全41件 (41件中 1-41件目)
1
【マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋】「シェイクスピアのリア王の死の場面(を知ってるかい)。たった一言“彼は死んだ”と。たったそれだけ。何のドラマも何の美辞麗句もない。歴史に名をとどめる珠玉の名作のクライマックスが・・・“彼は死んだ”。天才シェイクスピアが記した言葉は“彼は死んだ”・・・だがそれを読むたびに私は悲しみに胸をつかれる。“彼が死んだ”という言葉のせいじゃない。彼の人生が思い浮かぶからだ。」心がほんわかあったかくなるファンタジードラマ。そういうストーリーは、子ども向け大人向けという枠に囚われず、映画を愛する全ての人たちがハート・ウォーミングな気持ちになれば良い。愉快なおもちゃの世界に浸るのも良いし、役者のセリフに胸を打たれるのも良い、心地良いBGMに耳を傾けながら穏やかな時を過ごすのも良い。どんな楽しみ方をしてもこの作品からは非難の声など聞えない。万人が満面の笑みで「ああ、おもしろかった!」と賛辞を唱える映画なのだ。街の一角に建つ創業113年のおもちゃ屋は、243歳のオーナーマゴリアムおじさんと、23歳の天才ピアニストのモリー、そしてお手伝いの少年エリックで切り盛りしていた。だがマゴリアムおじさんは突然引退を宣言。モリーに跡を継いで欲しいと頼む。さらにこれまで一度として店の資産価値など割り出したことがなかったが、売り上げも含めて計算するよう会計士のヘンリーに依頼した。そんなある日、店の壁がみるみるうちに変色し始めた。どうやらマゴリアムおじさんの引退に対し、命を吹き込まれたおもちゃたちがすねて、言うことを訊かなくなってしまったのだ。ダスティン・ホフマンが死について語る場面がある。それはシェイクスピアの「リア王」の一節だ。“彼は死んだ”・・・こんなにストレートで単純な表現が、どうしてこれほどまでに後世に影響を与えるのか。“死”というものがいかに悲しい事象であっても、消えてなくなること以外のなにものでもないことを端的に表現している。魔法がこの世にあることを信じて疑わない無垢の子どもも、やがて大人への扉を開ける。 青春前期、少年少女期との決別。漠然とした喪失感に襲われる。年を経て、やがて老いを迎え、再び若かりし頃を思いめぐらす。同時に“死”に対する悲しさや、いつの間にか身についた潔い覚悟。誰もが通る同じ道。なぜだろう、この作品からは哲学的な格調高ささえ感じられた。ジーンと胸の熱くなるようなノスタルジックな気持ちと、擬人化されたおもちゃの世界に、思わず童心にかえってしまうのだ。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】ザック・ヘルム【出演】ダスティン・ホフマン、ナタリー・ポートマン
2013.12.22
コメント(0)
【プリンセス・トヨトミ】「その後、豊臣の血筋はどうなったんでしょう?」「わからんね、そんなことは」「真実を知る手立てはないということですね?」「歴史というのはあくまで氷山の一角に過ぎない。しかもその時々の権力者があちこちに手を加えることもあって、真実なんてどこにあるのかわからなくなる」この作品は万城目学(マキメ マナブ)の同名小説を映画化したものである。万城目学と言えば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのある売れっ子作家で、代表作に『鹿男あをによし』などがある。著者は京大卒のエリートで、一年先輩に作家の平野啓一郎氏がいるとのこと。(※ウィキペディア参照)『プリンセス・トヨトミ』で直木賞候補にもなった作品ということもあり、さぞや見ごたえのある映画であろうと期待してしまうと、肩透かしを食らってしまう。歴史ファンタジーというには、その背景描写が弱い気もするし、青春サクセス・ストーリーというには、目立ったヒロインの活躍はない。(あくまで映画の感想。小説の方は未読。)じゃあ一体見どころはどこなんだと問われれば、他の映画解説にもあるように、大阪の街が無人となるシーンであろう。普段は賑やかな繁華街や、人ごみで溢れているはずの駅の構内などが、二度とはないほどの静けさに包まれてしまうのだからスゴイ。“大阪市民の全面協力”というのは、決してウソではないはずだ。東京から大阪に会計調査官がやって来た。調査に余念のない“鬼の松平”こと松平と、その部下である“ミラクル鳥居”こと鳥居、それにフランス人とのハーフである旭ゲーンズブールの3人だ。彼らは順々に実地調査を進め、空堀商店街を訪れる。そこで、財団法人大阪城址整備機構(OJO)を調査する。いつものように念入りに調査するものの、経理担当の長曽我部にさり気なくかわされてしまい、違和感を残しつつも事務所を去ることに。3人は商店街の一角に店を構えるお好み焼き屋“太閤”で食事をしたところ、松平がOJOの事務所にケータイを忘れたことに気付く。今回、主役ではないが、重要キャラとしてお好み焼き屋を営む真田役に中井貴一がキャスティングしている。この役者さんは、いつ、どんなキャラでも全力で演じてみせる意気込みが感じられ、見ていて清々しい。また、男勝りでカリスマ的魅力を振り撒く茶子役に、沢木ルカが。ティーンとしての爽やかさに溢れていて、気持ちが良い。笹野高史や江守徹などの演技派に固められ、支えられた作品であろう。ちなみに興行的には大成功を収めている映画だ。2011年公開【監督】鈴木雅之【出演】堤真一、綾瀬はるか、岡田将生
2013.09.08
コメント(0)
【ドライブ・アングリー】「あいつら警告なしに撃って来たわ。目的は逮捕じゃない、殺す気よ! あなたを殺そうと・・・あなた脱獄囚なの? 殺人犯?・・・何なの?!」「両方だ」「なんで私が・・・あんたのせいで警官を撃ってしまった!」映画そのものはB級の域を出ない。だが出演しているのがオスカー俳優であるニコラス・ケイジということで、はて、なぜこの作品に?と、首を傾げてしまうところだ。考えられる理由はいくつかあるが、この役者さんは車好きの車マニアで知られているらしい。(ウィキペディア参照)だから、ダッジやシボレーなどが登場し、カーアクションがくり広げられるとなったら、たとえB級であろうと出演を渋るわけにはいかなかったのでは。また、そんなニコラス・ケイジは高級車のコレクションに余念がないため、かなりの浪費癖があるらしい。借金の返済のためには、映画の質的なものにいちいちこだわっているヒマはないというのが、ホンネかもしれない。映画そのものは、確かにコテコテだ。だがなにしろ出演者が良すぎる。ニコラス・ケイジを筆頭に、監察官役のウィリアム・フィクナーやら、ヨナ・キング役のビリー・バークまで、これだけアクの強いキャラをごくごく自然な演技力でカバーしている。パイパー役のアンバー・ハードは、キュートでチャーミングで、それでいて男に負けていなくて本当にカッコ良かった。愛娘をカルト教団によって殺害され、その赤ん坊を生け贄としてさらわれてしまったミルトンは、地獄の闇から蘇った。カルト教団の教祖であるヨナ・キングを捕まえ、その手から娘の忘れ形見である赤ん坊を救うまでは、死んでも死に切れないからだ。途中、立ち寄ったレストランで、勝気で正義感の強そうなウェイトレスのパイパーと出会い、彼女まで巻き込みながら、憎いヨナ・キングを追うのだった。主人公のミルトンという名前は、『失楽園』の著者から取ったのであろうか? (間違っても渡辺淳一の方ではない)そのわりに楽園を追われた者のようではなく、むしろ脱獄(?)を楽しんでいるような素振りさえ見せる。しかも精力は絶倫で、作品を見てもらえば分かるが、とにかく超人的なスゴさだ(笑)。 この映画の何が楽しいかと言えば、まぁクレイジーなことだろう。あと、珍しい車も出て来るので、車好きには必見かも。暇つぶしにはまずまずの、娯楽B級映画だ。2011年公開【監督】パトリック・ルシエ【出演】ニコラス・ケイジまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.10.21
コメント(0)
パ・リーグの優勝が日本ハムに決まりました。日本ハムといえば栗山監督、そして栗山監督といえば『フィールド・オブ・ドリームス』です。知る人ぞ知る。まずは以下の北海道新聞コラム/卓上四季をご一読あれ。このコラムのおかげで、昨晩は名画に再会することができました。日本ハム、栗山監督、『フィールド・オブ・ドリームス』という短絡思考な吟遊映人ですぅ(汗)△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△《夢の畑》 「もしも望みがあるとすれば・・・。いいかね、もしもだよ」老医師は、そう前置きして心の奥にしまい込んでいた夢を明かす。彼、ドック・グラハムは若き日に米大リーグのチームに所属していたが、出場は1試合。終盤に守備固めで外野に立っただけで、球界を去った。だから、一度でいいから打席に立ってみたい。バットがボールを捉える感覚を腕に感じ、頭から滑り込みたい。それが老医師の願いだった。W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」。以前も当欄で触れたが、トウモロコシ畑の私設球場で野球への夢をかなえる物語だ。就任1年目でチームをリーグ優勝に導いた日ハム監督の栗山英樹さん(51)は、小説が原作の映画「フィールド・オブ・ドリームス」に心を動かされ、空知の栗山町に私設の球場を造っている。大学からプロ野球界に入ったが、現役生活は7年間と短い。「この1打席がヒットになるかどうかで、野球人生は変わると思いながら打席に立ってきた」との言葉に切実さがにじむ。「だから同じ思いの選手には、できるだけのことをしてあげたい」と。若手や負担をかけた選手の活躍に目を潤ませ、うるうる監督の異名もあるとか。他者の希望や願いを感じ取る「共感力」がチームをひとつにした。かなわなかった夢は畑となり、また新しい夢を育てる。そのことを、知る人だと思う。北海道新聞△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△当ブログ(吟遊映人)でも『フィールド・オブ・ドリームス』は記事にしております。もちろん映画版ですが、ケヴィン・コスナーの好演は何度見ても実に印象深いものがあります♪画像はトウモロコシ畑を切り開いて球場をつくる主人公レイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)です。北海道新聞のコラムを読みながら、何となく栗山監督に姿がだぶりました。別の情報ですが野球がオフの日、栗山氏は空知の農園で百姓となり過ごすそうです。田夫野人たる氏は、さぞや魅力的なことでしょう♪吟遊映人は、栗山監督のフィールド・オブ・ドリームスがかなう日を、楽しみに待ちたいと思います!過去記事『フィールド・オブ・ドリームス』はコチラをご覧くださいね。末筆になりましたが、北海道新聞の適時コラムに感謝(^人^)
2012.10.05
コメント(0)
「お前たちの名前は知っているぞ。今や伝説だからな・・・私はペストにやられた。私だけではない、国中にペストが蔓延している」「地獄からの呪いだ。黒い魔女の仕業なのだ」個人的にニコラス・ケイジは大好きだ。出演作品によっては、他の役者さんなら断るであろう濃いキャラも、平然と演じてみせるプロ根性を見せてくれるからだ。だが、ここ最近の出演作にはファンとして納得できないものも、正直ある。オスカー俳優としてのプライドは、一体どこへいってしまったのだろうかと、首を傾げたくなるほどだ。また、ニコラス・ケイジにまつわるゴシップも頻繁で、まるで転がる石のように下降線をたどって行く姿を見ると、心配でならない。この『デビル・クエスト』にしても、本来はニコラス・ケイジのような大物が出演する作品とは思えない。それでもさすがはニコラス・ケイジ、主人公のベイメンという伝説の騎士を、格好良く演じている。とはいえ、騎士にあこがれて途中から仲間に加わる青年カイに、半分存在感を奪われてしまうようなラストにがっかり。肩透かしなストーリー展開となっている。これは、出演者の演技力ではなく、当然ながら脚本の不出来と言わなければならない。 中世のヨーロッパが舞台。十字軍の騎士ベイメンとフェルソンは、遠征先で兵士以外の女や子どもにまで手をかける残虐行為に、疑問を抱き始める。14世紀当時ペストが大流行したのだが、それは魔女の仕業だと恐れられていた。そのため、魔女狩りのもとに大規模な粛清が行われていたのだ。ベイメンとフェルソンは、秘かに十字軍を抜け出すと旅に出る。ところがとある町で捕らえられてしまう。そこでは騎士であることを見込まれ、魔女として捕らえられている女を修道院まで運び、魔女裁判にかけるよう特命を受けるのだった。14世紀の田舎町の風景や、荘厳な修道院などを再現した美術セットはスゴイと思った。 中世のヨーロッパには、日本人を魅了する格調高さが感じられるからだ。無論、役者らがさり気なく身に着けている、当時の衣装にも目を奪われる。マントを翻して颯爽と歩く姿は、騎士として充分に見ごたえがある。さらに、ペストで病んでいる枢機卿の特殊メイクに注目したい。伝染病としての恐ろしさと、醜く変形した容姿に愕然とし、恐怖感を煽る。ファンタジー映画全般に興味のある方にはいいかもしれない、そんな作品だ。2011年公開 【監督】ドミニク・セナ【出演】ニコラス・ケイジまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.09.02
コメント(0)
「ねぇ、あなたは5000年も眠って結構なご身分ね。私は5年涙に暮れ、妹のこんな姿を見て苦しんでるの。神々は私を守ってはくれないわ。日々、苦悩の中で生きてるのよ。永遠に続く罪の意識と共にね・・・」リュック・ベッソン監督のユニークなのは、『レオン』や『ジャンヌ・ダルク』などのシリアス映画を手掛ける一方で、『アデル』のようなファンタジー作品も作ってしまうところだ。心地良いテンポでストーリーが展開し、コミカルな作風は年齢を問わず、幅広い客層の興味をそそる。この作品の基になったのは、フランスの人気マンガ『アデル・ブラン=セック』シリーズで、それを実写化。こういうパターンはよくあることとはいえ、いかにマンガの影響力が強いかを表している。いまやマンガは世界的に市民権を得て、侮れない地位を築き上げてしまった。そんな中、さすがは美意識の高いフランス映画なだけあって、舞台となる1900年代のパリが美しく鮮やかに再現されていた。主人公アデルが身に着けた衣装も、優雅で品があり、うっとりする。見ていてため息が出てしまうほどだ。1911年、第一次世界大戦前のパリが舞台。博物館に展示されていた恐竜の卵の化石が、孵化してしまったのだ。それは、ジュラ紀を専門とするエスペランデュー教授による仕業だった。孵化したのは太古に絶滅したはずのプテロダクティルスで、大きな翼を広げてパリの空を飛び回り、人々を驚かせた。一方、若く美しい女性ジャーナリストのアデルは、エジプトの王家の谷に来ていた。古代エジプトに伝わるという復活の秘薬を探しに、はるばるパリから渡ったのだ。というのも、アデルの愛する妹は、テニスのプレー中、不慮の事故に遭い、ずっと仮死状態になってしまった。その妹をなんとか救いたいがために、復活の秘薬の謎を解くカギとなる、ラムセス二世の侍医のミイラを持ち出そうとするのだった。主人公アデル役に扮するフランス人女優のルイーズ・ブルゴワンは、透明感のある演技と、チャーミングで気取らない美しさがとても魅力的だった。ハリウッドの特殊効果を駆使したSFとは違い、次から次への目まぐるしい展開とはいかないが、フランスらしい優雅さと、個性豊かな登場人物に思わず顔の筋肉も緩んでしまう。ある意味、ベタなファンタジー作品だが、最後まで安心して楽しめる映画だ。2010年公開 【監督】リュック・ベッソン【出演】ルイーズ・ブルゴワンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.08.26
コメント(0)
謹んでご冥福をお祈り申し上げます(-人-)絵本作家のモーリス・センダック氏が死去されました。吟遊映人は、センダック氏に哀悼の御霊を捧げます。あらためて「かいじゅうたちのいるところ」を読み返してみて、今更ながらではありますが、氏のみずみずしい感性とみなぎる創作意欲は圧巻であると気がつきました。 今宵はしみじみDVDに浸りたいと思います。 吟遊映人は2010年6月1日にDVDの鑑賞記事をアップしました。拙いものではありますが、ご一読いただければ幸いに存じます。記事はコチラから。
2012.05.09
コメント(0)
「なぜ運転手のお前がコーヒーを入れてる?」「彼はよく言っていた。“誰もウマいコーヒーを作らん”と。そこであの機械を作ったんだ」「確かにお前のコーヒーは最高だ」この作品はもともとアメリカのテレビ番組で放映され、大人気を博したものらしい。リアルタイムで見ていないため、わずかなネットの情報で知り得た限りのことで言えば、オリジナルのカトー役に扮したのはブルース・リーで、これにより世界のアクション・スターとしてその名を轟かすことになったようだ。(ウィキペディア参照)今回はカトー役をジェイ・チョウという台湾出身のマルチタレントが演じている。だが、あなどるなかれ。この役者さんはアジアを中心に、絶大な人気を誇るコメディアンでもあるらしいのだ。 そうは言っても、東洋人の欠点でもある表情の乏しさは回避できず、最後まで消化不良ぎみだ。デイリーセンチネル新聞社の社長である父を亡くしたブリット・リードは、それまで経営には一切タッチして来なかった。にもかかわらず、後を継ぐ。だがブリットはボンボンで、何一つまともにできない。ある朝、いつも決まって飲んでいるカプチーノがひどくマズイので怒ると、おいしいカプチーノを入れる係は亡き父の運転手カトーであることが分かる。ブリットはすぐにそのカトーの解雇を取り下げると、再び自分の下で働くことを依頼する。というのも、カトーは実は天才的な技術者であり、武闘家であった。数々のハイテクマシンを発明し、銃弾を通さない丈夫な車や、人を殺さない武器などを開発していたのだ。ブリットは、そんなカトーの発明品を見て正義に目覚め、ロサンゼルスの犯罪組織を一掃する決心をするのだった。どう言ったらいいのだろう? 全体的に懐かしいものを感じるのだ。アクションが一昔前のような、レトロさを残した演出になっているせいだろうか?それとも、CGを駆使した仕上がりとはほど遠いせいだろうか?内容は、犯罪組織と戦う正義のヒーローが活躍するストーリーには違いないのだが、半ばコメディのニオイがプンプン漂う。だとしたら、コメディ色を強くして、もっとドタバタアクション喜劇にしたらおもしろかったかもしれない。この作品のヒロインとしてキャメロン・ディアスが出演しているが、主役の二人とバランスを取るためにも、もう少し若手を起用しても良かったかなぁという気がする。(無論、キャメロン・ディアスは申し分ない女優さんで、一点の非もないが)全体を通して奇をてらわず、とてもオーソドックスな仕上がりになっていたと思う。2011年公開【監督】ミシェル・ゴンドリー【出演】セス・ローゲン、ジェイ・チョウ、キャメロン・ディアスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.11.25
コメント(0)
「親父は年に負けた。僕の年の頃には老人だったし。親父にも夢はあったろう。でも何もしなかった。何一つ冒険をしなかったんだ。僕はそうなるのが怖い。そういう冒険ができるのも、今が最後だ。・・・野球場を作りたい」「あなたが本気でそうしたいと思うなら・・・作るべきよ」ここのところめっきり涙腺が弱くなったのか、この手の作品には刺激される。内容そのものに壮大なドラマがあるわけでもなし、役者の演技力に思わず夢中になってしまうというわけでもない。人には、なんだか分からないが物凄く胸を打つ作品というものが必ずあって、自分にはその一つがこれに当たるのだと思う。(他にもイーストウッド監督の『マディソン郡の橋』がある)下積み生活の長かった、ぼくとつとした雰囲気が持ち味のケヴィン・コスナーにとって、この作品の主人公は正にドンピシャであった。アイオワ州のへんぴな農村地帯で、トウモロコシ農場を営むという設定は、ケヴィン・コスナーの容姿や体裁から言っても、申し分のない役柄だった。この作品が製作された80年代後半というのは、日本ではバブル全盛期、アメリカでも好景気に沸いていた時代だ。陽気で悪ふざけ的な風潮が巷を賑わし、真面目さが“ダサイ”時代でもあった。正にそんな時だ、物質至上主義からの解放と本当の自由と夢の再生のために立ち上がろうではないかと、この作品が産声をあげたのだ。舞台はアイオワ州の田舎町。レイ・キンセラはしがない農家で、妻と娘を養っている。ある日の夕暮れ時、トウモロコシ畑を歩いていると、耳もとで“それを作れば、彼が来る”という声を聞く。レイは気のせいだと思いながらも、眠りに就いてからもその言葉が耳から離れない。レイはわけもわからず、まるで何かに憑かれたように、トウモロコシ畑を切り開き、そこに野球場を作るのだった。ところがその分、トウモロコシの収入が減り、抵当に入れてある家も借金の代わりに取られてしまいそうな瀬戸際だったのだ。そんなある晩、野球場に、ずいぶん前に球界から永久追放されたはずのジョー・シャクソンが立っているのだった。ケヴィン・コスナーが頂点を極めるのは、『フィールド・オブ・ドリームス』の次に出演した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』である。そう考えると、『フィールド・オブ・ドリームス』はちょうど右肩上がりの、乗りに乗った時期での出演だったのだ。軽薄さとアバウトなノリに別れを告げるのに相応しい役者、それがケヴィン・コスナーであった。あれから20年後の今この作品を鑑賞すると、再び時代が思慮深さと真面目さを求めていることに気付かされるから不思議だ。1989年(米)、1990年(日)公開【監督】フィル・アルデン・ロビンソン【出演】ケヴィン・コスナー、エイミー・マディガン、レイ・リオッタまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.11.21
コメント(0)
「私の甥か。よく来たな。(お前は)父親に似てる。ポセイドンはいい男でよかったな」 「待ってよ、あんたがハデス?」「そうだ」「こんな(人間と同じ)見かけとは意外だよ。なんだかオシャレだね」「お前らが気に入る姿に変わろうか?」(ハデス、悪魔の姿に変身する)「(待った、待った。やっぱり)ミック・ジャガー風の(人間)がカッコいい!」不思議なもので、ギリシア神話というのは、同じ古典でもスリリングでエキサイティングでとにかく賑やかな雰囲気を感じてしまう。転じて日本の古事記あたりはどうなんだろうか。“八またの大蛇”のくだりはCGを駆使して壮大なスケールの映画が出来そうな気もするが。こればっかりは、ハリウッドのような強力なドル箱を運営・管理している映画会社のバックアップがないと、ちょっと難しいかもしれない。吟遊映人が考えたのは、『スサノオノ命と八またの大蛇』というタイトルで、ジャケットのコピーは、“今、古事記が現代によみがえる! 愛と感動のスペクタルロマン!”いかがでしょう、ハリウッドのどなたか、このブログをご覧になっていたらぜひともご検討下さい。吟遊映人は、日本の古事記を応援しています。閑話休題。本作「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」は、アメリカの児童文学作家リック・リオーダン(リック・ライアダン)原作による同名小説を映画化したものである。第1部の『盗まれた雷撃』という章が下地となっている。全能の神ゼウスは怒りに震えていた。それは、天候を司る大切な稲妻をポセイドンの息子に盗まれたと思ったからだ。ポセイドンは息子の無実を訴えたものの、ゼウスは聞く耳を持たない。ある日、17歳のパーシー・ジャクソンは、授業中にこの世のものとは思えないモンスターから「稲妻を返せ」と襲われる。訳の分からないパーシーは、親友のグローバーとブルナー先生から、自分の正体がポセイドンの息子であることを告げられるのだった。だがパーシーは、本当に稲妻のことなどつゆ知らず、神々の騒動に巻き込まれていくのだった。主人公パーシー・ジャクソン役に扮するのは、ローガン・ラーマンである。最近の映画出演作品として、「3時10分、決断のとき」などがあり、クリスチャン・ベールと共演を果たしている。整った端正な顔立ちで、何か知られざるパワーを持っていそうな雰囲気をかもし出している。さらに、パーシーの親友兼守護者役としてブランドン・T・ジャクソンが出演。この役者さんはもともとコメディアン出身で、そのキャラを活かし、作中でも三枚目のムードメイカーとして活躍している。同じファンタジー系の「ハリー・ポッター」シリーズとはまた違った、古典をベースにしたところに価値があり、若者たちの爽やかな息吹を感じる作品であった。2010年公開【監督】クリス・コロンバス【出演】ローガン・ラーマン、ブランドン・T・ジャクソン、アレクサンドラ・ダダリオまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.10.21
コメント(0)
「私はなぜパイロットなのか(わかる)?」「さぁ、わからない」「好きだから。それが一番の理由よ」陽気で愉快な映画というのは、観ていて本当に肩が凝らない。知らないうちに顔がほころび、作品に惹き込まれているから不思議だ。ややもすれば、日本と外国では笑いのセンスが大幅に違うため、コメディタッチものを鑑賞した時などは、アメリカ人のジョークに首を傾げてしまう場合もある。そんな中、本作「ナイトミュージアム2」は、世代を問わず大人から子どもまで申し分なく楽しめる作品であった。この作品は2006年に公開されたものの続編で、ますます笑いに磨きをかけた、全編を通して明るいムードに包まれた作品である。徹底的な悪役が存在しないため、どこか微笑ましく、観ていて安心感のあるストーリー展開なのだ。アメリカ自然史博物館では、館内改装のためしばらく休館となっていた。一方、同館の夜警を務めていたラリーは、発明した夜間用のライトが大ヒットし、会社を立ち上げていた。そんな中、自然史博物館の展示物は、スミソニアン博物館の地下保管庫に保管されることになった。ところが自然史博物館に残されるはずの魔法の石版が、いたずら好きの猿によってスミソニアンまで運ばれてしまうのだった。作品中にほんのチョイ役で、ダース・ベイダーとセサミストリートのオスカーが登場する。愉快なのは、ダース・ベイダーがいじられるシーンで、スースーという呼吸音をぜん息呼ばわりされるのが可笑しくて仕方なかった。また、NHKの教育テレビで幼い頃「セサミストリート」という子ども向けの番組を見て育った世代には、とても懐かしいノスタルジックな気持ちで溢れることだろう。吟遊映人は、セサミストリートに登場するエルモ、ビッグバード、それにクッキーモンスターなど個性豊かなキャラクターをこよなく愛し続けて止まない。すでにこの番組はNHKで放送されてはおらず、人伝にテレビ東京で放送されていると訊いたが、最近はどうなのか分からないのであしからず。余談になったが、そんな楽しく愉快なキャラクター、あるいは歴史上の人物、すでに絶滅した恐竜などが一堂に会し、夜の博物館を賑やかに盛り上げるとは、なんと夢のあるストーリーであることか!これはぜひともご家族で楽しんでいただきたい一作なのだ。2009年公開【監督】ショーン・レヴィ【出演】ベン・スティラー、ロビン・ウィリアムズ、エイミー・アダムスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.10.09
コメント(0)
「考えてたんだ。僕たちには仲間に対する責任がある。ロールシャッハを助けよう。彼はハメられた。ジョンもガンの原因か? (傍にいた)君は無事じゃないか」「火事を消すのと刑務所に乗り込むのは違うわ」「(ああ)大違いだ・・・だが、より面白い」アメリカン・コミックにはあまり詳しくなく、いやほとんど知らないと言った方が正しい。せいぜい“スーパーマン”や“バットマン”の類しか頭に浮かんでこない。そういうヒーローモノこそが正統だと思っていたため、本作のような趣の異なるヒーローコミックは、実写化されてもなおさら難解であった。だが、こんな無粋な吟遊映人でも、「ウオッチメン」が単なる勧善懲悪を主としたヒーローモノではないことだけは理解できた。1930年代から40年代にかけて、アメリカでは仮面とコスチュームを身に着けたスーパーヒーロー達が犯罪と戦っていた。その後、何十年か経って第二世代のスーパーヒーロー達が、ウオッチメンと名乗り、世間に強い影響力を及ぼした。そんな中、1985年にウオッチメンのメンバーであるコメディアンが、何者かによって殺害される。それを内々的に捜査したのは同メンバーであるロールシャッハで、何者かがスーパーヒーローたちの抹殺をもくろんでいるのではと推理する。ウオッチメンのメンバー全員に、暗く、陰鬱な過去が纏わりついているようだ。背景にそのような影を落としながらも、今をスーパーヒーローとして生きるそのプロセス、あるいは心理描写をもう少し表現していただければありがたかった。なにぶん、勉強不足のため、本作の衝撃的な世界観を理解するのは至難の業なのである。 さらに、ラストシーンの込み入った状況も、まるで糸が絡まったように整理するのに苦労した。「ウオッチメン」を鑑賞するには、時を置いて二回ぐらい見直した方が良さそうだ。念のため申し上げておきたいのは、本作はアメコミの実写化であるが、子供向きではない。正に、大人向けの作品である。R-15指定の成熟した大人が楽しむための作品なのだ。2009年公開【監督】ザック・スナイダー【出演】ジャッキー・アール・ヘイリー、マリン・アッカーマン、パトリック・ウィルソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.08.21
コメント(0)
「外は敵で満ちている! だがここは我らが生まれ育った土地だ。何も恐れることはない。敵の本陣まで一気に走り抜き、高虎を討つことのみ考えろ。倒れた仲間は見捨てろ。たとえそれが身内であってもだ。よいな!」「(兵士たち一斉に)おう!」本作は、アニメの「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ、アッパレ!戦国大合戦」を原作とし、実写化したものである。子ども向けのアニメが原作なのかと単純に決め付けないでいただきたい。もともとの「嵐を呼ぶ、アッパレ!戦国大合戦」のラストシーンなどは、黒澤監督の「乱」がモチーフになっているかと思われる大作だからだ。だとすれば、子ども向けどころか充分大人にも何らかの影響力を与える、格調高いアニメ映画と言えるだろう。そんなクレヨンしんちゃんをさらに完成度の高い実写化に成功したのだから、つまらない訳がない。現代から戦国時代へとタイムトラベルするという奇抜な発想も、ファンタジックでロマン溢れる歴史ドラマになっている。臆病で、苦手なものから目を背け、逃げてばかりいる自分にコンプレックスを抱く小学生の川上真一。真一は、ふとしたことから天正二年の戦国時代にタイムスリップしてしまう。時代は正に合戦の最中。真一は一体自分がどうしていいものか分からない。一方、真一の出現により、侍大将の井尻又兵衛は危ういところ難を逃れる。又兵衛は、着るものや言葉遣いの違う、未来から来たという真一を不思議に思いつつも、面倒をみるのだった。本作「BALLAD」で目を見張るような演技を披露してくれるのは、やはりなんと言っても草なぎ剛であろう。セリフの間の取り方、さり気ない視線の投げ方、腹に力を入れた語気の強さなど、一点の曇りもない実に見事な演技力であった。脇を固める役者陣も錚々たる人物ばかりで、アイドル草なぎ剛が一体どんな役の幅を見せてくれるのだろうかと半信半疑であったが、そんなものは不要だった。存在感と演技力が見事に融合して、物語はヒューマンドラマにまで高められているほどである。草なぎ剛の白眉たる作品なのだ。2009年公開【監督】山崎貴【出演】草なぎ剛、新垣結衣、筒井道隆また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.06.25
コメント(0)
「みんなでここに世界を作ろうとしてたんだ、でも・・・。歯がゆっくりと抜けていく感じってわかるか? 気づかないうちにバラバラになって・・・。ある日見ると、歯が一本もない」「・・・うん」「そんな感じだった」児童文学や幼児向け絵本を読まなくなって久しい。だが、「かいじゅうたちのいるところ」は余りにも有名で、忘れようと思ったところで忘れられるものではない。原作はモーリス・センダックで、緻密で古典的な画風を得意とする絵本作家である。1964年に「かいじゅうたちのいるところ」でコールデコット賞を受賞した。いわば、児童文学界の芥川賞みたいなものであろうか。センダックの作品はどれも素晴らしく、心に残るものが圧倒的であるが、吟遊映人のおすすめはグリム童話でも有名なグリムの原作「ミリー~天使にであった女の子のお話~」に挿絵をつけたセンダックである。この画家の特徴を全て引き出してくれるような、鮮やかな色彩と存在感を際立たせるイラストなのだ。そんなセンダックの「かいじゅうたちのいるところ」が、受賞から何年も経て、それも実写化されるなんて、正に夢のような奇跡である。それもこれもCG技術の発達など、作品をより生き生きとファンタジックに仕上げるための充電期間であったのかもしれない。8歳の少年マックスは、いたずら好きの暴れん坊。姉のクレアやママにも、もっともっとかまってもらいたい年頃ではあるが、ママは仕事、姉は同級生たちとの付き合いで、マックスは寂しさを募らせる。そんなある晩、マックスはママと大ゲンカして家を飛び出してしまう。そして、磯部につながれた小舟に乗って旅に出る。たどりついたのは、マックスがこれまでに見たことのないかいじゅうたちの棲むところであった。本作は、原作から大きく逸脱することなく、実にストーリー性を重視している。マックスの家庭環境や母親と大ゲンカして家を飛び出してしまう伏線が、8歳の少年の寂しさと幼さを上手く核心へと導いている。マックスが孤独から逃れようとするかの如く、かいじゅうたちと愉快なダンスを始めるシーンは、どこか切なささえ感じさせる。また、仲良しのキャロルにつれられて砂丘をてくてくと歩いて行くシーンは、実に幻想的だった。その先に一体何があるのかなどは考えず、ただひたすら歩いて行くのだ。さらに、砂丘からコロコロと砂だらけになって転がり落ちる場面も、原作にはないが、胸に染み渡るようなあどけなさと楽しさをかもし出していた。「かいじゅうたちのいるところ」は、我々大人が忘れかけた無垢な気持ちと、自然の中に存在する生きとし生けるものの平等な在り方を問うている、崇高な作品であった。2009年(米)、2010年(日)公開【監督】スパイク・ジョーンズ【出演】マックス・レコーズ【声の出演】キャロル・・・ジェームズ・ガンドルフィーニ、KW・・・ローレン・アンブローズ、アイラ・・・フォレスト・ウィッテカーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.06.01
コメント(0)
「せめて施設に連れてってあげましょう」「施設? そんなもんどこにあるんだよ? あるんなら俺がとっくに連れてってるよ。・・・なぁ教えてくれよ! 一体どこにあるんだよ!? それに苦しんでるのはこの子たちだけじゃない。帝都には何万という浮浪児がいるんだ。あんたその全員をどうやって助けてあげるんだよ!?」「怪人二十面相」と言えば、誰でも江戸川乱歩の小説を思い出すはずだ。だが本作「K-20」は登場人物こそ同名キャラクターではあるが、内容は全く別モノで、演出家であり劇作家でもある北村想の原作である。作品の時代設定が昭和20年代で、しかも太平洋戦争が起こらなかった場合の日本を舞台にしているというのが実にユニークな発想だ。また、ネタバレをお許し願いたいのだが、怪人二十面相その人が実は名探偵明智小五郎であったという結末も、単なるファンタジー作品では終わらない、ひねりのあるストーリーテリングであった。昭和20年代、大日本帝国はアメリカと平和条約を結ぶことにより、第二次世界大戦を回避することができた。その結果、19世紀から続く華族制度が連綿として存続し、格差社会が生じていた。極端な貧富の差は治安を悪化させ、巷では怪人二十面相なる者が富裕層をターゲットに犯罪を繰り返すのだった。本作「K-20」で主人公の遠藤平吉役を演じたのは、金城武である。彼は「レッド・クリフ」でインテリ孔明役を演じた経歴もあり、「K-20」の遠藤平吉役とはまるで異色のキャラを難なく演じた切れ者である。この金城武がサーカス団の軽業師として、末端に生きる庶民の一人という役どころを演じた点を多いに評価したい。作中にもあるが、怪人二十面相と誤解され警察に囚われ拷問を受け、残酷なまでに身を落としたものの、努力して努力してやっとの思いで泥棒家業や逃走術を身につけたり、人間として「負けてなるものか!」と不屈の精神で這い上がるプロセスは胸を熱くさせる。最初から最後までファンタジックで、それでいて適度なミステリアスさを持ち合わせており、視聴者を充分に喜ばせ、楽しませてくれる。日本的で、実に正統な娯楽映画なのだ。2008年公開【監督】佐藤嗣麻子【出演】金城武、松たか子、仲村トオルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.10.30
コメント(0)
「ボチョン老師、こんな夜中に何の話だ?」「ご息女のことで大事な話があります。天のご意思により・・・ご息女の命をイムギに捧げる必要があります」「悪い冗談はよせ! 妻が命と引き替えに産んだ子を差し出すなどできるはずがない!」 「ご息女はヨイジュを宿しているのです。だがブラキが・・・天に背こうとしています」 太古の伝説に胸を躍らせ、限りないイマジネーションを膨らませるのは、人間だけに許された特権なのではあるまいか?我々が伝説とか神話と呼び、実際にはあり得ない昔話として語り伝えているものは、子どもたちにのみ許された専売特許などではない。大人だからこそ現実とファンタジーを融合させ、誰もが楽しめるスペクタルストーリーへと高めていこうとするのだ。本作「ディー・ウォーズ」も、500年前の韓国に伝わるというドラゴンにまつわる伝説がストーリーの鍵となっている。(だがこの伝説はあくまでフィクションのようだ)架空の生きものということもあり、CGを駆使した迫力ある戦闘シーンには圧巻だ。高層ビルにグルグルと巻き付く大蛇の猛烈な勢いに、思わず息を呑むほどである。ある時、ロサンゼルスの郊外に大蛇のようなモンスターが突如として現われ、現場を取材していた報道のイーサンは少年時代に聞いた話をふと思い出す。それは、500年前の韓国に伝わる、ある伝説と関わりがあるのではないかと胸騒ぎを覚えたのだ。イーサンは、単なるおとぎ話とは思えず、昔少年のころに聞いた20歳になる女性サラを探し出すことを決意する。サラは世界を救う宿命を負い、イーサンはその女性を守る戦士であると言い聞かされていたことを思い出したのだ。戦闘シーンもむやみやたらな殺戮などは少なく、ヘリが爆発したり、何台ものパトカーや車が玉突き事故を起こすなど、子どもが見ても充分に耐えられるアクションシーンに仕上げられている。また、神話的要素も組み込まれ、ファンタジックでドラマ性を強くしたストーリー展開となっている。この夏、家族で愉快に会話を交わしながら、居間でくつろぐのに持って来いの作品なのだ。2008年公開【監督】シム・ヒョンレ【出演】ジェイソン・ベア、アマンダ・ブルックスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.07.30
コメント(0)
「日記によると・・・ここは溶岩に囲まれた巨大なエアポケットだ。激しい地震活動があった時期に・・・」(わずかに揺れる)「今みたいな?」「そのとおり。・・・取り囲むマグマがここをオーブン状態に(してしまうんだ)」「それが真相?」この作品を観ることで、遅ればせながら「センター・オブ・ジ・アース」が東京ディズニーシーのアトラクションとして有名なのだということを知った。ジュール・ヴェルヌ原作の「地底探検」がモチーフになっているのだそうだ。吟遊映人はこれまでディズニーランドにもディズニーシーにも行ったことがない。きっと童心にかえらせてくれるような、ファンタジックでメルヘン溢れる遊園地なのだろう。だがこれまでのところ、その機会を得られず、他人の土産話をただ指をくわえて聞くばかりだった。「センター・オブ・ジ・アース」はそんな吟遊映人を、まるで太古の昔へといざなうように楽しませてくれるファンタジー映画だった。地質構造学を研究しているトレバーは、進展の見られない状況から研究室の閉鎖を宣告されてしまう。そんな折、10年前に行方不明になった兄マックスの忘れ形見である13歳のショーンをしばらく預かることになった。ショーンはろくに愛想もなく、ゲームに夢中の今どきの少年で、トレバーは必死に歩み寄ろうと努力するもののそれも叶わない。義姉から渡されたマックスの遺品を確認していると、その中にジュール・ヴェルヌの著作「地底探検」がある。ページを開いてみると、10年前にマックスが書き込んだ、何やら暗号のようなメモが残されていたのだ。今年の大型連休は、車で遠方に出掛けられた方々も多いだろうが、渋滞に巻き込まれるのには閉口だという方々は家でのんびりすごされたかもしれない。シングル世帯はともかく、家族がテレビを囲んでDVDを楽しむなら持って来いの作品・・・そう、それがこの「センター・オブ・ジ・アース」であろう。アイスランドのスネフェルス山という地理の授業にも出て来ないような土地を舞台に、主人公らが古い廃坑に迷い込んでしまい、トロッコによる脱出を試みる。冒険作品にはありがちなストーリー展開かもしれないが、それもまた一興。太古の動植物に夢を馳せながら、つかの間のエンターテイメントを堪能させてくれる作品であった。2008年公開【監督】エリック・ブレヴィグ【出演】ブレンダン・フレイザーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.05.11
コメント(0)
「夢を見ているの?」「夢じゃない。可愛いルシンダ。」「“可愛い”? 私が何歳か知ってる?」「知っているよ。・・・本当にすまない。魔法の世界に気を取られ、最も大切な存在を見失ってた。だが、今は見える。私は永遠に自分を許さない。」「約束どおり戻ってくれた。だから私は(お父さんを)許すわ。」ファンタジー作品は、何と言ってもつかの間の夢と童心を呼び覚ましてくれるところが良い。ねっとりした恋愛ドラマも難解な社会派ドラマにもうんざり気味の時は、持って来いだ。 実際にはあり得ない妖精や怪物の話なんて子供騙しだとせせら笑う族には、勧めない。 もっとイマジネーションを働かせてようではないか。可憐な野の花に宿る魂や、春のそよ風の歌、さらに、森の摩訶不思議なマジック、そして生きものたちの明るく陽気な笑い声。ファンタジックな世界観は、我々大人がとうに忘れてしまった、童話の中の神秘ではなかったか。今一度、純真無垢なあの頃に立ち返ろうではないか。母のヘレンは、ニューヨークの郊外に朽ち果てた屋敷を相続した。経済的なこと、大人の勝手な都合などで双子の兄弟ジャレッドとサイモン、それに姉のマロリーは、母親に連れられてそこに引っ越して来た。屋敷は古いことも手伝って、不思議な要素がいっぱいだった。まず、屋敷の周囲になぜか結界が張られており、窓の内側やドアには塩が置かれ、ハチミツやらトマトケチャップなど必要以上のストックがあるのだった。そんな中、ジャレッドは屋根裏部屋を発見。そこで、「決して読んではいけない」と警告のメモが貼られた本を見つけるのだった。 双子の兄弟ジャレッドとサイモンの二役を、フレディ・ハイモアが好演。利発で賢そうな雰囲気をプンプン匂わせるから不思議だ。天才子役と言っても過言ではない。ストーリー的には、あまり目新しいものはないかもしれない。だが、この作品には斬新なものを求めるというより、親子の絆とか、ノスタルジーとか、あるいは遠い日の夢を思い描いていただきたい。あっと言う間の2時間を、冒険とファンタジー色にどっぷり浸かって堪能することは、この上もない映画冥利に尽きると言うものだ。2008年公開【監督】マーク・ウォーターズ【出演】フレディ・ハイモアまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.04.11
コメント(0)
『西域の国境に立つトゥルファン僧院。そこには古代世界で最大の書庫があった。不老不死の秘法は、ここに眠っているのだ。失われていた占いの骨。古代のすべての秘法が納められている。皇帝の求める答えの他に・・・神秘を解く鍵となる。』元来、映画としてのあるべき姿は、観客を楽しませるための娯楽作品でなければならない。一本の作品を観るために、我々は働いて手にした貴重なお金を支払い、ひと時の至福を得るのだから。映画は“商品”であるべきであろう。一部の芸術性を求めた映画は、なるほど利潤追求ではないため、最初から世間一般の観客をターゲットとはしていない。一方、大衆の多くが望んでいるのは、あまり複雑なストーリーではなく、重いテーマを全面に打ち出されることを好しとせず、エンターテイメント性の強い作品なのだ。そういう意味で、本作のような冒険あり、アクションあり、ファンタジーありの作品は、大人から子どもまで広きに渡って愛されるというわけなのだ。およそ2000年前の古代中国。強大な武力を誇る皇帝は、天下制圧の野望を抱き、はむかう者は容赦なく抹殺した。やがて皇帝は気付く。己の敵は、他の何ものでもなく“老い”であることに。皇帝は不死の力を得ようと、妖術師のもとへ側近のミン将軍を派遣する。妖術師ツイ・ユアンは、不老不死の魔術を調査するため、ミン将軍と共に西域に向かう。 そして二人は、いつしか惹かれ合うのだった。一方、2000年後の1946年、ロンドンに暮らすオコーネル夫妻のもとに外務省からの依頼がある。それは、シャングリラの眼と呼ばれる歴史的価値のあるブルーダイヤを、上海博物館へ引き渡すというものだった。吟遊映人は、残念ながら前2作を観ていない。にもかかわらず、本作を多いに楽しむことができた。過去にも類似した冒険・ファンタジーの作品はいくつもあることは確かである。しかし、それでもなお大衆は求めているのだ。笑いと、涙と、そしてドキドキハラハラ感を。日ごろ変わり映えのない生活に身を置く我々が、唯一開放的になれるのは、映画というドラマチックな世界観にどっぷりと浸らせてもらえる娯楽あってこそなのだ。そう考えると、映画とは、なんと大衆と密着したポップ・カルチャーであることか!これからも我々は、映画というメディアから、時代の有り様や社会性を学んでいこうではないか。2008年公開【監督】ロブ・コーエン【出演】ブレンダン・フレイザー、ジェット・リーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.04.01
コメント(0)
「何してるんだ?」「調べものよ。ジャマしないで。」「俺を愛してるくせに。」「まぁ自信たっぷりね。」「アレックス・ローバーは世界中の人間に愛されてる。」「そう、21カ国語に翻訳されているんですものね。」人は誰しも、幸せでありたいと願う。永遠に不幸などとは付き合いたくないと思う。だがいかんせん、人生とは皮肉なものだ。星の数ほどの苦悩に比べ、幸せはほんの一握りにも満たないかもしれない。だからこそ幸せが尊いものに感じられる所以なのだ。「幸せの1ページ」は、幼いころ母親を亡くし、父と二人、南の島でたくましく生きる少女と、ベストセラー作家でありながら対人恐怖症でしかも引きこもりの生活を送る女性が、それぞれの努力と勇気で幸せの扉を開けようとするファンタジードラマなのだ。南の孤島で暮らす海洋学者の父と、11歳の少女ニム。彼女は、冒険小説のヒーロー、アレックス・ローバーの大ファン。ある日、父親は新種のプランクトンを採取するために、ニムを置いて一人ボートで出かける。ニムはその間、留守番だが、仲良しのトドやトカゲの友人たちがそばにいるので平気なのだ。一方、小説の執筆に励む「アレックス・ローバー」の作者であるアレクサンドラは、次回作に苦悩する。作中のアレックスは不可能を可能にするヒーローであったが、作者自身は対人恐怖症で引きこもりというハンデを背負っていたのだ。作品を観てつくづく思ったことがある。それは、“幸せ”というものがどれほど貴重で有りがたいものかということだ。日常に転がっているささいなことでも“幸せ”だと感じられる心がけ。生きていることの実感。それは、万物に対する感謝の念にも通じるかもしれない。人は皆、艱難辛苦を乗り越え、紆余曲折を経て明日を生きる。たとえ人生のピークを迎え、順風満帆を謳歌していたとしても、それは決して長くは持続しないのだ。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。それが人生、これが人生。この作品を観ると、惜しまぬ努力とほんの少しの勇気が、新しいチャンスを与えてくれることを知る。それこそが、幸せの1ページをめくることにつながるのだ。2008年公開【監督】マーク・レヴィル【出演】アビゲイル・ブレスリン、ジョディ・フォスターまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.10
コメント(0)
「我らの願いは人間たちとすみかを分かち合い、穏やかに暮らしていくことです。確かに欲に駆られた一部の人間に我らの居場所は破壊された。しかしそれは我ら妖怪の世界とて同じこと。」「恐れながら・・・では天狐様は人間の横暴に黙って従えとおっしゃるのですか。」「思い上がるな空狐! 折り合いをつけろと言っているのです。」「ゲゲゲの鬼太郎」を観て単なるホラーマンガだと思ったら大間違いだ。この作品は、特定の宗教観を持たない日本人向けの、森羅万象に魂を感じ、崇め敬う精神を養う物語なのだ。そして、この作品のテーマはズバリ“エコ”。原作者である水木しげるは、実に先見の明を持った人物である。今ほど環境問題が取り沙汰されていなかった何十年も前から“エコ”を唱え続けて来たのだから!吟遊映人が解釈するに、妖怪というのは仮の姿で、実は森羅万象に宿る神なのではなかろうか。三浦健太(小学生男児)らが住む団地近辺では、大手建設会社が強引にレジャーランド計画を進めていた。立ち退きを迫られている団地住民はこぞって反対運動をくり広げていたが、建設会社側から雇われているねずみ男が妖怪たちを使って団地住民らの生活を脅かすのだった。団地に住む健太は、わらをもすがる思いでゲゲゲの森に住むと言われる鬼太郎に手紙を出して助けを求める。主人公である鬼太郎を演じたのはウェンツである。何を隠そう吟遊映人は、ウェンツがNHKの子ども向け番組“天才てれびくん”に出演していたころから知っている。あのころ、まだ声変わりもしていない、あどけない小学生だったウェンツがここまで成長したとは・・・懐かしい限りだ。それにしても鬼太郎のイメージって、もっと田舎っペなカンジであったが、ウェンツが演じたことでシティ派の妖怪みたいにグレード・アップ(?)した。これで妖怪たちも、草葉の陰で喜んでくれているに違いない。(笑)マンガの実写版はなかなか原作通りにはいかず、賛否両論あるところだが、本作においてはとても完成度の高い内容に仕上がっていたと思う。最近こと涙もろくなった吟遊映人は号泣した。それは、健太の父親が病気で亡くなり黄泉の国へ向かおうとしているところ、鬼太郎の助けを借りて健太があの世に会いに行くシーンだ。このファンタジーこそ現代求められている死生観につながるものなのではなかろうか。 実におもむきのあるファンタジー作品であった。2006年公開【監督】本木克英出演】ウェンツ瑛士、田中麗奈また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.03.03
コメント(0)
「人は死ぬ。」「(でも私は医者だから)助けなくては。」「肉体が力尽き、死が訪れる。」「患者を救うのが医者の役目なのに・・・(私は死なせてしまった)。」「君は悪くない、マギー。」「救いたかった。」「魂は生きている・・・肉体は滅んでも。」いつもニコニコ、ニコラス・ケイジ。貴殿の詩的で甘美なセリフの言い回しに、世のお嬢様方はもうメロメロですよ!よくもまぁ、照れなく恥じらいもなく、愛を語ることこの上もない。よっ! ニッキー、カッコイイ!!(←ニッキーとは吟遊映人が親しみをこめて呼ぶ愛称なので、あしからず。)お正月はお汁粉食べて、安倍川餅食べて、いただきものの源吉兆庵・季節の和菓子に舌鼓を打って、もうこれ以上甘い物は・・・なんて言わせない。ニコラス・ケイジの甘い視線と甘い囁きと甘いムードにどっぷりと浸かって、もうその甘い蜜漬けの中からはい上がれなくなってしまおう!「彼女が最近冷たくなった」「妻と会話がない」「今年ボクらは別れるかもしれない」などと、天を仰いで嘆いている世の殿方よ!ぜひともニコラス・ケイジから学んで欲しい。何を学ぶかは各人にお任せしたい。まずはこの作品「シティ・オブ・エンジェル」をご覧あれ。心臓手術の執刀医であるマギーは、患者の容態の急変により死なせてしまう。マギーの手落ちではなかったものの、医者としての限界を感じて苦悩する。人の死に目に立ち合う天使セスは、本来生身の人間に見られることはない。だが、健気で美しいマギーに恋に落ち、セスは自分の姿を現してしまう。天使であるセスは、永遠の命を約束された身とは言え、人間ではないため、愛するマギーに触れて愛を感じることはできない。そこでついにセスは人間となることを決意するのだった。この作品の挿入曲はとてもステキだ。特に、これから二人が愛を育んでいこうとする矢先にマギーが交通事故に遭い、虫の知らせでセスが駆けつけるシーン。その後、降りしきる雨の中、黒い傘をさした弔問客らとマギーの棺が上空から撮られる。 BGMでさりげなく使用された楽曲は、元ジェネシス・ピーター・ガブリエルの“I GRIEVE”だ。ここで吟遊映人は思わず号泣。(←実は吟遊映人、ピタ・ガブの大ファン)「現実にありえない」などと冷めた感想を呟く前に、彼女の手をそっと握り、「君、われを愛し給わば、この世の花全て君に贈らん」(←ハイネ詩集より抜粋)などと、ニコラス・ケイジに成りきり、彼女の耳もとで囁いてあげては。あるいはお二人の別れの危機を、乗り越えられるかもしれない。(?)1998年公開【監督】ブラッド・シルバーリング【出演】ニコラス・ケイジ、メグ・ライアンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.01.05
コメント(0)
「王子・・・好きですか? ご自分が。」「当然だ。」あけましておめでとうございます。新年お初にご紹介させていただくのは、コレ。「魔法にかけられて」である。夢も希望もないと将来を悲観する前に、まずは自分が魔法にかけられてみようではないか。その魔法は、もしかしたら“自己変革”と呼べるものかもしれない。ディズニーが送るミュージカル映画「魔法にかけられて」は、アニメと実写のコラボ、しかも現代とおとぎ話の世界をミックスして、それはそれは摩訶不思議な世界観をかもし出している。なるほどミュージカル映画はアメリカのお家芸ではある。歌とダンスと演技が見事に融合し、華やかさ、艶やかさをスクリーンいっぱいから撒き散らしてくれる。1965年に公開された「サウンド・オブ・ミュージック」を彷彿とさせる作品に仕上げられている。アンダレーシアというおとぎの国に住むジゼル姫は、エドワード王子と出会い、その日のうちに婚約する。だが、エドワード王子の継母であるナリッサ(魔女)は、アンダレーシアの支配をもくろみ、永遠の愛を誓おうとするジゼル姫とエドワード王子を突き放そうと企む。そんなわけで、ナリッサの企みによりジゼル姫は、「永遠の幸せなど存在しない世界」現代都市、ニューヨークへと魔法の力で突き落とされてしまうのだった。年に一度のお正月、家族団らんのお正月。そんな時こそディズニー映画は持って来いなのだ。笑いあり、ちょっぴり涙ありの心あたたまる作品。「子どもに見せるついでに見る」などと言わず、いっしょになってハッピーな気分を味わっていただきたい。小さなお子さんに枕もとで絵本を読み聞かせる時のことを想像してみてほしい。おそらく、親子で同じおとぎの国の世界を味わっているはずだ。「魔法にかけられて」は、実は、夢を忘れかけた現代の大人たちへの応援歌なのかもしれない。吟遊映人は、今年も“映画”という魔法にかけられながら、夢と希望を皆さんと分かち合いたいと思っています。2009年も、何とぞよろしくお願い致します。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】ケヴィン・リマ【出演】エイミー・アダムス、パトリック・デンプシーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.01.01
コメント(0)
「6500万年分の進化の波が現代に押し寄せる。天候の次は原始的な植物が変化し、複雑な生物へと続く。」「最後の波は?」「人類よ。進化の最後に登場したホモサピエンスの変化の波。海の生物に進化してるかもね。絶滅もあるわ。最後の波までいくつもない。」いつの日か将来、タイムマシーンが発明されて時代を自在に旅することが可能になるのだろうか? もしそんな夢のようなマシーンが存在したら、今は亡き両親と対面し、山のように積もる苦悩をさらけ出し「よしよし、いい子だね」と、頭を撫でてもらいたいものだ。今回観たのは「サウンド・オブ・サンダー」。【SF】と言うにはもう少し近未来的で、【パニック】と言うには現実離れしていてむしろファンタジックな世界観であった。2055年という近未来が舞台。すでにこの時期になると、白亜紀にさえタイムトラベルができるという夢のようなマシーンが誕生していた。タイムトラベルを取り仕切るハットンは、富裕層を相手に“恐竜狩り”を楽しませて現代に戻るというツアーで、ビジネスを展開していた。しかし、このタイムトラベルには厳重な規則もあり、絶対にそれを犯してはならないことになっていた。それは、コースから外れた行動を取ってはならず、虫一匹殺していけないというものだった。なぜならそうすることで、生物の進化の過程に狂いが生じてしまうからだ。ところが客の一人であるエックルズが、指定されたコースを外れて蝶を踏んでしまったのだった。「サウンド・オブ・サンダー」は、ある意味、神をも畏れぬ文明と科学の発達に警鐘を鳴らしているのかもしれない。タイムマシーンを金儲けのための道具に使い、人命の安全を第一に考えようとしない愚かな者たちを激しく糾弾している。やはり、タイムマシーンは夢の道具であり続けねばならない。時空を操るまでの科学の発達は、むしろ、人類を滅びの道へといざなう兆しとも言えよう。この作品はぜひとも親子で、あれこれ語り合いながら鑑賞することをおすすめしたい。 2004年(独)(米)、2006年(日)公開【監督】ピーター・ハイアムズ【出演】エドワード・バーンズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.12.13
コメント(0)
「分からない。どこに“黄金の都市”が(あったんだろう)?」「ウーガ語の“黄金”は“宝物”とも訳せる。“宝物”は“黄金”ではなく、“知識”だった。彼らの“宝物”は“知識”だ。」当管理人の亡き父は、とにかく“UFO”や“宇宙人”、“四次元の世界”といったSFチックな世界観にどっぷりと浸かっていた人だった。そんなわけで、7歳か8歳のいたいけな幼少時代、すでに父から「ロズウェル事件」について熱く語られ、今もその記憶は鮮明に残っているのだ。説明しよう、「ロズウェル事件」とは、1947年7月にアメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近で、何らかの物体をアメリカ軍によって回収されたのだが、UFOの存在を信じる者たちの多くが、軍が回収した残骸は墜落した異星人の乗り物であり、軍はこれを隠蔽しているのだと主張する一件があった。※【参照】ウィキペディアとにかく学校の授業などでは小指の先ほども触れられることのない眉唾モノの話題を、亡き父はかたく信じていて疑わなかった。もしも父が生きていたら、「インディ・ジョーンズ~クリスタル・スカルの王国~」は公開初日に劇場で鑑賞したに違いない。(笑)アメリカ陸軍に扮したソ連軍に捕らえられてしまったインディアナ・ジョーンズとマクヘイルは、ネバダ州アメリカ軍施設“エリア51”に連れていかれる。そこでイリーナ・スパルコ大佐は、政府の倉庫内に隠された強い磁気を発する長方形の箱を探すようインディに強要する。相棒だと信じていたマクヘイルがソ連側のスパイだったことが判明し、危機一髪、難を逃れたものの、大学では無期限休職処分を受けアメリカに対して失望するのだった。ニューヨークからロンドンへと拠点を移すため列車に乗車したところ、バイクに乗った青年に呼び止められ、再び冒険が始まるのだった。インディ・ジョーンズシリーズの最終章とも言える今回の作品は、異星人のミイラ(クリスタル・スカル)をめぐる冒険という設定になっている。老いたりと言えどもハリソン・フォードはやっぱりカッコイイ!こんなイキな考古学者がいたら、誰だってファンになってしまうはずだ。チョイ役だがジョン・ハートは輝いていた。この役者さんの魅力は、どんなキャラクターでも全身全霊で演じる姿勢だ。「コレリ大尉のマンドリン」「ルワンダの涙」「パフュームある人殺しの物語」のどれも、非の打ちどころない演技力を披露してくれた。英国人俳優らしい紳士的な雰囲気も効果的だ。「インディ・ジョーンズ」は、子どもから大人まで楽しめるファンタジー作品としては秀逸。スピルバーグ監督渾身の一作なのだ。2008年公開【監督】スティーヴン・スピルバーグ【出演】ハリソン・フォード、ジョン・ハートまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.12.09
コメント(0)
「“神にはできぬことを人はできる”ということ。」「神にはできぬこと? そんなことあり得ないよ。だって人はあたいらの一番偉い神が作ったのよ。神の思し召しでどうにでもなる虫けらと変わりないもんなのよ。」(中 略)「志のために死ぬことだ。」今さら浅田作品について語るのも口幅ったい。“平成の泣かせ屋”浅田次郎は、読者の望むストーリー展開を裏切ることなく披露してくれる。心に残る言葉のプレゼンテーションは、ある種のセンスを必要とする。表現力の豊かさは、この作家の最大の強みであろう。お見事! 職業作家、浅田次郎バンザイ!ちなみに浅田作品の泣ける現代映画に、「天国までの百マイル」がある。小説に最も重要な人生観が凝縮されている。作者の抱いている哲学を、この作品からあますことなく吸収して欲しい。しかし今回鑑賞したのは「憑神」である。この作品もなかなかどうしてファンタジー的でありながら、訴える力が強い。コメディ色に彩られていながら、ホロリとさせる場面も忘れていない。おそるべし、浅田作品。時は幕末、幼いころより文武に優れ頭脳明晰な別所彦四郎であったが、婿養子に行った先で離縁され、出戻りの身となる。兄夫婦の家に居候という肩身の狭い立場でくすぶっていた。そんな彦四郎を憐れんだそば屋の店主から聞くところによると、向島にある「三囲り稲荷」にお参りすることでご利益があるという。酒に酔った彦四郎は帰り道で偶然にも「三巡り稲荷」を発見。さっそく手を合わせてご利益にすがろうとしたところ、それは「みめぐり」違いで、貧乏神・疫病神・死神を呼び寄せるお稲荷様だった。幕末の混沌とした世相を描きながらも、内容は軽いタッチでむしろおどけた調子に展開していく。全体を通して、生きる意義を見出す下級武士の心の変化を表現したものであろう。神仏に依存する人間の弱さは否定せず、それを受け入れたところに存在する精神の落ち着き、輪廻転生の理。この作品を受け留める観客に任せられたファンタジックな世界観を、大切に育てて欲しい。2007年公開【監督】降旗康男【出演】妻夫木聡、夏木マリまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.12.05
コメント(0)
「カルロッティというイタリアの画家が“美”をこう定義してる。すべての部位が完ぺきに調和して手を加える必要がまったくないことだ、と。・・・君がそうだ。(君は)美しい。」何が感動したかって、あのピーター・フォーク様が出演しているではないか!?老いたりと言えども、その圧倒的な存在感とオーラは少しも変わらないのだ。本作ではほんのチョイ役としての出演だが、当管理人にとっては涙がにじむほど実に嬉しいサプライズだった。ちなみにピーター・フォーク様の代表作は、言わずと知れたTVドラマ「刑事コロンボ」である。ヨレヨレでうだつのあがらなさそうな人相、風体からダメ刑事かと思いきや、実は頭脳明晰な敏腕刑事というこのギャップが良いのだ。“人は見かけによらぬ”とか“脳ある鷹は爪を隠す”、あるいは“秘すれば花なり”を体現する役者さんなのだ。ずい分と余談が長くなってしまい、恐縮(汗)。ラスベガスでマジシャンとして目立たぬ生活を送っているつもりのクリスだが、彼には人にはない特殊能力を備えていた。それは、2分先の未来が見えるという予知能力であった。そんな折、テロリストによる核爆弾の攻撃を阻止するため、FBI捜査官のカリーはクリスの能力に目をつける。一方、クリスは毎日訪れるカフェで見かけるリズに思いを寄せていた。クリスは持ち前の能力を使って彼女と会話するきっかけを作り、彼女の車に乗せてもらうことになる。だがそれが原因でリズを事件に巻き込んでしまうのだった。ニコラス・ケイジもジュリアン・ムーアもすばらしい役者さんで、この作品においても実に自然体で迫力のある演技を披露してくれる。だが、誠に申し訳ない! 当管理人にとっては、ほんの数分のカットで出演しているピーター・フォーク様に釘付けで他は何も見えていなかったかもしれない。あのやさしい横顔と穏やかな物腰、それでいていざとなると畳み掛ける隙のない理論武装。エミー賞俳優のピーター・フォーク様が出演している作品に批評などできようはずもないではないか。とにかく何はともあれ、おもしろかった。もちろん、本作「NEXT」のことだが。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】リー・タマホリ【出演】ニコラス・ケイジ、ジュリアン・ムーアまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.10.20
コメント(0)
「こいつは新聞の一面記事になるネタだぞ。」「(ネス湖のモンスターの件は)言い触らすな。」「戦争が終わったら観光客がここに押し寄せて、ネス湖の名が知れ渡る!」昔ネス湖で撮られた巨大な未知の生物が、実は人為的なものだったと報道され、世界中をがっかりさせたのは最近のことだ。これまで多くの人々から“ネッシー”という呼び名で親しまれ、実物に遭遇することがなくても湖の底でひっそりと暮らしているに違いないと信じられて来た。本作では、皆が抱いて来た淡い夢や希望を完全に打ち砕くのを防ぐため、“実はこういう事情が隠されていたのだ”的なストーリーに仕上げられている。そんなわけで、ネス湖に棲む未知の生物をあえて肯定し、視聴者をファンタジックな世界に誘う役割を果たしている。カフェで老人が若いカップルに不思議な昔話を語るところからストーリーは展開する。 スコットランドの片田舎に住む少年アンガスは、母と姉の3人家族。父は戦争に借り出されていていまだ帰還していなかった。ある日、アンガスがネス湖で貝を拾っていると、奇妙な青光りのする物体を見つける。 しかし、その物体は未知の生物の卵だった。アンガスは孵化したその生きものにクルーソーと名付け、餌付けをし、育てるのだった。 この作品で驚愕したのは、やはりなんと言ってもその優れたCG技術の効果であろう。ややもすればウソっぽい着ぐるみ、あるいはオモチャになりかねない動物が、映像の中では確実に“本物”のように動き回っていた。その自由自在で自然体の動作は、実にすばらしかった。さらに、主人公アンガスの母親役を演じたエミリー・ワトソンは、「アンジェラの灰」にも出演していたが、こういう薄幸な雰囲気を漂わせた母親役というのが妙にハマっているのだ。憂いを含んだ表情や、肩を落として歩くなどの立ち居振る舞いに思わず目を見張るものがあった。この作品は鑑賞後、とても優しい気持ちにさせてくれる。つかの間の癒しを提供してくれるのだ。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】ジェイ・ラッセル【出演】アレックス・エテル、エミリー・ワトソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.10.04
コメント(0)
「真の速さは目に見えぬもの。風に雲が湧き、日が落ち、月が昇り、人知れず木の葉が色づき、赤ん坊の歯が生えるように、そしていつの間にか誰かを愛するように。」東洋の神話には必ず救いがあるところが嬉しい。誰もが悲劇を望んでいるわけではない。窮地に立たされた我が身を少しでもラクにさせたくて、その場凌ぎの選択をしてしまうに過ぎない。冷酷な運命の悪戯を知っていれば、どれほど愚鈍な者でも正しい道を進んでいくはず。 作品は中国のはるか昔、太古の戦乱の世の中が舞台となっている。空腹のため、死んだ兵士の手から饅頭を奪って逃げる少女、傾城。そんな傾城の前に、運命を司る女神“満神”が現れる。「この世のすべての男からの寵愛と不自由ない生活を約束しましょう。その代わり、お前は決して真実の愛を得ることはできない。それでもいいですか?」傾城はその問いに迷うことなく大きく肯いて、「それでもかまいません」と受け入れてしまうのだった。人間とは、目先の利益に踊らされてとんでもない貧乏くじを引かされてしまうことがある。腰を据え、冷静で客観的な判断を下せば何でもないようなことでも、人間は誤った選択をしてしまうものなのだ。この作品は、飢えてひもじい少女が孤独の淵をさまよっている時、運命の甘い罠がささやきかけるところから始まる。“異性からチヤホヤされ、衣食住には困らない。だけどそこに愛なんて存在しないの。” みたいな駆け引きからとんでもない運命を背負わされてしまう。本来なら、愛のない空虚な生活に女は孤独と絶望のうちに一生を終えた・・・と言ったラストになるはずだ。だが作品には救いがあった。この演出、この脚本が鑑賞後の視聴者に、より一層の感動を与えてくれる。愛する悦びを知らない無敵の大将光明、雪国人で俊足を持つ昆崙、絶世の美を約束された傾城。どのキャラクターも非常に魅力的で生き生きと描かれているが、当管理人がことのほか目を見張ったのは、自分さえ信じることのできなくなった無歓である。ストーリーは一見、少女の数奇な運命に重点を置いているように思われるが、その実、この無歓の心の痛手を癒すための脚本とも受け取れる。愛に飢え、信義の道を踏み外した哀しき貴公士・無歓役をニコラス・ツェーが好演。孤独と憂鬱に苛む表情がずば抜けて良かった。本作では、ひと際輝くニコラス・ツェーの渾身の演技に注目していただきたい。2006年公開【監督】チェン・カイコー【出演】チャン・ドンゴン、真田広之また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.09.24
コメント(0)
「母が重体なの。私のせいよ。思ってしまったの。母さえいなければ・・・私は結婚できてたのにって。そう思った直後・・・病院から連絡が来たわ。腎不全よ。医者は移植が必要だと。それで私・・・提供に同意したわ。検査もした。(だけど)母は拒んだ。予想どおりね。母が拒むと予想してわざと私は話したの。・・・私など呪われろ!」このロシアの作品を観て、ふと思い出したのは1980年代後半、女子中高生の間で一世を風靡したマンガ、「アーシアン」である。漫画家高河ゆんの描いたこの作品は、限りなく人間に近い姿をした天使がいて、アーシアン(地球人)を監視しプラスとマイナスの調査を進めることで、もしもマイナスの要因がプラスのそれより上回った場合、アーシアンを滅亡させるというストーリーだった。このことからもわかるように、人間というのは国を越え、民族を越え、皆共通して善と悪の狭間で葛藤し、苦悩し続ける動物なのだということ。「ナイト・ウォッチ」も例外でなく、“光”と“闇”それぞれの側がお互いを牽制し合っているわけなのだ。“光”の勢力と“闇”の勢力に分かれて長い間闘争を続けて来た異種の物語。姿・形は人間であるが、特殊な能力を持っている者たちを“異種”と呼ぶ。1000年前、長い争いを終結させるために漸く休戦協定が結ばれたが、その一方で“光”と“闇”のそれぞれが互いを監視することでバランスを保って来た。こればっかりは好みにもよるだろうが、当管理人はこういうファンタジーが好きだ。並みの人間の知らないところで、正のエネルギーと負のエネルギーがせめぎあっているという設定はありふれているとは言え、哲学の原点であるように思えるからだ。完璧な人間などこの世にはなく、いつだって人間は自分の中の天使と悪魔に踊らされていることを思い知るのだ。天使のような微笑みを浮かべながら悪魔のような残虐な行為を犯す人間。どんな面を見せられようと、それが“人間”以外の何者でもないことを教えてくれる。 2004年(露)、2006年(日)公開【監督】ティムール・ベクマンベトフ【出演】コンスタンチン・ハベンスキーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.08.29
コメント(0)
「ライラは俺が助ける。」「スバールバルに行けば、ラグナーたちに切り裂かれるぞ。」「あの子より勇気を持たねば自分が惨めになる。」「勇気が命取りになるぞ。」「もう恥をさらして生きたくない。」北欧の児童文学には夢があり、そして冒険がある。根底には神への信仰心とか真理の探究などが脈々と流れているのだろうが、この際そういう難しい御託を並べるのはやめておこう。この作品は素直に童心に戻って冒険を楽しむべきなのだから。各人が己の分身とも言える“ダイモン”を持っていたら、どんなにステキなことだろう!自分とともに喜びや悲しみを分かち合い、そして成長してゆくのだ。さらに、自在に飛び交う魔女を天空に見た時の感動はどうだ!我々人間の短い一生を遥かに凌ぐ長寿の彼女たちに、歴史を語らせたいではないか。そして“よろいグマ”と呼ばれる一騎当千の豪の者・・・否、一頭当千の豪の動物。こんな勇猛果敢な白クマに遭遇してみたい!パラレルワールドの物語ではあるが、我々の暮らす人間社会によく似ている。英国オックスフォード大学の学寮を舞台にストーリーは展開される。学寮で孤児として育てられたライラは、ダイモン(人間の分身とも言える動物のこと)のパンや親友のロジャーたちと共に楽しい日々を送っていた。そんな中、街では次々と子どもたちが姿を消してしまう事件が発生。ライラもまたコールター夫人の誘いで学寮から連れ出されてしまうことになる。だがライラが旅立つその日、学寮長から不思議な黄金の羅針盤を渡されるのだった。コールター夫人の役を演じたニコール・キッドマンは、やっぱりカッコイイ!そのキャラにも左右されるのだろうが、他を寄せ付けない役者としてのオーラを感じる。 これは言い換えると「インパクト」というものなのか。斬新さとか強靭な精神力など、一本筋の通った女優魂を見せつけられたような気がした。 それからダニエル・クレイグ。この役者さんの頬からアゴに生えた無精髭が、とてもよく似合っていて魅力的だった。 知性と野望を感じさせ、絶妙なキャラクターづくりに成功していると思った。この夏は、親子で冒険&ファンタジーの世界を心ゆくまで堪能してみたらどうだろう。 お茶の間でくつろぎながら楽しめる、最高の癒し作品かもしれない。2007年公開【監督】クリス・ワイツ【出演】ダコタ・ブルー・リチャーズ、ダニエル・クレイグ、ニコール・キッドマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.08.13
コメント(0)
「私は黄金の都市を発見した! 私の名は残るのか!?」「それは後で考えよう。まず脱出するんだ!」「謎解きみたいに言うな! 謎は終わりだ! 皆死ぬ・・・それとも私だけ(が死ぬのか)? 私が発見した!」「頑張れ!」ポストインディ・ジョーンズシリーズの異名を持つ(←勝手に当管理人がそう呼んでいるだけなのであしからず)この作品はディズニーが総力を挙げて社会に発信している「家族ドラマ」なのだ。もちろん、冒険とファンタジーに彩られてワクワクドキドキの連続である。だが、テーマはもっとシンプル。「夫婦の絆」「親子愛」「友情」・・・そういうごくごく正統派の内容なのだ。前作に引き続き主演はニコラス・ケイジ。この役者さんは、三枚目のキャラクターを巧みに演じることを得意としている。作中ではヒーローであるにもかかわらず、ハンサム然とせず、何か弱みを見せる人間くさいキャラクターを作り上げてしまうのだから不思議だ。本作でウィルキンソン役(悪役)として出演するのは、エド・ハリス。彼は完全にこのカラーの似合う役者として確立された。冷酷非情、それでいて言い知れぬ孤独を抱えた男、というキャラクターを演じさせたら天下一品。この作品でも真の悪役としては終わらず、自己犠牲によって汚名を返上するのである。 ベンはゲイツ家の先祖が言い伝えたリンカーン暗殺事件の真相を、学会で発表していた。 ところが聴衆の中に、暗殺者ジョン・ウィルクス・ブースの日記から失われた1ページを持つ男が現れた。そのページには、ゲイツの先祖が暗殺者の属する秘密結社、ゴールデン・サークル騎士団の一員として名前が明記されているのだった。ベンは、何者かによって故意に汚名を着せられた先祖の名誉を守るために、自由の女神からパリ、ロンドン、そして聖地ブルック・ヒルズ・ラシュモア山まで究極の真実を求めて飛び回るのだった。家族と共有する映画の楽しさ。ディズニーが発信しているのは、そういうシンプルなものらしい。大人も子どもも屈託なく喜んで「おもしろかったね」と、笑顔いっぱいで席を立つ映画館での一コマを期待しているのかもしれない。この夏は、原点に返ってエンターテイメント追求の映画を、家族で観るのも悪くないだろう。2007年公開 【監督】ジョン・タートルトーブ【出演】ニコラス・ケイジ、エド・ハリスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.07.16
コメント(0)
「エルザにとって聖杯はただの宝物だった。」「(せっかくここまで来て)何か得た物が(あるかい)?」「私か? “光”を得た。」「007」の初代ジェームズ・ボンド役と言えば、ショーン・コネリー。この、映画史に残るような成功作に出演するということは、スターとしてのキャリアを築きあげていく上で大きな助けとなる。だがそれが時にはちょっとした足枷になる場合もある。一人の役者が生涯に「当たり役」と出会えるのは、おそらく限られた俳優が限られた作品で限られた時期に千載一遇のチャンスとして天から与えられるものなのであろう。その貴重な「当たり役」に遭遇したショーン・コネリーが、「007」シリーズによって演技のスタイルにまで影響を受けたことは、明白である。さて、そのショーン・コネリーだが、本作ではインディアナ・ジョーンズの父親役として出演している。コミカルだが内に秘めたインテリジェンスは、その存在感から充分伝播した。ハリソン・フォードの粗野でワイルドなイメージを、完全に食ってしまうほどの勢い。 さすがにスパイ映画で鍛えた圧倒的な存在感は、作品を完成度の高い冒険活劇に仕上げるのに一役買っていた。ニューヨーク大学で考古学教授のインディは、博物館にいつも多額の寄付をする富豪のドノバン宅に招かれる。ドノバンは、磔にされたキリストの血を受けた聖杯の発見をインディに依頼する。実はその調査は、インディの父にすでに依頼済みであったが、行方不明になってしまい頓挫しているとのことだった。インディはその依頼を受け、すぐに父の家に向かったところ、部屋は何者かにめちゃくちゃに荒らされていた。原因は、どうやらヴェニスから送られて来た父親の調査記録が書かれている手帳を盗もうとしている者の仕業であった。それを察したインディは、博物館の館長であり古くからの友人であるマーカスをつれてヴェニスへと旅立つのであった。インディアナ・ジョーンズの少年時代(13歳)の役として、なんとあのリヴァー・フェニックスが起用されていた。’86「スタンド・バイ・ミー」で一躍有名になった彼は、23歳という若さですでに亡くなっている。当時、カリスマ的人気を誇っていた彼がもしも生きていたら、おそらくブラッド・ピットやレオナルド・ディカプリオを凌ぐ人気を博したに違いない。エンディング・ロールが流れ始めるラスト、4人を乗せた馬が夕日に向かって駆けて行くシーンはすばらしかった。この古き良き西部劇を観たような感覚は、アメリカ国民の「国造り」としての神話を再構築し始めた90年代の訪れを、暗黙のうちに表現しているかに思えた。ハリウッド映画の底力を、沸々と感じさせる大作なのだ。1989年公開【監督】スティーヴン・スピルバーグ【出演】ハリソン・フォード、ショーン・コネリーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.19
コメント(0)
「新しいマハラジャが住みついて、宮殿は再び悪の根城になっている。村人が大勢殺された。」「どういうことだ?」「パンコット宮殿は悪の源。モンスーンのように悪は暗黒の雲となり、この地方をくまなく覆いつくす。」ハリソン・フォードの何が魅力的かと言えば、そのルックス? 演技力? それとも・・・?彼の厚い胸板を見たことがあるかしら?否、胸板は二の次、その実は・・・。ハリソン・フォードが男性の勲章である麗しき胸毛を、惜しげもなくワックス処理を施したという記事を見てがく然とした。何ゆえの乱心なのか?!草原のようにやわらかな胸毛ありきのハリソン・フォードなのに!!(←管理人、興奮のため論旨から脱線。)実はこれ、熱帯雨林を守ろうというキャンペーンのためのCM撮り。熱帯雨林の樹木がはがされてゆく痛みは、まるでハリソン・フォードの体の一部である胸毛をはがすような痛みなのだ、と言うパフォーマンスなのか。【参照:http://cinematoday.jp/page/N0013934】本題に戻る。舞台は1935年の上海。ナイトクラブ「オビ・ワン」で、中国系マフィアと取引きに失敗するインディアナ・ジョーンズ。乱闘、銃撃騒動の末、中国人少年ショートと歌手のウィリーをつれて上海空港へ急ぐ。 3人を乗せた飛行機は、トラブルに見舞われインドの奥地へ不時着。そのようすをじっと見つめる一人の老人がいた。その老人は3人を荒れ果てた村へと案内し、手厚くもてなす。聞けば、パンコット宮殿の邪悪な者たちに村の聖なる石を奪われ、子どもたちを連れ去られてしまったと言う。村人たちは突然現れたインディたちを、村の救世主と信じて疑わない。ぜひとも聖なる石“サンカラ・ストーン”と子どもたちを救い出して欲しいと懇願するのだった。「インディ・ジョーンズ」シリーズは、いつ観ても楽しいしおもしろい。映画そのものがドキドキ・ハラハラ・ワクワク体感できるアトラクションであり、テーマ・パークなのだ。セリフがどうだとか、演出にムリがあるとか、小道具の良し悪しなんて、この際気にしない。役者と一体化して冷や汗をかき、大騒ぎしながら冒険を楽しもうではないか。80年代、最も興行的に成功し、ファンの間でも評価の高い傑作である。「ああ、おもしろかった」と、心地良い気分でエンディング・ロールを見送ることのできる作品なのだ。1984年公開【監督】スティーヴン・スピルバーグ【出演】ハリソン・フォードまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.17
コメント(0)
「タニスって場所かね?」「“失われた聖櫃(アーク)”の眠る古代都市です。ヘブライ人が十戒を納めた、“聖なる櫃”です。」「あのモーセの十戒か?」「そうです。彼がシナイ山から持って下りて、打ち砕いた石板です。」劇場で観ることはなかったが、テレビの金曜ロードショーか何かで初めて観た時の興奮は忘れられない。ハラハラドキドキ、目まぐるしく変わっていく場面展開。次は一体何が起こるのだろう・・・?!子ども心にも胸を躍らせ、あいまあいまのCMにじれったさを感じつつ、テレビにかじりついて観たものだ。だが大人になった現在、改めてこの作品を鑑賞すると、意外にものんびりと腰を据えて観ることができた。ファンタジーの世界を、微笑ましい気持ちで楽しめるのだ。作中、インディアナ・ジョーンズの同僚役(マーカス)として出演しているデンホルム・エリオット。この役者の洗練されたイギリス英語を聞いて欲しい。“眺めのいい部屋”やシャーロック・ホームズの“バスカヴィル家の犬”などの英国作品に多く出演しているイギリス人俳優だ。余談だが、彼はバイセクシュアルであることをカミングアウトし、その後、1992年にエイズ発症のため急逝している。主役のハリソン・フォードは、この作品に出演するまではスター・ウォーズのハン・ソロ役としての知名度が精一杯で、これと言う代表作にめぐまれていなかった。だが、この「インディ・ジョーンズ」の興行的成功により、一躍有名になるのだ。舞台は1930年代の第二次世界大戦勃発直前。ナチス・ヒトラーは、秘密兵器として偉大な力を発揮すると言われる伝説の“聖櫃”の行方を追っていた。アメリカ側はその情報を逸早く入手し、大学で考古学を教えるインディアナ・ジョーンズ博士に発掘依頼をする。要請を受けた彼はエジプトへ出発。途中、ネパールに立ち寄り、かつての恩師を探すために元カノであるマリオンのもとを訪れる。マリオンは恩師の娘だが、すでに父親は亡くなっていて、場末の飲み屋で日銭を稼ぐという有り様だった。その後、一悶着ありながらも、ジョーンズはマリオンを連れてエジプトへ。しかしエジプトで待っていたのは、ナチス一派の執拗な攻撃だったのだ。秘境を旅し、夢と恐怖の狭間を体験しながら聖なるものを探求する。スピルバーグの作品は、エンターテイメントを追求しながらも、常にアートを意識している。映画というメディアを通して提供されるテーマパーク。視聴者に「見せる」、それこそが彼の目的。スピルバーグがエンターテイメントとビジネスのバランスを絶妙に計って完成させた、80年代を代表する傑作なのだ。1981年公開【監督】スティーヴン・スピルバーグ【出演】ハリソン・フォードまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.06.15
コメント(0)
「あの(アメリカ独立)宣言書には・・・裏面に何らかの符丁が・・・。」「つまり暗号のこと?」「ええ。」「何の?」「(つまりその・・・)図面です。」「地図?」「そうです。」「何の地図?」「場所が記されてます。(咳払いして)歴史的にも、それ自体にも価値のある物の隠し場所です。」「宝の地図?」「(突然ライリーが二人の会話に割って入り)そこでFBIは降りた。※」※「そこでFBIは降りた。」→「そこでFVIは僕らを相手にせず追い払った。」の意。この会話の後さらにゲイツが切々と宣言書の裏に隠された暗号の重要性について訴えるのだが、アビゲイル博士は苦笑して相手にしない。すると再びライリーが二人の会話に割って入り、「そこで国家安全保障省も降りた」と続く。このウィットに富んだ会話は、非常にアメリカ的でユーモラスで魅力的だ。宝探しをテーマにした冒険活劇は過去にもいくつかあり、とりわけ人気を博したのは「インディ・ジョーンズ」シリーズであろう。しかし、この「ナショナル・トレジャー」もなかなかどうして「インディ・ジョーンズ」に負けてはいない。考古学者で冒険家のベンジャミン・F・ゲイツは、幼いころ祖父から伝え聞いたテンプル騎士団の秘宝を探すため、様々な謎を一つ一つ解き明かしていく。やっとの思いで掴んだ手がかりによれば、なんと秘宝の在り処はアメリカ独立宣言書の裏面に暗号化されていることを突き止める。もともとゲイツと行動を共にしていたイアンは、資金などを提供し、ゲイツの研究を援助しているかに思えたのだが、実は宝を独り占めしようと企む野心家であった。イアンは秘宝の在り処を突き止めるため手段を選ばず、国立公文書館からアメリカ独立宣言書を強行に盗み出そうとする。ゲイツはイアンの企みを阻止するため、そして宣言書を守るためにイアンより先に盗み出すという作戦に出るのだった。ニコラス・ケイジの出演している作品はいくつか観た。オスカー俳優ニコラス・ケイジとしての先入観があるせいか、どんな役柄にも自然体に挑むのだと思い込んでいた。また、役者としての幅を広げるために様々なキャラクター作りに努力しているのだとも。 しかしそれは少し捉え方が違っていたようだ。ニコラス・ケイジはハリウッド・スターという枠組みに囚われたくないのだ。“オスカー”という名誉に跪きたくないのだ。彼は与えられた役を、誰よりも楽しんで演じている。作品のブランド性にこだわらず、自由に伸び伸びと演じている俳優はごくまれだ。その天性のものとも思える柔軟な演技力は、ニコラス・ケイジの右に出る者はいない。 また、この作品で絶妙なトークと演技を披露してくれた、ニコラス・ケイジの相棒役、天才ハッカーのライリーを演じたジャスティン・バーサだが、今後ますます期待される役者になるであろう。個性漲るニコラス・ケイジを食ってしまう勢いの存在感があった。今後のジャスティン・バーサに注目しよう。2004年(米)、2005年(日)公開【監督】ジョン・タートルトーブ【出演】ニコラス・ケイジ、ダイアン・クルーガーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.23
コメント(0)
「“愛は知らない”と言ったけど・・・本心じゃないの。よく知ってるわ。何世紀もずっと愛を見てきたからよ。人間の世界で愛だけが唯一の救いだわ。いつも戦争ばかり。苦悩、偽り、憎しみ・・・目を背けたくなるわ。でも人間が愛するのを見て思ったの。宇宙の果てまで探しても、これほど美しいものはないって。だから・・・そうなの、愛は絶対なものよ。」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ロード・オブ・ザ・リング」「ハリー・ポッター」どれも大ヒットを飛ばした冒険ファンタジーである。ここ最近ではそれらに続けとばかりに空前のファンタジーブームが映画界を席捲している。しかし、だからと言って全てのファンタジー映画が成功しているわけではなく、監督の力量と、質の高い脚本のストーリー性と、出演者たちの演技力全てのバランスが取れて初めて視聴者に受け入れられるのだ。「スターダスト」の注目すべきは、主役以外の脇を固める出演者たちの顔ぶれだ。魔女役のミシェル・ファイファー、海賊のキャプテン、ロバート・デ・ニーロ、ストームホールド国の王ピーター・オトゥール。この豪華な役者たちが見せる個性豊かなキャラクターは、子供だましのおとぎ話に成り下がらず、質の高いファンタジーと大人向きの冒険ドラマとして視聴者を酔わせてくれるのだ。舞台はイングランドのはずれにあるウォール村。その村に住むしがない18歳の青年トリスタン。彼は美人のヴィクトリアの気を引きたくて、愛の証として“流れ星”をプレゼントすると約束する。しかしヴィクトリアにはハンサムで金持ちの恋人がいるため、トリスタンを鼻であしらう。トリスタンはヴィクトリアのため、壁の向こう側に落ちた“流れ星”を探しに、壁の外に広がる魔法の国へと冒険の旅に出る。一方、人間界と魔法の国を仕切る壁の向こう側では、老いた魔女三姉妹が400年もの長い間“流れ星”を待ち続けていた。なぜならその“流れ星”の心臓をえぐり出して食べることで、永遠の命と美貌を取り戻せるからだった。さらに、魔法の国ストームホールドでは、国王が息を引き取る瞬間、後継者の証であるルビーのネックレスが夜空へと舞い上がり、国王は絶命。虎視眈々と王位を狙う王子たちにより、ルビー争奪戦が始まるのだった。この作品は本当の意味で娯楽を追求した映画であり、視聴者を飽きさせない。歴史と伝統のあるイングランドを舞台に、奥行と深みを感じさせるストーリー性。個性豊かな人物設定。厭味のない音楽。全てが調和していて申し分ない。いかにも憎々しげで醜さと妖艶さを演じ切った魔女役のミシェル・ファイファー。部下たちの手前冷酷非情で、その実、女装趣味のある海賊のキャプテンというギャップを臆面もなく演じたロバート・デ・ニーロ。ほんのチョイ役に過ぎないにもかかわらず、圧倒的な存在感で周囲を威圧するストームホールド国の王ピーター・オトゥール。これほどの面々がそろって駄作なわけがない!非常に完成度の高い冒険ファンタジーとして、秀逸な作品である。2007年公開【監督】マシュー・ヴォーン【出演】チャーリー・コックス、クレア・デインズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.21
コメント(0)
「虹をつかまえるんだって?」「あんたも冷やかしかい?」「どんな虹をさがしてる?」(中略)「子供のころ、親父といっしょに虹を見てね、普通の虹じゃないんだ。蛇みたいに巻いたり、うねったりするんだ。」「ほぅ・・・」「信じてくれなくてもいいさ。どうせ誰も信じてくれないさ。」「“虹蛇(こうだ)”って言うんだ。」「えっ?」「そのさがしてるって言う虹さ。虹に蛇と書く。」古来より日本は、八百万(やおろづ)の神々の宿る国とされて来た。庭に咲く梅の木や、路傍の石ころ、美しい曲線を描く富士の山、全てに精霊を感じていた。コミックの世界では、文字だけの表現では限界のある妖怪や幽霊などの“あやかし”を描いた作品が、数多く人気を博している。日本人の多くが少なからず抱えている、万物のエネルギーの源への尊崇の念、そして憧憬。目に見えるものだけが信じられるのではなく、目に見えなくても確実に感じられた森羅万象の営み。この作品、「蟲師」は、「月刊アフタヌーン」に連載されている漆原友紀によるマンガを実写化したものである。作中の「蟲」とは、いわば幽霊や妖怪のような存在で、「蟲師」とは、「蟲」の引き起こす怪奇現象を研究、あるいは退治、治療を施す者を指している。「蟲師」として旅を続けるギンコ。ある時、蟲師たちの集う御堂にやって来たギンコは、淡幽の身体に異変が起きたという知らせを受ける。淡幽とは、代々蟲にとり憑かれた旧家の娘で、蟲の記録を取り続けることでその威力を封じて来たのだ。しかし、ギンコが淡幽の屋敷を訪れた時、彼女は蟲に侵食され、由々しき事態に陥っていた。ギンコは淡幽の病の謎を探るため、狩房家の蟲についての巻物をひも解くのであった。 だが、封印されていたはずの蟲が、黒いモヤとなって立ち昇り、ギンコにとり憑き始めたのだ。原作を読んでいないことをお断りして、感じたことを率直に言いたい。この作品は、互いに相容れないものを排除し、抹殺し、忌み嫌うのではなく、「共存」への願いをテーマにしているのではなかろうか。絶望や不安、孤独と言った闇の部分を葬り去るのではなく、今ある姿として自然の中へ返してゆく。非常にレベルの高い精神世界を描いているため、残念ながらストーリーが追いついて行かない。無駄のない美しい映像から、古き良き時代の風景を垣間見られる。2007年公開【監督】大友克洋【出演】オダギリジョー、江角マキコまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.03
コメント(0)
「何か始めようとするといつもジャマする。」「愛してるから心配なのさ。聞いてみれば?」「誰に? 僕の父親? ヤだね。一人じゃムリ。」「シザーハンズ」を観た時、これは来るぞと思った。このセクシーな容姿は欧米のみならず、そのうち日本女性もとりこにするだろうなと、なんとなく感じ取ったのだ。我ながら先見の明があったと思う(笑)今やジョニー・デップと言えば、ハリウッド界きってのスーパースターなのだから。パートナーを組んだティム・バートン監督の存在も大きい。アートハウス系の作品に独自の存在感を確立できたのは、やはりこの二人の息の合った仕事ぶりが功を奏したのだと推測できる。「チャーリーとチョコレート工場」は、タイトルからおおよその想像がつく通り、ファンタジー映画である。貧しい家の少年チャーリーを取り巻く物語だ。世界的ヒット商品を次々と出荷するウォンカチョコレート工場。そのウォンカのチョコレートを買うと、たった5枚だけゴールデン・チケットが入っているという。そのゴールデン・チケットを手にした5人の子供とその保護者に対してのみ工場見学に招待するという企画。選ばれたのは、食い意地の張った肥満少年、大金持ちのわがまま娘、賞を獲得することに執念を燃やす勝気な娘、ゲームおたく少年、そしてチャーリーの5人。一方、工場の社長であり、工場見学の引率者でもあるウィリー・ウォンカには悲しい過去があった。幼少時代、歯科医である父親から厳しい躾を受け、それがきっかけで親子の関係に確執があったのだ。全ての童話には子供たちに訴えかけるテーマがある。「チャーリーとチョコレート工場」も例外ではなく、お金や名声よりも大切なものがあり、それは「家族の絆」なのだというごくごくありふれたものだ。しかし、社会がこれだけ複雑化して親子関係が希薄になった昨今、こんな単純なテーマを題材にした作品でも改めて思い知らされるというのは、なんとも皮肉な話だ。作中、「2001年宇宙の旅」や「サイコ」など有名映画のパロディが見受けられ、とても楽しい。色彩豊かでサイケな感覚は、アートハウス系作品に相応しいものだ。2005年公開【監督】ティム・バートン【出演】ジョニー・デップ(ウィリー・ウォンカ)また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.01.22
コメント(0)
「この世には生まれつきの偉人となりゆきの偉人がいる。君が偉大になるチャンスは今だ。」久しぶりのファンタジー映画に、妙にホッとする自分がいる。やっぱり映画はこうでなくちゃ、そう思うのは自分だけだろうか?特撮を駆使した冒険モノは、ややもすればリアル感に欠け、質感表現が不完全になりがちである。しかしもともと一本の映画を頭の中のイメージ通りに撮影することは不可能なのだから、ある程度の「遊び感覚」は許容範囲内ではなかろうか。この作品は、うだつのあがらないバツイチ失業男のラリーが、アメリカ自然史博物館の夜警に就職が決まったところからストーリーが展開される。先輩老警備員から簡単な仕事の引継ぎを受けると、ラリーは初日からたった一人で広くて静かな博物館の警備に就く。深夜になって睡魔に襲われそうな時間になると、なんと、T.レックスの骨格標本から動物の剥製、ジオラマ、蝋人形などの展示物が次々と動き出すではないか。信じられないような光景に驚愕し、大騒動に巻き込まれたこともあって、わずか一日で退職しようとした。だがラリーは仕事をいくつも転々としていて、せめて一人息子のニックの前では尊敬される父親でありたかったため、夜警の仕事を継続する。博物館や美術館が赤字経営なのは、どこの国でも同じなのだろうか。大衆に興味を抱かせ、少しでも興業的に成功を収めるためには、何と言ってもファミリーで楽しめることが先決なのだ。童心にかえって少年少女の視点から映像を楽しむ、それこそが娯楽としての映画の真髄ではなかろうか。注)「アート」としての映画にこだわる人向きではない作品なので、あしからず。2007年公開【監督】ショーン・レヴィ【出演】ベン・スティラー(ラリー)、ロビン・ウィリアムズ(ルーズベルト大統領)←蝋人形また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.01.20
コメント(0)
「おまえが俺を愛しておらぬということはわかっていた。それでも俺はおまえを・・・!」舞台は戦国時代。醍醐景光は天下取りの代償として、48体の魔物に生まれて来る我が子を生贄に差し出す。赤ん坊は身体の48箇所が欠落していて、その姿はすでに人の子の体を成すものではなかった。呪われた赤子は生きたまま川に流されるはめに。それを拾い上げたのは秘術を扱う医師・寿海。哀れに思った寿海はその赤子に仮の肉体を授けるべく、秘術の限りを尽くした。やがて赤子は成人し、真の身体を取り戻すために48体の魔物と闘う旅に出る。物語の根底に流れるもの。それは失いし身体を探し求める旅・・・すなわち自分探し、自己発見がいかに辛く苦しい作業であるかをテーマにしている。人はそのルーツを知ることで、自分の存在価値を確認する。誰かに愛され、求められることで、己の存在を肯定するのだ。「愛」という陳腐で安っぽい言葉に人は踊らされがちだが、しかし「愛」がなければ個としての存在価値はなく、生きる術さえ失いかねない尊きものなのだ。あなたは誰かに愛されていますか?あなたは誰かを愛していますか?2007年公開【監督】塩田明彦【出演】妻夫木聡(百鬼丸) 柴咲コウ(どろろ) 中井貴一(醍醐景光)また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.01.10
コメント(0)
全41件 (41件中 1-41件目)
1