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シェアハウス、ここ2〜3年で耳にするようになった言葉。ちょっとしたきっかけで薦められたので、必要性はなかったが「シェアハウス ー わたしたちが他人と住む理由」を読んでみました。シェアハウスとは、家族以外の人と生活空間、環境、物資を共有して生活することである。当然「そんな窮屈な生活は大変なだけじゃない?」という疑問があるが、著者はシェアハウスの住人の実体験を通じて答えの一端を開示している。シェアハウスのメリットは、『人と「シェア」することで、自らの生活スペースをより豊かにできるということ』であると著者はいう。(阿部 p.98)そもそも、著者が都内の実家を離れ、大学時代の友人達とシェアハウスに選んで住み始めたのも、生活環境を豊かにすることが目的だった。確かに、価値観や生活習慣の違う人と一つ屋根の下に住むことはストレスの原因となり、デメリットの方が多い様に思う。そもそも「一人部屋」が欲しいなんてのは、家族の多い人なら誰もが一度は望むこと。現実は生活空間の制限により、プライベートな空間を諦めることを強いられ、我慢の日々が続く。だからこそ、一人暮らしで誰にも干渉されない生活が望ましいのでは?実は他人と生活空間をシェアするデメリットを補っても余るくらいにシェアハウスは魅力があり、それは以下の3つのフェーズだと著者は考える。(阿部 p.55)1. 人がいる安心感や楽しさが得られるフェーズ2. 食事や環境などいろいろなもとをシェアする楽しさや共感を得るフェーズ3. シェアハウスという場を使って、住んでいる人たちと一緒に何かを作り出したりするフェーズ特に、最後の共同生活をする住人と一緒に「何か今迄にないことをやるために助け合う」という相互扶助の考えが最大のメリットであるようだ。ルール作りはゼロから始めなければならない。これまでに誰かが作った形骸化した既成のルールではなく、シェアハウスという空間でこそ効果を発揮する新しいルールを住人自らが作り出していく。シェアハウスに住む者は、個々の価値観の違いなどを越えて、共通の目的に向けて生活スタイルを調整していく力が自然養われている。日々の生活でぶつかる障壁を一緒に乗り越えて行くことは醍醐味であり、楽しい体験でということか。20世紀は終身雇用を保証する会社に頼ったが、今日ではそれは叶わない。ニュースなどで景気の動向などをみれば、そう感じざるを得ない。だからこそ、いま新しいライフスタイルとしてシェアハウスというのが求められるようになったのでは。これは今迄にない生活スタイルであり、ルールはそれぞれの生活を共にするシェアハウス(著者は21世紀型ムラと呼ぶ)の中で作られていく。シェアハウス、一時のブームで終わってしまう以上の可能性がありそう。21世紀の日本人のライフスタイルとしてシェアハウスが定着するのかな。シェアハウスは日本の縮図の様に感じました。面白い。☆☆☆、星3つ!(最大3)
2013.11.06
先人の言葉によれば、暑さが過ぎたこの時期が一番物思いに耽るのにはいい時かもしれないです。『一億人の茶道教養講座』より……武野紹鷗…『侘と云ふこと葉は、古人も色々に、歌にも詠じけれども、ちかくは正直に慎み深くおごらぬ様を侘と云う。一年のうちにも、十月こそ侘なれ』(岡本 p.188)さて、「おもてなし」という言葉がフィーチャーされてますが、本当の意味って何なんでしょうか。茶道の精神の一つに、「おもてなし」の考えが根底に流れいる。日本人らしさを表現しようとすると確かにこの言葉は避けて通る事はできないんですかね。民族と文化、どちらが日本人としてのアイデンティティの根源となってるか。おそらく後者の気がします。茶道を深く知る事は、決して古臭くはなく、新しい事。気になるキーワードの答えもそこにはあるように思います。というわけで、有事に備えて読んでおきたい一冊です。サラッと読めるのがうれしい。 ☆☆☆、星3つ!(最大3)
2013.10.14
先日、大学時代の先輩との酒の席の中に初めて『ゲーミフィケーション』という言葉を聞いた。ゲームの概念を社会の活動に応用する云々…よく分からない…兎に角、画期的なコンセプトだからと薦められた本、それが、井上明人著の『ゲーミフィケーション』。『ゲーミフィケーション』は身の周りに空気の様にあったものを別の角度で見ることで気付く発見でした。ゲームといえばファミコンに代表されるようなテレビゲーム。ゲームという娯楽から今更恩恵を受けるとは思えなかった。が、著者の井上氏は“ゲーミフィケーションは仕事を不まじめに、ふざけてたのしむということではない。人の本性に訴えかけて、人を動かすための仕組みだ” (P.108)例えば、ラジオ体操。夏休みに眠い目を擦りながらラジオ体操へ出かける。体操が終わると葉書大の用紙にスタンプを押してもらえる。夏休みが半分もすぎると相当のスタンプが用紙を埋め尽くす。それなら皆勤賞を狙ってみるか…というような、人の行動動機を向上させる仕組みをゲームは作ることができる。なぜ、今このゲーミフィケーションが注目されているかといえば、ライフログという自分のあらゆる活動がデジタル化、数値化、可視化できるようになったため、より簡単にゲームの仕組みを作れるようになったから。そしてそのゲームはソーシャルメディアを通すことによってより意味や価値のあるものとしてバーチャルの世界へ拡散していく。最近、自分のSNSの価値(戦闘力みたいなもの)を伝えるkloutスコアというものがあるが、当にゲーミフィケーションと言えるだろう。相手より価値がある、また、グループの中で最も数値が高いということを証明することが人の行動の動力となっていく。更に、ゲーミフィケーションはマーケティングの方法も変え始めてます。今まではテレビのCMなどのイメージマーケティングが主であった。メディアが一方的に物語を伝えて、そのイメージをもって人が消費行動を決める手法。それはソーシャルメディアの出現で変化しました。現在はソーシャルメディアの口コミが消費動機を左右する。この次に来るのがゲームであろう。コンプガチャというゲームの仕組みを使って、ソーシャルゲームがユーザの消費感覚を麻痺させ、バーチャルなアイテムに数十万つぎ込むようなことが問題視されるようになった。これが、マーケティングすらゲームによって変化した一端であるそうです。著書を読んでみて、ゲームの力を使って社会に変化をもたらすという『ゲーミフィケーション』という概念は意識しておくべきだし、もう少し勉強が必要だと思いました。決して新しい概念ではないが、新しい視点だと思いました。ソーシャルメディアが成熟した時には凄い威力を発揮するかもしないと可能性を感じます。人の行動原理に興味がある方は是非手に取って読んでみるといいと思います。面白い ☆☆☆、星3つ!!(最大3)
2012.05.19
GWの最中、ちょっと勉強のために本を読んでました。『はじめてのプロジェクトマネジメント』という入門書。色々な動機があって読んだ本ですが勉強になりました。現在、自分を取り巻く色々な物事の中からどのように方向性を見出せばいいのか、沢山のヒントが詰まっている本です。通常、会社などで行われているプロジェクトは割と惰性的、慣習的に行われているが、本当は意識するべき方法論があります。その知恵や知識を纏めたものがプロジェクトマネジメント。プロジェクトして決まった活動から成果を得るためには、共通の意識のプラットフォームを作る必要があります。それが意識の統一が欠ける場合は…プロジェクトが失敗に終わるという活動に関係したすべての人が望まない結果になってしまう。思想の違い、目標や目的の相違、相性の良し悪しがありながらも人は集って一つの活動を実行する。成功させるには?それには綿密な計画、つまりロードマップが必要ということ。プロジェクトマネジメントを学ぶにあたり、著者の近藤氏は『プロジェクトが直面している状況(場面)と、その状況に立ち会っている者の個性(能力)との組み合わせで、対応方法が大きく変わるために、状況の見極めと対応策の決定には多くの経験が必要になる』と言ってます。(はじめてのプロジェクトマネジメントP.6)それならば覚悟して経験を積み重ねるしかないでしょうね。さすれば扉は開かれん。肩が凝りそうなのであとはゆっくりと噛み砕きながら理解することにします。分かりやすい入門書です。 ☆☆★、星2つ!!(最大3)
2012.05.06
映画『マイ・バック・ページ』をみました。今やもっとも売れている役者の2人、妻夫木聡&松山ケンイチ共演の映画。相当期待して見てみました。日米安保闘争と学生運動の全共闘が収束した1970年代前半のお話である。松山ケンイチ演じる革命家に憧れる学生に翻弄される妻夫木聡演じるジャーナリスト。この記者も秘かに自分がヒーローになることに憧れている。その野心に対して会社や社会はそういう人間を求めなくなった時代。そこで、二人の願望が一点で交わる。『一発逆転を狙う』学生革命家は詭弁を用いて時代の寵児に成ろうとする。その実、計画は無謀であり実体のないものだった。ジャーナリストはスクープという実績上げる為に焦っている。だから学生革命家の嘘を見抜けない。結局、この革命に憧れる学生の計画は殺人事件を引き起こし、学生は化けの皮を剥がされる。計画に協力したジャーナリストも嘘の供述に巻き込まれて罪を問われる事となった…嘘がばれた後、『もう少しで嘘も本物になる』というような言葉を学生革命家が放つ、言葉は学生の切実な思いを伝えようとするが、虚無であり軽すぎる…1970年代ってそういう時代だったのだと思う。身を寄せる思想など実はなかった。自分を探すために日本人は大量消費とマイホーム神話の時代へと突入していく。思想が信じられないから、物欲に走った。20年後に妄信も頓挫するが…映画の1970年代はベトナム戦争や学生運動に疲れ切った社会。社会は出来れば早く新しい価値や世界観が表れて安心したいと思っている。しかし、革命という熱狂や興奮を捨て去る勇気がない。その喪失感は堪えがたい痛み。映画は日本人の気持ちがフワフワと不安定の中にどっぷりと浸かっていた時代の物語でした。映画は自体は面白い時代を描いているのだが、ストーリの完成度は今一つ… なぜ?忽那汐里(何て読む?)が演じる雑誌の表紙モデルの役割がよくわからない…このモデルの登場が必要だったのかどうか…というのが謎。妻夫木演じる記者も草食系だし。あれが肉食系だったらストーリの展開にひと波乱あった気もします。 満足度: ☆☆ 良い: ☆☆ 感動: ☆☆ ドキドキ: ☆☆ オススメ: ☆☆ (☆最大5)キャストも豪華だし、物語の素材は期待感満点でしたが…ちょっと期待が外れました。
2012.04.04
本日は三井記念美術館開催中の『茶会への招待 ~三井家の茶道具』展に行ってきました。三井記念美術館は毎年この時期は茶陶の展示を開催します。国宝や重要文化財級の器がみれるのでいつも楽しみな展覧会ではある。が、宝物が毎年増えるようでは宝とはいって重宝はされないのであって、流石に4度目くらいなので見たことあるものばかり…目新しさはなくなってきました…悪い意味ではなく、本物を見ることに慣れてきたということだと思います。予習の時代は終わり、復習の時代に突入です。と、まぁ、実はガラスケースの向こうに眺めるだけで、実際に手にすることは出来ないのですが…さて、今回の見どころはと言えば、やはり志野茶碗国宝『卯花墻(うのはながき)』でしょう。この茶碗の迫力は満点です。日本の国焼きが海外の唐物に勝る美しさを体現した器です。それから、茶入れの大名物『唐物肩衝茶入れ銘遅桜』も素晴らしいです。お茶の世界では茶入れが最上位格の道具になります。もしかしたら…軸かな?勉強します。遅桜は天下の三肩衝と言われた、初花、新田、楢柴に肩を並べる茶入れ。黒光りする器に吸い込まれそう。一見の価値あり。と、色々思いを馳せながら楽しく本日の鑑賞を終えました。いつもなら図録を買ったりするのですが…流石に何度も来ている展覧会なので、図録は要らないなぁ…そこで、こういう本を買ってみました。『茶席で話す英会話』と『英語版 茶道用語辞典』いつかお茶の感動を英語で伝えられればいいですね。これ意外と難しいですよ。ということで、精進します。まだこの展覧会には行ったことが無い、お茶に興味があるという方、是非、見に行ってください。お薦めです。
2012.02.16
時が経つのは早いもので、去年の11月末に薪窯をやってからすでに2ヶ月が過ぎようとしてます。今回の窯入れでは『鬼桶』という水指を作りました。塗蓋をオーダしてして、昨日届いたので、本日初お披露目となりました。塗蓋は5000円…まぁ、稽古で使うには十分な趣になりましたね。この鬼桶は信楽焼に本歌があり、その形は風格があり、ずっと使ってみたい水指でした。もし、雰囲気のある鬼桶を買おうとすれば数万から数十万円はします。それなら出来は兎も角、自分で作ってしまえ。ということで、出来あがったのが今回の作品です。なんかゴッとして男性的な力強さがありますね。私本人が華奢ではないので、このような水指が自分には丁度お似合いかな。鬼桶というネーミングがまたいい気がしませんか。このような侘びた道具を使ってお茶を点てたら、物言わぬ静かな姿がまた心を癒してくれるでしょう。今年は自分の道具を使って野点やってみたいな…野点ご存じの方いましたら、アドバスいただけると嬉しいです。
2012.01.23
酒は緊張を解いて飲むのが一番楽しいと思います。友と杯を交わして飲めば、それはきっと至極のひと時となるはず。それに疑問はない。でも、それだけじゃない。時にはしっぽりと静かに、自分の将来や老後、人生や生死ついて考えながら飲むのもいいのではないだろうか。今年は震災があり、それは日本人、そして日本に住む者、そこに家族がいる者、友が居る者、すべてが今までにない視点で自分の立ち位置を考えた年となりました。当に事変と呼んでもいい事件だったと思います。間違いなく、100年後の教科書にも東日本大震災は記されるはず。震災後は東北復興のために多くの人が尽力し、それは今日も続いている。一つ難癖をつければ、日本という国は予想外に国民には冷たいという事実が発覚したことであろうか…同時に、国民の横の繋がりでは国内外に誇れる国民性が日本にはあると、底力も知った気がします。つい先日、テレビで報道していたが、サッカーのJリーグ、川崎フロンターレは『支援はブームじゃない』というスローガンを掲げて、被災地の復興に力を注いでいるそうだ。そう、支援はブームじゃない。ブームじゃないんです。だから、色々考えて、且、行動に移すことが大切。東北だけじゃなくて、今や日本の在り方を考えなきゃいけない時期なんだと思います。そんな不安で暗雲立ち込める日本の将来に思いを馳せるためには、近しい人と話すのがいいでしょう。そして、形にならなくともその人と思いを共有するのがいいでしょう。酒と肴を囲んで、たまには、熱く、真剣に日本と自分の行く末について語ってみるのもいいのではないでしょうか。今日はいいお話が一つあります。お薦めの酒があるんです。岩手県大槌町の赤武酒造のお酒です。この話は、誰かに宣伝を頼まれたのではなく、東北の人々の魂が一つになった時、目頭が熱くなるほど感動するだと思ったのでお伝えしたいのです。以下、長いですが赤武酒造さんの気持ちをそのまま記します。 …11月27日仕込一本目の上槽、ふなくちから流れる お酒を見て熱い気持ちが込み上げてきました。今年 の「浜娘」は決してきれいなお酒ではありません。 穏やかな香りと口に含んだ「グゥうまい」と感じる 酒、元気なお酒、「ガッツラうまい酒」浜娘 復活 しました。皆様のあたたかい応援に感謝いたします。 この浜娘は赤武酒造の社員が心を込めて醸したお酒 です。悲しいだけではなく、今までにない暖かい人 との出会い、うまく行かない辛さ、喜びが交差しま した。今回の浜娘は、多くの皆様の暖かいご支援に より作られたものだと思います。 私達赤武酒造だけではなく、設備を貸して下さって いる桜顔酒造の皆様はじめ、本当に沢山の皆様の 励ましの言葉やお力添えがあっての浜娘なのです。 12月15日の発売に向けて、またさらに頑張って いきますので、今後ともどうぞよろしくお願い いたします…赤武酒造では地震で酒蔵は倒壊、お酒を作る杜氏さんも津波にのみ込まれ命を落としたそうです…一旦は廃業も考えたそうですが、周囲の応援の声を聞いて、もう一度立ち上がり、酒を造ることにしたそうです。暖かい支援に感謝しながら、同時に上手く行かないという複雑の思いこそが、まさに今の被災者の気持ちなんじゃないでしょうか。そして、それが一つの形として結実したのが『浜娘』なんだなぁ。一口いただくと、雑味がありながら、それが酒の美味しさを邪魔しない酒という気がします。ガンバっぺと「ガッツラうまい」が今の東北の心意気。心に染みる酒。色々な支援の方法があると思います。でも、支援もお互い様、東北人の勇気をいただきながら、東北の復興を応援するのもいいのではないでしょうか。あまりにいい話だったので、本日の感動と自分の気持ちを纏めて、書き残してから、眠りたいと思います。縁も所縁もないのですが、赤武酒造の『浜娘』、応援していきたいですね。皆様も縁がありましたら、是非、一口でもいただいてみてくださいね。
2011.12.21
六本木の泉屋博古館分館で開催中の『数寄者 住友春翠と茶』展を観てきました。自分の好きな茶陶の展覧会で、夜勤明けの眠い目を擦りながら、また、行きがけの電車で居眠りをこきながら美術館へ到着。六本木の泉屋博古館分館は日本の一等地にあるので、周りは高層ビルに囲まれています。当に日本経済の中心に侵入した感じがします。コンクリートジャングルともいうか…さて、展覧会ですが、今回の見どころはなんといっても小井戸茶碗の『六地蔵』。茶陶を扱った図録などには頻繁に顔を出します。実物も小ぶりではあるが、実に迫力のある豪快な茶碗であります。所々に長石釉が塊り、梅花皮(かいらぎ)となっている。井戸茶碗の見どころである高台周りにも白濁した立派な梅花皮が取り巻いてます。高台はそれほど高くはなく、見込みも深く鋭角に入り込んでいるので、底部分は程よい土の厚さでそれほど重くないと思われる。大きさも、丁度手に馴染みそう。汚れた茶碗を汚いと避ける人もあろうが、このような侘びた茶碗で一服をいただけば、きっと気分爽快であろうと思う。薄暗い茶室で試してみたい…が、そんなことは許されるわけないですね(笑)その他、黄伊羅保茶碗や瀬戸肩衝の茶入れなども垂涎の的である。まぁ、欲しいという貪欲さが骨身に染みては好いお茶は点てられないだろう。好い物を見て、眼力を養うに留めようと思います。でも、この展覧会では好いものを見れました。お茶をやられる方は、是非、行って欲しい。展覧会の会期12月11日までと、残り時間は少ないので、興味のある方はできるだけ早くに観に行きましょう。
2011.12.07
先日、出光美術館で開催中の『長谷川等伯と狩野派』展を観に行ってきました。長谷川等伯は安土・桃山時代、つまり戦国時代の画師であり、時の権力者である織田信長や豊臣秀吉、千利休なんかの要望で襖絵や屏風絵を描いたそうです。写真は入場券の半券に描かれた虎。この展覧会でも一つの見どころとなっています。巧い、今にも画から飛び出しそう…と手放しで称賛したいところなんですが、如何せん自分の絵を鑑賞する力がないために、『何がどう好い』と説明することができない。『構図が面白い』と一言で片づけることもできなし、『筆遣いが素晴らしい』とも正直思わなかった。つまり、判断する基準が自分の中に備わってない。日本画というのはなかなか難しい。逆に印象派やゴッホ、ピカソの時代の画の方が、時代背景を勉強した分、画家本人の作風を身近に感じることができる。日本人としての辻褄が合わない…やはり時代背景を知り、長谷川等伯や狩野派の画家が何を求められて画を描いたのかもう少し知っておく必要があると痛感しました。完敗です。そうは言っても、何一つ感動が無かったわけではなく、等伯の屏風に描いた竹が凄くいいなぁと思いました。強い筆運びで描かれる点前の竹、かすれた薄墨で描かれた奥の竹、そこは距離感が生まれます。最近流行りの飛び出す3Dではなく、画に吸い込まれるような奥行きのある3Dの世界。これぐらいは分かったぞ…と、まぁ、何事も本物を見ることから始めるために展示会巡りをしている訳で、自分の弱点を知れたことは大きな収穫であります。孫子曰く、「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」であります。日本画の好きな方、戦国時代の華麗さから元気をもらいたい方、お薦めの展示会です。展示会は12月18日までです。是非、足を運んでみてはどうですか。
2011.12.07
11月17日はボジョレヌーボの解禁日。始めて0:00をカウントダウンして解禁時間を待ちました。 ボジョレヌーボといえばバブル時代には空輸されてきたワインボトルを解禁日に一斉に栓を開け、馬鹿騒ぎしながら飲んでいる報道をよくみたっけ。 最近は当時の勢いはないようですね。 でも、実は今ぐらいの話題性の方が本当の意味でワインを落ち着いて楽しめる感じがしませんか。 ボジョレなんて…今更… と言われることもあるらしいのですが、本当はボジョレヌーボを飲むことにはもう少し深い意味があるんだと教えていただきましたので紹介したいと思います。 ボジョレヌーボの解禁は天と地の豊穣と収穫の祝い、それから自然の御加護を祈る日なんだそうです。 そう、つまり収穫感謝祭。 だから、この初物を楽しむイベントの意義は決して薄れないんだそうです。 ワインだけは醸造工程で水を足すことなく作られるお酒。 本当に天の雨と太陽の恵みが結実して出来上がった自然からの贈り物なんですね。 毎年生まれ変わるっていう信仰は日本人も持ってます。 正月には新年を祝いますね。 ヌーボーは初摘や初物という意味ですが、言わば新しく生まれ変わる生命をのお祝いという事。 皆さんも、是非、新しい生命と輪廻をお祝いしましょう。 尚、ボジョレヌーボは初物だといっても、早く飲んでしまわなくてもいいそうです。(ソムリエ談) 空輸、輸送などでワインが驚いているので、一週間位のおいた方が成分が安定し味が落ち着くとのこと。 だから12月に入ってからの方が、より美味しいボジョレが楽しめるというのを教えていただきました。 是非、お試しあれ。
2011.11.16
今日、iPad2を買いました。スティーブ ジョブズの置き土産。これを使いこなせるようになる事が、これからの生活の質を向上させる鍵になる予感がすします。これからの時代に求められる能力とは、人を巻き込んで物事を進めていくコミュニケーション能力だそうだ。つまり、いかに効率良く人と繋がれるかという人間力を試されているわけです。その能力を磨き続けることが、きっと自分のやりたいことを実現する力となるんじゃないでしょうか。自分自身を教育し続けることが大切で、新しいスキルや技術を身に付ける挑戦は続けなきゃならない。まだ老け込むには早いですね。ジョブズのメッセージにあるように、Stay hungry!で貪欲にiPadを駆使できるようになりたいと思います。現実は厳しく世知辛いのも分かってますが、iPadを使って鼻歌でも奏でながら、時代の波を乗り越えて行きたいものですね。
2011.11.13
先日、畠山記念館で開催中の『茶人畠山即翁の美の世界』を見に行ってきました。茶碗柿の蔕『毘沙門堂』が展示されるというので、数か月前から展示会を楽しみにしてました。茶室をイメージしてるのか館内は少々証明が暗い。記念館の中の静けさと相まって、緊迫が押し寄せる。息を殺してガラスケース越しの茶碗に見える。その薄暗い照明の下に存在感のある毘沙門堂がそこに鎮座してました。人は時に雑踏を好み、人中に混じることに落ち着きを感じます。でも、そこには人の間に絶えず摩擦が生じ、ストレスを感じる。きっと、たまには絶対的な静けさが必要な時が来ます。絶対の静静けさの中に身を置いて、命の洗濯と精神状態をリセットしましょう。茶室こそが日本人が発明した絶対の静を製造する装置かな。茶室が作るその静けさの空間で、飾りのない毘沙門堂のような茶碗で一服のお茶をいただくと、一瞬で爽快な気分にさせてくれるのではないでしょうか。千利休の求めた侘び茶の世界とはそういうものじゃないだろうか…そんかことを感じて展示されいる品を拝見しました。展示数は少ないので、30~40分くらいの鑑賞でお腹一杯になると思います。ただ見どころは沢山あります。伊賀の花入れの『からたち』もいいし、赤楽茶碗の『早船』と利休が書いたとう添え状。是非、芸術の秋、落ち葉が降る中をひっそり佇む畠山記念館を訪ねてみるのも中々よろしいと思います。開催は12月18日(日)までです。
2011.11.11
今月の24日から27日に恒例の薪窯を焚きに行きます。その一大イベントに向けて作品を色々作っております。今日は香合を作ってみました。お茶の稽古も今度は炭点前を教えていただけるそうです。つまり、この香合を使う機会がありそう。さて、話は変わりますが最近は地元の町興しの活動に参加しております。それで、同級生の友人とよく顔を合わせるのですが、彼は地元の酒屋さんで、つまり事業を切り盛りしている人。こちらは牙を抜かれたライオン、『ガオゥ』と鳴いてはみても結局は飼い慣らされた猫みたいなもの…しがないサラリーマン…立場は大分と違う。酒屋や自分の事業を切り盛りするのは確かに厳しい現実はあるようだ。でも、その立場の違いを見ることが凄く勉強となり、刺激となります。自分は良いアイデアは溢れる程出てくるが、中々実現できない。サラリーマンをしているとついつい後回しということになるから。無為の方が幸が多い…行動を取ることのリスクを避けたい…なんてのが主な理由か。これじゃいけないと思っていても中々、悪い習慣や行動、試行が変えられない。なぜ?というジレンマ。酒屋の彼を見ると答えが見えてきます。彼(実は彼の姉さんも凄い)は自分で何でもやる。営業も、広告も、起業も…あらゆる道具やツールを駆使して、自分のアイデアを現実化する。新しいスキルなんては、身構えて学ぶものではなく、武器を駆け足をしながら拾って行くという感じ。上手くいく事ばかりではないが、それでも前進はする。自分にはそういう生き方が求められていると感じます。机上の空論、絵に描いた餅…それではダメなんです。というのを、最近ヒシヒシと感じております。今日はそういう感動を書き記しておきたいと思います。
2011.11.08
ネットサーフィンをしていたら面白そうな本がありましたので、早速読んでみました。漫画家でご意見番としてもちらほらテレビに顔を見せる黒鉄ヒロシさんの『千思万考』です。高知出身の方で、下のような漫画を画かれてます。まぁ、高知といえば土佐藩の坂本龍馬ですね。黒鉄ヒロシさんが歴史に興味を持ったのは、坂本龍馬に実際に会った曾祖母の話をきいたことが切っ掛けになったそうです。さて、著書『千思万考』自体は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、坂本龍馬、西郷隆盛、宮本武蔵など、36人の歴史上の人物を取り上げ、できるだけ今までスポットの当たらなかった側面から人物評をし直してます。どちらかというと、歴史に興味を持ち始めた初心者向けの読み物といえるでしょう。それぞれの人物のところで、黒鉄さんの毒やスパイスの効いた挿絵があり、著書の見どころとなってます。著書中の坂本龍馬の件では、龍馬の人を引き付ける魅力や人脈を作るためのコツについて書いてあります。リーダに求められる素養とも言い換えられるかもしれません。1.予測性の強さ2.度量の大きさ3.アイデアマン4.思考の柔軟さ5.バランス感覚6.私欲のなさ7.生への執着の薄さ8.人運(黒鉄ヒロシ『千思万考』P110)以上が人を魅了する要素。簡単そうでやはりすべてを揃えるのは難しいですかね。黒鉄さんは、以上を踏まえて、自己犠牲の精神こそが人脈を作るコツだといいます。自己犠牲で人と付き合いをすれば、必ずや人との関係に疲れ、ストレスが溜まってしまいそうですが…いつでもニコニコ笑顔ではいられないですからね。では、なぜ坂本龍馬は人から求められ、偉業も成し遂げられたのでしょうか。明治維新を迎える前に暗殺されたので、成し遂げたという言葉は適当ではないか…著者は坂本龍馬はヒトが好きで、ヒトで遊べる才能があったから、飽かず人を魅了することができたのだといいます。なかなか深い考察です。自分の生活にも置き換えてみる必要があるでしょう。ヒトで遊ぶ余裕…そんなものが生まれるのか。からかうのとは全然違いますね。絶えず人を楽しませる仕掛けを提供するということでしょう。無尽蔵に出てくるアイデアがないとだめということかな。また遊ばせてあげるために受け皿がないといけませんね。それは精神的にも物理的にも相手を受け止める器ってことかな。かなり得難い才能ですが、ダメで元々挑戦してみたいものです。と、いうわけで歴女の方、これから、歴史を勉強したい方、経営などに興味がある方にはお薦めの一冊です。初心者向けですので☆★★、星は一つ。
2011.10.11
秋の夜長は読書が進みます。人生は一度流れに乗ってしまえば楽に生きられる。親にしてみればそれを願って良い高校、有名大学へ入れと躍起になる。だが、今日、レールの引かれた安全な列車への切符を手に入れることが出来れば安泰かといえば、実は時代は相当想定外のことが起こっているようです。勿論、切符を手に入れられなかった自分をそれほど残念がることはない。そう、発想の転換をすれば、険しい茨の道も楽しい道中に変わるかなぁなんてなことを考えながら、閃いた言葉『逆転の発想』。今回、面白そうと手に取った本が糸川英夫著『逆転の発想』です。糸川さんとは、宇宙探査機はやぶさが着地して調査した小惑星イトカワの名前の由来となっている日本ロケット開発の父、糸川英夫さんことです。なんとこの本はオイルショックの頃に書かれた本です(驚)。ということはアラフォーですね。自分が丁度この世に誕生した頃です。じゃあ、ロケットのことや科学のことが書かれている難書かというえばそうではなく、糸川さんが宇宙開発事業を離れた後に、熱心に研究した組織工学についての著書です。日本の社会や組織の実態を分析して、論理的、科学的に未来を予想し記した本ですね。ただこの予想が、予言?と思えるくらい当たっているので、人智を尽くせばこれくらいの科学的な見解が出せるものかと感心してしまいます。先ほども述べたとおり、1973年のオイルショック時代から2000年までの約30年を予報しているわけです。つまり、今では事実とすり合わせて検証もできるんですね。たとえば、『原子力発電所の挫折』というくだりでは、原子力の平和的利用は2000年以降であると予想しています。その部分を少々長いが引用してみます。『核分裂による原子力発電は根本的にムリがあり、技術は放射性廃棄物の問題を解決し得ないだろう。ウラン二三五とウラン二三五をぶつけてエネルギーを得る方法は縫い目のほころびているお手玉を作るようなもので、縫い目から放射性廃棄物がポロポロとこぼれてしまう。これを完全に縫い合わせることは難しい。核分裂は爆弾としてはすばらしいが、平和利用には不向きであり、平和利用は核融合が完成するまでおあずけ。それは2000年以後だろう。』(逆転の発想 糸川英夫 P198)2011年の東日本大震災と津波については書いてませんが、原子力の技術が不完全であることは見抜いていた。そして、同時に地球環境を汚さない太陽エネルギーや水素を使った燃料電池についての実用化の必要性を熱く語っている…そういえば、福島原発の事故以降、ソフトバンクの孫さんが太陽光発電の関するメガソーラー事業計画を発表したのも記憶に新しい。原発を縫い目のほころんだお手玉と表現しているのが鋭いと思いました。まぁ、実際にはほころびどころか、破けて中身が飛び出してしまいましたが…それから、必ず高度成長期の経済方針は行き詰ることも論理的に解説しています。行き詰まり現象が顕在化してくると、社会での疎外感が問題となりうつ病増えること、不景気になり消費意欲が不満になることや社会の閉塞感などを予想してます。そもそも近代とは工業化で幕が開け、『都市は工業の組織の一員になるための兵士たちの駐屯所』であり、『個人の能力や勇気が価値を低めて、組織の中でしか価値を見出せなくなる』と、正に今の生き難い時世を写し取って書いているかのようです。(同 P.103)この工業化は糸川さんの考えでは1985年ごろまでに終息を向かえ、2000年頃には個性の時代がおとづれるであろうと予想しております。今日では、未だ工業化時代の悪癖が末期症状として残り、個性の時代は到来してはいない気がします。糸川さんの予想が正しければきっと個性の時代は近々やってくるでしょう。そして、新しい時代では人は工業化で失ったものを取り戻すことに価値を発見して、新しい社会を形成するといっています。失ったものとは自然だそうです。確かに人は自然から離れてしまった。だから、今度は工業化の産物と自然のいいところを取った生活を目指すだろうと…ロハスとかですかね。その時代のシンボルはコットンのGパン(デニム)なんだそうです。工業と自然の融合。なるほどねぇ。今でも人気ですね。少々長くなりました。ただ、なかなか鋭い指摘の連続で『へぇ~』と感動の連発でした。最後に、『逆転の発想』でもっとも感動した糸川さんの指摘は、『自分は、だれかほかの人の為になにか役に立つことがあるのではないか、という発想。これが、人類の集団として生きていく原点』(同 P116)というアイデアである。自分もそうだと思います。人の役に立てればすばらしいし、それは幸せでしょうね。随分古い本ですが、機会があれば是非、是非、手にとって読んでみてください。☆☆☆、星3つと小惑星イトカワ1つ!
2011.10.09
本日は千葉市美術館開催中の『浅川巧生誕120年記念 浅川伯教・巧兄弟の心と眼―朝鮮時代の美』を観てきました。お茶の世界では千利休の侘び茶創成期の以前より高麗茶碗は主役であった。戦国時代、大名といわれる武将たちが大名物といわれる茶碗や茶器を喉から手を出す様にして求めた。茶器によっては国一国、城一城の価値があったそうですよ。高麗茶碗とは朝鮮半島や中国の大陸から渡って来た器で当に垂涎の的であった。その高麗茶碗も日本が近代に入るとその人気が一時的に陰る時期が来ます。日本は戦争に向かい暗い影が射す時代、浅川兄弟が朝鮮半島に渡り陶磁器を研究した事が復興に礎となったそうです。人生を賭けて自分の思いを追い続けるなんて、昭和初期にはなかなか気骨のある人がいたものですね。過去に千葉で開催されたどの展示会よりも素晴らしいものでした。見応えのある朝鮮の陶磁器が見れますよ。あの茶碗でお茶をいただいたら、きっと至福のひと時になるだろうと思います。まぁ、千葉市美術館は人も少ないのでストレスなく展示品を鑑賞できますしね。もう秋の足音が聞こえてくる頃、芸術の秋に足を運んでみてはどうでしょう。
2011.09.11
お茶を始めてから、美味しいと一服をいただける茶碗が欲しいと思うようになった。あまり派手な茶碗は趣味ではない。どちらかというと、侘び茶に合うような、見た目は薄汚い器がいい。お茶は緑。深い緑…そのお茶を眺めてからいただくと、深淵を覗き込むような感覚になる。そうすると、やはり綺麗でピカピカの茶碗(それはそれでいいのだが)より、土味の強い茶碗の方が自分の感覚ではしっくりとくる。そういうことを色々模索している内に伊羅保の茶碗にぶち当たった。実際はYahooオークションでいい茶碗ないかなぁと物色してたんですが…(笑)それで、『オッ、これは』と思った茶碗が『朝鮮茶碗と私』の森田統さんの伊羅保茶碗。字を十雨というそうです。で、茶碗には入札してみたのだが、落札額はもの凄い金額になり、自分の懐事情では手がでませんでした。確か落札額は9万…市場の適正価格は12~13万円くらいみたいです。そのオークションで森田十雨氏の著書の紹介があったので、早速、読んでみることにしました。こちらも中古でも結構値がはりました…さて、『朝鮮茶碗と私』ですが、これは陶芸でプロを目指す人は必ず読んで欲しい一冊です。陶芸家になるためにはどんな苦労があるか、またどんな喜びがあるのかを、熱く語ってくれます。逆に陶芸家を志すのを尻込みしてしまうかもしれないです。それくらい陶芸を極めるのは厳しいってことですね。ただ参考になることも多く、何が朝鮮茶碗の見どころで、森田十雨はどのようにして茶碗を作り出したかの仔細を記録してくれてます。本物の朝鮮茶碗を求め、伊羅保、ととや、柿の蔕の茶碗を全国中を見て回ったり、何百の名碗を拝見し、覚書を作ったり。この貪欲さ…必要ですね。それから荒目の土で轆轤を引いて、指先の皮が擦り切れて出血したエピソードや、茶碗がちょうど炎の中で程よく崩れる工夫なんて、森田氏の何十年の研鑽を惜しみなく披露しています。なんでそんなことができるのか…それは単に森田十雨の自信の表れだと思います。小手先の技術を真似しても本物にはならない、やれるものならやってみなと、他の陶芸家への挑戦状なんでしょうね。そして森田十雨は彼自身まだまだ本物の朝鮮茶碗は作れていない、だけど自分はそれを超える茶碗を世に残したいと高らかに宣言する。凄いなぁ…苦労の裏打ちがあるから、そんなこといえる。作品そのものが森田十雨になっているんだと思います。作品に自分が滲みでるってのは、陶芸をやっているものとしては、まぁ夢ですね。森田十雨の本物の茶碗は手に取ってみてませんが…いつか見てみたいし、お茶を一服いただいてみたいですね。残念なのは、1983年に『朝鮮茶碗と私』を出版し、集大成の作陶に挑むと宣言してから3年後に、森田十雨は亡くなっている。まだ63歳…陶芸家としてはこれからが活躍する時期であった。本人も相当に無念であったろうと思う。彼の意志は実現したのか…これ以外の書籍を知らないので、どうなったか答えは藪の中である。さて森田十雨のような高きを望むのは腰が引けるとして、陶芸の巨人に強い重力を残していただいた、その雰囲気を感じながら、作陶できるのは大変幸せで、且、安心である。すべての方にではないですが、一読をお薦めします。☆☆☆、星3つ!
2011.09.05
職場の方から強く薦められた本が『払ってはいけない税金』です。陶芸なんてのをやって、段々とやっていることに目鼻がついてくると…やっぱり自分の窯を持ちたいとか、陶房やスタジオを作りたいっていう夢というか願望が沸々と沸いてくる。と、まぁ、実際に実現するかどうかは別の話として、やはり成功のカギはお金…$ってわけです。先立つものがなければ、夢へ向かう資格すら得られないのです。と、私の職場の人が思ったのか、この本を読んでみなよと強く薦めてくれました。この本の要は以下ある。サラリーマンとして得られるサラリーは給与所得では、通常は源泉徴収といって会社側が納税の手続きを行ってくれる。勿論、必要な控除を会社に申告して納税する分から引いてもらったり、多く収めた分は還付してもらう。この方法だと、節税するための攻略法は殆どない。正攻法で攻めるのみ。この『払ってはいけない税金』は副業をもっていたなら、是非、事業所得として納税する方法を節税の裏ワザとして教授している。つまり、事業主となって、副業の赤字は納税するものから差し引いてもらおうということである。上手くすると税金を納めなくてもよいということになる。つまり無税…やはり、会社に守られているサラリーマンより何だかんだ自分で頑張っている事業者には配慮というか、節税対策の権利が与えられているようですね。簡単に…まず、所轄税務署に開業届を提出し、事業主となる。私なら仮に陶芸家としましょうか。そして、事業主として事業所得を確定申告する。勿論、名の売れた作家ではありません、器を売って陶芸だけで食べていくのは…無理…ということで、心もとないのでサラリーマンを続ける。自営の仕事をもっている以上は確定申告をします。自らが確定申告をすると事業運営で得た収入は(20万以下なら納税申告の必要なし)税金の対象となります。が、ここでのポイントは黒字だけではなく赤字も税金の対象となるわけです。事業主は損益通算を使って、課税対象の収入を申告ができるのです。つまり、サラリーマンで得た給与所得の黒字から、副業である陶芸の大赤字を相殺することができ、結果的に納税額がゼロになるかもしれないという話。もし事業ということになれば、事業の必要経費は控除されることもあるそうです。自宅をスタジオに使えばリフォームの半分は事業の収支として控除申請も可能というわけです。まぁ、実現性はともかく…知っておくべき知恵だと思います。事業…副業を持った方が節税できるなんて想像もつかなかった。時間が十分にありますので、もう少し節税の勉強してみるのもいいかもしれない。副業を持っている方、事業を起こそうという方いましたら一読をお勧めします。☆☆★、星ふたつ!
2011.08.02
金盛哲二氏の『“好き”を仕事にする本』という本を読んでみました。約200ページの本ですが、何と数時間で読破です。それだけ、読むのが苦になら無かった。もう少し若いころ…って20代の頃だったらハウツー本とか、起業について強い関心があったんで正規の値段1400円でも、興味があれば買ったかもしれない…もう30代も後半アラフォーの入り口が確り見えてきた状態で、今更この手のタイトルが付いた本を買うのは普段ならありえない。ただ、ディスカントで半額以下…且、著者の金盛哲二さんという方は千葉の佐倉で同県出身者だった。とうことで、読んでみました。まず、著者は趣味起業は、一般人が想像する起業に対するリスクや困難さはないということ。『俺、起業しようかな…』という言葉に対する周りの反応は、概ね『失敗するにきまっている。止めとけ』というものである。著者ももちろん、そのような体験はしての上で、なお起業を勧めるのである。なぜ?それは、趣味起業は楽しいから。それならば誰でも趣味を仕事としてできるかといえば、そんなわけはない。現に失敗している人がいるから、周りが忠告するわけで、誰もが家族や知人の不幸は望まないですね。金森さんの話を纏めると以下の条件で起業ができるというなら、趣味起業をするべきたということだと思います。1.既存の業界で起業しない。2.既存の商品で起業しない。3.既存のものにはない手法でビジネスモデル を描くことができる。 (業界内で業種がかぶりらない/隙間)4.趣味の好きとビジネスは違うと 分別が付く5.描いたビジネスモデルを確り検証できる。6.インターネットを駆使する (設備投資などを最小にする)7.起業した仕事の業績が軌道に乗る まではバイトでもなんでもして凌ぐ以上だそうです。金盛さんが例に挙げているラーメン屋さんの話はとても分かりやすかったです。ラーメン屋さんは参入者がすでに相当数あり、ラーメンという商品はカブリまくって、価格の競争が起きてる(上記1&2)ラーメンを提供することがラーメン屋のアイデンティティーではあるが、それ以外の手法で業界に食い込む知恵がある(上記3)ラーメンを食べるのが好きなことと、仕込みなど、ラーメン屋を経営するのが好きなことは違う(上記4)以上の4項目が大体自分が好きな趣味で起業するかどうかの背を分けるところでしょうか。項目の5、6、7については、起業をするにあたって乗り越えなければならない試練ですです。つまり、本当にやりたいことでビジネスが成立するのか冷静に検証する。折角起業しても、経営が自転車操業になっては趣味起業としては楽しみがないので長く続けられないし、だんだんと『本当にやりたかったこと?』と当初の考えとズレが出る。終いには不安になり、自分に対して疑心暗鬼になってします。ビジネスとう小舟を漕ぎ出したら、船頭さんがブレるってのはまずいですよね。それから、自分の撒いた種が芽を出して収穫できるようになるまでは、どうしても多少の時間はかかるもの。バイトでもなんでもして、今の生活を投げ捨てでも、ビジネスが成功するまで頑張る覚悟と勇気を持つ。前半と後半の項目を達成できれば起業できるかもなぁ。と、まぁ、これは当たり前の指標であり、特別なことではない。そこで肝心要とは何か?金盛さんは、自分が消費者だった時、何に不便を感じたのか、何が問題だったのかってのを確り考えることが大切だといってます。自分の好きな趣味なら、苦労なくそれを考え、問題点を検証し続けることができます。そして、もしもう少しこれをこうしたら…っていう答えがでたら、それをビジネスモデルに加えること。誰かが書いたモデルではない空白の部分を埋めるイメージが湧けばきっと趣味企業は成功しハッピーなものになる。以上が、本についてですが、自分の立場に置き換えて考えれば、やっぱり趣味起業は魅力的。趣味の陶芸、茶道は大好きで、一生やっていけそう。それならば、やってやらねばと感じます。元気や勇気がもらえる本ですよ。☆☆★、星2つ!
2011.07.27
前日の『最強マフィア…』の日記が随分と物々しかったんので、更新がてら癒し系の茶碗を掲載します。棚の上は赤楽茶碗です。緑のお茶がよく映えるいい茶碗です。自作で作りました。まぁ、焼成は先生の技術ですが。なかなかお気に入りの器です。
2011.07.25
タラリタラタラタラタラリ~♪(♪ゴットファーザーのテーマ)この写真の方、怖いですね。実際過去マフィアの幹部だった方で、マイケル・フランゼーゼという人です。コロンボファミリー所属…今は足を洗って堅気になられたそうです。そのフランゼーゼ氏が書いた本『最強マフィアの仕事術』を読んでみました。勿論、最強マフィアってタイトルに惹かれて…マフィアといえば、映画ゴットファーザですね。あれは不朽の名作です。そのマフィアの世界のビジネスのルールを書いたのが今回の著書です。別にマフィアになりたいわけではないですが、混沌としたご時世ですから、この世を渡っていくためのヒントがあるかと思い著書を手にしたわけです。さて、マフィアの仕事と一般的なお仕事とはどこが違うのでしょうか。仕事でミスを犯しても命まで取られると思って働いている方はいませんね。マフィアでは度重なる失敗は死を意味します。特にファミリーといわれる組織の名誉を傷つけた場合は即死をもって償わされます。と、こんな話は日常ではあまり遭遇はしないでしょう。現実味無しです。面白い話はマフィアではシットダウンと呼ばれる会議あります。『まぁ、座って話そうや』ってやつですね。記憶は定かでないのですが、映画『レオン』でレオンのエイジェントがシットダウンでボコボコにされるシーンがあったと思います。つまり、超真剣な話し合いってことですね。命のやり取りがあるので、相当に準備し覚悟を決めてシットダウンに臨むそうです。なるほど、それだけの真剣勝負なら嫌でも交渉力つくかなぁ。それからマフィアは特別な世界観をもってビジネスに臨みます。それはマキャベリの『君主論』が指針となってるそうです。マキャベリの考えでは、目的が手段を正当化します。つまり成功を得るためにはどんな手段を使っても構わないということ。ライオンの勇猛さと狐の狡猾さを持っている者こそがマフィアの権力の階段を上り続け、ついには権力を手中に得ることができるわけです。その二つを持たない人間は、大体、階段を上っていく間に命を落とす。ここでいう権力とは『財力+金』です。じゃあ、この権力を手に入れると本当に幸せなのか?フランゼーゼ氏はマフィアのボスになったとしても決して人間らしい幸せを得られるわけではないといいます。映画ゴットファーザでもアルパチーノが演じたマイケル・コオルレオーネが最終シーンで孤独で不幸に死んでいきました。少ないが幸せだった瞬間を走馬灯のように巡らせながら死んでいく。そうマフィアは幸せじゃない。だから、著者は人はやはりマフィアように生きるのではなく、誠実に生きることが大切なんだといっています。そしてマキャベリの思想に対してイスラエル王国のソロモン王の言葉を挙げこういいます。『正義と愛を追い求めるものは、生きがいと豊かさと名声を得る』(p.165)生きがいがある人生こそが幸せな人生でしょうね。と、すべてを纏めると、真っ当にそして誠実に生きなさいってことですね。これを話すのに一冊本を書いたようです。マフィアの世界を垣間見れるのは面白いですが、特別な世を渡るコツは書いてないと思います。ということで、☆★★星一つ!なんて…
2011.07.23
今日は台風が過ぎ去ったせいか、大分と涼しく過ごしやすい日ですね。ということで、職場のある門前仲町から丸の内まで歩いて、開催中の『もてなす悦び~ジャポニスムのうつわで愉しむお茶会展』を観てきました。近代ヨーロッパで一時大ブームになったジャポニズムが今回の展示会のキーワードです。ジャポニズムといえば、モネを代表する印象派、それからゴッホなどに影響を与えた一大流行ムーブメントです。アールヌーボーの巨匠ルネ・ラリックやエミール・ガレなんかも日本の浮世絵や陶磁器を取り寄せて作風に活かしたなんて話は有名です。記憶に新しいWBCの侍ジャパンや女子サッカーのなでしこジャパンよりもずっと前に日本が世界の話題をさらったこともあるんですね。でも展示品を見ての感想は、『う~ん』と眉根を寄せてしまうよな複雑な印象でした。アートとして考えれば確かに『あり』です。ただ、日本男児としては、こういう風にしか伝わらないのか…という少々残念な感じがしました。批判を恐れずにいえば、ジャポニズムとは塀に囲まれた家の外からどうにかこうにか中を覗こうとして、小さな穴から一方的に塀の中のストーリを描こうとした努力の結晶という感じでしょうか。分かり難い…?得られる情報に制限があるとやはり伝わりやすいところから伝わってしまうということでしょうか。合コンでの第一印象…みたいなもので、相手の本質を知ろうと思えば、じっくり時間をかけて欲しいなぁという感じですかね。アメリカ人に日本の印象を聞けば、いまだに侍、芸者、忍者なんていう人いますよ。日本人にしてみれば、江戸時代かよっ…と突っ込みたくなる。ジャポニズムは日本の第一印象が西欧に初めて伝わったファーストインパクトだったわけですね。そういう意味では素材は面白い展示会かな。ただ、それほど感動はなかったなぁ。ただ、ジャポニズムから150年ほど過ぎた今、本当の日本の良さ、日本人の素晴らしさを知ってもらうよう活動していきたいなぁと沸々と熱い気持ちが込み上げてきました。宿題としては『では日本人の良さって?』いうのを勉強しないとんですね。なかなか答えに辿り着きません。展示会場の三菱一号館美術館は東京駅の真ん前で、拝観料は1200円とやや高めです。推薦はできないですが、時間とお財布に余裕がある方は見に行ってもいいと思います。
2011.07.22
花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき 林 芙美子と、そんなことを考える刹那ですね。苦しことがあるからこそ、命の輝きがより美しく感じられるってことですかね。花入れはアメリカで陶芸始めた頃のウイスキージャグです。寂びた感がいい感じです。
2011.07.21
先日、パナソニック電工汐留ミュージアムで現在開催中の『濱田庄司スタイル展』に行って来ました。濱田庄司といっても陶芸に興味がない方だとピンとこないかもしれないですね。北関東ではお笑いのU字工事さんが大分と有名になりましたが、それより前は濱田庄司が一番有名だったんです。と、芸能界とは畑違いですが…関東で陶芸といえば益子、そして、益子といえば濱田庄司なんていわれていました。そう濱田庄司は近代日本陶芸の巨人、そして人間国宝に初めて選ばれた方です。日本の宝です。宝なので本物は持ってませんが、写真のような大皿が作風としては有名です。アメリカにいる時も『HAMADA!』という名前はだけは相当に鳴り響いていました。陶芸の仲間の間だけですが…さて、今回の展示は、彼の作品展示会ではなく、実は濱田庄司の世界観や思想の方がテーマになってます。では濱田庄司の何が凄いかといいますと、高価な美術品にではなく、日用雑器の中にこそ用の美があり、名も知れない職人の手仕事の中に美を発見したことなんです。彼自身は勿論、陶工として用の美を体現するために作陶に励んだそうです。また世界中から民藝品を集め、民藝運動の旗手となりました。つまり、サンプルを蒐集して、これが本当の美しさだよと示してくれたわけですね。もし、興味があれば、東大駒場前にある日本民藝館を訪ねてみるといいと思います。濱田庄司の作った世界、空間を体感できます。展示自体は汐留ミュージアム恒例のコンパクトに纏まった良い展示会となってます。まぁ、見応えも少ないのですが…大体40分くらいで全部観てまわれます。ということで、時間がある方、是非一度濱田庄司の世界に遭遇してみてはいかかでしょうか。暑いので、鑑賞の後は銀座のビアガーデンでゴクゴクとビールを一杯やって喉を潤すのもいいですね。
2011.07.20
松本龍復興大臣が辞任しました。おそらく現在の日本政界には、この人に日本の舵を任せたいという人材はいないのだと痛切に思う。重責を任せられてもそれを担うだけの人間性がない…幕末、明治維新の頃、表舞台で活躍した志士たちを描いた伝記や物語は今でもよくドラマになったり、読まれたりします。俺もああいう生き方がしたいと、人生の指南書となることも多いのではないでしょうか。坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作、例を挙げればきりがないです。でも、次に近代日本の創世記について見聞を深めようとか、偉人の伝記を読んでみようという方いましたら、お薦めの一冊があります。津本陽氏の小説『渋沢栄一』を是非読んでみましょう。現在の日本は太平洋戦争の戦前、戦後で価値観は分断されていると思います。戦前は明治の創始者方の強い意志を体現した社会だった。もちろん、社会には不条理も溢れる理想郷ではなかったはずです。でも、ゼロから始めた社会創りを担った人は背骨がピンと伸びた気概のある人間だったのではないでしょうか。特に渋沢栄一は近代日本のマスタープランを書き上げた人物で、彼がいなければ、日本はおそらく、北朝鮮の様な専制的な社会機構が支配する世になってたか、植民地の幕下に加えられていたことでしょう。小説自体は渋沢栄一の波乱の人生を描いた長編物語で、一つ一つを噛み砕いていくことは難しいのですが、栄一の価値観のバックボーンを確りと掴むことが肝要かと思います。すべてを紹介することはできませんが、以下は人生をよく生きるためのコツかと思います。まず、栄一は彼の行動の背骨は論語の精神であることを忘れてはいけないと常々いっていたそうです。最近はドラッカー(もしドラ)の経営理論が流行ってますが、東洋にも西洋に負けない思想があります。それから、人生には必ず困難がある。困難には人為的逆境と自然的逆境がある。人為的逆境は、自分の行為が原因になっているので、自分の意志で克服できること。一方、自然的逆境は自分自身の力ではどうしようもならないこと。震災…まさに自然的逆境。栄一はその時はもう覚悟を決めるしかないといってます。(下巻 p.221より抜粋)『天命であるから仕方がなかろうとあきらめるならば、以下に処しがたき逆境にいても心は平らかあるをえるに相違ない。…省略…ゆえに自然的の逆境に処するにあたっては、まず天命に安んじ、おもむろに来たるべき運命を待ちつつ、たゆまず屈折勉強するがよい』では、そのどういう判断をしていけば、逆境を未然に回避したり、乗り越えることができるのでしょうか。栄一は以下の4つの心得を残したそうです。1.それが道理正しいかどうか。2.時世に適しているかどうか。3.人の和を得ているかどうか。4.おのが分にふさわしいかどうか。栄一は成功も多かったが、失敗も多かったそうです。でも、その都度、4つの指標をもって色々な決断をしたのかもしれません。もし渋沢栄一が今に生きているならどんな行動を考えて行くでしょうか。今求められているリーダ像の原型はそこにある気がしてなりません。
2011.07.05
夜勤明けに二子玉川の静嘉堂文庫へ行ってきました。二子玉川は初めて訪ねるところなので、少々御上りさん気分でワクワクしていきました。多摩川の川沿いには週末ということもあり、有名なBBQスポットとして人が溢れてました。週末、家族や友人を交えてBBQもきっと楽しいですね。多摩川の川沿いを離れると深い森があり、その中にひっそりと静嘉堂文庫が佇んでます。 今回ぶらりと足を運んだ理由は静嘉堂文庫が開催している『日本陶磁名品展』を観るため。(開催は6月12日まで…です)美術館までは駅から徒歩20分くらいです。写真の様にこんな緑の深い竹林も散策できるんですよ。二子玉って凄い気持ちの良いところですね。さて、展示の方ですがそこそこ素晴らしい物が並んではいるのですが、どうもテーマが絞られていないせいか、何をどう見ていいのかわからなかったってのが正直な感想です。まぁ、時代、歴史背景関係なく並んでいても、目利きではない自分ではまだまだ一人遊びができないということがわかりました。決して悪い展示会ではないですが…期待ほどではなかったということです。やはり、これが見たいとか思えるような展示会を訪ねるべきですね。竹林では癒されたので、ぶらり旅としては合格点でした。
2011.06.13
今日は夜勤明けに渋谷をふらり。前から是非見に行きたいと思ってた個展が渋谷の黒田陶苑で開催されてます。熊野九郎右ヱ門氏の越前焼の個展です。熊野氏の作品は陶芸を始めたころから好きでした。憧れですね。陶芸の季刊誌などに時々特集が組まれるくらいの作家の中の巨人みたい方ですね。初めて実物の作品を拝見しました。ついでに初日ということもあり本人熊野氏にも見える機会にも恵まれました。作品は予想通り炎の芸術ですね。迫力のある火の男みたいな作品ですね。何か力強く静かにこちらに何かを語りかけるような作品ばかりでした。熊野氏にも声をかけていただきました。作品は体を表すのか、まさに力強い巨人という感じの方でした。『手に取ってみてなさい』と声をかけてくれたことが、とれも嬉しかったなぁ。やっぱり、陶器は手に取ってみて初めて良いか悪いかわかるんだそうです。熊野氏も若いころは展示会などで学芸員の方を相当困らせたと、笑ってました。ああいう人柄、素晴らしいですね。残念ながら今の懐事情じゃとても手にすることのできない高価な作品でしたが、いつか作品を手に入れて、作品と対話しながら酒を飲んだりするもの楽しいだろうなぁ。とてもいいものを拝見しました。ありがとうございます。個展開催中に、是非、足を運んでみてください。
2011.05.27
吾、唯足るを知るという言葉がある。枯山水の石庭で有名な京都の龍安寺にはこの言葉を記した蹲(つくばい)があり、目の当たりにした時に一瞬で心に深く重く響いた。その意味については今でもよく考える。「私はただ足りることを知っている」、つまり満足していると理解できる。また何が足りていることを知ることで、反対に足りないもの、満たされてないものを知るという意味にも取れる。解釈は色々だと思うが、自分にとっては何か途轍もない大きな存在や力を感じる言葉である。先日、中野孝次氏の『清貧の思想』という本を読んだ。著書には人生の意味を知る(悟る)には清貧であることが良いと述べられていた。貪欲、慳貪になり物に溢れる生活をしても人は決して幸せとはいえない。貧しいことで初めて生きている刹那を心底楽しめるという感性が身に付く。中野氏がいうところは、貧しいことで精神が研ぎ澄まされ、本当の幸せや生きる意味を悟る受容体を生成するということであろうか。松尾芭蕉、鴨長明、吉田兼好、良寛など貧しかったが清貧であることで艶のある生命を感じて、それを歌や詩、随筆として記し残した。時を越えて彼らの感性を古典を通じて体感することができると、中野氏は『清貧の思想』で伝えてます。自分に置き換えれば、やはり大量消費の生活には罪悪感を感じながらも、それはそれで今日を生きていくには必要なことだと思っているところがあります。だから『清貧の思想』を読みることで、今のままでは生命感を伝えるような表現は身には付かないと考える契機となりました。少なくとも陶芸なんてのをやっていると自分の作り出すものに責任は感じてます。人に気持ち良い、心地よいと思える物を作りたい。中野氏の『足るを知る ~自足して生きる喜び~』は『清貧の思想』の続編といえるもので、自由であることが人生においては一番大切なことであると提案する。確かに自由であれば幸せです。では、今日の社会ではどんなことから自由であればいいのでしょうか。仕事のこともあるし、収入、評判なんてのも、有利にこの世を渡って行くには大切に感じます。でも、それに縛られたり、囚われることは、逆に不幸せであり、ストレスであり、不自由である。生きていれば、何らかの拘束や柵(しがらみ)はあるわけで、物理的にも精神的にも解放されるってのは難しい。でも新しい視点で世界をみなければならないのかな…そのためには清貧であるべきなのだろうなぁ。覚悟がいるんだろうなぁまだまだ答えは出ない…吾、唯足るを知る…また、この言葉を頭の中で反芻してます。
2011.05.22
久松真一氏の『茶道の哲学』を読んでます。正直、理解し難い。なかなか手強い書である。難しい言葉が次々に現れる。能所…「のうじょ」と読み、主体と対象を意味する。禅では主体と対象がなくなり、覚者なるための道である。この考えに嫌悪はなり、なんとなく理解できる。でも、やはり、掴みどころない。久松氏は茶道は禅と一如ともいう。つまり、切り離すことはできない。このことが意味することは、やはり理解はできない。まるで禅問答…しかし、なんとなくそこへ突き進みたい衝動に囚われている。何かあるのかないのか…それを知りたくて、お茶の稽古を始めたんだと思います。もう少し読んでみよう。ちなみにこの本は丸の内の丸善にて松岡正剛氏がプロデュースする『松丸本舗』にて購入しました。たまたま松岡氏がお店の企画で顔を出していて、話を聞く機会に恵まれました。なかなか良い本だそうです。信じて読んでみるか。信じる者は救われる…かな?
2011.01.28
池上彰さん、去年あたりは「いい質問ですね」で、かなりテレビ番組で活躍しておりました。どうやらジャーナリズムに集中するためにテレビへの出演は減らすと発表したばかり。確かに池上さんの説明は分かりやすい。そう伝わりやすい。だから、何か得るものはないかと池上彰著「伝える力」を読んでみましました。分かり易く伝えるにはどうすればいいのか?独り善がりな話し方、聞き方、文章の書き方はダメなんですね。やはり相手在りきということです。伝える対象を強く意識すること。色々な技術や論法があるにしても、大切なことは伝えるってこと、伝わることなんですね。当たり前…当たり前過ぎることしか書いてないのだが、池上さんの凄いところは、その当たり前のことを意識させること。こんな簡単ならやってみようとなる。更に彼の凄いのは、私のような読者が少し本気になって「より上手に自分の考えを伝える」ようになりたいと思わせる。そして、表現力を磨くために文章でも書いてみようと、ブログに向かわせるところ。やっぱり、人は誰しも周りの人に自分の考えを理解して欲しい、受け入れて欲しいと強く願っているものです。それなら、伝える力や説得力が備わっている方が、この世の中をすこしは楽しく生きられるかなぁ。当たり前のことしか書いてない本だけど、それが一番の肝なんですね。さて、それなら今の自分は何を伝えたいのか?ということになります。今年は是非、野点をやってみたい。実現するためには周りの人を説得しながら巻き込んでいくのがいいでしょう。伝える力…大切ですな。
2011.01.22
お茶の稽古を始めてから半年が経ったでしょうか…薄茶の点前も大分慣れてきました。そして、1月16日に新宿の柿傳での初釜に行ってきました。着物も新調して、初めて初釜。懐石料理を食べるのも初めての経験でとても貴重な体験となりました。着物を着て、袴も穿いたのですが、やはり着物に着られてしまっている感丸出です。袴の裾は踏んじゃうし…これって慣れるものでしょうか?もちろん、4時間近い正座に足も痺れるしボロボロでした。と、まぁ、これからの茶道修業に少々不安を感じましたが、スタート地点に立てたのは嬉しい限りです。来年の初釜までどんな成長ができるかなぁ。新しい人との交流も始まりそうです。前進あるのみですな。お茶と陶芸についてももう少し研究して、紹介できるような年になるといいですね。頑張ります。久しぶりの日記でした。
2011.01.17
先日、パナソニック電工、汐留ミュージアムで開催されている『バウハウス・テイストバウハウス・キッチン展』を見てきました。汐留ミュージアムの展示会は、いつも企画がコンパクトに纏まっていて結構好きです。『バウハウス』とは1919年から14年間、ドイツでデザインや建築を教育する大学でした。それが、ヒトラーとナチスの台頭の為に閉校になったそうです。バウハウスという言葉を聞くと、私の場合は、それがどんなものであるのか確認したい衝動に駆られます。なぜか…陶芸を始めたアメリカのケンタッキーで初めてこの言葉を聞きました。どうやら、アメリカの陶芸のデザイン、造形もバウハウスに強い影響を受けているようです。私が見たバウハウスの印象は、生活環境をシンプルにするためのデザイン。陶芸を例にとるならば、装飾や絵付けなどは蛇足で、器としての機能を最大に発揮するためのシンプルな造形を追求しています。イメージとしては北欧の食器やキッチンウェアーかな。関係性は分かりませんが、北欧の家具やキッチンウェアーも機能的でシンプルな作りですね。あれもバウハウスが何らかの影響をあたえているのだろか…簡潔、清潔、効率、なんて言葉を意識したデザインです。上手く説明出来ませんね。でも、自分の造形のルーツにもなっているバウハウスをこれからも勉強して行こうと思います。今回の展示はどうかなぁ…結構企画が特化したものだとは思います。興味がある方の心には響くと思いますが。
2010.09.26
本田健氏著『30代にしておきたい17のこと』を手にして一気に読んでしまった。単行本の180ページくらいなのでそう分厚い本ではない。でも普段なら読むのに時間がかかる方なので、3時間弱で読み終えたことに吃驚です。それだけこの本の言葉が今の自分の心に深く響きました。その感動覚めやらぬ間に、久しぶりにブロクを書こうと思ってPCに向かってます。著者の本田氏が裏書に書いたメッセージにこうあります。『30代は人生を劇的に変えられる、最後の10年』正にそうなんだろう。そのど真ん中に自分は立ってるわけだ。40代突入のカウントダウンも始まってる…考えないと、それで行動しないと。『自分の大好きなことを仕事にする。』そうそう、自分は運良く陶芸に出会った。もうこれを仕事にするしかない。それで20代で経験したことを無駄にせず、自分自身を最大に活かして楽しく過ごすことができるはず。『わくわくすることを選ぶ。』リスクを取って、ワクワクする経験を重ねて行く。そういえば、最近はリスクに対して尻込みしてたなぁ。もう前進あるのみ。不安定を恐れず、楽しいことして行きこう。と、まぁ、続ければ取り留めがないので、この辺で。とにかく勇気を頂いた本となりました。御蔭で最近くすぶっていたモヤモヤしている気持ちがスッキリしました。同じ30代の方には是非読んでいただきたいですね。
2010.09.15
今月から表千家に入門しました。浅草の浅草寺のすぐ近くでお茶を習っています。こんな日が来ようとは誰が想像できたであろうか。子供の頃の自分に茶道という選択肢は全く頭の片隅にもありませんでした。偶々縁があり、お茶の先生の紹介をいただいたので、陶芸の足しになればと始めることにしました。私は千葉育ちで、お茶の文化には馴染みがないのですが、特に関西の方面では文化として確りと根付いているんだそうですね。今では誰もが使う言葉、無茶苦茶は元々は関西の方で、常識の無い、つまり、お茶の知らない人のことを揶揄していう表現だそうです。凄く苦いお茶を点てる人のことを、この非常識な奴という意味で、無茶苦茶といったそうです。本当かどうか知りませんが、80歳を超えた先生が言うのだから納得してしまいます。ということで、こちらも本腰入れて勉強しようと思い、帛紗と茶道入門の本を早速買いました。まぁ、あれです、初日の割り稽古も正座で足が痺れて大変でした。まず、これを克服せねばならぬか。ハハハ…
2010.07.19
月日の経つのは早いもので、もう6月も終わり下半期が始まってしまいました。日記の更新がまたまた滞ってましたが…展示会もやったりと、色々と忙しい日々を過ごしております。7月からは本格的に茶道を勉強しようと思ってます。さて、もう大分前になってしまいましたが、地元で酒屋をやっている友人のところへ宮城県の『一ノ蔵』という酒蔵の方が試飲会開催のためにいらっしゃいました。酒を作る人って杜氏っていうんですよね。東北弁?少しなまりのあるなかなか味のある方でした。 >>酒蔵 『一ノ蔵』って?この古い友人が機転を利かして、陶芸をやっている私のことを試飲会に呼んでくれました。そう、いくらか酒器でももって遊びに来ない?という感じで…そうしたら『一ノ蔵』の方と仲好くお話なんかをする機会を得まして、こんなの作れますかと絵を描いてくれました。で、それならやってみるかと、幾つか作ってみました。日本酒を呑むときには、器に香りが籠るものがよいそうです。味だけではなく、匂いも楽しむのが通の呑みかたってことですかね。日本酒もなかなか奥が深い。正式な注文ではないですが、こんな風に人と人が繋がるって面白いですね。
2010.07.03
『ルーシー・リー展』に行ってきました。4月28日から国立新美術館で開催されています。ルーシー・リーは20世紀で最も活躍した陶芸家の一人ですね。第2次世界大戦の時にウィーンからイギリスへ亡命し、その後、イギリスを拠点として活躍した陶芸作家です。ルーシー・リーの作品はかなり今日の作家に影響を与えているように思います。特に、女性作家への影響は多大の気がします。『なぜ?』を考えながら、展示品を拝見しました。ルーシー・リーの作品は、あの高い高台に薄造りでフワッと紙風船みたいに軽い器が載っている印象があります。が、私の考えでは、作品の面白さは器の設計図にあるのではなく、寧ろ、器の化粧である釉薬の方にあるとみました。作品合間に展示された釉薬のレシピとノートを見ると、彼女が如何に苦心して釉薬による表現を考えていたかを垣間見ることが出来ます。また、ルーシー・リーは偶然に素焼きをせずに、焼成は一度きりで行う手法を編み出すことで、釉薬と器の一体感が生じたようです。あの軽さを思わせる造形、自分らしい表現を極めた釉薬が結実したのはのはルーシー・リーがもう御婆さんになった60歳の頃だそうです。それまでは生活も楽ではなかったと、会場で流されている映像インタビューでもいってました。器に作者の表情が見て取れるなんてことを言われますが、ルーシー・リーの作品から彼女の影を読み取ることはなかなか難しいですね。恐らく、器に塗った化粧土の裏に重苦しい苦労は隠してしまったのかもしれません。最近ちょっとは陶芸を分かってきた気でいましたが、陶芸に確定要素は低い。自分の狙いや確信は手元をするっとすり抜け、逃げて行ってしまいます。だからこそ、先人に習い、挑戦し続けるのみです。また陶芸が楽しくできそうです。と、まぁ、あれこれ想像を巡らしながら、作品と対面できる楽しい展示会でした。人生を賭けたルーシー・リー作陶活動の実りは一見の価値ありです。
2010.05.01
最近静かなブームになっているのがタジン鍋。知ってます?中近東か北アフリカ辺りの出身の蒸し鍋なんですが、健康な食事が出来ると評判になってます。というわけで、タジン鍋を作って見ました。初めてということもあり、デザイン等まだまだ完成度は低いのですが…早速試運転です。水を入れなくても、野菜から十分水分がでて、大変の美味しい蒸し鍋ができます。豚肉と白菜をミルフィーユにして蒸してみました。ミニトマトを入れたのですが、旨味が増しますよ。ポン酢、胡麻ダレを用意しましたが、野菜の味だけで十分美味しくいただけます。是非とも、お試しあれ!
2010.04.21
陶芸教室にいったら、先月末に釉掛けをした作品が出来上がってました。教室に来ている生徒さんが他の教室で習っていた時に使っていた釉薬だそうです。キャラメルの掛ったような艶やかなピッチャーになりました。落ち着きがって、癒しのムード。ピッチャーはアメリカで陶芸を始めたころ頻繁に作っていました。今考えれば、陶器ではなく石のように重たい石器みたいな出来でしたが…でも、楽しかったなぁ。ピッチャーは収納が嵩張るので、作るのを控えていたんです。でも、5月末に予定されている教室の展示会に合わせていくつか作ってみたいと思います。原点回帰…それが自分を作りだす一点ですから、たまに戻ってみることも大切ですね。
2010.04.02
3月13日、14日の2日間に渡り、美浜アートフェスタに参加して来ました。私の住む千葉市はどちらかというと文化色の薄いところで、アートの楽しい祭典が少ない地域です。これから、この美浜アートフェスタがどんどん大きく成長してくれる事を願うばかりです。頑張れ~今回は稲毛陶芸倶楽部の晒谷先生も展示に参加しましたよ。文化活動を広げるということで、腕を振るって、手作りの面白さが伝わる土瓶を作りました。どうでしょうか?普段量販の器を使い慣れた方には、なかなか斬新に感じる作品ではないでしょうか。私はと言えば、今回のイベントにはテーマを持って参加しました。テーマは器を面白く使う方法を提案する。ということで、睡蓮鉢を作りました。メダカを泳がせてます。小さい世界を作るのは日本人の得意技ですね。どうですか?今後は、実際に睡蓮なんかを浮かべてみたいと思ってます。というわけで、また、このようなイベントには参加したいと思います。
2010.03.23
陶芸教室の帰りに、フラッとTSUTAYAによって、DVDをレンタルしてきました。今回のセレクトは『蟹工船』です。昨年あたり、小説がリバイバルで話題になりましたね。この映画がきっかけになったのかな?さて、原作は小林多喜二という方が、1929年に書いた小説なんですね。凄く昔です…蟹工船に乗る労働階級の船員達のお話。過酷な労働を強要され、労働者のストレスはついに爆発する。そして闘争へと一致団結していく様を描いた物語です。理不尽さに対する怒りで、平手で頬を張り手された様に、衝撃で目の覚めるような気持ちにされられる作品です。現代に翻って、自分たちは我慢することに慣れすぎてしまって、考えること、感じることを忘れてしまったのかもしれないですね。自分の権利を放棄してきたような気がします。自分で考える、自分で決める、自分で生きる、そんなことが改めて大切だと考えされられた映画です。機会があれば見てください。私は早速原作の小説を手に入れました。
2010.03.18
最近、嬉しいことがありました。久しぶりに陶芸で自分の世界が広がったなと思える体験です。呑んだり、食べたりするのが好きなものですから、よく陶芸教室の仲間と呑みに行きます。稲毛駅から徒歩5分のところに『利兵衛』とい蕎麦屋さんがあるのですが、結構渋くてムードのある店なんです。理由は亭主が拘った空間を演出して、美味しい手打ち蕎麦を食べさせてくれるから。今の時代は合羽橋なんかで大量生産された器を使うのが、飲食店では常套な経営だと思うのですが…利兵衛では、陶芸作家の作品や、骨董品なんかを使ってもてなしてくれます。だから、流石に一回の会費の値が張るので、そう頻繁には行けないのですが…たまに行ったら亭主と陶芸の話で盛りあがったりするんです。先日伺ったときに、蕎麦湯を注ぐ湯桶が壊れてしまって、土瓶が欲しいという話がありました。そこで、『そんじゃ、一つ作ってみます~』と、軽い気持ちで作ったて持っていったら、結構気に入ってくれたようです。お店でも使ってくれるみたいです。嬉しいですね。まぁ、商売ではないので、お金のやり取りはお断りしたんですが、熱燗を3本ほど付けてくれました。その内に『オヤジ、今日は付けてくれ』なんて、つうと言えばかあと言う仲になれるかも。なんて、そんな甘くないですね。稲毛にお立ち寄りの際は、是非、立ち寄ってみてください。
2010.03.08
加藤諦三氏の著書“「日本型うつ病社会」の構造”を読んでみました。著書を読んだ感想は、普段からなんとなく感じていた社会の閉塞感について、一つ一つの説明が、『やっぱりこういうことか!』と確信に近づいたと思えるようになりました。印象に残った言葉は、日本人は『うつ気質』であり、そして、執着性格者が多い。能面のような無表情で、肉詰めの満員電車に乗り、毎日出勤しているサラリーマンを見ると、『うつ気質』というのには頷けます。上昇思考が支配していた高度成長社会では、日本人の執着性格が上手く機能して、想像もできなかった経済発展を遂げた日本。ただ、同時に日本人のいい所も、色々と犠牲にして不均衡な社会となってしまった。度が過ぎるとい言葉に象徴されるように、過剰な競争社会と学歴社会、会社人間、猛烈サラリーマン…キーワードをあげれば、正に正常な社会とはいえない…だれもが、心のどこかでそれはどこか違うと思っていたはず。でも、物事が上手くいっているのに、それを否定する人はあまりいなかった。著者である加藤諦三氏は、その少数派の一人であったそうだ。著者はこの様に説明します。上昇思考の社会でのストレスの解消は、消費にだけ向けられ、バブル崩壊までに日本は常軌を逸した大消費社会となった。物を所有することが第一位の価値観となり、物を大切にする、慈しむ、質素、堅実という価値観は捨て去られた。日本人らしいさが、捨てられた時代。今でも不況を脱するには消費しかないみたいか雰囲気が蔓延してますね。だから、給付金見たいな、本当に経済効果があるのか分からない経済政策が施行されちゃう。不況のどん底で、『本当に日本って良くなるのかなぁ』なんて、どんどんどんどん暗い思考スパイラルに落ち込んで行きますよね。更に追い討ちをかける様に、リストラなど、衣食住に関する生命の危険に直面したりしてます。一旦、その恐怖感を持つと…日本人の執着性格、うつ気質はマイナス方向へ機能し始める。抜け出せない底なし沼で、本当にうつ病になってしまう。それが歪んだ社会となって顕在化している。親兄弟で殺しあったり、援助交際等の人道を外れた行為。自暴自棄の人が増えてる世の中では、そんなことが起きても不思議はないですね。著者は、日本人が今やるべきことは、経済成長ではなく、心理の視点で社会現象をみることが大切であると指摘する。日本人が得意なこと、不得意なことがある。不得意なことは心理的なストレスとなります。心理的な持久力、耐久力がない現在、発展や上昇思考は諦めて、確りと日本人らしい社会を考えてながら、一から出直すことが大切なんだと警鐘をならします。言い換えれば、もう一度世界一になることではなく、自分らしさ、つまり、日本人としてのアイデンティティーを確立することが、最優先課題であります。経済的には少々不足や我慢しなければことがでてくるかもしれないが、心理的な安定の方が社会に幸が多い。と、私は、そうだそうだと大きく頷きながら、スラスラ本の先を読み進めました。私事ですが、陶芸なんて趣味を持っています。これも意味のないことではなく、自分らしさを磨く大切な活動であると真理に触れたように思いました。心の安定があれば、自分の在りのままを愉しめるようになるかもしれないですね。お時間のある方、興味を持った方、なかなか内容の深い著書です、是非、一読をお薦めいたします。
2010.02.20
展示会が終わり、2、3日してから、ドっと疲れが出ています。年でしょうか…焼酎を呑み始めた今日この頃。ビールのようにガバガバと勢いで呑む『動の酒』もいい。しかし、チビチビやる『静の酒』の楽しみも分かってきましたよ。鮪の山かけと焼酎で一杯やりってみました。片口に焼酎を注いで、手酌で御湯割りを作ります。御湯割りには梅干を浮かべてます。織部の緑に赤が映えて、なかなか面白い酒席となりました。
2010.02.04
1月30日(土)、31日(日)の2日間に渡り、稲毛陶芸教室で、作品展示会が行われました。夜勤明けの眠い目を擦りながら、初日から全力で頑張って来ました。会場へも馴染みの顔の方、普段教室の前を通っている方、生徒の口コミでイベントを知った方、沢山の方々に足を運んで頂きました。ありがとうございます。また、展示した多くの作品も新しく嫁ぎ先を見つけ、貰われて行きました。とにかく、初めての試みで不安もありましたが、盛況に終わったので良かったと胸を撫で下ろしています。来場者との交流は本当に楽しかったし。また是非とも計画し、実現したい企画となりました。
2010.02.02
今通っている陶芸教室『稲毛陶芸倶楽部』に於いて、展示会が開催されます。生徒が日頃の研鑽を発表します。私も出展します。オープンハウスですので、お近くの方、興味がある方、御誘い合わせの上、是非ご来場ください。日時:1月30(土)&31日(日) 10:00~19:00会場: 稲毛陶芸倶楽部 教室に於いて (JR稲毛駅から徒歩3分)住所: 千葉県千葉市稲毛区稲毛東3-10-13
2010.01.22
日本の陶器の素晴らしいところ、それは目的用途にあわせてありとあらゆる造形が考えられたことだと思います。掌に載せて、食事をする文化は欧米にはないようです。日本人は器を手に持って食べるので、手の大きさや形にあったものを欲しいと願います。しっくりくる器を手にしたとき、私達は『これだ!』と思います。特に酒器は嗜好の世界ですから、気に入った器を探究する傾向が強いですよね。 さて、写真は電気窯で焼いた備前の焼酎カップです。ビードロ釉を吹き付けて弱還元で焼き上げたものです。備前焼は本来であれば、薪窯で焼き締めて、ざんぎり、ごま、緋襷等の器の表面に焼き付いた風景を楽しみます。電気窯ではそこまでは難しいので、ビードロ釉を吹き付けてあります。純正備前焼とは言えませんが、土味があってなかなかムードのある器ですよ。焼酎のお湯割り、ロック、何にでも使えるカップに出来上がりました。
2010.01.19
さて、ここ数日はブログの更新が続いております。いい傾向ですね。ブログの更新を休んでいる間に、新しく始めたことがあります。誇れることではありませんが、焼酎が飲めるようになりました。焼酎ブームになってから久しいのに。正に遅れてきたルーキーです(笑)。ビール党だったのに、最近は焼酎もチャンポンして酒の席を楽しんでます。まぁ、飲みすぎることは決して良いことではないのですが、陶芸にはいい影響を及ぼしております。そう、最近では焼酎をいただく器を作ったりします。写真は自前の蕎麦猪口です。もちろん蕎麦を食べる器ですが、お湯割りにして焼酎を飲むにもサイズがちょうどいいんです。赤土に白化粧をして、本焼きでは織部の釉薬をかけてます。なかなか面白い作品となりました。蕎麦猪口って染付という、真っ白い磁器土に呉須で絵を描いたもののイメージだと思いますが、土ものの蕎麦猪口もなかなかムードありますよ。今日は知人からいただいた蕎麦和尚という鹿児島産の蕎麦焼酎を飲んでま~す。美味しい焼酎があったら教えてくださいね。
2010.01.16
今回は『国宝土偶展』を見に、上野の東京国立博物館に行ってきました。久々に展示会巡りをしております。写真は『縄文のビーナス』と呼ばれる国宝に指定された土偶です。レプリカですが、縄文人の美しさが十分に伝わってきますね。陶芸をやっているので、以前から、なんとなく原始的な手の仕事に興味がありました。土偶は千葉県佐倉にある国立歴史民俗博物館でも見ることができます。が、今回は国宝を陳列するということで、心を躍らせて足を運んびました。土偶って基本的は女性なんですって、知ってました?しかも、妊婦が多いそうです。縄文時代には生命を宿す女性の身体は相当神秘的だったんでしょうね。今でも女性はよくわからないですもん(笑)。土偶自体はかなり呪術的なムードを感じます。そういえば弥生時代の埴輪もありますが、馬に乗った戦士なんかもありますね。あれって男性ですよね。価値観が劇的に変化したんでしょうか。より権力の地盤ができあがり、政治的になった時代なのかもしれないですね。さて、縄文時代の土偶は何のために作られたのか?そんな疑問が脳裏に浮かびます。恐らく、出産は新しい生命の誕生とともに先祖を魂を伝える儀式だったのだと思います。女性は身体は魂を運ぶ器であり、生命の象徴であった。無事に誕生して欲しいという祈りや願いが土偶として体現したのかな、なんて自由に想像を膨らませながら土偶を一体一体拝見しました。最近ではパワースポットなんてのが話題になっていますが、土偶を見るとなんとなく生命力が漲ってきます。土偶が持つ古代のパワーが、現代人である我々の魂を揺さぶるのでしょうね。国宝土偶展は規模は小さく纏まった良い展覧会だと思います。是非、生命の神秘に探究したい方、元気になりたい方、会場へ足を運んでみてはどうでしょうか。
2010.01.14
先日、松屋銀座で開催されている『川喜田半泥子のすべて展』に行ってきました。 半泥子…陶芸に馴染みのない方は聞いたことない名前ですよね。『はんでいし』と読みます。半(なか)ば泥(なず)みて、半ば泥まずという禅匠の言葉を自らの号として半泥子としたそうです。どういう意味?ネットで調べた受け売りですが、どうやらこんな意味らしいです。夢中に物事に没頭しながら、一方では客観的に冷静に自分自身を把握しているような心境。『泥(なず)む』は滞るという意味があるそうです。拘るという意味にも通じるのでしょう。半泥子は明治に三重の名家に生まれ、激動の大正、昭和を銀行頭取など務めて活躍した上流階級の人であります。泥まみれになるはずなのに陶芸する時にもネクタイなんかしてる、なんか気品のある人だったようです。陶芸での風評は、東の魯山人、西の半泥子といわれていたようで、一級の評価を得ていたようです。作風は『融通無碍』。何でもあり、自由で伸び伸びです。伝統を学びながらもそれには拘らず、お金持ちの余裕からか、できたそのものや偶然性を自らの表現として明るい器を作っています。造形に一定の法則や型は見られませんが、素材には拘ったようで、土や釉薬は一等のものを全国から取り寄せたそうです。それなりのムードがある器はありますが、無茶苦茶感は否めないとうのが私の感想です。例えば、陶芸家目指している若い作家に半泥子のような作品を作ることはできない気がします。評価を得るまでは売り物にならない。やはり潤沢な財力があったからできた無茶苦茶だと思います。でも、半泥子のいいところは、それが嫌味じゃない。やはり彼の気品がそう思わせるのだと思います。激しく刺すような感覚ではなく、なんとなくフワッと柔かい癒しの表現が滲み出ています。ひょうきん(ひょうげた)という言葉がぴったり。 さて、自叙伝はありませんが、半泥子の伝記も買いましたので、もう少し作家半泥子について勉強したいと思います。展示会は1月18日までやってますので、お時間がある方は、是非、足を運んでみてはどうでしょうか。一見の価値あり、お勧めの展示会です。
2010.01.13
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