クリームな日々

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【国際情勢】手を出された側の傷跡は
酒井啓子(東京外国語大学大学院教授)

 5年前の今日は、日本全国30カ所以上で米英のイラク攻撃に反対する反戦デモが行われた日だ。当時のパウエル米国務長官が、イラクに大量破壊兵器がある、と虚偽の証拠をかざした演説をした後、世界がどんどん戦争へと傾斜していった、その頃である。

 5年前の昨日には、国連査察団が「あと数カ月待って」とストップをかけていた。だが米英はすっかり戦争モードで、16日には米英スペインの3カ国首脳がスペインのアゾレス諸島に集まってイラク攻撃を最終確認した。翌日、ブッシュ米大統領はイラクに最後通告をつきつけ、20日には攻撃を開始した。

 その後5年を経て、アゾレス諸島に集まった3人は、ブッシュを除いてもう職にない。攻撃後の復興需要を期待して殺到し、多国籍軍に名を連ねた国々は、日本を含めて大半がイラクから撤退した。反対に、ブッシュの戦争に徹底的に反対した仏や独は、対米協調路線の政権に代わった。

 時代は変わる。戦争がもたらす変化への興奮に引きずられた03年、外国兵士の死者や誘拐が増えて「こんなはずじゃなかった」と気がついた04年、05年に成立したイラク国会ではイスラム勢力が圧勝、06年以降は米国内でも「イラク戦争は本当にやるべきだったのか」との声が聞こえてくる。

 そして08年、イラク戦争に最初から反対していた人物が、ここまで次期米大統領の座に近いところまで到達するとは、誰が予想しただろう。5年前には、アフガニスタン攻撃もイラク攻撃も、反対する者は時代遅れ的な風潮が世界を席巻していたのに。最初の黒人大統領かも、と言われたのは、パウエル元国務長官の方だったのに。

 間違いと失敗だらけと言われ続けた米国の対イラク政策だが、国際社会は、戦争礼賛から反省に流れが変わったことで、みそぎが済んだような気分になっているのかもしれない。日本社会も、自衛隊を引いたら、とりあえずイラクのことを考えることから解放された気分になったようだ。

 イラク戦争開戦や自衛隊派遣決定の頃、全国26の新聞のうちイラクを取り上げた社説は1カ月で200件もあったのに、自衛隊撤退が発表された06年6月は、50件以下だった。今年2月にイラクに触れたのは30件以下で、ほとんどが米大統領選がらみだ。

 だが、手を出した国々はみそぎを済ませた気分になれても、手を出された側は忘れろといって忘れられるものではない。元に戻れない傷跡を負わせた事実から加害者が逃げるのはひどいじゃないか、と考える。

 しかしその責めに向き合い続けるのは、つらい。畢竟(ひっきょう)、イラクやアフガニスタンのニュースは見たくないと、当事者でない人々は思う。その向き合いたくなさを、日本はどう克服していけるのか。それは派手な反戦運動より難しい。

 戦争と同時に執筆担当を始めて、5年。ご愛読、ありがとうございました。

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