吟遊映人 【創作室 Y】

吟遊映人 【創作室 Y】

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

吟遊映人

吟遊映人

カレンダー

2014.01.18
XML
カテゴリ: 読書案内
【谷崎潤一郎/麒麟】
20140118

◆『論語』から材を取った格調高い短編小説

中国の古典である『論語』から材を取ったこの短編小説は、私の大好きな谷崎作品のベスト3に入る。
『麒麟』というのは、動物園などにいる、あの首の長い動物のことではなく、「聖人が生まれるときに現われるという想像上の動物」を指す。
私がなぜ数ある谷崎の代表作よりも、このような初期の作品を好きなのかと言うと、キレイゴトを言ったって結局、人間は欲望の塊なのだとストレートに訴えているからだ。
あれほど仁徳の人として名高い孔子ですら、美女の肉体的な魅力の前には手も足も出やしないのだから。
この『麒麟』が、同じ『論語』から材を取った中島敦の『弟子』と対極にあるのは、人間の性とか業というものは「たとえ孔子のような聖人でも如何ともできない」ことを表現しながらも、一方は性欲、もう一方は命運という劇的な悲劇の有無にあるのかもしれない。
私は中島敦の『弟子』も大好きで、何度となく読み直し、人間にとって「学」がいかに不可欠なものかを知った。
破天荒で不良の子路が孔門の徒となり、見事な人間像を形成するプロセスは、何より孔子の教えをよく学び、勉学に努めたことを物語っている。
だが、谷崎の『麒麟』も凄い。

あらすじはこうだ。

そんな折、孔子の一行が近くに来ていることを臣下から聞き、宮殿へ招くことにした。

霊公は、夫人を始め、一切の女を遠ざけ、口をそそぎ、身なりをきちんとして孔子を一室に招いた。
そして、国を富まし、兵を強くし、天下に王となる道について伺った。
ところが孔子は、兵法や税の徴収法については一言も答えず、何よりも貴いのは道徳であることを説いた。
「公がまことに王者の徳を慕うならば、何よりもまず私の慾に打ち克ち給え」
こうして霊公は孔子の言葉に目覚め、南子夫人の顔色を窺うこともなく、孔子の政の道を学んだ。
無論、南子夫人の寝室を訪れることもなくなった。
そんな霊公の態度が面白くないのは南子夫人である。
南子夫人は魂をそそるような香水をふりかけ、美しい女体を持って霊公に近付いた。
霊公はせっかく孔子の教えに従って努力しているにもかかわらず、忘れかけていた甘い肉欲の願望に押し潰されそうになる。
やっとの思いで夫人の手を払い除け、顔を背けたところ、夫人は微笑みながら霊公に断言する。


谷崎潤一郎が描くこの南子夫人の妖艶なことと言ったらこの上もなく、どれだけ男を弄び狂わせてしまう女なのか、興味が倍増する。
さしあたり『痴人の愛』に登場するナオミを彷彿とさせ、中国の古典でありながら、すっかり谷崎ワールドにすり替わってしまうほどである。
この悪魔的な「美」が、孔子の教える「徳」とどう対峙するのか、そこを上手く咀嚼、消化することで人間の核心に触れることが出来る。
それにしても天下の『論語』を原典とし、聖人である前に一人の男である孔子を描いた谷崎潤一郎の着眼点はスゴイ。
本物の文学とはこういうものだと、さりげなく見せつけられたような、見事な筆致だ。



20130124aisatsu


☆次回(読書案内No.109)は白石一文の「私という運命について」を予定しています。


コチラ から
★吟遊映人『読書案内』 第2弾は コチラ から





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014.01.18 06:00:05
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: