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初めてレコードを買ったのはYMOの「ソリッドステイツサバイバー」であった。母は、それを聞いて、「歌が入ってないもんにお金使って」と意味不明の怒り方をしていた。 初めて友達と見に行った映画は「大自然の驚異」というドキュメンタリー。ねずみが集団自殺していく様をみて、小学生ながらため息が出た。映画が終わって、窓に面したトイレに注ぐ陽光がまぶしかった。 初めて自分の小遣いで買った漫画は「ハダシのゲン」原爆を受けた中岡家の壮絶な物語。小学校の後ろの棚に寄付した。その時の先生も寄付していたがそれは「小さな恋の物語」手足が1本線の棒で描かれているのが嫌だった。 初めての小学1年の授業参観はあぶりだしであった。生徒はみかんやりんごぶどうなど絞れるものを持ってきていた。私は、母親に持たされたものといえばバナナ。何故だ。バナナはガーゼにくるめて絞ったが汁がでない。代わりに涙が出た。 初めて車をぶつけたのは、免許を取った当日であった。免許交付から2時間、自宅の前の電信柱にブレーキとアクセル間違えて突っ込んだ。17万円の修理代。親にこっぴどく叱られ、何の為の自動車学校やったのかと詰問された。 初めての一人暮らしは、大阪の梅田(ゲイの出没する地域)。私以外全員が飲み屋のねえちゃんかホモと推測される。夜の八時九時に家に帰ってきても、すべての部屋の電気は消えている。夜中の2時頃から帰宅ラッシュが始まり非常階段がコツコツとヒールの音が鳴り響く。 初めての泊りがけ一人旅。中学1年。東京横浜。鈍行の旅行。前に座っていた大学生同士が話していた「今回の旅行は気がすすまないな」気がすすまない旅行なんかあるのかなと若く思った。何故か学生帽をかぶっていた。国際都市にふさわしく前時代的に強制丸刈りしなければならない中学時代であった。 はじめての、、、まあこんなことゆうてたら朝になってまう。やめとこ・・・本日の昼飯(見る必要なし)http://r.gnavi.co.jp/k002900/工事現場で自殺防止張り紙
2004.01.31
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紫のマルボロHOW CAN I DENY MY HEART? ワタシの心情イカンして否定できようか?答え;ご自由に。場違いのシンフォニー。イチオクターブ萎えては浮き沈み。歴史の爆発部分だけを紡ぎ、収斂。 白い雪の積もった山を輪切りにする。善悪を超越した金属的な笛が引き伸ばされながら浮上。いたいけな姿のゆらゆら揺れる水に映った少女が言った。「虹を超えて」そして噛み付く!砕く!酷い、酷すぎる。花瓶の割れる音!風だけが残留した。便所脇の風鈴が鳴り、オーロラが出現。槍の雨。妹の帰宅。誤診。犬の遠吠え。ノイズは秋の虫。電流から生まれ空中にそっと逃してやる。やはり風だけが残留。 少女と淑女の対峙。あどけなさと透明。推薦した剛毛の死去。誰も聞いていない万人の不平不満。 醒めた。 翳が覚めた。 溢れるものにフタをした。生きている瞬間だった。悲痛な叫びと夏の足の臭さが交差した。しかしそれは生きている瞬間だった。神聖なる音は、刷り込まれ、浮き、淀み、割れた。 再び、狂気の前兆とヒキガエルの平穏な叫びが二重奏を唱えた。メタンガスが美しい音を携え、称え、一瞬のためらいもなく繰り返す。妖艶なる詩を。 冷笑の中、女は高慢になり偏見をもって「あなたは何?名前は?」と冷淡に言い放った。蝉が不変を訴えた。不協和音が快楽に変貌していく頃。 列車が来る前に、音が円を演じた。速度を増し、曖昧さを掻き消しながら、正確さを増幅させながら、そしてまた不協和音。ガラスの中のイチゴミルクが原子雲。強さが歪みに言い換えられる頃。残像は停止条件の前提となっている。想定する悲しさ。
2004.01.30
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一応結婚してます。何故一応なのかと外国人に聞かれそう。行くか行かないかは微妙です。微妙とは、行く行かない正反対のことが何故微妙なのヵと外国人に聞かれそう。とりあえずやっておきます。やることに、何故とりあえずという枕詞がつくのと外国人に聞かれそう。HELLO,I LOVE YOU おじいちゃんおばあちゃんがかわいいという最近の風潮があるが全く失礼な話だ。いや、金さん銀さんブームが去ってから、老人が隠蔽された感さえある。ただ、死だけを待つだけの余りの人生(=余生)になるように仕向けている装置づけをしている日本社会構造に我々はなかなか気がつかない。老人が愉しむ場所はない、かどうかは分からないが、生きがいを持ちにくいのではなだろうか。ただ毎日を送っている老人を見ると侘しくなる。そういえば合州国のアリゾナかどっかにサンシティという55歳以上のみ住める老人の町があったな。いつの時代から、何故生きているのか、人生とは何ぞやと考えるようになったのだろうか。戦時中は自殺の割合が非常に低いことが分かっている。疎外感の時代から。役割分担で他人が何をしているか分からなくなってから。道徳がはじまってから。ただ生きているだけが許容されなくなってから。神戸には福原という花町がある。かつて、そこに住む最後の三味線流し芸人さんがいた。菊丸さん。いつも自己紹介で「今年でパーよんになりました」と言っていた。皺は年輪、年輪は経験。良しも悪しも吸収してきた筈だ。三味線の技術はさておき、愛嬌と雰囲気、そしてときどきちょっとエッチな歌。菊丸さんの歴史があった。厚味があった。とりわけ謙虚さがあった。年齢と共にエゴがそり落とされていった。僕は好きだからやっているんだ。もし聞いてくれるならありがとう。そう聞こえてくる。休憩中、舞台裏で話をした。彼はいまいち焦点が定まらず、恍惚とした様子で夢心地であった。最後の魂を燃やしていた。熟練が呼吸していた。皆さん、生きてますか生きてますか、本当ですか?私は生きていません。私は生かされているのです。菊丸さんはそう話していた。その後地震があり、菊丸さんはめっきり元気を失い、そして亡くなった。http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/070/hon_19.html
2004.01.29
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なんばパークス裏を歩く。店は開いているが、皆さんは? インドにはカースト制度があり、ブラーミン5%、クシャトリア7%、バイシャ3%そしてシュードラ25%残りアウトカーストとなっているが、それも戦前に一度英国が調べたことがあるだけで、その数字が今もいきている。肉にもカーストがあり、牛、ブタ、とり、その他というところだろうか。カーストは4つをさらに細分化してサブカースト(ジャーティ・職業、出自)があり、さしずめ、フィレニクタン、ロース等であろう。 ヒンドゥーは牛を聖なる生き物としているので食することはないが、私の知り合った男(ブラーミン)の父親が間違って一口食べてしまったらしい。分かった瞬間、猛烈に吐き、そして、ガンジス川に口を清め直しに1週間の巡礼の旅に出たということだ。 自動販売機はネットワークだ。自動販売機はどれだけのシェアを持っているかによってその優劣が決まる。かつて缶コーヒーの売上はUCCであったが、ジョージアが抜いた。何故か。それはジョージアがコカコーラと提携したからだ。コカコーラの自動販売機のシェアは日本一だ。ただそれだけだ。なんかないか見てたらこんなのあった。http://www6.plala.or.jp/ryokan/ESSAY/ess9710.htmそれにしても砂糖入り缶コーヒーはやめときなはれ。砂糖5個分入っているから。キャッシーも泣いている。
2004.01.28
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今日は台湾提灯家庭の店みたいなところへふらりと入った。台湾と私の相性は少々悪く、一番初めはコリアンエアーでバンコク行を購入したら実は台湾にも1時間給油時間があり、ストップオーバーできたのにと、空港内で残念に思ったことがある。仕方なく旗を写真に収めたのであった。そういえば、ボルネオ島北部もマレーシアで、サワ、サラワク州は自治権が強く、独自の旗を持っているばかりか、マレーシア半島のマレーシアから国内線に乗っても、ボルネオ島に入ればスタンプをおしてくれ、さらにその日から2ヶ月滞在ビザをその場でくれるのである。何か不思議である。第2回目はバンコクから、ブルネイ―マニラ―台湾のチケットを予約し、台湾から船で沖縄に渡るという計画を立てたのだが、その夜に敢え無く全財産をすられてしまい、断念したのであった。 そして台湾に行く日が十年後に訪れたのであった。そうだったよななんか思いながら、牡蠣野菜卵と水餃子、そして焼き飯を食った。 アジアの臭いの中で、インドのホテルのフロントのことを思い出していた。荷物は絶対足の間にはさんでいる。チェックアウトで支払ったお金は何度もホテルマンの目の前で数えて確認する。ややもすると1泊多く請求してたりするので、レシートも確認する。それに比べて日本のホテルでは、荷物はどこかにほおりぱなし、おつりは数えない、レシートの確認もしない。日本て、まだまだ信頼が先行して成り立っている社会なんだなあ。http://foxbeen.hp.infoseek.co.jp/search_plaza_rakuten.html
2004.01.27
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外国から戻ってきた時の税関に止められぬ十大原則税関を無事抜ける鉄則1.民族衣装は着て帰らない。(特にルンギー類)2.パスポートの写真は、少なくとも笑顔にしておく。3.「団体旅行です」という。GWか年末年始、盆なら尚良し。4.ごみでもいいから荷物は多くすること。5.余計な入出国スタンプは破り捨てる。(スタンプ多いのまずい)6.おどおどした性格の人はシャブでも打っておく。(泥酔でも可)7.荷物を受け取ったら、手前で荷物の整理をしない。8.近くの子供と女性を借りて、家族旅行に扮する。9.税官員を選んだりせず、すぐ並ぶ。10.荷物をパンパンにしておき、「開けたら自分で閉めて下さいよ」と最初にいっておく。まあ、このうち5つぐらいを実践した結果、私の場合、荷物を開けられない確率は3割ぐらいに飛躍的にアップしました。クリスマスにロンドンヒースロー空港に着いた。日本からの直通便のためほとんどの乗客が日本人であった。私の右隣に座っていたおばあちゃんはウィーンに何度も音楽関係で訪れている。私の左側に座っていたおじいちゃんはディケンズとオースチンを研究する教授或いは助教授或いは先生。空港内も歩きながらお互いの今後の旅行を祈願しあって別れる。イミグレーションに。入国カードに泊まり先を「日本大使館」と書いていたら「ちょっと待った。本当なのか」「働く気かね」「帰りの航空券と有り金すべて見せろ」「じゃあ日本ではどこで働いているのか」「会社員なら何と言う企業だ」「やたらインドとオランダに入国しているな」他の客は去った。座っているのは私と、違う便で来たアフリカの青年。尋問の末、入国できたのは2時間後。空港内に人通りがない。クリスマスで列車が休みだ。いつだっただろうか。タイのバンコクからパキスタン航空で成田に帰ってきたのは。ワタシは、すぐ税関でとめられる体質らしい。「はい荷物開けてくださいね」ワタシは、疑われると、自分の人生そのものに自信がないからか、おどおどしてしまう。決してパスポートの写真が迷彩服に髭ボーボーだからではないと思う。何を隠そう、私はその時既に立派なサラリーマンであり、それも従業員何千人という規模の会社のコマだったのであるのだから。それは大学5年生の時の写真なのだから。当時のように民族衣装で帰ってきた訳ではない。ましてやパスポートのページが増刷されているからではない(ページ増刷に3000円という意味不明の手数料がかかる)と、は、思う。しかしながら、このときは違った。「はいこちらに来てくださいね」何と別室行きだったのだ。さんざん、麻薬所持や現地でやりまくったかとかを聞いてくる前に、税関員が席を外して、部屋に暫く一人残されたのである。「ははーん、これは罠だな、ここでさっと何か荷物を触ったりする行動に出たらどこかのマジックミラーから覗いているはずだ、ひっかかってたまるか。現実にはめられる以外は麻薬類はないし」 しかし、ワタシは、日記だけは見られたくなかった。絶対適当に応対した会話と矛盾がでてくる可能性が高いからだ。税関員は日記帳の中味までは読まなかった。そしてさんざん調べたうちに最後の仕上げときた。「はい~、パンツおろしてね~」ワタシは、はっきり明言しておくが、彼女にでさえ肛門を開かせ、覗かせたことはない。はっきり断言しておくが、ワタシの肛門を開いた唯一の人間はその名も覚えていない男の税関員だ。もうそんな屈辱はないであろう、今後、痔になり手術でもしない限り。 損害賠償で3000円くらいくれるという噂を聞いたことがあるが、そんなことより素早く成田空港を離れた。きっとワタシを泳がせているに違いないという妄想に陥ったからであった。ワタシは、このことを含め今までの経験から税関を難なく突破する確率の高い方法を学んだのである。1、税関に並ぶ前に、荷物をごそごそあさらない。2、女性の税関員はえてして真面目なので避ける。3、荷物は多すぎず、少なすぎず。4、できれば夫婦や子連れになる。5、パスポートのスタンプは少なめに写真はネクタイで。 そういうわけで、その後パスポートの更新で、私は写真を笑顔で撮った。(無人の証明写真で笑顔になるのはなかなか難しいものである。人間は不思議なことに、自分でコチョコチョこそばしてもちっともこそばくないのである)そしてイザ申請に挑むと、歯の見える写真は駄目ですと断られた。何故だ、と食い下がっても規則ですだの決まりですだのいって受け付けてくれない。写真代を無駄にされた恨みをどこにぶつければいいのだ。私は西洋人がにこやかに写っているパスポートを何回も見たぞ。笑っているほうがイミグレーションオフィサーも心証が良いではないかとブツブツいいながら権力に敗れたのであった。仕方ないので、今のパスポートはほんのスマイルである。ちなみに運転免許証等、写真の貼り付けてある公的免許類はすべてスマイルにしてある。文句あっか。方向性 みなさんはちゃんと生きててえらいな。生活がない。不安だ不安だといいながら何をしているのか。浮遊する脱落分子よ、誰のために誰のために。
2004.01.26
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14時半、私は神戸、南京町に出掛けた。http://www.wck.co.jp/NANKINMACHI/shunsetsu/spring2004/index.html龍をかついだ祭り姿の若者達を先導するおっちゃん見て驚愕した。大学のクラブの15年ぐらい上の先輩だ。高校で台湾に出掛け、台風の為船が出ず、帰国が遅れついでに学年も1年遅れられたと噂される先輩だ。その後、大学では更に勉学に没頭され、みっちり8年間ご通学されたとか武勇伝は数知れず。声もかける間もなく、擦れ違っていった。見学は15分で終了。http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/main.html学生の頃、バイトのひといつとして当時人材派遣会社業界4位の大手で、背広を着て飛び込み訪問「人材いりまへんか」売り込みバイトをしていた時期がある。1日そう根性入れてできるものではない。私は仕事中に重いパンフレットの入った営業カバンを引っさげ、神戸市立博物館にでかけた。(お、下記こんなん見に行ったなあ)http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/tokuten/told/index28.htmムンクの吸血鬼とマドンナが好きだった。http://www3.plala.or.jp/freya/munch.htmムンクは後年、病気(強迫観念だっけ)や狂気から次第に立ち直り、作品がしょぼくなってしまった。 昨年夏の話ですが、ネバダ・レポートというものです。これは、アメリカのIMFに近い筋の専門家がまとめているもので、IMF審査の受け入れの前に、もしIMF管理下に日本が入ったとすれば、日本は8項目のプログラムが実行されるだろうということを述べてある。・公務員の総数、給料は30%以上カット、及びボーナスは例外なくすべてカット・公務員の退職金は一切認めない、100%カット・年金は一律30%カット・国債の利払いは五年から十年間停止。・消費税を20%に引き上げる。・課税最低限を引き下げ、年収百万円以上から徴税を行う。(現在は140万円)・資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券、社債については5から15%の課税。・預金については一律ペイオフを実施し、第二段階として、預金を30%から40%カットする そのぐらい国の収支均衡というのは大事なんだ、経済を立て直すためには極めて大事なんだということを、世界の常識となっているということを示しているわけである。そして例えば、公務員がこうなったら、一般企業は追従していくだろう。まさしく会社員でさえ年収300万円の時代になるということなんだな。
2004.01.25
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かんどうきんちょうかんくつろぎけつだんこうきしん 経済学者ケインズの意味慎重なお言葉。「人は生活から解放されたとき、生きる必要性を求めなければならない」 ほとんどの人は、生きる必要性を考えていない大多数の人々は、生きるために働いてる訳ね。http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=2472http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=2461 今やってること、思っていることが5年後の自分に連続していたらOKOK。 5年後のなりたい自分に向かって今やってることがOKだと思えばOKOK。まあ、なんていいますか、夜景のキレイなうちの近所http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=25000&el=135%2F13%2F59.407&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F43%2F57.295
2004.01.24
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明治生命やるなあhttp://www.meijiyasuda.co.jp/profile/event/dear/2003/夜1時、1杯だけ飲みたくなり、車をころころ転がし、バーへ。六甲駅前というのに夜景が広がる。 私は小学6年生の塾での算数の最初の時間での先生の言葉を何故か思い出していた。私は黒板に立つように先生に言われた。「ドイモイ君、点を書け」「ドイモイ君その横にまた点を書け」「ドイモイ君連続して点を書け」「ドイモイ君その点の集まりをまっすぐにしたものが直線だ」「ドイモイ君、直線を黒板を越えてずっとまっすぐ描いていったらどうなる」「ドイモイ君、そうだ、地球を一周してまたもどってくる」「ドイモイ君、直線とはキミの頭の中での概念、決め事でしかないのだよ」 罹災して、私を含め多くの罹災者がこんな感情をおおかれすくなかれ抱いたであろう。何故私は生き残ったのであろうか、何故あの人たちは死んだのだろうか。申し訳ない、という罪悪感を。これは日本人特有のメンタリティではないが、程度のこそあれ世界各国の方が抱くようだ。しかし多分日本人はそう深く思うのではないだろうか。日本人は英語でいうところの、サバイバーにはなかなかなれない。しかし、私たちは、生き残りをかけて積極的に生きく時期にきているのだろうと思う。中華料理3時間食い続き、8000円コース。腹出て死にました。http://www.ambient-dohjima.jp/restaurant/index.html
2004.01.23
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今日、大阪本町の御堂筋筋沿いの某照明屋さんのショールームに寄った。北欧そしてイタリアからの照明器具や家具等があり、アルバーアアルトーの作品があった。http://www.t3.rim.or.jp/~uminami/class/sisatu/finland/finland.htmlhttp://virtual.finland.fi/finfo/english/alvar.html (見なくていいから)私はフィンランドに出掛ける前にフィンランドに住むアメリカ人(国籍)のフィンランドに永住する学者と酒を飲んで騒ぐ機会があった(日本で)私は英語を話すことはできないが、それでもアキ・カウリスマキ監督の「レニングラードカーボイズゴーアメリカ」(爆笑喜劇であった)http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD15750/comment.html(だから別に見なくていいから)の話と彼の専門であるサーミの話で盛り上がった。今、エスキモーという言葉が差別的だとあまり使われなくなったと同様に、ラップのことをサーメと言い直しているらしい。ラップランド、トナカイというイメージが我々にはあるのだが。(今は確か地域によってはイヌイット、ユイットと呼ばれている筈だよね。http://www.ne.jp/asahi/world/bunbun/europe/sweden/lap_index.htm (でも別に見なくていいから)ちなみにフィンランドはこんな感じかな。http://suomi.racco.mikeneko.jp/Elama/not-j.html(見なくてもダイジョウブ、まいふれんど)いやいや、そういう話ではなかった。それにフィンランド民族叙事詩「カレワラ」の話で多いに盛り上がったのは良いが、先程から、HPを見たりして書いているうちに何を言いたいかすっかり忘れてしまった。こんなことでよいのだろうか。しらふなのに。 フィンランドに行ったとき、アキ・カウリスマキ監督等何か今面白い映画はあるかと、再会したサーメ民族研究家に問うたところ「そりゃ、今はメリーにくびったけさ」と言われ、ふむそれはアメリカ映画ではないのか、キャメロンディアスではないのか、と思いつつそれ以上の追求はやめた。http://www.foxjapan.com/movies/mary/で、あれから何年たったか、たまたま先日土曜日に100円ビデオデイにこのメリーにくびったけ(まだ見てない)とサボテンブラザーズという馬鹿映画(笑えた)を借りてきたのであった。http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD3692/comment.html一応北極圏(でもどこや分からんね) 今日、生命保険占い(っていうの?)の今月のあなたのリーダーパワーは、上杉謙信の高潔性とあった。敵でも塩を送る平等性、人が避けて通る難事にも威厳を持てばダイジョウブマイフレンド。とのこと。戦国時代病死してしまうのであるが、婦人病で死んだって噂ですよね。婦人病って何?http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/nobunaga/kensin_w.htm
2004.01.22
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先程、夜中は、3時間電話をして今しがた終わったので、ヘトヘトです。電話の内容は個人的なことなので漏洩防止義務があります。夜は、シークレットではないので白状しますが、ハタなべを大勢総勢200万人ぐらいで食べました。白い身が臭みもなく柔らかく骨も入り混じってても刺さらず、おいしく頂けました。このハタが私の口に入るまでどれだけの月日と思い出を背負ってやってきたのか考えると、感慨深いものがあるます。昼は、その夜の食事のためにセーブするため屈伸運動と、月見うどん+梅おにぎり=310円というランチコースを選択した。そんなことでいいのだろうかと思ったが、ついつい仕事をサボり古本屋に1時間、買いたい本をチェックしておいた。朝は、その昼の食事のためにセーブするために、睡眠時間を増やし、起きた瞬間に、浄水器の水を一杯飲み、そして家を出るまでのタイムが13分。(勿論、着替え及び髪整え及び髭剃り及びネクタイ色決め、及びハンカチの用意及び靴メガネと半ピカに磨いてのコンテンツを含む)駅に着けばいきなり人身事故で、止まった満員電車の中で修行僧となる。
2004.01.21
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先程、大阪を1時20分に出て、明石タコフェリー一時間に夜中は1本よよよの2時20分の淡路島行に間に合った。いや、淡路島の人を送っただけだ。 淡路島というと洲本市の少し上に沼島という島があり、ここがやたらめったら嫁を募集している男の島であり、驚愕すべきにほぼ全員が年収1000万円以上の漁師の島である。 先日まで一人で銭湯が流行っていたのだが、銭湯の番頭に高校生の女の子が座っていて、わりかし照れた。女の子は携帯電話のメールかゲームに夢中になっていたけど、できうることなら監視という仕事をサボってくれと願いつつ、男女の中間で着替えが見渡せる風呂やってここしか見かけないなあと思った。驚くなかれ、風呂屋ではその家族以外が番頭に座ることは法律で禁止されておるのだ。 ところで、イソギンチャクに隠れて身を守るクマノミという魚、何か自分だけいい奴だなあと思っていたが、実は生まれつき他の魚と同様、イソギンチャクの毒に対する免疫はなく、何度も刺されては免疫力をつけていくらしい。なんだか人生の正しい法則を回復した気分になった。
2004.01.20
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家の目の前がツタヤで、この土日旧作100円レンタルやってて入ったら長だの列。家の目の前がフィットネスクラブで、いつも風呂代わりに使おうと思っているのだが、営業時間が平日22時半なので、大抵はまだ帰宅していないのでやっぱり損かなと思っている。今日は箕面に行ったが、171号線のミスタードーナツを通るたびに「日本1号店~」とつぶやいてしまう。 かつて、プラハを何時間も散歩していたら、いたるところでコンサートがあるから見に来いチラシを配られたり貼り出されたりしていた。ドボルザークを聞きに行った。ドボルジャークと聞こえるので何だかかわいく聞こえたのだ。そのドボルザークであるが、大の機関車好きであったらしく、時刻表を丸暗記していたり、毎日駅に通ったり、どうしても通えないときは弟子に行かせたり(行って何するか不明)していたらしい。 ちなみにバッハはハゲだった。カツラかぶるから関係ねえか。 かつて、私はインドを旅行していて、そのときに仏陀関連の本を読んだふりをしていたのだが、仏陀(になる前ですな)の修行中に、シャダルタにミルクを与えた娘がいて、その名前がスジャータといった。そのときは「へえ、ナンかコーヒーのコンフィデンスミルクの名前と同じやん」と思っていたが、十年以上たって、そのミルクがその娘の名前から来た事を知った。そういうふうに自分の中で逆から入ってくることってありますね。 ちなみにカルピスは梵語サルピス(乳製品醍醐)とカルシウムを掛け合せたものらしい。カルピスウォーターにしてから俄か復活したなあ。私はちょっとだけ嬉しかったよ。昔、濃いカルピスを飲むのはステイタスだったなあ… かつて、アムステルダムの国立博物館に行った。入ればすぐ「夜警」がどでぅううぇぇんと現れる。レンブラントは初めて一般市民を題材にした、市井の画家であったといえよう。しかし、残念ながらできあがった作品を見て、描かれた人達は、平等に描かれていない(真中あたりの人達だけが光を浴びている)のに不満で、文句をいい、レンブラントはその後仕事がまわってこなくなったらしい。ちなみにそんなレンブラントは色盲であったらしい。 ちなみに私も色弱である。色弱で困ったことはないですかと就職試験で尋ねられて、「就職試験で困ってます」と答えた。それ以外に生きていて困ったことはない。 かつて、肝炎等肝機能を損なうと、思考能力が低下するということを本で読んだ。そのとき思い出したのが、バンコクで偶然出会った大学の後輩であった。全財産単純に盗まれただけなのに(ジュースを飲まされて3日ほど寝ていた間に財産なくなっただけなのに)、銀行のせいにしたり、パキスタンに行っただけなのに、村全員が復讐のためだけに生きていると言う復讐の村に行ったとか、フライングスネークという空飛ぶ蛇の存在を主張したりとか、完全に電波系になっていた。おまけに、痩せてきて格好良くなってきたでしょ、と自慢しつつハイテンションのまま別れた。 ちなみに私が帰国すると、後輩は、しっかり肝炎で入院していた。 かつて、バンコクの薬局で時々買っていたもカフェイン剤「P-HOUSE」というのがあった。カフェインなので、日本でも法律には触れないであろう(外国で禁止されてない薬局で売っている薬を気軽に持ち返らない方がいい。どこで日本の法律に触れるか分からない)旅行中は、移動でもしない限り朝急いで起きる必要もないが、夜は夜な夜な夜更かししたくなるときにはこいつを服用していた。意識がはっきりして、一本筋通ったような気分になり、眠気がなくなる。但し胃には悪そうである。コーヒー飲んでもグーグー直後に寝てしまえる私でさえ、そうなのだからかなりカフェインが含まれているのであろう。今は販売されているかは知らない。 ちなみにコーヒーは4時間に100杯飲むと致死量となる。気をつけた方がいいよ。http://www.haricot.to/mw/dstrct.swf良い子はこんなので遊んではいけない
2004.01.19
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年で今日、1月17日だけは毎年同じ日記を書いている。前の日、神戸市兵庫区の友達の家で数人が集まり飲んでいた。木造アパートの2階だった。そこの住人の実家は私の家の近所であった。大抵は酔って面倒なので泊めてもらうのだが、その日は何となく家に帰ることにした。そこの住人もそれじゃあ、方向同じなので私と一緒に実家に帰ることになった。来ていた数人も住人が帰るので解散となった。私は、厳しくなると予想される二日酔いの中で眠りに着いた。そしてその時刻がやってきた。揺れは止まらない。地響きがすごい。世の中が終わったと思った。少なくとも関東地方は終わったと思った。止まる事を祈ったが、箪笥や本棚の下敷きになった私は、恐怖の中でも少し冷静であったように思う。パノラマ現象か、あまりに長い揺れであった。水は止まると判断した私は、フロに水を張ったりして、今出る水を確保。ラジオをつける。死者一人、、、、だれやその一人。近所の人々が、あわてて外にでてきた。「うっわわあ、あっ、おはようございます。すごかったですね~」日常があった。友達宅は全壊となった。その日帰った友達の家は2階が1階になった。また別の友達の住んでたマンション添付してます(後ろは神戸市役所) 9年後の1月17日起きてから、ニュースレターを記入。今読んでいる本を斜め読み。なかなか面白い文庫本として、「喪失の国、日本」インドのビジネスエリートからみた日本体験記で、私もインドから離れられないなあでも普通の旅行記は飽き飽きという中で何か面白い。震災に関して、「人はなぜ逃げ遅れるのか」という災害心理学の本を読んでいる。体系的に書かれていて興味深い。「ゲイコ峰子の花いくさ」祇園で6,7年間売り上げナンバーワンを達成したげいこはんの自伝。昔ニューヨークに渡った元芸者であった中村キハルさんの3部作を感動的に読んだ。それを思い出しなっがら読んでいる。現場主義の知的生産法。少し前ならこういった本は好きではなかったのであるが、最近ちょおこちょこ読んでみるようになった。かといって役に立たない雑学を集めた本はあまり好きではなかったのではあるが、ひそかにトイレにおいていたりなんかした。トりビアの泉ちゅうのが流行っているということを最近知り、不景気にはクイズ番組や金のかからない番組が流行るのだなあと思った。この番組が金をかけているかどうかは分からないけど。それでもトりビアの元祖にちかいと思われると学会、唐沢俊一の本はついつい読んでしまう。最近も「トンデモ一行知識」第2弾がでている。ついつい読んでいる。意味もなく、変死体解剖の後、また原型に戻す時に新聞紙や雑誌をお腹に入れて縫い合わせてしまうらしいなあ、と知り合いに医者にいえば「何で知ってるの」と少し怪訝な顔をしたことを思い出した。でも考えたら、腹から物とりだしたりしたら空になって腹へこんでしまうわなあ、どうせ死んでしまっているし、何か入れたほうが見た目キレイもんなあ、燃えてなくなるし・・・訳の分からないことを思い出した。http://www.medic.mie-u.ac.jp/forensicmed/forensic_jp/essay/zatsubun.html地震の日の検視ははんま大変だったのだろうな。ついでにモホロビチッチという言葉を思い出した。中学生で覚えなければならない単語でおもろい単語ベスト3には入るだろう。http://www2.hamajima.co.jp/~tenjin/labo/moho/moho.htmそう、モホロビチッチは地震に関係あるのである。そうするうちに昼前になり、車の調子が悪いので(電気系統が弱い)ディーラーに持っていく。直してもらっている間に近くのイタリアンにいったがまずかった。何が、まずかったというと、初めに出された水がまずかった。単なる水道水に違いない、氷の冷たさで誤魔化そうとしても駄目よ。いまどき浄水器もつけてない飲食店は信用できないなぞと息巻いた。最後にでてきたコーヒーもしっかりまずかった。コーヒーは豆より水が命だ(ほんまかいや)そのあと映画を1本みた。なかなかいい映画であった。http://www.foxjapan.com/movies/inamerica/夜は野暮用で出掛けていった・・・道頓堀のグリコのネオン、かかる電気代は夏場は月13万円、冬場は月15から16万円。(冬場のほうが夜が長いので電気代がかかる)かに道楽の看板、足を動かすための電気代は月15万円。
2004.01.18
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インドにはサドゥという修行行者がいる。さしずめ日本では完全な浮浪者に過ぎないが、インドでは、カーストから外れてしまった者となり、どういう位置づけか尊敬されたりもしていたり、人生の最後の方ではこうなることを徳とされていたりして不思議だ。勿論、不良サドゥや泥棒サドゥもいて、疎まれていたりもするが、概ね寛容である。3歳未満の子供とサドゥは火葬されない。聖地バラナシにもサドゥが多数。私と仲良くなった不良サドゥは、全持ち物が、手提げ袋の中に笛が10本程度だけだった。それがおかしくて笑っていると、何故笑うのか真剣なまなざしで見つめられた。「さあ、祭りだ、前列に行こう」といって、ふんどし一丁のサドゥに手をつながれて、催し物のまん前まで入場料も払わず、ずんずん進んでいく。手をつながれているのが恥ずかしい。そして、舞台最前列に来て、座り、踊り子を暫く見ていたが、サドゥは私に「眠くなったから寝るわ」といって横になってしまった。インド国鉄はサドゥにフリーパスの権利を与えている。訳が分からない。http://www.geocities.co.jp/Playtown-Toys/5103/kononakanihitori.swf 笑える漫画(2チャンネル)http://hv.ws37.arena.ne.jp/swf/i_believe.swf 笑えない。http://takatb.hp.infoseek.co.jp/gotseed.htm 笑える。http://www.geocities.co.jp/Playtown/5583/swf/kokugo.html 漫画http://slava.podolsk.ru/flash/go.swf カーソルをキャッチ、1分は楽しめるhttp://rabbitcorps.jp/flash/lesson.htm グッドムージシャンhttp://www.ambixious.co.jp/g3/ 軍艦島、忙しいバージョンhttp://www.insomnia247.com/ センスがよいhttp://www.do-not-zzz.com/ 電通作製の「禅」http://shuxx.hp.infoseek.co.jp/bluebird01.swf ・・・http://www.poeyama.com/gonorego/ いまいち意味不明http://multimedia.honda-eu.com/accord/ HONDAのサイトです。実写だそうです。歯車をクリック→(Click for ~)をクリック→接続環境に合ったクオリティー(Quality)を選んで下さい。http://www.otogai.com/
2004.01.17
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今日は、なんばでうどんを夜に食した。そのあと渋く堺筋ちゅうところにバーにいった。(正確にいうと前を通っただけ) 20代の頃は、会社で怒られることはあまりなかった。今、既にスキルダウンして、いろんな人にショッチュウ怒られている。(あまり叱られているとは思えない。思えないから駄目なのかもしれない。しれないなど憶測でものを言っているから問題なのだ。問題意識が面倒なのが致命的なのだ。)夜、12時というのに電車は金曜なのかいっぱいだ。私は、刑務所の本を読んでいるのであるが、どうもすぐ人間ウォッチングをしてしまう悪い癖がまたでてきてしまう。自分のことは棚に上げといて、他人の短所だけが目立って見えるというのではないが、面白いところをついつい探してしまう。しかしあまり面白いものでもない。前に座っているおじいちゃんは携帯電話のメールをしっかりパスワードでガードしておった。きっとこそっと妻に見られるのを危惧しているのだろう。大した予防策だとは思うが、たいていの男は間抜けだから、やましいことはバレル。徹底的にシラを通すのが正しいと思われる。しかし車内でメールしている人たちはなかなか真剣に文面考えて、何度か消したり推敲したりしていて素晴らしい。私は、文章垂れ流しが基本だ。「できせう」とか「わかりまさた」でさえも意味通じるからまあええかなんて思ってしまう。ま、えっか、それは私を堕落に落としいれる危険なキーワードであった。さて、そろそろ本題に入りたいと思ったのだが、寝ることにした。多分、明日書くだろう。明日書かなければあさって。変な法律http://www.ceres.dti.ne.jp/~chu/law/ http://bennyhills.fortunecity.com/burns/294/funnylaw.html
2004.01.16
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こんな話を聞いたことがある。野生の獰猛なカマスを水槽に入れて、小魚を入れると、ばくばく食い始める。そこに透明の仕切りを入れて、一方にカマス、もう一方に小魚を入れると、カマスは小魚を食おうとするが、何度も透明な仕切りにぶち当たる。やがて、カマスは小魚を追い、食うのを諦める。そして、透明な仕切りを外す。しかし、カマスはもう諦めていて、小魚を追うことはしない。もう仕切りにぶつかって食えないと思っているのだ。このカマスを蘇らせるにはどうしたらいいのか。それは、その水槽にもう一匹の野生のカマスを入れることである。野生のカマスがばくばく小魚を食うのをみて、自分にもできるのではないかと思い、野生の血が蘇るのである。こんな話を聞いたことがある。のみもおなじだ。蚤は自分の身長の200倍もジャンプできる。さしずめ人間でいえば、霞ヶ関ビルテッペンまでジャンプできるようなものだ。しかし、またそこに透明のガラス板で遮るのだ。すると、蚤は、何度もガラス板にぶつかる。そしてガラス板を取ってみると、やはり蚤は、元あったガラス板の場所までしかジャンプできなくなっているのだ。こんな話を聞いたことがある。象の調教の話だ。小象の時に、足に鎖をつけて一方を頑丈な棒にくくりつけておく。小象は、自由に歩きたいのでもがくが、鎖の範囲しか歩くことができない。やがて小象は諦めてしまうのである。しかし象は成長する。そして大人になっていく。もう鎖なんて棒ごと簡単に引っこ抜いてしまうパワーを身に着けた。しかし象は、絶対出来ないと思い込んでいるからそれをしようとしない。とどのつまり動物を嘲笑うことは出来ない。人間も実は同じなんだと。常識に、既成概念に、過去の経験の呪い術に束縛されている。 陸上競技では技術的なことはさておき人間は各種目にて動物に勝てない。チーターは120キロで走るどころかだちょうでさえ90キロで走る。カンガルーのようにジャンプはできないし、ゴリラのような力はない。しかし、唯一勝てるのが、十種競技だ。なんかそれって面白いよな、人間ってゼネラリスト?今日、保険のチラシをもらった。「昭和36年4月2日(女性は昭和41年4月2日)以降生まれの人は65歳からしか公的年金を受け取られず、60歳で定年退職したら5年間年金ゼロです」(知ってるけどね)「その5年間をどう乗り切るか?」「今40歳の方、毎月3万円の積立年金してください。60歳には720万円、そして受取額が、ナント、65歳までの5年間で、766万8650円!」がくっ・・・私は、実は、何を隠そう、ロブスターを食べたことがなかった。バリ島のレストランの店先でロブスターを数匹置いていた。そこに専属の男がレストランに入る人々にロブスターいいよ~なんて勧めていた。客は多く、しかし、なかなか高価なロブスターは売れてなかったようだ。バリで1匹3000円なのだから。 私は、これをヤっつけてくれと、千尋の谷に落ちる思いで注文した。そして料理の運ばれる時が来た。近くの観光客が一斉に私の顔とロブスターを見た。私は照れた。しかし、両隣の老夫婦がそれをネタに話が弾み、右横がオーストラリア人と左横がカルフォルニアから来たアメリカ人と分かった(アメリカ人だけは世界は自分の国中心と思っているのか州の名前を言ったりする。確かにある意味、州は国みたいなものであるけどね)フィリピンの首都マニラのあるルソン島から一番近い南の大きな島はミンドロ島だ。昔、小野田さんが発見されたルバング島の横の大きな島だ。そうそう戦争の終わらない小野田さんを説得して連れ帰ったのはヒッピーだった。そのヒッピーはネパールのイエティ(雪男)にその後魅せられ、何度も探しているうちに遭難して帰らぬ人となった。まあそれはいい。その島にはご機嫌のビーチがあるのだが、ビーチというもの、これは堕落である。朝日を眺めて暗くなるまでにおよそ3時間もないと思われる。時間スピードが加速度的に増し、そして行動範囲が加速度的に狭まりバンガローのテラスで一日が終わる。その日も朝におばはんがやってきて「テンプラ食べたくないか?」といわれ、私とマニラで集合した友人は「食べたい食べたい」といった。そして夕方運ばれてきたのはテンプラではなく(コロモがない)単に油であげただけのえびであった。そのえびの量たるや、勘弁してくれというほどの山盛りである。バンガローの床下には、匂いをかぎつけ多数の犬が集まりだした。我々だけでは食っても食ってもなくならない。しまいには、そのまま犬に投げつける有様。(最初は皮だけだったが)それをみた現地の女の子は「それは犬が食べるものじゃありません」と涙ながらに怒られた。辛かった。申し訳なかった。でも胃は限界だった・・・・今日、ちょっとだけサボってコーヒー飲んだよ。下記店 アジアコーヒー
2004.01.15
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「元気でね」ひどい言葉だった。大きく不安だった。そして、きっと簡単に、許容範囲内という条件付で簡単に変われると思う。多分、私は、歩み寄り、というより、多分、許してくれるだろう、と甘えてしまうのである。きっと。信じられないほどに甘えているんだ。 繊細さは、ややもすると粗雑になる。この世に、不変はないし、普遍はないが、トリアエズ、永遠を信じるふりをしなければ、虚無の世界かご都合主義の世界へはまってしまいそうで。「せつなさ」を忘れたくなくて。裏はとってある。闇で照らしておくれ。キャッシーは泣いている。ジョンはいないから。言葉を失うと、その行為がなくなっていく。エゴンドイモイシーレ自画像 グスタフドイモイクリムト自画像
2004.01.14
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タージマハル その日、正午タージマハル正門前で集合、とカルカッタで友と約束したのが一ヶ月前であった。 その日、正午きっかり、私はまだジャイプルバスの中にいた。急いで欲しい、とは願いつつ、窓の下に目をやると、沙漠地帯の一本道の脇で、脱糞しながら私に手を振る子供を見た。私は照れる。常識が私を照れさせる。 常識とは、自分以外の大勢が当たり前だと思っていることだと傲慢に思っていたが、申し訳ない気になった。 そして、午後三時。アグラ。酷い観光都市だ。乗ってからの価格交渉決裂で、二度リキシャー(人力車)を乗り換え、正門前に参上。 そこにいたのはインド人下男。3時間の間、ひたすら友の名と私の名を書いた紙を持ち、入場する日本人らしき人がくるたびに紙切れを見せていたらしい。私はその宿の下男に付いていった。 その後、シャージャハンが王妃のために二十二年と国家が傾く程の天文学的費用をかけた大理石の墓、ジャーン。これでもかこれでもかと一瞬圧倒されるが、五分後には芝生に寝転がる。権威を無視する優雅さ。栗鼠が這うのを眺める。 以後の人生、この建造物のことを思い出すとすれば、インドといえば、ターバンかタージマハルを思い出す人に「行った?」と聞かれた時ぐらいなのだろうか。 タージマハルの裏に流れるヤムナ河を大理石に座り、見ていた。水牛の群れがいた。すぐ裏ではやはり人々の生活があった。 翌朝、タージマハルから朝日を見ようと約束して、来たのは私だけであったし、そのせいで風邪をひいたのも私だけであった。自画像
2004.01.13
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木はそびえます。 そして、木は切られます。 やがて、木は腐ります。 今日、職場に、大学時代の後輩がパートナーを連れて散歩しにきた。大事な大学の後輩は、病気で、目が見えなくなっていく。つい最近まで巨大企業の一員として、上海勤務だったのだが(ちゃんと私は遊びにいったのだが)それを理由に帰国。今は事務職として働いてはいるが、将来は不安だろう。何とか、おせっかいすぎるが、一緒に楽しめることはできないものかと思う。救うことはできないしそんな力量もないが手伝うこならできるかも知れない。
2004.01.12
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ふと横をみたら消火器がひとつ。消火器といえば「ヤマト」このシェアは凄い。はじめて違うメーカーの消火器を見た。世の中には小さな世界でシェア率90%、中には世界でほぼ100%というものもある。私は例えば日本発条というバネの会社、例えばマブチモーターはプラモデル等のモーターの会社、名前は忘れたが、タクシーの壇断場らしい。大きいことはいいことだと採算度外視でシェア争いをしてきた会社が凋落していく様子を私たちはみてきた。これからの時代は、ナンバーワンというよりオンリーワンそう叫ばれ出してから数年、奇しくも、昨年の大ヒット曲世界でただひとつの花は、オンリーワンの歌だった。昨日、ミステックリバーを急いで観た。ショーンペンもジムロビンスもベーコンも年とったなあというのが印象。映画のストーリーはなかなか面白かったが、ビデオで充分。先日、「猟奇的な彼女」ビデオで観たけど、前半部分は割と気分の悪い映画だなあ、と思って観るのやめようかなと思ってしまうが、我慢して後半観てたら、思わず泣けます。今度ラブストーリー観に行きます。泣きながら、ぶっ飛ばせ! そうやって急いで自宅に帰ってきた。
2004.01.11
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「チュッパチャップス スペイン」 チュッパチャップスについて○スペインのバルセロナで創業。○日本に上陸したのは1977年の事。○1969年ダリがチュッパチャプスのロゴを考案。○ロシアの宇宙ステーション「ミール」で持っていかれ、○世界ではじめて宇宙で食べられた棒付きキャンディ。○世界164ヶ国で販売。○全部で50種類以上のフレーバー。○私はもう10年以上食べたことがない。○バルセロナに住む友達が以上を教えてくれた。○1997年には販売本数が400億本を突破。○私は20年以上食べていない。ガソリンを入れると65リットル近くも入った。これって人間一人分やなあなんか凄いな。まいごのまいごのサラリーマン私の机はどこですか仕事を聞いても分からない将来聞いても分からない何なんだよー何なんだよー泣いてくだを巻くサラリーマン同僚も新人もそれ見てびびって何なんだよー何なんだよーわずかな査定のデータのかげからもうやめちゃいかがと人事がほざく解雇 解雇 解雇解雇解雇バロット続き。今ゆでたまごを食っている。ふと思い出した。フィリピンのバロットというたまご料理。かごに入れてバロットを売り歩く人をよく見かける。値段もそこそこする。皆バロットが大好き。力がつくといって二の腕を指差す。最初少しだけ卵に穴を開ける。そこからチューっと吸う。そして殻をめくっていくと孵化直前の姿が。頭にかぶりつく。何度食べさせられたか。食べることによって仲間入りするのである。通過儀礼なのか。北アルプスには野口五郎岳という山がある。野口五郎の芸名はそこから取った。デーモン小暮の血液型は“θ33式XD類別A666”型である。玩具メーカー「タカラ」の看板商品「リカちゃん」はCGアイドル化してホリプロに所属している。ちなみに「リカちゃん」の今一番関心があることは「いろいろな環境汚染問題」だそうだ。メールやネットニュースや掲示板で題名に付く"Re" は"Response" の略。とゆーのはよくある誤解で、「~に関して」という意味の前置詞。オカマの語源はサンスクリット語のカーマ(カルマ)。生麦事件が起きた横浜市鶴見区生麦には、現在、ビール工場が稼動している。映画『エマニエル夫人』の音楽の一部は、プログレッシヴ ロックの大御所、キング クリムゾンの作品の盗作キング・クリムゾンの「エピタフ」は、ザ・ピーナッツにカバーされている。橋本元首相は、首相官邸でハムスターを2匹飼っていた。働き蜂をあまり働かないようにすると寿命が2倍以上に伸びるそうです・・・ボラの卵の塩漬けをからすみと称するが、現在流通 している中の8~9割はいわゆる模造品(別の魚の卵)である。しかし、そんな状況であるために「本物」を食べた事がある人が殆どいない為か、「ニセモノだ」と騒ぐ人も出ず、同じ価格で流通 している。有名どころですが、げんざい子持ちししゃもの多くはキャペリン(カラフトシシャモ)という別 の魚。ピラミッドの建設には莫大な費用がかかり、ケオプス王は建造費用に窮して、自分の娘を娼家に売ってこれにあてた。世界最大の動物はシロナガスクジラ(体長約30m)だが、北欧の海岸に打ち上げられたヒモムシの仲間には長さ50m以上という記録がある。長生きの動物といえばゾウガメ(記録では160年くらい)だが、日本のコイで200年以上生きていた例があるらしい。冬眠中を寿命に入れないので記録として認められないとか。エリック・サティの楽譜には、行間に詩のようなものが書いてあることがよくあるが、これは歌詞ではない。なぜなら譜面 には「いかなる者もこれらの言葉を口に出して発音してはならない。その禁を犯す者があれば、直ちに作曲者の激怒をかうであろう。 サティ」と書かれているからだ。これは、詩的に表現した演奏上の指示なのである。栄光の私の車履歴18歳。自動車学校に3日だけ行くが途中原付で50キロ以上オーバーで3ヶ月の免停。自動車学校も休み忘れそうになる。自動車学校の期限は6ヶ月で5ヶ月目に学校から電話があり、辞めるのですかといわれ、思い出し、2週間で1段階からやり始めて免許取得。18歳。免許取得した日に喜んで家に帰り、自宅の車を勝手に出し、そのまま家の前の電信柱にぶつける。免許取得2時間後の出来事。修理費18万円。18歳。2週間後、車が直り、すぐまた勝手に親の車に乗って、またぶつける。親から車乗車禁止令を下される。そのあとインドに1ヶ月行く予定があり修理費を払ったため、残った3万円の現金で旅立つ。19歳。若葉マークがスピード出し過ぎ?で飛んで行く。その後、駅前に住んでいたので車の必要性感じず過ごす。33歳くらい。初めて車を買う。それまで欲しいと思った事がなかったから。ワーゲンゴルフ買ってくるわとパートナー(今はもういない)いって間違ってワーゲンベントを購入。しかし荷物が沢山入るから気に入った。3ヶ月後、ロボットゲートにぶつかり廃車。 中古車屋さんから車を借り、3ヶ月程代車で過ごす。なんかでかい車であった。なかなか乗り心地が良かった。日本製ポルシェをオークションで車を買う。2年後。買い換え。1年後(2003.7)たった一度、一日だけ友達に貸したら、高速道路でスリップ大破、廃車。車を見に行ったら、他人の車に見えた。ナンバープレートを見て涙ちょちょ切れた。保険にて再購入現在に至る。
2004.01.10
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親友のニースでの結婚式をアップロードした翌日(つまり今日、正確には2日前)読み返してみると、長かった。ナルシストってやあねえ~。 はっきりいって今日は河豚を食った。河豚ってうまいのかどうか何度食っても良く分からない。まったけに至っては香りは素晴らしいが旨いものでもない。3大珍味のブタが探す黒や白のいキノコやガチョウの10倍胃袋肥大やチョウザメプチプチは、私はなかなか旨いと思うのであるが、トリュフだけは、ナンや少なすぎてよく分からないというのが正直な感想である。 ところで、私は、おいしいものを一番に食べるか最後に食べるか、どちら派というと、最後に食べる派であった。しかしこれは視覚的効果は多少あれ、大抵はもうお腹がいっぱいになってきた頃であり、あまりよろしくないのである。単なるもったいながりかも知れない。驚くべきことに、実は食事の途中で食べる人が一番多いらしい。信じられないというか考えもつかなかった。 そっか、人は中庸をめざすか。タイカレーはお好き? 今までで何度か食べたがどうも好きになれなかったのがフィリピンのバロットです。http://www.angel.ne.jp/~nisikori/cebuofcebuA/barot1.htmlhttp://www.misskita.com/phils/balot/「おみくじ」を、よい順番に並べると、大吉、中吉、小吉、吉、半吉、末吉、末小吉、凶、小凶、半凶、末凶、大凶となる。合掌。
2004.01.09
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国宝・犬山城の所有権を巡り、新たな財団法人を 設立する方針を明らかにした。犬山城は国宝の城で唯一、個人所有となっていたが、今後は財団法人に運営が引き継がれるというニュースをみた。国宝の城を持った日本唯一の人といのがなんか面白いなと昔から思っていた。何となく夢があった。 私が犬山城に連れて行ってもらったのは小学校低学年だっただろうか。連れて行ってくれた親父の年齢に私はもうなろうとしている、いやもうなっている。木曽川下りを母と従弟と妹で愉しみ、父親は車で下船場まで先回りしてくれた。私ならきっと一緒に川下りしてタクシーかバスで上乗船場に置いている車のところまで戻るのだろうな。 犬山城、モンキーセンター、木曽川下り、明治村。 犬山城の孤高がナンだかスペインバルセロナのサグラダファミリアに似ている感じがした。明らかにサグラダファミリアは違法建築。今も建築中。私はバルセロナに行った時、サグラダファミリアを見に行かない珍しい日本人観光客になる予定だったが、しまった、行ってしまった!なかなか一枚に収まらないんだよな。 こんなチキンを飼ってみたい。
2004.01.08
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昨日、以前アップしたのと同じようなことを思い出して書いていたので、今日は翌日どうしたか、皺の少ない脳みそとあやふやな記憶を辿ってみた。 あの朝、何故か分からないが、トランジットの私をなかなかチェックインさせてくれない意地悪イミグレーション。出発間近になって、こっちだと走らされる。 コリアンエアで兼ねてからやってみたかったことをしてみた。機内食のおかわり! 一瞬にしてNO。 当時まだタイの地球の歩き方も出ておらず、バンコクのドンムアン空港も、現在の横にある小さな国際空港であった。 とにかく私は、まだ良く分からず、安いことが無条件に良いことだと信じており、日本人のたまるチャイナタウンのヤワラートも西洋人のたまるカオサンロードも知らず、サイアムスクエアのナショナルスタジアムに併設されているナショナルスカウトホステルという所に行った。ドミトリー1泊150円。しかし私はふと思った。こんなに安いのなら、公園にテント張る必要なんかナンもないやないかと。2ヵ月後に戻ってくることだからと勝手に荷物入れにテントを入れ、無断でチャイナタウンの泥棒市の路上で買ってきた南京錠を閉めた7月22日であった。 夜、外に出たらおじさんに声をかけられた。飯を食うことになり、何が食いたいかしきりに尋ねられ、ビールをノメノメといわれガブガブ飲んだ。昨日は韓国の兵士達におごってもらったし、その前の日は大学の先輩宅でしこたま飲ませてもらって(先輩の家から空港に行った)、今日はこの紳士かいナハハハハと笑っていると、おじさんは、あーおいしかったといって喧騒の中に消えていった。ん、支払いは・・・9月下旬、バンコクに戻ってきた時には、南京錠はもうなく、当然テントもなくなっていた。
2004.01.07
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歩いていると平衡感覚がない。慣れない時、久し振りの時、悲しい時、そして熱をだしたときフラフラする。 1時まで、まとめごとをしていて、それから「猟奇的な彼女」をみた。 初めて韓国に行ったとき、何を隠そう、テントを持っていったのだった。トランジットで翌日はバンコクへ飛ぶので、私はほとんど両替もせず、ソウルを歩いた。 ソウル駅近くの屋台で兵士に呼び止められ、昼間から酒盛り、夜へと続く。そして、兵士は私を女郎屋に連れていこうとする。私は丁寧に断り、それは何故かというとその女性と兵士2人と私で寝ようなんていうからでもあった。 そして私は、夜の12時に金浦国際空港に着き、空港内に入ろうとしたら、また兵士に止められた。準戦時国家ということを忘れていた遠い隣の国。空港内のロビーで寝ることは許されないということで、ホテルに泊まり、明日朝に来いという。私にはウォンがほとんどなかった。しかし私のはテントがあった。私は兵士の目を盗み、ホテルに向かうふりをして素早く鋭く周りを見渡し、飢えた犬のごとく空きスペースを速攻で探し始めた。しかしながら、なかなか舗装された道端に空き地はなく、一瞬たじろいだが、闇夜を見つけた。大粒の雨まで降ってきた。土はぬかるんだ。テントをすばやくつくり素早く入ったが、大きな蚊も一緒に入ってきた。自然の中で人工物は怖い。人工物の中での自然も怖い。頭の中が八月の暑さと雨の湿気と蚊と怖さで眠れなかった。そして朝方、多数の人々の声がしてきた。そのうちの一人が私のテントを空けた。怖いが、向こうの方が怖かったであろう。朝鮮語の通じぬ不良外人が何かわめいていると思ったのであろう。そのおじさんは静かにテントのチャックをまた閉めた。 しかし私とてもう眠れぬし、空が白み始めた。そして何故こんなに人がいるのか不思議で外に出た。臭かった。気がつかなかった。ごみ捨て場であった。
2004.01.06
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企画力という本を数冊のうちのひとつとして衝動買い。その他は「パラサイトの教え」「大江戸エコロジー事情」「豊かさの条件」36階より大阪城およびOBP その中でビジネスプロディユーサーの10の条件という興味深い記事があったので、無断掲載。1.心を打つ夢が語れる。 夢はイメージでありビジョンである。チームは何故夢の 話に引き込まれるのか、それはそこに自分の役割や自分 の必要性を見出し、自分らしい場がそこにあると感じら れるからである。2.豊かな完成イメージを持っている。 その夢が実現したシーン、その変わった後のシーンを語 れること。 例えばチョロQの本物の車化。あれが走っていたり、駐 車しているとどんなかわいい待ちや通りのシーンになる か。3.鋭いリアリスト 飛躍した力、それは非常識にみえるが、説明をよくよく 聞いてみると何とも常識。科学の目、感性の目で現場主 義で好奇心旺盛で観察、直接知識を仕入れることが大切 だと伊勢丹「解放区」を作った人は語る。4.逆境を創造のエネルギーに変える 成功したプロデューサーの共通点は予算がなかったとい うこと。 企業にとって予算とは採算の合いそうなもの、見込みの あるものである。 研究は大抵仕事後の闇研究予算0から始まっている。 AIBOも解放区も予算はなかった。5.拘束条件からオリジナルなものを見出す。 予算人材がない、制作期間が短い、場所が狭い、辺鄙、 類似品が多い、既に大手のシェアが高いなどキリがな い。 みなとみらい横浜のプロデゥユーサーは、あえて無用の 倉庫街を残しリニューアルさせることによって成功し た。 内外にいかに多くの拘束条件を発見し、その意味を考え 現実化できるか。6.実現の過程を楽しむ 成功者に聞いてみるがいい、皆成功の後より、実現過程 を面白おかしく方ってくれるはずだ。空間よりも時間に 重きを置いている。 プロデューサーの価値観は職人に近いものがある。結果 が出ると(見えてくると)次の実現に向かって走り出して いる。 そして皆がいう。「まだまだです。一生勉強です」と。 職人といっても棟梁とはまた違い、完成イメージを皆で 共有するのである。7.「切る」ことも大切集められた仕事集団ではなく夢に共感 す同志の集まりがチームになる。 しかしながら、それゆえ残念ながら一人レベルの低いも のがいればチームの士気レベルが落ちる。 勇気をもってチームワークを乱す者を遠ざけるという役 割は辛いがしなければならないこともある。 もっと辛いのはプロジェクトの中止である。しかし時に は決断が必要。8.運を呼び込む いろんな幸運はよくよく聞いてみると必然性が見えてく る。平井賢の童謡「大きな古時計」もそうである。 彼はヒットするまでの吹けど踊らずを数年間過ごし、バ ーの片隅で流していたらしい。そしてラストには必ずこの 曲を歌っていた。 レコーディングでの彼の熱意、プロデゥユーサーのいけ るといった決断こだわりが実を結んだ。童謡路線が受け るのではと2番煎じでいった曲はすべて失敗した。 運はこだわりだという。完成イメージだという。 カルロスゴーン日産社長も事業成功のポイントは妥協しな いことと答えている。現実化できるといったイメージであ る。そのイメージが生み出す情報や自信が必然を引き出し てくる。9.人柄の良さ エジソンはあれだけの発明をしたが部品は100そこそこ だったという。 現在は違う。電気製品はたいてい1万以上の部品からでき ている。なのでこの創造的な仕事にチームワークは欠かせ ない。 ビジネスプロヂユーサーにはプレゼンなどの基盤能力、セ ンスといわれる感覚能力、そしてチームワークが必要だと いう。 人柄の良さは大切な資格である。 具体的には、公平である、平等である、信頼感がある、楽 天的であるそしてほめ上手であるということだ。10.私欲にとらわれない高い志そりゃでけんでと思うかも知れないが、えてして成功者は隅に追いやられて閑職だったりしたらしい。「できそう」とおもえば勝ちかもね。 私の今日の気持ちはこうやねん。泣いてやる!大人になったら泣かないなんて嘘やで、一番泣かないのは20代や!
2004.01.05
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どちらかといえば昨日デジカメを買った。これが第一号写真(その場で封開けた) 昨日、整理してたら本がなだれになって落ちてきた。大変だった。 まだ口内炎痛い、昨日に引き続いて今日もだ。サーファーは多分タツノオトシゴではなくワニじゃないかな。
2004.01.04
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どちらかというと、今日はデジカメの調子がいきなり悪くなった。不良品ではないかと想定される。それか電池を100倍ぐらい食ってる何かがあるか。10枚撮れば電池交換、そんな馬鹿な、地に落ちたか日本の技術よ~。本日は、スターバックスに行った。私は、関西第一号店(梅田ヘップ)を素早く出掛けた人であったが、禁煙だというだけで、入るのもやめてしまった。「ナンやアメリカみたいやないか」(そりゃシカゴやからなあ)とつぶやいてからもう5年の歳月が流れた。http://www.geocities.co.jp/FoodpiaOlive/2416/company/about_sb.htm#about ニューヨークに前に行った時も蔓延していた。スターバックスの開店は治安安全度の尺度になるらしい。毎朝泊まっているホテル(アッパーサイドイースト)近くのスターバックスに行くと、ここでは、何人か注文の際に聞かれる。そして、暫くしたら、ジャパン!と店員が叫ぶと取りに行く。紙コップにはJとマジックで書かれており、ジャマイカと間違わないのか毎朝心配していた。杞憂と英語ではいう。 今や猫も杓子もスターバックスである。私も多少はファンではあるが、その経営手法や展開、マーケティングの方が興味がある。 先程、めしを作った。何を隠そうブリ大根である。大根にブリ(のあらがいい)にしょうゆみりん水砂糖酒をぶち込んで電磁調理器オン~、以上。 大根はちゃんと皮を剥くのである、特にこれは実家の田舎からの戦利品でありまだ土さえもついていた。勿論、輪切りにしたあとも熱が通りやすい様に×印を包丁で入れるのだ。ぶりは、塩をぶっかけて臭みを取り、軽くさっと水で洗い、身を引き締めるのである。大根のアクを抜くには米のとぎ汁でやっつけてしまうのがいいが、米は残念ながら炊いていない。(もとより、私は米を研がない。研げば栄養が抜けるから。何、農薬が洗い流されない?ダイジョウブ、農薬は米の芯までちゃんとまんべんなく浸透してくれているから) ところで、大根には、胃酸を中和する作用もあるので二日酔でスッキリしないときは、擦り下ろした下ろし汁を飲むと胃の不快感が緩和されるがいちいち擦らないのが問題である。 尚、大根は、葉の付いている頭の方が甘味があるので、おでんや煮物に向いていて、尾に近い方は辛みがあるので、大根おろしにするのが向いているらしいが、どちらか一方しか必要ないのであまり意味のない知識ではある。ただ問題は下ろしてから1時間もするとビタミンCがゼロになってしまうところだ。しかし歯のほうが栄養あるのに(ビタミンC多いのになんで捨てるのかな)ちなみに下手な「大根役者」と呼びますが、大根というのは、どんな調理方法でも、食当たりをしないから・・・というのが、その理由。つまり、芝居の下手な役者は、いくら努力しても当たらない・・・という語呂合わせからきている たとえ話のようです。 大根人生だけは送らないようにしたいものだ。 以下おまけ。見ないほうがいいです。桃の天然水(綺麗なものが好きな人は見ない方がいいです)http://www.kawauso-net.com/hiroimon/picz/momo.jpgクリントンの休日(女人禁制)http://www.kawauso-net.com/hiroimon/picz/hairu.gifルパン?http://www.kawauso-net.com/hiroimon/picz/lupin.jpgマトリックスリローテッド(女人禁制)http://www.kawauso-net.com/hiroimon/picz/matrix.jpgポストペットhttp://members.at.infoseek.co.jp/odeon/postpet.html韓国版北斗の拳(ファンは見ない方がいいです)http://members6.tsukaeru.net/death/Korea.htmlコマネチ(7秒ぐらい楽しめます)http://www.interq.or.jp/sun/yanagi/bakabaka.swf一回遊べば満足できます(遊び時間30秒)http://2style.net/maido/R3_temp.htmlまじめ(垢抜けてんねんなあ。おっ、プレゼントまである)http://www.aleph.to/怪文書保存館http://www.hehehe.net/library/
2004.01.03
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何を隠そう、昨日から3箇所も神社を訪問している。しかし3社とも行列だったので、並ぶのも寒いのでお祈りは断念した。 夜、2時間だけ顔出しに実家に日本酒を持って行った。(私は飲まず)以下戦利品。 今年は、ちゃんとタイムマネジメントしたいと思います。とにかく、ピッパの法則といって、ピッときたらパッとすぐすること。以下、仕事4つもっている年収2億の人の講演会のメモ。1.やること書き出す。2.やることの優先順位つけること。ABCDの順にする。 A 急ぎで重要なこと B 急ぎではないけど重要なこと C 急ぎだが重要でないこと D 急ぎでも需要でもないこと (サラリーマンはBCが逆になる。ここが発想変えます)3.清書する4.行動予定書き、時間割を作る。まずはAをするかぶさっても少しずらして調整するよう工夫する。始める時間に終わる時間決めておく癖をつける。何時やり終えるか。5.時間をつくる。気分に左右されない。(ということで正月は今日寝て終わりにします) 小学5年生の時、給食の時間に「ショウアンドテル」という時間があった。子供が自分の家でやってたり作ったり集めたりしているものを見せて、話すというコーナーで、一日おおよそ5人ぐらいが当たったのである。 これは、採点もされないが、見せて話す楽しさを学び、先生も学べる楽しい場であったように思う。現実に宿題をするより、嬉々として準備を進めたものだった。 ある日は、私は5円玉を何百枚も穴から糸を通して吊り下げていたことを説明した。またある日は、私はビー玉を網の上で焼いて、熱くなったところで水に浸すと、中味だけが割れて綺麗になる(熱し過ぎるとビー玉が割れる)ことを説明したりなかなか楽しかった。3社の最後に行った神社では何と屋台にトルコ、ドネルケバブの屋台があった。http://www002.upp.so-net.ne.jp/SilverSack/my_boom/doner_kebap.htmこれは、ウマウマでギリシアでは資金が底をつき、毎日これを二つ、そしてビールを1本飲んでいたのであった。
2004.01.02
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あけましておめでとうございます。今、仕事から帰ってきました。今年は、豊かになる礎を作っていきます。未来の自分は、今、何をしているかで決まってくるのですもの。過去の集大成が今の自分だと思うと、まったく納得できません。準備と目標と期限で、おおかた出来たも同然! いつだっただろうか。タイのバンコクからパキスタン航空で成田に帰ってきたのは。ワタシは、すぐ税関でとめられる体質らしい。「はい荷物開けてくださいね」ワタシは、疑われると、自分の人生そのものに自信がないからか、おどおどしてしまう。決してパスポートの写真が迷彩服に髭ボーボーだからではないと思う。何を隠そう、私はその時既に立派なサラリーマンであり、それも従業員何千人という規模の会社のコマだったのであるのだから。それは大学5年生の時の写真なのだから。当時のように民族衣装で帰ってきた訳ではない。ましてやパスポートのページが増刷されているからではない(ページ増刷に3000円という意味不明の手数料がかかる)と、は、思う。しかしながら、このときは違った。「はいこちらに来てくださいね」何と別室行きだったのだ。さんざん、麻薬所持や現地でやりまくったかとかを聞いてくる前に、税関員が席を外して、部屋に暫く一人残されたのである。「ははーん、これは罠だな、ここでさっと何か荷物を触ったりする行動に出たらどこかのマジックミラーから覗いているはずだ、ひっかかってたまるか。現実にはめられる以外は麻薬類はないし」 しかし、ワタシは、日記だけは見られたくなかった。絶対適当に応対した会話と矛盾がでてくる可能性が高いからだ。税関員は日記帳の中味までは読まなかった。そしてさんざん調べたうちに最後の仕上げときた。「はい~、パンツおろしてね~」ワタシは、はっきり明言しておくが、彼女にでさえ肛門を開かせ、覗かせたことはない。はっきり断言しておくが、ワタシの肛門を開いた唯一の人間はその名も覚えていない男の税関員だ。もうそんな屈辱はないであろう、今後、痔になり手術でもしない限り。 損害賠償で3000円くらいくれるという噂を聞いたことがあるが、そんなことより素早く成田空港を離れた。きっとワタシを泳がせているに違いないという妄想に陥ったからであった。ワタシは、このことを含め今までの経験から税関を難なく突破する確率の高い方法を学んだのである。1、税関に並ぶ前に、荷物をごそごそあさらない。2、女性の税関員はえてして真面目なので避ける。3、荷物は多すぎず、少なすぎず。4、できれば夫婦や子連れになる。5、パスポートのスタンプは少なめに写真はネクタイで。 そういうわけで、その後パスポートの更新で、私は写真を笑顔で撮った。(無人の証明写真で笑顔になるのはなかなか難しいものである。人間は不思議なことに、自分でコチョコチョこそばしてもちっともこそばくないのである)そしてイザ申請に挑むと、歯の見える写真は駄目ですと断られた。何故だ、と食い下がっても規則ですだの決まりですだのいって受け付けてくれない。写真代を無駄にされた恨みをどこにぶつければいいのだ。私は西洋人がにこやかに写っているパスポートを何回も見たぞ。笑っているほうがイミグレーションオフィサーも心証が良いではないかとブツブツいいながら権力に敗れたのであった。仕方ないので、今のパスポートはほんのスマイルである。ちなみに運転免許証等、写真の貼り付けてある公的免許類はすべてスマイルにしてある。文句あっか。今年もよろしくお願いします。 india varanasi sunset
2004.01.01
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