全323件 (323件中 51-100件目)
僕の小さな野望たちとりあえず新しいPCを購入することにした。 手痛い出費だったが今後のことを考えるといたしかたあるまい。 車の購入については時期を見合わせることにする。アルバイトにてしばらくをお金をため来春購入を目指す。 渡英についても同様に来春予定である。 問題はfujirockfrestival,05である。 結論から言うと曜日はまだ決めてはいないが行くことにする、もちろんdehideのみの単独参加である。 しかも、金銭的に考えて一日のみの参加が限界のため車中二泊という強行スケジュールだ。 今までは大学での授業のため参加をすることはできなかったし、来年以降のスケジュールの保障ができない。それならば行けるときにいこうと決断した。あとは、beckかcoldplayかsigur rosどれが一番観たいかという問題だけだ。 将来的なことについてdehideは今通っている大学の大学院へ進学希望である。 dehideは現在某大学の英文科に通う4年生で、今後は国文科学科大学院にて現代文学を研究しようと考えている。 進学を希望する理由は2つあり、ひとつには大学の4年間だけでは知識を身につける時間が少なかったこと。 もう一つにはやりたいことが明確化したことにある。 自己考察僕は所謂一般的というところからずれているところがあり、これは僕自身も認めているところだ。 それには理由があり僕にはこの一般的というものがあまり意味を成さないということだ。 僕たちは固有の存在であるから基準は常に自分自身である。 感性だって、考えていることだってみなそれぞれに違うはずであるから、自分には自分にあったスタイルがあってしかるべきなのだ。 だから僕たちは物事を考察するのと同時に自己に対しての考察も怠ってはいけないのである。結局のところ僕の興味はそれが外に向けられていたとしても必ず自分とlinkしている部分があるのだ。 僕の尊敬する教授が言っていたことなのだけれども、影響されるということは、ただ影響されるということはあり得なく、自分の内にそれに呼応するものがあるから影響を受けるのだということだった。 その通りだと思う。影響されるということがよく悪い意味で捉えられるが、それはその人の中にlinkしている要素があるというだけのことで、影響されやすい人はそれだけ興味の芽が人より多いということだけなのだ。 自分という基準は設けるのだけれど、それは他と触れ合うことでしか効力を発揮しない。 要は若いうちにできるだけ多くのことに対して化学反応を起こせっちゅーこった!
June 21, 2005
どこからこういう発想が出てくるものなのか、僕には計り知れない。 アーティストには幾つかタイプがあって、そのうちの一つがbeckやradioheadのように発想の根源が計り知れないというタイプだ。 ただ、純粋に美しい音楽をつくたっり、商業主義的な楽曲を作るアーティストが多い中、このような存在は異端であり、希少である。 最近は模倣犯も増えてきて、狙ってひねくれ音楽を作る輩がいるが、ちょっと耳がいいリスナーなら一発でわかっちゃうものね。 彼らのような希少なアーティストがいるのはとても素晴らしいことのなのだけど、どうして日本にはいないのかしら? せめて模倣犯ぐらいいてもいいものじゃありません? わが国の音楽には知性のかけらも感じられないのだもの。 きっとアンダーグラウンドには幾つかそういったバンドがいるんだろうけど、受け入れる地盤もないから消えていっちゃうんだろうなあ。 ねえ、なんとかしてよサトシッコ!
June 20, 2005
えええええええええええ三日目プライマル来るんだって! こりゃ3日めで決定的!
June 19, 2005
フジロック、パソコン、車、渡英。 何かを選択すると何かができなくなる。優先順位を決める時間は意外と少ないようだ。 あああ、sigur rosとcoldplayとbeckがいっぺんに見られたらいいのにな! よりによって3日に散ってるし、、、、パソコンは壊れてるから、買い替えは急務だし。 せっかく免許を取るんなら車欲しいし。 学生のうちに海外行きたいし。 宝塚記念でも当てようかしら!
June 15, 2005
パソコンが壊れてしまいました。 どうやらHDの故障らしいので、今後HDを新しくするか新しいパソコンを買うしないとだめそうです。 もともと、DVDが見れないわ、CDの書き込みができないわで相当古いものだったので新しいのに買いかえようかしらと考えているのであります。 こりゃしばらくは学校のPCを利用するしか方法がないようです。
June 10, 2005
僕は某コンビニエンスストアでアルバイトをしているのだが、僕自身コンビニエンスストアはどちらかというと好みではない。 資本主義の理念に沿っていかに儲けようかという考えからみれば商業理念は利にかなっている。 これについて僕は何も問題にはしない。 問題は我々がその便利さに依存しすぎていることにある。 この便利さは「めんどくさい」を解消できる手段であるし、コンビニの商業理念はそういうところから生まれ出てきたものだ。 たとえば急いでいるときなどにはこの便利さは有効なものだと思う。 問題は平素からその便利さに取り込まれてしまう人が意外にも多いことだ。 発達した現代の資本主義社会においては、お金さえあれば「めんどくさい」から解放され得る。 「めんどくさい」があればそこにお金が生まれてしまうわけだ。 技術の発達においても同様である。 今僕がこうやって字を打ってるのだって、書くのがめんどくさいうえに変換という便利な機能があるからである。 大切なのは「めんどくさい」解放主義を鵜呑みにしないということだ。 行き過ぎた便利さの裏には弊害があるということを忘れてはいけない。 普段パソコンを使っている人はいざ紙に何か書かなければいけないときに、自分がいかに漢字が書けないかということを痛感するだろう。 発達した資本主義社会のなかで我々はその思想や理念に利用されるだけではいけないのだ。 僕には便利さに慣れてしまっている現代人は明治ぐらいの日本人に比べて「人間力」(僕が勝手に作った人としての総合的な能力)が劣っているのではないかという懸念がある。 今のこの社会はある意味では昔からの人々が考えてきた理想的なものであると思う、しかし我々は無意識にそれに依存してしまっている。 その状態は考えることを必要としない。 それに気がつき、過度の依存から抜け出すためにはやはり考えるしかないのだ。 呑まれるな、考えるんだ!
May 28, 2005
22歳になったからというわけではないけれど、自分の前にあったある種の膜を超えることができたのだと思う。 具体的に何ができるようになったというわけではないけれど、ものを見る視点が変化したのだ。 要因のひとつは本を読むようになったことと、音楽の好みがはっきりしてきたこと。 感性が磨かれることによって自分の中の欲求がはっきりと形づくられてきた。 知りたい、感じたいといった欲求がどんどん強くなっている。 あらゆるものが明確な形をとって僕の前に現れているのだけど、ただそれを鵜呑みにすることほどばかげたことはない。 社会のシステムがそうだ。 当たり前に、そうすることが当然なものとして我々の前にシステムとして存在するわけだけど、多くの人間がその成り立ちや、機能について深く考察していないのではないだろうか? どんなものでも自分の視点で捉える事が必要なのだ。村上龍のコインロッカーベイビーズを読んだ。 こういった表現力が認められている日本の文学界って素晴らしいと思う。 音楽界と比べると一目瞭然だね。
May 23, 2005
22歳になった。 年をとることが楽しみになってきたのは、いい意味で成長しているからなのであろう。
May 17, 2005
不安になるのは間違っているからではない、答えがわからないからだ。方法は自分で考えなければいけないものだし、答えだって自分で見つけなければいけない。 そう、君がそうだと思えばそれが答えになるのだし、違うと思えばそれは答えではないのかもしれない。 結局、自分がどう行動するか、どう他人と関わっていくかということは自分で考えて自分で決定しなければならない。 それはすごく曖昧なものでその時々によって変化する。 だから、そのときはこうでいいんだ! と考えてしたことがあとになって後悔の種になってしまうことだってある。 もしかしたら人生を総合してみたときに一貫してこうだなどと決定付けられるものなんて、それほど多くはないのかもしれない。 それでも、僕は答えを見つけ出さなくてはならない。 将来の自分がどう考えているかなんてことは問題ではなく、僕がどういう答えをだすのかということが今の僕には重要なのだ。 この前の日記とやや似ているところがあるけど、それはきっとずーっと同じようなことを考えているからだろう。 今の僕には長い時間をかけて自分とのそして、他人との関わり方を考えることがとても大切なのだろうと思う。臆病にもなるし逆に自信家にもなる。 僕自身がメタファーなんだろうな、、、いや、誰だってそうか。
May 4, 2005
ひさしぶりにヴェルヴェッツを聞いている。 彼らのアルバムの中で一番有名で僕が唯一もっているバナナ。 うん、文句なし。 いままでぜんぜん気がつかなかったけれどいまさら彼らの色に気がつくとは、、、スーパーカー聞いていたせいで彼らが影響を受けていたミュージシャンのよさがいままでよりわかるようになたってことかな? マイブラもたまらんかったしなあ。 正直ジャケットのバナナとサーンデモーニングしか印象になかったのだけれど、いいアルバムなのね。 3曲目9曲目は恋人とベットの中で一緒に聞いてみたい。 きっと今まで抱いたことがないくらいやさしい気持ちになれるんだろうなあ、、、
May 3, 2005
僕の将来は不確かなものがほとんどではないかと思う。 それは何々するつもりであるとか、何々したいといったことだ。 中にはきっと実現するものもあり、また実現しないものもある。 しかし、大事なのは実現するかどうかということではない。 長期的なスパンで物事を考えられるのはとても素晴らしいことだと思う。 でも、その間に目標はさまざまな形で姿を変えるものだと思う。 その、目標に到達するまでにどういった影響をいつ受けるかということはわからないもの。目標はより魅力的なものへと変貌を遂げるかもしれないし、他に魅力的なものが現れるかもしれない。 どんなに将来を具体的に描き出すことができたって、自分が考えていた将来に立ったとき、その具体的に描き出したものがどうでもいいものになったりしているかもしれない。 これはあくまでも僕の場合だが、将来自分が具体的にこうしているだろうなんてことに対してはほとんど責任を持つことができない。 でも、それはそんなに悪いことではないと思う。 僕はまだ21歳だ。 自分の世の中に対する知識なんてたいしたもんじゃない。 結婚しているわけでもないし、子供がいるわけでもない。 (まだ、セックスだってしたことないし) 今の自分が世界に対してとっているスタンスはそれほど悪くないものだと思う。今、僕は大学4年生で親から仕送りを受けている身で、社会的に自立しているわけではなく、親のすねをかじって生活している。 自分は金銭的に苦労はしていなくて、時間もたっぷりある。 だからこそ今のうちにたくさん考えて、いろんなものに対する自分の距離を知る必要がある。 自己、他人、恋愛、社会、就職、、、近い将来に起こるであろうあらゆることに対してだ。 そこで僕がとったのが論理とか、具体性というものをある程度排除することだ。 今の自分がものごとを論理だてたり、具体的に考えるレヴェルはそんなに高くない。 あまり多くのことが、つまり確かではない(もちろんこれは当然今までの経験から論理だてるし、具体的に考えるがそれを過信しないということだ)。 僕は自分が何も知らないということを今までの経験からよくわかっている。 だから、こういうスタンスをとるのだ。 世の中には僕の想像力を超えたものがたくさん存在する。 僕も将来、僕が今持っている将来の自分像なんか軽く飛び越えてしまいたいのさ。 僕がこれから先も僕であることは確かで、責任を持たねばならないことだからね。
April 24, 2005
いったい、この一週間でどれだけの活字を読んだだろう? 最近では300ページぐらいの文庫本を一日で読んでしまうことが苦ではなくなってしまった。 今、僕が読んでいるのは村上春樹、村上龍に阿部和重といった最近のものだ(両村上氏にしても最近のものというくくりはどうかと思うが、なんせ以前が、漱石、太宰、三島それにフィッツジェラルドなんかだったから、、、)。 この変化は僕の中で以前にも増して「現代」というものに対しての興味が大きくなっているからである。 「近代」作家たちはとても素晴らしいと思うが、そこからしか何かを得ることができないというのは、今を生きている自分にとってはあまりにも悲しい。 そこで「現代」作家ってどうなのよってことで、しばらくは現代作家を中心に読み漁ろうと思う。 それに、明治や大正時代のことだと想像はできるけど実感を伴っててのはなかなか難しい。 僕が生まれてたわけではないけれど1970年代ぐらいの文化って今でも感じちゃうことってできちゃうから。 あとは、明治の殉死よりも今の時代の自殺のほうが多少つかみやすいし。 要はしっかりしたその時代に対しての知識がないと、なかなかその時代の小説って100パーセント味わうことって難しい。 なにせそんな知識のない僕だから漱石や太宰の小説ってわからないところが結構あって、、、それにも関わらず僕が彼らの作品に惹かれるのはこういうことだ。 時代が変わっても僕たちの感性の根本はそんなに変化するものではない。 僕が今でもホワイトアルバムを聞くように時代が変わっても美しいものは風化することがない。 ショパンやらベートーベンが21世紀になっても愛されているのもそういったことからじゃないのか? 彼らは25世紀、30世紀になっても愛され続けるはずだ。 僕は「現代」に期待する。 前記した通りそうでなくてはあまりにも悲しいしつまらない。 「現代」の小説家でも音楽家でも後世に名を残す人物が必ずいるはずだ、いや、いてくれなくては困る。 あとは彼らを見つけ出すことができるかというこっちの問題。 というわけで、日々黙々と感性を磨き続けるデヒデであります。 おおおおおおおおおおおおおお、わしの感性は30世紀になっても通用するんじゃあああああ!------------------------------------- んんんん、、、当初の予定とかなりずれたなあ、、、現代小説中心にまとめようとしたんだけどあっちこっち飛んでしまった。 デヒデの文章力はまだまだであると痛感。 これからはなるべく日記書くようにしよう。
April 12, 2005
「リラックス」今年度のテーマ。 僕はひねくれている。 dehide分の1は他人を信用していない。 どうせあいつは、、、dehide分の1はこの感情で占められている。 また、dehide分の1は寂しがりやである。 さらに、dehide分の1は他人に自分を理解して欲しい感情で一杯だ。 これらの要素は僕を力ませてしまう。 自分のなかの悪い要素と常に戦っている状態、これが今までの僕だ。 完璧主義な部分があるから人間に悪い要素があるのは当たり前なのに、それに納得がいかなくて、どうすればそういう感情が出ててこなくなるのか自分に問い詰める。 これが今までの僕だ。 中途半端な完璧主義なんか捨てちまいな。 dehideはひねくれている。それでいいじゃないか。 そもそも、その完璧主義だって誰かが産み出したものじゃないか。 dehideはdehideらしさを追求すればいいのだ。 dehide分のいくつかの悪い要素だって、実はいい要素に関係してるんだから。 僕には僕を構築していく権利がある、それは誰にだって奪えやしないのさ。
April 10, 2005
昨日ある人と話していて、気がついたこと。 僕は人と話している最中真剣身に欠けるときがあるようだ。 まじめな話をしている最中にちょっとひねくれたことを言ってはぐらかす傾向がある。 今まで全く気がつかなかったが、昨日その人と話しているときにふと思った。 問題は僕がそんな深く考えていないことを、話題にしてしまうことにある。 話している相手は親身になって聞いてくれているのだが、困ったことに当の本人には案外どうでもいいことなのだ。 こっれってひどいよね。 相手が自分の事に対して真剣に考えてくれているのに、肝心の本人が考えていないんだもん。 そりゃ、はぐらかせたら怒るよな、、、 昨日の話題は僕の恋愛問題。 僕はよく彼女が欲しいとか、できないとかいうのだけれど案外どうでもよかったりする。 そもそも今好きな人がいるわけでもないし、失恋をしたわけでもない。 こんな状況で恋愛に悩めるわけないでしょう? まあ、恋がなかなかできないのは悩といえば悩みなのだがこればっかりはねえ、、、ま、機会を待つべし。 もう大学最後の1年が始まった。 あと約一ヶ月でdehideは22歳になる。
April 9, 2005
僕の中には世間一般的に好まれる概念がインプットされているようだ。 人に優しくしたり、人が好まないような、めんどくさいことを率先してやったり、弱いものを助けたり、、、数々のこういう人から好まれる行動がインプットされている。 問題はそういう状況下におかれたときに自分の本心がわからなくなるところだ。 僕は前述したことをわりとする人間である。 良心がある人間なら当たり前なのだが、僕の場合本心からそういう行動をしているのかが自分でわからないときがある。 その行動の先を読んでいるのかもしれない、こういう行動って人から好かれるし、いい人だと思われるでしょ? そこまで計算してこういう行動をしてしまうのかもしれない、、、見返りを求めてるのかもしれない、、、いい行動をすれば、その分返ってくる。 こういう感情が僕にはある。 偽善者で計算高いやつ。僕にはこういう側面もある。 かといって、だまってそういう状況を見過ごせない自分もいる。 僕には真の良心と計算高い偽善者の心が同居している。 ひねくれた良心なんだろう。 もう少し気楽になれたらなあ、、、
April 8, 2005
想像(創造)力からすべてが始まる。 こんな単純なことにふと気がついたのは今朝4時ごろ。 そう、人間はあらゆることを想像(創造)することからすべてを始めてきた。 都市構造なんかの物質的なもの、社会構造なんかのシステム、宗教なんかの崇拝の対象、そして芸術。 こんな単純なことにどうして今まで気がつかなかったのか、、、、、だから優れた想像力の持ち主は時代の先端にいたり、逆に時間の流れとは関係のないところに存在し得るのだと思う。 過去の人間たちが想像(創造)してきたものに捉われてはだめだ。 僕たちはいつの間にか、大きなものの一部になっている、気がつくこともなしに。 僕たちに必要なのは想像(創造)することだ。 そうでなければきっと、この大きなものに気がつかずに、飲み込まれていくだけだろう。村上 龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んでずいぶんハイな状態のときにこんなことを考えていたのだが、この小説僕は好きです。 言葉というものの力、表現というものの力を感じました。 村上 龍も村上 春樹もすばらしいね。 現代日本に彼らのような作家がいることは大変素晴らしいことと思います。
April 1, 2005
人間の出会いには偶然と必然があるのだと思います。 導かれたように、まるで生まれたときから彼らには会うことが決まっていたかのようなそんな出会いがあるものだと思います。 大多数の人間は偶然に含まれる。 しかし、彼らに会わなければ自分の人生が変わってしまたのではないか? そういう出会いが必然だと思います。 実はこの楽天広場でpinkoysterさんと出遭ったことやサトシッコとの出会いを僕は必然と捉えている。 pinkoysterさんとは面識がないのだが不思議と近い存在に思えてならない(あ、勝手に思っているだけです) 僕のページを始めてリンクしてくれた人がpinkoysterさんで、不思議と今日までことあるごとに僕は的確な意見を頂戴しており、pinkoysterさんに出会わなければ物事の見方が今とはきっと違ったものになってたんじゃないかなあと思います。 それはもちろん少しの影響なんだけど、たぶんそれが他のものより僕にとって決定的だったのだと思います。 サトシッコに関してはまあ、特に言うまでもなく、素晴らしい同志また良き先輩。照れるからあんま言いたくないんだけど、頑張ってよ。 あ、あと僕はあなが好きです。 なんかつながりを感じます(あ、これも勝手に僕が思ってるだけ)。というわけで、いよいよ世界が面白くなってきたぞと若干ハイになっているデヒデからの告白でした。
March 31, 2005
僕はふと歩みを止めた。 自らの意思ではなく、誰かに呼び止められたかのように。 そっと後ろを振り返ってみると、そこにいるのは僕自身である。 特に驚いた様子もなく僕はそこにいる彼に話しかける。 「どうしたんだい?」 彼は何も答えない。 もう一度僕は聞く「何か言いたいことがあるんだろう?」 しかし、そこには静寂が残るばかりで、彼は何も言おうとはしない。 諦めたように僕が歩みを進めようとしたそのとき、「忘れないでいて欲しい。」 彼が口を開いた。 「忘れないでいて欲しい、君の中に僕がいたことを。」 僕が再び振り返るとそこにはまるで鏡を合わせたかのように無限に僕自身が連なっているのが見える。 その一人一人が口々にいう「忘れないでいて欲しい。」 僕は彼らが言わんとしてることを考える。 僕は気付く。 彼らは自分が成長するにつれて失ってきた感情なのだと。 大人になるにつれて思春期に抱いていたあらゆる感情。 言葉にならないあの感情。 それらを知り、経験する中で論理的に説明できるようになったり、あるいは実際に経験したことで幻滅してしまったりして、僕はいつの間にか多くの感情を置き去りにしてきたのだ。 大人になるということは知っていくということで、そのたび未知のものに抱いていたあのどきどきとした感情を失ってしまっていた。 彼らはそれを伝えに来たのだ。 今も僕が疑いも、恐れもせず、ただ感情に素直になれるということを。 de:hideは何も言わず振り返る。 彼は体が少し重くなったのを感じる。 しかし、彼にはそれがなぜかわかっている。 重くなった体とは反対に彼のあしどりは軽かった。
March 23, 2005
はっぴぃえんど恐るべし。 こんなバンドが日本にいたとは。 海外の大御所と比べたってなんら遜色ないじゃない。 ももんがぁー、ももんがぁー、おっおーももんがぁー。
March 22, 2005
「Answer」今我が家ではスーパーカーのこのアルバムがヘヴィーローテーション中である。 僕は日本のミュージシャンが嫌いなわけではない、ただメディアに流出してるのってひどいでしょ。 だからとっつきにくいっていうか、ふとしたときに聞いて、あ、これいいじゃんっていうのはけっこうあるんだけど。 スーパーカーに関してはバイトの子から借りて前からいいなって思ってたんだけどそれは初期のやつで、この前、興味本位でネット試聴してたら「Answer」にはまっちゃって、すぐCDショップへ。 スーパーカーのよさ・バンドとして一人一人の個性が強いよね。 ・ナカコーの雰囲気。・あ、やっぱみきちゃんでしょ。・構成が単純・変な詩要はバンドとしてとらえやすいところだと思います。 音楽しかり、それぞれの個性なんかが。
March 21, 2005
いつの間にかおいていかれてないだろうか。 今年は本気出します宣言をしてからはや3ヶ月いったい僕は何をしていただろう。 確かに将来に対して具体的な目標ができた。 しかし、それに向かっての努力がたりん! たるんどるぞデヒデ。 そもそもお腹を見てみろ。 気がつかないふりをしたって以前より確実に腹筋が遠くなっているじゃないか。 体脂肪率一桁の目標はどうしたんだい? すべての言い訳を生活の忙しさにしちゃあいかん! そもそも、太陽を浴びて生活しないと生きてる実感なんかできないじゃないか。 太陽が出てる間に寝て、沈んでから起きてどうするのよ。 ぷんぷん。 何事に対しても悲観的になってるのもそのせいじゃないかい? 彼女がいないくらいでそんな悲観的になるなよ。 お前は今までだって立派にやってこれたじゃないか? それとももう限界だなんていうのかい? おいおいそんなに悲しませるなよ。 やばいなあ、、、、何に対しても感受性にかけるのはいかん。 とりあえず太陽とにらめっこでもしてみるか!
March 14, 2005
胸が痛い。 あらゆるものごとに対処できないのは僕が不器用なだけなのだろうか? 感情に素直になってきれいのものにきれいだといって何がいけないのだろう? 最近僕が少し変なのはやたら他人の考え方というものを意識してしまうからだろう。 あることを人に伝える場合その人にもっとも有効に伝えるのにはどうしたらいいかとか、自分の素を出して他人に引かれないだろうかとか、自分の行動に対しての他人のリアクションをやたら気にしてしまっている。 そんなこと気にするなよと人は言う。 でも、怖いし自分に対して自信なんかない、いや正確に言うと自分に自信がないのではなく、自分の表現が他人に理解されるかに対し自信がない。 確かにサトシッコの言うように他人に対しての説明の放棄、細かいところを説明せずにわかってくれよ的なところもあったのは事実。 それを考慮した結果、理解してくれる人たちがいるのも事実。 だけど一番わかってほしい人に理解されるまで自信が持てないのが現実。 結局こんな僕だから君が理解してくれるまでは満足なんてできないのさ。 きっと君は素の僕なんか受け入れないんだ、君は僕から見てセンスがあるなんて思えない人で、今頃だってきっとさめた目で僕のことを見てるんだろう。 だけど君が好きだっていう感情はどうしようもないのが現実。 君が他の人といるのを見るだけで、どんなに僕が落ち込むことか。 そんなときはオアシスのDVDを見る事にする。 彼らを見てるとなんかどうでもいい気がしてきて、なおかつ何に対してかわからないが、やたらやる気が出るからだ。 でも、持続性には欠けるらしく、次の日目覚めると効き目がなくなってる。 わかってるさ。 結局は僕のせいなんだろ? でも、君に受けいられることを条件にしたって、僕は今の自分を変える気なんてこれっぽっちもないんだから。 だからこれでしょうがないんだ。 別に被害妄想とかそんなんじゃない。 ただいろんなことが怖いし、辛い。 部屋の模様がえをした、髪を切った。 物事が少しだけいい方向に進めばいいと思う。 今はただそんなことに期待してるんだ。
February 13, 2005
感想:私たちが不完全であることは幸せでも不幸でもある。 そして、若さとはそれをもっとも感じさせるものではないだろうか?
January 25, 2005
宣誓!私2005年は本気だします!
January 17, 2005
私には自分で意識してできることとそうでないことがある。意識してできることというのはそのままである。 問題はもう一方のほうで何かに対して感じることに対しては意識してできることではないと思う。 feelingや発想といったものは自分の制御を超えてしまう、いや制御を超えるというよりは別の次元のものなのだ。 つまりこっちはジブンが担当している。自分とジブン、私の中には二人の自分がいる。 そして私の中の多くの部分をこのジブンが担当しているのではないか?ジブンが信号を自分に送り自分はその信号を意識することができる。 ときにうまく何かを言葉にできないときなんかはこの信号の受け渡しがうまくいかないのだ。 これまでの21年で私は一部分のジブンを知ることはできた。しかし多くの部分はまだ謎だ。 私はもっとジブンが知りたい。
January 7, 2005
すべて理解しようという姿勢は正しい。 でも、すべて理解できるという考えは間違っている。
January 6, 2005
人はもともとはみんな同じではないだろうか、成功するもの、失敗するもの、過ちを犯すものそのすべての根源は同じだと思う。 ただ、そこから選択(できる)した道が違うだけ。 僕だってあなただってこれから先進む道次第でどうなるかわからないじゃない。 ただ、理論的にはそうであっても経済的、家庭的な事情から道が決定づけられてしまってる人がいるのも事実だけど、、、、、自分で自分の道を切り開けるのは幸せなことなのだと改めて思う。 可能性を与えられたことに感謝。
January 5, 2005
やってやろうじゃない!
January 1, 2005
あと、数時間で今年も終わります。今年を一言で。 試行錯誤これがぴったり。 考える幅を広げ自分の中の固定観念をなくし多くの選択肢の中からどうい価値観が自分自身にフィットするのか考え、実践した年。考えが広がったのはいいが自分の考えに自信が持てなくなった一面もあった。 しかーし、それもこの年末にきて解決の兆しあり。 何か行動をするには信念と自信が必要であるということに改めて気がつけた。 何かを伝える、成功させるには信念と自己に対する自信が必要なのだ。来年の目標は「直」「正」「伸」「進」あたりで。 では、よい年を。
December 31, 2004
今年の音楽や本なんかについて。買ったCDはそんな多くなく6,7枚ぐらいかなあ? そのなかで半分以上占めるのがシガーロスとヴェルヴェトティーン。今年の個人的な音楽はこの2組とフランツに尽きる。もともと、僕はどっか陰をもった音楽が好きで、シガロスとヴェヴェットはど真ん中。シガロスはその楽曲の美しさに尽きる。 ヴェルヴェットは完成された音楽なんだけどその中でも若さが感じられる。 多分この年代(25前後)でしか感じられない感性がそのまま出てる。ちなみにヴェルヴェットはライブも行った。 渋谷のクアトロだったんだけど今まで行ったライブ会場の中で一番小さい会場で、近くで見ることができ雰囲気も落ち着いていてよかった。ライブといえば今年はレディオヘッド、ヴェルヴェット、フランツの三つ。 で個人的にはフランツがよかったかなあ。ひたすら踊り狂ってたし、、、、take me outはことしのno.1今年読んだ本、10冊ぐらいしか読んでないんだけどよかったのをいくつか。アフターダーク 村上 春樹好きな作家の作品。 ストーリーはこれといってたいしたことないんだけど、なぜかさくさく読めて今迄で一番読み終わるのが早かった作品。 個人的には「海辺のカフカ」が村上作品では一番好き。こころ 夏目漱石高校の教科書に載っていたものの完全版(教科書には一部しか載っていないので、、、) 先生の過去と私の現在が中心になって物語りは展開していく。 先生には常に陰がありその原因が徐々に明らかになっていくとともに壮絶な過去が明らかになる。 ストーリーの描かれ方、漱石が「こころ」にこめたものに魅かれた。人間失格 太宰治今読んでる作品。 こころもそうだったが(いや、アフターダークもか?)暗い。 ただ、人間の本質をリアルに描いた作品だと思う。 僕はこの主人公に共感するところが多々ある。 で、ふと思うことがこれを読んだ読者はこの主人公に共感できるんだろうか?ってこと。 共感できる人は考え方が合う気がします。 以上、今年の音楽、本でした。
December 29, 2004
ええ、何日かにわたって来年をいい年にするため今年を振り返ろうと思う。 まず個人的なことからいうと出だしから今年は最悪だった。付き合いたての彼女に振られる。 ほんとにさ、、、、畜生! で、春にはサトシッコとよし君との悲しい別れがあった。 入学シーズンになっても残念なことに別れを補うほどの出会いもなく、、、、そして軽音楽部に加入。 今年あった大きなことのひとつ。秋までは部活動に熱中。 こっちも難しいことも多かったけれど学ぶことも多かった。 今年は昨年に比べ劇的に忙しくなったし、何かにつけ責任を負わなければならないことが多かった。 大変なことも多かったが得たものも多い。 特に他人との付き合い方や、自分自身の性格を考え、他人に対して自分の意思を伝えるこのとの難しさを痛感した。もうすぐ今年も終わる。 まだ少し大学卒業後の進路なんかで悶々としているが、今年は大きく成長できたとしだと思う。 まだ実感はないが、これから先今年はいいきっかけになる年だと思う。 来年は自分自身の感情に対し自信を持って生きて生きたいと願う。 明日からは、音楽、世界に対する考えなんかを書いていこうかな。
December 28, 2004
落ち込む必要はない、幸いなことにいつだって世界は開かれている。 あとは自分がどうするかだ。
December 23, 2004
自分らしさとは? 人は誰しもこう生きたいという理想を持っている。 その多くが何事もスマートにこなし、失敗などしない完璧なものだと思う。 僕自身もそういった願望を持ってしまう一人である。 しかし、そんな理想的な自分は自分ではないのだ。 僕たちは理想の自分である前に自分らしくあるべきなのである。 自分を知ること僕たちは個々にみな違う。 世間的な善なんかにとらわれず自分で考え感じたことを素直に表現する力を持つことが大切だ。 そして僕たちは個々にその意見に対して自身を持つべきなのである。 まあ、不器用代表の私が言うのもなんですが、、、とにかく私達は私達らしくあるべきなのだ。 理想なんてくそくらえっつーの!
December 8, 2004
今年買ったCDを上げてみよう。sigur rosの1stと2ndvelvet teenの1stと2ndFranz ferdinandの1stkeane のhopes and fearshaven all for a reasonradiohead ok computer(今までMDだったのね)とcom lag(来日記念盤)あとは、、、、、あら意外と少ないのね。 しかもかなり偏ってるなあ(フランツ以外)。
November 30, 2004
村上春樹の最新作アフターダークを読んだ。 話はある姉妹の話で、村上春樹が書かなければどうってことない話だと思う。 ところがどっこい村上春樹が書くとなかなか面白い。 村上春樹に関して言えばあまり多くの本を読んだわけではないんだけど、最近のほうが読みやすい。 世界の終わり、、、なんて正直読むのに手間取ったからなあ(あ、内容の面白さは別ね。 たぶん文章構成や話展開の問題だと思うんだけど。 実際世界の終わり、、、は読み終えるとかなり面白かった) アフターダークは300ページくらいなんだけど3日で読み終えたし(普段1~2週間はかかる。 ひどいときにはそれ以上。 だって本を読む習慣って普段あまりないもので) この人の作品は独特の雰囲気があると思う。 自分が聞いている音楽のそれに近いかなあ? 世の中にたいするアイロニーとあらゆる矛盾そして結論は結局それでも生きていかなければならない今よりも強く。 っ手感じ。 多分自分がそういうものを求めちゃうっていうか、多分すきなんだろうねそういう暗と対照させることで明をより引き立たせる感じのものが。 ということで次回作に期待。 それまでは漱石とか太宰とかその辺を読もうかなあ? あ、きょうMTRがくる。 楽しみ楽しみ。
November 18, 2004
昨日の続き。そんな僕をすくってくれるのが音楽。 アーティストの中には僕が言葉にできないものを音楽で表現してくれる人がいる。 言葉じゃなくても伝わるのね。だからMTRをかった。 僕も自分自身が抱える自己への矛盾、世界に向けて自分自身を音で表現してみようと思う。 言葉よりもそっちのほうが的確な気がするし。 まあ、僕に音楽創作の能力があればの話ですが。 よっしゃいっちょやってみよう。
November 14, 2004
いろいろな人と触れ合うたび自分自身がなくなっていく。僕という人間は今どこにいるのだろう? 自分自身でもわからない。 確かなものなんてなにもないんだ。 全てが不確かであいまい性を持っている。 僕の世界は水溜りなんかではなく、海のように深くそして広い。 今まではそんなことさえも気がつかなかった。 狭い世界にいればそれが全てだと、今の自分が全てだと思ってしまう。 でも、広い世界にいると何が正しいのかなんてわからない。 そのとき自分がそう思うことがそのときは正しいのかもしれないけれど、常にこれでいいのだろうかそう疑問をもってしまう。 全てのものに共通する価値観があればいいと思う。 努力して絶対的な価値観が得られるのであればそっちのほうが楽だ。 でも、残念ながらわかっているのはそんなものはない。 結局僕とあなたたちは違うんだもん。 僕の中には自分にしかわからない戦いがあって正直きつい。 常に付きまとう自己否定との戦い、いや自分だけじゃない僕は常に他人も否定してる、 友達、先輩、両親、仕事先の人自分とかかわっている人みんな否定してる。 自分に対しても他人に対してもなんでこうできないんだとかなんでこうしてしまうんだとかそういうことばっかり考えている。 表だって表現できたほうがもしかしたら楽なのかもしれない、それでも自己否定はいいとしても、他人を否定しようとは思わない。 だからいっつも言葉にならないものを抑えていて表に出ないように必死になる。 誰に対しても否定なんかしたくない(ひどいときはそれが一方的なことだってある)けれど、考えてしまう。 こればかりは自分自身ではどうしようもない。 きっと、自分自身だけじゃないんだろう誰もが自分自身の矛盾と戦っているんだ。 そう、僕だけじゃないんだ。
November 13, 2004
大学というところに来て、以前より頭が柔らかくなったのは間違いない! でもまだまだコンクリートがプラスチックになったくらいかなあ? そこで今度は具体的な目標を立てる。コンクリート→プラスチック→ゴム→こんにゃく→白石ひより(おっぱい、あわよくば揉む)よし、白石ひよりとの合体をめぜすべく、、、ん、いや白石ひよりのおぱーいなみにやわらかい頭をめぜして頑張るべし!下品ですいません、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
October 12, 2004
あああああ、優しくなりてええええ。
September 21, 2004
僕は僕のの世界でしか生きられない。でも、その世界はみんなにとっての世界ではない。人には人それぞれの世界がある。僕の世界はあまりにも小さい。いや、正確には世界全体が見えてないというべきか。僕は僕の世界を日々広げているのだ。僕の世界はもっともっと広いはずなのだ。広大な世界の細部をとらえるためには、自分という世界を探索するしかないのだ。そのためには他人の世界に足を踏み入れることも必要となる。そうやって僕は僕の世界の地図を描いていければいいと思う。僕が今いる僕の世界は地球のなかの日本ぐらいなものなのだ。
September 11, 2004
うーん、近い将来大学を卒業してからのことを日々深刻に悩むデヒデであります。 リアルにどうしよっかね、、、就職活動するのならもう準備に入っていなきゃいけない時期。 しかし就職活動する気なんて全くなし。 っていうよりも大学卒業してからすぐ就職する気なんてないんだよねえ、、、若いうちにさあもっといろいろやってみたいんだよねえ。甘い考え方なのかもしれないけどさあ。 でも、就職すると社会に対して責任持たなきゃいけないでしょう? それからじゃあやりたいことがでてきたときに長期休暇なんて取れないでしょう? 会社辞めるわけにもいけないし。 だからなるべく若いうちにやりたいことってやってみたい。 世界がどうなってるかってことをもっとリアル体験してみたいしこの目で見てみたい。 戦争現場に行きたいってことじゃなくて世界にはどういう人々がいてどういう生活をしてどういう考え方をしているのかってことをもっと見て知ってみたい。 単純にもっといろいろやってみたい。 甘い考え方なのかもしれないけどそれから就職ってことじゃあ遅いのかなあ?いま、具体的になりたい職業ってないんだよなあ、、、もちろん働いてからその面白さに気がつくってこともあるんだろうけどさあ、、あああああああわからん。 とりあえず部活が終わりしだい考えよう。 それまでは部活に集中だ。 あと一ヶ月ぐらいだもん。 よし、頑張るぞう。 あああ!将来のことを考える前に大事なこと忘れてた。そうそうはやくセックスしないと。 僕まだ童貞だったわあ! まずはそれからだ。
September 10, 2004
ノンノのモデルの田中みほが好き。自分と他人との違いを再認識。自分にできて他人にできないこと、他人にできて自分にできないことって結構ある。サトシックは思ってたよりも、3cmぐらい大きい人らしい。そして、やっぱり一人は淋しいやい。以上。
August 29, 2004
この前ちょっとしたことで自己利益の話になったのでそれについて。 僕たちは普段から結局は自己利益を求め行動していることに異論はないと思うが、単純に自己利益を求めて行動するのもなかなか難しい。 自己利益はあくまでも自己であって他者と共有できない場合があるからである。 つまり、自分にとって利益になる場合でも他人とってはそうではないのである。 それゆえ自分の価値観を他人に押し付けるのは良くなく、それに一致しないからといって人を否定するのは間違っていると僕は考える。自己認識について。 僕は酷く中途半端な人間である。 理由としてはあるときから僕は特定の価値感を持つことをしないようになった。 今の僕には特定の価値観を持つには経験不足だと考え固まった考え方をしないようになったからである。 つまり、全てを疑いまた容認する。 そんな中で何かをするのに絶対的な信念を持って行動するのはなかなかに難しい。 だから僕は中途半端なのだ。 でも、これでいいのだ。 今の僕の考えが明日には変わってたっていいのだ。 発言に対して責任を。 たしかにそうかもしれないがそのとき本当にそう思ったことが後から考えたら違ったってことがあったっていいじゃないと僕は思う(人によっては認められない考え方かもしれないけど)。 僕は日々進化していくのだ。 だからそのときそのときで考え方だって違う。 そう、僕の世界では全ては メタファーなのだ。 そんな僕が最近聞いている曲がSIGUR ROSの( )である。 どうして今まで聞き流してたんだろう? いいよこれ。 おセンチな気分で最近寝不足な僕にはぴったり。 さ、これで今年の夏を乗り切ろっと。
July 27, 2004
今更ながらさあ、やっぱVerveのこのアルバムいいよ。 アーバンヒムズは素晴らしいアルバムなんだけど、やっぱりリチャードの個性が出すぎちゃってる気がするし。 それに比べてノーザンソウルはバンドとして特にニックのギター表現力がとてつもなくすごい。 この人ギタリストとしてはそんなうまくはないと思うんだけど、表現力というかセンスがいい。 独自の世界観を持ってるもんなあ。 たぶん今のリチャードとは全くあわなそうな感じだけど、、、まあ、リチャードはリチャードでいいんだけど。On your oun とか HistoryもVerveのなかで一番じゃないかってくらい好きだし。 Verveというバンドの世界観が一番現れてるのはこのアルバムなんだろうなあ。 ああしばらくこの世界に浸りそう、、、、
July 13, 2004
この週末自分がやってきたことの根本にたいして疑問を持ってしまった。つまり何が正しいのかよくわからなくなってしまったのである。 自分なりに一生懸命考えてきたつもりだ、でもなかなか伝わってないし結果としては反感をあおるだけになってしまっている。 もちろん自分の理想を示すことでそれに対して反感が来るのは予想していたのだが、、、だから自信がなくなってしまった。 自分が求めることと周りとのずれそういう中で集団において僕が理想(自分の考え)を提示し続けることは正しいことなのだろうか? どっかで妥協点を見つけなきゃいけないんだろうなあ。 でも、同時にそのなかでも自分の考えは持っていなきゃ。 自分がこうありたいという理想は持っておかないと。 なにが正しいかなんてことはないんだろうなあ、ただその状況に応じてどういう選択ができるかということなんだろうきっと。 だから、自分が選択したことには自信を持っておかないと!!
July 11, 2004
今日留学生の友達ピーターがアメリカへと帰っていった。 彼は2月から7月までわが大学に留学生としてやってきた。彼と知り合ったきっかけは彼がサッカー部に入ってくれたからである。 ピーターは留学生のなかでもやんちゃで問題児だった。 ピーターのおかげで多くの留学生と知り合うことができたし日常的に英語を使うことができた。 留学生たちは僕のことを好意的に受け入れてくれてくれた。 彼らの卒業発表を聞聞きにいったのだが大変素晴らしいものだった。 みな素晴らしい考え方を持っていて一人の人として尊敬できるものであった。 彼らとの出会いは僕にとって本当に大きな経験になった。 彼らは親切にしてくれてありがとうといっていたが、お礼を言いたいのはむしろ僕のほうだった。 ありがとうピーター。 また合おうぜい。
July 10, 2004
酷い自己嫌悪に陥る。 他人の悪いところばっかり見てしまい、否定ばっかりしてしまう。 今は誰とも会いたくない。きっと否定してしまう気がするから。 できればこんな感情なくなればいい、こんな自分なんか消えてしまえばいいと思う。 だけれどもこういうところがあるのも人間らしさというべきか。 だから、逃げるわけにはいかない、投げ出すわけにはいかない。 自分が認めざるものが己のうちにあるのであれば戦わなければ。 そして僕は自分自身に勝ち続けなきゃならない。 いつまでたっても自分がどんなに大きくなったって自分が自分の中に可能性を感じ続ける限りは自分の嫌なところが見えるはず。 結局、僕は自分を、自分のなかの可能性を諦めるわけにはいかないのだ。 そう、僕が僕であるために。
July 8, 2004
成功なんて望んじゃいない。 僕が望んだものなら結果的に失敗したってしょうがないじゃない。 失敗だらけの現状に不満なんかない、、、、、、
July 5, 2004
大きなものに触れたとき、自分の小ささを知る。それによって私は謙虚になる。 素晴らしい人達との出会いは自分という存在を浮き彫りにしてくれると思う。 私が成長するためにはより多くのものを認め、受け入れる必要があるのだ。 たとえそのほとんどが私に対する批判であったとしても。 そうやって私は生まれ変わる何度でも。
July 1, 2004
いや、根暗度が増したからなにも書かなくなったってわけじゃあないんだ。 ただ本当に忙しかっただけなの。 バイト、可愛い後輩たちと遊んでみたり、部活で人生初ゴールをあげてみたり、留学生のパーティにいってみたり、大学の軽音楽部に入ってみたり、たまに飲んだり、、、、、おお、忙しいではないか。 なにも予定のない日曜日って久しぶりだもんな。 ここ何週間かやたらといろいろ考えなきゃいけなくて、、その上忙しかったし。 でもおかげでまなぶことが多かったなあ。 やっぱりさあ考え方が違ったりしても相手のことを認める姿勢が大事だよね。 つまり、一意見としてただそこで条件となるのが、おなじくらいその考えに真剣であること、また努力すること。 じゃなきゃ何か話し合いしたときに説得力ないもんな。 考え方が違うことを認めてもその考え方に対して双方が行動力を持たないとね。 そうすればお互いに認め合えるのでは? なーんて考えさせられたここ何週間でした。あそうそうサトシクくんに一言 大丈夫だよ女の子と話せなくたって。 だって、、、、結局はあなたもてるんだから。
June 6, 2004
全323件 (323件中 51-100件目)