世界で一番愛する人と国際結婚

独身最後の日





結婚式前日。2005年5月最後の土曜日です。



私は早起きして、披露宴パンフレットの最後の仕上げにかかりました。


ギリギリまで出席者の変更があり、席順を、前日までいじっていたのと、
フォントや色が、PC上で見るものと印刷時のものが違うのです。



うまくいくまで何度も何度もやり直していました。




お陰で、午前中に予約していた、睫のエクステンションと、
ネイルのスカルプは、泣く泣くキャンセルすることになってしまいました。



でも、はげかかったネイルで結婚式をするわけにはいかない。




「明日は、私の結婚式なんです。

明日の午前30分くらいしか時間が取れそうにないのです。

ベーシック・ネイルとカラーだけ、朝一でお願いします。」




と新たに予約を入れ直しました。



と言うか、もう予約が入れられないと言われたのを、
無理やりお願いしました。






その日、



東側の某空港から飛び立ったブランのママが、
午後2時ごろに成田に着く予定でした。



同日、LAXを飛び発ったブランは、その日の夕方5時ごろに
成田に着く便です。




なので、私はブランママを空港までお迎えに行くことになっていました。




ご高齢の彼女の、初めての日本。しかも、一人での来日。
私以外は、誰も知る人がいない。




何かあったりしたら大変だからと、私はかなり早めにお迎えに行ってしまい、
到着時刻より1時間くらい早く着いてしまいました。






空港で待つ間、



遠くから来てくれる友人達のために取った、ホテルのコンファーム。


ブランママを連れていく京都のホテルのコンファーム。


その日の夜、家族が泊まるホテルと、食事をするレストランのコンファーム。



を行いました。



更に、




ゲストのみなさんにお配りするパンフレットの
表紙を折って、ピンクの紐の帯をかける、、、、、



という作業を椅子に座って黙々とやりました。





そうして、



ようやく、予定のフライトより1時間も遅れた、ブランママが無事登場。



長時間のフライトにもかかわらず、とてもお元気そうで、ビッグハグをされ、

ほ、、、、、、


としました。






ブランママをホテルにお連れした後は、パーティ会場に
最後の打ち合わせに向かいました。




まずは、引き出物やプチギフトなど、全てのものが無事に届いて
いるかの確認です。





準備万端。さあ、帰ろう。




と思ったら、

こんな寸前になって、問題が出てきてしまいました。



最初の座席プランでは、ウェイター達が食事を運びずらい配置なので、
席を変えて欲しいと言われたのです。

おまけに、あるグループの友人のうち一人だけ、こっちのほうが広いからと、
別のグループのテーブルに勝手に変えられていたり。

(また、あのコーディネーターのミスです。)



もう座席表は出来上がっているのに!!






ああでもない、こうでもない、と改善策を出し、


長い打ち上わせの後、大急ぎでレストランに向かいました。




アメリカだと結婚式前夜はリハーサルディナーとなるのでしょうが、
この日、両家が初めての顔合わせのお食事会でした。





レストランは8時に予約しており、私の両親と妹達、ブランのママは
既に席についていたのですが、


LAからの、ブランの飛行機が遅れて、彼がホテルに着いたのが8時半過ぎ。


仕事を終えて、飛んできた義弟が席についたのが夜の10時。





そんなバラバラの集まりでしたが、

ここのスタッフの対応は、実にすばらしかったです。



会場名は、出さない予定でしたが、

あまりに対応がすばらしかったので言ってしまいます。




ANAホテルの36F

イタロプロバンスダイニング という所です。




特に、そこのThymeという個室は、ゆったりとしていて、夜景が綺麗に見えます。


他のお客さんからも見えないし、静かで親族同士の顔合わせにお勧めかも。




ホテル側は、


私達家族が、結婚式前の顔合わせだと言うことを会話から察すると、


サプライズで、『結婚おめでとう』のメッセージの書かれたデザートと、


赤いバラをプレゼントしてくれたのです。




そのデザートと最初に乾杯したシャンパンは、

お祝いですからと、チャージされませんでした。

食事も美味しかったです。






おまけに、あまりにゆっくりしてしまったので、お食事会が終わった後、

他のお客さんはとっくにいなくなっており、私達だけでした。

それでも、全くせかされることもありませんでした。




お店を出た時は、既に午後11時半ごろ。




時差ボケのブランとブランママはすぐに部屋に戻り、

家族全員ホテルに泊まりました。

私も、そこに泊まっていると誰もが思っていたそうですが、






そこから、私が向かった先は、





キンコーズ!!




私は、100個分のパンフレットのコピーを始めたのです。


12ページのA4半分の内容を2ページずつ合体させコピーし、

全6ページにし、それを更に両面コピーにすると、

1つのパンフレットに付きA4、3枚になります。




しかし、両面で6ページX100個のカラーコピーは思った以上に

恐ろしく時間がかかります。





途中で立ったまま居眠りしそうになっている私を見て、
キンコーズのお兄さんが、1枚につきX円追加で、コピーを
しますよと申し出てくれました。




「よろしくお願いします。明日の朝取りに来ます。」





タクシーでマンションに戻った時は、既に午前2時半。



大急ぎでシャワーを浴びて、

パーティの時に持つ、ピンクのバラのブーケを作り始めました。



ブーケが出来上がった時は、午前4時でした。


ぜー。。。。。



もう、すっかり眠気も遠ざかっていましたが、

徹夜して目の下にクマができたら困るので、
2、3時間くらいだけ、無理やり寝ました。






独身最後の怒涛の1日は、



こうして更けていったのです。


つづく

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