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昨日は休みだったので東京探索。最近休みのたびに下北沢へ行っていたので、まだ行ったことのない吉祥寺、高円寺を探ってみることに。東京の面白いところは町毎に匂いや色が違うところ(渋谷あたりは通りで違うけど)。特にどこかに行くことが目的ではなかったのでふらふらと歩き回った。吉祥寺は若者向けのお店があると思いきや、普通に昔からの商店街もあって歩いていて面白かった。高円寺は何もなさそうなんだけど、ちょっと道を入ると古着屋がたくさん!結局何も買わなかったけれど良い店がたくさんあったので、またゆっくりと探索に。新宿まで結局行ってしまい、ユニオンでCDを何枚か買う。どこにいってもBGMはオアシスがかかっていた。ベストですよ遂に。以前ほどもう好きではなくなったから、別にそんなに興味なかったんだけどでっかい音でかかってるの聴くと、もうその場から動けなくなった。ただ、呆然とそのばに立ち止まらずにはいられなかった。これぞオアシスマジック。 有無を言わせない説得力のあるメロディー。改めて「なんだよ、やっぱカッコイイじゃない。」と再認識。というわけで、今日からまた仕事だ。気合をいれてオアシスベストを売るべし。
November 15, 2006
ケヴィンシールズがこの映画のために書き下ろした曲が何曲か収録されている。ほとんどインストなのだが、1曲「CITY GIRL]というケヴィンが歌っているものがある。これが実にいい。 さっき僕もギターを手に取りコードを追ってみたんだけど、どっからこんな音のつながり拾ってくるんだろう。 マイブラの曲のコード進行については詳しくわからないが、なるほど。どうも、捉えどころのないメロディーだと感じてはいたけど独特な運指だったんだと改めて痛感。はやく、ケヴィンでもマイブラでもいいから新譜が聞きたいわ。他にもはっぴいえんどやジザメリ、AIRなんかの曲も入っていてお勧めの一枚です。
November 14, 2006
一枚目はLe volume courbe / I killed my best friendマイブラのケヴィンシールズも参加!全体的にアッシドフォークなんだけど、ヘロヘロ感がたまりません。マイブラの『Isn't Anything』のような緊張感のある不安定なメロディーに最高にかっこいい枯れた女性ヴォーカル。
November 1, 2006
こんにちは。 久しぶりの更新になります。いつの間にか東京都民になっている僕です。仕事も休みの日も『音楽』に関係あること以外ほとんどやっていないですが、忙しいながらも毎日楽しくやっています。 かなり不健康になっちゃったけど。ピンクオイスターさんに『自分の心に正直になり、突き進め!』というアドヴァイスをもらい(いろいろ他のことも重なったのだが)今に到るわけですが、それがすべてです。きっと、まだ23歳だからこういうことが言えるのだろうけれど今この瞬間を楽しまずしてどうするのってことですね。なにをそんなに怖がっていたんだろうって思う。将来なんか考える暇がないぐらい、いつだって「今」を感じて生きている。それが、生きるということです。(23歳のdehideにとって)好奇心を活力として生きている動物である、僕にとってはそういうところから切り離されて存在していることって本当に無意味なんだ。っていう最近の自己考察についてはこの辺でお終い。この日記について。これから、この日記は『Good Music For Good People』というテーマでやっていきます。せっかくレコード屋で働いているので、素晴らしいCD達を紹介する場に活用していきます。新譜、旧譜問わず良いものを僕から紹介するだけでなく、僕にも紹介してください。
October 31, 2006
大学に退学届けを出し、今までしていた二つのバイトをやめた。そして、今週の月曜日かTレコードで働いている。結構な面接人数から幸運にも僕が選ばれた。さらに、ちょうどロック担当が不足していたためにそこに所属することになった。ちょっと遠くから通勤しているため、なかなか大変だけど好きなことを職にするのっていいね。自分の好きな音楽ばかり扱っているわけではないし、サービス業だから大変なところもあるけれどやりがいはある。なによりも音楽に関わっていられるのがいい。今お店で流しているのは、トムヨーク、ミューズ、ファットボーイスリム、くるり、フルカワミキなど、わりと僕好みのもの。威勢良く大学院をやめたものの実際やめてみると、どこにも所属していない怖さを感じていた。ようやく、ようやく自分が所属する場所を見つけた気がする。しばらくはバイトで貧乏だし、将来社員になれる保証なんてないけれどそれでも、今を思い切り楽しめるはず。今日は束の間の休日。しばらく休みはないけれど、がんばるべし。
July 27, 2006
LET IT BEという考え方には宗教的な思想が含まれていると思う。つまりポールもマリア様が囁くと歌っているように、世界を超えた絶対つまり神という存在があってこそ成り立つものなんじゃないかな。 そういうことを踏まえての「なるようになるさ。」って考え方は唯一神をもたない僕らとはずいぶん違う。僕らには絶対という拠り所がないから。だから僕らは自分で何とかしなくちゃいけなくて、あくまで僕の場合だけど「なるようになるさ。」ではなくて「なせば成る。」なんだなあ。---------------------------------------------------------------------------------------今日はすごく憂鬱だった。外は雨でバイクに乗れない。 一人じゃすることなんかなくて暇だった。飯食って、煙草すって、音楽聴いての繰り返し。トムヨーク、レッドハウスペインターズ、ニューオーダー、、、を経て最後にはスミスに行き着いたのであります。モリッシー&マーあの雰囲気は唯一無二であることを再確認。明日は晴れるといいなあ。来週からは忙しくなる。休日は有意義に過ごしたいものである。
July 18, 2006
不安とか希望とかなんなんだろうどうすればいいのかただただ染み込んでくるのは音楽ばかりなのです今はまだ開戦前夜の憂鬱と供に---------------------------------------------------------------------------------------例えば淡々と論述していくよりも浮かんでくる言葉をとらえていく方が素直な自分を表現できることだってあるのかもしれない僕の場合
July 17, 2006
僕は決して国家や社会のために生きているわけではないしましてや資本主義の駒になるために存在しているわけではない。僕は何者かになるために存在しているわけなんです。今はまだその途中ではあるのだけれど、確実な一歩を踏み出したのだと思う。混沌としている状況が僕を取り巻いているわけだけれどたぶん、自分の心にさえ正直でいられれば僕は何者かとしての存在意義を見出せるのだろう。---------------------------------------------------------------------------------------7月をもって大学院を退学することに決めた。決してネガティブなことではなくて、自分自身前進するためにそうすることが正しいと思ったから。自分に正直になることが道を切り開くのです。
July 7, 2006
「ディランの音楽がわからないほど馬鹿じゃないだろう?」現在の僕に問いかける。
June 20, 2006
俺の人生に要らないものはLOGICAL THINKINGである!
June 14, 2006
どこまでいっても自分自身だからといって憧れたりはしないのさ不完全のレッテルを宿命づけられた僕なので憧れたりはしないのさ不完全なる世界の中でどこまでいっても僕自身
June 11, 2006
俺はまだ 弱いままでいる 弱いままでいる 弱いままでいる そのままでいや もういいんだ 世界をつくり出しているのは結局誰かっていうことただ それだけだ
June 8, 2006
返事がすんごく遅れてしまってすいません。少し時間をください。今、僕はきちんとした返事をできる状態ではないのです。必ず、すっきりした返事をします。 僕自身のためにです。こういった書き込みをしてくれるあなたの誠意に感謝します。でひで
June 5, 2006
カズからの書き込み見たよ。 まず、熱烈なラヴコールを有難う。 今のアミュージカからオファーを受けることはとても名誉なことだと思います。 いい話だとは思う。 俺も音楽製作には興味があって、良質なMTRではないけれど曲作ったりしてるんだ。 それでだ、カズとハシモは俺が演奏してるのを見たことがないよね。 サトシッコとタキヤンさんにしてもオリジナル製作は一緒にしたことがないわけだし。 そういう中でまくやれるかということが一点。 そして、今の俺の音楽観とアミュージカが目指すものとが同じ方向性なのかということが一点。それらをクリアできたとして、一番大きな問題が活動場所と時期。俺は残念ながら札幌へ行くことはないと思う。つまり可能性としては東京でってことになっちゃうね。でも、アミュージカは今、札幌で順調に活動してる。 そういう状況で知名度のない土地で再出発となるとリスクが大きいよね。時期の問題は俺にも、アミュージカにも問題があると思う。俺はの立場から言えば、今大学院に通っている。 卒業は再来年の春になる。中退をしてアミュージカに加入するというプランは残念ながら考えられない。アミュージカの立場からすれば、とてもそんな長い時間待っていられないよね。きっと現在、日々が勝負だと思うし。そういう中で、俺が卒業するまで待っているってのはアミュージカにとっても良いプランではないと思う。結論としては、アミュージカに加入したいという意思はある。 ただ、それにはいくつかの困難な問題を乗り越えなければならない。まず、アミュージカが東京に近い将来出てくる気があるのかということ。そして、その後加入を前提としてアミュージカが俺に対して試用期間を設てみてはどうだろうか。そこで、先入観抜きにその時、俺の演奏がアミュージカに必要かどうか判断してもらいたい。客観的に観てアミュージカにはあまり良い話ではないんじゃないだろうか?ただ、理解して欲しいのが適当に言ってるわけじゃないんだ。カズの文章を見たとき一緒にやってること想像してぞくぞくしたよ。でも、真剣に考えてどちらにも条件が悪いと思う。 今、現実的に考えて提出する条件はかなり私的立場に偏った意見にならざるを得ないんだ。あくまでプランとして考えても、アミュージカが近い将来積極的に東京で活動したいと思っていなければ、プランとしても浮上しないかな。もし、俺が加入するしない関係なしにして積極的に東京でって考えがあるなら、その時とりあえず一緒に曲作ってみよう。それが今の答えになります。
May 28, 2006
近頃どういう人生を送りたいか考える。というのも、就職活動がそうとくない時期にあるからである。自分がやりたいことを見つけること以上に、自分がやりたい仕事に就くことのほうが難しいのでは。だから、将来のことを考えると不安になってどんどん思考がネガティブになる。それで、保守的な考えになってしまう。そして「それでいいのだろうか?」 と自問自答。自分がどういった職につきたいかということも大切だけれど、仕事も含めての「人生」をどう送っていきたいかということにも重点を置かなければいけない。広い目で見た人生設計が必要なのかな。つまらない人生は送りたくない。 ぞくぞくしないとつまらないじゃない。
May 21, 2006
日本に住み、生きているということは考えていた以上に複雑なようだ。秩序のない、あらゆる物に対する冒涜の念が渦巻いている。考えれば、考えるほど生きていくのが難しくなる。知識をもつということは、無関心ではいられなくなるということ。もう少し、もう少しでいい。 我々は人間として誇りを持つべきではないか。
May 17, 2006
僕たち若者にイデオロギーなどというものは存在するのだろうか。おそらくそんなものはないのではないか。そもそも、イデオロギーの元となる政治というものにあまり関心がないのだ。これは、たんに若者が悪いわけではない。1960年代以降で僕たちは政治では世の中変わらないって知ってしまった世界に住んでいる。こんなことを言うのはあまりいいことではないのはわかってる。でも、そういう流れの上にいる僕ら若者にとって政治的無関心ってたいした問題じゃないんだ。若者が興味あるのって確固たるイデオロギーを持って国を変えようなどということではない。むしろ、ホリエモンみたいに資本主義の隙間を掻い潜ってどうやったらお金持ちになれるってことじゃないか?世の中やたらごちゃごちゃして見える。 政治にしたってなんだって、世の中にあるものはすべて明晰なほうがいい。
May 4, 2006
村上春樹の小説『海辺のカフカ』の登場人物大島さんはこんな台詞を言う。「僕が嫌いなのは想像力を欠いた人間だ。」いつからだろう。想像力よりも、物質によって時代が造られるようになったのは。
April 26, 2006
何かに固執する癖がある。何かあると他のものが見えなくなる。以前からそういうところはあったのだけれども、最近は深刻だ。自分は今世界をそして人を批判的に視る目しかもっていない気がする。「君そんなんじゃ何も見えんよ。」正直、息苦しい。
April 22, 2006
僕らの世代が21世紀初頭を生きる若者として存在している。言い換えるなら、僕らは21世紀初頭の今を若者として生きる権利を有しているということだ。時代や流行といったものが若い世代によって作られるならば、僕らはその担い手である。でも、僕ら世代が今まさに作っている時代とはなんだろう?時代の本質を捉えるとはどういうことか。たとえば、STROKESが今時代の寵児として存在している。彼らの活躍は音楽だけにとどまらず、恵まれたルックスを活かし日本のファッション誌にも登場している。 テレビを中心としたメディアの中でもSTROKESの曲を耳にする機会が増えた。 STROKESの存在がファッションである事実。 世界の僕ら世代の若者にとっては彼らは誰しもの理想像でありえる。僕はSTROKESのファンである。 ただ、彼らは評価に値する以上のものを受けていると思う。たぶん彼らの3rdアルバムより評価されるべき作品は他にたくさんあるだろう。時代はSTROKESの存在そのものに価値をつけてしまった。メディアの発達から考えれば、それは当然のことではあるんだろう。僕は時代の精神はこういうところとは別のところに存在している気がする。時代のメインストリートを突き進むのがSTROKESのような、メディアに取り上げられやすいものなら、時代の脇道を進んでいるのは一体なんだ?そこにこそ時代の精神が存在している気がする。メインストリートを堂々と誰かが歩いているとき、脇道では誰かが全力疾走しているかもしれない。 その、全力疾走の中にこそ時代の本質が存在しているのではないだろうか。そこに眼を向けられるかどうかが時代を捉えられるか否かということなんだろう。
April 20, 2006
そう遠くない将来、あと2年後には就職していなければならない現実がある。仕事とどう付き合うかそれが問題だ。自分の興味ある分野の仕事に就ければいいのだけれど、給料は安そうだし、将来的な不安はある。自分の興味がないようなことでも仕事と割り切って、後の時間を好きに使うか生活のすべてをひとつのことに注いでいくかそこが問題だ。分岐点である。
April 19, 2006
僕のFAVORITEバンド VELVET TEENのEPである。内容の濃さ、音楽のまとまり方から考えて、2ndアルバムと位置づけてもいい。もう、2年ぐらい聞き続けている。VELVET TEENのCDで発売されているものは、フルアルバムが1枚に編集盤が何枚かである。そのなかでも、このElysiumの世界は異質だ。RADIOHEADがKID Aで図った音楽的転換に近いものがある。太陽というよりも、月に向かって。太陽が出ている間はわからないが、暗闇の中でしか感じられない月光の美しさ。Elysiumの世界は、刹那的な美学とは違うもっとじっくり堪能できる美しさがある。驚愕の事実だが、このアルバムで使われている楽器は少ない。重く響くベース、情緒感漂わすストリングス、的確なドラムそして、その世界の軸となるヴォーカル。以前SIGUR ROSについて書いたときに生音つまり、楽器が発する音の美しさについて触れたが、Elysiumもまた楽器自体の音の力によって作られた作品だ。だから、飽きることなくずっと聞き続けられるし、味わい深くなっていく。Elysiumのような作品を聴いていると、音楽の可能性はパソコン上にではなく演奏家の意識の方にあるのだと思う。----------------------------------------------------------------------------------------VELVET TEENの2NDアルバムからのシングルを聴いた。必要以上の雑音がなっていた。アルバムを通じてこの雑音が鳴っているならば、とても残念である。
April 15, 2006
できるだけ文章を書こうと思う。楽器を演奏するのと同様に、文章も訓練しないといつまでたっても上手くならないものだ。自分の頭の中を、文字によってできるだけ忠実に表現できるようになりたい。
April 14, 2006
眠い。 とても眠い。たまには今の状況を記すだけでいい。
April 13, 2006
言葉が具体的な事物をあらわすという考え方は、どうも間違っているようだ。人が行っていることは、文字をヒントに頭の中でそれと一致するものを認識しているだけだ。 その頭の中の事物が一致しない限り、言葉が示すものが具体的であるとは言い難い。感情表現や状況描写だけではなくて、固有名詞についてでもある。「林檎」という文字をみたときに、もちろん「林檎」として頭で認識する。 ある程度の範囲までは、十人一色である。 ただ細部になってくるとてんでばらばらだ。 色、形、想像している角度こういっことに対しては十人十色だ。これは何も言葉に限った事ではないと思う。目を通してみる景色についても同様ではないか? 普段は認識していなくても、人は何かを見るとき必ず印象を受けている。 これもまた、同じものを見たとしても十人十色ではないか。さらに人は感情を介入させる。 感情の抱き方だって人それぞれだ。結局、一人一人違う視点でしか物事を見ることはできない。しかし、これはただ単に我々はオリジナルであるということの再認識に他ならない。完全一致を試みなくたって、他人と意思疎通を図ることは可能だ。言葉に於いても、書き手の視点に通ずることもできる。どういうことかというと、事物に対する共通認識の範囲はそれほど狭いものではないからだ。コミュニケーションのうまい人は、相手の共通認識範囲を理解できる人間ではないか。ところで、芸術家は3つのタイプに分かれると思う。1、共通認識範囲を理解そして、利用し客体に訴えるタイプ2、ひたすらに自己範囲、オリジナルにこだわるタイプ3、上記二つの中間又は、使い分けができるタイプ。文学には、2のタイプに近い「純文学」と1のタイプに近い「大衆文学」が存在する。音楽もジャンルではなくて、創作意識という視点から区分してもいい気がするのだが。ロックであろうとクラシックであろうと、さらに言ってしまえば音楽であろうと文学であろうと完成品だけでなく、作者の創作意識が寧ろ問題ではないのだろうか。
April 12, 2006
引越した関係でインターネットが使えないので、学校から久しぶりの更新。昨日はsigur rosのライブを見に行ってきた。彼らのライブは去年のフジロックに続き二回目で、唯一無比の音を奏でるライブは当然、必聴であった。開演30分ぐらい前に会場に着いて、真ん中より少し前に陣取る。 SEはとてもシンプルで、二つの音が交互になっているだけだ。7時にsigur rosの妹分?AMIINAが前座で登場。初めて目にする楽器を使っていて、とても面白い演奏だった。ただ、個人的には同じループを繰り返しているだけだったので退屈した部分も。 リズムを工夫するとか、ボーカルをもう少し入れればもっとよくなりそう。白い薄い幕が降ろされいよいよsigur rosの登場。一曲目はTakkからの1stシングル。 少しの間奏の後ヨンシーの声が響き渡ると会場にはsigur rosの世界が構築されていく。フジロックのときもそうだったんだけど、ヨンシーの声には不思議な力がある。 演奏はその声を最大限に引き立たせるために、若干小さめだった気がする。そのため、ヨンシーの声がほかの楽器の演奏に消されることがない。 最高のバランスだった。二曲目以降もsigur rosの圧倒的なステージは続く。sigur rosの音楽は美しさが際立つけれど、この日のライブではその反対側にある破壊性に惹かれた。後半sigur rosの曲で一番好きなolsen olsenが始まると、そこにいることがとても幸せだった。最後の曲は激しい曲だった。 暴力とはまた違う、破壊的な衝動。 外ではなく、あくまで内側に向かっての声が鳴り響いていた。演奏終了時には、今までに聞いた事のない大きさの拍手がなっていた。ステージに横一列に並んだ、メンバーは照れながら満足そうな笑みを浮かべていた。その笑みを見たら、なぜか僕は嬉しかった。 とても嬉しかった。音楽は抽象的なものだ。 音楽によって具体的な意味をあらわすこと困難に思える。 意味的な要素はむしろ詩にあるのだろう。僕は無意識に音楽に意味を持たせようとしていた。 よほどの、メッセージソングでない限りは、本当はそんなことはどうだっていいのかもしれない。ただ、音楽を聴いているだけで幸せにだってなれるのだから。sigur rosは僕をそんな気持ちにさせてくれる。
April 6, 2006
さてさて、三度目の正直で何とか卒業試験に受かったわけです。近いうちに免許証の書き換えを済ませて早速ライダーの仲間入りする予定。合宿という日常とは違う生活をしていたために、帰ってきてからもなんだか落ち着かない。とりあえず引っ越し準備でもしようかしら。 やらなきゃいけないことが着々と増えてきている。4月の中旬までは落ち着きそうにないけど、今のうちに下準備というか春から充実した生活を送るための準備をしないとね。それにしてもさ、3回目の卒業検定は今までで一番緊張したかも。大学入試に匹敵してたよありゃ。乗り越えることができてよかったわ。何事も経験だっていう目標のもと行った合宿だったけどいろんなやつがいて、いろんな経験して合宿いってよかったなって思えるわけです。ああ、早くバイクに乗りたい!わくわくわくわく
March 15, 2006
先週からバイクの免許取得のために栃木県にきている。今朝と卒業試験があったのだけれども20人ぐらい受けて、二人落ちた。なんとそのうちの一人が俺。緊張していたわけではないんだけど、いつも失敗しないところでなぜか失敗してしまった。その後は、、、、、またあさってにも試験があるのでさすがに二回目は合格しなきゃ。さてさて、今回は合宿という形で教習所にきている。バイクの免許ということで、かなりやんちゃな子達が多い。5歳くらい年下の子達なのだが、一週間以上いっしょにいるとかなり仲良くなった。価値観はきっと違うんだろうし、世間一般的に見れば自分のほうがはるかにまじめだし、優良なんだろう。ただ、みんな面白いやつら。 アウトローが多くて過去に非行経験がある子、家出中の子、なぜか教習所にくる前にバイクに乗っちゃってる子。みんな普段自分の周りにいる人々とは違う。この子達しっかりしてるのよ。 意外と。俺は19歳になるまで労働経験なかった。 だけど、17歳ぐらいでいくつかの職経験してるなんて驚き。話してても面白いし。 楽しいやつらだったなあ。最後には「がんばってくださいって」言われちゃったし。いやいや、いい経験ができました。次こそは絶対合格してやるのだ!
March 6, 2006
現代人は見なくてもいいものをたくさん目にしている。例えばニュースで報道されてる殺人事件のニュース。動機や遺体の状況などが報道されるたびに目にするのは人間の醜さだと思う。虐待や、監禁、猟奇的殺人そういったものが現実として起こっているのは事実なのかもしれない。けれど、そういったものを通じて人間の醜さを意識しなきゃいけないものなんだろうか。外国の軍隊での捕虜への虐待映像やテロの犯人が人質を殺人する映像がインターネットで配信されたというニュースもよくやっている。日常生活の中で人間の醜さを目にすることは実に多い。現実だけではなくて漫画や映画にもそういう描写は多い。芸術の題材として人間の醜さや暗い部分をテーマにするのはある程度は理解できる。問題はそれが抽象的範囲あるいは想像力を無視して、映像化つまり具現化してしまうことにある。視覚によって目にしてしまうものは、聞いたものや文字による認識よりもはるかに強い印象を残す。僕が普段の私生活の中で人間の汚い部分醜い部分を目にすること、感じたりすることは確かにある。でもそれは度が過ぎたものではなくて日常生活の中での当たり前のことだ。他人に対する悪口とか文句そんなものだ。だけれども、テレビなどによる映像や雑誌などの写真、また漫画といった莫大な数の人々が目にするものの中には度を越して人間の醜さを映し出したものが多いんじゃないだろうか。そんなにさ、人間の汚さや醜さなんか意識して生きていく必要はないだろう?きちんとしたフィルターを自分自身の中で確立しないと世の中はとても暗く見えてしょうがない。マスメディアが発達した世の中では「しょうがない」って割り切ることが唯一のフィルターだ。なぜか、人は醜い部分を見ようとすることに興味の対象を向けようとする。人間の暗い部分に焦点を当てるのならば、それの以上の幸福を描き出すべきだ。
February 19, 2006
自分に自信が持てるとかそんなんじゃない。ただ、自分が好きなものを好きだってはっきり言えるようになっただけだ。けれど、こんなにも世界の見え方が違うものか。ただ自分に正直になる。 正確には自分のことが以前よりも理解できるようになったのだろう。何だって良いんだ。 ただ、僕は音楽が好きだ。本が好きだ。あなたが好きだ。みんなが好きだ。そういうことが素直に認められるようになっただけなんだ。自分の感性や価値観を信じられないというのなら一体何を信じろって言うんだい?突き抜けろ。 思うがままに。---------------------------------------------------------------------表現とはとても曖昧な面を持っている。ときに受け手が思いもよらない意図を感じてしまうものだ。けれど、そんなことを意識して躊躇する必要はないのではないか。それをどう捉えるかなんてもはや想像の範囲を超えている。何かが発された時それはもう放たれているのだ。すでに君の手を離れているのだよ。しかし、受け手がどう捉えようともそれにはその瞬間のなにかが凝縮されている。それは意識であり、感情であり、そして希望である。
February 6, 2006
先日渋谷AXへROYKSOPPのライブを見に行ってきた。 フジロックでのものすげえライブを見せられてからすっかりファンになってしまったので、今回の来日公演は見逃せなかったのである。会場はそこそこの大きさでほぼ満員だった。まず、前座のANNIEだったんだけど。正直物足りない。まあ軽く会場を温める程度にはちょうどよかっただろう。しかし、ROYKSOPPが登場して一曲目を始めたとたんに一気にヒートアップ。やっぱすげえよこいつら。 単独でエレクトリック系のライブに行ったのは今回が初めてなんだけど、踊れる踊れる。音楽に取り込まれるというか、ただ音と感覚それに肉体だけがあって、不思議と思考の入り込む余地がないのね。まったく何も考えずに1時間半ずっと魅了され続けた。POOR RENOではこの日一番の盛り上がり。それまでは、横乗りだったんだけれど一気に縦乗りへ。一旦メンバーが消えてからは、電光掲示板に「DO You Want More ROYKSOPP?」の文字が。 うーん粋な演出だった。こういう音楽も良いね。ただ純粋に楽しめる音との新しい関わり方を発見。帰りにはラフトレードのコンピを買った。2CDになんと50曲ぐらい入っている。 全然知らないアーティストの曲をこうやって聞くのもなかなかいい。 聞く音楽の幅が広がるしね。--------------------------------------------------------------------感性をいかして何かを楽しめるってことは、素晴らしいことだ。文学であったり、映像であったり、音楽であったり、美術であったり。どんどん世界観が広がっていくのがわかる。僕は変わり始めている。 ただそんな予感がしてるんだ。
February 3, 2006
アミュージカ御一行が我が家にやってきた。 さすがに6畳に5人は狭かったけれど。 今回新メンバーと初対面したんだけど、二人ともいい雰囲気もってたよ。 山梨、東京のライブに同行したんだけど、たくさん刺激を受けたよ。 山梨のライブでは近くのいかしたバーの主人と今まで以上に深い中になれた。 近くにこんなすごい人がいたなんて、今まで知らなかったなあ。 で、こんどDJデビューすることになりました。 東京でもアミュージカのライブの関係ではじめてDJイベントに行ったんだけれど楽しかったなあ。 僕はこういう雰囲気でならお酒を飲める気がする。 酔ってたせいもあるんだろうけど、ずっと踊りっぱなし。 アミュージカと一緒にライブをやったボウルズのメンバーの人ととも少し話すことができて感激。 ボウルズのライブは今回で2回目になるんだけど、今回のほうが断然よかった。 CDも買ったんだけどこっちもすんげえかっこいい! アミュージカのライブはさ、いやいや期待した何倍もよかったよ正直。 ちょっと見ないあいだにめちゃくちゃ成長してるやん。 原ちゃんもタキヤンさんも大学時代とは比べ物にならんわ。 新曲もよかったし、このまま上昇気流に乗ってって欲しい。 原ちゃん言われてみて思ったけど、うちのベッドはどうやらほんとに硬いようだ。 タキヤンさん大学のときとの何倍もいい雰囲気出してます。 キダくんと短時間であれだけ打ち解けていた人は初めてです。カズ写真でのイメージだけだったから、年齢不詳だったけど。 会って話してみたらちゃんと二十歳らしさを持っててよかったよ。ハシモうん、きみは自分の色を持ってるよ。 アミュージカにももっとハシモ色を出してって頂戴。 また、ハシモタイムに期待してるよ!アミュージカなんだかさ、不思議にだんだんよくなってくるんだよね。 ずっと色あせないようなそんな楽曲たちだと思うよ。 ライブでの音楽も力持ってると思う。 また期待してるから、僕の想像なんか軽く超えちゃってよ。 がんばれい応援してるぜい!追伸ハシモ&カズへいただいたものは今年中にすべて使用するよ。 そんときはまた連絡しまーす。 ---------------------------------------------------------------------刺激だ。 必要なのは何よりも刺激だ。 人から、そして音楽や本から。 変わっていけるさ。 僕の変化はまだまだ始まったばかりだ!
January 31, 2006
2006年になった。 といってももう十日ぐらい経つのだが、、、年々記入率が悪くなっている。 今年は去年以上書き込むようにしよう。今年の目標はただ今までよりも人生を楽しめればいいと思う。ライブもたくさん行きたいし、またイギリスにも行きたい。去年までで焦って物事を運ぶことがどれだけ多くのものを見過ごしているかということに気が付いた。余裕もって何でもやらなきゃ。余裕があるから楽しめるんだよね。一段飛ばしで上っていけるのかもしれないけれど今年はあえて一段ずつ上がっていこう。新しい発見があるかも。そんなわけで2006年始まりからBLUEMONDAYで踊りっぱなしのdehideであるうん、これでいんじゃないかい?
January 8, 2006
HMVに注文していたNEWORDERのベストとSTROKESの新作が届いた。NEWORDERの方は前々から欲しいと思っていても、なかなか購入にはいたっていなかったCDなんだけどこれがめちゃいい。 NEWORDERって今までFavorite一歩手前だったのだが、完全にもうとりこだ。 ああ、今思えばもっとフジロックのときにしっかり見ておけばよかった。 初期のJOYDIVISIONぽいのもかっこいいし、BLUEMONDAYをはじめとするクラブサウンドもいい。 REGRETや1963やCRYSTALも好きだなあ。 しばらくはNEWORDERのとりこだ。 これを機会にJOYDIVISIONにも手を伸ばそうかしら?STROKESの新作に関しては賛否両論あるみたいだけど、レスポールサウンドが好きでない方はお気に召さないと思うなあ。 is this itのあのスカスカ感が好きな人にはあわないかも。 個人的にis this itがSTROKESのなかで一番好きだからなあ。 好きな曲もいくつかあるしサウンドのところどころにセンスは感じられるけど、、これを進化というのかどうかは難しいところ。 プロデューサー変えた影響とかあるのかも。 もうちょっと聞き込んでみよう。NEWORDERで興奮し、STROKESを聴いて悩む。
January 7, 2006
2005年は今までの人生で一番忙しかったまず初めて一人で年越しを向かえ(ひどいもんで年越しまで起きてなかった)で、1、2、3月は特に何もなかった。4月からは免許取得と大学院へ行くための資金稼ぎ5月、6月、7月はひたすら働いていたそして、初めてのフジロック 普通集団で行くんだろうけどなんと単独参加ま、一人でも十分楽しめたからよかったのだけどフジロックが終わると一気に受験モードひたすら大学の図書館にこもり勉強そんなんで8、9月は終わり10月は受験 合格したのだけれど、進路にものすごい悩む そして、周りをものすごく巻き込んだ みなさまご迷惑をおかけしました結局、大学院に行くのがベターだと思い進学することで決着今年1番の思い出はなんといっても11月にロンドンにいったことだ進学で悩んだこともあった結果と違う環境に行っていろんな人と出会ったことで自分の人生で進むべき方向が見えた気がする何よりも人生を楽しむ そのためには自分が自由に使える時間が必要なのだそんな大発見をし帰国12月今年ももう終わる来年になれば大学生活も終わる 2006年は今年以上におもしろい年にしたいやりたいことは、やらなきゃいけないのだ
December 29, 2005
久しぶりの曲を聞いた。 何をしているのかここ数年まったくといっていいほど情報がなかった。大学に入ってからの4年間で聴く音楽も変わり、実験的なものを好むようになっていた僕が、こんなにサウンドに実験性のないごく普通の曲になぜ惹かれるのだろう。 青春の一時期確かに僕はThe VERVEというバンドにのめり込んだが今は、ごくたまに聴くぐらいである。それは、実験的要素が高い音楽のほうに好みがよったことが原因だ。それが、初めて曲を、というよりも彼の声を聞いたとき、妙な心地よさがあった。正直、革新的な新しさがあるわけではない。 演奏がいいわけでもない。それでも、なぜこんなに惹かれるのだろう、妙に泣きたくなるし。ASHCROHTの圧倒的な存在感それにつきるのかな。さっきからネットで聴きっぱなしだ。 おかえり、よくまた歌ってくれたよ。
December 11, 2005
人生はなにを目的とすべきか、その答えは、様々まだと思うが僕にとっての一つの答えを最近発見。それは「人生とはまず楽しむべき。」である。ロンドンに行き違った環境に行ったことが原因だと思うんだけど、自分が今まで、とても急いでいたことに気が付いたのである。楽しいことを犠牲にして、結構いつもナイーブになっていた。頑張ることは大切であるが、頑張りすぎていた。一歩一歩確実でいいんだ、僕はいつも飛び越えようとしてしまう。「ゆっくりでいい、確実に前進していこう。」
December 10, 2005
ロンドンから昨日帰ってきた 初の海外旅行ということで右も左もわからなかったのだがいい経験になったロンドンに語学留学に行っている大学の先輩のところに一週間滞在させてもらい、彼にいろいろ案内してもらった本当に驚きの連続だった実際に観る現地の建物は荘厳な印象だった 古いものは古いのだけれど新しいものはモダンなデザインでその二つが共存しているロンドンはそんな不思議な街並みだった人々もあらゆる人種の人がいて外国人の一人という立場に初めてなった僕はとても不思議な感覚だったパプにも連れて行ってもらった年寄りが昼からビールを飲んで楽しそうに話している光景は、まず日本では見ることができないだろうそこには若者からお年寄りまでのあらゆる年代の人々がいた違った環境に行ったからか、特にロンドンであることが理由なのかはわからないけど、やることすべてが新鮮だった道を歩くのも、食事をするのも、買い物をするのも、地下鉄に乗ることもそのすべてがいい経験になった「間違いなくまたここに来る」 そういう確信をもってロンドンを後にしたその感覚はフジロックから帰るときに感じたものと同じものだ今度は僕も一ヶ月ぐらいではあるが語学留学という形でロンドンに行ってみようと思っているこの街にもう少し違和感なく溶け込むことができたら素敵だな そんな気持ちにしてくれる街だロンドンは---------------------------------------------------------------------今回の旅行がこれだけ楽しかったのは先輩とその語学学校の友達がいたからだThank you キム、ジェニ、ヒョンミ、ミズキ、テル、マサト、マサトシ、マサユキand サトシサン(現地風)
December 6, 2005
明日からしばらくロンドンにいっていきまーす。
November 26, 2005
簡単だと考えられるのは、結果が出てしまってからである。それまではとても複雑で、出口が見えないものなのかもしれない。--------------------------------------------------------------------難しい話になる。 最近は卒業論文の関係もあって、ダダイズムやシュルレアリズムといった第一次世界大戦後のヨーロッパの芸術思想について調べている。 人間がいかに複雑で、奇妙キテレツな考え方を持ち得ることができるかわかる。 このまえ、大学の授業で「平和な時代の芸術はたいしたものがない。 むしろ、戦時下のほうが緊張感を持ったいい芸術が生まれ得る。」といっていたのだが、なるほど確かにそうなのかもしれない。 鬼気迫る何か、非日常的なものが人々を感化するのだろう。 話をダダイズムやシュルレアリズムに戻そう。 この二つの考え方が複雑たる所以は、論理的に思考されたものではなく、感覚的なものをそのまま表現するといったことが目的とされたことにある。 このような表現はとても抽象的だ。 音楽もそうなのだが抽象的な表現は論理的な思考(根底にはそういった要素があるのかもしれないけれど)が入り込む余地がない。 受け手側が自由に受け取れるため、様々な考え方が入り込む余地がある。なにしろ頭に浮かんだことを前後の脈絡も関係なしにそのまま書いていく。それが人間の潜在意識で最も真実に近いとするような考え方だ。 人間の探求というところに芸術の意義があるとすれば、なるほど、間違った考え方ではないのかもしれない。 ---------------------------------------------------------------------こういう芸術運動とかってちょっと憧れたりするんだよね。 今ってそういうものって感じられないからね。 海外であろうと日本であろうと100年ぐらい前の芸術運動ってぞくぞくするんだもの。 日本でもさ、俺みたいに芸術的退屈を感じてるやつって結構いるような気がする。 そういった若い連中が集まって芸術生産活動できたら面白いと思うんだけど。 あ、もちろん商業的成功はなしにしてさ。 そしたらさ、人生に対する考え方ってもっと違ったものになる気がするんだけどなあ。
November 9, 2005
自分の特徴について一つわかったことがある。 広い視野で見ることができるものごとと、そうでないものとがあるようだ。狭い視野でしか見れないものはいくら考えても突破口がみいだせないらしい。 ふとしたきっかけでそれが見つかれば、ああこう考えればいいのかと理解できるのだが、そうでないときは簡単ななぞなぞに悩んであるようなものである。 考える柔軟性に欠けているのだろうか? 不器用だということは自分でもわかるのだが、どうしたらよいものか。スマートに生きたいなんて思わないけれど、このままだと大きな失敗をやりかねない気がする。 うーん、まずは食わず嫌いをなんとかしないとどうにもならなさそうだな。
October 25, 2005
古いものに気づかされ、新しいものに驚かされるこれからもそういったことが続いていくんだろう世界は創造と破壊を繰り返し喜びも悲しみもその無限の広がりの中に含んでいるそうやって僕も喜びや悲しみの塵になっていくのだ
October 19, 2005
有効的なコミュニケーションのとり方とは相手の立場にを考えたものだ。 僕の日記なんかがそうだけど、観る人を無視した構成になっていることが多い。 誤字脱字は勿論のこと、抽象的な説明も多いし、何かを伝えるために必要な具体的説明を省いていることが目立つ。 決して意図してのことではない。 根本に自分さえ理解できればいいということがあるし、第一日記なんだからそれでいいだろうという考えがあった。 でも、僕の場合普段他人とコミュニケーションをとる場合にもこの傾向が目立つ。 日常生活の中での携帯のメール、会話などで僕は相手の立場を無視することが多々ある。 自分さえ言いたいことが言えればそれでいいという自己中心的な考えがあるのだろう。 情けないことにこういったコミュニケーションが有効的ではないということに今まで気が付かなかった。そのうえ、僕は他人になにかを説明することが下手だ。 これは、相手の立場に立つということができていないことは勿論のこと、具体的事実を省いて説明してしまうからだと思う。 正直めんどくさいといったところがあった。 このめんどくさいが僕がコミュニケーションを上手くとれない原因なんだろう。めんどくさいを解消するためにはある程度の訓練が必要になる。 これは普段のコミュニケーションの中でできることで、自分が知っていることが他人が知っていることなのか、お互いに知っていることでもそのことについて共通理解があるかなど、こういうことを考えてコミュニケーションをとるだけでも、意思伝達の効率はずいぶんよくなると思う。有効的なコミュニケーションをとるためには自己中心的にならずに、他人のことを思いやる気持ちが必要だってことだな。 めんどくさがらず日常生活で注意してみよっと!
October 18, 2005
考えることと行動力そのバランスはとても難しいものだ。 考えるだけでは経験値として自分に身につくものとならないし、行動するだけでは効率に欠けることになる。 今の僕にはこのバランスが考える方向に傾いている。 それだけに自分の経験値のなさを痛感している。来年、僕は大学院に進学という道を捨てて東京に出てみようと思っている。 それは2年間大学院に進学して、学問的知識を身に付けることはできたとしても、なにかを体験して得る経験値に欠けると思うからだ。 だから、東京に出て今よりももっとたくさんのものに触れてみたい。 僕は大学に入ってから本を読むようになったし、学力もつき考えの幅は広げることはできたのだと思う。 でも、それは何かを体験して得た経験値とはCDとライブぐらいの差があるものだ。 桃牡蠣さんに昔、本を捨てて街にでようと助言を受けたことがあるのだが、今はその意味がよくわかる。 今の僕が刺激にうえていることは確かだ。 残念ながら山梨にいながらではそれは満たされるものではないらしい。 フリーター生活は大変だと思う。 それでも、その合間に自分の感性の赴くままに色々やってみよう。 若い感性を維持できる時間なんてそう長くないんだからね。
October 16, 2005
新しいスタートを切ろうと思ったとき僕は必ず部屋の大掃除をする。 今日は大掃除をした。 新しいスタートを切ろうと思う。
October 15, 2005
人は成長するにつれていくつもの壁を自らに設けてしまうものではないか? そうしていくなかでいつの間にか程よい刺激のものしか受け入れられなくなっていうるのだろう。 そこから外れる表現を「異」としてしか捉えることができずに拒絶してしまう。 だけれども、人間本来の「素」はまさにそこにあって、それこそが私たちの感性に訴えかけるものだと僕は思う。 rockin' onにsigur rosの新曲が入っているCDが付録として付いている。 これが音楽であり、芸術ではないだろうか?そう感じさせる曲だ。 すべてを超えて感情に突き刺さる、思わず泣きたくなるその先に見えるのは「希望」だ。 それは明確で具体的なものではないけれど、ぞくぞくするような新しい何かを見せてくれる。 僕はなるべくなら「壁」を持ちたくはない。 それは僕が望んで作り上げたものではなくて、「社会」「世界」によって無知覚のうちにもたらされたものだ。 それを破壊するためには、自ら考えるしかない。 そして、それを手助けしてくれるのが「芸術」であると僕は勝手に定義する。「芸術」は人間の心を震わすことができるものの一つだ。 「壁」がなければ僕は無防備になるかもしれないが、それでいい。 ネガティブなものがあるのは事実だし、目を覆いたくなるものがあるのも残念ながら事実だ。それでも「希望」を信じることができるから僕は前進してゆける。 できることなら「裸」になりたい、そうなることで一点の曇りもない「希望」を感じられる。 本当は隠すものなんて何もないのだ。
September 3, 2005
彼女とアオキタカマサという二人の日本人が作った28というアルバムがもうすぐリリースされる。 fat catからのリリースなのでhpにて何曲か視聴してみたがこれがまた素晴らしい。ツジコノリコという人の作品を今まで聴いたことがなかったのだけれども、この人はいい世界感を持っいて、かなりいいヴォーカルではないかと思う。 正直久しぶりに音楽聞いて感動した。 彼女が選んでいるように打ち込みによるエレクトリックサウンドにはまだまだ開拓の余地があるようだ。 人間が人間のあらゆる実態を調べ上げていくうちに、精神的にも物質的にも徐々にではあるが着実に我々の未知の部分は少なくなっている。 当然、心理学が発達した現在では感情までもが、論理だてて説明されてしまう事態に陥っている。 出尽くした感性には驚きも感動もすでに存在しないのかもしれない。 要するに今の時代に、プレスリーがやっていたようなロックンロールをやったとしてもそれは懐古にしかすぎないのだ。 そう考えると、レディオヘッドがkid Aを作ったのもなんとなく理解できる。 ギターロックはよほどの才能がない限り、新しいものを生み出すことは困難になって来ているのだろうかという疑問さえ浮かんでくる。 それでも、エレクトリックサウンドがすべて素晴らしいかというとそういうわけでもない。 結局は、感性と美意識の問題なんだろう。 ツジコノリコが素晴らしいのはまさにその美しさと感性に於いてである。 感性と美意識。論理なんかでは説明できないようなその二つがあってこそ芸術なのだ。
July 28, 2005
自分自身が思い描いていることを実現するために努力しなければならない時期にきている。 もっと勉強しなければならない。 色々なことに少し触れるだけで自分自身の知識のなさを露呈してしまう。 自分自身の知識の幅を広げなければいけない。 そうしなければ何に対しても確固たる自信を持って自分の意見など述べられるわけがない。 僕はもう22歳で大学4年生であるにもかかわらず世の中に対して微々たる知識しかもっていない。 僕が思い描いている未来の自分になれるかどうかはここ数年が勝負であり、もうその時期に来ているのだ。 狂ったぐらいに書物を読み、考え、たくさんの芸術に触れる。 計り知れないぐらいのエネルギーが必要となるわけだが、幸い体力はあるほうで肉体的には問題はないだろう。 僕の勝負はもうすでに始まっていて残されている時間は意外に少ないのかもしれない。 無駄な時間なんかはない。 若いということは何かを吸収しなければいけないし、考えなければいけないのだ。やりたいことはたくさんあるし、見たいものや触れたいものもたくさんある。 だったら全部やってやるのさ。 うむ、とりあえずは今週のフジロックだ。
July 25, 2005
ネットが再び開通したわけだけど、とりあえず以前掲げていたいくつかの目標が実現しそう。 まず車、お母さんが「あんた持っていくんならもっていっていいよ。」発言。 ただし北海道を横断し、さらにフェリーに乗らなければいけない。 免許が取りたてであろう僕には難関だ。 ひと夏の冒険になりそう。 次にフジロック悩んだ末3日目だけの参加が決定。 あとは交通手段に悩むのみ。 この二つは実現しそうだ。 後は進学と渡英。 この夏本腰を入れたやらなければいけない2つだ。 大学院の試験に合格しないと何も始まらないからなあ。 自動車学校も終わったことだし、本腰を入れて受験勉強せにゃならん。 この夏はやることが目白押し。 がんばらなきゃあかん。
July 11, 2005
もうどうせだから通し券買っちゃおうかなって気になってきた。 フジのファンサイトで同行者探していくとなかなか面白そうなのね。 でも、チケットとるのもファンサイトの人と連絡を取るのもネットが開通しないとできない現状、、、ああ7月7(ネット開通)まであと一週間あとちょっとの辛抱だ。
July 1, 2005
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