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再び、黄昏時の冷気を深くその身に吸い込むと、トゥパク・アマルはモスコーソのことを考えていた頭を切り替えた。
彼には、今、まだ確実に勢いのあるうちに果たしておきたいことが、もう一つあった。
トゥパク・アマルは、整然と隊列を成し、誇りを漲らせ、凛々しく歩みゆく義勇兵たちの方に視線を向けた。
そして、インカ軍のために勇敢にも馳せ参じてくれた多くの黒人の者たちを、熱を帯びた眼差しで見渡した。
黒人たちは、奴隷としてアフリカからはるばる南米の当地まで連れてこられ、スペイン人のもとで過酷な労働に従事させられてきた者たちである。
且つまた、彼らは、この軍に加わるために、主人の目をかすめていかに危険な逃亡を試みてきたことか。
トゥパク・アマルの心に、熱いものがこみあげる。
この父祖の地に住むインカ族の者さえ保護する者の殆どなかったこの国で、はるか母国から引き離され、物のごとくに扱われながらも、これまで彼らを保護する者はインカ族の者たち以上に存在しなかったはずである。
その苦難は、察するに余りあるものであった。
トゥパク・アマルは再び、その包み込むような眼差しで、今や混成の軍団の一部をしかと成している黒人の者たちを見つめた。
そう、トゥパク・アマルがもう一つ果たしておきたかったこと、それは、まさしく黒人奴隷の解放であった。
事実、歴史上の資料によれば、1780年11月16日、彼は黒人奴隷解放令を布告している。
トゥパク・アマルのこの解放令によって、彼及び同盟者たちの統治下に置かれた各地で、この日、すべての黒人奴隷が解放され、ついに己の身の、そして、心の自由を手にしたのだった。
かくして、解放令が布告された日の晩、高原の要所に陣を敷いたインカ軍本隊の広い野営場のそこかしこからは、打楽器のリズムと明るい歌声が上がり、高所に張ったトゥパク・アマルの天幕までそれらの音が流れ込むように届いていた。
天幕を抜けて、高台から義勇兵たちの野営地を見下ろすトゥパク・アマルの傍に、老練の側近ベルムデスが近づく。
ベルムデスは、トゥパク・アマルが幼き頃から、両親をはやくに亡くした彼の父親のごとく、近しく彼に接し、見守り、また、時に養育してきた壮年の重臣である。
二人の見下ろす視線の先では、眼下の野営地のあちらこちらで焚き火を囲み、複数の義勇兵たちがそれぞれに円陣を組むようにして座り、何やら賑やかに談笑している様子が見える。
よく見ると、そこに集っている兵たちは、多くが黒人の者たちのようであった。
ベルムデスはトゥパク・アマルの方に軽く目配せしながら、温和な笑顔をつくって言う。
「どうやら、黒人の兵たちが、祝杯を上げているようですな。」
トゥパク・アマルも合点がいって、「祝杯…なるほど、そうでしたか。」と静かに微笑む。
「皆、トゥパク・アマル様の出された黒人奴隷解放令を喜んでいるのでしょう。
とはいえ、もう夜も遅い。
そろそろ控えさせましょうか。」
問いかけるベルムデスに対して、トゥパク・アマルは野営地を見下ろしたまま、「いや、まだよいでしょう。」と、変わらず静かに応える。
「あの者たちは、永きに渡り、我々インカ族の者たちよりもさらに過酷な運命を侵略者たちによって強いられて参りました。
今宵は、存分に、羽を伸ばすがよいでありましょう。」
そう言って、眼下にゆるやかな視線を注ぎながら目を細めるトゥパク・アマルの横顔に、「それもそうですな。」と、ベルムデスもその目元に皺を寄せて微笑んだ。
◆◇◆はじめて、または、久々の読者様へ◆◇◆
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