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東京琉球館で12月16日18時(午後6時)から「サウジアラビアの粛清」について話します。予約制とのことですので、興味のある方はあらかじめ下記まで連絡してください。東京琉球館住所:東京都豊島区駒込2-17-8電話:03-5974-1333http://dotouch.cocolog-nifty.com/サウジアラビアでサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王と息子のムハンマド・ビン・サルマン皇太子が11月4日にライバルを一斉拘束したうえ、レバノン首相に辞任を表明させました。48時間で約1300名が逮捕され、その中には少なからぬ王子や閣僚が含まれているとされています。粛清が始まる直前、10月25日から28日にかけてドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを訪問していたことも注目されています。サウジアラビアは6月上旬にカタールを経済封鎖で締め上げて属国化しようと試み、その月の21日に国王は皇太子を甥のムハンマド・ビン・ナーイフからビン・サルマンへ交代させました。ナーイフはそのときから自宅で軟禁されていると言われています。昨年12月に数十名の王子や王女が国外へ脱出していますので、そうした粛清の動きは遅くとも1年前からあったのでしょう。カタールに対する兵糧攻めに反対した人々も逮捕されたようです。しかし、ビン・サルマン皇太子は2015年1月から国防大臣を務めているものの、軍を掌握しているとは言えないようで、拘束場所のホテルを警備しているのも皇太子の私兵やアメリカの傭兵会社から雇い入れた戦闘員だと伝えられました。傭兵には拘束した人々に対する拷問も任せているようです。皇太子交代の直後にはイスラエルから18機の戦闘機などがサウジアラビアへ飛来、クーデターに備えたと言われるほど皇太子はイスラエルと親密な関係にあり、今年9月にビン・サルマンはイスラエルを秘密訪問したと言われ、粛清についても協議したと推測する人もいます。同じ月に聖職者や司法関係者が逮捕されたと報道されています。9月20日はアル・ヌスラ(アル・カイダ系武装集団)の部隊がパトロール中のロシアの憲兵隊部隊29名を包囲、攻撃するという出来事もありました。襲撃した部隊の背後にはアメリカの特殊部隊がいたとも言われています。それに対してロシア軍はSu-25を使って空爆、特殊部隊スペツナズも救援に駆けつけ、反政府軍側の戦闘員約850名が殺されたと報道されました。その際、アメリカの特殊部隊も全滅したようです。その直後にアメリカ軍とロシア軍は緊急に会談、イスラエル軍の航空機が自国領内からミサイルでダマスカスの空港を攻撃しました。その後、24日にロシア国防省はダーイッシュの陣地にアメリカ軍の特殊部隊が使う装甲車や装備が写っている衛星写真を公表、その地域をクルド系のSDF(シリア民主軍)が安全に通過していることも明らかにします。その24日、ダーイッシュの砲撃でロシア軍事顧問団のバレリー・アサポフ中将とふたりの大佐が砲撃が死亡しましたが、正確な情報がアメリカ側からダーイッシュへ流れていたとロシア軍は見ています。アメリカの情報機関や特殊部隊はロシア軍を直接攻撃しはじめたわけですが、その後に状況が変わりました。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)がロシア軍によって壊滅寸前になる中、アメリカ政府は新たな手駒としてクルドを使おうとしたのですが、このクルドがアメリカの思惑通り動かないのです。クルドを支援し始めたことからアメリカとトルコの関係はさらに悪化しているため、シリア北部に侵入、13カ所の基地を作ったアメリカ軍は孤立しかねない状況です。そうした中、イスラエルとサウジアラビアは新たな戦争を目論んでいるのですが、イランは勿論、ラバノンのヒズボラが相手でも戦争で勝つことは難しいと見られています。そこで、何らかの形でアメリカを巻き込もうとしているのでしょう。そこで、アメリカの有力メディアはサウジアラビアの粛清を「アラブの春」と表現、侵略戦争を正当化しようとしています。サウジアラビアはシリア侵略やイエメン侵略に失敗、原油相場の下落で財政赤字に陥り、周辺にいた国々が離れていきました。そこで大規模な粛清でライバルを潰してしまおうとしているようですが、拘束されている人々が外へ出れば反撃してくる可能性があります。全員を処刑してしまっても反動は大きいでしょう。サウジアラビアが破綻したならば、ドルを支える仕組みが大きく揺らぎ、アメリカの支配システムが崩れ始めることも考えられます。
2017.11.30
安倍晋三政権は日本の庶民、つまり被支配層の利益に反する政策を次々に打ち出してきたのだが、現在、彼を支える与党は議会で圧倒的多数を占めている。そうした状態になった経緯を振り返ると、少なくとも結果として、安倍政権には朝鮮に支えられている側面があることがわかる。その朝鮮が久しぶりにミサイルを発射した。「火星15」と名づけられたICBMだというのだが、海へ落下する前に3つ以上へ分解、つまり再突入に失敗したようだ。7月に「火星14」の改良型を発射した際も再突入の後、高度4〜5キロメートルで分解したと見られている。7月のケースでは、ロケットの推進力が不足しているために弾頭部分の軽量化を図り、そのために脆弱化して再突入に耐えられなかったという推測も聞かれた。今回のミサイル実験の結果、アメリカ全域が射程圏内に入ったと宣伝しているようだが、今のままでは弾頭に核兵器を搭載することはできないだろう。それでも朝鮮が今年に入り、自力で開発しているとは思えないほどの速いピッチでミサイル開発を進めていることは確かだ。イギリスのシンクタンクIISS(戦略国際研究所)は8月14日、朝鮮の新しいミサイルが搭載しているエンジンはウクライナから持ち込まれた可能性が高く、ウクライナでの目撃談とも合致していると発表した。これはマイケル・エルマンの技術分析がベースになっている。ジャーナリストのロバート・パリーによると、エンジンの出所だと疑われている工場の所在地はイゴール・コロモイスキーという富豪(オリガルヒ)が知事を務めていた地域にある。この富豪はウクライナ、キプロス、イスラエルの国籍を持つ人物で、2014年2月のクーデターを成功させたネオ・ナチのスポンサーとしても知られ、2014年7月17日にマレーシア航空17便を撃墜した黒幕だとも噂されている。朝鮮のミサイル発射実験や爆破実験を繰り返してきたが、いずれも日本やアメリカの好戦派にとって都合の良いタイミングで行われていると考える人が少なくない。そうした実験は暫くなかったが、11月20日から6日間にわたって日本経済団体連合会、日本商工会議所、日中経済協会で構成される経済代表団約250名が中国を訪問した直後に実施した。また、このタイミングでロシアの議員団が平壌を訪問している。東アジアでの経済関係を強化しようとしているロシア政府は今回の発射に抗議しているので、議員も現地で講義しているだろう。日本やロシアにとって今回のミサイル発射は好ましくないタイミング。喜んでいるのはアメリカや日本の好戦派、とくにスキャンダルまみれの安倍政権だろう。現在、最も軍事的な緊張が高まっているのは中東だ。シリアを侵略してバシャール・アル・アサド体制を倒すというアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力の目論見は失敗、厳しい状況に陥り、周辺にいたトルコやカタールなどは離反している。侵略の手先はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団が中心で、アル・ヌスラやダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)といったタグがつけられている。こうした武装勢力がロシア軍によって壊滅させられようとしている。三国同盟は手駒をクルド系武装勢力へ切り替えようとしたが、すでにアメリカ離れを始めていたトルコをさらに怒らせてしまった。しかもクルドが三国同盟の思惑通りに動いていないようだ。現在、サウジアラビアとイスラエルは関係を強化、アメリカを巻き込んで新たな戦争を引き起こそうとしている。サウジアラビアでの大規模な粛清はそのためだと見る人は少なくない。朝鮮半島での茶番劇はその危険な状況から人々の目をそらさせる役割を果たしているようにも見える。ただ、火遊びが本当の火事を引き起こすということもある。中東で新たな戦争を引き起こそうとする動き、東アジアでの火遊び、いずれも西側の有力メディアが煽っていることも確かだ。
2017.11.30
日本経済団体連合会、日本商工会議所、日中経済協会で構成される経済代表団が11月20日から6日間にわたって中国を訪問したという。1975年から日本の3経済団体は毎年中国を訪問、今回は日本の大手企業のトップや役員など250名が参加するという大規模なものだった。日本にとって中国は重要なビジネス・パートナーであり、エネルギー戦略を考えるとロシアとの取り引きを拡大するべきであろう。10年ほど前、ある日本の大手企業で管理職を務める人物から中国なしに商売は成り立たないと言われたことを思い出す。その基盤を築いたのが田中角栄と周恩来だった。1972年9月に田中角栄首相が中国を訪問し、日中両政府は戦争状態の終結と国交正常化を柱とする共同声明を発表、78年8月には日中平和友好条約が締結されている。田中首相の訪中はリチャード・ニクソン米大統領が中国を訪れた7カ月後のことだ。中国訪問から4年後、田中はスキャンダルに襲われる。1976年2月にアメリカ上院の多国籍企業小委員会で明るみ出たロッキード社による国際的な買収事件で田中の名前が浮上し、その年の7月には受託収賄などの疑いで逮捕されたのだ。事件が発覚する切っ掛けは小委員会へ送られてきた資料だった。買収の目的は全日空の旅客機導入にあったとされているが、金額では次期対潜哨戒機の選定が遥かに大きく、この軍用機が本筋だったと信じている人は少なくない。この推測が正しいとするならば、児玉誉士夫の子分と言われた大物政治家に疑惑の目が注がれることになる。が、この政治家は1984年1月に児玉が急死したことから逃げ切ることができた。ところで、田中角栄の周辺が騒がしくなったのは逮捕の2年前のこと。「文藝春秋」誌の1974年11月号に立花隆が書いた「田中角栄研究」と児玉隆也の「淋しき越山会の女王」が掲載されたのが始まりだ。この頃から田中バッシングが始まっている。1974年にアメリカでは大きな出来事があった。ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任、ジェラルド・フォードが副大統領から昇格し、デタント(緊張緩和)派の粛清を始めたのだ。ロシアとの関係修復を試みたドナルド・トランプ大統領が有力メディアや政府機関から攻撃されているのと似た状況だ。フォード政権ではネオコンが台頭している。例えば、ドナルド・ラムズフェルドが国防長官に就任、リチャード・チェイニーは大統領副補佐官、1992年2月に世界制覇プロジェクトを作成したポール・ウォルフォウィッツは軍備管理軍縮局に勤務する一方、CIA内に設置されたソ連の脅威を宣伝するチームB(Bチームとも呼ばれる)に所属していた。ソ連との関係悪化を目論んだのだ。ネオコンを含むアメリカの好戦派は日本が中国やロシアへ接近することを許さない。東アジアの軍事的な緊張を高め、アメリカ軍が軍隊を貼り付けて中国やロシアを封じ込め、状況によっては先制核攻撃で破壊しようとしている。本ブログでは何度も書いたように、アメリカには1950年代からそうした計画があった。1957年にはアメリカ軍の内部でソ連に対する先制核攻撃を準備しはじめ、この年の初頭にはソ連への核攻撃を想定した「ドロップショット作戦」を作成している。それによると、300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1960年10月から62年9月まで統合参謀本部の議長を務めたリーマン・レムニッツァーやSAC(戦略空軍総司令部)司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったという。その計画を実行する上で最大の障害だと見られていたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺され、その直後にCIAは暗殺の背後にキューバやソ連が存在するという宣伝を行ったが、思惑通りには進まなかった。このルメイに対し、日本政府はケネディ大統領が暗殺された翌年、「勲一等旭日大綬章」を授与している。ネオコンの世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンから3年後の1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を公表、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていくのだが、2009年9月に内閣総理大臣となった民主党の鳩山由紀夫はその流れに逆らう。東アジアの平和を訴えたのだ。その鳩山と近かった小沢一郎に対する攻撃は2006年に始まっている。週刊現代の6月3日号に「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事が掲載され、09年11月には「市民団体」が陸山会の04年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発、翌年の1月に秘書は逮捕されている。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月には秘書3人が起訴された。マスコミと検察がタッグを組み、小沢を潰しにかかったと言える。ニクソンやトランプに対する攻撃と似ている。「首相の意向に背けば官僚人生終り」ということはない。2010年6月に首相は鳩山から菅直人へ交代、9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視して尖閣諸島の付近で操業中だった中国の漁船を取り締まった。海上保安庁は国土交通省の外局で、当時の国交大臣は前原誠司だ。この取り締まりによって田中角栄と周恩来が「棚上げ」で合意していた尖閣諸島の領有権問題が引きずり出され、日本と中国との関係は急速に悪化する。軍事的な緊張が高まり、経済面にも悪い影響が出た。これはアメリカ支配層にとって好都合なことだ。海上保安庁が協定を無視して中国漁船を取り締まる3カ月前、2010年6月にベニグノ・アキノ3世がフィリピンの大統領に就任している。この人物の父親は1983年8月にマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアであり、母親は86年2月から92年6月まで大統領を務めたコラソン・アキノ。いずれもアメリカ支配層の影響下にあった。つまり傀儡だ。ちなみに、ここにきて日本の大企業による不正が立て続けに発覚している。例えば日産、神戸製鋼、三菱電線(三菱マテリアルの子会社)、東レハイブリッドコード(東レの子会社)。勿論、不正は許されない行為だが、その発覚するタイミングが興味深いことも事実だ。そう言えば、鳩山が首相に就任した2009年にトヨタの問題がアメリカで浮上、15年9月18日にアメリカの環境保護局(EPA)はフォルクスワーゲンが販売している自動車の一部が排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを搭載していたと発表している。その2週間前の9月4日に同社はアメリカからの圧力をはねつけ、ロシアでエンジンの生産を始めていた。
2017.11.29
武器弾薬を積んだ軍用車両が11月26日にクルドの支配するシリア北部へ入ったと伝えられている。アメリカのドナルド・トランプ大統領は11月24日にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と電話で意見を交換、アメリカはYPG(クルド人民防衛隊)へ武器を供給しないと約束したとトルコ外務省は発表していた。この発表から間もなくしてホワイトハウスが電話での話し合いを確認したが、軍事支援に関しては調整中だとしていた。11月22日にエルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領とイランのハサン・ロウハーニー大統領とロシアのソチで会談、その2日前には同じ場所でプーチン大統領とシリアのバシャール・アル・アサド大統領が会っている。その前、今年(2017年)7月にはイランとイラクが広範囲な軍事的協力で合意、ロシア、シリア、イラン、イラク、トルコの連携が明確になった。アメリカに従属することを拒否している国々だ。これに対し、リビアやシリアを侵略するプロジェクトで中心的な役割を果たしたアメリカ(ネオコン)、イスラエル、サウジアラビアはそのプロジェクトが失敗に終わったことを受け、新たな戦争を目論んでいる。シリアへの侵略を始めた当時、この三国同盟にはイギリス、フランス、トルコ、カタールといった国々の支援を受けていたが、すでにトルコとカタールは離反した。当初、三国同盟はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を手先として使っていた。そうした集団に張られたタグがアル・ヌスラやダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)などだが、その実態は基本的に同じだ。シリア政府の要請を受け、その武装勢力をロシア軍が2017年9月30日から攻撃、今では壊滅寸前になっている。そこで今年5月から手駒をクルドへ切り替え、武器/兵器の供給を本格化した。トルコ政府と対立関係にあるクルドを支援しはじめたことからアメリカとトルコとの関係は悪化する。2016年6月下旬にエルドアン大統領は2015年11月24日のロシア軍機撃墜を謝罪、2016年7月13日にトルコ首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。7月15日にはトルコで武装蜂起があったが、その黒幕は首謀者はアメリカへ亡命中でCIAの保護下にあるとも言われているフェトフッラー・ギュレンであり、蜂起の背後にはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとトルコ政府は主張している。しかも、11月にノルウェーで実施されたNATOの軍事演習でトルコ政府が敵だと表現されていたことからエルドアン大統領は11月17日、自国兵士40名を引き揚げさせると発表する事態に至った。アメリカとトルコとの関係は冷え切っている。そうしたトルコとの関係をトランプ大統領は改善しようと思ったように見えるのだが、ホワイトハウスを含むアメリカの支配システムは別の方向へ向かっているようだ。11月にベトナムで開かれたAPECサミットでトランプ大統領はプーチン大統領と話し合っているが、これは政府内での妨害を振り切る形で実施された。現在、ホワイトハウス内でもトランプを大統領と見なさない人たちが存在する。別の指揮系統で動いているようにも見えるのだ。地下政府が存在するのだろうか?1982年にロナルド・レーガン大統領がNSDD55を出し、憲法の機能を停止させる目的でCOGプロジェクトをスタートさせたことは本ブログで何度も指摘してきた。当初想定されている緊急事態は核戦争を意味していたが、1988年に出された大統領令12656によって憲法は「国家安全保障上の緊急事態」の際に機能を停止できることになる。自然災害でも何でも政府が「国家安全保障上の緊急事態」だと判断すれば良いということだ。そして2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。その直後、「テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年法(愛国者法)」(注)が出現した。340ページを超す代物だが、それを議会は1週間で承認、強制収容所の建設を推進する国家安全保障省の「エンド・ゲーム計画」も成立している。表面的には短期間で法案が作成されているように見えるが、実際には少なくとも13年という準備期間があった。ここから日本の緊急事態条項も生まれたのだろう。ところで、COGとは「政府の継続」を意味する。既存の政府が機能しなくなった場合、地下政府を動かすわけだ。
2017.11.28
大阪市がサンフランシスコ市との姉妹関係を解消するのだという。サンフランシスコ市内に建てられた慰安婦像とその維持費の寄贈を受け入れる決議案にエドウィン・リー市長が署名、これに大阪市の吉村洋文市長が反発しているとも伝えられている。いわゆる「慰安婦」を日本軍が使っていたことは否定できない。日本軍の管理下、彼女たちが強制された行為を考えれば、性奴隷と呼ばれても仕方がないだろう。兵士としてその様子も見てきた人から筆者自身、日本兵の無様な様子を聞いたことがある。その無様な様子を現地の人々は目撃していたのだ。「なかったこと」にしようとすれば、日本人の置かれた状況が悪くなるだけである。こうした女性の数は5万から30万人と言わている。敗戦が決定的になった後、日本軍は自分たちに都合の悪い書類を大量に処分したこともあり、正確な数字はわかっていない。その多くは工場労働者や看護婦の採用だと思って応募したというが、中には暴力的に連れ去られたケースもあったようだ。いずれにしろ、誘拐であることに変わりはない。日本軍がこうした仕組みを作り上げた理由は日本兵による現地女性に対するレイプ対策だったとも言われている。今でも沖縄ではアメリカ兵によるレイプ事件が問題になり、第2次世界大戦の終盤、中国へ侵攻してきたソ連軍も似たことを行ったようだ。つまり、程度の問題はあるが、戦争ではこうしたことが引き起こされる。日本が特殊なのは、軍という組織がレイプを統制しようとしたことにある。そうしたことをすると組織の責任が問われるため、通常は行われない。慰安婦を生み出したのは日本の男性支配層が抱く女性観にあるとも言える。昭和天皇の「終戦の詔勅」が放送された直後、東久邇稔彦内閣は占領軍向けの性的な慰安施設設置を命令した。「特殊慰安施設を可及的すみやかに整備せよ」という指令が内務省警保局長から全国の警察へ伝えられているのだ。そしてRAA(特殊慰安施設協会)が8月26日に設置され、本部事務所は銀座の歌舞伎座に置かれた。施設で働く女性の数は、東京都内だけで約1600人、全国で4000人に達したという。施設で働く女性として当初は水商売を生業とする人々が想定されたようだが、何が行われようとしているかを理解できた「遊興業者」が警察の協力要請に難色を示したこともあり、簡単には集まらない。そこで新聞広告で一般女性を集めている。広告には「女子事務員募集、年齢18才以上25才まで。宿舎、被服、食料全部当方支給」、「特別女子従業員募集、衣食住及高給支給」、「キャバレー・カフェー・バーダンサーヲ求ム」といったことが書かれていた。応募した女性の少なくとも半数は身体を売る仕事だと知らずに応募したと言われている。夫が戦死するなど、家族を養うためにやむを得ずそうした仕事をした人もいたようだ。大森海岸の料亭「小町園」が慰安所第1号に指定されたのは1945年8月27日。厚木基地へ到着した連合国軍先遣部隊の兵士がそこへ行く。その後、同じような施設が全国に設置されたが、1946年1月21日にGHQから「日本における公娼廃止に関する覚書」が出され、内務省は同年2月2日に内務省令第3号を公布、即日これを施行し、警保局公安発第9号「公娼制度廃止に関する件」の通達が発せられ、この仕組みは廃止へ向かう。同年3月10日にはGHQの命令によって全ての慰安所に進駐軍将兵が立ち入ることを禁じられ、RAAは1949年4月22日に閉鎖された。日本の支配層は自国の女性に対してもこの程度のことは平気で行う。侵略先のアジア諸国では推して知るべしだ。慰安婦の問題が浮上すると、商売として行っているのだから問題がないと言う人が出てくるが、そうした状況を作り出したことが最大の問題である。ビジネスだから問題ないと開き直るのは見苦しい。第2次世界大戦の前、JPモルガンの強い影響下にあった日本では新自由主義的な経済政策が採用されて庶民の生活は悪化、東北地方では娘の身売りが増え、欠食児童、争議などが問題になっている。支配層は裕福になり、庶民は貧困化、つまり貧富の差が拡大したわけだ。こうした経済政策を推進したのは浜口雄幸内閣。そうした政策に反発する人も少なくなかった。その結果、浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡し、32年2月には大蔵大臣でJPモルガンと最も親しくしていた井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺された。5月には五・一五事件が引き起こされている。そして1936年2月には二・二六事件だ。血盟団にしろ、二・二六事件の将校にしろ、娘を身売りしなければならないような状況を作った支配層への怒りが行動の背景にはあると言われている。(別に、行動を肯定しているわけではない。念のため。)ちなみに、この間、1932年にアメリカで実施された大統領選挙でウォール街が担いでいたハーバート・フーバー大統領は再選されず、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選した。1933年から34年にかけてJPモルガンをはじめとする勢力がクーデターも目論むが、これは失敗している。(その辺の事情は本ブログで何度か書いているので、今回は割愛する。)日本の支配層が従属していたウォール街のホワイトハウスでの影響力が小さくなり、日本が迷走する一因になったと言えそうだ。戦前レジームに戻るということはウォール街に従属することを意味する。
2017.11.27
トルコ外務省によると、11月24日にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はアメリカのドナルド・トランプ大統領と電話で会談、トランプ大統領はエルドアン大統領に対し、アメリカはYPG(クルド人民防衛隊)に対して武器を供給しないと約束したという。ロシアのソチでロシア、イラン、トルコの大統領が集まってシリア情勢について会談した2日後のことだ。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力のシリア侵略計画は2011年3月に始動、当初はトルコも参加していたが、2016年6月下旬にエルドアン大統領は2015年11月24日のロシア軍機撃墜を謝罪、2016年7月13日にトルコ首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。その2日後にトルコでは武装蜂起はがあったものの、短時間で鎮圧されている。この武装蜂起について、エルドアン政権は首謀者はアメリカへ亡命中でCIAの保護下にあるとも言われているフェトフッラー・ギュレンだと主張、蜂起の背後にはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたとしている。しかも、今年11月にノルウェーで実施されたNATOの軍事演習でトルコ政府が敵だと表現されていたことからエルドアン大統領は11月17日、自国兵士40名を引き揚げさせると発表、アメリカとトルコとの関係は冷え切ってしまった。2015年11月24日のロシア軍機撃墜は同年9月30日にロシア政府がシリア政府の要請を受けて空爆を開始、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に大きな打撃を加え始めたことを受けてのこと。ロシア軍を脅すつもりだったのだろうが、ロシア側は新型の防空システムを配備、地中海やカスピ海からの巡航ミサイルによる攻撃などで応じた。ロシアを怒らせてしまったと言えるだろう。2012年8月の段階でDIA(国防情報局)は、シリアの反政府軍の主力をサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(イラクのアル・カイダ)だと指摘、つまりバラク・オバマ政権が主張する「穏健派」は存在しないと指摘する報告書をホワイトハウスへ出した。その当時のDIA局長、マイケル・フリン中将はダーイッシュが脚光を浴びる中、2014年8月に退役を強いられている。2015年にはアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを危険だと考えるチャック・ヘイゲル国防長官やマーティン・デンプシー統合参謀本部議長がポストを追われ、好戦派が後釜に座る。つまり国防長官はアシュトン・カーター、統合参謀本部議長はジョセフ・ダンフォードに替わったのだ。アメリカ軍、あるいはNATO軍を直接、シリアへ軍事侵攻させる準備だったようにも見える。ロシア軍の介入はデンプシーが議長を辞めた5日後だ。ジョン・ケリー国務長官(当時)の言葉を借りると、ロシア軍の介入によって方程式が変わってしまった。そして現在、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは壊滅寸前。アメリカはこうした武装集団をクルドに切り替えようとしたが、クルドはアメリカの思惑通りに動いていない。イラクのクルドはイスラエルの指揮下にあるマスード・バルザニの影響力が急低下、シリアのクルドはシリア政府軍やロシア軍と戦おうとしていないようだ。アメリカはバラク・オバマが大統領だった当時に特殊部隊をシリア北部にある7つの基地へ派遣、トルコ政府によると、クルドが支配している地域に10カ所以上の軍事基地をアメリカ軍は建設済みだとしている。クルドを手先として使えるなら「満州国」の建設も可能だったろうが、クルドとの関係が切れたなら、こうしたアメリカ軍の基地は孤立してしまう。トルコとの関係にしても、エルドアン政権がクーデター計画の首謀者だとしているフェトフッラー・ギュレンがネックになる。この人物をアメリカ政府はトルコ側へ引き渡せないだろう。クルドへの武器供与を止めることも困難が伴う。
2017.11.26
アメリカの映画界、いわゆるハリウッドで年少者が性の対象になってきたことは以前から噂されていた。この問題に多少でも興味のある人なら、聞いたことがあるだろう。ロマン・ポランスキーが問題になった理由は行為そのものでなく、彼が監督した作品にある可能性が高い。彼の作品がアメリカ支配層を怒らせたのではないかということである。『ローズマリーの赤ちゃん』を発表した翌年に妻のシャロン・テートが殺され、77年に逮捕され、保釈中にパリへ逃げている。政治的な目的でセックス・スキャンダルをアメリカの情報機関や治安機関は使う。1935年から72年にかけてFBI長官を務めたJ・エドガー・フーバーは第2次世界大戦中からジョセフ・ケネディの次男、つまりジョン・F・ケネディを監視している。ジョセフは1937年から40年にかけて駐英大使を務めた人物で、その息子が要職に就くであろうことを見通してのことだろう。この息子には大きな弱点があった。無類の女性好きだったのだ。CIAの幹部で秘密工作に関わっていたコード・メーヤーの元妻、マリー・ピンチョット・メーヤーがJFKの愛人だったことは本ブログでも書いたことがあるが、そのほかフランク・シナトラの紹介でシカゴ暗黒街のボスだったサム・ジアンカーナの愛人と親しくなっている。こうした情報を利用してフーバーは大統領の弟で司法長官だったロバート・ケネディを脅し、マーチン・ルーサー・キング牧師の盗聴を認めさせたという。2016年の大統領選挙では子どもの売春ネットワークが話題になったが、こうした話は昔から指摘されている。例えば、1988年から91年にかけて表面化したフランクリン子ども売春リング。このリングは悪魔崇拝者によって運営され、生け贄やカニバリズムで多くの子どもが犠牲になっていて、有力政治家も顧客に含まれているとされた。公的には否定されているが、今でも存在すると主張する人がいる。2016年の「ピザゲート」はそうした話の中から出て来た。ウォーターゲート事件で「鉛管工グループ」が民主党全国委員会の本部へ侵入した目的も売春ネットワークに関する証拠を手に入れることだったとする噂が今でも消えていない。子どもを性の道具にするビジネスの話はイギリスにもある。例えば、15歳から18歳の少年を収容する施設でそうしたビジネスが行われていると1980年1月に報道されたのだ。その翌年、施設のスタッフが11名の少年を虐待したとして収監されたが、1970年代にイギリスの対外情報機関MI6はその事実を知ったのだが、放置していたとする話が浮上する。これも個人的な犯罪で片付けられたが、納得していない人もいる。この話では調査の過程で知った情報をMI6が警察などへ通報しなかったというだけだが、一般的に言って、情報機関や治安機関は要人の弱みを握るために自らが仕掛けていると言われている。そのときが来れば、その情報で脅して操るわけだ。各国のエリートはアメリカの大学へ子どもを留学させるようだが、そこでトラップにかかるケースも少なくないだろう。そうしたスキャンダルを利用して各国の要人を脅し、邪魔者を排除するのはアメリカ支配層の常套手段。自分は支配層とコネがあるので何をしても大丈夫だと思っていると、後で酷い目に遭う。アメリカと緊密な関係にあるイギリスでもハニートラップは珍しくないようだ。
2017.11.26
現在、世界で最も注目されている国はサウジアラビアだろう。世界有数の石油産出国だというだけでなく、ドルを基軸通貨の地位へ留める上で重要な役割を果たしてきたからだ。すでに生産能力を手放し、教育制度を崩壊させたアメリカは基軸通貨を発行する特権、生産活動ではなく通貨を発行することでかろうじて生き延びている。発行した通貨をアメリカの金融システムへ循環させる上でサウジアラビアは中心的な役割を果たしてきた。石油取引の決済をドルに限定することで世界のドル需要を維持し、受け取ったドルをアメリカへ戻すモーターとして機能したのである。いわゆるペトロダラーの仕組みだ。この仕組みに協力する代償は、国の安全保障と支配層の地位や資産の保証。サウジアラビアの動向はアメリカの支配システムと密接に結びついている。どこかの国を除き、朝鮮半島の茶番劇は「チラ見」されている程度だろう。中国との全面戦争を覚悟しないかぎり、アメリカが朝鮮を攻撃するとは思えない。アメリカは朝鮮をテロ支援国リストに載せたらしいが、アメリカは世界最大のテロ実行国であり、テロ支援国でもある。笑えないジョークだ。ペトロダラーを必要とした最大の理由はアメリカ経済の破綻にある。1971年8月にリチャード・ニクソン大統領がドルと金との交換停止を発表したが、それもひとつの結果だ。それ以降、アメリカはコロガシを始める。ドルの地位を維持するために産油国を使った循環システムが生み出された。その当時のサウジアラビア国王ファイサル・ビン・アブドル・アジズは反ソ連だったものの、1970年9月に急死したエジプトのガマル・ナセルに替わってヤセル・アラファトPLO議長を支えた人物で、アメリカの言いなりはなっていなかった。ナセルの後任はヘンリー・キッシンジャーの操り人形だったアンワール・サダト。新大統領は左翼を弾圧する一方、ムスリム同胞団をカイロへ呼び戻し、サウジアラビアとの同盟を打ちだしてイスラエルやアメリカとの関係を修復している。1972年7月にはソ連の軍事顧問団をエジプトから追い出した。そのサダトが1973年10月にイスラエルが支配していたエジプトやシリアの領土を攻撃、第4次中東戦争が始まる。キッシンジャーはエジプトとイスラエルの戦争を仕組み、エジプトを勝たせ、サダトのイスラム世界における影響力と高めようとしたとも言われているが、この時にイスラエル政府は核兵器の使用を協議している。この戦争が始まると産油国は原油価格を4倍に引き上げているが、この値上げは開戦の5カ月前、1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議で決まったとザキ・ヤマニ元サウジアラビア石油相は話している。この会議を開いたのはビルダーバーグ・グループだ。当時、ファイサル国王はエネルギーのライバルを利するとして値上げを嫌っていた。そのファイサル国王は1975年3月、執務室で甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺された。ジャーナリストのアラン・ハートによると、クウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいたビン・ムサイドはアメリカで活動していたモサド(イスラエルの情報機関)のエージェントに操られていたという。ギャンブルで負けて借金を抱えていたビン・ムサイドに魅力的な女性を近づけ、借金を清算した上で麻薬漬けにし、ベッドを伴にしたりして操り人形にしてしまったというのだ。(Alan Hart, “Zionism Volume Three,” World Focus Publishing, 2005)暗殺の前年、アメリカではニクソンがウォーターゲート事件で辞任、ジェラルド・フォードが副大統領から大統領へ昇格している。フォード政権の時代にアメリカではデタント派が粛清され、ネオコンが台頭したことは本ブログで何度か指摘した通り。ファイサル国王が暗殺された後、当初は第一副首相として、1982年から2005年まで国王としてサウジアラビアを統治したファハド・ビン・アブドル・アジズは親米派として知られている。アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を始め、77年にジミー・カーターが大統領になるとズビグネフ・ブレジンスキーが国家安全保障担当の大統領補佐官に就任、78年には王政時代のイランと手を組んでアフガニスタン工作を本格化させる。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)ブレインスキーはサウジアラビアの協力でサラフィ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする戦闘集団を編成、1979年4月にCIAはそのグループに対する支援プログラムを始める。5月にはCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンのリーダーたちと会談した。そのセッティングをしたのがパキスタンの情報機関ISIだ。(Alfred W. McCoy, “The Politics Of Heroin”, Lawrence Hill Books, 1991)雇われた戦闘員には武器/兵器が提供され、CIAが訓練している。ロビン・クック元英外相が指摘しているように、こうした軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストが「アル・カイダ」だ。ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。1979年11月にソ連の情報機関KGBは特殊部隊を、また12月には対テロ部隊をカブールへ派遣、その直後にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事介入した。後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からブレジンスキーはインタビューを受け、戦闘集団を作り、戦乱を広めたことを後悔していないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998)ブレジンスキーの弟子だと言われているバラク・オバマ大統領はこの手法を使い、リビアとシリアを侵略した。アフガニスタンの成功体験が影響したのだろうが、失敗した。サウジアラビアはイスラエルと同じようにブレジンスキー時代からアメリカと手を組んで侵略戦争を実行しているのだが、シリアで敗北、イエメンへの軍事侵攻は泥沼化、カタールを従属させようとして失敗、苦境を乗り切るためにモハメド・ビン・サルマン皇太子はイスラエルやアメリカと手を組んでサウジアラビア支配層の粛清を始めた。アメリカの好戦派は中東で新たな戦争を目論んでいるが、状況は悪くなるだけだろう。それが人類の死滅へつながる可能性もある。
2017.11.25
ロシア、イラン、トルコが連携を強めている。今年(2017年)11月19日に3カ国の外務大臣がトルコのアンタルヤで会談したのに続き、22日には大統領がロシアのソチに集まってシリア情勢などについて話し合った。そのシリアのバシャール・アル・アサド大統領はその間、20日にソチでロシアのウラジミル・プーチン大統領を会っている。こうした会談はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とするシリア侵略が破綻したことを受けてのこと。トルコは途中まで侵略に加担していたが、2015年9月30日にロシアがシリア政府の要請で空爆を開始、戦況を一変させてアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の劣勢が明確になってからアメリカ離れを起こしている。トルコ政府の姿勢が変化したことは2016年6月下旬にレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシアのウラジミル・プーチン大統領に対してロシア軍機撃墜を謝罪したことで表面化した。この撃墜があったのは2015年11月24日のこと。トルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜したのだ。ロシア軍機の撃墜をトルコ政府だけの判断で実行できるとは考え難く、撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問してこともあり、アメリカ政府が許可していたと見る人は少なくない。2016年7月13日になると、トルコの首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。武装蜂起はその直後、7月15日のことだ。この蜂起は短時間で鎮圧されたが、事前にロシアからエルドアン政権へ情報が伝えられていたとも言われている。エルドアン政権はクーデター計画の首謀者はアメリカへ亡命中でCIAの保護下にあるとも言われているフェトフッラー・ギュレンだと主張、蜂起の背後にはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたともしている。この段階でアメリカとトルコとの関係は決定的に悪くなったが、NATOから離脱するまでには至っていない。ところが、今年11月にノルウェーで実施されたNATOの軍事演習でトルコ政府が敵だと表現されていたことからエルドアン大統領は11月17日、自国兵士40名を引き揚げさせると発表した。1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると語ったことは本ブログでも繰り返し書いてきた。2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が明らかにしている。(3月、10月)侵略されたのはイラクが最初で、2003年3月のこと。シリア侵略はリビアに続き、2011年3月に始まっている。イラクの占領政策を見るとアメリカ政府は親イスラエル体制を樹立しようと目論んでいたようだが、これは失敗。2014年3月には首相だったヌーリ・アル・マリキがサウジアラビアやカタールを反政府勢力への資金提供国だと批判、ロシアへ接近する姿勢を見せていた。その翌月に行われた議会選挙では彼が党首を務める法治国家連合が第1党になったので、本来なら彼が首相を続けるのだが、指名されなかった。アメリカ政府が介入したと見られている。首相に選ばれたのはハイデル・アル・アバディだ。2015年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請で空爆を始めると、このアバディもロシアに空爆を頼もうとする。そうした動きを見たバラク・オバマ政権は10月20日にジョセフ・ダンフォード米統合参謀本部議長をイラクへ送り込み、ロシアへ支援要請をするなと恫喝したと見られている。こうした恫喝にもかかわらず、イラクのイランやロシアへの接近は止められなかったようだ。今年7月にはイランとイラクが広範囲の軍事的協力で合意、副大統領になっていたマリキはロシアを訪問し、経済や軍事で両国の関係を強めるための話し合いをしている。トルコと関係の深いカタールもイランやロシアとの話し合いを水面下で進めていたようだが、サウジアラビアのモハメド・ビン・サルマン皇太子は今年6月上旬、そのカタールを経済封鎖で締め上げて属国化しようとする。ところが、すでに対策済みのカタールは屈しない。サウジアラビアが経済戦争を仕掛ける直前、ドナルド・トランプ米大統領は5月20日から21日にかけてサウジアラビアを、22日から23日にかけてイスラエルを訪問した。ビン・サルマンは9月にイスラエルを極秘訪問しているが、その月にアメリカの特殊部隊に率いられた反シリア政府軍がシリア北西部のイドリブでパトロール中だったロシア軍の憲兵隊を包囲、戦闘になっている。その戦闘は数時間にわたって続き、その間にロシア軍の特殊部隊スペツナズが救援に駆けつけ、Su-25も空爆、反政府軍の部隊の戦闘員約850名が死亡したという。その際にアメリカの特殊部隊も全滅したようだ。その直後にアメリカ軍とロシア軍が緊急協議をしているようだが、9月24日にはシリアのデリゾールではダーイッシュの砲撃でロシア軍事顧問団を率いるバレリー・アサポフ中将とふたりの大佐が死亡した。10月31日にロシア軍は地中海にいる潜水艦から発射されたミサイルでデリゾールにあったダーイッシュの拠点を攻撃、破壊したとされている。イスラエルもロシアと盛んに接触、シリアから手を引き、イランとの関係を断つように要求しているが、ロシア側から一蹴されている。10月16日にはロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣がイスラエルを訪れているが、それに合わせてイスラエル軍はシリアの首都ダマスカスから東へ50キロメートルほどの地点に設置されていた地対空ミサイルの発射装置を破壊したと発表されている。その際にシリア軍は保有する旧型の防空システムS-200で応戦、イスラエル軍のF-35が損傷を受けたのではないかとも言われている。イスラエル軍のF-35がコウノトリと衝突して飛行できない状態になったと発表されたのだが、その状況を示す写真などが明らかにされていなこともあり、ミサイル攻撃での損傷ではないかというわけだ。これが事実なら、S-400はF-35を容易に撃墜できると推測できる。地上戦でもイスラエル軍の優位は失われていると見られている。イスラエルが誇る戦車、メルカバ4がヒズボラの使っている対戦車兵器、RPG-29、AT-14コルネット、メティスMで破壊されていると伝えられているのだ。サウジアラビアは自らが仕掛けた石油相場の下落で財政赤字に陥り、シリア侵略に失敗、軍事介入したイエメンでは戦争が泥沼化、苦境に陥った。そうした政策の中心グループにはビン・サルマンも含まれている。ビン・サルマンはネオコンと同じように軍事力で相手を屈服させようとしているが、自国だけでなく、アメリカやイスラエルの軍事力を過大評価していたようにも見える。ウォルフォウィッツが1991年に口にしたプランを実現するためにはアメリカを引き込むしかない。アメリカ軍はすでにシリア北部で十数カ所の軍事基地を建設、シリア政府の抗議を無視してそこに居座るつもりだが、イスラエルやサウジアラビアと連携してさらに新たな戦争を始める可能性もある。来年前半に予定されているイベント、例えばオリンピック、ロシアの大統領選挙、サッカーのワールドカップなどが利用されると懸念する人は少なくない。
2017.11.24
今年(2017年)11月4日にサウジアラビアでは大規模な粛清が始まり、王族、閣僚や元閣僚、軍人などモハメド・ビン・サルマン皇太子のライバルやその支持者と目される人々が拘束されたが、イギリスのデイリー・メール紙によると、アメリカの傭兵がそうした人々を拷問、中には逆さ吊りにされている人もいるという。傭兵の雇い主としてブラック・ウォーター(現在の社名はアカデミ)の名前も挙がっているが、同社は否定している。同じ日にレバノン首相のサード・ハリリが辞任を表明する録画映像をサウジアラビアのテレビが流していた。ハリリとビジネスで緊密な関係にあったアブドゥル・アジズ・ビン・ファハド王子に死亡説が流れたこともあり、ハリリの発言はビン・サルマン皇太子に強制されたものだと見る人は少なくなかった。なお、後にビン・ファハド王子は生存、拘束されているとする情報が流れる。すでに本ブログでも書いたことだが、拘束されたのは王族、閣僚や元閣僚、軍人などビン・サルマンのライバル、あるいはライバルの配下だと見られる人々のようで、サウジアラビア国家警備隊を率いていたムトイブ・ビン・アブドゥッラー、衛星放送のMBCを所有するワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム、ロタナTVを含むエンターテイメント会社のロタナ・グループの大株主であるアル・ワリード・ビン・タラル王子、ネットワーク局ARTを創設したサレー・アブドゥッラー・カメル、ブッシュ家と関係が深いバンダル・ビン・スルタンなども含まれている。軍、情報機関、放送に影響力を持つ人々も拘束されている。こうした組織を皇太子が信頼しきれない状況にあるとも言え、アメリカの傭兵を雇っても不思議ではない。拘束場所のホテルを警備しているのも皇太子の私兵や傭兵のようだ。2003年3月にアメリカが主導する連合軍がイラクを先制攻撃、つまり侵略した際にも拷問が問題になった。例えば、アブ・グレイブを含む「敵戦闘員」を拘束しているイラクの刑務所で拷問が横行、死者も出ているとAPが同年11月に報道している。アブ・グレイブ刑務所の所長だった第800憲兵旅団のジャニス・カルピンスキー准将によると、虐待はアフガニスタンやグアンタナモで訓練を受けた外部の人間が行ったことで、そうした行為はドナルド・ラムズフェルド国防長官の命令に基づいていたという。司法省の法律顧問だったジョン・ユーが拷問にゴーサインを出したことが明らかになっている。また、バグダッドにある秘密の情報センターで尋問官として働くイスラエル人に会ったとも彼女は7月、BBCの取材に語っている。その後も拷問の責任者は責任を問われなかったが、この事実を明らかにしたカルピンスキーは准将から大佐へ降格になった。2007年12月、CIAのオフィサーだったジョン・キリアクはABCニュースのインタビューでウォーターボーディングと呼ばれる拷問が行われていると同僚から聞いたと発言、機密情報を漏らしたとして2013年1月に懲役30カ月の判決を受け、刑務所へ入れられた。本ブログではCIAの内部にテロを実行する部門が存在、アル・カイダ系武装集団やネオ・ナチなどのテロリストを政府として支援してきたことを指摘してきたが、拷問も行い、その事実を明らかにする告発者を弾圧してきたということだ。
2017.11.23
このブログは読者のカンパ/寄付に支えられています。年の瀬が近づく中、こうしたことを書くのは心苦しいのですが、ブログを存続させるため、よろしくお願い申し上げます。現在、世界は軍事的な緊張の高まりで不安定な状況になっています。そうした状況を生み出した最大の原因はネオコンをはじめとするアメリカの好戦派が作成した世界制覇プランにあると言えるでしょう。そのプランとは、1992年2月に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に作成された国防総省のDPG草案(通称、ウォルフォウィッツ・ドクトリン)です。このプランに従い、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれてきました。1991年12月にソ連が消滅、ロシアをアメリカの属国にしたという認識に基づいて書き上げられたのですが、21世紀に入ってロシアが再独立に成功、国力を急速に回復させたことからネオコンのプランは崩れ始めました。それを食い止め、当初の計画を実現しようと彼らはもがいているわけです。アメリカやイスラエルは自分たちが望む状況を作り出すため、狂犬のように振る舞ってきました。恫喝して屈服させるということです。軍事力が圧倒的に小さい相手なら有効な手段ですが、アメリカの支配層はロシアや中国に対しても同じ手法を使っています。この両国は大量の核兵器を保有し、脅しには屈しません。アメリカの好戦派は脅しをエスカレートさせ、現在は核戦争で脅しています。今のところロシアがアメリカの挑発に乗っていないため世界は存続していますが、非常に危険な状態だと言えるでしょう。そのアメリカはテロリストを使ったシリア侵略に失敗しました。そこで、イスラエルやサウジアラビアはイランやレバノンで新たな戦争を目論んでいると推測する人もいるのですが、この2カ国でイランやレバノンのヒズボラに勝つ力はないと見られています。そこでアメリカを巻き込もうとしているようです。バラク・オバマ政権はヨーロッパ、中東、東アジアで軍事的な緊張を高め、ロシアを偽情報で攻撃するプロパガンダ戦も始めました。アメリカの支配層が世界を支配するシステムの構築が目的ですが、その目論見は失敗、追い詰められているように見えます。ネオコンの手口を振り返ると、大きなイベントを利用して軍事行動を起こすことがあります。例えば、2008年8月の北京オリンピックに合わせて実行されたジョージア(グルジア)の南オセチアに対する奇襲攻撃。この攻撃の黒幕はイスラエルとアメリカでした。2014年2月にはソチ・オリンピックに合わせ、ウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させています。2018年は2月9日から25日にかけて平昌オリンピック、3月18日にはロシア大統領選挙の投票、6月14日から7月15日にかけてはモスクワでFIFAのワールド・カップが予定されています。ネオコンが戦争をしかけそうな環境だと言えるでしょう。西側の有力メディア、特に日本のマスコミはアメリカ支配層が定める型に従って話を作ります。その中から事実を見つけ出すことが21世紀に入ってから困難になりました。そうした実態を知る人が増えてきたため、情報統制を強化して事実を隠そうとする動きがあります。未来を切り開くためには事実を知ることが必要であり、本ブログがその一助になればと願っています。櫻井 春彦振込先巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2017.11.23
アメリカのFCC(連邦通信委員会)はメディアの寡占化を推進する道を歩み続けようとしている。地域におけるラジオ局、テレビ局、新聞社の所有者が集中しないよう、1970年代に定められた規制を今年(2017年)11月16日に撤廃したのだ。勿論、こうした動きは1980年代から本格化、今では「報道」の9割程度を6つのグループが支配している。COMCAST(NBCなど)、ルパート・マードックのニューズ・コープ(FOX、ウォール・ストリート・ジャーナル、ニューヨーク・ポストなど)、ディズニー(ABCなど)、VIACOM(MTVなど)、タイム・ワーナー(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、CBSだ。こうした資本による統合だけでなく、支配層はメディアを支配してきた。19世紀にロスチャイルド兄弟がメディアへの影響力を重視していたことは有名で、例えばイギリスのネイサンはタイムズなど、オーストリアのザーロモンはアルゲマイナー・ツァイトゥングなど、フランスのジェームズも有力紙だったモニタル・ユニベッセルなどだ。1933年から34年にかけてJPモルガンなどウォール街の大物たちがフランクリン・ルーズベルト大統領を中心とするニューディール派を排除するためにクーデター計画では新聞で人心を操ろうとしていた。本ブログでは何度も書いてきたが、第2次世界大戦後、アメリカで情報統制を目的としたモッキンバードと呼ばれるプロジェクトが存在していた。このプロジェクトは1948年に始動、その中心にいた4名は大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、破壊活動を目的とした秘密機関OPCの局長だったフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)ダレスとウィズナーにはウォール街の弁護士という顔があり、ヘルムズは母方の祖父にあるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際決済銀行の初代頭取。また、グラハムの義理の父にあたるユージン・メイアーは金融界の大物で、世界銀行の初代総裁である。つまりダレス、ウィズナー、ヘルムズ、グラハムの4名は金融機関と深く結びついているのだ。グラハムの妻、つまりメイアーの実の娘であるキャサリンはウォーターゲート事件の取材を社主として指揮した人物だ。この事件の取材で中心的な役割を果たしたカール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、それから間もなくして「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)ワシントン・ポスト紙では書けなかったということでもある。この記事では、当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、彼の情報源だったCIA高官は、ニューヨーク・タイムズ紙が1950年から66年にかけて少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供していたと語ったという。1980年代から報道統制が格段に強化されたことを考えると、今の状況は遥かに悪いだろう。その一端を語ったのがフランクフルター・アルゲマイネ紙の編集者だったウド・ウルフコテ。彼によると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているとしている。日本のマスコミも1980年代から急速にプロパガンダ機関化が進んだ。勿論、それ以前も組織としては支配層の宣伝をしていたが、中には気骨のある記者も存在した。そうした人々が1980年代から徹底的に粛清されていった。それが実感だ。最近ではそうしたことを知る人が増え、日本のマスコミは本当のことを伝えないという批判を聞く。そうした批判は間違っていないが、アメリカをはじめとする西側のメディアも似たようなものなのである。日本のマスコミを批判する一方、アメリカなどのメディアが伝える話を無批判に受け入れることの滑稽さを知るべきだ。アメリカの有力メディアが信頼できないことは2003年3月にイラクを先制攻撃する前の状況を思い起こすだけでも明白。リビアでもシリアでもウクライナでもそうしたメディアは同じように嘘を広めようとしてきた。その嘘はアメリカ支配層が作る型枠を示しているわけで、その中で動いている限り、「右」を名乗ろうと「左」を名乗ろうと「リベラル」を名乗ろうと許される。しかし、アメリカなど西側の有力メディアは急速に信頼されなくなっている。インターネットの発達により、巨大資本に依存せずに事実を発信できる状況ができたことのほか、ロシアのメディアが西側支配層の情報支配を揺るがしている。そこで、報道統制を強化しなければならないと考えているのだろう。FCCの決定はそうした流れの中での出来事だ。
2017.11.22
エマニュエル・マクロン仏大統領からの招待という形でサード・ハリリはフランスを訪問した。サウジアラビアで軟禁されているという情報が流れる中、フランス政府はサウジアラビアへの批判を和らげようとしているのかもしれない。家族同伴と伝えられているが、ふたりの子どもはサウジアラビアに残っていることから人質ではないかとも噂されている。ハリリの解放をサウジアラビア側へ求め、招待したというマクロンは2006年から09年まで社会党に所属しているが、その間、08年にロスチャイルド系の投資銀行へ入り、200万ユーロという報酬を得ていたといわれている。2014年に経済産業デジタル大臣に就任すると巨大資本のカネ儲けを支援する新自由主義的な政策を推進したが、その背景を考えれば必然だろう。ロスチャイルドの操り人形だと見る人は少なくない。アメリカ政府の侵略政策にも加わったマクロンのボス、フランソワ・オランドが国民から憎悪されるようになるとオランドの元から離れて2016年4月に「前進!」を結成、今年5月7日に実施されたフランス大統領選挙の第2回目の投票で大統領に選ばれた。レバノンの首相だったハリリは11月4日、サウジアラビアに滞在している際にテレビを通じて辞任を発表している。その中でイランやヒズボラを非難し、それを利用してサウジアラビアはヒズボラに対する戦争を煽っているのだが、ハリリは10月中旬にヒズボラとの連合政府へ参加する意向だということをイタリアのラ・レプブリカ紙に語っていた。こうした流れから、サウジアラビアで強制的に辞任させられたと言われるようになる。ハリリが辞任を発表した11月4日にはサウジアラビアで大規模な粛清が始まっている。その中心にいるのが国王の息子で皇太子のモハメド・ビン・サルマン。イスラエルやアメリカのネオコンと緊密な関係にあることで知られている。9月にもイスラエルを訪問していたようだ。イスラエルと粛清について協議していた可能性がある。拘束されたのは王族、閣僚や元閣僚、軍人などビン・サルマンのライバル、あるいはライバルの配下だと見られる人々のようで、サウジアラビア国家警備隊を率いていたムトイブ・ビン・アブドゥッラー、衛星放送のMBCを所有するワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム、ロタナTVを含むエンターテイメント会社のロタナ・グループの大株主であるアル・ワリード・ビン・タラル王子、ネットワーク局ARTを創設したサレー・アブドゥッラー・カメル、ブッシュ家と関係が深いバンダル・ビン・スルタンなども含まれている。現在、皇太子側は富豪たちに対し、資産の70%をよこせば釈放すると持ちかけているようだ。誘拐の次は身代金。やっていることは犯罪者と替わらない。粛清の際に死亡した王子もいる。そのひとりがアブドゥル・アジズ・ビン・ファハド。今年6月21日に皇太子の座を追われたムハンマド・ビン・ナーイフのグループに属し、ハリリと緊密な関係にあったことで知られている。ハリリはサウジアラビアでオゲルという会社を経営していたが、その会社を通じてアジズ・ビン・ファハドはつながっていたようだ。その会社はビン・サルマンから金融面で締め上げられ、今年の夏に活動停止を余儀なくされたという。本ブログでは何度も書いてきたが、ネオコンは1991年の時点でイラク、シリア、イランを殲滅する計画を立てていた。(ココやココ)イラクではCIAと関係の深いサダム・フセイン体制を倒したものの、イスラエルの傀儡体制樹立には失敗し、今ではイランと連携している。シリアでもイラクと同じように破壊と殺戮を展開したが、送り込んだ傭兵部隊、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は壊滅寸前で、新たな手先にしようとしたクルドはアメリカの思惑通りに動いていない。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いたレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始している。すでにイラクを破壊していたので、こうした国や組織がターゲットになったわけだ。前にも書いたが、カタールで1992年1月から2013年6月まで外務大臣、2007年4月から2013年6月まで総理大臣を務めたハマド・ビン・ジャッシムはBBCに対してシリア侵略の内情を語ったが、その中で2006年7月から8月にかけて行われたイスラエルによるレバノンへの軍事侵攻に失敗したことを受け、2007年から対シリア工作が始まったと説明している。シリア侵略に失敗したネオコン、イスラエル、サウジアラビアはターゲットをレバノンへ切り替え、アメリカ軍を侵略に使おうと目論んでいると推測する人もいる。そのシナリオを実現するために選ばれた人物がハリリだということになるだろう。(追加)アブドゥル・アジズ・ビン・ファハドが死亡したとする情報をサウジアラビア政府は否定、数カ月前から拘束されているとする話も伝えられているが、真相は不明。
2017.11.21
アメリカとトルコとの関係が悪化していることは本ブログでも繰り返し書いてきた。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が目論んだシリアの体制転覆が思惑通りに進まずに長期化、ロシアへ接近して防空システムS-400を購入することで合意する状況になっている。それでもトルコはまだNATO加盟国であり、ノルウェーで行われていた軍事演習にも参加していたのだが、その中でトルコ政府が敵とされていたことに怒ったレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は11月17日、自国兵士40名を引き揚げさせると発表した。そのトルコでは19日にトルコ、イラン、そしてロシアの外務大臣が会ってシリア情勢を協議し、その友好的な関係をアピールしている。トルコがロシアへ接近する前、両国は軍事衝突へ発展しても仕方がない状況に陥ったこともある。アメリカをはじめとする三国同盟が侵略の手先として使っていたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)をロシア軍が2015年9月30日にシリア政府の要請で攻撃を開始、戦況を一変させて政府軍が優勢になったのだが、そうした中、同年11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜、脱出した乗組員のひとりを地上にいた戦闘集団が殺害したのだ。パイロットの殺害を指揮したとされているアレパレセラン・ジェリクは「灰色の狼」という団体に所属していた。この団体は1960年代に「民族主義者行動党」の青年組織として創設されたが、トルコにおける「NATOの秘密部隊」の1部門だとも言われている。この撃墜はアメリカの承認、あるいは命令なしに実行できなかったはず。撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問していた。ところが、2016年6月下旬にエルドアン大統領は撃墜事件に関してロシアのウラジミル・プーチン大統領に謝罪、7月13日にトルコの首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。その直後、7月15日にトルコでは武装蜂起があり、短時間で鎮圧されている。事前にロシア政府がトルコ政府に対してクーデター計画の存在を知らせたとも伝えられている。エルドアン政権はクーデター計画の黒幕をアメリカへ亡命中のフェトフッラー・ギュレンだと主張しているが、この人物はCIAの保護下にあると見られている。つまり、クーデター未遂を仕掛けたのはアメリカ政府だった可能性がある。その流れの中、今年(2017年)10月5日にトルコのアメリカ領事館で働いているメティン・トプスが逮捕され、別のひとりの逮捕状も出されたと伝えられている。このクーデター計画の背後にはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がいたと見る人は少なくない。その一方、今年9月12日にトルコとロシア両政府はロシア製の防空システムS-400の購入で合意している。つまり、トルコとアメリカの関係は冷え切り、NATO側もトルコは敵になったと考える状況になっている。それを正直に表現、トルコがNATOから離れる口実を作ってしまったとも言えるだろう。そのNATOは加盟国に対し、部隊を緊急展開するために道路、橋、鉄道網などを整備して戦車など重い装備の移動に耐えられるようにしておけと11月8日に発表した。1991年12月にソ連が消滅してからNATOは東へ浸食、ロシアとの国境が目の前に迫っている。西側ではNATOの役割を防衛的に描くが、その創設で中心的な役割を果たしたイギリスやアメリカには好戦的な勢力が存在している。その象徴とも言える人物がウィンストン・チャーチル。第2次世界大戦でドイツが降伏した1945年5月当時、イギリスの首相だったチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対してソ連への軍事侵攻作戦を作成するように命令している。そして5月22日に提出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は参謀本部に拒否され、チャーチルは7月26日に下野するが、彼はソ連との戦いを続けた。つまり、翌年の3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説して冷戦の開幕を告げ、1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだと伝えられているのだ。大戦でアメリカ本土は攻撃されなかったに等しく、製造業も無傷で残った。それに対してソ連はドイツとの戦闘で2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態だった。西ヨーロッパへ侵攻、占領する余力はソ連軍に残されていなかった。そうした中、1949年4月に創設されたのがNATOと呼ばれる軍事同盟だ。参加国はアメリカとカナダの北米2カ国に加え、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクの欧州10カ国である。NATOが創設される一方、ヨーロッパでは統合の動きが現れ、EUにつながる。こうした考え方のベースにはオットー・フォン・ハプスブルク大公やチャーチルを含む支配グループが1922年に創設したPEU(汎ヨーロッパ連合)があるとも言われている。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)実は、NATOが創設される前から破壊工作を目的とした秘密機関が存在していた。当初はWUCCが統括していたが、1949年に北大西洋条約が締結されるとNATOへ吸収され、51年からはCPCというラベルの下で活動するようになった。CPCのメンバーだった国はアメリカのほかイギリス、フランス、西ドイツ、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ、そしてイタリアだ。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)SACEUR(欧州連合軍最高司令官)の命令でCPCの下部組織として1957年、あるいは58年に創設されたのがACC。各国の情報機関はこの委員会で情報の交換を行っている、あるいはこの委員会を通じてアメリカは秘密部隊のネットワークを操るとも言われている。NATOの秘密部隊は国ごとに名称が違い、例えばイタリアはグラディオ、デンマークはアブサロン、ノルウェーではROC、ベルギーではSDRA8といった具合だ。こうした秘密部隊全てが米英の情報機関、つまりCIAとMI6(SIS)のコントロール下にある。こうした秘密機関の存在が公的に確認されたのは1990年8月のこと。イタリアのジュリオ・アンドレオッティ内閣がその存在を公的に確認、その年の10月にはグラディオに関する報告書を出している。そのグラディオは1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、左翼陣営にダメージを与え、治安体制を強化して国内の刑務所化を促進した。かつてイタリアやフランスはコミュニストの影響力が強かったが、今は見る影もない。このグラディオの背後にはアメリカの秘密工作機関OPC(CIAへ吸収され、1952年に計画局が設置される際の中核になった)が存在、東アジアでは当初、上海に拠点があった。ところが中国では解放軍が1949年1月に北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立している。解放軍が迫る中、OPCは拠点を日本へ移動させ、その中心は厚木基地に設置された。その1949年に日本では国鉄を舞台とした怪事件が相次ぐ。7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。これらの事件は左翼弾圧に利用されている。その翌年の6月に朝鮮戦争が勃発した。朝鮮戦争の最中、CIAは国民党軍を率いて中国への軍事侵攻を試みたが、失敗している。
2017.11.20
アメリカの軍と情報機関が不法占領を続けているシリアでは新たな戦争を始めようとする動きがある。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使ったバシャール・アル・アサド体制の打倒に失敗、クルドを新たな侵略の手駒にするプランもうまくいかず、イスラエルとサウジアラビアはアメリカを直接的な軍事介入へと導こうとしている。そうした目論見に応えようとするアメリカの勢力がネオコン、あるいはアングロ・シオニストだ。シリア侵略の中核はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟だが、当初はそこにトルコ、カタール、ヨルダン、アラブ首長国連邦、フランス、イギリスなどが加わっていた。そのうちトルコとカタールが離脱、そのカタールで1992年1月から2013年6月まで外務大臣、2007年4月から2013年6月まで総理大臣を務めたハマド・ビン・ジャッシムがシリア侵略の内情をBBCのインタビューで語っている。ハマドによると、2006年7月から8月にかけて行われたレバノンへの軍事侵攻に失敗したことを受け、2007年から対シリア工作が始まったのだという。本ブログでは何度も書いてきたことだが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌にアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始していると書いていた。その2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官はそのベースになるプランが遅くとも1991年の段階で作られていたことを指摘している。その当時、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたというのだ。(3月、10月)1991年12月にソ連が消滅してボリス・エリツィンを大統領とするロシアはアメリカの属国になると、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識して世界制覇プランを国防総省のDPG草案という形で作成している。これがいわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。2003年3月にアメリカ主導軍による先制攻撃でイラクのサダム・フセイン体制は崩壊、その後も殺戮と破壊が続く。ウォルフォウィッツが口にした3カ国のうち、残るはシリアとイランということになる。レバノンのヒズボラはイランとの関係でターゲットになった。ハマド・ビン・ジャッシムによると、レバノン政府の親サウジアラビア派を支援してシリアでの戦乱を煽ったいたのがサード・ハリリ。11月4日にサウジアラビアでテレビを通じて辞任を発表した人物である。そのハリリもシリア侵略が失敗したことを理解、ヒズボラとの連合政府へ参加する意向だということを今年10月中旬にイタリアのラ・レプブリカ紙へ語っている。サウジアラビアでハリリの後ろ盾になっていたアブドル・アジズ・ビン・ファハド王子が粛清劇の最中に死亡、ハリリも拘束されて辞任を強いられたと言われている。現在は家族が人質に取られた形で表面的には自由に動いているようだ。イラクのクルドもシリアへの侵略に協力していたとしているが、リーダーのマスード・バルザニが父親のムラー・ムスタファ・マスードと同じようにイスラエルの指揮下にあることは広く知られている。イスラエルやサウジアラビアはマスードを利用してイラク北部を奪おうとしたのだが、イラク・クルドの反マスード派がイラク政府側へつき、キルクークを政府軍が奪還したことから「独立」の目論見は失敗に終わった。シリアのクルドも侵略軍の傭兵として政府軍やロシア軍と戦うことを拒否したようだ。そこでイスラエルやサウジアラビアは、シリア北部を占領して基地を建設しているアメリカ軍を利用しようとしている可能性が高い。アメリカのニッキー・ヘイリー国連大使は相変わらずロシアに対して吠え続け、核戦争も辞さない姿勢を示している。今年8月にネオコンのリンゼイ・グラハム上院議員は朝鮮との戦争に関し、「もし数千人が死ぬとしても、死ぬのはそこでであり、ここではない」とテレビ番組で語っていた。朝鮮を攻撃すれば朝鮮が反撃するだけでなく、中国が軍事介入してくる可能性は高い。朝鮮戦争の時もそうだったが、アメリカは朝鮮半島での戦争を対中国戦の一環だと認識している。中国の戦略的同盟国であるロシアも動くだろう。ロシアがその気になればアメリカの空母艦隊は対艦ミサイルなどで全滅、アメリカに残された道はふたつしかなくなる。降伏するか、あるいは全面核戦争だ。ネオコンは中国やロシアと戦争を始めても、第2次世界大戦のように、アメリカ本土は戦場にならないと考えている可能性がある。日本は朝鮮半島に近いわけだが、日本人も似たようなものだろう。高をくくっている。日本のマスコミは「大東亜共栄圏」を掲げて侵略戦争を行った当時よりもひどい状況だ。それに対し、ドナルド・トランプ政権の首席戦略官だったステファン・バノンは朝鮮の核問題に絡み、「軍事的な解決はない。忘れろ」と発言していた。ソウルに住む1000万人が開戦から最初の30分で死なないことを示されない限り軍事作戦には賛成しないという姿勢だった。そして彼は首席戦略官を解任された。死者が数千人で済むはずはないとバノンは理解している。
2017.11.19
アメリカ政府は国連を使い、シリア政府がサリンを使ったと非難している。その根拠とされている国連の報告書があるのだが、そこにはシリア政府軍の戦闘機がサリンで攻撃したとするアメリカ政府のシナリオを否定する事実が「付録II」に書かれていることも事実である。ロシア国防省はシリア政府軍が侵略軍の兵器庫を空爆したのは2017年4月4日の午前11時30分から12時30分だとしているのが、国連の報告書では午前6時42分から52分だとされている。ところが、それでもシリア政府軍がサリンを使ったことを否定する事実がその報告書には含まれている。6時には病院へ患者が担ぎ込まれているというのだ。攻撃があったとされる時刻より前にカーン・シャイクンでは57件、その他の地域を含めると100名以上になる。本ブログではすでに書いたことだが、アメリカ国務省でさえ、10月18日に発表した旅行者向けの警告の中でダーイッシュやハーヤト・ターリル・アル・シャム(アル・ヌスラ)などのグループが化学兵器を使うことを認めている。それにもかかわらず、こうした勢力がサリンを使ったかどうかを国連は調べようとしない。それどころか、こうした勢力と一心同体の関係にあることが明白になっている白ヘルなどの主張に依存しているのだ。化学兵器をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアをはじめとする勢力が送り込んだ傭兵集団が使っていることは2013年の段階ですでに指摘されていたが、アメリカの政府や有力メディアは政府軍が使用したと強弁、それを口実にしてアメリカ軍やNATO軍による直接的な軍事介入を目論んできた。傀儡体制の樹立に失敗したなら、イラクやリビアのように国を破壊して「石器時代」のようにしようとしたわけだ。アメリカが化学兵器の使用を口実にした直接的な侵略を口にしたのは2012年8月のこと。バラク・オバマ大統領が直接的な軍事介入の「レッド・ライン」は生物化学兵器の使用だと宣言したのだ。少なからぬ人は、アメリカ政府が生物化学兵器を使うことに決めたのだなと推測した。2012年12月になると、国務長官だったヒラリー・クリントンがこの宣伝に加わる。自暴自棄になったシリアのバシャール・アル・アサド大統領が化学兵器を使う可能性があると主張したのだ。翌年の1月になると、アメリカ政府はシリアでの化学兵器の使用を許可、その責任をシリア政府へ押しつけてアサド体制を転覆させるというプランが存在するとイギリスのデイリー・メール紙が報道した。そして2013年3月、ダーイッシュがラッカを制圧した頃にアレッポで化学兵器が使われ、西側はシリア政府を非難したが、この化学兵器話に対する疑問はすぐに噴出、5月には国連の調査官だったカーラ・デル・ポンテが化学兵器を使用したのは反政府軍だと語っている。この年には8月にも化学兵器が使用され、アメリカは9月上旬に攻撃すると見られていたが、地中海から発射されたミサイルが海中に墜落、軍事侵攻はなかった。その件も、シリア政府が化学兵器を使用したことを否定する報道、分析が相次いだ。コントラの麻薬取引を明るみに出したことで有名なジャーナリスト、ロバート・パリーによると、4月6日にポンペオCIA長官は分析部門の評価に基づき、致死性の毒ガスが環境中に放出された事件にバシャール・アル・アサド大統領は責任がなさそうだとトランプ大統領に説明していたと彼の情報源は語り、その情報を知った上でトランプ大統領はロシアとの核戦争を招きかねない攻撃を命令したという。6月25日には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもパリーと同じ話を記事にしている。化学兵器の使用にアサド政権は無関係だとするCIAの報告は無視されたということだ。
2017.11.18
アメリカ司法省の要求に従い、ロシア系メディアのRTアメリカは「外国のエージェント」として登録、同社の金融に関する情報を開示するように求められることになる。1938年に成立した外国エージェント登録法に基づくのだが、似た状況下にあるカタールのアル・ジャジーラ、フランスのフランス24、イギリスのBBC、ドイツのドイチェ・ベレ、あるいは日本のNHKに対してはそうしたことが要求されていない。RTやスプートニクといったロシアのメディアがターゲットになった理由はアメリカ人に信頼されてきたことにあるだろう。アメリカでは1970年代から言論統制が強化され、21世紀に入ると有力メディアの「報道」から「本当のこと」を探すのが困難になっている。そうした中、ロシア系メディアはアメリカで発言の機会が大幅に制限されている少数意見を採りあげ、選挙では2大保守政党ではない弱小政党にも発言のチャンスを与えた。信頼されていてもアメリカ支配層の政策に異を唱えているため有力メディアから無視される人々も番組や記事に登場させ、結果として支配層の嘘、有力メディアの偽報道を暴く役割を果たしてきたのだ。アメリカの言論を守ってきたとも言える。それが支配層の逆鱗に触れたわけだ。2003年3月にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃した際、報道を統制するために「埋め込み」という手法を採用した。従軍記者や従軍カメラマンを厳しい統制下に置いたのだが、こうした従軍ジャーナリストは以前から報道統制下にあり、ベトナム戦争の際にも状況は似ている。例えば、1968年3月16日にソンミ村のミライ集落とミケ集落において、アメリカ軍の部隊が非武装で無抵抗の村民を虐殺すという出来事があった。その犠牲者数はアメリカ軍によるとミライだけで347人、ベトナム側の主張ではミライとミケを合わせて504人だされている。この虐殺を実行したのは、アメリカ陸軍第23歩兵師団第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊第1小隊。その小隊を率いていた人物がウィリアム・カリー中尉だ。この虐殺はCIAと特殊部隊が実行したフェニックス・プログラムの一環だった。親米的でない地域の住民を皆殺しにしていたのだ。ソンミ村での一件が発覚したのは、現場近くを飛行していたOH-23偵察ヘリコプターのヒュー・トンプソン准尉が虐殺を止めさせ、報告したことにある。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)フェニックス・プログラムについては1969年1月6日に報道されている。ニューヨーク・タイムズ紙のドルモンド・アイレスがこのプログラムで1万5000人以上のベトコン(南ベトナム民族解放戦線)の工作員が拘束、または殺害されたと報道したのだが、大きな問題にはならなかった。ほかのジャーナリストが無視したということだ。こうした虐殺は議員も無視している。例えば、1969年3月に第11軽歩兵旅団のロナルド・リデンアワーがミライで目撃したことを約30名の国会議員へ手紙で知らせたが、反応したのはモ・ウダル下院議員とバリー・ゴールドウォーター上院議員、そしてエドワード・ブルック上院議員のみだったのである。1969年3月にはソンミ事件が始めて報道されるがこれも無視される。人々から注目されるのは1969年11にシーモア・ハーシュ記者の書いた記事をAPが配信してからだ。ソンミ事件を従軍ジャーナリストが知らなかったわけではない。バーカー機動部隊に従軍していた記者やカメラマンはチャーリー中隊と一緒に地上へ降り、虐殺の現場を目撃しているのだ。それでも報道しなかった。ハーシュの記事が出た直後、ウィリアム・ウェストモーランド陸軍参謀長は事件の調査をウィリアム・ピールスに命じたが、この人物は第2次世界大戦中にCIAの前身であるOSSに所属した人物。1950年代初頭にはCIA台湾支局長を務めている。CIAが主導した虐殺をCIAの人間が本気で調査するわけがない。つまり、この人選は事件の真相を隠蔽することが目的だった。このほかにも虐殺事件があり、内部告発があったが、もみ消されている。そうした工作を行っていたひとりがコリン・パウエル大佐。後に統合参謀本部議長や国務長官を務めることになる人物だ。アフリカ系で、しかも陸軍士官学校や海軍兵学校を経ずに統合参謀本部議長に昇進したのは異例だった。1982年1月にはニューヨーク・タイムズ紙のレイモンド・ボンナーやワシントン・ポスト紙のアルマ・ギラーモプリエトがエル・サルバドルにおける政府軍の住民虐殺を記事にした。その前年、12月にエル・モソテで800人〜1200名の村民が殺されたという内容だ。サン・サルバドルのアメリカ大使館から派遣されたふたりも虐殺の事実を確認してホワイトハウスへ報告したが、ロナルド・レーガン政権は無視し、国務次官補だったトーマス・エンダースやエリオット・エイブラムスは記事を「偽報道」だと非難している。ニューヨーク・タイムズ紙の幹部編集者だったエイブ・ローゼンタールは1983年にボンナーをアメリカへ呼び戻した。CIAは第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃から情報をコントロールするためのプロジェクトをスタートさせている。いわゆるモッキンバードだが、その中心にいた人物はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズという破壊活動を指揮していた大物、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。その妻はウォーターゲート事件で有名になったキャサリン・グラハム。この女性の実父は世界銀行の初代総裁、ユージン・メイヤーである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)このキャサリンがウォーターゲート事件の調査を指揮したという事実を忘れてはならない。そのウォーターゲート事件を調査したのは若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワード。情報源の「ディープスロート」を連れてきたウッドワードは海軍の元情報将校。実際の取材はバーンスタインが行ったと言われている。そのバーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)それによると、その時点までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上。そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。最近では、西側メディアのロシアに関する偽情報に危機感を抱いたフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の元編集者、ウド・ウルフコテもドイツでCIAとメディアとの関係をテーマにした本を2014年2月に出している。それから3年を経た今年5月、英語版が出版されたはずだが、流通していない。ウルフコテは本を出す前から有力メディアとCIAとの関係を告発していた。彼によると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないこと。ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、最近では人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっていることに危機感を抱いたという。今年1月、心臓発作によって56歳で死ぬまで警鐘を鳴らし続けていた。アメリカを含む西側の有力メディアで働く記者や編集者は「本当のこと」を伝えない。その傾向は1970年代から強まり、今では嘘を取り繕うためにより新たな嘘をつくという循環に陥っている。そうしたメディアを有り難がっている人々も信用できない。
2017.11.17
中東で新たな戦争が勃発すると懸念する人が少なくない。言うまでもなく、その震源はアメリカ、イスラエル、そしてサウジアラビア。特にイスラエルとサウジアラビアの動きが注目されている。ジョージ・W・ブッシュ政権は統合参謀本部の懸念を振り切り、アメリカ軍を中心とする連合軍を編成して2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒した。その後も破壊と殺戮は続き、今も終わっていない。2006年10月にイギリスの医学雑誌「ランセット」が掲載したジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究による調査報告によると、2003年3月から2006年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だという。イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表している。イラクに親イスラエル体制を築くというプランAは達成できなかったが、「石器時代」にするというプランBは実現したと言えるだろう。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いたレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始している。この作戦は1991年にポール・ウォルフォウィッツが口にしていたプランに符合する。イラクは破壊したので、次はシリアとイラン、そのイランの影響下にあるヒズボラということだ。(3月、10月)工作の中心にはリチャード・チェイニー副大統領(当時。以下同じ)、国家安全保障担当副補佐官のエリオット・エイブラムス、イラク駐在のアメリカ大使で記事が出た直後に国連大使に就任したザルメイ・ハリルザドといったネオコン、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン王子がいた。バンダル・ビン・スルタンはブッシュ家と緊密な関係にあり、「バンダル・ブッシュ」と呼ばれているほどだ。そのビン・スルタンも今年(2017年)11月4日からサウジアラビアで始まった粛清で拘束されたと伝えられている。その前、6月21日にはCIAとの関係が深いムハンマド・ビン・ナーイフも皇太子の座を追われている。2003年にフセイン体制を破壊したブッシュ政権はイラクに親イスラエル体制を築こうとするが、失敗してしまう。その一方でイランとイラクが接近していく。また、フセイン時代、イラク政府はアル・カイダ系武装集団を人権無視で取り締まっていたが、フセイン後のイラクではそうした武装集団が跋扈するようになる。AQI(イラクのアル・カイダ)はそうしたグループ。その後、AQIは弱小グループを吸収してMSC(ムジャヒディーン会議)を編成、2006年にはISI(イラクのイスラム国)の創設が宣言された。2010年5月からアブ・バクル・アル・バグダディがISIを率いている戦闘の地域をシリアへも拡大させた後、名称はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)と呼ばれるようになった。2011年2月にリビア、そして3月にシリアを三国同盟を中心とする勢力が侵略を開始、その手先としてアル・カイダ(CIAの訓練を受けたムジャヒディンの登録リスト)系武装集団が使われた。その中心メンバーはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団である。その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィは惨殺された。その際、NATOとアル・カイダ系武装集団LIFGとの連携があからさまになる。体制崩壊の直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジの裁判所にアル・カイダの旗が掲げられたのだ。その映像はYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えている。カダフィ体制が倒された後、侵略勢力は戦闘員と武器/兵器をシリアへ運ぶが、その拠点になったのベンガジのアメリカ領事館。2012年9月11日にその領事館が襲撃されてクリストファー・スティーブンス大使が殺されている。サラフィ主義者とムスリム同胞団の対立が関係しているとする情報もある。リビアからシリアへの輸送工作の拠点がベンガジにあるCIAの施設で、アメリカ領事館も重要な役割を果たしていた。2012年9月10日にはクリストファー・スティーブンス大使がCIAの工作責任者と会談、その翌日には海運会社の代表と会っている。その直後にベンガジの領事館が襲撃されて大使は殺された。その当時、CIA長官だったのがデイビッド・ペトレイアスで、国務長官がヒラリー・クリントンだ。襲撃の前月、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団を中心に編成された戦闘集団だと指摘する報告書をホワイトハウスに提出している。報告書の中で、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告されていた。この警告は2014年、ダーイッシュという形で現実になるが、報告書が作成された当時のDIA長官がマイケル・フリン中将である。マイケル・フリンはドナルド・トランプ政権で国家安全保障補佐官に就任しするものの、2月13日に辞任させられた。ネオコンをはじめとする好戦派に嫌われた結果だが、その一因は2012年の報告書にあるだろう。三国同盟を中心とする侵略勢力はシリアへもリビアと同じように直接的な軍事介入で体制を潰そうとする。そこで「政府軍による住民虐殺」や「化学兵器の使用」といった偽情報を流すがロシア政府によって直接的な軍事介入は阻止され、2015年9月30日からはシリア政府の要請でロシア軍が介入、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを本当に攻撃する。その1年前からシリア政府の承諾を得ないまま空爆を始め、インフラを破壊、反政府軍を支援していたアメリカ軍とは根本的に違った。アメリカはデリゾールでの戦闘にアル・カイダ系武装集団やダーイッシュの戦闘員を集中させるため、イラクのモスルやシリアのラッカなどからデリゾールへの移動を黙認してきたことは本ブログで何度も指摘した。西側支配層の宣伝機関に堕しているBBCもこの事実を認める報道をしている。アメリカとヨーロッパとの間で利害が衝突しはじめているようにも見える。ここにきてアル・カイダ系武装集団やダーイッシュは壊滅寸前。そこでアメリカは侵略の手駒をクルドへ切り替えようとしたが、思惑通りには進まなかったようだ。そこでサウジアラビアやイスラエルの姿が浮上してきた。両国の政府高官は頻繁に行き来しているようで、AFPによると、今年9月にモハメド・ビン・サルマン皇太子もイスラエルを秘密裏に訪問したとイスラエルの高官は語っている。トルコ政府によると、アメリカ軍はシリア北部に13基地を建設済みで、ジム・マティス国防長官はダーイシュを口実にしてシリア占領を続ける意思を示している。イスラエルとサウジアラビアだけでイランやヒズボラとの戦争を始めることは難しいと考えられ、アメリカを引き込もうとしているはず。マティスの発言はイスラエルやサウジアラビアの意向に沿うものだと言えるだろう。サウジアラビアで粛清が始まる数日前、ドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを訪問した事実も興味深い。世界はサウジアラビアとイスラエルの動向に注目している。
2017.11.16
東アジアの軍事的な緊張を高める出来事を2010年に引き起こしたのは日本の海上保安庁である。9月に「日中漁業協定」を無視して尖閣諸島の付近で操業中だった中国の漁船を取り締まったのだ。海上保安庁は国土交通省の外局で、当時の国交大臣は前原誠司。総理大臣は菅直人だった。この行為によって田中角栄と周恩来が「棚上げ」で合意していた尖閣諸島の領有権問題が引きずり出され、日本と中国との関係は急速に悪化する。これはアメリカの戦略にとって好都合な動きだ。海上保安庁が協定を無視して中国漁船を取り締まる3カ月前、2010年6月にベニグノ・アキノ3世がフィリピンの大統領に就任した。この人物の父親は1983年8月にマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアであり、母親は86年2月から92年6月まで大統領を務めたコラソン・アキノ。いずれもアメリカ支配層の影響下にあった。つまり傀儡。イギリスやアメリカを中心とするアングロ・シオニストは20世紀の初頭からロシアを制圧しようと目論んでいる。そのために西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯とその外側の外部三日月地帯で締め上げようという戦略を立てる。その戦略をハルフォード・マッキンダーは1904年に発表している。ズビグネフ・ブレジンスキーもこの戦略の信奉者で、彼のプランもマッキンダーの考えに基づいて作成された。アメリカにはフィリピン、ベトナム、韓国、インド、オーストラリア、そして日本を結びつけ、中国やロシアに対抗する「東アジア版NATO」を築くという戦略があるが、これも基本は同じだ。中国には一帯一路(海のシルクロードと陸のシルクロード)というプロジェクトがある。かつて、輸送は海路の方が早く、運搬能力も高かったのだが、技術の進歩によって高速鉄道が発達、パイプラインによるエネルギー源の輸送も可能になった。海の優位さが失われている。しかも中国は南シナ海からインド洋、ケニアのナイロビを経由して紅海に入り、そこからヨーロッパへ向かう海路も計画している。この海路を潰すため、東の出発点である南シナ海をアメリカは支配しようと考え、日本はアメリカに従ったということだ。ところが、2016年6月に大統領となったロドリゴ・ドゥテルテはアメリカに従属する道を選ばない。ベトナムなどもアメリカの好戦的なプランから離れていく。ロシアと中国は東アジアでの経済的な交流を活発化させて軍事的な緊張を緩和しようとする。例えば、今年(2017年)9月4日から5日に中国の厦門でBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の会議が開催され、9月6日から7日にかけてロシアのウラジオストックで同国主催のEEF(東方経済フォーラム)が開かれた。このイベントに朝鮮も韓国や日本と同様、代表団を送り込んでいる。韓国がロシアや中国との関係を強化しようとしていることは明白だ。こうした中、核兵器の爆発実験や弾道ミサイル(ロケット)の発射実験を繰り返し、アメリカの軍事的な緊張を高める口実を提供してきたのが朝鮮にほかならない。BRICSの会議やEEFが開かれた直後、9月15日にもIRBM(中距離弾道ミサイル)を発射している。このところ朝鮮の爆発実験やミサイルの発射は成功しているようだが、少し前までは四苦八苦していた。ところが、短期間の間にICBMを開発し、水爆の爆破実験を成功させた可能性があるという。そこで、外国から技術、あるいは部品が持ち込まれたと推測する人もいる。ミサイルのエンジンについて、イギリスを拠点にするシンクタンク、IISS(国際戦略研究所)のマイケル・エルマンは朝鮮がICBMに使ったエンジンはソ連で開発されたRD-250がベースになっていると分析、朝鮮が使用したものと同じバージョンのエンジンを西側の専門家がウクライナの工場で見たとする目撃談を紹介している。ジャーナリストのロバート・パリーによると、エンジンの出所だと疑われている工場の所在地はイゴール・コロモイスキーという富豪(オリガルヒ)が知事をしていたドニプロペトロウシク(現在はドニプロと呼ばれている)にある。コロモイスキーはウクライナ、キプロス、イスラエルの国籍を持つ人物で、2014年2月のクーデターを成功させたネオ・ナチのスポンサーとしても知られている。2014年7月17日にマレーシア航空17便を撃墜した黒幕だとも噂されている人物だ。国籍を見てもわかるようにコロモイスキーはイスラエルに近いが、朝鮮はイスラエルと武器の取り引きをした過去がある。1980年のアメリカ大統領選挙で共和党はイランの革命政権に人質解放を遅らせるように要求、その代償としてロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸したのだが、その際、イランは大量のカチューシャロケット弾をアメリカ側へ発注、アメリカはイスラエルに調達を依頼し、イスラエルは朝鮮から購入してイランへ売っているのだ。この関係は切れていないと考えるのが自然だろう。その後も朝鮮とイスラエルとの関係は続き、イスラエルには朝鮮のエージェントがいるようだ。そのエージェントがエンジンの件でも重要な役割を果たしたという情報も流れている。2010年9月に海上保安庁が協定を無視して中国漁船を取り締まって日中関係を悪化させた翌年の3月11日、東北の太平洋側で巨大地震が発生、日本と中国の対立は緩和されそうな雰囲気になる。そうした流れを壊し、関係悪化の方向へ引き戻したのが石原慎太郎と石原伸晃の親子だ。2011年12月に石原伸晃はハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言したが、この背後にはネオコンの大物でポール・ウォルフォウィッツの弟子にあたり、ハドソン研究所の上級副所長だったI・ルイス・リビーがいたと言われている。そして2012年4月、石原慎太郎知事(当時)はヘリテージ財団主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示して中国との関係は決定的に悪くなった。安倍晋三もハドソン研究所と関係が深いが、そのつながりを築いたのもリビー。その安倍は2015年6月1日、赤坂にある赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で、「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。こうしたアメリカの好戦的な動きに一貫して同調してきたのは日本くらいだろう。アメリカ海軍は航空母艦を東アジアに回遊させて朝鮮、実際は中国を威嚇してきたが、すでに航空母艦の時代は過ぎ去っている。例えば、ロシアが開発した超音速(マッハ5から8)の対艦ミサイル、ジルコンはあらゆるプラットフォームから発射でき、防ぐことは困難だと言われている。また、ECM(電子対抗手段)はアメリカのイージス艦の機能を停止させられる可能性が高い。つまり、アメリカの艦隊は全滅させられるだろうということだ。2015年11月にはロシア軍がリークした新型魚雷の場合、潜水艦から発射された後の遠隔操作が可能で、海底1万メートルを時速185キロメートルで進み、射程距離は1万キロに達するという。それでもネオコンなどアメリカの好戦派はロシアや中国を核戦争で脅そうとするだろうが、西側の支配層のうちどの程度が追随するかは不明だ。
2017.11.15
そのWikiLeaksを2006年に創設したジュリアン・アッサンジは2010年からイギリスのロンドンにあるエクアドル大使館から外へ出られない状態が続いている。2012年にはエクアドル政府がアッサンジの亡命を認めたが、スウェーデンの要請に基づき、アメリカやイギリスが逮捕する構えだからだったからだ。そのスウェーデンは今年(2017年)5月に捜査を終了させ、逮捕令状も取り消したが、今でも軟禁状態は継続している。アメリカやイギリスの姿勢が理由だ。この件でイギリスとスウェーデンの当局は当然、連絡を取り合ってきた。2010年と11年にイギリス側はスウェーデンがロンドンでアッサンジから事情聴取することを断念させたことがここにきて判明、しかも重要な電子メールは消去されていた。イギリスの検察は何も悪いことをしていないと開き直っているようだ。ブラドリー・マニング(現在の名前はチェルシー・マニング)特技兵の持ち出したアフガニスタンやイラクおける戦争に関する資料をWikiLeaksが公開したのは2010年7月。その中には米軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが上空から非武装の十数名を射殺する様子を撮影した映像が含まれ、(日本ではどうだか知らないが)世界に衝撃を与えた。殺された人の中にはロイターの取材チームに参加していた2名も含まれている。映像を見る限り、間違いで攻撃したのではない。内部告発者だということが突き止められたマニングは軍事法廷は2013年に懲役35年を言い渡したが、今年1月にバラク・オバマ大統領が刑期を軽減、5月に釈放された。アメリカ政府はマニングの告発資料が公表された直後からアッサンジを刑事事件の容疑者として扱いはじめ、公表の翌月にはスウェーデンでレイプ事件の容疑者として取り調べを受けている。ふたりの女性がスウェーデンの警察に出向き、アッサンジにHIVの検査を受けさせられるかと相談したのだという。この訴えを受けて逮捕令状が出され、スウェーデンのタブロイド紙が警察のリーク情報に基づいて「事件」を報道して騒動が始まる。ところが、翌日には主任検事のエバ・フィンが令状を取り消した。レイプした疑いがあるとは認めなかったのだが、9月1日にこの決定を検事局長のマリアンヌ・ニイが翻して捜査を再開を決め、9月27日にアッサンジはスウェーデンを離れた。ニイが逮捕令状を請求したのは11月のことだ。メディアは容疑をレイプというショッキングな表現を使っていたのだが、実際は合意の上で始めた●行為におけるコンドームをめぐるトラブルのようで、しかもアッサンジ側は女性の訴えを事実無根だとしている。被害者とされる女性はアンナ・アーディンとソフィア・ウィレンのふたりなのだが、アーディンは「不実な男」に対する「法的な復讐」を主張するフェミニストで、ふたりの女性と同時につきあう男を許さないという立場。しかも彼女のいとこにあたるマチアス・アーディンはスウェーデン軍の中佐で、アフガニスタン駐留軍の副官を務めた人物だという話が出てきた。しかし、最も驚かせた事実は、彼女が反カストロ/反コミュニストの団体と結びついているということ。この団体はアメリカ政府から資金援助を受けていて、CIA系の「自由キューバ同盟」と関係がある。彼女自身も国家転覆活動を理由にしてキューバを追放された過去があるようだ。彼女がキューバで接触していた「フェミニスト団体」は、CIA系のテロリスト、ルイス・ポサダと友好的な関係にあるとも言われている。2010年9月19日にスウェーデンでは総選挙が予定されて、フレデリック・レインフェルト首相が率いる与党は苦戦が予想されていた。このレインフェルトがコンサルタントとして雇っていた人物はジョージ・W・ブッシュ米大統領の次席補佐官を務めたカール・ローブだ。その選挙の結果、レインフェルトは2014年まで首相を務めることができた。本ブログでは何度も指摘してきたが、アメリカは侵略戦争を始めるために偽旗作戦を仕組むことが少なくない。例えば、2003年のイラクに対する先制攻撃もそうだった。ジョージ・W・ブッシュ政権は大量破壊兵器を口実にしていたが、これは嘘。この主張を裏付ける証拠は存在せず、その主張を否定する証言、分析は存在していた。イラク戦争の際、アメリカの情報機関や軍は収容所を設置、そこでは拷問が行われて死者も出ていた。イラクにあったアブ・グレイブ刑務所の実態も写真付きで明らかにされ、刑務所の管理責任者だったジャニス・カルピンスキー准将はイスラエルから来たという尋問官に会ったとも話していた。アブ・グレイブでの拷問を明るみに出したジャーナリストの情報源も、イラクにイスラエルの情報機関員がいることを確認したという。歴史を振り返ると、情報と資金が流れて行く先に権力が生まれ、存在することがわかる。情報と資金を握った人間、あるいは勢力が支配者になるとも言えるだろう。支配者が「秘密保護」を主張、タックスヘイブン/オフショア市場を整備する理由もそこにある。逆に、民主主義を実現したいなら、公的な情報の全面公開とタックスヘイブン/オフショア市場の禁止は不可欠だ。そうした意味で、支配者たちが隠す情報を明らかにする内部告発者の存在は重要であり、その内部告発を支援するWikiLeaksのような活動も必要だが、日頃、支配者たちが作った枠の中で「右」だ「左」だと言い合っている人々にとって、枠からはみ出た事実ほど目障りなものはないだろう。
2017.11.14
ドナルド・トランプ米大統領とウラジミル・プーチン露大統領がベトナムで非公式に会談、シリアにおける戦闘の軍事的な解決はないということで合意したと11月11日に発表された。そこにはシリアから親イラン勢力が撤退するというようなことは含まれていない。トランプ大統領がベトナムでプーチン大統領と会談するとFOXニュースに語ったのは11月2日のこと。その直後にロシア外務省はベトナムで開かれるAPECのサミットでプーチン大統領は会談する用意があると表明した。しかし、アメリカにはロシアとの関係を悪化させようとする勢力が存在する。冷戦の復活ではなく、1991年12月にソ連が消滅、西側の傀儡だったボリス・エリツィンがロシア大統領を務めていた当時のようにアメリカが唯一の超大国になり、自分たちがその支配者として君臨したいということだ。何度も書いてきたが、1991年にそのウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に明言している。(3月、10月)また、2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事によると、その当時、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと主張、この工作にはムスリム同胞団やサラフィ主義者が使われることも示唆している。こうした作戦のベースになっているのが1992年2月に国防総省で作成されたDPGの草案。ポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。簡単に言うと、パクス・アメリカーナの実現だ。このドクトリンの前提はソ連が消滅し、ロシアがアメリカの属国になったということ。そこでアメリカは東アジアを重視、つまり中国を屈服させようとするのだが、21世紀に入ってプーチンがロシアを再独立させることに成功してネオコンの戦略は揺らぐ。それでもウォルフォウィッツ・ドクトリンに執着しているネオコンはロシアの再属国化を目論む。同時に中国も屈服させようとしているが、アメリカやイスラエルは脅して屈服させようとする。その路線に沿って動こうとしていたのがヒラリー・クリントンだが、ロシアや中国のように脅されても屈しない国に対しては脅しをエスカレートさせることになり、その先には全面核戦争が待ち受けている。バラク・オバマ政権はすでにロシアとの関係を深刻化させ、クリントンへ引き継ごうとしたのだろうが、この目論見はアメリカとロシアとの関係を修復させると公約して当選したトランプの当選で揺らぐ。そこで始まったのが「ロシアゲート」キャンペーンだ。証拠を示すことなく、有力メディアを使って宣伝、人々を洗脳してきた。今回もトランプとプーチンとの会談を阻止、関係修復を妨害するための圧力があったようで、ロシア外務省が米露大統領の会談に前向きの姿勢を見せた直後、ホワイトハウスの広報担当は両大統領がベトナムで公式に会うことはないと語った。そこで非公式の会談になったわけだ。シリアを含む中東ではネオコン、イスラエル、サウジアラビアの描いたプランが崩壊寸前にある。手先として使ってきたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は壊滅状態。トルコ政府によると、アメリカはクルドが支配している地域に10カ所以上の軍事基地を建設済みで、自分たちの手先をクルドへ切り替えようとしたが、それも思惑通りには進んでいないようだ。そうした中、イスラエルとサウジアラビアはイランに対する戦争を実行しようと画策しているが、これは焦りの結果だ。サウジアラビアでは国王と皇太子の親子がライバルの粛清を開始、イスラエルが協力している。イランどころかヒズボラをこの2カ国で倒すことは難しく、アメリカを巻き込もうとしているだろう。西側の有力メディアはそのイスラエルとサウジアラビアの宣伝機関として活動している。
2017.11.13
レバノンの首相だったサード・ハリリは11月4日、サウジアラビアに滞在している際にテレビを通じて辞任を発表した。その中でイランやヒズボラを非難し、それを利用してサウジアラビアはヒズボラに対する戦争を煽っている。4日にはイエメンからリアドへ向けて何者かがミサイルを発射、その責任をサウジアラビアはイランに押しつけている。サウジアラビアで拘束されたとする情報も流れているハリリは10月中旬、ヒズボラとの連合政府へ参加する意向だということをイタリアのラ・レプブリカ紙に語っている。自分たちの勢力が弱まり、ヒズボラの影響力が強まっていることを認めてのことだが、これはハリリのボスにあたるサウジアラビア政府を刺激、イスラエルも反発したはずだ。それが今回の拉致、拘束、辞任につながったとする見方がある。今から10年ほど前にもレバノンで軍事的な緊張が高まり、2006年7月にイスラエル軍はレバノンへ軍事侵攻しているが、その発端は2005年2月のラフィク・ハリリ首相暗殺。この人物はサードの父親である。国連の「国際独立委員会」でラフィク・ハリリ暗殺に関する調査官を務めたデトレフ・メーリスは「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張、シリア政府の関与をほのめかしたが、説得力はない。アーマド・アブアダスなる人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオをアル・ジャジーラは放送したが、このビデオを都合が悪かったようで、メーリスは無視した。また、メートスが「信頼できる証人」だとしたたズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクは有罪判決を受けた詐欺師だとドイツのシュピーゲル誌は指摘する。しかも、この「証人」を連れてきたのがシリアのバシャール・アル・アサド政権に反対しているリファート・アル・アサドだ。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたという。もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問(ごうもん)を受けたというのだ。その上で、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。また、暗殺に使われた三菱製の白いバンは2004年10月に日本の相模原で盗まれたというのだが、輸送経路は不明で、誰が所有していたのかも示されていない。2006年8月にイスラエルのレバノン侵攻は失敗、つまりヒズボラに負けたのだが、その頃からハリリ一族を中心とするグループは未来運動なる活動を開始、戦闘部隊(テロ部隊)を編成した。その部隊を財政的に支援してきたのがウェルチ・クラブ。アメリカ国務省のデイビッド・ウェルチ次官補を黒幕とするプロジェクトだ。この2006年当時よりヒズボラは強くなっている。本ブログでも何度か指摘したが、イスラエルが誇るメルカバ4戦車がヒズボラも使っている対戦車兵器、例えばRPG-29、AT-14コルネット、メティスMで破壊されていると言われている。また、今年(2017年)3月17日未明にイスラエル軍のイスラエル軍戦闘機4機がシリア領空を侵犯して空爆を実施したのだが、シリア軍によると、防空システムS-200で反撃して4機のうち1機を撃墜、別の1機に損傷を与えたという。最近、イスラエルが保有するF-35もS-200で何らかの損傷を受けたのではないかと疑われる出来事があった。ちなみにS-200は旧型で、シリア側の説明が事実なら、新しいタイプのS-400はイスラエルにとって大変な脅威になる。
2017.11.12
サウジアラビアで11月4日から大規模な粛清が始まり、48時間で約1300名が逮捕され、その中には少なからぬ王子や閣僚が含まれているとされている。サウジアラビア国家警備隊を率いていたムトイブ・ビン・アブドゥッラー、衛星放送のMBCを所有するワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム、ロタナTVを含むエンターテイメント会社のロタナ・グループの大株主であるアル・ワリード・ビン・タラル王子、ネットワーク局ARTを創設したサレー・アブドゥッラー・カメルといった名前が挙がっているが、ここにきてバンダル・ビン・スルタンも逮捕者の中に含まれているという情報が流れている。バンダル・ビン・スルタンがブッシュ家と近い関係にあり、「バンダル・ブッシュ」と呼ばれていることは本ブログでも何度か書いた。1983年10月から2005年9月にかけてアメリカ駐在大使、2005年10月から2015年1月にかけて国家安全保障会議事務局長、2012年7月から2014年4月にかけて総合情報庁(サウジアラビアの情報機関)長官を務めている人物で、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やチェチェンの反ロシア勢力を動かしていたことでも知られている。2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事によると、その当時、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始した。ハーシュによると、その工作はリチャード・チェイニー副大統領(当時。以下同じ)、国家安全保障担当副補佐官のエリオット・エイブラムス、イラク駐在のアメリカ大使で記事が出た直後に国連大使に就任したザルメイ・ハリルザドといったネオコン、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン王子が中心になって進められた。バンダル・ビン・スルタンが親しくしているブッシュ家はウォール街やCIAと深く結びついている一族。ジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたるジョージ・ハーバート・ウォーカーは大物銀行家で、ウォール街からナチスへ資金を流すパイプ役だった。バンダルはイスラエルともつながっている。6月21日に皇太子の座を追われたムハンマド・ビン・ナーイフもCIAとの関係が深く、この皇太子交代はCIAを怒らせたとも言われている。こうしてみると、サルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王とムハンマド・ビン・サルマン皇太子の親子による粛清はウォール街、CIA、ネオコンとの関係を悪化させるように見るが、粛清が始まる数日前、ドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを訪問したという事実もある。また、ビン・サルマン皇太子はレバノンのサード・ハリリ首相をサウジアラビアで拘束、首相辞任の発表をさせているが、これはイスラエル政府の指示だったという。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と緊密な関係にあるカジノ経営者のシェルドン・アデルソンはユダヤ系で、日本でカジノを経営しようと目論んでいる。アデルソンは2013年11月に来日してIS議連の細田博之会長(自民党幹事長代行)にプレゼンテーションを行い、東京の台場エリアで複合リゾート施設を作るという構想の模型を披露しながらスライドを使って説明、14年2月には来日して日本へ100億ドルを投資したいと語っている。その年の5月にはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が日本政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたと伝えられている。アデルソンとネタニヤフのコンビは現在、ヒラリー・クリントンを操っていた投機家のジョージ・ソロスと関係が悪化しているという。イスラエル政府は自国の大使館に対してヒズボラやイランに外交的な圧力をかけるように命令、サウジアラビアが行っているイエメン侵略を支持する姿勢を明確にしている。イスラエルはレバノンやイランを攻撃したがっているが、自力で実行することは難しく、アメリカを引き込もうとしている可能性がある。ところがサウジアラビアの現体制は国内を分裂させただけでなく、アメリカ支配層の少なくとも一部を敵に回した。サウジアラビアがアメリカのドル体制を支えているということはあるが、危ない橋を渡っている。
2017.11.11
ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派が目論んだ中東支配計画は破綻したと見る人が少なくない。その計画は1992年2月に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に作成されたDPG草案、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンに含まれている。1991年にそのウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に明言している。(3月、10月)2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュの記事によると、その当時、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと主張、この工作にはムスリム同胞団やサラフィ主義者が使われることも示唆している。そのターゲットに含まれるレバノンをイスラエルやサウジアラビアは攻撃しようとしていると言われているが、自力で軍事侵攻してヒズボラに勝つことは難しいと見られている。そのひとつに理由は、イスラエルが誇るメルカバ4戦車がヒズボラも使っている対戦車兵器、例えばRPG-29、AT-14コルネット、メティスMで破壊されていると伝えられているからだ。地上での戦闘でイスラエルは優位と言えなくなっている。それだけでなく、イスラエルは空でも優位でなくなっている可能性がある。例えば、今年(2017年)3月17日未明にイスラエル軍のイスラエル軍戦闘機4機がシリア領空を侵犯して空爆を実施したのだが、シリア軍によると、防空システムS-200で反撃して4機のうち1機を撃墜、別の1機に損傷を与えたという。イスラエル側は否定しているが、その後、イスラエル軍機の越境攻撃にブレーキがかかったようだ。S-200は旧型で、シリア側の説明が事実なら、新しいタイプのS-400はイスラエルにとって大変な脅威になる。最近では、イスラエルが保有するF-35がコウノトリと衝突して数日間、飛行できないという話が流れた。シリア軍が保有する防空システムS-200で何らかの損傷を受けたのではないかという疑われている。F-35は高額だが、性能には問題があるとされ、2015年1月にカリフォルニア州のエドワード空軍基地近くで行われたF-16戦闘機との模擬空中戦で完敗したと伝えられている。F-35のステルス性能を強調、相手に気づかれないで敵に近づいて攻撃するのでドッグファイトは必要ない(つまり専守防衛には適さない)とする声も聞くが、S-200で損傷を受けたという推測が正しいなら、そのステルス性能も怪しいということになる。そうなると、レバノンを侵略するためにはアメリカ軍、あるいはNATO軍を巻き込まなければならなくなりそうだ。そうなると、中東全域が火の海になり、最悪の場合は全面核戦争になりかねない。イラクのクルドを率いてきたマスード・バルザニは父親のムラー・バルザニと同様、イスラエルの指揮下にある。この関係は1960年代から続くものだ。そのマスードは今年9月25日に独立の是非を問う住民投票を強行、圧倒的多数の賛成を得たとされたが、その反動は大きかった。イラクを含む周辺国がクルドが制圧している油田地帯からの石油搬出を拒否、マスードにとって重要な油田があるキルクークはクルドの反マスード派とイラク軍によって制圧されてしまった。その一方でロシアの石油会社がその石油を購入することを決める。これまでクルドが支配していた石油はイスラエルへ運ばれ、同国が消費する77%を賄ってきた。ロシアはイスラエルに対する大きな影響力を手にしたと言えるだろう。イラクのクルドとシリアのクルドでは言語も文字も違い、一体と考えることはできないが、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の壊滅が決定的なってからアメリカは手駒を両クルドへ切り替えようとした。途中までアメリカの思惑通りに進んでいたように見えたのだが、シリアのクルド軍は制圧した油田をロシア軍へ引き渡したと伝えられている。しかも「独立」ではなく「連邦」を望むと言い始めたという。イラク、イラン、シリア、トルコをまたぐクルドの「満州国」を創り出すというアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの目論見は崩れた。クルドの独立国が実現した場合、イスラエルは20万人ほどをそこへ移住させ、サウジアラビアは軍事基地を建設する意向をそれぞれ示してが、それは夢想に終わりそうだ。サウジアラビア政府は自国民に対してレバノンへの旅行を取りやめ、レバノンにいる場合はすぐに出国するように警告している。
2017.11.10
カタールのハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャブル・アール・サーニー前首相が同国のテレビ番組で発言した内容が注目されている。西側の有力メディアは無視しているようだが、それだけ重大な内容だとも言える。シリアで戦争が始まった2011年からカタールはサウジアラビアやアメリカと手を組み、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために物資をトルコ経由で運んだと語っているのだ。(番組、問題部分)アメリカが描いた侵略計画が破綻、内紛が激しくなっている。シリア侵略のプランは1991年の段階でネオコンが作成していたことも本ブログでは書いてきた。アメリカの国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツはその年、イラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は2007年が明言していることだ。(3月、10月)その年の12月にソ連が消滅、ウォルフォウィッツは1992年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。これがウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。この計画通り、ネオコンに主導されたアメリカは2003年にイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、瓦礫と死体の山を築く。それから4年を経た2007年、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは3月5日付けのニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたと書いている。これもウォルフォウィッツが1991年の段階で口にしていた国だ。ハーシュの記事には、この工作にムスリム同胞団やサラフィ主義者が使われることも示唆されている。ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから10日程後、クラークはペンタゴンで統合参謀本部の知り合いからイラクを攻撃すると聞かされる。その知人もクラークもイラクを攻撃する理由がわからなかったという。その数週間後には国防長官のオフィスで作成された攻撃予定国のリストを見せられる。そこにはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。シリアやリビアに対する侵略の主力はアル・カイダ系武装集団。バラク・オバマ大統領は穏健派を支援しているとしていたが、シリアで政府軍と戦っているのはサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(イラクのアル・カイダ)だとアメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月にホワイトハウスへ報告している。しかも、オバマ政権の政策が続くと東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配圏が作られる可能性があると警告していた。これはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になる。2012年当時、DIAを率いていたマイケル・フリン中将は退役後、この問題をアル・ジャジーラの番組で問われ、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。ダーイッシュは2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはモスルを制圧している。モスル制圧の際にはトヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が配信されている。パレードを含め、ダーイッシュの行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずだが、攻撃せずに静観していた。フリンが退役に追い込まれたのはこの年の8月である。フリン退役の翌月にトーマス・マッキナリー中将はアメリカがダーイッシュを作る手助けをしたと発言、同じ月には統合参謀本部議長だったマーティン・デンプシー大将が上院軍事委員会で、ダーイッシュに資金提供している主要なアラブ同盟国を知っていると証言した。2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官がアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語っている。また、2014年10月には副大統領だったジョー・バイデンがハーバーバード大学で行った講演の中で、中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると発言、ヒラリー・クリントンは2014年8月にジョン・ポデスタ宛てに出した電子メールの中で、サウジアラビアやカタールがダーイッシュなどへ資金や物資を供給していると書いていた。勿論、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを使った侵略にはイスラエルも参加している。アメリカ政府はどこかの国を「テロ支援国」のリストに載せて制裁することを考慮しているとも伝えられているが、まずそのリストに載せなければならないのはアメリカにほかならない。イスラエル、サウジアラビア、カタール、トルコ、イギリス、フランス、ドイツなども載せる必要がある。そうした実態を伝えなかった西側の有力メディアも責任は免れない。2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が倒されると戦闘員と武器/兵器はシリアへ運ばれ、翌年になるとシリアでの戦闘が激化する。そして5月にはシリア北部ホムスで住民が虐殺され、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝した。「住民を助ける」という口実でリビアと同じようにNATO軍なりアメリカ主導軍が軍事侵攻するつもりだったのだろうが、真相はすぐに発覚する。ロシアの対応もリビアと同じではなかった。その際、虐殺を調査した東方カトリックのフランス人司教は反政府軍のサラフィ主義者や外国人傭兵が住民を虐殺したと報告、それは教皇庁の通信社が伝えた。その報告の冒頭には次のように書かれている:「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」
2017.11.09
ドナルド・トランプ米大統領は11月2日、ベトナムでロシアのウラジミル・プーチン大統領と会談するとFOXニュースに語り、ロシア側も会談の予定を確認した。トランプ大統領は「朝鮮の脅威」について話し合うとしているが、勿論、それは表向きの口実にすぎないだろう。朝鮮が脅威だと考える国がロシアや中国を核戦争で脅すはずはない。アメリカの支配層が核戦争で脅し、屈服させようとしている相手はロシアと中国である。人類を死滅させるか、それとも自分たちに従属するかというわけだが、ロシアや中国はこうした脅しに屈しない。そこで核戦争が勃発する可能性が高まっているのだ。この政策を驀進しようとしていたのがヒラリー・クリントンにほかならない。そうした世界制覇を夢見ている勢力をアングロ・シオニストと呼ぶこともある。アメリカとイギリスを中心とするアングロ・サクソン系諸国とシオニズムを信仰してイスラエルを絶対視する人々をそう表現しているのだが、その夢は遅くとも19世紀に始まっている。その勢力の中で主導権を握っていた国は第2次世界大戦が終わるまでイギリス。この国では18世紀の後半から19世紀の前半にかけて技術革新があって生産力は向上、工場制生産が広がるのだが、貿易で中国に完敗してしまう。しかも国内はチャールズ・ディケンズが『オリバー・ツイスト』で描いたような富が一部に集中する社会になっていた。生産力の向上は大多数の庶民にとって良いものではなかった。経済は破綻寸前だったとも言えるのだが、その経済を立て直すために採用されたのが侵略による略奪と麻薬取引である。1840年から42年にかけてイギリスは中国(清)を攻撃して屈服させることに成功、香港を奪い、賠償金などを支払わせ、上海、厦門、広州、寧波、福州を開港させたのだ。アヘン戦争である。さらなる利権を獲得するため、1856年にも戦争を仕掛けた。アロー戦争だ。その3年後、アヘン戦争で大儲けしたジャーディン・マセソン商会はトーマス・グラバーとウィリアム・ケズウィックを日本へ送り込んでいる。グラバーは有名小説家の書いた歴史小説にもよく登場する人物で、長崎にオフィスを構えた。こうした流れの中で明治維新は実行された。後に内戦の長期化を当て込んで武器を大量に仕入れ、見込み違いから破産、三菱に助けられている。ケズウィックの祖母にあたるジーン・ジャーディン・ジョンストンはジャーディン・マセソン商会の共同創設者であるウィリアム・ジャーディンの姉。横浜にオフィスを開いた。1862年に香港へ戻ってから麻薬資金を扱っていた香港上海銀行で働き、その縁で蒋介石の側近で青幇の杜月笙と親しくなっている。しかし、イギリスの支配層が最も力を入れていたのはロシアの制圧だ。その戦略を理論づけた論文が1904年に発表されている。ハルフォード・マッキンダーという学者が考えたもので、世界は3つに分けられている。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島だ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指し、そのロシアを支配するものが世界を支配するとしていた。広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯をマッキンダーは想定した。日本は内部三日月帯の東端にあり、侵略の重要拠点であるのみならず、傭兵の調達地と認識されていた。その日本ではイギリスを後ろ盾とする長州が薩摩を巻き込んで徳川体制を倒して明治体制を樹立する。その新体制は1871年7月に廃藩置県を実施するが、その翌年に琉球国を潰して琉球藩をでっち上げて併合、74年に台湾へ派兵、75年に江華島へ軍艦を派遣して朝鮮を挑発、そこから日清戦争、日露戦争、そして中国侵略へと向かっている。1939年には関東軍がソ連軍と衝突して惨敗したが、これも同じ流れのように見える。ジョージ・ケナンズの「封じ込め政策」やビグネフ・ブレジンスキーの戦略もマッキンダーの理論と考え方は同じだ。ところで、ロシアの十月革命(1917年11月)でボルシェビキが実権を握るとアメリカの国務省では反ソ連グループが形成される。ラトビアのリガ、ドイツのベルリン、そしてポーランドのワルシャワの領事館へ赴任していた外交官たちが中心で、その中にはケナン、あるいは駐日大使を務めたジョセフ・グルーも含まれていた。(Christopher Simpson, "The Splendid Blond Beast," Common Courage Press, 1995)ここで詳しく書くことはできないが、アングロ・シオニストの世界制覇計画には長い歴史があると言える。1991年12月にソ連が消滅、ロシアの大統領には米英の傀儡だったボリス・エリツィンが就任した時点で、彼らは自分たちが唯一の超大国になったアメリカを動かす世界の支配者だと認識、自立心を残している国々を潰していこうとする。その戦略が1992年2月に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリン。残された中で最も警戒すべき相手は中国であり、だからこそ東アジアを重視するという政策を打ち出した。この戦略を根底から覆したのがウラジミル・プーチンにほかならない。ロシアを再独立させ、国力を急ピッチで回復させてアングロ・シオニストの前に立ちふさがったのだ。そしてシリアではアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力の侵略計画を潰してしまった。この三国同盟が侵略のために使ってきたアル・カイダ系武装集団、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はロシア軍によって壊滅寸前だ。アメリカはクルドへ切り替えようとしたが、思惑通りに進んでいない可能性があり、別の傭兵集団を編成しているとも考えられる。そうした中、サウジアラビアでは国王親子がライバルを粛清、イランを戦争で脅し、イスラエルはアメリカ、ギリシャ、ポーランド、フランス、イタリア、ドイツ、インド、さらにもう1カ国で軍事演習を実施して軍事的な緊張を高めている。このまま進むとアメリカは中東の利権を失う可能性があり、何を仕掛けても不思議ではない状況。原油相場の動きは緊迫感を感じさせないが、ベトナムで行われる予定のトランプ大統領とプーチン大統領の会談における主要テーマが朝鮮だとは思えない。
2017.11.08
安倍晋三首相とドナルド・トランプ米大統領は11月5日、プロゴルファーの松山英樹を引き連れて越谷市のゴルフ場でプレーしたようだ。安倍首相が敬愛しているという祖父の岸信介もゴルフが好きだったようで、ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃した翌年の1942年に岸は駐日大使だったジョセフ・グルーをゴルフに誘い、敗戦後の57年に首相としてアメリカを訪問した際にはドワイト・アイゼンハワー大統領、通訳の松本滝蔵、そしてプレスコット・ブッシュ上院議員とゴルフをしている。言うまでもなく、プレスコットはジョージ・H・W・ブッシュの父親、ジョージ・W・ブッシュの祖父にあたる。本ブログでは何度も書いてきたが、グルーは1932年、ハーバート・フーバー大統領が任期最後の年に大使として日本へ送り込んでいる。グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、グルー本人はモルガン人脈の中核グループにいたと言えるだろう。その人脈の中心には巨大金融機関のJPモルガンがあり、この金融機関は1923年にあった関東大震災の復興資金を調達したことから日本に大きな影響を及ぼすようになった。また、グルーの妻であるアリス・ペリーは幕末に「黒船」で日本にやって来たマシュー・ペリー提督の末裔で、少女時代には日本で生活、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そのときに親しくなった友人のひとりが九条節子、後の貞明皇后(大正天皇の妻)だという。グルーを日本へ送り込んだフーバーはスタンフォード大学を卒業してから鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルド系の鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に見込まれて出世、大統領になった人物だ。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)1932年の大統領選挙でもJPモルガンをはじめとするウォール街の住人はフーバーを支援していたが、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。このグループは巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を拡大するという政策を打ち出し、植民地やファシズムにも反対していた。ウォール街とは対立関係にある人物が大統領に選ばれたわけである。そこで日米従属関係が揺らぐ。その当時、大統領就任式は3月に行われていたが、その前の月にルーズベルトはマイアミで銃撃事件に巻き込まれている。大統領に就任した後にはウォール街のクーデター計画が待ち受けていた。ウォール街のクーデター派はイタリア、ドイツ、フランスのファシスト団体の活動に注目し、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」を研究、改憲して別の政府を設立するわけでなく、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の仕事を引き継ぐというシナリオだったという。クーデターを成功させるため、ウォール街の勢力は名誉勲章を2度授与され、人望が厚かった海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込みにかかるのだが、失敗してしまう。計画に反発した少将はクーデター計画をジャーナリストのポール・フレンチに話し、そのフレンチは1934年9月にクーデター派を取材している。その時、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があると聞かされたと語っている。それに対し、バトラー少将はクーデター派に対し、「ファシズムの臭いがする何かを支持する兵士を50万人集めるなら、私は50万人以上を集めて打ち負かす」と宣言、内戦を覚悟するように伝えている。(“Statement of Congressional Committee on Un-American Activities, Made by John W. McCormack, Chairman, and Samuel Dickstein, Vice Chairman, Sitting asa Subcommittee” / ”Investigation of Nazi Propaganda Activities and Investigation of Certain Other Propaganda Activities,” Public Hearings, Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, December 29, 1934)その際、クーデター派は新聞を使い、「大統領の健康が悪化しているというキャンペーンを始めるつもりだ。そうすれば、彼を見て愚かなアメリカ人民はすぐに信じ込むに違いない。」とも話していたとしている。ルーズベルトは1945年4月、ドイツが降伏する直前に急死してウォール街がホワイトハウスで主導権を奪還した。その際、ルーズベルト大統領には健康に問題があったと宣伝された。こうしたアメリカの権力バランスの変化は日本の占領政策にも影響、「逆コース」が推進される。その中心で活動していたのが1948年6月に設立されたACJ(アメリカ対日協議会)、いわゆるジャパン・ロビーである。そのACJの中心的な存在だったのがジョセフ・グルーにほかならない。ACJはウォール街が創設した破壊工作(テロ)機関のOPCとも人脈が重なっているが、そのOPCはアレン・ダレスの腹心だったフランク・ウィズナーが率いていた。ちなみに、ふたりともウォール街の弁護士だ。OPCの東アジアにおける拠点は上海に設置されたが、49年1月に解放軍が北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立するという展開になったことから日本へ移動している。日本では6カ所に拠点を作ったが、その中心は厚木基地に置かれた。(Stephen Endicott & Edward Hagerman, “The United States and Biological Warfare”, Indiana University Press, 1998)その1949年に日本では国鉄を舞台とした怪事件が相次ぐ。つまり、7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件である。そして1950年6月に朝鮮半島で戦争が勃発する。朝鮮戦争だ。この戦争でアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)は63万5000トンの爆弾を投下したと言われている。大戦中、アメリカ軍が日本へ投下した爆弾は約16万トンであり、その凄まじさがわかるだろう。1948年から57年までSACの司令官を務め、日本での空爆も指揮しいたカーティス・ルメイは朝鮮戦争の3年間で人口の20%を殺したと認めている。その後、ルメイやアレン・ダレスを含むアメリカの好戦派はロシアに対する先制核攻撃を計画、1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。この計画に強く反対し、好戦派と激しく対立したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。
2017.11.08
サウジアラビアで退任を表明したレバノンのサード・ハリリ首相とビジネス上のパートナーだったサウジアラビアのアブドル・アジズ・ビン・ファハド王子が治安部隊との銃撃戦の末に死亡したと伝えられている。
2017.11.07
ICIJ(国際調査ジャーナリスト協会)が「パナマ・ペーバーズ」に続き、「パラダイス・ペーパーズ」を公表した。いずれもオフショア市場/タックスヘイブンに関する文書。DNC(民主党全国委員会)の委員長だったドンナ・ブラジルが昨年の大統領選について書いた本の出版と同じタイミングでの公表だ。WikiLeaks以外のルートでも電子メールは漏れているが、そうした中には、2015年5月26日の時点で民主党幹部たちがヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆している電子メールの存在している。2015年の6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加していたことから欧米支配層はバラク・オバマの次はヒラリーを大統領すると決めたと推測されていたが、その推測と符合する。ブラジルによると、彼女はWikiLeaksが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。しかも、その合意が証明されたのは彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月だった。バーニー・サンダースやその支持者が怒って当然、いや怒らなければならないことだ。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、彼はワシントンDC警察やFBIの報告書を見たとしたうえで、電子メールをWikiLeaksへ渡したのはDNCのコンピュータ担当スタッフだったセス・リッチだとしている。また、その漏洩した電子メールはロシア政府がハッキングしたとする偽情報を流し、ロシアとアメリカとの関係悪化を目論んだのはCIA長官だったジョン・ブレナンだとも語っている。かつて情報機関で働いていた人々もハッキングでなく内部で盗み出されたと分析している。同じ趣旨のことはリッチの両親が雇った元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーも主張していた。この探偵はセスがWikiLeaksと連絡を取り合い、DNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間に遣り取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルがセスからWikiLeaksへ渡されているとしていた。WikiLeaksがクリントンに関した電子メールを公開した後、2016年7月10日にリッチは背中を2度撃たれて殺された。この殺人事件の捜査を担当したのがワシントンDC警察だが、ウィーラーによると、捜査は途中で打ち切られている。その当時のワシントンDC警察長、キャシー・ラニエーは8月16日、9月で辞職してナショナル・フットボール・リーグの保安責任者に就任すると発表、実際に転職した。この殺人事件の真相は明らかになっていないが、ブラジルは自分自身も殺されるのではないかと恐れ、オフィスのブラインドを閉めて外から狙撃されないように気をつけ、自宅には監視カメラを設置したとしている。ところで、オフショア市場が世界経済にとって大きな問題であることは間違いない。多国籍企業はタックス・ヘイブンに設立したペーパーカンパニーを回することで税金を回避させているのだが、貿易や資金の半分以上は場所を書類上、通過しているという。タックス・ヘイブンにはいくつかの種類があり、最も古いグループはスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなど。第1次世界大戦以降、増えたようだ。1970年代になるとロンドンの金融街(シティ)を中心とするネットワークが整備されてカネの流れは変わる。そのネットワークはかつての大英帝国をつなぐもので、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが含まれている。ここにきてアメリカが租税避難の主導権を握ったようだ。ブルームバーグによると、ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーが2015年9月、サンフランシスコ湾を望むある法律事務所で税金を避ける手段について講演、その中で税金を払いたくない富豪に対して財産をアメリカへ移すよう、顧客へアドバイスするべきだと語ったという。アメリカこそが最善のタックス・ヘイブンだというわけである。ペニーはアメリカのネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどへ銀行口座を移動させるべきだと主張、ロスチャイルドはネバダのレノへ移しているという。常識的に考えれば、タックス・ヘイブンの文書には多国籍企業や世界の富豪が名を連ねていなければならないのだが、ICIJの文書ではそうしたことがない。そうしたICIJのスポンサーには投機家ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ基金、ロックフェラー兄弟基金、ロックフェラー・ファミリー基金、カーネギー社、フォード基金などが含まれている。
2017.11.07
サウジアラビアの南部でヘリコプターが11月5日に墜落、マンスール・ビン・ムクリン王子を含む8名の高官が死亡したと伝えられている。ムクリン王子の父親であるムクリン・ビン・アブドルアジズは2005年10月から12年7月にかけて総合情報庁長官を務め、15年1月から同年4月まで皇太子だった人物だ。墜落の原因は不明だが、その前日、11月4日にサウジアラビア国家警備隊を率いていたムトイブ・ビン・アブドゥッラー、衛星放送のMBCを所有するワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム、ロタナTVを含むエンターテイメント会社のロタナ・グループの大株主であるアル・ワリード・ビン・タラル王子、ネットワーク局ARTを創設したサレー・アブドゥッラー・カメルを含む人々が汚職やマネーロンダリングなどの容疑で逮捕されている。また、4日にはイエメンからリアドへ向けて発射された弾道ミサイルが迎撃され、サウジアラビアの影響下にあるレバノンのサード・ハリリ首相がサウジアラビアを訪問中に辞任を表明したが、そこで拘束されているという情報も流れている。この辞任をイスラエルやサウジアラビアのレバノン侵攻作戦と結びつける見方もある。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌で書いた記事によると、レバノンはシリアやイランと同様、アメリカ、イスラエル、サウジアラビア始めた秘密工作のターゲット国。レバノンではヒズボラを潰すことが目的だ。かつてのようにイスラエル軍が圧倒的な力を持っていればすぐにでも攻撃する可能性があるのだが、最近ではイスラエルが誇るメルカバ4戦車がヒズボラの対戦車兵器RPG-29、AT-14コルネット、メティスMで破壊されていると伝えられている。地上での戦闘でイスラエルは優位と言えなくなっているのだ。イスラエルが保有するF-35戦闘機がシリア軍の防空システムS-200で何らかの損傷を受けたのではないかという疑いもある。このシステムは旧式のもので、この推測が正しければ、S-400なら容易にF-35を撃墜できるはず。つまり、イスラエルやサウジアラビアが現在、レバノン侵攻を計画しているとは考え難い。
2017.11.06
サウジアラビアで粛清が続いている。11月4日にサウジアラビア国家警備隊を率いていたムトイブ・ビン・アブドゥッラー、衛星放送のMBCを所有するワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム、ロタナTVを含むエンターテイメント会社のロタナ・グループの大株主であるアル・ワリード・ビン・タラル王子、ネットワーク局ARTを創設したサレー・アブドゥッラー・カメルを含む人々が汚職やマネーロンダリングなどの容疑で逮捕された。中国で展開されてきた反汚職キャンペーンを真似したとも言われている。こうした粛清を指揮しているのはサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王とその息子であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子。国王は6月21日に皇太子を甥のムハンマド・ビン・ナーイフからビン・サルマンへ交代させ、ナーイフは自宅で軟禁されたと言われている。この新皇太子は国防大臣で、軍事部門や情報部門に大きな影響力を持ち、その兄弟も要職についている。今年4月にエネルギー担当大臣へ就任したアブドラジズ・ビン・サルマンや駐米大使になったハリド・ビン・サルマンだ。次のステップとして、ビン・サルマン皇太子が国王に就任するのではないかと見られている。こうした動きは昨年(2016年)から始まっているようで、12月には数十名の王子や王女が国外へ脱出し、カタールに対する兵糧攻めに反対した人々は逮捕され、今年9月には聖職者や司法関係者も逮捕されたと報道されている。ビン・サルマン皇太子はサウジアラビアを穏健なイスラムへ戻すとしているが、こうした逮捕者の中にはサウジアラビア王室のシリア侵略やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を批判してきた人も含まれているようだ。シリアやリビアへの侵略戦争が始まった時点でサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)、あるいはチェチェンの反ロシア勢力を動かしていたのはブッシュ家と親しいことで有名なバンダル・ビン・スルタン。2005年10月から15年1月まで国家安全保障会議の議長、12年7月から14年4月まで総合情報庁(サウジアラビアの情報機関)の長官を務めていた人物だが、ロシアが軍事介入した時点ではビン・サルマン皇太子に交代していたと言われている。今回の粛清劇を「穏健なイスラムへ戻す」だけで説明することはできないだろう。こうした粛清に対する反発が暴力の行使につながっている可能性もある。例えば、8月にビン・サルマン皇太子の暗殺未遂事件が伝えられ、10月7日にはジッダにある宮殿近くで宮殿への侵入を図った人物と治安部隊との間で銃撃戦があったという未確認情報も流れている。ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団はタグを付け替えただけで、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする勢力の傭兵部隊にすぎないことは本ブログで何度も説明してきた通りだが、2015年9月30日にシリア政府の要請で軍事介入したロシア軍によってそうした武装勢力は壊滅寸前だ。アメリカやイスラエルはクルドを新たな傭兵にしようとしているが、クルドを敵視しているトルコは三国同盟から離反、カタールも離れてしまった。トルコとカタールはイランやロシアへ接近している。三国同盟が使ってきた傭兵の中核はサラフィ主義者とムスリム同胞団だが、そのムスリム同胞団への影響力はカタールの方が強いとされている。トルコも戦闘員を供給していたと言われているが、その2カ国が三国同盟から離脱したわけだ。この2カ国に続き、サウジアラビアもロシアへ接近していることは本ブログでも書いたことがある。サルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王は10月4日から7日にかけてロシアを訪問してウラジミル・プーチン大統領と会談、ロシアの防空システムS-400を含む兵器の取り引き、石油価格の安定化、シリア情勢などが話し合われたと言われている。サラフィ主義者やムスリム同胞団を主力とする武装勢力の劣勢が明らかになり、アメリカが手駒をクルド勢力へ切り替えたのは今年5月から7月頃。その間にサウジアラビアでは皇太子が交代、支配層での粛清が始まっている。イラクのサダム・フセインはCIAによって権力者になった人物であり、リビアのムアンマル・アル・カダフィやシリアのアサド親子はアメリカ支配層に協力してきた。状況の変化で殺されたり、排除の対象になった。サウジアラビア国王が「疑心暗鬼を生ず」ということになっても不思議ではない。
2017.11.05
本ブログでも書いたように、ロバート・ミューラー特別検察官は支配層の悪事を隠蔽するために働いてきた。FBI長官を務めた2001年9月4日から13年9月4日にかけての時期もそうだが、司法省の次官補だった1990年から93年にかけてはBCCI(国際商業信用銀行)のスキャンダルを揉み消す仕事をしていたと言われている。BCCIは金融グループで、CIAが秘密工作のために使っていた。アフガニスタンでソ連軍と戦わせるためにズビグネフ・ブレジンスキーが作り上げたサラフィ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする戦闘集団への活動資金を提供したり、麻薬取引の儲けを処理していたのである。麻薬取引は今でも続いている。ブレジンスキーの作戦に基づき、アメリカの情報機関は戦闘員を訓練している。ロビン・クック元英外相が指摘しているように、CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストが「アル・カイダ」。ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌からブレジンスキーはインタビューを受け、こうした戦闘集団を作り、戦乱を広めたことを後悔していないかと聞かれているが、それに対して後悔はしていないとした上で、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998)BCCIグループの中枢にいたアガ・ハッサン・アベディはブレジンスキーの工作は始まった1970年代の後半にアメリカへの進出を計画、その最前線で動いたいた人物がモハメド・ライム・モタギ・イルバニ。アメリカ上院外交委員会の報告書によると、イルバニはリチャード・ヘルムズ元CIA長官のコンサルタント会社、サフィルの経営陣に名前を連ねていた。また、BCCIの中国担当を経てワシントン支局で活動したモハメド・カーンはヘンリー・キッシンジャーと関係がある。1971年7月にキッシンジャーはリチャード・ニクソン大統領の補佐官として秘密裏に中国を訪問しているが、そのお膳立てをしたのが中国駐在パキスタン大使だったカーンだ。BCCIはブッシュ家ともつながりがある。同銀行の重役を務めていたジェームズ・バスがテキサス州ヒューストンの第147戦闘航空団に所属していた1965年当時、ロイド・ベンツェンやジョン・コナリーのような政界の大物やH・L・ハントのような富豪の息子がそこにはいた。当時、ベトナム戦争が始まっているが、この部隊は決して戦闘に参加しない。いわゆるシャンパン部隊だ。CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)がヒットさせた「フォーチュネート・サン」はこうした部隊のことを歌っている。こうした支配層の息子の世話をしたバスは1973年にロイド・ベンツェンの息子であるラン・ベンツェンと会社を設立してヒューストン郊外でマンション開発を行った。1976年にバスはジム・バス・アンド・アソシエイツという航空会社を設立、その数カ月後にサレム・ビン・ラディンというサウジアラビアの富豪の管財人になっている。この人物はオサマ・ビン・ラディンの異母兄弟だ。一時期、バスと一緒に仕事をしていたチャールズ・W・ホワイトによると、彼は1976年ジョージ・H・W・ブッシュに誘われてCIAの仕事を始める。当時、ブッシュはCIA長官になっていた。(Pete Brewton, "The Mafia, CIA & George Bush," S.P.I. Books, 1992)BCCIの大株主として名を連ねていたカマル・アダムはサウジアラビアの情報機関、総合情報庁長官だった人物で、アドナン・カショーギの友人。ロッキード事件で名前が出て来たあのカショーギだ。アメリカではBCCIがマネーロンダリングなど不正な行為を続けていたことが発覚、議会でも調査が実施された。その調査で中心な役割を果たしたひとりが上院議員だったジョン・ケリーである。その調査をミューラーは妨害したという。この銀行の実態が明るみに出ることはCIAだけでなく支配層のメンバーも望んでいなかった。ブレジンスキーの工作は2011年に始まったシリアやリビアへの侵略戦争でも使われている。
2017.11.04
原油相場が上昇、ブレント原油の場合、今年(2017年)6月下旬に1バーレル45ドル台だった価格が10月末には60ドル台に入った。6月には中東情勢に大きな変化があり、緊迫の度合いが高まったが、世界情勢が大きく変化した時期のようにも思える。5月から6月にかけてシリアでは東南部でアメリカ主導軍がシリア政府軍を攻撃、ラッカの近くでは政府軍の戦闘機を撃墜、またヨーロッパではNATO軍の戦闘機がロシアの国防大臣が乗った航空機に近づいて威嚇、ロシア軍の戦闘機に追い払われるということもあった。その背景にはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする侵略勢力が手先として使っていたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)、つまりサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする武装集団が2015年9月30日から行われているロシア軍による軍事介入で崩壊状態になったことが大きい。アメリカ軍によってこうした武装勢力が倒されたかのような宣伝もなされているが、世界的に見れば、その嘘は見抜かれている。武装勢力の敗走、つまりアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが敗北したことを象徴する出来事がダーイッシュを率いているとされるアブ・バクル・アル・バグダディの死亡情報だろう。5月28日にロシア軍が行った空爆で約30名の幹部と一緒に殺害された可能性があるとロシア国防省は発表している。西側ではこの情報を消そうとしてきたが、その後の展開を見ると正しかった可能性が高い。その直前、ドナルド・トランプ米大統領は中東を訪れている。5月20日から21日にかけてサウジアラビア、22日から23日にかけてイスラエルだ。そのあとイタリアとベルギーを訪問した。そして6月5日、サウジアラビアはカタールとの外交関係を断絶すると発表、経済戦争を仕掛けている。バーレーン、エジプト、アラブ首長国連邦も同調、このうちエジプトを除く4カ国はカタールとの陸、海、空の移動も禁止した。この強硬策を主導したのは副皇太子だったモハンマド・ビン・サルマンで、同月21日には皇太子へ就任した。しかし、カタールはすでにイランやロシアとの関係を修復する交渉を進め、サウジアラビアからの攻撃に対する準備はできていた。ビン・サルマンは24時間でカタールは屈服すると見通していたとする情報も流れているが、そうした展開にはならなかった。カタールを屈服させようとしてサウジアラビアはロシアへも接近、5月末にはビン・サルマンがロシアを訪れてウラジミル・プーチンと会談して10月4日から7日にかけてのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王のロシア訪問につながった。その時の会談で石油相場について協議しただけでなく、サウジアラビアがロシアから防空システムS-400を含む兵器/武器の供給を受けることも決まった。その防空システムが想定している相手はイスラエルやアメリカだと見られている。ロシアと戦略的な同盟関係にある中国でも5月に注目すべき出来事があった。5月14日から15日かけて北京でBRF(一帯一路フォーラム)が開催され、29カ国が参加しているのだ。そのうち首相が出席したのはポーランド、ハンガリー、セルビア、ギリシャ、イタリア、スペイン、エチオピア、パキスタン、スリ・ランカ、モンゴル、カンボジア、マレーシア、フィジー、大統領はフィリピン、ベトナム、インドネシア、ラオス、ケニア、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルコ、チェコ、スイス、アルゼンチン、チリ、そしてミャンマーは最高実力者のアウン・サン・スー・チー。国連、世界銀行、IMFなどもトップを送り込んできた。1992年にネオコンなどアメリカの好戦派が始めた軍事力による世界制覇プロジェクトはロシアの再独立で揺らいだが、それでも当初の計画を強引に進めようとした結果、信頼をなくして自分たちの衰退ぶりをさらすことになった。ドルが基軸通貨の地位から陥落するのは時間の問題だと見られている。ロシアと中国を中心とした多極化へ進むのか、アメリカの巨大資本が世界を支配するファシズム体制へ進むのか、岐路にさしかかっている。すでにアメリカ離れは世界規模で進んでいる。各国支配層はアメリカのカネと暴力に屈服しているが、それでは流れを抑えきれないだろう。核戦争の脅しがロシアや中国に通用するとは思えない。そうした中、アメリカ支配層に盲従しているのが日本である。
2017.11.03
2001年9月4日から13年9月4日にかけてFBI長官を務めたロバート・ミューラーが特別検察官に任命されたのは今年(17年)5月17日のこと。FBI就任から1週間後の2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたが、この攻撃に関する捜査を妨害したと批判されている人物でもある。特別検察官が任命された目的は、2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入したのかどうかを捜査することにあったが、その疑惑自体が証拠も根拠もないもの。今年3月に報告書らしきものが公表されたが、それを作成したクリストファー・スティールはイギリスの対外情報機関MI6のオフィサーだった人物。匿名の情報源に聞いた話をまとめたものにすぎず、根拠薄弱だということは本人も認めている。そのスティールが作成した報告書を元に、ロシア疑惑劇の開幕を下院情報委員会で告げたのがアダム・シッフ下院議員だ。この報告書が公表される前、その前のバージョンを持っていて、ジェームズ・コミーFBI長官(当時)へ渡した人物がいる。シリアへ密入国してダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)のトップと会ったり、クーデターが成功する前のウクライナに乗り込んでネオ・ナチの幹部と会談、体制転覆を煽っていたことでも知られているジョン・マケイン上院議員である。今年1月にバズフィードというインターネットメディアが報告書を明らかにしている。この上院議員がこのメディアへ渡したのではないかという疑惑が囁かれたが、マケイン本人はこの話を否定している。シッフ議員もそうだが、当初、「ロシア疑惑」を叫んでいる勢力が最大のターゲットにしていたのが国家安全保障補佐官だったマイケル・フリン中将。2012年7月24日から14年8月7日にかけてDIA(国防情報局)の長官を務めた軍人だ。ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派は1992年2月に世界制覇戦略、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成しているが、その中心になったポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は2007年に語っている。(3月、10月)2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。その記事の中で、ジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のディーンで外交問題評議会の終身メンバーでもあるバリ・ナスルはサウジアラビアが「ムスリム同胞団やサラフ主義者と深い関係がある」と指摘、その「イスラム過激派」が手先だとしている。その工作が侵略戦争という形で浮上したのは2011年3月のことだった。その前の月にはアフリカを自立させ、ドルからの離脱を目論んでいたリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制打倒を目指す戦争も始まっていた。バラク・オバマ大統領はシリアのバシャール・アル・アサド政権を「独裁体制」だと主張し、「穏健派」を支援すると称して軍事介入を始めたのだが、20128月にDIAはシリアに「穏健派」の反政府勢力は存在しないとホワイトハウスに報告している。そのときの局長がマイケル・フリン中将にほかならない。報告書の中で、オバマ政権のシリア侵略政策を変更しないと東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があると警告している。その警告は2014年、ダーイッシュという形で現実となったわけだ。フリンを攻撃する材料としてトルコとのビジネス上の関係が問題にされている。指名手配になっている「テロリスト」やイスラム過激派だとされているフェトフッラー・ギュレンとそのネットワークに関する調査を依頼され、その代償を受け取ったこともミューラーは捜査の対象にしている。ミューラーはFBI長官時代、ギュレンのネットワークに関する報告を隠蔽した張本人だとFBIの内部告発者であるシベル・エドモンズは主張している。エドモンズは9/11の後、FBIの翻訳に問題があることを指摘し、解雇された。今年3月、ギュレンがアメリカでネットワークを構築していることを有力メディアも報道している。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力が始めたシリアの戦争は長引き、トルコは経済的に苦しくなる。そこで2016年6月にはロシアとの関係改善に乗り出し、7月にはシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。トルコで武装蜂起があったのはその直後だ。そのクーデター計画の背後にはアメリカへ亡命、CIAの保護下にあるフェトフッラー・ギュレンがいるとトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は主張している。エルドアンはアメリカ中央軍のジョセフ・ボーテル司令官やジョン・キャンベルISAF司令官がクーデター計画の黒幕だとしてる。ギュレンに関する調査はCIAやFBIをはじめとするアメリカの政府機関にとっても不都合な事実を明るみに出しかねない。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュなどのタグをつけた武装集団やネオ・ナチを使って軍事侵略、体制転覆を目論んでいるアメリカ支配層の権益を守ることがミューラーの役割だと言えるだろう。
2017.11.02
2012年にニューヨークではタングステンで作られた偽物の金の延べ棒が流通していると話題になったが、ここにきてカナダで偽造金貨が見つかり、造幣局が調査に乗り出したという。1971年にリチャード・ニクソンがドルと金の交換を停止すると発表するまでドルは金が裏付けになっていた。金という裏付けをなくしたドルはサウジアラビアなど産油国にドル決済を強要、その代償として国の防衛を保障、さらに支配層の地位や富も約束したと言われている。金融規制の緩和にもだぶついたドルを吸い上げるという意味がある。ドル離れを目論む体制に対し、アメリカは軍事力の行使も厭わない。例えば、石油取引の決済をドルからユーロへ変えると発表したイラクのサダム・フセイン体制、金貨ディナールをアフリカの基軸通貨にして石油取引の決済に使おうとしたリビアのリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はともに軍事侵略を受けて国は破壊された。また、マレーシアの首相だったマハティール・ビン・モハマドは2002年3月には「金貨ディナール」を提唱、ドル体制から離脱する意思を示している。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された際、航空機が突入したわけでも爆破されたわけでもない7号館が爆破解体のように崩壊、そこに保管されていた大量の金が消えたとも言われている。2014年2月にウクライナではネオコンがネオ・ナチを使ってクーデターを成功させたが、その直後の3月7日、ウクライナ政府が保有していた金のインゴットをアメリカへ秘密裏に運び去った疑いが持たれている。その日、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスが現れ、そこから40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込まれたと報道されている。箱の中身は金だというのだ。車両はいずれもナンバー・プレートが外され、黒い制服を着て武装した15名が警戒する中での作業だった。アメリカは各国が保有する金を保管していることになっている。その多くはアメリカのニューヨーク連銀やケンタッキー州フォート・ノックスにある財務省管理の保管所に預けられていたが、そこから何者かによって持ち去られたのではないかという疑惑がある。そうしたこともあり、預けていた金を自国へ引き揚げる動きが国が出ていた。ドイツもそうした国のひとつで、預けている1500トンを引き揚げようとしたのだが、連邦準備銀行は拒否、交渉の結果、そのうち300トンを2020年までにドイツへ引き揚げることにしたのだという。同国は2020年までの8年間でアメリカとフランスから合計674トン、つまり1年あたり84トン強を引き揚げる計画を立てたが、2013年に返還されたのは37トン、そのうちアメリカからのものは5トンにすぎなかったと言われている。そして今、中国とロシアがドル体制から離脱しつつある。ドル体制に残っていればドルを発行する特権を持つアメリカによって経済が揺さぶられるからだ。この両国だけでなく、アメリカの横暴に辟易としている国は少なくないようで、中国とロシアが築こうとしている新たな通貨システムが軌道に乗ったなら、一気にドル離れが促進される可能性がある。新体制で金は軸になるはずだ。ドルのライバルに対する信頼度を下げるため、偽造された金塊を流通させようと考える人も出てくるかもしれない。
2017.11.01
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