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これらの諸島は現在沈下しているかつての大陸の最高峰の山々の峯であった。
レムリアはかつて世界の文明国であった。
その住民は高い教養を持ち、原因と結果についてすぐれた知識を有していた。
彼らは自我のためでなく、“全体”のために生き、万物を“宇宙の英知”の表現とみなした。
各人は自分自身が宇宙の力の召使いであることを知っていた。
彼らは一個人が他人よりすぐれているとか、ある仕事が他の仕事よりも重要であるというような考えをもつことなしに、おだやかな態度で自己の義務を遂行した。
彼らのあいだに嫉妬やどん欲は存在しなかった。
すなわちレムリア大陸は不和を知らず、平等のゆきわたった幸福な一大家族の家であったのである。
レムリア人は褐色の皮膚をもつ人種で、その平均身長は160センチであったが、ときには巨人も現れた。
現代のアラスカ人は他のいかなる民族よりもレムリア人に似ている。
彼らはきわめて勤勉で活動的な人種であり、高度の感受性と直感力を持っていた。
彼らは精神感応の方法によって互いに会話を交わすことができたし、彼らの活動は主として自己の実体の有する、より大きな英知によって導かれたので、驚くべき業績をあげることができた。
また宇宙の科学において高度に進歩していた。
そして活動の諸法則に関する理解によって、地球の諸元素にたいするすばらしい支配力を持っていたのである。
彼らの鋭敏な感覚のために地中の鉱物は発見されたし、元素のすべては利用された。
彼らの建築様式と芸術作品は構造と美においてすばらしいものであった。
彼らの寺院は礼拝用というよりもむしろ彼らが日常の活動で奉仕した“全能の力”にたいして捧げられた美の記念碑であった。
この古代の民族は中へ入って礼拝すべき寺院というものを必要としなかったためである。
すなわち、彼らは自己の内部や地上の生き物すべての内部に宿る“全能の実体”を認識していたのである。
当初彼らの理想主義は人間のなかに現れているとされた神の徳であった。
そしてこの理想主義のために彼らは現代人に知られていない力(複数)を与えられた。
レムリア人は自然の諸法則を濫用したり誤用したりはしなかった。
そして彼らがその帝国を建設していたあいだ、それは地上における実際の天国であった。
しかし事実上のあらゆる文明と同様に、彼らはやがて没落したのである。
徳性は、どん欲と利己主義のなかに失われてしまい、その末期は現代の文明と異ならなかった。
ついに自然が介入してその大陸は太平洋の海底に沈んだのである。
レムリアの黄金時代は、ほぼ3千年続いている。
この期間中にレムリア人はエジプトおよびアジア各国のすべてと接触したが、レムリアが世界の他の国々から来た利己的な民族によって侵略されたのはその黄金時代が過ぎてからであった。
当時、現在ギリシャ、ローマとして知られている地域から来た人々がいて、レムリアに定着したのである。
この人々は軽薄な種族だったが、レムリア人の信用を得て互いに結婚し合い、次第にこの幸福な民族の清純な思想を汚していった。
この異分子はゆっくりとレムリアの支配権を握ったのである。
彼らは無情な恐ろしい支配者で、富と権力を求めてどん欲であった。
彼らは偏好を示しはじめ、レムリア人の心に不平等の思想をしみ込ませはじめたのである。
その民族がかつては活動を愛したがために互いに奉仕し合った土地で、今や彼らは少数者を富ませ、それに権力を与えることを強いられた。
彼らは謀反と利己主義とどん欲の意味を知った。
これらはそれまで決して彼らのあいだに存在しなかったものである。
彼らは範を支配者に仰ぐことや“全体”のかわりに自我のために働くことを知った。
彼らは自己の創造主の導きにたいして自己を閉ざし、肉体という表現経路に方向を転じたのである。
これは数百年間続いたが、ついに自然の力は彼らのアンバランスな状態に対して代償を要求した - 苦痛という代償である。
もしこのアンバランスな状態を続けるならば未来に破壊が起こるという警告が与えられたが、彼らはそれを心に留めなかった。
そこで自然力は彼らにそむいたのである。
大地は彼らの足元で揺れはじめた。
津波は海岸を洗い流し、最後に一定の地震が全レムリアを襲った。
約7カ月のあいだこの地震は続いて次第に大陸は沈みはじめた。
海水が押し寄せて、かつての天国のごとき王国を覆い、ついに一つの文明が失われたのであった。
この地震と大陸の沈下は自然の諸原因によるものであった。
地表の変化は一定の期間ごとに来るものだが、レムリアの人々はあまりにも現象の世界にとらわれてしまったために、自然から与えられる警告に注意を払わなかったのである。
もし彼らがその徴候に気づいていたならば、安全な地帯へ移動することができたであろう。」
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