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名前:ChaChamaru(チャチャマル、茶々丸、藤村幸宏)名前の由来:ある日突然、大学の先輩から「茶々丸」と呼ばれた。 いきなり、「おまえは今日から茶々丸だ!」といわれたらしい。本人も何故そうなったのか知らない。あだ名:パパ、ダンディパパ、おネェ、茶々丸の助、プログレ界の貴公子誕生日:1960年3月3日(現在、45歳。) 詳細・・・ぜんぜん、もっと若く見える・・・・。というより、年齢不詳な感じ。出身地:京都府言語:大阪弁のみ。 詳細・・・標準語をしゃべらせようとすると、壊れる。パート:ギター(時たまハモリ)身長:170センチ 詳細・・・164センチ、166センチ説もあり。体重:48キロ・・・シモサイズ:GacktJOB一でかい。。。。らしい。 詳細・・・ちなみにYOU君はいちばん小さいらしい・・・。趣味:お散歩、お酒、ギャンブル 詳細・・・Gackt曰く「ある時は、飲んだくれ。ある時は、へべれけ。そしてある時は、虎のコ(タイガースファン!)」得意技:スマイル 詳細・・・Liveの映像を見ればわかりますが、茶々さんはいつもニコニコしています。弱点:極度の高所恐怖症煙草:NATURAL AMERICAN SPIRIT LIGHT(黄色い箱)愛煙
2005.12.21
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えぇ、長らくお待たせいたしました^^Gacktさん、または、これから掲載していくJOBのかたがたは、すこしずつ、フリーページにのせていきます!!名前:YOU(ユウ)パート:バイオリン、ギター(時々、ハモリ)年齢:Gacktも分からない!(はずがないが・・・)という事で通す。身長:186センチ。 詳細・・・GacktさんはJOBで二番目に背が低いです。 みなさん、異常なくらいでかいのです。血液型:A(Gacktと同じ。)誕生日:2/10タバコ:マルボロの赤趣味・特技:料理、バイクスポーツ:格闘技寝相:とても変わっている。寝る時は布団をしっかりかぶり、お姫様のように胸の上に手をおいて寝るが、起きたときは布団が顔にグルグル巻き。目:視力はとても悪いらしい。最近はカラコン使用。でもたまにつけてない。メガネの使用は確認されていない。耳:左にピアス1つ。その他:Gacktを「ガクちゃん」と呼ぶ。タキビスト。下戸ではないらしい。ベルになついてる。(ベルが、ではなく)←ココ重要。一言でいえば、かなりの変わり者。Gacktをボーカルにした人。ロボッツ。焼きうどんが主食。一週間、外に出ないで、焼きうどんだけで生活していたことも・・・。ヴァイオリンの腕はかなりのもの。
2005.12.20
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ようやく、研修旅行の生徒会誌下書き終了しました・・・。疲れました・・・。GacktのLIVE、楽しみだぁ!!!!!><明日はいよいよ、YOU君のプロフィールを掲載!!Gacktさんほど、詳しい情報はありませんが、がんばります!では、今日はこの辺で・・・J NAMEさん、何時も、訪問してくださって、ありがとうございます!ミラクル74さん、これからも、ずぅっと楽友&人生の先輩でいてください!
2005.12.18
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名前:Gackt(ガクト) 詳細・・・正確には、神威楽斗(カムイガクト)一部では、岡部学と言われているが、どうでも良い事。真のファンなら無視しましょう。年齢:465歳 詳細・・・彼の生年月日は、1540年7月6日(かに座)。しかし、本人がとあるLIVEの映像で、まぁ・・・ある年生まれだと発覚。知りたい方は、映像を買って見ましょう。サイズ:身長 180センチ(正確には、180.3センチ) 体重 57~65kg(ツアーの時はガタ落ち) 頭の大きさ 59もしくは60 胸囲 108センチ(異常です) ウエスト 75(ツアー中はもっと下がる) リングのサイズ 右手・・・小指9、薬指、中指、人差し指15~17 左手・・・小指9、薬指、中指、人差し指15~16 足の大きさ 26センチ体脂肪率:6% 詳細・・・10~5とも言われる。持ってる資格・段:書道3段 大型自動ニ輪 自動車免許 硬筆3段 ソロバン初段 少林寺拳法 柔道 空手利き手:両利き 詳細・・・ペンは右、もともとは左きき。 マイクは大体左手で持つ。 野球、ドッチボール、バスケは気分によって変わる。フェチ:話し方、鎖骨、くびれ、姿勢、背骨 詳細・・・話し方は人一倍気になる。ペット:ベル・コンスタンティン・チャピ(ミニチュアダックスフンドのメス) メイ(メイクイーン《メイクーンとも言う》のメス)言語:日本語 英語 フランス語 北京語 韓国語 広東語
2005.12.17
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こんばんびぃー。優どぅえっす。えぇ・・・咳が止まらん・・・。どうやら、ォイラのクラスは総合順位3位だったそぅですね。これも、○年○組のみんなのおかげ!!!あんがとぉ!!!!!!!!そぅっすね。一応、前回で、連載は終了しました。まとめた方がぇぇと思うので・・・・フリーページのGacktちょびっツ生い立ちからお入りください☆楽ちゃんの以外(?)にこぅ・・・・なんていうか・・・。礼儀正しい??違うな・・・あ!律儀な一面を垣間見る???あ・・・あぁ。。。まぁいいや。さってぇ・・・・・次回からは、Gackt+JOBのみんなのプロフを紹介・・・・・の前に・・・。ォイラ、神威優の知られざる私生活&詳しいプロフを紹介・・・しよっかな~。なんて。思っちゃたりして。。。。ま、ぉ楽しみに!!!まぁ、画像をみてくれればわかるでしょう・・・。がっくんのギターです。どうやら、ネックがポイントらしい。このギターは女性の理想の体系・・・・だそうで。普通のギターは、えぐれてなきゃいけない場所なんだそうですが、それでは、体系が(え?)くずれるそうで・・・(女性の体系じゃなくなる)そこは、やさしさでカバー≪笑まぁ、率直にいえば・・・・下半身がだめになる!!!!って事。かっこいい・・・・ぃや。まじで。
2005.12.16
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GacktさんがHEY3に出演決定!詳しくは公式ホームページのインフォメーションにて。放送日は後日発表。番組観覧日は、12/18。Dearsの資格がある、高校生~30歳以下の方。一方Moi dix Mois。2ndシングル「NOCTURNAL OPERA」が発売されました。そのジャケットの中の黒くて長い爪をつけた手に大鎌を持つMana様の姿は、「月下の夜想曲」のGacktを思い出させました。そして、男装のManaに抱かれる女装のMana。この写真はアルバムのあらゆるところで使われています。Mana様は、誰の腕の中に帰りたいの?歌詞を読めば、再び湧き上がるMALICE MIZERへの思い。例え勘違いでも、ここまで書かれたら期待するしかありません。歓喜と官能の渦の中で 再びあなたとこの世界を共に舞台をこの歌は貴方のために捧げる・・・今呪縛から解き放たれ 空に帰ってゆく時を経て 宿命のもと めぐり合いもう一度同じ世界で懐かしい調べと共に思い出す未完成のあの舞台は今でも光り輝いている (monophobia より)私は手に入れなくてはならないたとえ自分自身を滅ぼそうとも夢にまで見た この舞台のためなら (Mephisto Walts より)どうして未来を見せてくれなかった愛に縛られ 私は迷い始めた誓い合ったあの約束や夢は覚えている?夢に惑わされ 私は私でなくなっていったそんな想いが私を目醒め (ここからはMana様の爪で隠されています) (Perishの隣ページの詩より)9月29日に「La Collection des Singles~L'edition Limitee~」というGackt在籍時のシングルのベスト盤が出ます。何で今更?何のために?これが何かのきっかけになるのでしょうか。でも、ニッポンコロンビアはもうMALICE MIZERとは関係がないし。疑問が多すぎるアルバムです。忘れてはいけない過去がある。取り戻したい過去がある。そのための現在ならば、どんな形でも受け止めよう。また 二人が寄り添う姿が見れますように。これからの二人を離したりはしないから忘れたりはしないから二人を忘れはしないから
2005.12.15
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アロビッチャ!!!みなさ~ん。私は明日、学校やすみあぁ~す。だって、めっちゃ疲れたんゃもん≪笑↓高校生の頃のガックン。まぢかっこいい!!!><2002年3月19日、Mana様はMidi:Netteから「Moi dix Mois」というバンドを誕生させました。最初は、ただMana様が好きなことを好きなようにやっているように見えましたがやはり、ここでもMALICE MIZERを思い出してしまう瞬間がありました。それは「solitude」という曲の中から。何もかも 変わらない思いを 今あなたへ夢見てた あの頃の二人にああ 愛しいあなたと 夢の中で踊る もう二度と戻れないあの日に夢に見た あの時のあの場所でああ 愛しいあなたと 夢の中で誓う もう二度と迷わないあの日にヴォーカルのJukaの声は、とてもGacktの声に似ています。Klahaといい、プロデュースしたSchwars SteinのKayaといい、低くて響きのある声を求めるのは、Mana様がGacktを求めているからなのかな なんておもいました。2004年「THE SIXTH DAY and SEVENTH NIGHT」という、Gackt曰く「ギフト」プロジェクトが始まりました。ソロになってから今までの記憶がテーマとなっているようです。そして歌声を生々しいものに変えました。自分と言うものを追求していくとこうなるそうです。しかし、あまりにも雑誌やライブで「今までどうも有り難う」を連呼されると逆に不安になってきます。その不安を掻き立てるように ライブの中で放映された映像。墓標に書かれた文字は「Gackt 1963~2007」「じゃあ、行こうか」とメンバーと共に光の中へ消えていくGackt。これは終わりを表しているのか?それとも、新たな生まれ変わりを表しているのか?昔からしょっちゅう入院したり気絶したりしているので もしこれが余命だったら洒落になりません。
2005.12.14
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えぇ・・・明日はいよいよクラスマッチです!!!実はね~・・・生徒会誌の京都、奈良の感想、書くはめになりました。≪泣↓幼きころのGackt様。2001年12月 MALICE MIZER 活動停止Klahaじゃダメだった。Klahaも頑張ったけど、MALICE MIZERに必要なのはやはりGacktしかいない。バラバラになったMALICE MIZERは、それぞれ個々の活動を始めました。2002年6月 アルバム「MOON」発売。MOONプロジェクトには、あるひとつの大きな物語があります。その物語に欠かせない存在が「ヴァンパイア」。1995年のMALICEMIZERのアルバム「Voyage」でも、ヴァンパイアが大きなポイントでした。第三期MALICE MIZERでも ヴァンパイアを主人公にした作品がたくさんあります。不意に繋がる線。アルバムのタイトルを見ると1曲目が「Noah」、最後の曲が「memories」。つなげると、Gacktが入る前のMALICE MIZERの曲「記憶と空」になるのはただの偶然でしょうか。そして映画「MOON CHILD」。ヴァンパイアものとしては異色ですが、確かにヴァンパイアが登場しています。声を出すことが出来ない少女「イーチェ」。これはMana様と重なります。意識せずにはいられないくらい、MALICE MIZERを感じました。いつか戻る気ではないか、とあたしが思い始めたのはその頃です。連載していた女性誌で突然GacktはMALICE MIZERの脱退のいきさつを話しました。そのなかで「MALICE MIZERに戻るためのソロ活動」と言いました。今更期待なんてさせて何のつもりだろうと思いました。でも、その言葉に少なからず期待を抱いてしまいました。ソロ活動は、またMALICE MIZERでぶつかり合う力を蓄えるまでの修行なのかと思いました。そしてまた歌詞を読んで 良いように解釈をしてしまう。東京国際フォーラムで行われたGacktの「下弦の月」のライブにMALICE MIZERのメンバーが観に来たそうです。誰が来た、とはいっていませんでしたが Koziとyu~kiではないかといわれています。そして、楽屋で話をしたそうです。その話とはKamiのこと。Kamiのために、まだ止まっちゃいけない。それを改めて確認したそうです。マリスのときに夢を見たアジア。Gacktはそのアジアでも人気を得るようになりました。
2005.12.13
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新しい事務所に変わり、「Mirror」「OASIS」「鶺鴒~seki-ray~」を次々とリリース。せき止められていた想いを一気に放出するかのように。初ソロアルバム「MARS」もリリースされました。MALICE MIZERへの想い、Kamiへの想いがこめられたような作品もありました。冒頭のファルセットで歌われている日本語ではない言葉の曲、歌詞カードを見るとその言葉に胸が詰まる想いがします。優しいと共に残酷この込み上げるものは何?全体的に、このアルバムは痛々しいです。必死で何かを探しているようです。ソロツアー「MARS ~空からの訪問者~」も行われました。最初にフライングから始まるのは、フライングで終わったMALICE MIZER最後のライブと関係あるのでしょうか。ファイナルの会場は横浜アリーナ。何故その場所なのかというと、そこにはGacktを待っている、不完全燃焼のまま消えてしまったGacktと、ファンがいるからです。だから、「ただいま!!!」と言う言葉は、ファンに向けられた言葉でもあり その場所にとどまり続けているGacktの魂に向けられているのです。今までのどのツアーもファイナルは横浜アリーナ。その後、CMやバラエティ番組に出演し メディア露出が多くなりました。まだGacktを追い続けるファンもいましたが、辞めていくファンも少なくありませんでした。ファンの入れ替わりが激しくなりました。ファン層も変わりました。マリスの頃は見ることが出来なかった「笑顔」が頻繁に見られるようになりました。「ガックン」なんてものが出来上がり、もう GacktにMALICE MIZERの影は何もないと思いました。
2005.12.12
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早く学校にいきたぁ~い!!クラスマッチ間近だょ!がんばろう!↓ソロデビューシングル、ミゼラブル。6月21日、Gacktはとてつもなく胸騒ぎを感じたそうです。そういうときは、決まって周りで不幸がある時。自分の身内に電話をして、MALICE MIZERの関係者にも連絡を取ったけれど、誰も変わったことはなくて気のせいかと思っていたら6月21日 Kami急逝死因はくも膜下出血でした。Gacktは悔やみました。何故、直接彼らに連絡を取らなかったのだろう、と。GacktにKamiの死の事実が伝えられたのは、随分後になってからだったそうです。お葬式にも出ることができませんでした。今でも、Kamiのお墓にお参りに行ったり Kamiの実家へ行くこともあるそうです。5人のMALICE MIZERの復活は二度と叶わなくなってしまいました。例え、Gacktが戻ってきたとしても もうドラムには誰もいないのです。これもGacktが悪いんだ。そう攻めるファンもいました。MALICE MIZERはオリジナルレーベル「Midi:Nette」を設立し、インディーズに戻りました。それからの時代は第三期MALICE MIZERと呼ばれています。3人になってしまっても、諦めずにMALICE MIZERを続けるのはKamiのため。CDのジャケットのメンバーのところには「ETERNAL MENBER」としてKamiの名前があります。ドラムもボーカルもいなくなってしまって、インストの曲が続きました。その後、新ボーカルKlahaを迎えます。一方Gacktはソロとしての活動を活発にしていきます。しかし歌詞や映像を見ると、どうしてもMALICE MIZERと繋げたくなります。王子衣装を脱ぐ写真がある写真集「Mizerable~飛翔~」マリスのイメージを切り離すような、金髪、ピアス、ラフなスタイルが「新生 Gackt」でした。「Vanilla」をリリースした後、またGacktはメディアから姿を消しました。ソロになって最初の事務所とのトラブルがあったのでした。Gacktの姿はなくても、ReMIX盤のCDが出たり、アナログ盤が出て名前だけが一人歩きする状態になりました。これは、Gacktの意思で出た作品ではありません。そして、裁判沙汰となった末にその事務所と決別します。
2005.12.11
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今日は・・・2時まで寝てました・・・まだ眠い・・・。大体、テスト終わってから休みがないのがおかしいんだよ!!文句たらたらな優どぇす。ステージの上では素晴らしい5人でも、活動のなかではそれはほんの僅かな時間。もっともっと、深いところで様々な苦悩があったのでした。でも、この長いインタビューの中でGacktは「MALICE MIZERを誇りに思っているし、愛している」と言っていました。その時はまだ「脱退」という結論を出していませんでした。「一緒にやろう、と言われれば一緒にやるだろうし、一緒にやれないっていう気持ちがあるなら一緒にはやれない」ファンは信じていました。そして願いました。きっと、GacktはMALICE MIZERに還ってきてくれる、と。でもその雑誌の中の写真は、捉え様によってはMALICE MIZERとの決別を表しているように見えます。その写真の中の物語は、後のGacktのシングル「鶺鴒~seki-ray~」へと繋がっています。そして、1999年1月 Vo. Camui,Gackt脱退こうして見ると、Gacktだけがかわいそうに見えてしまいますが MALICE MIZERのメンバー側からしてみれば「5人のMALICE MIZERを裏切られた」と怒りを露にしていました。ファンもどうしようもない怒りをGacktへぶつけました。脱退してすぐに「Gackt JOB」は始動しました。4月25日、大宮アルシェにて、初のソロライブ 「Gackt Easter Live ~復活~」 を行いその後IN STORE EVENT 「'99 Gackt RESURRECTION ~復活~」 を全国11ヶ所で開催しました。大宮でGacktはファンに「お帰り」と迎えられました。そこでGacktは「まだ、自分には帰る場所がある」と涙したそうです。5月12日 Album Ver.2/3 「Mizerable」をリリース。「Miserable」が本来のつづりですが「Mizerable」なのにはそこに意味が込められているのです。廻る 廻る 置き去りにされた時間の中で 私は今 Les Mizerable...愛しすぎたあなたが 壁際の向こうでそっと 笑ってる届かない この想いだけ 吐息に乗せて
2005.12.10
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すべてのメディアからGacktは姿を消しました。全く連絡が取れず、自殺説まで浮上しました。勝手な憶測がファンを不安と怒りで煽りました。でも、信じて待っているファンがいました。そして1999年の初めに「SHOXX」という雑誌でやっとGacktが姿を現しました。「訊きたいことを訊いてくれたら、僕はそれにすべて答えますよ。僕はいつもの僕だし、何も変わらないから」そこでGacktは、MALICE MIZERと事務所との対立について語りました。「僕と対事務所っていうのは その元となるべき部分であって、最も理解しあっていなきゃいけない部分じゃない?そこが、いつもクリアになっていなかった。ただ、それでも僕は MALICE MIZERがMALICE MIZERである為にと思って抑えていた部分が凄いあった。だけど、やっぱりここに来て色んなバランスがどうやっても取れなくなってしまった。音楽とか表現活動とはまったく別の次元でストレスを感じる現状が多すぎたから。ある時期からはメンバーがいなければ本当にあの事務所とはやっていけないって思うくらい、疑問を感じることが多すぎた。結局色んな状況っていうのは改善されなかった。どんどん事務所と僕の間、ひいては各メンバーとの間にもそれぞれ亀裂が入ってしまったから。メンバーの中でも意見は相違してたし、かなり複雑な関係になってた。そうこうしてるうちにまたいろんなことが起きてきて、「一体どうしたらいいの?」っていうとこまで行ってしまった。僕はぶつかったあとに必ず生まれるものがあるって信じてるしその何かが生まれるまでぶつかり抜こうよっていうのが僕のスタイルなんだよね。でも、彼らはそのことに心身ともに耐えられなくなってたんじゃないかな。やっぱり、僕らの個性って異常だもの。何をするにも大変だよ。だけど、そういう5人がぶつかり合ったときに生まれるものには、たまらなく凄まじいものっていうのが含まれるわけじゃない。だけど、ある時そのぶつかるっていうことが出来ないって言い出したメンバーが出てきたことも事実であって。だって・・・“僕の眼を見ることが出来なくなった”っていわれたらさ、僕はそれ以上何もいえない」( SHOXX 1999年2月号より抜粋しました)
2005.12.09
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あぁぁぁぁ!!!!むかつく!!何なんだよあのくそじょりはよぉ!!あぁ、すっきり♪「Le Ciel ~空白の彼方へ~」この曲は、今まで作詞はすべてGackt、作曲はManaかKoziだったのに初めて作詞も作曲もGackt1人で作った曲です。ということは、入ってくるお金はすべてGacktのものになるわけです。それが、他メンバーとの溝を深めた原因になりました。ただでさえ個々の主張が強いメンバーだったので、対立は少なからずあったと思われます。5人対事務所が、1人対4人対事務所となり、Gacktにかかる負担が非常に大きくなりました。「merveills~終焉と帰趨~」のツアーは、そんな中で始まりました。ラストは7月22日の横浜アリーナ。最後の曲は「Le Ciel~空白の彼方へ~」。それぞれ羽を生やしたメンバーが演奏をする中空から漆黒の大きな羽根を広げてGacktが現れます。口から血を流し、手を血で染めながら歌う姿は苦しそうでした。何がそんなにGacktを苦しめているのだろう?そう思わずにいはいられない姿です。君の細く透き通る声が僕を離さない僕がここに居続ける事は出来ないのに君の頬に口付けを 僕は君を忘れないもっと強く抱きしめて 僕が空に還るまで君の細く透き通る声が僕を離さないもっと強く抱きしめて 僕が消えないように僕が 消えないように・・・・少し躊躇ったあとにGacktが思い切り両手を広げると、満天の星空が広がりました。そして、その空へGacktは還って行きます。 他のメンバーを残して。それが、Gacktの最後のMALICE MIZERとしてのステージとなってしまいました。ステージの上では「これから、地下活動にはいります」と言っていましたがその中でも「もうそろそろ休みたい」というメンバーと、まだまだ突き進みたいGacktとの溝がありました。9月30日「Le Ciel~空白の彼方へ~」 発売。↓米倉さんとのタカノのCM記者会見の模様。↓開脚。≪意味不
2005.12.08
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1997年7月19日「ヴェル・エール~空白の瞬間の中で~」でメジャーデビュー。「au revoir」1998年には「ILLUMINATI」「月下の夜想曲」と、次々とヒット曲と飛ばし MALICE MIZERは忙殺的なスケジュールをこなさなくてはいけなくなりました。でも、彼らの夢はとても大きく 初めて武道館でライブをしたときも「ただの通過点に過ぎない」と言っていたほどです。将来は、アジア進出することが目標だったと Gacktが雑誌で言っていました。テレビやラジオでもMALICE MIZERは頻繁に姿を見せるようになり、「入り口」をたくさん作りました。どんな始まりでも、自分たちに興味を持って 音楽に触れてくれればそれでいいと 彼らは考えていたようです。しかし、あまりの忙しさにメンバーの疲労は募り 事務所との対立が始まりました。そのときはメンバー5人対事務所だったので、まだ耐えられたそうです。華やかな外見の裏で 何かが崩れ始めたのはその頃からなのかもしれません。↓Gacktの愛犬、ベルコンスタンティンチャピです。可愛がってあげてね♪≪笑
2005.12.07
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やった~☆プラチナムボックス、一日早くとどきましたぁ~vvv
2005.12.06
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GacktはMALICE MIZERに大きな革命を起こし、その後の驚異的な進化に関わる大きな存在となりました。これは、あたしが写真集を見て推測したことなのですがGackt=黒 Mana=青 Kozi=赤 Yu~ki=黄 Kami=紫というイメージカラーを定着させたのはGacktなんだと思います。それ以前のMALICE MIZERは、みんな黒服を着ていることが多かったので。10月10日 「華麗なる復活劇」 in 渋谷 ON AIR WESTそして「第二期MALICE MIZER」という時代の幕が上がりました。GacktはMALICE MIZERの中で「王子様」的地位を得て、絶大な人気を誇りました。インディーズなのにも関わらず、凝った衣装と凝った演出、そして幅の広い音楽が着実にファンを増やしていきました。当時のGacktの姿は背中の真ん中まであるストレートのロングヘアーで衣装は白か黒でたいていロングでした。イメージ的に王子様か鴉みたいな衣装が多かったように思います。真っ白のロングコートを着て、後ろで束ねた長い髪をなびかせながら Mana様とくるくる踊る姿はまさに「王子様とお姫様」です。あたしはいつの時代のGacktよりも、あのGacktが好きです。そうそう、今日TXにせんせが乗ってきましたよ~みんな笑顔で交わしたけど・・・↓2004年のタカノのCMです。黒谷さんは好きじゃないです。米倉さんはすきです!!Gacktさんと結婚してほしいぐらい!!
2005.12.06
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めちゃ、暇なんでもう一個UPします!!では、どうぞ。1995年初期ボーカルが抜けたMALICE MIZER。メンバーはギターのMana、同じくギターのKozi、ベースのyu~ki、ドラムのKami。次のボーカルが見つかるまで、一時地下活動状態となりました。そして リーダーであるMana様は、ある人にGacktという人を紹介されました。Gacktは当時、今のGacktJOBのメンバーであるYouと「Cains;Feel」というバンドを組んでいました。デモテープでGacktの声を聞いた瞬間にMana様は「これだ」と閃いたそうです。その男は真っ黒なスポーツカーから颯爽と降り立ち、紫のスーツに髪はオールバックという出で立ちで Mana様の前に姿を現したのです。一方Mana様は全身黒服に身を包み、髪は長く、厚底の靴を履いていたので Gacktから見た印象は「女みたいなかっこうをしたやつだなぁ」だったそうです。そして二人はラーメン屋に入りました。Mana様曰く、そのラーメンは不味かったらしいのですが Gacktは食べ終わると「美味しかったよ、ありがとう」と、今と変わらぬあの口調で言ったそうです。それが、何もかもの始まりでした。 続く・・・
2005.12.05
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そぉね・・・これから、ちょくちょくUPしていきたいことがあります。それは、Gacktさんの過去。振り返る必要は無い。確かにそうです。でも、「Gackt」を誤解している人が多い。Gacktさんにしてみればどうでも良い事。お付き合いいただける方だけ、じっくりと。。。冒頭・・・公式Webサイトや、雑誌ではもう知ることが出来ない MALICE MIZERと、Gacktとの繋がり。今は実態は見えないけれど、確かにまだ存在しています。きっと、何も知らない人もいると思う。あたし自身も、リアルタイムで彼らを知ることが出来なかったからあとになって 必死で情報を集めました。事実に混じって憶測も入るかもしれません。でも、大間違いってことはない筈です。長いですが、Gacktに興味がある方には是非見てほしいです。 続く・・・↓北斗の拳のレコーディング風景。
2005.12.05
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HP大量にUPしました~♪期末どぉしよ~^^あしただよ~(TVT)//Gacktさん!!お願いですから、死なないで帰ってきてください!(ノ´Д`)ノ★LOVE★(ノ´Д`)ノでゎでゎo(*′з`)o"グッ☆o(*′▽`)〇))"バァァイ☆
2005.12.04
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まぁ、ここのHPは、管理人の愚痴専用ですゎww見たきゃみてちょんまげwww
2005.11.20
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全820件 (820件中 801-820件目)