confuoco Dalnara

無間道(InfernalAffairs)



信と義の間のせめぎあいが重い。
自分の心の中の義や信と
他者との間の義や信との葛藤。
さらに、電脳世界でやわになっている「自分は何者か」という保証や存在理由も関わってくる。

善悪二元論ではわりきれない。
アンディ・ラウが映画について(中国語会話で)語っていたように
人は一生の間で善でもあれば悪にもなる。
運命を入れ替えられたふたりの男の人生は
まさにそれを象徴している。
善から悪にかわるのも苦悩するし
悪から善へ這い上がろうとする時、
どんな手段をとるか?
目的が善なら手段は悪でも受け入れられるのか?心に闇を抱える。
人は誰でも清濁併せ持つけれど...。
だからこそ...『歎異抄』の言葉が浮かぶ。
「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
これはこのことだったのか、と思う。

ふたりの進む道は、最初に選択した時からきまっていたのか
道はつくられたのか、
それはわからない。

無間地獄は寿命がある限り間断なく続くという。
悪から善へ交差する前の来し方をふりかえれば
心をさいなむことは無間の如し。暗黒を胸に秘めて生きていかねばならない。
無間地獄は、ダンテの言う煉獄だからInfernal?
ただ、
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の
悪行を繰り返したあげくに行ったただ1つの小さな善が掬いあげられたように
変ろう、変われると信じて変わった時
無間道からはずれることもできるのではないか、というメッセージも感じられた。
「いわんや悪人をや。」
そして、義を貫いたヤンも
信を貫いたラウも、それぞれ新しいHEROの像のような気がした。

杜可風が撮影に関わっていて美しい映像。
高層ビル群のmirror wallsに
ぬけるような空や雲が映りこんでいるのが印象的。
地上で暗黒にさまよい苦悩する魂の持ち主たちと対照的に
爽快でからっぽな美しさ、闇のない鬼界のように、
うつりゆくものの儚さのように感じられた。


運命を入れ替えられたふたりの男のドラマから目が離せなかった。
エンディング曲の歌詞が映画を語っているようだった。
(トニー・レオンとアンディ・ラウのデュエット)
運命を入れ替えられても魂は入れ替えられない、
それぞれが抱えている葛藤の苦しさが切なく、胸が痛んだ。


2003年記。

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