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【西日本新聞 春秋】※画像昨年の、2月19日に掲載されたコラムである。先日の「コラム紹介」(こちら)で『東京に行くこと』について綴った。その続編である。コラムを読み、共感して膝を打つことはあれど、いまだかつて落涙を禁じ得なかったコラムはこれだけである。『巨大な弁当箱にこめらえた計り知れない大きな愛』昨年の2月19日、コラムを読み私は長谷川法世氏の悔恨の念を我が事のように感じ、日ごろ亡母に抱いていた屈託が堰を切って溢れ出したのだ。なんのことはない、弱冠のころから青年時代を、長谷川法世氏と似たような親不孝をしてきたということだ。一年弱、自戒の念をこめコラム画像を折に触れて眺めてきた。いまだ垢重の身なれば悔恨の思いも時に薄れる。画像を見ては省みるというわけだ。恥ずかしながら、私にとっての『東京へ行くこと』はそういう顛末である。上京への思いは即ち自責の念となったのだ。先の岐阜新聞 分水嶺では、『ずっと親や同級生の中で暮らして自己は確立できるか。一度は「ほどほど」ではない外の世界を目指してほしい。』と若者の背を押した。『東京へ行くこと』は人それぞれの経験だ。だからその意味も人それぞれによって違うはずである。だが、自己の確立につながることだけは間違いない。月並みであるが、離れてみてはじめて理解できることは実に多いのである。我が身のように、それが悔恨の念を抱く結果になろうとも、それはおおいなる自己の確立であると私は思う。長谷川法世氏もきっと、同様の思いであるに違いない。活路は必ずある。だから若者よ、上京せよ!一人でも多くの若者が、何かしらの思いを抱き東京の地を踏まれることを、私は願ってやまない。老婆心ながら。
2014.01.31
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坂本竜馬かく語りき人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。 「竜馬がゆく」司馬遼太郎 常に心に念じていたい、そう思う。自戒を込めて。
2014.01.30
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大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子達観の一句である、お見事。身も縮むような寒さの中で、虚子は無常を見たか。それはそれとして。寒過ぎて、句に引導されたわけでもなかろうが、声優の永井一郎さんの訃報が届いた。『日本のおとうさん逝く』yahooの見出しにはそうあった。永井さんのご冥福を心よりお祈り申し上げる。合掌、南無阿弥陀仏。声聞けずして、なお昭和は遠くなりにけり。
2014.01.29
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【岐阜新聞 分水嶺】この季節になると、いまだに大学受験生だったころを思い出す。もはや40年も昔のこと。入試制度も受験生を取り巻く環境も、大きく様変わりした。 昨年秋、出身高校から送られてきた学校だよりの進路実績を見て驚いた。地元の岐阜や愛知の大学への進学者数が断然多く、京都や大阪など関西が続く。東京など首都圏はごく少数派になっていた。 産業教育系各高校の校長先生に話を聞く機会があったが、近年は地元志向が強まっているという。ただし普通科進学校出身の大学生にとっては、地元に戻るにも就職先が限られていると口をそろえた。 岐阜市出身の社会学者で甲南大准教授の阿部真大さんによれば、地方都市では郊外の大型ショッピングモールが若者たちの「ほどほどパラダイス」になっているという(「地方にこもる若者たち」朝日新書)。 彼らが関係を持っているのは仲間と家族だけで、旧来の地域コミュニティーとは切り離されているとする。切り口は面白いが、彼らが「内にこもりつつ外に開いていく」可能性を秘めているとの結論はどうか。 ずっと親や同級生の中で暮らして、自己は確立できるか。一度は「ほどほど」ではない外の世界を目指してほしいと考えるのは、古くさいだろうか。(1月26日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「男子たるもの、青雲の志を抱いて上京するからには故郷はないものと考えよ。」上京の日、祖父はそう垂訓した。「あなたも今日から最高学府の徒となるのね。」祖母はそう言って喜んでくれた。今は遠い昔である。「青雲の志」はもはや死語であり、大学をして「最高学府」ということもない。祖父母は当然明治の人である。東京に出て学問を修めるとは、かつてそういうことであったということだ。それにしても『ほどほどパラダイス』とは言いえて妙だ。何だか最寄りのスーパー銭湯にでも出かけるような気軽さだ。『関係を持っているのは仲間と家族だけ』当然そういうことだろう。突き詰めると「関係ねぇ」ということか。だがしかしそんなものなのだろうか・・・願わくは若者が「内にこもりつつ外に開いていく」とあってほしい。ときに分水嶺氏。先のコラム(コチラから)では『今年は意識して文句言いの頑固爺になろうと思っている。』そう気炎を上げているのだ。ここは一発言い切ってほしいところだ。『若者よ、一度は「ほどほど」ではない外の世界を目指せ!』外に出ずして「自己は確立」されないのだ。(←自己の確立という言葉も、このところ目にしなくなったなぁ・・・)東京に出る、コラムを読み我が身を振り返ってみた次第だ。雪溶けて昭和は遠くなりにけり
2014.01.28
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【北國新聞 時鐘】安政(あんせい)の大獄(たいごく)で処刑(しょけい)された吉田(よしだ)松陰(しょういん)の辞世(じせい)の句(く)が幕府側(ばくふがわ)資料(しりょう)から発見された。弾圧(だんあつ)した側が政敵(せいてき)の偉大(いだい)さを知っていた証(あか)しとみられている。 松陰は辞世の句とは別に、獄中(ごくちゅう)で同じ遺書(いしょ)を2通書いた。一つは長州藩(ちょうしゅうはん)に渡るよう役人に頼んだ。もう一通は幕府に没収(ぼっしゅう)されることを想定(そうてい)して牢名主(ろうなぬし)に渡した。世に出ることがあれば長州の人間に渡してくれと頼(たの)んだのである。 牢名主が島流(しまなが)しになっている間に幕府は倒(たお)れた。約20年後、東京に戻(もど)った牢名主は明治政府で高官となっていた元長州藩士に遺書を届(とど)けた。松陰が維新(いしん)の立役者(たてやくしゃ)であることなど知らない。ただ約束を守ったのである(留魂録(りゅうこんろく)・古川薫(ふるかわかおる)全訳注(ぜんやくちゅう))。 同じ獄中の囚人(しゅうじん)がみな感化(かんか)されて弟子(でし)になったといわれる松陰である。牢名主もそうせざるを得(え)ない何かを松陰は持っていたに違いない。数ある吉田松陰のエピソードの中で最も好きな話だ。 松陰は坂本龍馬(さかもとりょうま)や高杉晋作(たかすぎしんさく)らと違って小説やドラマになりにくい。あまりに堅物(かたぶつ)すぎるからだという。だが、このような清々(すがすが)しい話がまだ眠っていることに維新史の深い魅力(みりょく)とドラマ性を感じるのである。(1月25日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~此程に思定めし出立はけふきく古曽嬉しかりける(これほどに おもいさだめし いでたちは けふきくこそ うれしかりける)安政の大獄は大老、井伊直弼が執った。井伊はその応報で後に桜田門外に散る。「桜田門外の変」は、あっぱれ武勇伝として後世に伝わったので井伊には形勢不利であったが、このごろの解釈で井伊が脚光を浴びている。それはそれとして、吉田松陰の覚悟や見事。覚悟とはまた「潔さ」か。『私は死を覚悟しており、だから処刑の日をむかえることはうれしいのだ。』辞世はそういう意味である。松陰は死を前にしていささかの曇りもない。その晴朗な心持ちに松陰の覚悟のほどを見て、私は魂の震えを覚えた。事ここに及び人が守らなければならないものは、「潔さ」ただそれのみである、そう思うのだ。そしてまた松陰の身の処し方にも感銘を受けた。揮毫には「矩之」と記されている。今回の発見以前から存在する遺書(2通のうちの1通)にも「矩之」と署名されている。なお松陰の実名は「矩方」という。それをして佛教大学歴史学部の青山忠正教授は「松陰が処刑を前に実名を汚したくないと改名したのかもしれない」と指摘する。生きるとは即ち名誉の守護であり、死はまたその完遂である。私は松陰の身の処し方で、改めて思い知った。かつて我が国は名誉を最も重んじた国家であった、そういうことなのだ。翻って現在。名誉をお忘れになられたご老人二名が巷で話題だ。よくよく見ると多くのご老人を侍らせているようだ。「潔さ」は微塵も持ちえない集団である。晩年の未練は老醜以外の何ものでもない。殿様は書画骨董に通じ詩歌も嗜むという。ここは松陰先生の遺書をじっくりお読みいただき、我が身を省みてほしいものだ。このタイミングで遺書が話題となったのは、ご老人たちのためではないか。まさに「妙」である。死してなお、薫陶を授ける松陰は人物中の大人物、そういうことである。
2014.01.27
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【愛を読む人】「人は“収容所で何を学んだか”と訊くわ。収容所はセラピー? それとも一種の大学? 学ぶものはないの。それだけはハッキリ言える。彼女への許しが欲しいの? 自分の気を軽くしたいの? カタルシスが欲しいなら・・・芝居に行くか本を読んで、収容所なんか忘れてちょうだい。何も生まれない所よ・・・何も」本作はドイツ人作家であるベルンハルト・シュリンク原作の『朗読者』という小説を映画化したものである。シンプルなオリジナル・タイトルと比較すると、「愛を読む人」という邦題は、実にドラマチックで興味をそそられる。メガホンを取ったのはスティーブン・ダルトリー監督で、代表作に「めぐりあう時間たち」などがあるが、アカデミー賞9部門にノミネートされるなど非常に評価の高い作品を手掛けている。さて、本題に入る。本作「愛を読む人」のテーマは、ズバリ、“状況判断”ではなかろうか。もっと噛み砕いて言うと、“その時、もし自分がその人の立場にあったらどうするか”。 それを視聴者に問いかけているような気がする。ポイントとなるのは、刑に服すハンナの面会に出掛けたマイケルが、ユダヤ人収容所でのことをどう思うか、その後何を学んだかなどをハンナに問いかける場面がある。おそらくこの時マイケルの中では、「とても反省している」などのしおらしいハンナの返答を期待したに違いない。だが、ハンナの答えはマイケルが望んだものではなかった。マイケルにはその時、ハンナの収容所における看守としての立場など想像も出来なかったであろう。ハンナが与えられた職務を全うしたところで、ドイツのユダヤ人に対する仕打ちは常識的に許されざる行為であった。その後、ハンナが自殺することで、マイケルは少しずつハンナの置かれた立場、つまり状況を理解してくことに努める。このくだりは実に興味深い。マイケルがハンナとの過去の甘い記憶を胸に秘め、刑務所にいるハンナにせっせと朗読テープを送る献身的な面を持ち合わせながらも、一方でハンナの身元引受人を依頼する連絡には戸惑いを隠せないでいる。この苦悩は幸いにも、マイケルを単なる偽善者にさせない、人間の本質的な心理を追求することに成功している。そんなところからも、吟遊映人はこの作品を単なるラブ・ロマンスとして捉えるには余りに短絡的ではなかろうかと考える所以なのだ。第二次世界大戦後のドイツが舞台。15歳のマイケルは、気分が悪く、道端で嘔吐しているところを21歳も年上の女性であるハンナに助けられる。猩紅熱で何ヶ月もベッドに伏していたマイケルは、回復後にハンナのアパートを訪れる。 その後、2人は年齢差を越えた愛欲に溺れていく。そんな中、いつしか情事の後は、ハンナの要望でマイケルは本を読むことが日課となった。それは、「オデュッセイア」であったり「犬を連れた奥さん」といった作品である。ある日、いつものようにマイケルはハンナのアパートを訪れると、そこはもぬけのから。 訳も分からずマイケルは自分が捨てられたのだと傷心の日々を送る。やがてマイケルは、ハイデルベルク大学の法科生となる。授業の一環として、ナチスの戦犯の裁判を傍聴することになったところ、なんと被告席にハンナが座っているのだった。ハンナ役に扮するのはやっぱりこの人、ケイト・ウィンスレットである。この女優さんは不思議にこの手の役柄を演じると、見事にハマってしまう。何とも薄幸な雰囲気がそこかしこから漂うのだ。言うまでもなく、本作でアカデミー賞主演女優賞を受賞している。大学の教授役としてブルーノ・ガンツがチョイ役で登場する。「ヒトラー~最期の12日間~」での存在感たっぷりの演技は、ここでも健在だ。「愛を読む人」は、吟遊映人の心を掴んで離さない。人がその時、持てる力で状況を判断し、だが結果として相手を傷つけてしまったら・・・。挫折や後悔のない人生なんてない。苦悩を抱えて、人は生きてゆく。人はいつも、相手の置かれた立場を理解できずに過ちを繰り返すのだから。涙なしには観られない、重厚なテーマを扱う作品であった。2008年(米)、2009年(日)公開【監督】スティーブン・ダルトリー【出演】ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、ダフィット・クロス
2014.01.26
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【白石一文/私という運命について】◆流される人生と流れに身を任せる人生のどちらもが運命何となく本でも読もうかなと思った時、この作品は持って来いだ。新書タイプのハウ・ツー本にも飽き、かと言って小難しい純文学には触手が伸びないと言うあなた、『私という運命について』を騙されたと思って読んでみたらどうだろう?私が特に目を引いたのは、文庫本の背表紙にある作品の紹介文である。〈---女性にとって、恋愛、結婚、出産、家族、そして死とは? 一人の女性の29歳から40歳までの「揺れる10年」を描き、運命の不可思議を鮮やかに映し出す〉とのこと。これは読み応えがありそうだと期待を抱いて読み始めたところ、その予想は外れなかった。長編小説であるにもかかわらず、一気に読了!とにかく圧巻の筆致だ。著者の白石一文は、早大政経学部卒で、代表作に『一瞬の光』『この世の全部を敵に回して』などがある。白石一文の小説は初めて読んだが、クセがなく、まるでドラマを見ているように場面場面が鮮やかな印象を受ける。(解説によると、これまでの作品は「独特の思索的で哲学的な文章」とのことで、『私という運命について』に限っては、「らしくない」作品のようだ。)ストーリー展開はいくらかファンタジーっぽいキライは隠せないものの、ドラマチックな長編作品としては充分な仕上がりだと評価したい。本来ならここであらすじを紹介したいところなのだが、物語上、一人の女性の歴史を追っているような手法なので、年譜のようにして紹介したい。主人公は冬木亜紀。細川連立内閣が成立した1993年からスタートする。男女雇用機会均等法の成立により、亜紀は女性総合職として入社する。29歳---以前の婚約者である康が、亜紀の職場の後輩と結婚する。33歳---東京本社から福岡に転勤となる。そこで、年下の工業デザイナーの純平と出会う。34歳---亜紀の弟・雅人の妻である沙織が病死する。37歳---香港に滞在する康と再会する。康が肺癌を患って、その後、克服したもののすでに離婚していたことを知る。一読して思ったのは、人生にはどうしようもないことがあるものだ、ということである。 運命とは努力して掴み取るものであるとか、自身で選択するものだとか、いろんな考え方があるけれど、「決してあらがうことができない出来事が訪れる」ものだと描かれている。せっかちな読者のため、あらかじめ断っておくが、この小説のラストは一般的に言われるようなハッピーエンドではない。大どんでん返しの末に訪れる、一人の女性の決意、あるいは悟りみたいなものが行間から感じられる。自分の思うような未来ではなかったとしても、そういう人生を選択した自分を責めるのはよそうではないか。運命とは、そんなに単純なものではない。計画通りになんかいかない。どうしようもないことがいくつも壁となって、行く手を遮るのだ。流される人生が最良とは言わないけれど、流れに身を任せる人生も、それはそれで良いのではと思うわけだ。この作品はエンターテインメント性抜群の小説で、万人におすすめだ。『私という運命について』白石一文・著☆次回(読書案内No.110)は吉田修一の「横道世之介」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.01.25
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極楽の近道いくつ寒念仏 与謝蕪村寒念仏に出かけるほどの篤信家ではない。ただしこの時季は決まって念仏を唱える。しかも無意識に、である。寒い夜、熱めの風呂に入り冷えた身体が温まると、おのずと出るのだ。「ナムアミダブツ ナムアミダブツ」はたして極楽の近道になるか・・・
2014.01.24
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なにがうそでなにがほんとの寒さかな 久保田万太郎万太郎氏は屈託を禁じ得ないようだ。さもありなん、歯に衣着せぬもの言いが災いして距離を置く人も多かったという。後世ではそれをして万太郎人気の要因となっているが、周りは「迷惑な御仁」であったことだろう。もう一句。よもや自戒の念を込めたわけではあるまい、万太郎さん。分別も律儀も寒き世なりけり 久保田万太郎そんなヤワなはずがない。あるいは年してヤキがまわったか・・・
2014.01.23
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あふれる歌心「革新」希求※左からカラヤン、アバド、ラトルの各氏マエストロのクラウディオ・アバド氏が逝去された。享年80歳。このごろは動向を聞くこともなかったが、胃を患われ闘病されていたという。冒頭のタイトルは、産経新聞の『評伝 クラウディオ・アバド氏』のタイトルである。クラウディオ・アバド氏の指揮はまさに歌心にあふれていた。カラヤン氏の後を受けてベルリンフィルの指揮者となったアバド氏としては、それが面目躍如であった。緻密で完璧に仕上がったカラヤン氏と、さほど比較されることなかったのは、アバド氏のあふれる歌心のなせる技があったからであろう。なお、アバド氏の次となったサイモン・ラトル氏は、その情熱的な指揮でアバド氏とは一線を画している。この層の厚さがベルリンフィルの一流と言われる所以であろう、余談まで。加えて、対話協調型のアバド氏はオーケストラに歓迎されたという。前任のカラヤン氏が『帝王』であった分も受け入れられたということであろう。そして冒頭の『「革新」希求』は、アバド氏がプッチーニを演奏しない理由をこう述べたことに由来する。「プッチーニが嫌いなわけではありません。ただ、私は革新にひかれるのです。」『革新』によるアバド氏のマーラーやブルックナーは、すでにベルリンフィルの歴史に刻まれている。クラウディオ・アバド氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げる。追記:フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルの執ったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を、我々は居ながらにして聴くことができるのだ。なんと幸福なことだろう。今宵はカラヤンとアバドを聴き比べてみようか。
2014.01.22
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『自分自身に』他人を励ますことはできても自分を励ますことは難しいだから、というべきかしかし、というべきか自分がまだひらく花だと思える間はそう思うがいいすこしの気恥ずかしさに耐えすこしの無理をしてでも淡い賑やかさのなかに自分を遊ばせておくのがいい 吉野 弘詩集「贈る言葉」より詩人の吉野弘氏が逝去された。享年87歳。『祝婚歌』がつとに有名である。ある程度の年齢の方は、吉野氏の名は知らなくとも、結婚披露宴で『祝婚歌』を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。自分が「まだひらく花」などと口幅ったくて言えやしないが、ときに沸々と湧きおこる情動を持て余すことはある。そんな時は吉野氏の詩にふれ、我が身を行間で「遊ばせて」やろう。吉野氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げる。
2014.01.21
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夕づつを見てきよくかがやかにたかくただひとりになんぢ星のごとく 佐藤春夫※夕づつ:夕方、西の空に見える金星。宵の明星。デジタル大辞泉より
2014.01.20
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【眺めのいい部屋】「せがれはいつも考えているんだ。それも森羅万象に関することだ。君は、世間には悲しみだけしかないと思うかね?」「いいえ、違うと思うわ。エマソンさん」「そうでしょう? それをせがれに伝えてくれないか。永遠に続く“なぜ?”の問いかけは・・・自分にしか答えが見い出せないのだとね」この作品が公開されたのは80年代だが、私が初めて見たのは学生時代、深夜の映画特集でだ。たまたま見たに過ぎないのに、とにかく驚き、惹かれ、シビレた。だから40を過ぎた今も尚、大好きな映画3本のうち1本はこれだ。このブログを一緒に管理しているSさんにそのことを話したら、『眺めのいい部屋』の画像をケータイに送ってくれた。以来、待ち受け画面は『眺めのいい部屋』である。機種変をした後でさえ、待ち受け画面は変わらない。ずっとだ。主人公ルーシー・ハニーチャーチ役のヘレナ・ボナム=カーターは、正にイギリスの良家の令嬢役に相応しく、その出自は見事なものである。まず父親は銀行の頭取。母親は医師。ご本人もケンブリッジ大学に合格するほどの才女だが、女優業に専念するため、入学を辞退している。(ウィキペディア参照)ところがそんなヘレナ・ボナム=カーターは、良家の令嬢役というのが嫌でたまらなかったらしく、故意に汚れた役を選んで出演するようになった。それでもここへ来てやっと何かが吹っ切れたのか、『英国王のスピーチ』では堂々の王妃エリザベス・ボーズ=ライアン役に扮し、見事な演技を見せつけてくれた。これがまた誰よりも様になっていたので、思わず感嘆のため息が漏れたほどだ。さて、『眺めのいい部屋』について。舞台は1907年のイタリア・フィレンツェ。英国良家の令嬢ルーシー・ハニーチャーチは、年上でしかも独身の従姉シャーロットと一緒に観光旅行に来ていた。ペンション“ベルトリーニ”では、美しいアルノ河に面した南側の部屋を予約したつもりだったが、そうではなく、シャーロットは愚痴をこぼす。それを聞いていた同じ宿泊客のエマソンが、自分の部屋はとても眺めのいい部屋だから交換しましょうと申し出る。しかし、エマソンは明らかにルーシーやシャーロットより階級が低く、シャーロットは階級意識からその申し出を断ってしまう。そんな中、偶然にもハニーチャーチ家の教区のビーブ牧師も宿泊客にいて、仲介役を引き受けてくれる。そこで万事、ルーシーとシャーロットの部屋とエマソン父子の部屋とを交換することができた。翌日、ルーシーとシャーロットは別行動をする。シャーロットは同じ宿泊客のラヴィッシュ女史と観光し、ルーシーは一人でサンタ・クローチェ寺院に出かける。ルーシーがシニョーリ広場を通り過ぎようとした時、偶然にもイタリア人男性二人がひどい口論を始め、一方が他方の胸をナイフで突き刺すのを目撃してしまう。鮮血にまみれた男の姿を目の当たりにして、ルーシーは不覚にも気絶してしまう。そこに通りかかったのは、ジョージ・エマソンで、ルーシーを優しく介抱するのだった。 この作品はE.M.フォースターの同名小説が原作になっていて、ジェイムズ・アイヴォリー監督が映画化している。映画自体はラブ・ストーリーとして大変な完成度を誇っているが、原作ではイギリスの階級制度を暗に批判したものとなっている。映画においてもそれはやんわりと表現されていて、階級意識に左右されず、自由な発想と情熱的な愛を傾けるジョージにルーシーが惹かれ、最終的には階級意識の塊のようなシャーロットまでもが二人を見守るようになる。ある種の定番であるかのようなハッピー・エンドでさえも、格調高く優雅で、BGMであるプッチーニのオペラ三部作も効果的に使われている。ちまたに溢れるどんなラブ・ストーリーも、この『眺めのいい部屋』の前では精彩を放たない。それほどまで私は深く、この作品を愛しているのだ。1986年(英)、1987年(日)公開【監督】ジェイムズ・アイヴォリー【出演】マギー・スミス、ヘレナ・ボナム=カーター
2014.01.19
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【谷崎潤一郎/麒麟】◆『論語』から材を取った格調高い短編小説中国の古典である『論語』から材を取ったこの短編小説は、私の大好きな谷崎作品のベスト3に入る。『麒麟』というのは、動物園などにいる、あの首の長い動物のことではなく、「聖人が生まれるときに現われるという想像上の動物」を指す。私がなぜ数ある谷崎の代表作よりも、このような初期の作品を好きなのかと言うと、キレイゴトを言ったって結局、人間は欲望の塊なのだとストレートに訴えているからだ。あれほど仁徳の人として名高い孔子ですら、美女の肉体的な魅力の前には手も足も出やしないのだから。この『麒麟』が、同じ『論語』から材を取った中島敦の『弟子』と対極にあるのは、人間の性とか業というものは「たとえ孔子のような聖人でも如何ともできない」ことを表現しながらも、一方は性欲、もう一方は命運という劇的な悲劇の有無にあるのかもしれない。私は中島敦の『弟子』も大好きで、何度となく読み直し、人間にとって「学」がいかに不可欠なものかを知った。破天荒で不良の子路が孔門の徒となり、見事な人間像を形成するプロセスは、何より孔子の教えをよく学び、勉学に努めたことを物語っている。だが、谷崎の『麒麟』も凄い。あらすじはこうだ。衛の君の霊公は、絶世の美女である南子夫人を寵愛していた。そんな折、孔子の一行が近くに来ていることを臣下から聞き、宮殿へ招くことにした。 霊公は、夫人を始め、一切の女を遠ざけ、口をそそぎ、身なりをきちんとして孔子を一室に招いた。そして、国を富まし、兵を強くし、天下に王となる道について伺った。ところが孔子は、兵法や税の徴収法については一言も答えず、何よりも貴いのは道徳であることを説いた。「公がまことに王者の徳を慕うならば、何よりもまず私の慾に打ち克ち給え」こうして霊公は孔子の言葉に目覚め、南子夫人の顔色を窺うこともなく、孔子の政の道を学んだ。無論、南子夫人の寝室を訪れることもなくなった。そんな霊公の態度が面白くないのは南子夫人である。南子夫人は魂をそそるような香水をふりかけ、美しい女体を持って霊公に近付いた。霊公はせっかく孔子の教えに従って努力しているにもかかわらず、忘れかけていた甘い肉欲の願望に押し潰されそうになる。やっとの思いで夫人の手を払い除け、顔を背けたところ、夫人は微笑みながら霊公に断言する。「わたしはすべての男の魂を奪う術を得ています。やがてあの孔丘(孔子)という聖人をも、わたしの虜にしてみせましょう」谷崎潤一郎が描くこの南子夫人の妖艶なことと言ったらこの上もなく、どれだけ男を弄び狂わせてしまう女なのか、興味が倍増する。さしあたり『痴人の愛』に登場するナオミを彷彿とさせ、中国の古典でありながら、すっかり谷崎ワールドにすり替わってしまうほどである。この悪魔的な「美」が、孔子の教える「徳」とどう対峙するのか、そこを上手く咀嚼、消化することで人間の核心に触れることが出来る。それにしても天下の『論語』を原典とし、聖人である前に一人の男である孔子を描いた谷崎潤一郎の着眼点はスゴイ。本物の文学とはこういうものだと、さりげなく見せつけられたような、見事な筆致だ。 『麒麟』谷崎潤一郎・著(〔谷崎潤一郎マゾヒズム小説集〕より)☆次回(読書案内No.109)は白石一文の「私という運命について」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.01.18
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はっきりと鹿島の見える寒さかな 吟遊映人
2014.01.17
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【高知新聞 小社会】日本で最も有名な文学賞、芥川賞は今月の選考会で第150回を迎えるという。直木賞とともにスタートしたのが1935年で、約80年の歴史を刻む。3日付の本紙に特集記事が載っていた。 その中で「おや」と目を引いたのが、唯一の辞退者、高木卓。肩書は作家というよりドイツ文学専攻の元東大教授の方が似合う。母は文豪幸田露伴の妹で、高木は露伴のおいに当たる。 なぜ辞退したのか。記事には、辞退すれば同人仲間がもらえると思い込んだという説が書かれている。また手元にある高木の著書「露伴の俳話」の解説によれば、選ばれた作品は「習作だからとして辞退した」とある。 もう一方の直木賞にも辞退者がいる。「樅ノ木は残った」などで知られる山本周五郎。ご次男が後に語る父は「小説は読者にいっぱい読んでもらえたら、それが賞なんだ」と言っていたという(「想い出の作家たち」)。周五郎はその後も、賞と名の付くものはすべて断った。付いたあだ名「曲軒」(へそ曲がり)の本領発揮と言える。 文芸春秋を創設し、両賞を制定した菊池寛の苦虫をかみつぶしたような顔が浮かぶ。しかし辞退者には辞退者の理屈がある。信念があってのことなら、見識として尊重すべきだろう。 太宰治のように、芥川賞をほしくて仕方がなかったのに選に漏れた作家もいる。多数の文学の星を生む一方で、落選や辞退にもドラマがある。両賞の選考会は16日。(1月12日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コラムの内容から少し離れるがご容赦を。画像は昭和46年12月発行の『文芸春秋 臨時増刊~明治・大正・昭和 日本の作家100人~』から拝借した。かつて芥川賞は威厳と格調にあふれていた。作家は、この目録一枚に、それこそ人生をかけていた。太宰はこれが欲しくて自ら運動したわけだ。文化勲章は辞退した何某さんも、したり顔で芥川賞を受賞しているのだ。こちらは昭和42年の芥川賞選考委員会の様子である。そうそうたるメンバーが、賞の威厳と格調を物語っている。向かって左から三島由紀夫、永井瀧男、井上靖、丹羽文雄、石川淳、瀧井孝作、川端康成、石川達三、舟橋聖一、中村光夫、大岡昇平の各氏である。三島由紀夫も末席に坐す当時の選考委員会だ。これよりさかのぼること10年。昭和32年の選考委員会では、三島の席に川端が座り最上座に佐藤春夫が座っているのだ。なお、佐藤春夫は石原慎太郎の受賞が気に入らなくて選考委員を辞退した。そして石原慎太郎は田中慎弥の受賞が気に入らなくて選考委員を辞退した。何とも魑魅魍魎の世界である。ちなみに、現在では芥川賞と直木賞の垣根は曖昧であるが、かつて純文学と大衆文学というジャンルが存在したころは、その賞には確然たる垣根が存在した。直木賞の扱いは芥川賞の半分程度であった。余談ながら、文学部の卒論テーマも、よほどのことがないかぎり純文学が対象であった。本日は節目の選考会。屈折何年の作家か、或はポッと出の若者か。いずれにしても、悲喜こもごもであることは過去も現在も変わりはない。さて、結果や如何に。
2014.01.16
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【岐阜新聞 分水嶺】いつごろからだろう。「元気をもらう」「勇気をもらった」などという言い回しをよく耳にするようになったのは。元気や勇気は、もらったりあげたりするものだろうか。どうしても違和感がある。「元気になった」「勇気づけられた」ではだめなのか。 スポーツ競技で使われることが多い。「被災地の人たちに勇気を与えたい」などと、宣誓やインタビューで選手が口にする。あえて言うが、スポーツは、それを見て生きるための勇気をもらうほど大層なものか。 スポーツの感動を否定するつもりはない。年のせいもあり、駅伝で県出身選手の力走を見て涙腺が緩んだりする。ただし頑張るのは勝利のためであり、人に何かを与えるためではないだろう。 ついでに言えば「~してございます」という言い方も変だ。もともとは企業などの企画プレゼンテーションで耳にした。昨今は普通のスピーチや挨拶(あいさつ)でも丁寧語のように使われるようになった。 ぼやき漫才の人生幸朗さんを覚えている人もいるだろう。流行歌のフレーズに文句を付け、「責任者出てこい!」が決め台詞(ぜりふ)だった。 日本語は時代とともに変化するものだとしても、生理的に嫌なものは嫌だ。今年は意識して文句言いの頑固爺(じじい)になろうと思っている。(1月12日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~そうだその通り!膝を打ちそう叫んでしまった。共感を覚えた諸氏は多いのではないか。なによりうれしかったのは『生理的に嫌なものは嫌だ。』の一文だ。文法解釈や歴史的背景などの見識は「そんなことは言うまでもない!」と行間に込め、ただ一文を記すのだ。これが大人の文章、分水嶺氏が言うところの『頑固爺』の、文章である。願わくは、分水嶺氏には『文句言いの頑固爺』に徹してもらい、事あるごとに気炎を上げてほしい。くれぐれも好々爺然とすることのないよう、あくまでも仁王面でお願いしたいところである。(※ご参考まで 画像の仁王様は近所の寺院のものである。今年から修復することになり、現在はごく間近で拝顔の栄を賜ることができるのだ。この機に乗じてカメラをむけた次第である、感謝合掌。)ときに頑固爺の部類に属さない方々のために、余計なお世話と承知しつつもひと言申し上げる。『与える』とは「相手の欲するものを、くれてやる」と三省堂新明解国語辞典にいう。今でいう「上から目線」なのだ。スポーツの勝者が「応援してくれる人に勇気を与えることができた」というのは、それが意図するものではないとしても、そう発言することによって「応援してくれる人が欲していた勇気をくれてやった」そういう意味になるのだ。勇気を与えられた、という応援者もしかり。猛烈にへりくだる気持ちがあるのならいざしらず、自分を貶めるような言葉は言わないほうがいい。分水嶺氏の言うよう『勇気づけられた』或は「勇気をもらった」と言ったほうがいい。このごろはNHKも平気で「勇気を与える」という。いわんや民法の女子アナをや、である。同業者で言いにくいこともあろうが、分水嶺氏には指摘してほしいところだ。少なくとも、系列のテレビ局には目を光らせていてほしい。そうれはそうと、一時は指摘があったがそれきりになったことに「させていただく」がある。どこぞの社会学者が「させていただく症候群」とうまいことを言っていたが、すでに聞くことはなくなった。なんでもかんでも「させていただきます!」ときたもんだ。これも分水嶺氏にご指摘願いたい。ということで、今年は『生理的に嫌なものは嫌だ。』そう感じたら分水嶺氏にお願いしようと思う。よき先輩を得た気分だ(^^)vどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
2014.01.15
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雪の跡さては酒屋か豆腐屋か 正岡子規リフトが始まる前のゲレンデは気持ちがいい。圧雪やゲレンデ整備のため、除雪車は早朝から動き出すのだ。暗闇でゲレンデにはりつくように動くライトは幻想的である。「雪の跡」はキャタピラが残していく。整然と続く雪跡は、自然の摂理に溶け込んで、それはひとつの風景になる。もはや機械の跡とは思えないのだ。さて、こちらは雪にできた足跡にめくるめく想像をする子規である。雪跡に軽やかな足取りを見て取ったか。雪の中をいそいそでかけるのは酒屋か肴の豆腐屋に違いない、そういうことだ。子規は雪の句を多く詠んでいるが、このとぼけたようなふざけた感じが最も子規らしく思え、私は大好きだ。そしてこういう句もある。亡き妻を夢に見る夜や雪五尺 正岡子規言わずと知れた小林一茶の句がモチーフである。是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺 小林一茶三十五歳で短い一生を終えた子規は、病もあり妻をめとることはなかった。一茶を偲ぶ子規の胸中を思うと悲しい。そういえば、子規は名著『病牀六尺』も残している。この「六尺」は「雪五尺」からのイメージかもしれない。ふとそんなことを考えてみた。最後は子規の面目躍如たる一句である。吉原や眼にあまりたる雪の不盡 正岡子規不盡とは「最後まで十分に尽くさないこと」という意味で、平たくいえば花魁に袖にされたわけだ。落語の「五人廻し」や「首ったけ」の世界であり、子規兄も貸座敷で一人、眠れぬ夜を過ごした口なのである。いや、子規なら地団太踏んで朝まで悔しがったか。悲喜こもごもの、それぞれの雪である。降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
2014.01.14
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三鬼は雪に何を見たのだろうか。この御仁は奥が深い。限りなく降る雪何をもたらすや 西東三鬼気になるところである。難儀極まりない雪も、犬たちにはこの上ない感興をもたらすようだ。馴染みのゴールデンは喜色満面(に見えた)で、彼女の雪中ダイブは見ていて飽きなかった。そしてこんな雪もある。まだもののかたちに雪の積もりをり 片山由美子こんなイメージだろうか。それにしても、この後どうしたのだろう。これもまた気になるところである。大きなお世話かもしれないが・・そしてまた、雪はこんなにも美しい。雪は天から送られた手紙である。それはたとえようもなく美しい宝物である。 中谷宇吉郎かつて見た産経抄からひいた。不見識で中谷氏は存じ上げないが「氷雪学者」だそうだ。科学者が、その研究対象をお書きになられたとは思えないような、浪漫あふれる一文だ。雪をもっとも知り尽くした中谷氏が描く雪は、豊かな感性とあふれんばかりの情熱の結晶体なのだ。「限りなく降る雪」はいろいろなものをもたらすようである。
2014.01.13
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殿、ご乱心!殿は引退後、伊豆あたりで陶芸をしながら余生を送っていた。「俗人」ご尊父である16代目の殿は、息子を評してそう喝破した。時折聞こえてくる噂に、ご尊父の子息評はまことに正鵠を射ていると感服したものだ。殿、齢七十五。轆轤の前では陶芸の風景とかす老体も、政治の場にあっては老醜そのものである。【産經新聞 産経抄】小津安二郎監督作品になくてはならぬ存在で、「男はつらいよ」でも柴又帝釈天の「御前様」として人気を集めた笠智衆さんは、若いころから老け役が多かった。不朽の名作である「東京物語」(昭和28年)で、尾道から上京し、息子や娘を訪ねる70歳の父親を演じたときもまだ50歳になっていなかった。 妻役の東山千栄子さんと熱海の海岸で海をながめるシーンはことに印象深いが、背を丸めてみせるため浴衣と背中の間に座布団を入れたという。その後は徐々に役の年齢に実年齢が追いついていったが、笠さんのような枯れながらも芯が一本通った翁(おきな)は近ごろとんと、お見かけしなくなった。 「高齢化社会」という用語には、何となく陰気な響きがあるが、お年寄りが元気なのは良い社会の証し。経済発展によって日本人の平均寿命が延び、しかも枯れない元気な老人が増えたのは、すばらしいことである。 東京都知事選への出馬を決意した75歳の細川護煕元首相を、72歳の小泉純一郎元首相が支援するかもしれないと、永田町でも元気な老人たちの話で持ちきりである。2人を結びつけたのは「脱原発」だそうだ。 選挙戦はにわかに盛り上がってきたが、原発を立地していない東京都で「脱原発」を争点にするのは、かなり違和感がある。ともに60歳代で政界を引退し、ヒマを持て余していた2人が「脱原発」と「都知事選」という2つのオモチャをみつけた、というのは言い過ぎか。 もし、本気で「脱原発」政策を実行したいのなら国政選挙に打って出て、安倍晋三首相のように返り咲きを狙うのがスジというもの。笠さんのように良く枯れよ、とは言わぬが、いつまでも生臭過ぎると、「老害」となるのを肝に銘じていただきたい。(1月11日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~かつて仕事を介してKさんと知り合った。バイタリティーと情熱に満ち溢れた人で当時の細川知事の信奉者であった。氏は定年を迎えるやいなや熊本に移って行った。ささやかな一席で、K氏は「細川知事の熊本で暮らしたい」そう言っていた。新潟出身で都内在住の氏は熊本に縁もゆかりもあるわけではない。男一人の人生を左右する細川とは何者ぞ、私はそう思いながらK氏と盃を重ね、したたか酔った。新宿の始発でK氏と別れ、二三年は年賀の挨拶はしたがその後切れた。残念ながらK氏の消息は不明である。そしてご当地熊本ではこう書いている。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【熊本日日新聞 新生面】「自分がどう感じるかということよりも、自分がどう見えるかということに関心を持つ」。米国の精神科医A・ローウェンが「ナルシシズムという病い」に書いている。むろん、ナルシシストについての定義だ。 このタイプの人は自分の感情よりも「自分がこのように見えているだろう」というイメージを大事にするという。多少なりとも誰にでもある傾向だが、政治家や芸能人に目立つ。 細川護熙氏が東京都知事選に立つという。熊本には縁が深い方だが、「見せ方」「見え方」にこだわりが強いようにも感じる。その決断には何度も驚かされてきた。熊本県知事や首相への去就、任期途中での衆院議員辞職、陶芸家への転身など。 細川さんからすれば、イメージの創造に成功したのかも。その際の「決めぜりふ」も忘れがたい。県知事引退の時は「権不十年」、衆院議員の引退時は「60歳で政界引退を決めていた」「今後は晴耕雨読」。 格好はいいのだが、すべてが後講釈で、いつしかほごになりがちなのがちょっと残念だ。「60歳引退は選挙の時に言うべきでは」と聞いたこともあるが、納得できる説明はなかった。 今回の立候補の動機には反原発があるという。小泉純一郎元首相も唱えている。こちらもなかなか「見せ方」を知る人。言葉の使い方もうまい。もし細川氏を支援すれば、風を起こそうとするだろう。 ただし、衆院選を郵政民営化だけで戦うような劇場型選挙はごめんだ。そのツケは大きい。細川さんも晴耕雨読で学ばれたことだろう。(1月11日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~小泉さんと細川さん、何やら暗躍していると思ったら細川さんが担がれて都知事選に出るという。「やっぱりな」失望を感じつつも、そう思った人は少なからずいるのではないか。政治家というのは、普通とは異なった人種であることを、我々は知っているのだ。長年新聞社で働いた老父は「期待通りじゃないか」と失笑する。思えば「晩節を汚す」という言葉は政治家のためにあるのかもしれない。老醜をさらしながらテレビに映る御両名を眺めるに、そう痛感した次第だ。大義のない戦に勝ち目がないことは歴史が語るところだ。笠さんのように良く枯れよ、お二人さん。
2014.01.12
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【円地文子/女坂】◆明治初期の「家」における嫁の立ち位置を描く今や当然のように女性の地位が向上したとか、女性が強くなったとか言われているが、歴史をさかのぼってみると、そんなのつい最近やっと人格を持つ者として認められるようになったことが分かる。近代日本では、すでに一夫一婦制が導入されていたはずだった。だが、封建的な家制度に生きる嫁の立場は低く、哀れで、惨めなものだった。伝統に対して恨みごとを言うつもりはないけれど、女性が全てを犠牲にして家を守らねばならなかったというのは、なかなか酷なことに感じてしまう。女性たちの我慢、我慢の連続の延長線上に成立する封建的な家制度は、良くも悪くも男性中心主義にあった。「家」の崩壊は無秩序を引き起こしてしまうという、ある種の呪縛にとり憑かれていたに違いない。時代の移り変わりと西洋思想の流入により、伝統や風習にあまりにも固執するのはバカげているとのことから、日本の家制度も末期を迎えることとなった。それが女性を解放する一端を担ったことは確かだが、女性自身がそれを望んでいない場合もあったりして、事はむしろ複雑多様化しているように思える。『女坂』は、明治期を生きた女たちの「家」における立ち位置を描くものとして捉えてみると面白い。解説に引用されている著者・円地文子の言葉によれば、〈『女坂』は明治の女の言わば内緒話である。〉とのこと。どおりでパンチの効いた風俗史であるはずだ。あらすじはこうだ。地方の官吏として務める夫を持つ白川倫は、好色漢である夫のために妾を求めて上京した。女にかけては放埓な夫に複雑な思いを抱きながらも、白川家の恥とならないように、玄人筋ではない若くて器量の良い生娘を選ぶ必要があったのだ。結局、年は十五で、まだ月のものも始まっていない須賀という少女を、夫のために連れて帰ることになった。その後、さらに妾が一人増え、由美という生娘も抱え込むこととなった。一方、白川夫婦の長男・通雅のもとへ嫁いで来たのは、美夜という、一見、明るくおっとりとした気立ての良い娘であった。ところが通雅と美夜の夫婦関係は今一つで、あまり上手くいっていない。そんな折、通雅の父・行友(倫の夫)は、長男の嫁である美夜にまで手を伸ばし、深い関係となってしまう。倫は、その事実を知りながらも必死で息子に隠し通し、須賀や由美たちに口止めして何とか穏便に取り計ろうとする。倫は、家のことを取り仕切らねばならず、夜も昼もなく駆け回るのだった。『女坂』を読むと、「あまりにも女性の立場が低すぎる」と感じる箇所がいくつか登場する。なので、女性が読むのと男性が読むのとではかなり読後感に差が出る小説のように思われた。男性の専横がしごく当然の社会にあって、行友が好色の限りを尽くす様子など、おそらく男性読者は羨ましさを隠せないのではなかろうか?そうは言っても、ラストは主人公・倫が死を前にして意味深な言葉を夫に投げかけるところは、女性読者の溜飲を下げる。やはり、メンタル面では圧倒的に女性は強い!世の殿方よ、せいぜいご婦人方の扱いにはお気をつけなさいませ。(笑)『女坂』円地文子・著☆次回(読書案内No.108)は谷崎潤一郎の「麒麟」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.01.11
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【壬生義士伝】「貫一郎・・・食え、食え・・・南部の米だ。北上川の水で育った盛岡の米だ。・・・食え! のう、貫一・・・おめぇのお陰で、しづも子供たちも腹いっぱいだ。んだば今度はおめぇが食え! 南部の米・・・夢に見たべ。食ってけろ、貫一・・・うめぇぞ。貫一・・・貫一!(号泣)」幕末の日本が大きく波打って、揺れに揺れていたことは今さら言うまでもない。 日本の各地で一揆や強奪など、目に余る暴徒が横行し、治安は悪化する一方だった。そんな中、幕末の京都の治安を取り締まるために、会津藩が京都守護職の任に就いた。その預り浪士隊として活躍したのが「新撰組」である。 今ふうに言えば、会津藩という“企業”から委託を受けた「新撰組」という“派遣会社”が警察の仕事を引き受けたという図式になる。この「新撰組」の印象と言えば、昭和初期まではずい分と野蛮で冷酷非情な人斬り集団というイメージが強かったのだ。それは幕府側に立つ、言わば第一党であったせいで、改革を訴える知識人や思想家を徹底的に弾圧したからだ。しかしそれも、後世の史学者や歴史作家である司馬遼太郎の登場により、「新撰組」のイメージは大きく変わった。 明治初期、一人の老人が風邪をひいたと思われる孫を背負い、小さな診療所を訪れる。 すでに診察時間を過ぎていたが、町医者は嫌な顔一つせず、快く診察に応じる。 待合室は、近日引越しのため荷物が無造作に積まれ、雑然としていた。 老人は孫の診察を待つ間、ふと、古びた一枚の写真に目を見張る。 その写真に写った武士は、老人のよく知る男、吉村貫一郎その人であった。物語はここから回想シーンとして展開してゆく。幕末の京都、新撰組に一人の男が入隊して来た。盛岡南部藩出身の吉村貫一郎である。風采のあがらない、野暮ったさの目立つ田舎者である反面、その剣術は並々ならぬ腕前を持っていたため、隊士らは皆一目置いていた。だがその一方で、吉村は何かにつけ給金を要求し、タダ働きを好しとしなかったため、“守銭奴”と陰口をたたく者もいた。 この映画の原作は、世紀のストーリーテラー浅田次郎である。そのため史実とはかけ離れており、司馬文学のような格調高さは望めない。だが、現代を生きる我々にわかり易い方法で「義とは何か」「家族を想う心」などのテーマを、直球で教えてくれるのだ。吉村貫一郎という一人の隊士が、権力や名誉などに捉われることなく、ただただ愚直なまでに家族を愛する気持ち、真の武士として純粋に生き抜こうとする姿に、思わず涙を誘われる。 また、チョイ役だが、大野次郎右衛門(三宅裕司)の草履番として働く佐助役を、山田辰夫が好演。さらに、沖田総司役を堺雅人が史実に近く、のらりくらりと捉えどころのない前髪の美剣士として演じていることに注目。 難を言えば、終盤、ストーリーが流されぎみでピークを逸してしまったかに思えた。鳥羽・伏見の戦いのシーンにおいて、錦の御旗に立ち向かって行く吉村貫一郎をラストにしたらどうであろうか?その後の追記をナレーションかあるいはテロップにして幕府の終焉と明治の始まりを謳ったらどうであろうか?素人の勝手な世迷言なので、あしからず。ちなみに、原作は言わずと知れた浅田次郎、この映画が面白くないはずはない。浅田次郎原作の『鉄道員(ぽっぽや)』はコチラ(^^)v2003年公開【監督】滝田洋二郎【出演】中井貴一、佐藤浩市
2014.01.10
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先日は、内村鑑三先生から薫陶を受け(コチラ)、先帝の御製に感動し(コチラ)、出光佐三氏からご垂教(コチラ)をいただいた。明治、その高尚にして気高い時代に、おおいに想いを馳せる今日この頃である。そんな折も折、このたびは内村鑑三先生から具体的な訓育を授かった。『我等は人生の大抵の問題は武士道を以て解決する、正直なる事、高潔なる事、寛大なる事、約束を守る事、借金せざる事、逃げる敵を遂わざる事、人の窮境に陥るを見て喜ばざる事、是等の事に就て基督教を煩わすの必要はない、我等は祖先伝来の武士道に依り是等の問題を解決して誤らないのである。』 内村鑑三「武士道と基督教」「武士道」こそ、明治の高尚や気高さの元であり、それはまた現代の悩みや誤りを解くキーワードでもある。その内容たるや、明快そしてシンプルなにより極めて常識的なのだ。これが真理の実相である。我々が現実に抱えている問題、それは内村鑑三先生のいう『人生の大抵の問題』のひとつなのだが、それらは『武士道』をもって解決がかなう、そういうことなのだ。今の社会を俯瞰し、合わせて己の行状を省みたて、『武士道』に疎かなることは明白だ。そしてまた内村先生に『祖先伝来』と突きつけられると、ただただ恥じいるばかりである。今、我々は『武士道』に戻らならければならない。そして、それをもって『大抵の問題』をひとつひとつ確実に解決していくべきだ、そう思う。道徳教育が見直されている昨今である。願わくは、内村先生の七カ条を、日本国民として守らなければならない七つの事、として道徳教育の根底に掲げていただきたい。内村鑑三先生の言葉に触れ、日本の未来に希望の曙光を認めた次第だ。気が付けば、周りはすべて我が師なのである。感謝。
2014.01.09
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【東京新聞 筆洗】正月といってもコンビニもファミレスも営業している。元日の深夜、たばこを切らしてコンビニへ行く。レジの前に並んでいる青年が正月らしからぬ弁当を持っている。 実家に帰らないのだろうか。コンビニの弁当がたまたま食べたかっただけならいいが、どうも引っ掛かる。〈行くところなき身の春や墓詣(はかもうで)〉 永井荷風。正月のにぎやかさは光となり、かえって心に映る影を濃くする。 永島慎二さんの代表作『漫画家残酷物語』に家出し正月を下宿で過ごす若者の話(『春』・一九六三年)がある。「下宿のふとんの中で除夜の鐘を聞いていたら自分の生活がとてつもなく寂しく思えて」「おとなしくしていれば、みんなニコニコおとそをのんで、おめでとうが言えたのに」。 これに着想を得た曲が、はっぴいえんどの「春よ来い」である。大滝詠一さんが十二月三十日に亡くなった。「春よ来い」は大滝さんの部屋で松本隆さんが永島さんの漫画を見つけて歌詞を書いた。作曲は大滝さんで七〇年のデビューアルバムのA面の一曲目に収録。彼らが目指した「日本語ロック」の嚆矢(こうし)といえる。 大滝さんは「春よ来い」の歌唱について民謡歌謡の三橋美智也と浪曲の広沢虎造に影響されたと言っている。正月の孤独に耐える青年の気持ちをしぼり出すように叫ぶ。 コンビニの元気のない青年はどうしただろう。春よ来いである。(1月4日)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コラムを読みおえて五代目柳家小さん師の「不動坊火焔」を思い出した。『なにもそんなこたぁ大きなお世話なんですな』小さん師のマクラはどれも含蓄に深い。はじまりはこうだ。『人の仙気を頭痛に病む、ってのがよくございますな。あの人は今あんな暮らしをしているが、先にいってきっと困るかもしれない、なんてね。』そして『なにもそんなこたぁ大きなお世話なんですな』となるわけだ。さて、コンビニの青年や如何に。筆洗氏はご親切にも「春よ来い」とエールを送るのだが・・・『おおきなお世話!』青年だけではない。黄泉の小さん師も気色ばんでいるのではないだろうか。『なにぃ言ってやがんでぇ』とかなんとか・・・。人のことをとやかく言うのは落語の場合、ごく人のいい大家さんか、面倒見のいい横丁のご隠居と相場が決まっている。だから傾聴に値するし、言われたほうもストンと落ちるわけだ。筆洗氏に上から目線を感じるのは私だけであろうか。少なくとも、大家さんのような「人のよさ」とご隠居のような「面倒見のよさ」を感じることはないのではないか?加えてつまらないことなのだが、歌風の「墓詣」はそのものズバリではないはずだ。いわゆる「象徴符」である。歌風は実際に墓参りに行ったわけではない。身を持て余し表に出ではみたものの、これといって感興をさそうものもなく、しかたなく場末の寄席にでも入った。実際はそんなところであろう。それをして「墓詣」と言ってのけるのが歌風の真骨頂なのである。それはそれとして、大滝詠一さんの急逝は少なからずショックを受けた。おりしも平成二十五年の物故者一覧を眺めていた時に聞いた一報であった。不謹慎な言い方で恐縮なのだが、物故者の大トリを飾るにふさわしい「大物」である。私は同年代三人と昭和を偲びながら「A LONG VACATION」に聴き入った次第だ。そしてまた、いい機会をいただいたので、久しぶりに桂枝雀師の「不動坊」を聞き直してみた。何度聞いても捧腹絶倒、演じる落語をやらせたらこの人の横に出るものは誰もいない。おかげで除夜の鐘が笑いの彼方に聞こえたものだ。いい年越しをした。え~、話のほうでは昔から「終わり良ければ総て良し」よくそう言ったもので。
2014.01.08
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明治にかえる『私に命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない。』 内村鑑三 講和録 「後世への最大遺物」 より。内村鑑三先生は聴衆に思いの丈をぶつけた。『一つの何かを遺して往きたい。』然ればそれは何か。『誰もが等しく後世に残せるもの、それは勇ましい高尚なる生涯である。』聴衆は皆、血湧き肉躍ったことであろう。講和録は現代まで読み継がれ、そして数多の人々に多大な影響を及ぼした。聴衆の興奮を想像するに難くはない。それにしても「高尚」という言葉は久しく目にしていなかった気がする。昭和は遠くなりにけり、いわんや明治をや。そういうことであろうか。かつて日本は、しかもさほど遠くはない過去、清らかで気高い意志が充満していた。翻って現代を見渡す時、私は少なからず失望を懐くことを禁じえない。だがしかし、ありがたいことに我々は、今こうしてこうやって良書から薫染をこうむることが出来るのである。願わくは、一人でも多くの方に内村先生の、明治の思いを読んでいただきたい。平成二十六年、明治にかえり精神修養に励みたい、改めてそう思った次第である。降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
2014.01.07
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僕は青年に呼びかける。政治家をあてにするな、教育に迷わされるな、そして祖先の伝統の血のささやきを聞き、自らを頼って言論界を引きずれ、この覚悟をもって自ら鍛錬し、修養せよ、そして、その目標を明治時代の日本人たることに置け 出光佐三新保祐司氏(文芸評論家)の小論『「日本人に返れ」の声が聞こえる』からの孫引きである。出光興産創業者の出光佐三氏は近年、小説で有名だ。出光佐三氏の力強い言葉に接し、中年の身も血わき肉おどる。平和ボケした現代人へのまさに檄文である。早速、私は拙い文字で書き写し書斎に掲げた。2014年はこの言葉を指針に行動し、そして物事の判断にしよう。それにしても、我らが見習うべきは明治の人物なのである。出光氏の檄文を目にしそのことを改めて認識した次第である。
2014.01.06
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【シャーロック・ホームズ シャドウゲーム】「本気で私と戦うつもりなのかね?」「負けを覚悟しておくんだな」「忠告しておこう。私を破滅させる気ならば、破滅するのは君だ。君は尊敬に値する。だから生かしておいただけだ」「私への賛辞のお返しをさせて頂こう。あなたを破滅させられるのなら・・・命など惜しくない!」2009年公開の『シャーロック・ホームズ』の大ヒット御礼に気を良くしてか、2年後にその続編が公開された。何でもそうだが、2作目というのはいろんな意味で難しいというジンクスがある。特に、1作目のウケが良ければ、その分、2作目の期待度は増し、ハードルも高くなるわけだ。その点、『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』は、見事にそのジンクスをクリアしてくれた!ただし、これを従来のミステリー作品と捉えてはいけない。あくまでアクション映画として楽しむのをおすすめしたい。私は元々、イギリスのグラナダテレビ製作番組『名探偵シャーロック・ホームズ』を欠かさず見ていたので、ジェレミー・ブレット扮するホームズの大ファンである。だがそんな私も、ロバート・ダウニー・jrの演じるホームズに、心動かさずにはいられない。原作からは逸脱した演出だが、情熱的でストレートでいつだって自分に正直なホームズ、というキャラクター。これはワトソン役のジュード・ロウの、冷静で客観的なキャラクターがいい案配に相乗効果を上げ、納得せずにはいられないゴールデン・コンビネーションに仕上げられている。今回ネタ元となったストーリーは、アーサー・コナン・ドイルの原作にもある、『最後の事件』の章である。ここに登場するモリアーティ教授という人物が、今までにないインテリな敵で、さすがのホームズも覚悟を決めた好敵手なのだ。言ってみれば、孔明と仲達のような宿命のライバルであるわけだ。(『三国志』吉川英治・著を参考にして下さい)あらすじはこうだ。ワトソンは翌日に結婚を控え、ホームズ宅を訪れた。ホームズの部屋は植物が生い茂り、とんでもない状態にあった。本来、親友が結婚するとなれば、その前夜は新郎の付添い人が友人を多く誘ってお祝いを催すはずなのだが、ホームズは新郎の付添い人であるにもかかわらず、誰も誘っていなかった。ふてくされたワトソンは、クラブでカード賭博に興じる。その間、ホームズはこっそり二階のジプシー占い師のもとへ向かい、ホフマンスタール医師の持っていた手紙を占い師に手渡す。その手紙の宛名は占い師であるマダム・シムザで、差出人はその兄レネイからであった。 ところがそのシムザやホームズを暗殺するため、何者かが天井に隠れていた。ホームズは、自分なりの格闘をあれこれイメージし、必殺の技で敵を倒すことを戦法としていた。どうにか事無きを得た後、馬車で、酔い潰れたワトソンを教会へと送り届けると、ホームズのもとにモリアーティ教授から使いが届く。いよいよ黒幕であるモリアーティ教授と正式に対面することになったのだ。というのも、そのころロンドンの各地で連続爆破事件が発生し、人々を恐怖に陥れていた。実はそれが、世界戦争を起こさせようとする頭の切れる人物の企みであることを、ホームズはすでに知り得ていたのである。戦争によって、一部の者がばく大な利益を得る。その首謀者が、モリアーティ教授だったのだ。この作品の進行は展開が速く、ストーリーを理解するのに時間がかかる。だが、推理という一点においては、全く必要がない。犯人(敵)はモリアーティ教授であると、冒頭から告知されるからだ。では何を楽しめば良いのだろう?それはズバリ、アクションである。ホームズとワトソンの息の合った演技もさることながら、走る列車内の銃撃シーンなどゾクゾクする。カメラ・アングルもカッコ良く、技術面でのレベルの高さを感じさせる。また、意味深なホームズのワトソンに対する微妙な感情表現など、同性愛的なものを漂わせていて、思わず顔がほころぶ。銃弾の飛び交う中、林の中を無我夢中で走り抜けてゆくシーンも良かった!この場面は臨場感に溢れ、視聴者も思わずハァハァと息切れしそうな勢いである。何はともあれ、ロバート・ダウニー・jrとジュード・ロウのキャスティングは、この2作目によって完全に成功したと言っても過言ではない。二人が、まるで漫才師(?)のようにテンポ良く、息の合った掛け合いを見せてくれる。 「これは一度は見てみる価値があるよ!」と、私は言いたい。アクション大好きのあなたにおすすめだ。2011年(米)(英)、2012年(日)公開【監督】ガイ・リッチー【出演】ロバート・ダウニー・jr、ジュード・ロウ
2014.01.05
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【山本周五郎/青べか物語】◆浦粕町時代を懐かしむ「私」の回想記平成の今どきの小説は親しみやすく、身近なものに感じるが、やはり昭和の大作には作者の並々ならぬ緊迫感や切実感に溢れていて、時々はその深淵を覗いてみたくなる。大衆作家として知名度を誇る山本周五郎の作品は、どれも面白く読み易い。キャラクターにはそれぞれ存在感があり、背景には説得力がある。くさくさしてしている時に読めば、人間なんて皆、五十歩百歩であることを教えてもらえるし、ひと時のドラマに没入させてもらえる。とにかく、いついかなる時も読者を裏切らない。巧緻な文体である。生涯、次々とヒット作をたたき出した山本周五郎だが、直木賞を辞退している。代表作はありすぎて、どれも有名だが、中でも『樅ノ木は残った』が白眉だろう。『青べか物語』は、時代小説を多く手がけた山本周五郎の作品の中では珍しく現代小説である。しかも、ご本人の体験に基づいた小説のようだ。しかし、解説を読むと、私小説と捉えるべきではないとの助言もあるため、あくまでも“蒸気河岸の先生”の体験談として読む方が良いのかもしれない。とはいえ、年譜と照らし合わせても、著者の浦安時代とピッタリ重なるので、読者はどうしても著者自身の回想記と捉えてしまっても、致し方ないのではなかろうか。『青べか物語』は、浦粕町(架空の町名となっているが、おそらく浦安のこと)という猟師町が舞台となっている。「私」は町の人たちから“蒸気河岸の先生”と呼ばれ、3年あまりそこに住みつくことになる。住人は貧しいながらも、したたかで、狡猾である。無防備な「私」は、住人である老人から「いい舟だから買わないか」と騙され、“青べか”を買わされてしまうのだ。「私」は、釣舟宿の三男坊である小学三年生の「長」と仲良しで、その土地のあれやこれやを教わる。“青べか”がいかにぶっくれ舟であるかも、「私」に舟を買わせた老人が、そら耳を使う油断のならない人物であるかも教わった。一方、浦粕町の開放的な風俗にも「私」は驚かされる。というのも、この土地では「どこのかみさんが誰と寝た」などという話は、日常茶飯事のことだからだ。「浦粕では娘も女房も野放しだ」というのが、常識としてまかり通っていたのである。 『青べか物語』は、正統派の昭和の小説である。贅沢からは程遠いが、その日暮らしを楽しんでさえいる素朴な住人たちの息遣いさえ感じられる。あけすけで常識はずれでも、人肌のぬくもりを味わえるのだ。興味深いのは、最終章で〈三十年後〉の浦粕町を、著者が二人の同伴者を連れて訪れるくだりだ。懐かしさやら何やら、様々な想いが去来しつつも、著者は当時をしのび、都会化して変わり果てた浦粕町を見据える。戦後、国を復興させるためとはいえ、「日本人は自分の手で国土をぶち壊し、汚濁させ廃滅させている」のだと、著者は嘆く。失われた自然の景観を絶望的な眼差しで眺めている様子が、怒りに満ちた文体から伝わって来る。私たちは、常に進化していくテクノロジーと、情報化社会の波を流離っている。今さら昭和を懐かしむほどセンチメンタルにはならないが、少しは立ち止まってのんびりしたくもなる。そんな時、『青べか物語』は戦前の泥臭い日本の風土を、滑稽で方言たっぷりに描き出していて、その時代を知りもしないのに私にはとても心地良い。「ああ、私は日本人なんだ」と、改めて気付かされる瞬間でもある。昔、私が買った『青べか物語』の表紙は、安野光雄のイラストだったが、現在はどうなんだろうか?山本周五郎の世界観を、たかだか文庫本の表紙一つから表現する安野光雄の装画も、併せておすすめしたい一冊である。『青べか物語』山本周五郎・著☆次回(読書案内No.107)は円地文子の「女坂」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.01.04
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今年はと思ふことなきにしもあらず 正岡子規明治29年。年頭にあたり子規はこう詠んだ。そして前書きに記す。三十而立と古の人もいはれけん人生、半世紀を四年過ぎた身なれども「五十而知天命」の境地には程遠い。子規の忸怩たる思いを想像するに易いのだ。ともに励もうぞ、子規の叱咤激励を遠くに聞く酔正月の一日であった。
2014.01.03
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ちはやふる神の御代よりうけつぎし国をおろそかに守るべしやは 明治天皇 御製元旦の朝はこの和歌を日記に記し、そして初詣に出かける。これが私の数年来の儀式である。明治天皇の崇高にして純真なる精神を思い、神殿に向かい柏手を打つ。私は日本の威厳と品位を全身で感じ、日本人としてこの国に生まれたことに感謝をする。我が国土は甚だ悠久にして、そして平和そのものだ。まずは我が分を守り我が命を知り粛々と邁進しよう。年頭にあたりそう心に誓った次第である。
2014.01.02
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平成26年の始動です。今年も吟遊映人スタッフ一同(と言っても2名ですが)張り切って参ります。さて、元旦を飾りますのは、やはり、映画案内です。2011年12月の公開作品である『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』ですが、すでに丸2年も前のことになるのですね。ついこないだまで話題沸騰だと思っていたのですがーーー今さらだとは思いますが、案内させて下さい!【ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル】「長官は・・・死んだ。“ゴースト・プロトコル”が発令され、IMFは活動を停止。いかなるサポートも得られない。我々4人と、ここにある物が我々に残されたすべてだ。“容認されない行動は降りる”という者は、申し出ろ・・・ミッションは、ヘンドリクスの計画の阻止だ!」『ミッション:インポッシブル』シリーズは、何と言ってもエンターテイナーであるトム・クルーズの一人舞台のようなものなので、どうだろう、邦題は“トム・クルーズの”を付加して、『トム・クルーズのミッション:インポッシブル』てな具合にするのは?この際、“ムツゴロウとゆかいな仲間たち”とか“前川清とクールファイブ”など、そういうネーミングに対抗する(?)のだ。いきなりなぜそんなことを言い出すのか?と問われたら、私は迷わず言いたい。「だってトム・クルーズなんだもの」と。もうトム・クルーズワールドが炸裂なのだから!!前作と比較するわけではないが、本作は数段グレード・アップしている。やっぱりこうでなくちゃいけない。おもしろすぎるのだ!高層ビルの壁面を、ハイテクの手袋を装着して上ったところ、片方の手袋が故障してハラハラさせられたり、ドバイの砂嵐が吹き荒れる中、走って敵を追跡したり、カーチェイスでメチャクチャスピードを上げて敵に追いついたものの、あと一歩のところで取り逃がしてしまうなど、お約束とはいえ、このド迫力には脱帽だ。ストーリーはこうだ。IMFエージェントのハナウェイは、ブダペストで秘密ファイルを奪う任務に就いていた。 守備良くファイルを手に入れたはずだったが、一瞬の隙を狙われ、美女の殺し屋にさりげなく撃たれ、ファイルを横取りされてしまう。一方、モスクワの刑務所に服役中のイーサン・ハントは、ジェーン・カーターとベンジー・ダンの手助けによって脱出する。その後、IMFのミッションにより、“コバルト”というコードネームを持つ人物の正体を探るため、クレムリンに侵入するが、何者かによって先を越され爆破テロに巻き込まれてしまう。負傷して気を失い、病院のベッドで手錠につながれたイーサンは、ロシアの諜報員にテロの首謀者だと決めつけられてしまった。イーサンは関与を否定するため、病院を抜け出し、IMFに救助を求めるのだった。今回は、クレムリンを爆破した“コバルト”が、人類の次なる進化のためには核兵器による浄化が必要だとするテロリストで、この組織をあの手この手を使って追跡するのが見どころであろう。この展開はベタと言えばベタだけど、これがまた盛り上がる。視聴者は、どっぷりとトム・クルーズワールドに浸れるというしくみに出来上がっているのだ。「あら?」と目を見張ったのは、ブラント役のジェレミー・レナーだ。そう、『ハート・ロッカー』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた役者さんである。なんだろう、このスター然とした輝きは?! スタイリッシュでクールな出で立ち。憂いを含んだ表情がたまらない。こういう次世代を担う役者さんを起用した点も、この作品の成功の鍵となったかもしれない。CG重視のアクション映画が主流の中、もちろんそういう処理は施してはいるけれど、体を張ったアナログ的演出はお見事である。やっぱりトム・クルーズは、世界のトップ・スターなのだ!2011年公開 【監督】ブラッド・バード【出演】トム・クルーズ、ポーラ・パットン、サイモン・ペグ、ジェレミー・レナー
2014.01.01
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