アスペルガーの子どもとともに

アスペルガーの子どもとともに

誕生ー


土日を越すと43週目に入るので金曜日のうちに陣痛促進剤を使って出産させましょうとの提案に、何のためらいも予備知識もなくOKしてしまったのを少し後悔しています。陣痛促進剤の点滴が始まっても微弱陣痛で出産が進まず、息子は胎内で心音40の仮死状態になりました。男の先生3人が私のお腹を押して出産に導きました。

【3ヶ月頃】
お乳を吐く量が異常に多いのでおかしいなあと思っていました。3ヶ月検診で相談したら「飲み過ぎだろう」という事だったので、そうなのかなあと思っていました。ゲップを吐かせる時には口の前にフェイスタオル4枚重ねを準備する程、吐きました。それは、それは毎回大量なので、噴門が弱い病気なのかしら?と心配したことがあるほどでした。それともお腹がいっぱいだという感覚が鈍かったのでしょうか。今でもよくわかりませんが、ゲップと一緒にずいぶん吐いていました。

他に気になることと言うと、音に敏感な事でした。生活音の中でも大きな音がすると、「ウギャー!!」と泣き出すので、寝たら静かに静かにしていました。夜泣きをする事も多く、なかなか寝ないので困りました。

【1才半頃】
すでに、この頃、何かが変だと私は確信していました。私と目が合わないので、自閉症かな?と、とても気になりました。障害を認めたくなくて、一人歩きも早く、言葉も早いから安心、と思い込んでいたと思います。今思えば、1歳半でニュースが大好き。興味が偏っていたなと思います。「パワーショベルが横転しました」とニュースキャスターが言うと、「かあしゃん、パーショ、おうてんしたよ」と教えてくれ、公園に連れていくと3才の子供と同等に話す。その頃は、もしかして天才?と思ったこともあります。言葉の覚え方が独特で、新しい言葉を聞くと、頭にインプットするためなのか、何度も「ダンプ、ダンプ、ダンプ、ダンプ」と繰り返していました。

生活面では、歯磨きが大嫌いで、毎晩、格闘していました。どうしても口を開けないし、やりたくなくて困りました。

【2才】
高熱でひきつけを起こしました。熱性けいれん、との診断で「デパケン」を服用することになりました。これは12才まで続きます。

毛布の「すりすり」した感覚が大好きで、寝るときにはお気に入りの毛布を手で「すりすり」して寝ていました。ショッピングセンターに連れていくと必ずいなくなりました。探す場所は「毛布売場」。いつも毛布売場で一番感触のいい毛布探しに夢中になっていました。

【2-3才】
ブロック遊びが主で学研のニューブロックでは驚く程の作品を作って何時間も夢中で遊びました。絵本の読みきかせには興味を示さず、ページをめくる事を楽しみ、ごっこ遊びは全くやりませんでした。

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