全161件 (161件中 1-50件目)
職安から面接に来た人の履歴書と障害者手帳を見ます。学歴には 県立養護学校小学部卒業 県立養護学校中学部卒業 県立高校通信制卒業 ニチイ学館医療事務通信制終了障害者手帳は一級でした写真はセピア色で小学校低学年ぐらいのわんぱくそうな「くそがき」が笑っていました養護学校の小学部に転校する前の写真だそうです。「彼のいちばん好きな写真」 来月から働いてもらいます。
2009/05/09
コメント(2)
お知らせです。K市とJR九州の協力をいただいて、22日付で、SG県K市のハローワークに求人の依頼をしました。求人条件は性別年齢不問、障害者手帳(障害種別軽重不問)所持者。ただし発達障害は手帳が無くても可。期間限定(6か月)、延長あり(最長3年)、雇用保険加入etc です。K市の近郊のかたで就労を希望される方試してみてください。 ブタ
2009/04/24
コメント(2)
先日、SG県で開所する施設で働いてくれる新人さんがこちら(S市の某作業所)に見学に来ました。 見学を終えた夕方、新人さんがこちらの職員たちに「この仕事をしていくうえで問題や何か困ったことはありませんか」と質問しました。 職員1 「元請けの発注担当者が朝礼暮改に困る。」 職員2 「最近、受注が増えて新しい仕事をこなすのが大変」 職員3 「社長(おれか)にアゲアシを取られないように気を使います」 職員4 「もっと広場所で仕事をたくさんしたい」 etc「いえそうでなくて、利用者と接触するうえでの注意点なんですけど」 職員1 「べつに・・・・」 職員2 「う~ 」 職員3 「とりたてては 」 職員4 「働いてくれてればなにも言うことはないしみんな働いてるし」あとで本人に確認したところ利用者との接し方についてのアドバイスを求めたようです、つまり障害者の仕事のフォローは2つの仕事が並行していてここは大変な職場ではと思っていたようです。職員たちは障害者と接触している事に新人さんに質問されて思い出したようです。働く障害者は健常者に障害者である事を忘れさせます。 とっても上機嫌な今日この頃です。 PS写真のアップ(勉強中)ができるようになったらSG県の映像を紹介します、 移行支援と継続支援で中途、精神、難病に特化した施設も併設です。
2009/03/21
コメント(0)
「働きたい者には等しく機会を与える “障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(1) http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090114/182649/ 厳しい数値目標が国営企業を鍛えた “障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(2) http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090115/182792/ 弱者を変えた冷徹な合理性 “障害者団体”、スウェーデン・サムハルの驚愕(3) http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090116/182922/ 強い国を作った「人を切らない」思想 “障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(最終回) http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/ 日経より 嬉しいけどなんだか悔しい
2009/02/08
コメント(4)
そういえばウチのA君はすごいのです。1万個を数えることが出来るのです、空で一万を数えるのではなく一つずつ一万です。かつて一万個のパーツの入った部品を入れ物ごとひっくり返したので作業台の上に広げて一万個を数えさせ、それを箱に戻させたのです。数えたものは数量計で計測して数えなおし確認、職員が数えてもう一度確認(これは2回)結果、彼は職員(2回とも間違えた)よりも機械(品物の重さにばらつきがある)よりも正確でした。それ以来出荷前(急ぐ時ほど)の数量検品の最終検査はA君です、「絵」にはなりませんが飯の種になるプチサヴァンだと思うのですが。 ブタ
2008/09/17
コメント(2)
夏の実習は終わりました。3人の実習生はそれぞれ何かを持って帰りました。一人は私鉄を使って2回の乗り換えで約1時間の単独通所を達成し、一人は自分の行動が他人を不愉快にも愉快にもさせ、愉快にさせれば「受け入れてもらえることがある」ことがうっすら遠くに見えてきたようです。そして一人は言葉以外でも意思の疎通が可能でそれを伝える方法に指先が触れたようです。3人は週に一度施設を利用しているコの背中を見ながら成長したようです、既存のメンバーは遠すぎてもすぐ直前の背中にはついていけます、彼とその母に感謝です。3人のうち2人はお金の「色」を学習してもらいました、「貰う金」「拾った金」「働いた金」です、「働いた金」で初めて自分で買う自販機の飲み物、ほとんどの人が大昔に経験しもう忘れた感動です、些細な経験かもしれませんが私は大事だと思います、自立の用件の一つは金銭管理がありますが最初に使う「金」は自分で働いて得た「金」であるべきです。 また職員にとっても大変有意義な夏でした「彼らからは微細な信号が出ています」その微細な信号を採れるようになって来ました、週一のコのおかげです。不老不死ではない私にとってとても嬉しい夏でした。 ありがとうございました「ブタ」
2008/08/30
コメント(3)
いきはよいよいだったのですが、帰りも「単独」で通い始めました。夏の課題「公共交通機関利用の通所」達成です週末にもう一人の結果の報告します うしゃしゃです。
2008/08/28
コメント(0)
「やりたがってるんだからやれせればいいでしょ」 ったく魔女がそういうので実習生のすべてに計量をやらせています。良品だけを箱から取り出し、10個数え、袋にいれ、口が広く浅いコンテナに60袋ずつ入れコンテナを5段づつ・・・・・・ N君、F君、そしていまはS君が。(そのスピードはパートさんよりやや速い)箱詰めの前工程と検査です、独語は少なくもジャンプも無く粛々と・・・・確かに魔女のいうように嫌がる様子もなくややもすれば嬉々として 「う~ん」「必要なときに必要なものを必要なだけ」 by魔女魔女に弟子入りしようかな。
2008/06/23
コメント(0)
「しんどいけど12時までします」 「しんどいけど3時までします」 「しんどいけど3時までがんばります」 先週のO君は苦手な仕事を5分ほどした後に体調不良を訴え2日続けて休みました。今週の3日間のあさの申告(彼はその日の目標就業時間を朝申告します)の内容です。あさ家を出るときにしたであろう祖父母との会話が目に見えます次は所内の誰よりも劣っているシゴトを割り振られて体調不良になるまでの時間を申告してもらおうかな。
2008/06/11
コメント(0)
「S君は新人実習生がいる間は世話がないですね」 うん「新人が3時に帰るとまた世話をかけますね」 うん「どうしてですかね」 お兄ちゃんしてるんだろじゃあ・・・・・ 新人がてこずってる仕事(2日でも終わらない)をS君を呼んでやらせて見ると出来ました。S君を元の持ち場に返してから新人にやらせるとS君と同じやり方でてこずらないで出来るようになりました。 新人の手本にS君が人の技術の基本は模倣と学習と完成(完遂)への欲求ですね。ウエルカム「大人の世界」へ。
2008/05/31
コメント(1)
「帰りました、つぎはなにしましょう」 初めての集配から帰ったO君がスタッフに報告する大きな声がしました。集配先は市内の入所施設です、集配担当の職員が運転助手としてO君を連れて行ったのです。魔女のアイデアですが自分の将来の選択肢の一つを自分で見ることも良いかなと。入所施設は基本的には利用者が単独では外出できません、個室の出入りも勝手には出来ず、消灯時間も厳しく有ります、基本的にはナチ型と陰口を言われるものが多いようです。スタッフはO君に、「一緒に暮らしてくれる人がいなくなったらこんなとこしかない」と説明したようです。一人暮らしの障害者がご近所の誰かが心配(通報)したら行政の保護手段として入所施設の利用が一番多く、障害者個人の資産状況にはあまり関係がないところまでは説明しなかったようですが、基本的には障害者の独居しているフリーターはあまり居ません。ご近所が心配しますから、ただしこんなことがおきるのは保護者が居なくなってからです。独居の障害者・・・・・ 兄弟がいたとして配偶者の理解をえられる兄弟がどのぐらい居るでしょう、そのこと自体が兄弟の負担になるのでは。O君が自立への階段に気がついてその前に立つことを選択してくれること、働く限り自由で居られること、その力が自分に備わっていること、すこづつ刷り込んでいきます。
2008/05/23
コメント(1)
今週のO君は午前中です、祖父母との交渉の妥協点でしょう。昨日の彼は退社時に音もなく消えました、いつもなら必ず「お疲れ様でした、お先に失礼します」 と帰るのですが。出荷時に魔女から数量が変と報告があり、元請に連絡して納品したものを持って帰り容器から製品を総て作業台に並べました。 作業をしたA君がおびえてキョソキョソ。作業台の上には容器の中身の製品、製品は同じ箱で品番の違う(左右、2種類)の箱が並んでいます、ラベルを確認すると並んだ一方の中に一つだけ反対側の箱が・・・・製品を入れるときは2種類の箱は別の作業台に載せて有り物理的に混入することはムリ。そして作業をしていたのは、昼に帰った彼一人。O君の前の職場での仕事は出来上がった寿司折に生姜を入れてフタをすることでした。あるとき彼はとしか思えない状況で生姜を入れずにフタをして作業主任が気づくまでそれを続けていました、主任は始末書と減給でしたが彼にはお咎め無しでしたが、主任から他所に良いところがあればいつでもそこに行っていいよとお祖母ちゃんお話がありウチに来ました。 会社はお祖母ちゃんに生姜事件は知らせていません 彼がやめた後、会社は障害者の雇用を控えています今朝、O君は作業台の上の製品を見たとき気のせいか青くなっていました、容器に製品を入れることを命じると、脂汗をかきながらいつもの倍のスピードで入れていました。不憫だからと本人の家族に真相(推測にせよ)を伝えずに済ませることはしません、もちろんおきたことについて本人を咎めもしません、やるべき事からは逃ても終わらないこと、そして誰も後始末してくれないことを体感してもらいます。いつものように・・・・それが働くということです。
2008/05/22
コメント(0)
昨日O君はお休みでした。今朝はお祖父ちゃんが孫の襟首を捕まえてつれてきました、「もう来なくていいと言ったのですか」 <いいえ>「そう思いましたけど孫の目の前で確かめたかったので、で置いて行ってよろしいですか」 <どうぞ>「やっぱり嘘やないか、働くか母親のところへもどるかどっちかやどうすんねや」『一生懸命働く』「あたりまえや」「ほんならお願いします」 <はい>お祖父ちゃんの小さい背中が毅然と大きくみえました、お祖父ちゃんが通りの向こうにみえなくなるとO君はめそめそ泣くのをやめて始業まえの時間を歓談していました。
2008/05/16
コメント(2)
O君はやがて此処へきて1年になります、春先の風邪がながびいて3日ほどお休みしました。出勤した彼は具合が悪いからと就業時間中もベンチでいましたが、休憩時間はいつもどおり同僚達にまじって歓談しています。 具合は大丈夫かと訊くと「だじょうぶがんばります」と答えて、休憩後はまたベンチにもどりました。 よく日もベンチスタートでした、休憩時間に彼が同僚に合流しようとしたときそれを止めました「具合がわるいのならずっとベンチで休んでいろ」「喫煙所に近づくな」と指示しました<大丈夫元気です>というので、では「もう暫く休んで休憩後職場に戻れ」と指示すると固まりましたややあって<具合がわるい>から働けないないというので「休憩時間は働いた人間に与えられるもので、ベンチで休んでいるものは具合がわるいのだからひたすらひとりでやすめ」今度は凍りつきました夜お祖母ちゃんから電話がありました、状況を説明し、彼には「職場は友達を作ることより働くことが優先する場所だ」 と伝えるようにおねがいしました。O君は今日もお祖母ちゃんに家を追い出されて此処で働いています。
2008/05/13
コメント(0)
週末の岩戸君はハイです。明日は仕事をしない日は朝からうれしくて着る物もピンク系(本人はピンク大好き)足元はサンダル、キーホルダーは「クマちゃん」、水筒はピンクの絵柄(少女趣味)。ふとした魔女との会話で「あいつのサンダルはあぶないよな」 <注意したの> 「いいや週末は何をいってもきかないから」 <でもやってみれば> 「だね」先週、週末の前日の終礼時に「あしたサンダルでくるな」っていったら暗い顔になって返事をしなかった。よく日の朝礼時に足元をみたら靴をはいている 「靴をはいてるな」って声をかけたら迷惑そうにそっぽを向きました。 なので毎週末の前日には「あしたサンダルでくるな」って言うことにしました。 どんどん進化しています 「うっしゃ~」 でした。
2008/05/08
コメント(0)
I never saw a wild thingsorry for itself.A small bird will drop frozen dead from a boughwithout ever having felt sorry for itself. 働く彼らを見ているとふと映画の台詞を思い出します。
2008/05/02
コメント(1)
此処を始めた動機に、働く障害者を紹介する様々な機関への不満がありました。その不満を解消して、雇用側から望ましい働き手としての障害者が欲しいというのが有り、それらを少しでも軽減する訓練をする施設の設立を自分で・・・ でした。「健常者(雇用側)の為の障害者施設」です、2年めの途中まできてそれなりに成功していると思います、次は障害者と健常者の緩衝地帯となる企業の立ち上げですがどうなのでしょう。実習の嵐のあと最近M市の障害者団体(主に身体)の代表の方の訪問を受けました、氏は不惑の年代でもあり、私の難解な屁理屈にも倦まずに話をしてくださっていたのですが、氏の障害の関連もあって「働く」とう言うことをただの一度も考えた事がなく、雇用側に対して「略奪者か簒奪者」という程度の認識しかないこと認めていました。 人権団体の代弁者として半生を過ごしてこられた氏には此処は、月より遠いところらしかったようで、随分と混乱しておられましたが、私にとってはときどき訪れる福祉施設関係者よりは全体像を把握し様々な意見交換ができました。 かつてここで視覚障害者用の作業用治具を開発し施設に持ち込んだおり、施設職員に門前払いを受けた話をしたとき自分達(視覚障害者)は働くことをほとんど考えないことを吐露され、認識を新たにしたいとおっしゃっておられ再訪を約束して帰られました。 もう一度、初心に帰り此処の卒業生が健常者に混じって社会生活を送れるよう、健常者に不快感を与えないように自然に振舞える障害者を送り出していきたいと思う今日この頃です。「健常者のための障害者施設」 ブタ
2008/04/13
コメント(1)
久しぶりの悪戯です。岩戸が路線バスで遊んでいるのを見たと取引先の事務員さんに聞きました。信号で止まっている路線バスの前(路線バスだけ)を横断するとき、運転手に向かって手を振り、踊りふらふらと信号が変わっても、ふらふらとしていたそうです。しかも一度ならず頻繁に。夕方、帰るとき私と魔女が呼び止め「バスで遊ぶな」 「・・・・はい」 (こんなときは目が素になっています。)普段は言葉は明確でないくせにこんなときだけは明確に返事をします。あとでもうやらないかなと魔女に話したら「絶対わざとやってるし、ばれたらもうしないよ。 でもバスが嫌いなのかもね」そういえば一時期バスで通勤していたのに今は電車です、バスが嫌いになる何かがあったのかな。倦まず、飽きずにとぼとぼと行きます。
2008/03/13
コメント(1)
ナイロン手袋(正確な呼び名は知りません、ゴメンなさい)を軍手のしたに装着する。K商会さんから来た新しい仕事は手に油がつきます、滑らないように軍手をつけてするのですが2日ぐらいで軍手は交換して古いのは廃棄して新しいのをおろします。ですがチビ太は同じ軍手を使い続けています、油と汚れでビタビタなんですがずっとずっと同じです。食事の前手を洗うときチビ太が軍手の下にナイロン手袋をしているのに気がつき、「それどうした」と訊きました。ニヤっと不敵に笑って返事をしません(もともと片言しか話しませんが)。ナイロン手袋は自前です、給料日のよく日には新しい買い物を私に見せびらかしに着ていたのですが、今回は仕事の道具です。買いたいものが思いつかなったのかどうか、とにかく 「貰った給料で仕事の道具を買う」って、おまえは 職人 か 他のコがティッシュでも何でも必要以上に使って、叱られのをみて、使い捨てをするコは悪いコとでも思ってるんじゃないって魔女がいうのですが。 そうかな~今週は6日ありました、仕事を早く切り上げて全員、早帰りしよう
2008/03/08
コメント(3)
朝、O君が今日から4時まで働きますといってきました。なんだ、どうしたと思いましたが、祖父母の強い強いパワーを感じます、いや本人がやる気がでたのか、もしそうだとしたら・・・・ この世の終わりか。冗談はさておき、そういったO君の顔は凛としていました。此処に自分の居場所があると思ってくれていたら へっへ~ですね
2008/03/03
コメント(2)
Y氏の出稼ぎが始まります。わめくぐらいはできますから。隣の市の警備会社に出稼ぎです、不随意の部分をカバーしながらの移動、動作、挙措の訓練の途中ですが、現場で実際に働きながらの訓練にしようということで始めました。すべてのチャンスを捉えます、次などない。
2008/02/25
コメント(0)
初めて私達(私と魔女)が一緒に働いた障害者はA君でした。障害判定がAで大腿部骨格の形態異常とかで歩行が少し困難でした。オカンの期待に応えたくて必死で私達についてきて今に至って、支給は7万円を超えています。「此処に来るだけで十分」彼を雇うと決めた魔女の雇用基準です、今でもこの基準は変わりません、電車の通勤やスキルには何の条件も有りません。此処に自分の力で来ることが出来れば十分です。「此処に来るだけ」と「オカンの期待」で自立へのステップ「稼ぐ」ことはクリヤーできます。作業所ってそうあるべきです。
2008/02/19
コメント(2)
今日は、〆日の関係で仕事も少なく風邪のせいの欠勤もあったので、昼食のあとご早仕舞いでした。そこで、サービス管理者に引率されて他所(作業所&入所施設)の見学に私以外の職員全員が出かけました。それぞれわくわくして出て行きましたが何を観て帰って来るか楽しみでしたが、いまやっと帰ってきました、私も風邪気味なので見学の感想、報告は又明日します。
2008/01/25
コメント(0)
関西のどこかの施設で利用者に対して職員が暴力を・・・と言うニュースが流れたことを魔女に聴きました。「やったほうもやられたほうも怖かったろうな」っていうのが感想でした。そういえば職員がやられたってニュースは見たことが有りません、報道するかしないかはマスコミのサジ加減らしいけど、利用者が職員に暴力を振うことが無いからなのか、読者の知りたいことではないからなのか・・・暴れる末期がんのバアチャンでも本人を傷つけないように抑えるのは大の男が4人掛かっても大変でしたけど。
2008/01/22
コメント(1)
なんとなく実習生は岩戸君をライバル視しているようです。実習生はかなり作業能力が高いと踏んでいたのですが予想以上に高いのです周りの状況も現役のメンバーよりも正確に把握しているのですが・・・がやれる仕事が限定されているのです(自分で決めているよう)つまり、岩戸のする仕事ならば完璧にこなしますが他の仕事は拒否しています。模倣なのか、凌駕したいのか鮮明にはなりませんが、岩戸の後ろにぴったりくっついて仕事を覚えていきます。なので岩戸は新しい仕事に取り組まされています、だって一人に教えたら二人がおぼえるのですから、結構面白い現象です。初めて目にた光景です、教えられる岩戸を距離を置いて実習生が目のはしで凝視しているのです
2008/01/10
コメント(0)
沈黙の戦いはそれとして、実習生に機械を使わせ始めました。クランプを左手で押さえ、エアーラチェット(自動車のタイヤをはずすあのうるさい奴)を右手に解体作業をこなしています。おもしろいことに休憩から作業に移る動作が年末より速くなっています、機械を使うのがちょっとした大人気分のようで率先して作業に取り組み始めているようにも見えてなんかかわいいしかも作業中の独語が極端に減ってきました、このコは機械を使うのが好きなのかも。
2008/01/07
コメント(1)
おめでとうございます。激動の一年がすぎ、何とか容がつき始めました。去年は結局自分ひとりでは何も出来ないことを、改めて思い知った一年でした。また障害者の保護者の思いや、姿勢についても知らないことの連続でした。今年は心機一転(たぶん)当初の目標に向かって足元を確認しながら漸進します。長くも無い命がいつ逝ってもいいように。
2008/01/01
コメント(5)
実習生と岩戸が作業台の脇で固まっていました。実習生は手動のラチェット、岩戸は電動のラチェットを使ってPクランプのバラシ作業をしています、当然のこと岩戸の作業スピードは実習生の5倍ぐらいです。そこで実習生は岩戸の電動ラチェットに目をつけ貸せとばかりに岩戸の手にある電動ラチェットに手を掛けます、岩戸は抵抗はしませんが譲るわけでもなく電動ラチェットから手を離しません。引き合うでも無く揉みあうわけでもなく・・・じっと固まっていました。公園のブランコなら順番があるかもしれませんが、このコたちの多くはそれすら「どけ」「よこせ」そして譲ってもらうことは当たり前なのですが・・・・実習生はだまって電動ラチェットに手をかけました、岩戸の経験則では此処での教育「道具を人に貸すな」が刷り込まれているので、「貸せ」「よこせ」に対しては「いやん」(お母さんの口調そのまま)と答え断固として道具を譲りませんが、だまってただてを置かれ見つめられるのは初めてのようで、二人が電動ラチェットに手を置いて固まっているのでした。此処では道具は此処の能力に応じて使い分けます、一番の理由は危険だからです。電動ラチェットに関しては岩戸以外のコが使うのはかなり危険です(手首を挫く)ですから要領を覚えるまでは使わせません道具機材とはそういう物です。家庭や学校では順番を守り譲りあうことを教えます、でも作業現場では概ね他人(自分以外のすべて)に道具を貸すことはありません、また貸せと頼むことも控えるべき行為でしょう、他人の持ち物(道具)は借りたり貰うものではないことを早い時期に教育するべきだと思うのですがどうでしょう。
2007/12/27
コメント(1)
夏に来た実習生がまた来ています。作業はK商会のPクランプのバラシをやっています。大体10分ぐらいでラチェットの使い方をおぼえ、シャカシャカとナットをばらしています。夏とおなじで要領を覚えるまでは、歌い踊りしていましたが、作業が出来るようになり仕事が前に進み始めるとしだいに落ち着いて作業しています。あの学校の教育のおかげなのだと思うのですが、要領を飲み込むまでの体力があるようです。仕事を覚えることにも体力、継続することも体力、人生は体力です。
2007/12/26
コメント(1)
お久しぶりです、引越しと月末と年末の三連波のしわ寄せがブログに集中して随分と永い休みなってしまいました。でも生きてます。引越し後に心を入れ替えて、事業所の売上を上げる為に仕事の量と密度をともに上げたら障害者より健常者(職員)が先にへばりました12月に入って2人の職員が退職しました、理由は様々ですが要約すると、此処にきたのは障害者の為に働くためで、障害者と同じように働くためではないらしいですここの障害者は一般の工場と同じレベル(少し高いかも)で働けるよう訓練してきたのですが、灯台下暗し健常者の方が其れについていけませんでした辞めていった人や、たの事業者の職員の意識としては、障害者の面倒を見る仕事に加えて一般の仕事もこなすという此処は問題外らしいです残った健常者にたいして、此処の仕事は「障害者の面倒を見ることではなく、障害者と一緒にはたらく事」と再確認しましたが。障害者が普通に働くことがニュースにならない世の中にしたいものです
2007/12/24
コメント(4)
道具に限らず、障害があるといわれているコが作業を習熟する為には時間が必要です。障害の軽いコは時間を掛けるだけでは理由を構えて「出来ない」と学習そのものを放棄します。障害の重いコは出来ても出来なくてもそれを続けさせてもらえる(放置ではありません、かならず職員の誰かが少し後ろから見ています)環境に順応し学習を楽しみ始めます、つまり自分が納得するまでやらして貰えるということです、ですから根拠も無く褒める必要はありません。障害の軽いコは一緒に手伝ってもらい、褒められることを求めます。社会では出来て当たり前、其の評価の代償が賃金です。出来の善し悪し、出来高の多寡に関係なく褒められる職場は有りません。学校や作業所で中途半端なエリート意識を持つ障害の軽い子の方が社会に出たときに挫折感にさいなまれるのはそのせいもあるのではないでしょうか。ここでは障害の重いコはほとんど挫折しません。療育手帳が超Aのコが出来るようになったと本人に伝えるときの喜びは此処だけのものでしょう。岩戸君が重量が5キロもある電動ラチェットを操作しながら仕事を積み上げていく様を彼の母親に見て欲しいです。障害の重いコほどへこたれません、だって経験したことが無い世界で思う様に動き回れるのですから、おしゃべりやうろつく暇などありません。そうやって作業の基礎、基本を身につけていくのは絶対に重いコの方が多いでしょう。
2007/11/29
コメント(2)
ラチェットが使えないコがいます。K商会の仕事なんですがボルトからナットをはずすのにレンチは使えるのにラチェットが使えないコがいます。重度のコは半日で使えるようになったのですが、軽度のコは3日めでまだ使えません。ラチェットをレンチのようにくるくる回しています、時間が掛かっても善いからとラチェットを使わせますが使えません。レンチは2つの動作なのですが、ラチェットは4つの動作だからでしょうが、重度のコは感覚(身体)で道具の使い方を習得し、軽度のコは理屈(知恵)で使おうとしているようです。知恵は経験の上に積み重ねないと実際には役に立ちません。いきなり箸が使えるコが居ないように、ラチェットという便利な道具を使うためには、様々な道具を使う習慣と経験が無ければ習得するのにとても時間が掛かります。考えることと行動することがシンクロするようにしなければ。
2007/11/27
コメント(3)
バカ止きわどい表現ですが、多くの職工の現場でバカ止めと呼ばれる治具があります。簡単にいうと線を引くときの定規のようなものです。此処には沢山有ります、精度の高い製品ほどバカ止めがたくさんあります、バカでもこれを使えば精度の高い製品ができるというわけですが。実際の作業現場では熟練工ほどこれを使い、生半可な職工ほどこれを使いません。使わなくてもデキルと思い上がると「面倒だから」「そんなものに頼らなくても」とそれが名人芸だとを勘違いしはじめます。バカ止めほ使って製作するものは使うのが基本です、雇用主が其れを望むのは当然ですがそれを使わない職工を叱ることは比較的少ないでしょう(理由はさまざま)。障害者に作業をさせるとき、当然バカ止めを使用させます。そうして精度の高い仕事をさせるのですが、手順として覚えると毎回そのようにします(ほぼ獲実に)すると毎回精度の高い製品ができることになり、不良品が市場にでません。障害が重いコほどこの傾向がつよく軽いコほど手間を省きます(より健常者に近いということでしょうか)。さて雇用主にとって、おしっこを時々ちびるけど制度の高い仕事をする職工と、おしゃれで世渡り上手だけれど、雇用主のいないとき時々手順を省く職工と二択ならどちらを雇用するでしょうか。
2007/11/20
コメント(1)
今週、大手建築金物のK商会の購買発注関係の人が見えて施設の見学に来ました。中国に発注した品物が規格が違うので手直しの以来先を探していてウチの元請の噂を聞きつけて来たようです。作業工程、納品方法の説明をひとしきりした後、現行のライン以外の受注が可能か同化の判断の後に発注するかどうかを連絡を下さるとのことで帰られました。夕方電話があり当初5万個の発注予定を他社への発注もこちらでして欲しいということになり20万個の発注になりました。・・・・・これが健常者値段に手直し手当がついてとてもおいしい仕事になりました。今日試験稼動して月曜からはじまりです。元請 <此処が作業所だとばれなかったね> なんのことです<障害者が仕事するっていうたら、まともな仕事が取れないし、もしもらえてもねぎられるからな> まあね<だから最近そっちに回す仕事は障害者とも作業所とも先方に言ってないのや> へー<仕事だけ見せてたら仕事になるしそれでよかったんやけど、さすがに大手は現場を見せろって言われてどきどきしてたけど、ばれなかったな~> 休憩時間にならなくてよかったですね<うん、休憩時間はただの障害者やもんな>最近、福祉関係者以外の見学がふえていて仕事もとりあるかなくても増えてきているのはそのせいだったようです。此処に見学にきた得意先は障害者が働いていることを知らないし、説明してからはじめて固まります。福祉関係者はスタッフと利用者の区別がつかなくなっています。重度は初めから問題ありませんし、軽度の障害者についても訓練が行き届くとさらに見分けがつかなくなります。就労中に障害の有無は関係ありません。
2007/11/17
コメント(3)
障害者が仕事ができるのかという問題です。前段としてうちのコ達は働いていますが、外来の見学者はとても軽度で能力が高いとかってに納得して帰られます。養育手帳はAあるいはB1であるといってもS市の判定は甘いからと、私の説明に取り合ってくれません。彼らの障害が重いか軽いかの判定は別として手帳の状況はAあるいはB1です。作業所になる前(町工場時代)、重度と言われるコの方が扱いやすく仕事も良くできたことは間違い有りません。さて雇用側が従業員に何を求めるのでしょう。人柄の良い人でしょうか、仕事のできる人でしょうか。両方を兼ね備えた人が最高ですが労働者の総てがそうでしょうか、雇用側の本音として、ほとんどの従業員に対して何らかの不満を持っていると思います。完璧な人はいないのだからとある程度のことには目をつぶっている雇用主が多いのではないでしょうか。雇用主が従業員に対して求めるものに優先順位をつけるとすれば多分、完全なトレース、つまり雇用側の支持どおりの製品を作ることができる職工でしょう。一生懸命では有りません、雇用側にとっては成果でしか判断したくない筈ですが其れを口にできる雇用主はあまり居ません。このことは雇用主さんしか理解していただけないと思います、つまり一つの象です。私は重度障害者(知的)が労働力としては健常者より適合しやすいと思っています。
2007/11/16
コメント(3)
写真で見ても、考えても象は解からない。どうして障害者を抱えていない人の話を真に受けるのでしょう。障害の種類は障害者の数だけあり、苦悩の種類と数は人の数だけあります、象と暮らす人が象の一部しか見ていない人の話を聴けるのでしょう。たしかランナーの予告編のワンカットで、「だからダメなんだ」と喚くコーチに「育ててもいないあんたに何がわかるのよ」って母親が怒鳴り返すシーン。障害者が見ている物に興味をもつことは必要なことですが、理解は出来ないことを受けいれることが出来なければ彼らとは暮らせません。経験や実績の無い教訓、偶然を必然と勘違いした自慢話。これまで書けなかったことを書いて、それが尽きたらこのブログを閉じようかと思っています。「此処へ来たら何とかなる。 来たときは二人で、それからは一人で歩いていける場所」と約束できる場所に。私は自分達が手伝った24人分の象しかみて居ません。
2007/11/14
コメント(0)
困ったことに彼のうちには悪いやつは居ません、全員がいい人です。でも初めて、姑に楯突いて彼を此処につれてきたのは母親でした。三人兄弟の長男として生まれたのですが妹たちとは待遇が違いました、初孫で跡取り(死語?)の誕生に有頂天となった彼の祖母は両親から孫を取り上げ責任をもって丹精こめてかれを育て上げました。彼は面談の中でこのまま社会人になることに虚無感を覚えること吐露しました。自分の進路はこれでよいのかとの考えにとらわれ、また進路(大学について)は祖母が独断できめ其れに対して何も言わない両親に絶望して・・・・自分のために総てをかける祖母、祖母に対する遠慮で無関心を装う両親、兄は甘えているとしか理解しない長女、お姉ちゃんが嫌いだから兄ちゃんが大好きな次女。不幸な家庭でしょうか?垣根に登って落ちなければ高いところでは気をつけることを知りません。職員によく「象を見たか」とききます、起源は南北戦争にまでさこのぼることができる米軍の古い言い回しで、実戦を経験したことのある無しで総てが違うという意味です。ここでは「象を見せろ」と職員に指導します、つまり失敗するまで放置させます。殆ど口頭では注意しません、できるまで何度も何日もただじっとみています。バイト君にはそれをさせています、F氏の機能訓練のサブをさせています。ただじっとみています、やさしさは無責任の一表現です、其れが彼に理解できれば、下宿の押入れの奥にある卒論を教授に届けるでしょう。障害児を抱えること、わが子を育てられないこと、どちらが不幸でしょう。「あのコのしたい事は親の手伝いよ、卒業したら百姓すれば」 By魔女
2007/11/13
コメント(2)
支援員がつれてきたコは此処で働くことを拒みました、かれが就労先に求める条件に此処は該当しなかったからです。彼の就労条件は賃金の多寡ではなく、障害者が自分以外の居ない職場でした。阪神大震災の時に小学校低学年で神戸の長田で食堂を営む祖母と暮らしていました。両親に関する情報の詳細は不明ですが、震災で祖母と死別し施設を転々としながら暮らしていましたが、自分に不憫と同情して世間は構うものと頭から決め込んで思うように生きてきたようです。此処にきたのは何度目かの就労に失敗した後、新しく彼を担当する支援員がちゃんと働けるように訓練して欲しいとつれてきたのですが、ダメでした。半年後、彼をつれて同じ支援員がきました。彼に新しい家族が出来るのでもう一度何とかして欲しいと。もう一度同じ仕事をさせました。前回は半日でしたが今回は一日でした、そのときの理由が「障害者と一緒にはたきたくない」でした、他の障害者と一緒にされるのが嫌なのかと思いましたが、そうではなく、「周りの同情を一身に集めたいだけよ」って魔女がいいました、今思うとそうだったのかもしれません。彼が新しい家族(妊娠した手帳を持つ娘とボーダーの彼女の母親)とは一緒にくらせなかったことを聞いたのは最近です。
2007/11/07
コメント(2)
新人のF氏、一年前のK氏を思い出します。K氏は孤独で、壁と溝を周りに張り巡らせていました、受け入れてもらえないなら周りに対して興味を持たなくしてきたのでしょう、最近は帰り際さようならの代わりにニヤッと笑います。孤独ではあるでしょうが落ち着きがでて、穏やかなジジイになって来ました。F氏もそう成れるとよいのですが、K氏は子供の時代から「他人に迷惑を掛けないように」と親にいわれ育ってきたようですが、F氏はその機会がなかったようです。親が何かを子に残せば自立でき、残せなければ・・・
2007/11/06
コメント(1)
テント生活者にも障害者は居ます、府の委託を受けた支援センターの支援員が来て相談を受けたとき無条件で受け入れました。彼は50才、兄弟の保証人になった為にサラ金から逃回る人生だったようです。今日から彼の生活保護と負の人生をリセットして新しい人生の再構築です。
2007/11/05
コメント(2)
今日、他所の施設から見学がありました、その方と話すうちにふと、その人が乗ってきた車が兵庫ナンバーであることに気づき「兵庫にお住まいなんですか」と聞くと高砂にお住まいのとの事。前職は更生施設にお勤めとのこと・・・兵庫県南部(瀬戸内側)に人脈のない(福祉関係者に人脈は皆無ですが)を探していた自分としては、兵庫でA型をしたいのだけどと話すと大変興味をもたれたようです。「求めよさらば与えられん」少しではありませんとても嬉しいです。
2007/10/31
コメント(2)
生活保護を受ける父子家庭のコが二人今週から来ています。この二軒が今の4.5畳の文化住宅(大阪に多く見られアパートの一形態で昭和30年代後半の三池炭鉱閉山の頃から発祥したらしい)からも生活保護からも抜け出すことを私の個人的目標で預かります。この二人は此処(ビフレスト)での基礎訓練が終わったらあっち(新しいB型作業所アイオン)に移動して最低賃金に移行して・・・ ふっふっ二人とも軽度で母親がちゃんといたらもう結婚して自分の家庭をもっていたと思います、子供だけに自分の人生を消費するのもどうかとも思いますけど、その逆もね・・・・男は私を含め無責任ですから。
2007/10/30
コメント(3)
国体の戦績ですが「02」でした、2敗です。初戦は大分、敗者復活戦は秋田、ともに負けました。彼らの戦力は基礎でしょう。基礎的な戦力が勝負を分けるように思います。モチベーションではなくルーチンでの戦力が勝敗を分けるように思います。で社内にチームを作りたいと思うのですが、魔女になんて話せばよいか ・ ・ ・ ・
2007/10/25
コメント(0)
ブログの休みの間に40才のADHDが辞めました。前職(公務員)時代のペースで仕事をすると、ここでは誰にも相手にされないことを理解したようで、母親の元に帰ると言って辞めました。ところが、近所のショッピングモールをうろつく彼を見かけました、三倍ぐらい太って。母親にはなんて話しているのか、収入はどうなのか気にしても始まらないのですが持病の「おせっかい」が発症しそうです。
2007/10/24
コメント(5)
お久しぶりです。またブログに戻れるようになりました。会社が○×の方に乗っ取られたことを使いの者が告げに来て以来、指示に従わない私達を追い出すため、8月4日に会社が一方的に施設を閉鎖しました。それ以来やっと再開の目途が立ちました。ジャックバウワーがいても驚かない、状況でした。これまで支えてくれたスタッフ、がんばった利用者、影に日向に力を貸してくださった保護者の方たち、指導等して頂いた行政の方達にただ感謝です。こんな気まぐれでわがままな私を見捨てないでいて下さって有難うございました。スタッフは閉鎖以来3ヶ月間無給でした。にもかかわらず利用者を以前と同じように変わらず支えてくれたことは忘れません。(誰も辞めませんでした)利用者もがんばりました、残念ですが少し減りました。そして、何より障害者の親の底力を見せていただきました。 皆さんの想いに答えるべく、頑張るぞぉおおお。本当に係わってくれた皆さんに感謝です。
2007/10/23
コメント(12)
まだちゃんとブログに書き込んだり出来ないんですが、利用者の一人が今朝、秋田国体に出かけました。仙台まで飛行機でその後バスで秋田までの移動だそうです、一つでも二つでも勝ってこいと昨日言いましたが中継が無いものかと模索中です。ソフトボール近畿代表のファーストです、ぜひ応援してあげて下さい。このブログの再開は今月下旬の予定です。辞めてないぞ
2007/10/11
コメント(6)
ごめんなさい閉鎖の危機に対応する為に会社を自分で始めて以来、落ち着かない日々が続いていましたが多分最悪で最後の山場です。危機の問題は施設運営以外の問題ですが、ダイハードの台本になりそうな危機です。(頭はブルースウィルス似)十月の初旬には夜が明けると思いますが。時間が取れれば書き込みますが、ブログを書くのは日中施設なので・・・ごめんなさいの日々が暫く・・・・お願いします。止めないぞ
2007/09/27
コメント(7)
えーと認可作業所と無認可作業所について認可作業所は社会福祉法人の運営する作業所、無認可の作業所は個人(父母会等)の運営する作業所と考えてください。(支援内容は大差なし)旧法ではこの認可を市町村が行っていました、新法では都道府県が指定を行うようになりましたが、同時に認可、無認可の区別がなくなりました。つまり社会福祉法人に対する優遇処置が半減しました。半減したものの中には税制面の優遇があります、この税制面での優遇が社会福祉法人の首に鈴をつけることになりました、固定資産税等の免除をなくすことです、経過処置中なので実行次期は不明ですが、社会福祉法人が税金を払わなくてすむ時代を終わらせようとすること、利用者の収入を上げること、障害者に対応する法人(社会福祉法人、NPO、営利法人等)の扱い(税制、収益、支援費、補助金等)を一元化するのが支援法の目玉でした。
2007/09/24
コメント(4)
B型は旧法の授産施設に相当します。働いてもらうお金は出来高でご承知のように個人差があるのはともかく平均で2万円を超える施設は稀で1万円さえ超えません。ところが国のガイドラインにも関わらず利用者の意思に関係なく多くの市町村で旧法の授産施設が経過措置(旧法から新法に変わるという意味で)として、ガイドラインの地域最低賃金の1/3が3千以上に○○府では変わっています。他の市町村でも経過措置と呼ばれる在来施設運営法人に対する優遇措置(新規施設運営法人には経過措置は認められていない)は様々な形で存在するようで、国が自立支援法によってもたらされるであろう利用者の受益を少なからず遠ざけています。また既存の運営法人にしても、認可施設と無認可施設の旧法での補助金の格差(同じ規模であっても無認可施設は認可施設の約2/3の補助金で賄わされてものが、新法では同じ支援費になりました。つまり無認可作業所にとっては待遇改善。
2007/09/22
コメント(1)
就労継続支援ABに定められる基準働いてもらうお金 A月額13万円ぐらい 地域最低賃金(厚生労働省が各地域に定めた最低賃金、健常者と同じ) 健常者と同じ就労条件(各種保険に加入)B月額4万円以上の出来高 地域最低賃金(厚生労働省が各地域に定めた最低賃金、健常者と同じ) の3分1以上を維持すること(各種保険には加入の義務なし) A型は旧法では福祉工場と呼ばれ、福祉における函モノ行政の経済的に負の遺産、東京都が 外部に委託している福祉工場では年間1億近い運営補助金が拠出されて工場の運営をかろう じて継続している。 因みに、国内では新法の支援費と工場の売上だけで経営を賄っている工場は社会福祉法人の 関与する工場では私の知る限り存在しません。 上記補足 存在しないのは新法に定める国のガイドラインに到達していないという意味においてです。
2007/09/21
コメント(1)
全161件 (161件中 1-50件目)