかもしれないと絶望的な気分になりつつ、暗く部屋に戻りました。

心配で、心配で、それでも夜になるとわたしは寝てしまいます。
次の朝になっても気分は暗い、それでも仕事は待っている…。

暗く仕事を終えて帰ってきたら…

彼女も帰ってきてました、ベランダに。

ガラス越しに白い影が見え、『にゃあ』という声が聞こえ、戸を開けると当然のようにヒョコヒョコと入ってきて
箱の中で丸くなる。

包帯は泥だらけで、ヨレヨレ。

わたしの頭の中に『?』が増えてゆく。

引っかかって出てこれなったのではなく、ただ出てきたくなかっただけ?
久しぶりの外を満喫したかったの?
帰ってきたくなったから、帰ってきた?
骨盤、ネジで留めてるのに?右足だってリハビリ中で、まだ動かないのに?
こんなにこんなに重症なのに?
ネコの我が道加減には、全く頭が下がります。

しかし、これを教訓としてわたしは今迄以上に守りを強化しました。

通院用ダンボールを内側から押し開けようとする力も強くなり、無事に抜糸が済み、あれも必要なくなってしばらくすると、彼女はあまり外に出ることを好まないネコに変わり始めているようでした。

いえ、本当は脱走したときにほんの少し感じたのです。
恐怖を覚えているのではないかと。
ネコの脳の仕組みなど、分からないのですが。

事故に遭う前は駐車場や前の道など広い場所にいつも出ていたのですが、脱走した時、彼女は全く道に出ることなく、そのまま裏山へ入ってしまいました。

そして、彼女の『絶対道に出たくない』主張は、より強化されてその後も続いてゆきます。

彼女の行動パターンは、ワンルームの中で人間ひとりとネコ一匹で暮らすには丁度良いように、変わっていきました。

右足はとうとう動くようにはなりませんでしたが、後は順調に回復し、鍵尻尾を揺らして、ヒョコヒョコ歩く姿も愛らしい。蚤駆除をし、虫下しを飲ませ、一緒に寝る。

わたしがフルートを吹くと、見上げて抗議。高音Fを越えると、向こう脛で爪を研ぐ。

痛い。

ももたと暮らし始めた頃、先輩に『一人暮らしの若い女の子が、ネコ飼い出したら終わりやん』と言われ、何のことかと思いましたが、先輩の予言通りに順調に、ネコとの幸せな暮らしが築かれていくようでした。

そして1年が経ち、親の『帰ってこ~い、ネコ付きでよいから(但し一匹まで)』という熱いリクエストにお応えして、つれみと共に2年間実家で暮らすのです。

つれみにとっては、初の土地。しかも、何だか田舎、身を隠せそうな草むら多し。

そしておそらく初めての一軒家。

とりあえず、脱走してみたくなった気持ちも、分からないではありません。



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