chiro128

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フィックスショットは撮影者が何を見ているのか、よく判る映像である。しかし、どこまで意識的に撮影が行なわれているか、となると疑問が多い。映像が生まれてからずっと無意識の領域で行なわれてきた部分が実はとても多いのだ。この無意識の部分を探ることは実際の映像制作をするいい手助けになるだろう。

ものの見方を考えた時に映像と人間の視覚の間には大きな違いがある。
映像は常に切り取られたものである、ということだ。映像は通常、四角く切り取られている。この画角を選ぶのは撮影した瞬間にそこにいる人々である。カメラマンであり、ディレクターである。この切り取る、という作業も多くがほとんど無意識に行なわれている。サイズ、カメラの高さ、絞り・・・。通常、人間の眼の高さ、またはやや低めの高さにカメラが据えられる。なぜか? 人間の眼の高さに近いところが最も違和感のない、その場所で見るものに違いないからだ。サイズに様々な名前があるように、およその分類ができる。人間は他の人間または対象との間にシチュエーションに応じた距離を取る。その距離に合わせて、注目して見ている範囲がおよそ決まっていて、映像のサイズも無意識のうちにそうした注目している範囲に沿っているのだ。
これも映像の世界以前に長い絵画の歴史の中で人間が共通の認識として育ててきたものがベースになっている。そして絵画の世界のルールは少しずつ壊され、人々は描き方の自由を手に入れて来た。映像の世界ではこうした動きをまさに100年で辿り、今や絵画以上の速さで変化し、ルールが変えられていると言っていいだろう。しかし、まずは基礎ルールがある。これがきちんと理解していない状況下なのに、とんでもない自由が存在している。それが現在の映像の世界であろう。

画角は本来、制作者と対象との距離を意味している。ある興味を持った対象に対して撮影者が置いている距離である。第3者が見て、その興味の対象が判らないカットは良いカットとは言えない。
絵画のタイトルはその作家が注目していた対象を指すことが多い。そのタイトルについて描かれたものがその絵画だから当然ではある。しかし、絵画はその対象のみを描いているのではなく、その周辺が自然に入ってきている。時には机の上のみの絵がある。時には山の絵がある。しかし、その絵を見た時に鑑賞者は作家が何を見ているのかを瞬時に理解している。そしてその対象の周辺の物はその作品のトーンを作り、全体を構成している要素となっている。その全体を以って絵画が完成するように、カットはそのすべてを以って主張したいことを主張するべきである。
画角には別の要素がその前にある。制作者と対象との関係である。それは方向として表れている。真正面からの場合と真横からの場合は自ずから画像の性格が違うはずだ。絵画の場合、肖像を書くのならば真正面から描くのが普通だろう。しかし仕事をしている人を描くのに真正面から描くのは不自然だ。その仕事がどのような仕事か、よく判る位置を探すだろう。遊んでいる人々の絵を描くならば、その人たちの遊びの邪魔にならない位置から描くか、その遊びの核心を掴む位置を選ぶだろう。そこには必ず意図がある。
撮影は更に意図的であるはずだ。撮影に入る段階で撮影者は被撮影者に対し、あるスタンスを持っているからだ。そのことを充分意識するべきだろう。対象となる人を前にして、あなたは何を撮影したいのか。それを明確に持つべきだ。そして、相手にもそれを伝えるべきだ。その上で、自分の目的を達成するために、一番いい場所とカメラの高さ、サイズを決めていく。
ある会議のシーンを撮影するとしよう。同じ会社の人のみなので、基本的な対立はない。上座に上役、下座に部下、というだけで変化のある風景ではない。下座から撮影するのは客観的な立場に立つカットとなるだろう。上座からの上役ごしのカットは上役の発言に注目した主観的なカットだろう。会議の進行の中でそうしたカットを必要性を考えつつ動き、カットを重ねていくとしたら、会議の撮影は力の抜けないものになる。また、そうして撮られた会議のシーンは充分な深みを持っている。しかし、三脚をそこに据えた、というだけで入口扉近くからのみ撮影された会議でそうした深みはでるだろうか。ある場所である状況を撮る、そのためにはどこからどう撮る。こうしたことの基礎として、どこから撮るのかは非常に大切な選択だ。
対象の背景となっている部分はカメラの位置によって対象との関係が変わる。これも意識しなければならない。三脚の高さ、使うレンズまたはズームによるサイズの変化で周辺との関係が決められる。会議のシーンで上役がとうとうと語っているとしよう。これは真正面から撮るよりも真横から撮る方が説得力がある。彼は第3者に向かって語っているのではなく、今目の前にいる部下に語っているからだ。彼がただ一人上に立っているのならば、このカットに他の人物は入るべきではない。(奥に創業者の写真があるならば、それは活きるだろう。)もし彼を含む経営陣があり、彼らの総意であるとすれば、彼の前後にピントはぼけているとしても複数の人物が入る方が説得力がある。どちらが優れているかはその場の状況によって判断せざるを得ない。あまりに要素が多いからだ。

こうしたすべての点でにじみ出てくるのはあなたの対象に対する態度である。それがまじめかどうかも含まれている。適当に撮ればいい、という態度ならばそれはカットの品質に関わっているだろう。現場ではじっくり考える間はなかなかない。ならば、普段から鍛えるしか手だてはない。映画を見ても、テレビを見ても、常に1カットずつ、問われているべき問題なのだ。もちろん、多くはそうして見て考えるまでもない映像であろう。しかし、最上のものはそうして作られている。それを学ぶべきだ。
カメラの位置が、画角が、あなたの対象への気持ちの表れである。それは普段の暮らしの中でもそうだ。しかし、映像では、それを意識的に行なう必要がある。
映像は切り取られ、前後の関係の中にはめ込まれて存在する素材である。しかしその前に単独でも存在しえる対象に対するあなたの態度なのである。

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