・「ツンデミック」は、一穂ミチによる短編集である。タイトルの「ツンデミック」は、「ツンデレ」と「パンデミック」を掛け合わせた造語であり、人との距離感が大きく変化した現代を象徴する言葉として機能している。本書は、感染症の流行を記録した社会小説ではない。また、恋愛だけを描く作品でもない。著者が見つめるのは、 人は孤立を経験したあと、どのように他者との関係を結び直していくのか という普遍的なテーマである。
・各編には、それぞれ異なる立場や年代の人物が登場する。互いを思いながらも素直になれない人々。距離を置くことでしか自分を守れない人々。偶然の出会いによって価値観が少しずつ変わっていく人々。感染症によって変化した社会は背景として存在するが、物語の中心にあるのは社会現象ではなく、人間の感情である。登場人物たちは誰も劇的に変わるわけではない。それでも、小さな会話やささやかな出来事をきっかけに、閉じていた心がわずかに動き始める。その積み重ねが、本書全体に穏やかな余韻を生み出している。本書の中心にあるのは、 人との距離は、近ければよいのでも、遠ければよいのでもない という視点である。人は傷つくことを恐れて距離を取る。しかし距離を取り続ければ、孤独はさらに深まる。近づきたい気持ちと、一歩引きたい気持ち。その相反する感情を、一穂ミチは繊細な筆致で描いている。
・文学的に読むなら、本書は「優しさ」の物語である。一穂ミチの人物は、決して完璧ではない。不器用で、言葉足らずで、自分の感情すら持て余している。それでも誰かを傷つけたくないと願い、少しだけ勇気を出して他者へ手を伸ばそうとする。その姿は決して派手ではない。だからこそ現実の人生に近く、読者の記憶に長く残る。
・本質的な批評を加えるなら、本書の魅力は、パンデミックという時代性を単なる題材として消費せず、人間関係の本質へと昇華している点にある。感染症そのものを描くことが目的ではなく、それによって可視化された孤独や、他者への希求を描くことに成功している。そのため、社会状況が変化した後も、本書は「距離をめぐる物語」として読み継がれる力を持っている。
・一方で、劇的な事件や強い起伏を求める読者には、全体の語り口は静かに映るかもしれない。しかし、その静けさの中で交わされる感情の機微こそが、一穂ミチ作品の真骨頂である。読後に残るのは、大きな感動ではない。むしろ、 誰かと分かり合うことは、劇的な出来事ではなく、小さな思いやりの積み重ねなのだ という穏やかな実感である。
・『ツンデミック』は時代を映す短編集でありながら、本質的には「人と人との距離」を描いた文学作品である。30代から40代のビジネスパーソンにとっては、効率や合理性だけでは測れない、人間関係の豊かさを静かに思い出させてくれる一冊となるだろう。
ツミデミック [ 一穂ミチ ]
価格:1,870円(税込、送料無料)
(2026/6/16時点)
Book #1182 目には目を 2026.07.26
Book #1181 失われた貌 2026.07.25
Book #1180 少女には向かない完全犯罪 2026.07.24