青い空の下で
赤ちゃんの頃上の子の時には陣痛が来る前に破水。初産のせいもあって、28時間という長いお産でした。だから、おなかの中で酸欠になったりしないかと心配したのは上の子の方だったのです。それに比べればりおの時は4時間!ほんと、前の時を思えば天国と地獄並みに楽なお産でした。発育にも特に気になる様子はなく、標準と思われる発達だったと思います。半年くらいは母乳も与えていましたが、勢いよく飲み、ぐっすり眠る子でした。どちらかといえばおとなしく、手がかからない子供でしたが、9ヶ月から1才になる頃、髪の毛をむしることがありました。この頃の写真をみると髪の毛がまだらです。思いのほか神経質なのかなぁとは思いましたが、1才を過ぎるころにはなくなりました。言葉は出るのが遅く、最初に言葉が出たのは1才を過ぎてからでした。その後も口数がすくなかったのは確かです。私はその頃フルタイムで働いていました。子供は産休明けから保育園でしたし、仕事で遅くなることも多く、実家の母に面倒見てもらうこともありました。見逃していたこともあるのかもしれません。
幼児期2才頃、子供が勝手にやるのはよくないと思って、テレビからはずしたゲーム機を自分で配線して遊んだり、トイレの鍵をコインを使って開けたり、この頃は上の娘より頭がいいと思っていました。トイレの鍵は自分が入って、中から鍵をかけ出られなくなったとき、親がコインで開けたのを知ってから、自分でいじって開けられるようになったのです。ゲーム機の配線だって、3つ上の娘はできなかったのに。言葉は話し出したのは普通の子より遅かったもののその後はあまり遅れを感じませんでしたが、その後ずっと幼い口調が続いています。ただ、親とのコミュニケーションでは身振りや表情で補うのであまり不足を感じず、過ごしていました。>3才位までは他の子供とじゃれあう様子も見かけたのですが、4,5才になると一人遊びを好むようになり、プラレールを組み立てたり、本を眺めたりすることが多くなりました。プラレールは特定の並べ方にこだわることはありませんでした。並び方を何通りも考え、変えてみることを楽しんでいたようです。新しい線路(立体交差や切り替え部品)をよく欲しがり、手に入れるとまた、新しい並べ方を工夫していました。保育園生活で印象的だったのがおゆうぎがほとんどできなかったことです。年中組までは本番になってもほとんど動かず、隣の友達をなんでそんなことをするのという目で見ていました。最後のおゆうぎでようやく動き始めました。この共同運動ができないというのは自閉症児の特徴のひとつです。(小学5年生では運動会でソーラン節をやりましたが、他の子供とほとんど変わりない踊り振りでした)
小学校低学年 勉強 1年生の頃の連絡帳を見てみると非常に雑ですが、先生が黒板に書いたものを写してくることはできていました。字が下手なのは左利きのせいもあるのではないかと思ったりもしました。2年生頃の面談で理解が足りないようだと言われ、また言葉が遅れていることから言葉の学級への通級が始まりました。家でも九九などを学習させましたが、これは案外簡単に覚えてしまいました。勉強は長続きしませんでした。多分集中力の問題があると思いますが、それよりいやだからやらないという態度、言動が目立ちました。勉強をする、しないで時間が過ぎることが多かったです。 遊び 3年生から4年生にかけてはクワガタに夢中になりました。公園などに行って、幼虫を捕まえてくるほか、外国産の大型種を買って欲しいとねだることが多かったです。クワガタの飼育雑誌等をよく読み、店を見つけては「これはどこにあるの?連れて行ってくれる?」とよく聞かれました。駅で4つ程はなれた所に専門店があり、2回ほど連れてやったところ、多分4年生のときだったと思いますが、おこずかいを持って自分で買いに行ってしまったことがあります。飼育方法は全部自分が雑誌や本などで調べ、実施していました。 塾 3年から週に1回算数の塾に通いました。自分では行きたがらず、一人で安定して行けるようになったのは4年生の後半頃からです。バスに乗って駅の近くまで行きます。 友達 学童に行っていたので、近所の子供何人かと遊ぶことはありましたが、普通の子供同士にようにやり取りがあるというより、付いて回っていたような気もします。 その他 この頃、まばたきを強くする-多分チックと思われることがありました。1年位続いていたと思います。今は全くありません。私はずっと働いていましたけれど、4年生の秋、このままでは、、という不安を感じたのと勤め先の合併があって、退職条件が有利になったのを機会に仕事を辞めました。