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スーパー普通のリーマンである俺は激務の間を弄りあって、百貨店に向かった。閉店15分前である。俺は、エレベーターに乗った。エレベーターには所謂デパートエレベーターガールがいた。密室での仕事は凄いストレスではないかと思うのである。どうも可哀想な気がして、まともにエレベーターガールの顔を見たことがない。見世物じゃないんだと、彼女達のオーラをいつも感じる。昔、よく手先を見ると震えている子がいた。相当のストレスに違いない。俺しかいない密室で、彼女は感情を押し殺して、停まる階数の案内をした。俺は「すみません」といい、降りる時に「ありがとう」と言った。この時代、あれは何の仕事なんだろう。 俺はエレベーターで一番近い靴屋に寄り、俺の靴の予算に合うコーナーに行き、男性店員を親切に呼びつけ、右から3足分を指差し、自分の靴のサイズを述べた。そのうち、サイズがあったのは一つだけだったので、じゃあ、それと、まずは靴を購入した。「お客様、お履きにならないのですか」と言われ、それもそうだ、と思い、片足だけ履いて、「ウム」と少しエバリンボして、「じゃ、これで」といった。 閉店まで10分となっていた。 次に向かったのが、服屋である。服屋には、いままでさんざん騙された。値札を見て、2万円か、じゃあこれにしようと決めて、精算の際に5万円を超えていることが過去3年に毎回失敗しているのである。上着の値札を見るのを忘れていただけなのであるが、大阪人おばちゃんでない俺は、加えて気が弱いので、「じゃあ、それね」と言ってしまうのであった。 そこで今回は、随分知恵を使い賢くなったのである。「これ、上下で合計いくらになるん?」という裏技を使ったのである。今日は、その店はアフターアフターバーゲンで、今日で終わりだという。更に、もう客は誰もいないぺんぺん草に売れ残りの服があるだけといった按配なのであった。 今日で終わりと言って、何故俺を煽る?という俺のささやかな疑問には、俺が質問していないので、彼は答えるはずもなく、服を数着置いてみた。 俺は自分で持っている服の柄のことをすっかり忘れていたので、「この服この前買ったぜよ」といってみると、「アハハ、そうですか」といって、次の服を出してきた。 何だかこれもそれもそれも持っている気がしてきた。これもそれもそれもで全部で持っているのは3着であるが。すると、少し店員は癪に障ったのか「アハハ、ここにある商品は今年に出されたものしかありませんよ、絶対、セッタイ、絶対!ハハハ」 去年の服はもう置いていないという驚愕の事実を俺は知ることになり、すばやく、ではこれにしようと適当に指差した。「バーゲンのまた半額ですからもい一着どうですか」と猛攻をかけられたのであるが、「あ、もう閉店時間だ、一着買って間に合った、俺バーゲンの最終客だね」といって誤魔化した。 巨漢でもドチビでもない俺であったが、何とか合うサイズの服であった。「この前、ズボン、お尻が破れたのですが、もう駄目ですか?」言ったが、「直しますよ」といわれ「コートもほつれたのですが」というと、「それは無料で直します」と心強い返事を貰うことができ、大いなる収穫を得た。 そうやっていつになく店員と話してしまった俺は、服を買うのに10分近くを要してしまった大いなる夕べであった。 俺は、本当は、こんな些細なことは書くつもりはなかったんだ。今から本題に入りたかったのであるが、疲れたからこれで終了するのである。 ビデオアートの先駆者ナムジュンパイク死去。
2006.01.31
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今日は石切神社風人さんに、昨日の翻訳を依頼されてするつもりでしたが、それは本人の断りを入れずに来年にすることにした。代わりにといっては何だが、企業とは搾取であることは分かっていたが、強制動員である。まるで、天皇の車が通る時に報道されるところだけに非番の警官が動員されるように、または、天皇制反対のプラカードがあれば、そこに非番の警官を大量に押し当て、看板を人で隠してしまうように、ラグビーに動員されたのである。 勿論、私の趣味の一つにスポーツ観戦があり、紳士たるスポーツ「ラグビー」のルールは熟知しているどころか、高校の時は、ラガーとして、ビールを飲んでいたぐらいである。 高校の時に、大雨でラグビーをやらさせられて、体育の先生が(敢えて、名前を匿名であげるとすれば、わが陸上部の顧問であった池亀先生である。通称カメ)「キミタチ、今日こうやってドロドロになってラグビーやったこと一生の青春の思い出になるぞ」と言った。多分、憶えているのは私だけである。それにドロドロになったことは覚えていないが、カメが贅に入りながら言ったことは覚えている。それに、パンツもドロドロになったので(運動していたのでブリーフだった)、パンツを履かずに学生ズボンはいていたことも覆えている。それから、女子学生に「なあなあ、俺今パンツはいてないねんで」とエロオヤジなこといったことも憶えている。その女子学生が「ほほう、どれどれ」と変な仕草をしたことも憶えている。残念ながら、それぐらいしか憶えていない。 テレビ中継しているとは思えねえが。 そんな訳で、遅刻しそうなので車をぶっ飛ばし、早く着きすぎたので飯を食っていると、飯がすぐ出てこなかったので、飯をおいて仲居さんに飯ちょっと盗まれないように見といてといって、待ち合わせ社員にタダ券を貰いに行き(うわっ、誰が2500円払って入るの?)、また急いで飯屋に戻り、飯を食い、臨時駐車場に車を止めようとしたら、有料1,000円といわれUターンし、東大阪市図書館のこそっと駐車したときには既に試合は始まっていた。 夢の花園である。そんな訳で、競技場に入り、10分ほどシテ、今日は暖かくて良かったなあといい、競技場を後にした。 だからといって、1時間かけて東大阪のくんだりまで来たのだから、ちょっと健康のアミューズメントパーク石切神社にお参りに行った。何を隠そう、私は東大阪でも仕事をしていたことがあり、東大阪については30パーセントぐらい詳しい。ボルトナットの街である。人類初の宇宙服にも使われた指先のキャップなども作ったことがある。中小企業の集まりである。大阪の東にある。そして、以前汚職で市長も逮捕された。更に、代表的な神社が、枚岡神社と石切神社である。 石切とは、生駒山山麓にあり、大阪平野夜景が一望できる唯一の住まいの地域であり、いい所なのであるが、大阪の公害の風が全部東に流れていくので、残念ながら喘息の子供も多いのである。 石切神社は駅から下っていく1キロあまりは露店のある参道になっており、立派な門前町である。石切神社は、大阪民間信仰の牙城だ。 参道は漢方薬屋と占屋も多いのだが、「ひふかゆいひとご相談下さい」「あらゆる黒焼きを取り揃えております」「最新式コンピューターであなたの御先祖の肖像画描きます」「かべつちたべる子、あほう/薬あります」等々宣伝されており、なかなかファンキーな感じである。この神社、オデキをはじめ様々な病に御利益があり、各地から病に悩む人達が来るのだが、はたしてその中に何千人あほうにつける薬を買っていく人がいるのかどうか、大いに疑問である。しまった私も買うべきであった。 石切神社前ではお百度参りがあり、皆さんがグルグル回っておられる。ミニカスバのようである。私も真剣に目を100往復させ、本日の修行を終えた。
2006.01.30
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今日は、寒空の中、鼻を垂らしながら一日中立ち続けるのボレロの仕事だったので、体が芯から冷えて、このまま死んでしまうのかも、とまでは思いませんでしたが、昨日の続きで(レスもみて)インターネットでいろいろ検索してみました。◎ 香港にて、性交中にあやまって恋人を殺害してしまった男に6年の懲役が言い渡された。犯人は恋人と性交中、絶頂に達するやいなや、約一分間恋人の喉を絞めた結果、恋人は再び意識を取り戻すことなく、そのまま帰らぬ人となったという。香港では、窒息することで幻覚が引き起こされ、それにより性的快楽が高まると広く信じられている。→香港でなくても信じられているような気がする。◎ フランスにて、警察がこれまで二年に渡って身元捜索を続けていた女性の白骨死体が、今から約600年前に死亡した女性のものでであることが判明したとのこと。死亡推定年齢30代と見られる白骨化した女性の遺体は2003年12月、異常な干潮が起きた際に海岸付近で発見された。女性の身体には手斧のような鋭利な刃物で切り刻まれた痕跡が見られたことから、警察は殺人事件として捜査を進めていたという。→ゴクロウサマデス。◎ 12歳だった四条天皇は人を滑らせて笑ってやろうとして蝋石を塗っていたところ、自分が滑って転倒し、打ちどころが悪くて数日寝込んだあとにポックリ逝ってしまったという→開かれた皇室です。◎ オーストラリアにて、女性がバナナの皮を剥こうとしたところ、誤って足に落とし、死亡したとのこと。死亡したイヴァンカ・ペルコはかつてナチスの侵略、そしてユーゴスラヴィア共産政権という激動の時代を生き延び、スロヴェニアからオーストラリアへ移住した人物だった。数々の修羅場を潜り抜けてきた彼女は、死ぬ間際のベッドで、家族や友人らに対して次のように語ったという。「まさかバナナに殺されるなんて思いもしなかったわ」。彼女の友人によれば、ペルコはここ数ヶ月、病気を患っており、その為に皮膚が著しく繊細な状態であったと語っている。→そんなバナナ。証言。「彼女はバナナを剥こうとしてそれを足に落としたんです。そしてバナナの先端部が彼女の足をすり剥いて、その合併症状で亡くなりました。しかし、彼女らしいといえば彼女らしい、奇妙な、それでいて実りある人生に相応しい終わりだったとも言えると思います。」◎ アメリカ。馬のペニスを肛門に入れるなどして獣姦をしていた男性が、肛門と腸を突き破られて死亡。→残された人がかわいそうです。◎ 変な死に方リストありました。 タイの代表的タバコの表示は偉い怖いもんになっちまった。 えらいこっちゃエライこわいもんや。こいつは持ち歩きたくないのお。
2006.01.29
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死ぬということに恐怖を感じるのは、死ぬと先がどうなっているか分からないからであり、自分がこの世にいなくなるということが怖いからである。もし、死んで永遠に楽しい時がくるということが判明したら、皆、喜んで死んでいくであろう。まあ、多分、死は、物理的に何かが残るとしても、意識はなくなって、無であろう。路傍の石と同じであるかと思う。 そもそも死を意識したのは、人間が、時間という概念を身につけたから他ならない。犬猫はせいぜい多少過去のことは覚えていても、未来を考えないだろうから、死を恐れることはないだろう。生存本能はあるが。私のおじいちゃんも死は怖くない。もう過去も未来もなくなったアルツハイマーの人だから、死ぬということが分からない。子供の頃、年寄りの人たちは、死に向かっていくことをもう人生達観して、少しも怖くないんだと思っていた。しかし、いくら年をとっても怖い物は怖いということが分かり軽いショックを受けた。 インドのガンジス河では、焼かれていないガスでブヨブヨになった死体が時々流れてくる。その上に烏が乗っていたりなんかもする。子供や病気で死んだ人は人生を全うしなかったということで焼かれないのである。 私の自殺の歯止めのひとつに、もし自殺して人生を全っとうしなければ、罰を受けるのではないかと考えることにしている。無にもならず、天国地獄にもいかず、何か暗闇に永遠に閉じ込められるのではないかと考えるのである。ああ、自縛霊のような感覚だろうか。意識がありながら永遠はたまらないから。人々の死に様はどうであろうか。少し調べてみた。源頼朝・・・夜這いしようとして、痴漢と間違えられ殺される。一休さん・・・「死にとうない」といって座ったままご臨終。徳川家康・・・テンプラに当たり食中毒(すでに癌だった)そういえば、ブッダは毒キノコ。カント・・・「これでよい」といいあっさり死亡。詩人プーシキン・・・妻の浮気相手と決闘、敗れる。詩人ランボー・・・腰を痛め、旅の途中で死亡。モーパッサン・ニーチェ・・・狂死。勝海舟・・・風呂上りにブランデーを飲み脳卒中。ローザルクセンブルグ・・・自分が設立したドイツ共産党当局により虐殺。リルケ・・・女性におくるバラをいじっているうちにトゲがささりそれが原因で急性白血病・・・ほんまかいな。宮沢賢治・・・何妙法蓮華ゲーキョーを唱えながら死去。生涯童貞。ボニー&クライド・・・「俺たちに明日はない」のとおり。キューリー夫人・・・職業病。(白血病)赤木圭一郎・・・撮影所のゴーカートで遊んでいる時に、頭をぶつけ死亡。和製ジェームスディーン。ガガーリン・・・ミグ25運転中に墜落死。(初めて宇宙に行ったのに・・・)ナタリーウッド・・・酔ってボートから転落。フジコFhujio・・・ペンを持ったまま死んでいた。ニカウさん・・・薪を採りに行ったまま行方不明。アインシュタイン・・・時世の言葉がドイツ語だったので、アメリカ人の看護婦は分からなかった。ゲーテ・・・「もっと光を」といって亡くなったが、部屋が暗かったらしい。2003年4月の日記より日本人は年間90万人あまりが死ぬ。飛行機墜落で死ぬのは22人(H10)風呂場で足を滑らせて死ぬのが3000人浴槽内での居眠り等の溺死が3200人海水浴での溺死1500人プールでの溺死26人海外での殺人被害は18人国内犯罪被害者は1350人階段から落ちて死んだ人690人蛇口からの熱湯に接触してショック死120人農薬等有害物質の不慮の中毒560人自然の高温や爆風等980人交通事故13000人自衛隊の殉死2人警察官4人癌275000人心疾患140000人脳血管疾患138000人肺炎78000人自殺23000人腎不全17000人水不足0人食糧不足78人(35歳以下は0人)自宅での臨終148000人 それにしても、新撰組の死亡原因の第一位は切腹である。それにしてもアホである、こんなんばっか。
2006.01.28
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昨晩も、夜中12時半よりDVDをセットして映画を見始める、のだが、1時間程したところで意識喪失。次に気がついた時には映画は終わっていた。しかし、朝に返すので、もう一度憶えている所からやけになってみるが、また30分もしないうちに気絶。座ったまま寝ているのは辛い。何とか気を取り直して、もう一度見始める。5時になっていた。 生まれてきた地球にとって、酸素は毒であった。生きるのに必要な酸素は、活性酸素が最近話題なように毒でもあった。余った酸素が、体を錆びさせるといえば分かりやすいか。 7年前、中央線に乗っており、八王子駅を通り過ぎた頃、電車は止まった。私の座っているところに、バケツを持った駅員と警官がやってきた。車内から見ると、かわいらしい靴があった。警官が、電車の下にもぐりこみ、足を取り出した。それは、人形のような肌の色であった。買い物カバンの中身が飛び散っていた。 私は霊的な体質ではないし、霊を信じているわけでもないが、あっても別におかしくないと思っている。何かのエネルギーや何かの思いのようなものやまだ解明できていないものを仮に霊と呼んでもいいと思っている。しかし、その日は、その後、車を運転していて、道に迷い、導かれるようにして、出た場所はその遮断機のある場所であった。何か意識が取り憑かれたようになった。 その夜、新宿に出た。出張か何かで東京に出て来ていた大学の後輩と飲むためだ。大久保で飲んだ。しかし、飲んでも飲んでも奥底が重く、酔わない。酔わないので、深夜映画を見に行った。そしてホテルを取った。そこでも飲んだのであるが、どうも体が震えるようで仕方ない。このまま寝てしまうと永遠に起きることがないような気がしてならないのだった。誰とも話する気がおこらなく、当時結婚していた相方にも連絡をしなかった。寝るのが怖かった。そして、4時5時となり、私はただ座って、静かに飲んだ。 朝になり、八王子のホテルに戻った。相手方からホテルに30分おきに何度か電話があったとフロントの人に言われた。虫の知らせなのかと思ったが、一昨日大喧嘩して、ケンカの続きの電話をかけてきていたようだった。 ペナンで腹を壊しました。
2006.01.26
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私は、見かけによらずハンサムなのであるが、目は悪い。目つきも悪いが、視力は0.1ない。鼻はいつも片一方閉じられている。蓄膿症というのだろうか。もう30年は続いている。口というか、年齢柄、歯茎が弱くなってきて、仕事などストレスの続くようなことをしたり、旅行で遊びすぎて疲れたりしたときには、すぐに腫れたりする。耳は、多少難聴気味なのであるが、特に、聞きたくないことは聞こえないよううである。まあ、それはさておき、何も見ないで何分も喋ることが出来る人はすごいものだなあと思う。今日もプレゼンで最後総括のようなものを述べていた人は、5分以上は一人で何も見ず話していた。凄いなあと思う。勿論、私はそんなに集中力はないので、何をいっているのか分からなくなってしまったのであるが、私自身、1分以上話すると、最初に行っていた事を忘れるという特技もある。起承転結の起と結が続かない仕組みになっている。やはり、訓練なのだろうか。 さて、私は、懺悔しなければならない。先日の宴会のご飯を残してしまったのだ。日本人一日一人当たり700かろりーの残飯を出すという。栄養不足にならない必要な栄養量は、平均的な体格や子どもの比率などによって、国ごとに異なるが、だいたい一人一日2000~2710キロカロリーと言われている。バーチャルウオーターという言葉がある。輸入する農産物に輸入されるまでにどれだけの水を使ったという試算だが、国内の農業で使う水の量より多いそうである。実は、日本の食糧輸入は世界の水不足の原因の一つにもなっているということだ。すみません。 愛国心を持っている人がどのくらいいるだろうか。昨今(というより昔からだけど)の政治経済事件を見るまでもなく、だってだって国が民を愛してくれていないのだから、愛国心を持てる筈がないよね。今日の重要なニューズ前橋市内で唯一の映画館「前橋テアトル西友」が、今月29日で閉館し、同市は全国でただ一つ、映画館のない都道府県庁所在地となる。文化がないといわれるのではないか。東京都内の民家で約10人の女性と集団生活を送っている50歳代の男性から、この集団生活に加わるよう誘われたうえ、「誘われたことを口外すると危ないことになる」と脅されたなどとして、若い女性が警視庁などの関係機関に対し、被害を訴え出ていることが24日わかった。 男性はこの約2年間に、大半が20歳代の女性たちと結婚・離婚を繰り返しており、集団生活している女性はほぼ全員が男性の姓を名乗っているという。不自然な集団生活について、関係機関は近く男性から詳しく事情を聞く方針。 複数の女性との集団生活が始まったのは、最初の妻と離婚した後の2002年暮れごろからとみられる。そのころから男性は、女性との婚姻届を出しては約1~2か月後に離婚の手続きをとり、その直後に別の女性との婚姻届を出して、また離婚するという不自然な行動を繰り返しているという。男性は、離婚手続きをとった後も、その女性と同居を続け、03年10月には、過去に結婚した9人の女性に自分の土地を贈与して共有するなどしていた。何人の男性がこのニューズに嫉妬したのであろうか。[ジュネーブ 24日 ロイター] 国際労働機関(ILO)が24日発表した2005年の世界の失業者数は、経済が堅調だったにもかかわらず、過去最高の1億9200万人に達した。 失業者の50%近くが若者だった上、世界の就業者28億人の約半数の日給は引き続き2ドルを下回った。 世界経済は昨年4.3%成長したが、日給が1ドルを下回る5億人の就業者のうち、状況が改善され、極貧生活の最低水準以上に収入が増加したのはわずか約3%だった。 [ボゴタ(コロンビア) 24日 ロイター] コロンビアで24日、甥のしゃっくりを驚かして止めようと銃を向けた叔父が誤って発射してしまい、撃った本人も動揺して自殺するという事件が起きた。 ちょっと大阪市図書館
2006.01.26
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序章。(今日は、ヤボ用があって、昼間に弁護士に会いに行ったのであるが、弁護士もニヤニコしながら、じゃあ、調停ですね、じゃあ訴訟ですね、と5分で決定。そりゃ、相談だけで終わると、弁護士もオマンマ食い上げである。ぐるぐる問題をかき混ぜる必要があるのである。弁護士に同情した。同情しつつ、今日も夜の飲み会に備えた。 ふと気がついたのであるが、コクーンとは繭のことである。時々、意味なく、何か単語を思いだしたりなんかする。バームクーヘンとはドイツ語で「バーム」は「樹」、「クーヘン」は「お菓子」を意味することを大学の時に知った時もちょとだけ感動したような気もするなあ。意味ないか。) 本編。今日の宴会はスパワールドであった。 スパワールドには、イスラム、ペルシア、インド、ギリシア、地中海、アトランチス、フィンランド、青の洞窟、渓流、総ひのきなどがあり、全部入るだけでも6時間はかかると推測される。1箇所1分に短縮しても15分程度かかると予想される。 そんな訳で、私は、今までスパワールドに10回以上行ったことが自慢なのであるが、更に自慢なのが、一回も特殊ルートにより入場料を払ったことがないのが自慢であり、更に自慢すると、まだ一回も風呂に入ったことがないということである。宴会しか行ったことがないのである。以上、本日の自慢大会でした。スパワールドの経営はまあまあだが、その隣の杜撰な第三セクター経営のフェスティバルゲートは無惨にも倒産である。夢、梅のあとである。阪市浪速区恵美須東、日本最大の労働者街(ドヤ街)釜ヶ崎に程近いJR新今宮駅・地下鉄動物園前駅に1997年7月にオープンと同時に経営悪化、「大阪版浅草花やしき」とも言える都市型ミニ遊園地として稼働する予定だったが、場所柄の悪さが仇になり客足が伸びずテナントが次々撤退。累積赤字が350億円を超え、債権回収が不可能と見込まれ信託銀行にもさじを投げられ倒産。オリックスによる再生計画もあったが頓挫。ついに、2005年11月、「デルピス・ザ・コースター」のみ運転。土日祝、繁忙期のみ営業!と思いきや、もう動いてないみたいよ。ホームページまで閉鎖だ。大阪人も尻拭いが大変だよな。といいながら、対岸の火事ではない。地震後急速に財政が悪化した神戸も、更に空港で悪化間違いなし!このぐらい飲んだら明日は残らないかのお。
2006.01.25
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淀川から遠く離れて。そして神戸の山並みが見えてくる。光が山肌に張り付いている。寒さは空気を透明にする。高速道路沿いの普通のマンションの壁にデジタル時計と温度計が交互に光っていた。0時33分。2度。 大昔、三ノ宮の夜の街を歩いていると、前から顔にブドウをつけたブドウパンのような見覚えのある人が歩いてきた。それは、高校の時の全く聞き取れない英語を話す英語の先生であった。「T先生!」と私は声をかけるや否や、「おお、君かあ」とさぞかし酔っ払いの様子で、すぐさま、次の店に飲みに連れていかけることになった。多少ラテン的ではある。 行った店は、バーであり、ママは高校のまた別の英語のY先生の奥さんがやっておられ、カラオケが置いていないところがやけに気に入った。Y先生は、定年退職後、英語の先生の妊娠か何かの短期ピンチヒッター非常任講師としてやってこられ、60を越えても金髪に(年をとって脱色してきただけかと思われる)リーゼントという出で立ちで、青い便所スリッパを履いていた。Y先生は、なかなかストイックな喋りで、授業の内容はさっぱり覚えていないが、一度だけ冗談を言ったことがある。「キミタチ、お金儲けの方法を教えてあげよう。猿(モンキー)から毛(K)を取るだけだ」「シーン」「それがお金だ。マネー」「シーン」それと、最後の授業で「もうキミタチとは一生会うことはないだろう」と演説を打って、翌日また会ったという憶えもある。 散々、T先生と飲み、最後に店を出る時にT先生は上機嫌で言った。「ところで君だれ?」 そんな訳で、そこのバーには、学生時代からほんの時々細々と20年近く通ったわけだが、20年間ボトルがあればいつまで飲んでも2300円コースであったが、そのY先生もお亡くなりになり、店を閉めますと、ママから閉めてから半年ほどしてから電話があった。T先生は母校の校長先生になった。 もう恩師は死んでいくんだ。 ブスの店いつになれば行こうか。
2006.01.23
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日本は自殺の多い国である。それも根が真面目なのか経済的苦を自殺の原因と考えられるものが多い。一種間接的な他殺ともいえる一面もあろう。中高年の年間自殺者3万人。そんな訳で、電車に飛び込む人が増えたのか、ここ数年よく電車が遅れる。分からないのだが、人様に迷惑をかける死に方を何故選ぶのだろうか。同情もされない。そんな訳で、昨日も電車が止まっていた。止まった電車内でじっとしていると、私自身も含め車内にイライラ光線がビシバシと漂ってくる。いつ出発するか分からないというのは、特にイライラする。1時間後ですといわれるとまだいい。「言いというまで走れ」と命令されるものだ。「何分走れ」とか「どこまで走れ」といわれると走ることができる。 自分で幸せと思うニポン人の割合はフィリピンやベトナムより低い。そうだね、GDPは我々にとってとっても時代遅れの指標。 やっと帰って、パソコンを開くと、「フライトプラン」今日だけ先行上映していることが分かり、120キロ出して10分で映画館に行く。見所はジョディフォスターの目の演技である。 この映画で分かったことは、多分、本当に飛行機の中では上映されなさそうだなあ、ということであった。だって。客室乗務員が意地悪なんだもん。 何年か前に、日本で初めてハイジャックで機長が殺害されたことと、ここ数ヶ月で10箇所程度の空港に行ったことを思い出した。あのハイジャックでの問題点は、どうして機内に刃物を持ち込めたかということであった。国際線では大丈夫なのだが、羽田では、到着便と出発便の行き来が出来るということであった。単純に言うと、犯人は、羽田で朝便の大阪行きと、夕方便の札幌行きをチェックインした(コンピュータ化により2時間以上前でもチェックインできるようになった)。そして、犯人は大阪に行き、大阪ですぐ羽田行きをチェックインして、刃物の入った荷物を預けた。そして羽田に着き、到着便で荷物を取り出し、そのまま、出発便スペースに行った訳だ。これでチェックなしに機内持ち込みできるようになる。 今回さまざまな空港に行き、この点が全然改善されていないことが分かった。すぐ乗り越えれば到着便の場所に行けるのだ。構造的な問題である。人生は、 センター試験ということである。そういう試験を受けてからもう人生もう倍ぐらいの時間が経過した。大学に入ってから、面白半分世界史やってみたら、現役の時より点数が高くがくっときたことがある。「ベルリン、僕らの革命」を観た。青春の青臭さが観てて恥ずかしくなるところが、なんとも良かった。 クリーニング屋から先日電話があり、スーツの下が破れているのでもう駄目ですという通達があった。今日見に行って見ると無惨にも股と尻の部分が剥げて綻びていた。体型が変わらないので何年着たか憶えていないが、このブランドのものだから5年以内である。そうやって、まだまだ着ることのできる背広を残したまま、どんどんズボンが駄目になっていく。どうしたらいいんだ。いつも、背広を買うときは高いと思う。今年はまだ買っていない。1昨年にコートを買ったので、もはや服の予算は残されていないためである。それに必要経費として絶対認めない政府へのハンストである(嘘)。それにしても、私の背広を飾っている部屋は日が入らないので大変暗く(というか日が入る部屋がひとつもない)夏服か冬服かじっくり吟味しないと分からないのである。これは政府への住宅政策へのハンストでもある(嘘)。といっても、南向き(日照)を求めるのは、西洋とは違うのだが、それは西洋では家具の日焼けを防ぐ、北向きの方が景色がいい、日照にこだわらないといった事情がある訳なのだが、それは私も同じ理由である。(と思ったけど家具がひとつもない) しかし、まあ、何ですねえ。ライブドアの問題を思うと、やっぱトカゲの尻尾切り、生意気は消せ、もっと悪い奴は捕まらないなんていうことなんだろうか。麻薬捜査官の証言を思い出す。麻薬捜査犬は2流の犬しかいない。1流の麻薬犬は麻薬ディーラーが飼っている。梱包して、1流の麻薬犬が気がつくようなら梱包のやり直し、気がつかなければ輸出開始。だから大物は絶対捕まえられないんだよ。 バクハツだあ
2006.01.23
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看板 「なあ、後ろから頼むよ、げへへ、はやくしてくれねえと、下半身冷えるんだよね」 「オイ、それは、何だ、ストローじゃねえか。まさかそれをつっこむちゅうわけではないだろうな。」「うぐっ、やめろ、空気を入れるな、ああ~膨らむ~!」「看板をつけかえようと思ってまんねん」「どうつけるかソレが問題だ。」「いつまでたっても考える人でありたい。でも結論としては、考えただけの人である」 「コソコソ、カサカサ」「パチッ、パチ、モゾモゾ」「プチッ。ゾリゾリ」「トントントン、ビリッ」「コネコネ」「ギューギュー」「クルクルクル」「シュボッ」「スーッ」「・・・・・」「プハーッ」「ドクンドクン」「トローン」「ゲヘヘ」
2006.01.22
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ブラインド越しに夕刻を刻む頃、そろそろ、やっと自分の時間が来たと感じられる。朝から夕方までは夜を待つまでの意味不明の時間帯に過ぎない。車も、心無しか、急いでいるように見える。飲みたいなあと思う時が、飲んでいるときよりも好きである。しかし、旅する前は、旅している瞬間と同じように好きである。小僧の神様、何かそんな物語があったな。小学生の時に読んでもらったような気もする。冷たい風に当たりながら酔っているくせに「きっと酔っていないよ」と思うのが、案外、好きである。ネオンは好きか?勿論好きである。酔って意味なくブラブラ歩くのが好きだ。カラオケ屋の看板、龍、意味ねえ。そもそも、意味を考えるから悩んでしまうんだ。少し止まって考えるフリをする。100億年か150億年前にビッグバンがあった。40億年前、原始生物ができた。命ってなんだ。そこに魂はなかったのか。少なくとも、考える脳はなかった。地球を1年に例えると大晦日23時59分に始まった人類の歴史。不夜城に、星は見えない。楽しかったな。「聖なる酔っ払い伝説」いい映画だったな。
2006.01.21
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世界中の人には秘密であるが、今日階段を下りながら、1段ずつプップップププと1発ずつ8連発の屁をしてしまった。 こんな私でも、歴代の恋人や、元妻の前で屁をしたことがない。(まったく予期せずしてしまったことは1例だけある)ソレがマナーだと想っていたら、結構、皆、やってるみたいなんだよなあ。私はチョイ驚いたよ。それはさておき、 初めて行った国はフィリピンであった。いまや110冊前後ある地球の歩き方は、「アメリカ」「ヨーロッパ」「インド」「中国」ぐらいであった。行き先フィリピンで若者が行くということで、ガイドブックを探したが、オヤジガイドブックか団体ガイドブックのようなものしかなく、ようやく見つけ出したのが、黄色い表紙の「宝島」。もう存在しないシリーズである。 何せ、キャンプぐらいしかしたことのなかったものであるから、寝巻きやジャージ、石鹸数個にバスタオル、そんなものまで持ち出す始末であった。荷物、オモイオモイ。 前世紀、1980年代にも、誰が訳したのかロンリープラネット東南アジア版があったりなんかして。ヨーロッパまでの陸路には、WEST ASIA しかなかったなあ。あとは、何かの切り抜きのコピーや、やっぱ旅行者口コミ情報だっけ。 インドの時刻表はインドの書店にもなかなか置いてなくって、結構貴重品であった。1回目のインドは表紙さえどこかに行ってしまったが、3回目か4回目ともなるとガイドブックはないわ、着替えはないわ(捨てるのと、腰巻のみ)のような身軽さになっちまった。 まあ、そんな感じで、ガイドブックももう少しマニアックになると、同朋舎(倒産済)望遠郷 ダビトシリーズ となり、重くて高い、雑学っぽい楽しいものになったり、別冊宝島EXとなり、暗黒地球の歩き方になり、現地調達となってゆく。 そういえば、地球の歩き方タイが出版されたとき、「なんでタイみたいに旅行しやすい国のガイドブックなんかでるんだよー」と聞いたものだ。そういえば、初めてタイに行った時、西洋人にカオサンロードを教えてもらったなあ。それはさておき、ギリシア映画タッチオブスパイスなかなか良かった。
2006.01.20
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北朝鮮ゴ一行が中国を訪問した際に、車50台というのは、イナカッペ丸出しである。まあ、良種様が飛行機恐怖症というのは分かるとしても・・・ イナカッペ国家といえば、アメリカもそうだ。クリントン政権時代に、あるアフリカの国を行幸した。大統領は1泊もしないのに、セキュリティのためその都市の電話を止めてしまい、なんとその国の大統領にまでボディチェックしているのである。ホワイトハウスに入ろうとする大統領を、車で降りたところで小泉のボディガードがボディチェックするようなものだ。(その国はブルンジであるが)。インドに行った時も、5日間の滞在に米軍機が1000回も機材などアメリカインド間を往復したという。納税者もかわいそうである。そうして、各国に行幸するたびに、敵を作っているわけなんだなということいを思い出した。カッペ。 昔、友達で集まり、アホな録音をしてよく遊んだ。再生してみると、皆の声に交じって、すっごく格好悪い声の奴がいる。普段は自分を通して振動で自分の声を聞いているものだから。でも自分の声を聞いたのはもう20年ぐらいまえだから、今、どんな声になっているのだろうか。 惰眠を貪った。天国地獄があるかどうかは、人間が作った産物かとは思うのだが、天国に行く基準が、人間界の道徳と違うのだったらどうしようと、思った。地球規模でみて、環境を破壊したものは地獄にいくとしても、人減らしを行った犯罪人は、地球に貢献していたりなんかして、天国に行ってしまえばどうしようか、と思ったところで目が覚めた。 俗な話だが、会社の人の母が町内会でベトナム旅行が当たって行っているという。それも抽選で何とお一人様。母は困って半分出すからと知り合いを誘った模様である。小学生の時、友達と二人でコープに行き、電子レンジが当たると書いてあったので、笑いながら何枚も書いて、箱に放り込んだところ、暫らくして、その友達と友達の家に行くと、玄関で友達に「あんた!なんか電子レンジが送られてきたで!何をしたの?」と追求されていた。 今のところ、私は、まだ何も当たったことがないので、今後ビッグチャンスが到来するものと思われる。まあ、ぼーっとしているので、ビッグチャンスは頭の上を通り過ぎてゆく訳なのだが・・・高校の時、家に戻ると、その友達が彼女と一緒に玄関前で震えていた。二人とも白い服を着ていて、女の子はじちょい暴走族かなあという出で立ちであった。「なあ、悪いけどよぉ、お金貸してくれない?」と言ってきた。私は、彼に300円を貸してあげた。20年たってもまだ返してもらっていない。勿論、個人同士の借金は10年で時効ですけど。(飲み屋のツケは短期消滅時効なので1年なんだけどね。ただ、払うヨ払うなんて債務を承認したらそこからまた1年、少しでも分割して払うと、そこから1年である)
2006.01.18
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文庫本を買ってきた。実は買っただけやので、読む前から果敢にも読書前コメントを加えるつもりである。せやけどダンさん、それは無理やので、どうしてその本を1冊当たり30秒程度で買ってしもたのか、果敢にも思い出してみる。思い出すと、ショッピング症候群であることがばれてしまうわ。「藤田嗣治」・・・1920年代のピカソやモディリアニ、マチスやらなんやらと一緒にパリで人気を集めた画家フジタが何で日本でそないなに人気がなかったのか?今もそないなにあるわけやないよねえ、と思って。買いぃ~。「大橋巨泉成功海外ステイ術」・・・どなたはんもが憧れるアーリーリタイア、何ぞそれだけで買いぃ~。「世界でいちばん美しい物語」・・・宇宙と生命と人類の誕生を質問形式で簡素に書いてあることが3ページくらい立ち読みして分かった。フランスのベストセラーらしい。ベストセラーがええ本ではおまへんが、買いぃ~。「地上最強への道」・・・以前大山マスタツの自伝を読んで愉快やったさかい。どなたはんでもケンカの強い優しい奴がスキだよなあ、とええ、買いぃ~。「間取りの世界地図」・・・いろんな国にいくと間取りが愉快である。うちの妹の家も、リビングダイニングキッチン+2ベッドルーム(それぞれにバスタブ付)+トイレ+廊下+収納室+ランドリースペースなんで、研究するほどのものではおまへんが、買いぃ~。(でも180ページ中、日本のことが140ページなのはインチキ臭いなあと思いながらね)「不安大国ニッポン」・・・何となく朝日文庫はきょうびは趣味に合わなくなってきたが、イラストもようけ分かりやすい感じに思えたさかい買いぃ~。「北欧デザインを知る」・・・以前北欧に行き、照明を始めとする洗練されたデザインが気に入ったと思えば、1,2年後に北欧家具ブーム。おさらいを込めて買いぃ~。「いっぺん死んでみまっしゃろか」・・・島田雅彦の対談ちうことだけで珍しいと思い、買いぃ~。「電波利権」・・・うまいネーミングだなと思い、前々から何で既存メディアがインターネットに消極的なのか、あまり意味のないデジタル化に熱心なのかに答えてくれそうな感じやったさかい、買いぃ~。「名作贋作」・・・贋作とはええ響きや。ページをめくるといろんな事例があり、面白そうやったさかい買いぃ~。「援交少女とロリコン男」・・・日本はそういう社会になってきてるんだなあ。せやけどダンさん、何で売春が援助交際なんやろうわ。せやけどダンさん、ロリコン犯罪は許せんなと思いながらも買いぃ~。「アメリカもアジアも欧州には敵いまへん」・・・ホンマ?そう思って買いぃ~。「まさかオノレが・・・そないな人ほど騙される」・・・そういう類の本はよく読むがやっぱ他人事ではおまへんからと買いぃ~。
2006.01.18
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ちょうど、10年前、三ノ宮に飲みに行った。震災1年目の居酒屋の中でのどの席でも同じ話題が聞こえてきた。1年前の震災の体験談である。 震災後、私と、後輩のビール会社のSと、震災で無茶苦茶に崩れた三ノ宮飲み屋街によく飲みに行った。勿論彼は背広姿ではなく、震災ルックで営業を続けていたのである。 行きつけのショットバーのビルは壊れてしまい、路上で、壊れなかったボトルを並べて営業していた。トイレは奥の瓦礫だった。外は寒かった。 瓦礫の街を歩いていると、よく呼び込みをしていた。我々は値段を聴いてははしごしまくった。どこにいってもその日のことや被害状況といった話ばかりであるのだが、一様に、一種のハイな状態にあった。 いろんな映像が流されていたが、一つ良く憶えているのがある。生放送中に瓦礫の山を見つめていたオヤジ。「この下に家族が埋まっているんだ」そこに、画像の後ろの方から原付がやってきた。おやじが振り向いた。「お、おまえ、生きとったんかああ!!」息子は表情を変えずに、「おかんも体育館におるで」といった。そのまま2ケツして原付は去っていった。カメラのフレームは動かなかった。最終更新日 Jan 18, 2005 12:35:05 AM片腕の不自由だったひょうきんな先輩が死んで10年。走って、靴が脱げて、宙を舞った姿が滑稽でした。 人気たこ焼きやで1日3時間で売り切れ閉店になる親父が死んで10年。酔ってガハハハと笑っていた真っ赤な顔をいつもしてました。 2階に住んでいた友達の家は崩れ去り、荷物の掘り出しを手伝いに行った。最後に彼は力なく「サヨナラ、ははは」と寂しく笑った。1階に住んでいた方は亡くなった。古い60年代のレコードをまだまだ運び出そうとして、彼の奥さんは、「もう危険だからやめて」と少し半狂乱に言った。 学校の体育館に見舞いに行ったのに、逆に、リンゴや握り飯をもらってしまった。三ノ宮センター街のある店が燃えていて、ぼさっと眺めていると、大阪から自転車で来た店主がやってきて、自転車から転がり、「おおお、やっと開店した俺の店が~」と叫んで、店に入ろうとして止めた。 一緒に来た奥さんが「明日火災保険の手続き予定だったのに」とつぶやいた。助け出した猫が、ふと、遠くのどこでもない方向を見たら、暫くして余震があった。私は、数日で、会社勤めの為、ホテル住まいするため、神戸を離れた。逃げるような気がして、とても悪いことをしているようで申し訳なかった。震災で、家族も地域も一体となり、にわか震災ユートピアになった。少し郊外のコンビニに行ったら、おにぎりがパンパンに詰まっていた。行きつけのバーもなくなったが、割れなかった数十本を取り出してきて、路上で営業していた。震えながらビールを飲んだ。そうそう、やたら飲みにいった。金を落としたかった。煙草が切れても、大阪で買わず、我慢して神戸に帰ってきてから買った。大学の同級生の友達の家もスペイン料理の店もなくなった。数日前、私はスペインから帰ってきて、帰りに店により、ハム置きと生ハム数種類を置いてきたばかりだったが、当然、それも埋まった。2日目に、三ノ宮を歩いていたら、前に、同級生の旦那であるマスターが呆然とたっていた。「生きてんですか、無事でしたか」と私は叫んだが、彼は、私の顔を見て自分のことはどうでもいいという感じで心配してくれた。私は本棚が落ちてきて顔面内出血していて目の周りがパンダになっていたから。前にも書いたが、長田区に会った母の店は賃料値上げで、撤退した。その後すぐ地震が来て、開店準備中の中華料理屋が壊滅した。店に置いていた仏壇1000万円分助かった。自宅の瓦礫になった前で受験生が勉強していた。不思議なことに、戦前に建てられた建物が案外無事だった。それは経済効率ばかり求める時代ではなく、余裕設計していたからだろう。政府は、補修費用は補助せず、解体費用だけを補助した。ゼネコンはこれとばかり補修費の見積もりは無茶苦茶高く見積もった。壊す必要のないマンションまで壊されることになった。 今、震災10年を迎えて、見事、神戸は、つまらない他の街と変わらない街になった。今、10年を迎えて、いまだ建て替えでもめているマンションが2、3棟ある。家の近くにも有名なマンションがある。建て替え決議は住民の4/5の決議があれば無条件で建て替えすることができる。後ろに山、海の見える少し不便なところにあるそのマンションは今、数件だけの住民が住んでおり、裁判中で、当時のままである。通るたびに心苦しくなる。最終更新日 Jan 17, 2004阪神大震災の翌日、私は、ひとつの依頼を受けた。私が、原付を持っていたからである。まだ友達の安否も分からない頃でもあったのだが、倒壊した部屋に猫を飼っていたのだが、助け出して欲しいと。私はボストンバッグを持って原付を出した。交通は無茶苦茶で反対方向に走ったり、原付も二人乗りは当り前。警察が道を封鎖していても、原付は無視して走る。まっすぐ建っている建物がなく、三半規管がおかしくなり平衡感覚が危うくなる。 皆は、人を救助しているのに、何を猫の救助に向かっているのだと変な感覚に陥る。何をしているのか分からないが、渋滞の脇をぬって私以外にもバイクが走る。唯一開いていたガソリンスタンドに長蛇の列。倒壊する家屋。 着いて、部屋を破って中に入った。部屋の中は無茶苦茶で、猫はいなかった。と思ったら、押入れの奥にいた。「おいで」をすると、人になつくことのなさそうな猫が、そろそろ出て来て、私の足元に顔をなすりつけて、怯えている。いや、安堵している。私は、すまないと思いながらも、嫌がる猫をボストンバッグに積め、他の荷物は無視して、また部屋を出た。煙がくすぶる街の中、バイクは走り、足元のボストンバッグはもぞもぞしていた。震災3日後、私は運転手をしていた。オーストリアのTVクルーの運転手をしていた。渋滞と交通ルール無視の中、私は運転をした。そのときにふと気がついた。後部座席に座るオーストリア人は私をどういった目で感じているのか、ただの運転手なんだなと、アジア人なんだなと。そしてもしかして私もタイ等に行った時、運転手のことをどう思っているか思った。その後、学校に避難している人に、火事で燃える家の前で呆然とする人に、倒壊した瓦礫を片付ける人に、インタビュアーの質問は決まってこうだった。「これからどうしますか」そして人々の返事は決まってこうだった。「先のことはどうしていいか分かりません」私はそんな考える余裕もないわと多少憤慨もしたが、かくも西洋人っちゅうのは前向きというか、起こったことは仕方ないから対処どうするか考えるものなのだなあ、とも思った。それはそのインタビュアーの考え方だったのかも知れないが。人間は弱いものだよ。ほとんどの人が、お上を当てにしている様に感じた。仕方ないことだけれども。1月17日だけは毎年同じ日記を書いている。(再掲)前の日、神戸市兵庫区の友達の家で数人が集まり飲んでいた。木造アパートの2階だった。そこの住人の実家は私の家の近所であった。大抵は酔って面倒なので泊めてもらうのだが、その日は何となく家に帰ることにした。そこの住人もそれじゃあ、方向同じなので私と一緒に実家に帰ることになった。来ていた数人も住人が帰るので解散となった。私は、厳しくなると予想される二日酔いの中で眠りに着いた。そしてその時刻がやってきた。揺れは止まらない。地響きがすごい。世の中が終わったと思った。少なくとも関東地方は終わったと思った。止まる事を祈ったが、箪笥や本棚の下敷きになった私は、恐怖の中でも少し冷静であったように思う。パノラマ現象か、あまりに長い揺れであった。水は止まると判断した私は、フロに水を張ったりして、今出る水を確保。ラジオをつける。死者一人、、、、だれやその一人。近所の人々が、あわてて外にでてきた。「うっわわあ、あっ、おはようございます。すごかったですね~」日常があった。友達宅は全壊となった。その日帰った友達の家は2階が1階になった。阪神大震災から10年目。未だに、私は、風呂の残り湯を流してしまうことに抵抗があります。汚いから捨てなさいといわれるのですが、もし非常時に水があればたすかるじゃんって、思うのですもの。あの日、断水になるのは確実だったので、地震直後、風呂に水を張ったのは正解でした。1994年1月17日午前4時35分、ロサンゼルス大地震。死者約60名。第一報がクリントン大統領に入ったのが発生15分後。1時間後には、州兵1万人が出動、その7分後に消火活動開始。消防ヘリコプター、陸海空軍、ドクターとにかく何でもかんでも許可云々関係なく総動員された。テレビや映画でも見たことがあると思うが、トリアージドクターというのが、死んだ人、軽症の人、ヤバイ人にそれぞれシールを貼り、ほっとけ、病院行くな、最優先で病院に運べ、を判断していき、後からくる救済活動を敏速化させた。負傷者は多かったが死傷者は少なかった。しかしながら、黒人や韓国人の間で発砲事件を始とする暴動があった。1995年1月17日午前5時17分、阪神大震災。死者約6400人。第一報が村山首相に入ったのが発生110分後。行政経験もなく、それを知ってもなすすべがなかった。会議を開き、最高責任者は国土庁長官になった。自衛隊のへりは社会党は自衛隊反対の見地から出動がすぐできず、航空法で民間のヘリも着地できない。世界で3番目にヘリを保有しているというのにヘリでの救出は20人に満たない。病院は怪我の重度でなく、到着が早い者順の治療となった。圧死、窒息死。そういえば、外国からの救助犬も検疫か何かにひっかかってたっけ。総理は、当日「新春文化人懇談会」に出席して時間オーバーするほどに歓談していた。しかしながら世界が感心したのは、人々の落ち着き振りであった。火事場泥棒の少なさ、暴動どころか、助け合い、コミュニティが自然発生的にできあがっていった。当時の日本銀行神戸支店長は英断した。どうせ義捐金が入ってくるからと、金庫にあった現金を全部持ち出し、一番被害のすくなかった銀行に持ち込み、彼の責任において支店を開き、お金は十分にあることを伝えた。お金は、通帳がなくても払い戻し可能、ハンコなくても母音OK、定期の解約は即OK,焼けた金は即交換など、パニックを回避したのであった。確かにそうであった。私も、心理的に、安心感を覚えた記憶がある。これは関東大震災の教訓だという。このすべて反対のことをした関東大震災ではこれも要因のひとつとなり暴動や略奪が起こった。また400万円分の小銭を用意して、自動販売機等で使ってくださいと無償でばらまいたにもかかわらず、半数近くの人々が、紙幣を差し出して両替対応したという。
2006.01.17
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イカした昼食を終えると、もう呼子町は昼下がりであった。ヒラカナで書けば「よぶこ」である。また玄界灘から有明海に戻らなければならない。それにしても、道中、人が歩いていないのが印象的な日本の風景である。さすが少子化である。今世紀末にはほtっとけば日本人人口は半分である。女性老人にも働いてもらうか、子供をいっぱい産む外国人をホットに仕入れていくしかないのである。しかし、そうすると差別意識の強いニポン人にもネオナチ化するのである。平成にはいってから出来たという斜張大橋であるが、佐賀100景ナンバル1になっておる。一応、橋を往復してみたが、前後の車も往復スルダケ車で、島に渡ると即Uターンしていた。玄界灘の佐賀最北端ぽい波戸岬まで足を伸ばす。駐車場代を払えば、最北端の燈台付近まで行くことが出来る。無料駐車場に駐車すると、300メートル程度歩かなければならないの法則である。無料駐車場サイドは「さざえのつぼやき置屋」の洗脳も受けるはめになる。同じ店なのに、各店のおばちゃんから声をかけられるので、思わずミニ遊郭のようである。つぼやきの汁は最高に旨い。特にベロンベロンに酔っ払っているときに飲むと、最上である。しかし、イカ活け造り及びイカシュウマイのあとは、もう胃袋が受け付けないのである。おまけに船で食べたので、胃袋をぐるんぐるんに振られているので、厳しい状態である。フロオロ・・・とは。玄海町の浜野浦棚田である。観光客は何回数えても0人である。そういえば、バリのライステラスは目に美しい。そして、フィリピンのバナウエイのライステラス。まあ、比較してはいけないが、やはり水が張ってないと、ウーンという感じ。いろは島である。フィリピンのハンドレッドアイランドのようである。観光客は盛況で、凡そ0人である。伊万里湾の水面に浮かぶ大小48の島々ということである。名付け親は空海といわれ、弘法大師も青い空とその中に浮かぶ島々の美しさに筆を投げたと伝えられている。どれが「い島」「ろ島」「は島」「に島」(・・・以下続く)かはよく分からない。原発方面原子力発電所もあり、玄海エネルギーパークというのがあるが、入口では白い服を着た怪しい警備員が数人物々しい雰囲気で、私の車に敵意を丸出しである。全力でエネルギーパークに入れないつもりであろう。それか、私の風貌が原子力反対人間に見えたのであろうか。まるで、かつてのブルネイのユースホステルのようである。 イカン、こんなところでゆっくりしていたら、飛行機に間に合わない!煙草臭いレンタカーの中で、佐賀空港をセットすると、到着時間が出発時間である。2時間40分。私は、密かに焦った。焦って走り、短期間であるが高速道路にも乗った。そこで、ベタ踏みしたら140キロでたが、これがカローラの実力である、というか、どの車も結構スピード出しているのである。120キロぐらいは出しているようである。関西では車も混んでいるのでなかなかなさそうな風景であった。まるで、兵庫県でいえば、淡路島を縦断する高速道路のようである。あそこは標識事態が最高速度100キロになっている。スピードは、少し出しすぎるほうが緊張して眠くならないので、むしろ安全なのである。俗にいうフェイズ3の目である。飲酒運転はいけないが、ほんのちょとだけ飲んで、絶対安全運転しなきゃと緊張を持続して運転するほうが結果的に安全なのと同じである。まあ、そんなことを考えていると、速攻で佐賀市内に入り、ガソリンを入れても、35分短縮して到着。待ち構えていたレンタカー屋さんに鍵を返すと、「あのー、すっかり忘れてましたが、代金もらってませんでした」といわれた。そっと1,000円差し出す。彼女は静かにそれを受け取った。何かそのままポケットに入れたような気がした。あと九州で残るのは鹿児島県だけである。来月2月16日開港の神戸空港を利用しようかなんて思ってもいるが、フェイントで九州シリーズは終了かもしれない。(そろそろ全財産も尽きてきたため)まあ、神戸空港は不要なんだけどね。
2006.01.16
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ようこそさがへ。佐賀を探して。佐賀空港は、他の九州の県が空港を持っているので、何とか頑張って見栄で作ったような、少しカナシズム空港である。勿論降り立った時は、ほかにずっと展示用にしか思えない置きっぱなしの飛行機以外に、飛行機は見当たらない。ANAだけが1日東京3便、大阪2便があるのみである。勿論、グッバイコーナーやもしもしコーナーはない。 今回、急いで、佐賀に来た理由は、佐賀空港で搭乗券を持っていると、レンタカーが1日1,000円で借りられるキャンペーンをしていたからだ。そういう訳で、空港レンタカーカウンターに向かうと、女性が一人暇そうにしていた。「あ、お待ちしておりました」と彼女がいい、早速、カローラを配車してくれる。1,000円キャンペーン利用者は他にいないのかと思ったが、私の乗った便には15人しか乗客はおらず(飛行機は86人乗り)、ほぼ全員が背広姿であった。ただ、その中の一人は、大阪空港に何か荷物を忘れたようで、飛び立つ間際に焦りながら、客室乗務員に「~を探して」と聞こえてきて、空耳アワーなのか「佐賀を探して」と聞こえてきたのであった。(佐賀空港で連絡を受けた地上の人が、忘れ物の件ですが、とその人に言っていたので忘れ物をしていることが分かった次第であるが)ちなみに、レンタカー屋さんの彼女に、「夕方の便で帰るのですが、どこがいいですか?」と聞けば、「近くでしたら柳川ですね。うなぎも名物です」といった。「それは2週間前に行ったし、それは福岡県になっちゃうよ」と思ったが一応、そうですかと言っておいた。空港から15キロ程度であったので、前回ワザワザ福岡から45分かけていくことなかったかなあとしばし反省もした。ちなみに、レンタカー屋さんの彼女は、「何時に戻って来られますか」と聞いてきた。その後「お戻りまでここにいないものですから」と言った。夕方まで7時間はもう飛行機の発着がないのだから、彼女は暇なのである。一体どこへ行くのだろう。早速、車に乗車し、いきなり一面田んぼの中を走り出す。媚びた標識あり。この標識は女子高生か。標識は何故かバリアフリー時代を反映してか他県より低い位置に取り付けられている。唐津を越えた。唐津の虹の松原(日本3大松原)には、実は中学校の修学旅行で数分滞在したことがあるが、今日は、雨が降っていたので、行くのはやめた。このため、多分、もう一生行かない可能性が出てきた。そんなことでいいのか。致し方ない。そんな訳で、さらに北上して、いきなり、いかつくりを食べた。空港から2時間走らせて、凡そ100キロ程度進み、呼子町。いくつものイカつくりの店があるのだが、何か船が浮いており、そのレストランだけに、人が吸い寄せられていく光景を見て、同様に吸い寄せられていった。レストランは水中にあり、窓からは、汚い藻と弱りきった感じの小魚を眺めることができた。揺れているので、酒を飲まずしても、少し酔えるというメリットもある。ちなみに、今日は朝から二日酔いだったので、一気に気分が悪くなったのはご愛嬌である。(午後の部に続く・・・と思われる)
2006.01.15
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空夕日 明石海峡(飽きた)
2006.01.14
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本を買うときは、筆者のことを知っているなら、題目はどうでも良いのだが、知らない場合には、本の題目で、手に取ることになる。そして、ペラペラとめくって購入に胃たることになる。売るためには、本の題は中身より重要なのだなあ、と思う。まあ、そこで、今日は、1日中パソコンを見ていて肩が凝って仕方ないので、早々に、よさげな題目(但し筆者を知っている場合を含む)を2,3紹介して、パソコンから目を離すつもりである。「踊り候え」(鴨居玲)この人の絵は、絶望的な感じで好きなんだなあ。「凡庸さについてお話させていただきます」(蓮見重彦)ボクちゃんは賢いからね馬鹿どもよ、といった人で、その後東大総長まで行くといった権力にもしがみついたけど、この題目はなかなか良いわ。「明るい旅情」(池澤夏樹)題目だけでなく内容も深く読めていい感じ。「世界の教科書は日本をどう教えているか」日本人は自分達がどう見られているかとっても気になるの!「バカにつける薬」(呉知英)俺につけてくれお薬って感じの題目がいいですなあ。「タイで笑ってワッハッハ。ヨーロッパでウッシシ」人を食った題目がすんばらしい。「かつて」(ヴィムヴェンダーズ)なにかを思い出す題目です。「瞠目新聞」(島田雅彦)ほんま瞠目ですわ。(見えないけど)「沈思彷徨」(藤原新也)ええ題目ですわ。ページをめくるのがもったいない本って時々あるよね。「アジア旅人」(金子光晴)まあ、題目というより本のつくりが良かったかな。「カトマンズでLSDを一服」(植草じんいち)いやはや60年代はストレートだったのですねえ・・・休憩。バリの鶏に、サンミゲルビール。「じょうずなワニの捕まえ方」何とも役に立たなさそうなのが良いし、ピンクの装丁がシブイ。「突破者」(宮崎学)有名な本だが、やっぱ題目にインパクトがあったのではないでしょうか。フンドシ(本の帯)にも「グリコモリナガ事件キツネ目の男と疑われた男が・・・」というのもインパクトあり。「街の無防備クン」(景山民夫)インタビュー本であるが、私も街の無防備クンでありたいと思う。「はじまりのレーニン」(中沢新一)「の」の使い方が微妙にウマイ。「数学の快楽と罠」ワナワナワナ・・・
2006.01.13
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青島への入口。近くの売店で何故だかチンタオビールが売られていた。亜熱帯植物が茂っている。日向神社がなかにあり、由緒あるところのようである。島の廻りは洗濯板に囲まれている。寒風泳ぎで足を怪我しないように掃除。九州を回っていると、韓国人台湾人の旅行者が多い。特に韓国人の方は家族旅行など個人旅行者も見受けられる。何となく九州経済を支えているような気がシテならない。洗濯岩で真面目に洗濯したら、服が破けました。おまけに帰りに着る服がなくなり大変困ったのであった。そう簡単に名前を信じてはいけない。鬼の洗濯岩だったので鬼の衣服はかなり頑丈なものだということが分かった。着ていた鎧を洗濯岩で洗濯した。岩が崩れた。波の侵食によって、岩盤の柔らかい泥岩層の部分が削られ作られたなんて夢のないこと言いっこなしだぜ。列車から一緒に降りた唯一の観光客(カップル)。飫肥駅駅前には、1件のラーメン屋があるだけだ。ラーメン屋を覗くと、洗濯物を室内で干していた。テレビ小説「わかば」のロケ地とはいうが、私は順調に見たことがない。おびてんぷらで有名だというのは、帰りの空港で気がついた。うどんを食ってしまった。饂飩屋は民家のままで、人の家の玄関を無断で上がる気がして恥ずかしかった。その饂飩屋は民家の玄関にのれんがかかっているだけであったから。暫くすると、おじさんが不審そうにやってきて、私に「やってますか」と尋ねた。私は従業員ではない。ないが、サービスで「やってます」と答えた。鯉。余ったパンを鯉に与える、恋は喜ぶ。飫肥という地名を昨晩知ったばかりであったが、「 レンタサイクル飫肥城下町めぐり」によると、 苔むした城壁に磨り減った石段、槍の刃先にも似た飫肥杉の林が古都その情緒をかなでている。飫肥は5万1千80石の城下町。大手門から藩校振徳堂へ通じる横馬場通り、伊東藩別邸の予章館から鯉の遊泳地、明治の著名な外交官小村寿太郎生誕地付近には武家屋敷の古い石垣が続く。商人通りは白壁と格子、瓦屋根に代表される日本建築の美を表現した旧商人町である、とあるのだが、駅前のレンタル自転車屋は閉まっていた。飫肥城跡入口である。中には、小学校があり、小学生に「コンニチハ」と挨拶された。私は引っ込み思案だったので(今もであるが、いや、今はヒッキーであるが)知らない人に挨拶したことはない。すると、その横の坂が「挨拶坂」となっていた。鵜戸神社。日南海岸にある。ここには遠いのでいかないことになっていた。飫肥まで青島から列車で30分程度500円程度で行ったので、帰りは優雅にバスで帰ることにしたら、スンゲエ遠回り。宮崎まで2時間1900円であった。個人旅行者は韓国人も含め、皆、一様に、一日乗り放題券(2,000円)を持っていた。こういうことは、ガイドブックの一番トップに書いてもらわなくては困る、まるで団体旅行パッケージ旅行用のガイドブックではないかと、100円で買ったガイドブックに憤慨したが後の祭である。バスの運転手に車内で1日券を買えないか懇願したが、駄目と官僚的な発言、男泣きに泣いた。しかし、日南海岸を1時間ばかり見ることが出来、これが1500円なんだと、代償規制を働かせる。バス乗客0人。宮崎メインストリートを走る。42階と石鹸入れ。宮崎市内で昔呑んだことがあり、そのときはシーガイヤの横のコテジに泊っていたが、誰も現地の人はシーガイヤに行ったことがないと言っていた。私が神戸異人館に行ったことがないのと同じようなものかと思ったが、高いだけだし、海沿いにオーシャンドーム擬似海岸作ってどーするのといった呆れもあったようだ。その後、順調にシーガイアは破綻した。3セクで最大、負債3000億円以上。夕日が寂しい。再建の目処は。リップルウッド・ホールディングスが買収した後も赤字続きで、結局、「一気に開発した大型リゾートは破綻する」の法則に則った形である。それと、宮崎市内の飲み屋で私が聞いたとおり「地元軽視地元未還元型は破綻する」の法則に則ったものだと思われる。
2006.01.12
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私の場合、仕事が忙しいので、仕事を早々に抜け出して商売繁盛を願いに行く。ササモテコイっ!露天の数といったら、凄いものである。裏道に溢れたゴミも凄いのである。ぜんざい・たいやき・りんごあめ・なんこつやき・かわいいあめやさん・ヨン様ショップ・パッタイ・松の実屋さん・関西風おでん・きんかん・じゃがコロ・宇都宮餃子・芋餅・するめ・カレンダー・かんぱち・アンパンマンカステラとんかつ・タイターメン・ミッキー焼き・包丁・白蛇神鎮座・メロンパン・うるめ・広島風お好み焼き・回転ダーツ・中華そば・(パチモン)DVD・人形・玉こんにゃく・時計・ドネルサンド・万寿塔・盆栽・わたがし・クレープ・サメ釣り輪投げ・ちゃんこ・回転焼き・ボウキンアメ・主砲・ダーツゲーム・ぜんざい・フライドポテト・甘酒・小龍包・チーズちくわ・圧力栗・沖縄ドーナツ(サーダーアンダキー)・阪神タイガースくじ・スーパーボールつり・アイドル写真豚玉焼き・ラーメン・吊るし柿・お面・人生相談・博多地鶏・和牛ステーキ・フレンチドッグ・たまごっち・ぷりん・芭蕉ぜんざい・ミルクせんべい・たこやき・銀杏・たいやき・フランクフルト・お箸・バズーガ砲・缶倒し・カステラ焼きフルーツチョコ・東京コロッケ・海鮮玉イカ・フルーツあめ・焼き鳥・福あめ・ガラス細工・鮎の塩焼き・天津甘栗・ホルモン焼き・じゃがバタ・草もち・イカ焼き・どんぐりあめ・牛肉チゲスープ・つきたてお餅きなこ・とうもろこし・はし巻き・ぬいぐるみ・お好み焼き・カルビ丼・ボールすくい・チヂミ・から揚げ・犬・生姜漬・ドネルケバブ・バナナチョコ・くじびき・帽子・骨董・金魚すくい・大衆食堂・水餃子・牛串スープ・ラッキーボール・オムそば・玉子せんべい・ベビーカステラ・べっこうあめ・さつまステック・岩納豆・牛ステーキ・どて焼き・ジャンボ串焼き・ビッグチャンスメモしながら、歩くのは、マッチョな大の男として、割と恥ずかしいのでもあるんだよ。
2006.01.11
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チンタオにて、今日は新春寒風水泳我慢大会。私でも、甘酒を授かる。さぼてんアイスのことであるが、一言で言ってなかなかマズイ。サボテンハーブ園産とんことであるが、あそこは閉館中である。アイスクリームには賞味期限がないことを思い出した。でもなあ。1~2時間に1本のワンマン列車に乗ったとな。運転手に話しかけるなとな。高校生が乗ってきた。高校生、これ乗り遅れたら2時間待たなければならないのだなあと思うと、多少不憫に思ったとな。俳句を読めよ作れよということか。天守閣跡があるので、歩き始めると、3歳ぐらいの子供に抜かされた。子供は「何も上いってもないで」と伝えてきた。「また子供のいうことなんて信じられないのだから」と呟いて、上にいてみたら何もなかった。子供は正直である。なんじゃモンじゃ、いってみたところで、なんじゃかんじゃ。道路交通法違反じゃないのかえ?いくら小京都といわれるだけある飫肥である。でもよく読むと、九州の京都ではなく、日南の京都で売り出している。ちょと範囲狭くないかい?誘拐禁止の「標識」あり。宮崎市内も何となく成人式。昔、宮崎市内で飲んだことがあるが、2,000円飲み放題に驚愕したなあ。42階でビール。42階で読書。隣の客は、東京で仕事をしてきたが宮崎に帰ってきた男と、東京で仕事をしてきたが宮崎に帰ってきた女が、出会い話し込んでいる。何故だか東京の言葉。何だか寒い。42階でトイレ。カメピュー。誰が真冬にプールで泳ぐのか分からない、このプール砂浜付。さて、恒例の空港お別れコーナー。ここはもしもしコーナー。長崎空港グッバイコーナー。松山空港
2006.01.10
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いろいろネットで検索してみると日本の受刑者は1ヶ月一人当たり、3~50万円ぐらいかかるようである。下手に働くより宜しいわけで、こういうのを飼っていると大変コストがかかるので、100万円税金で払って某北朝鮮に送るというのはなかなかいいアイデアかもしれない。そうすると、生活保護2~3家族を救うことができると思うのだが。いろんな事件が最近多くているがコストの問題も考えないといけませんなあ、と漠然と思う。 年賀状を貰った一人に、住所が変わっていた友達がいた。彼、Sの趣味はきっぱり引越しである。それも、全て購入売却を繰り返しているのである。彼自身も親の影響を受けており、親の引越しに伴い、高校を編入してきたのであった。そして高校を卒業したと同時にまた引越ししていった。 銀行員としての彼自身も弱冠24歳程度の頃に、マンションを購入。フト油断していると、引越ししており、また油断していると、また引越ししていた。その時は、私の家の近くに引っ越してきたので、ちょこちょこ遊びに行ったのだが、何故かいつも奥さんがおらず、まあ、深くは聞かなかったのであるが、その後子供も産み、仲良くまた引越ししていったのである。 年賀状を貰っていない知り合いの一人に、趣味がロープ結びという奴がいる。しかしながら人間を辱めて縛って恍惚になる方の趣味はない。純粋にもやい結び、エビ結び、叶結び、荷造り結び、ふた結びなのである。まあ、ボーイスカウトでするようなものである。彼の部屋にはロープ結び関係の蔵書が幾許かあり、「人生いろいろ、趣味もいろいろ、多様化の時代ですなあ」みたいなことを言ったら「ほっといてくれ」といわれた。今でもたまに飲みに行くが、その話題は敢えて伏せてある。 スエーデン第3の都市マルメは、隣国デンマークの首都コペンハーゲンの対岸にある街で、20キロ程度しか離れておらず、列車やフェリーで45分程度で行ける。 そこから、列車に乗ってベルリンに行ったのだが、この列車ごと、フェリーに乗せられるのが面白い。
2006.01.09
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目が覚めたら、二日酔いはなかったが、寝坊ではある。それより頭はバクハツ状態で、どうやって直したら良いのか哲学的アプローチしてみたが、順調に敗北した。取り合えず、50年代のポマードやろーになるしかない。何とか亜無亜危異からクールスになった。トイモイ、30齢にして、駐車場代を毎月22,000円払う身分である。家賃に迫る勢いである。しかしそんなことで感慨深くなっている場合ではない。車を走らせる、否、車を転がす(の方がカックイイ)。・(仕事は中略)・観覧車を横目に、日の高いうちに早々に仕事を切り上げ、帰路となる。理由は、生き急いでいるからだというのが本音だが、建前は仕事が嫌いだからということにしている。バックミラーで後方を渋く確認!よし、後部座席には誰も乗っていない!フンデルトワッサーの煙突も見える。すぐ横のユニバーサルスタジオジャパンと間違えて行く人も多し。空が青い、海がドス黒い、山が冬色、生きるっていいことだぜ。中年ドライバーは、やがて時速160キロにもっていく爆走族の一味にもたまには変化する。勿論、自称中年でも、他人には中年と呼ばせまい。「お兄ちゃん」と呼ばなければ、他人であれ、その子の頭を叩く。勿論、母親に見られないようにだ。
2006.01.08
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ふと、飲み会の席で振り返ると見事なまでに白のYシャツの人々であった。それはそれでよかった。私が持っている白いYシャツといえば、葬式用のものと、バンコクで作った100パーセントシルクのものだけだ。後者は首周りが順調に太ったので格好よく第一ボタンが届かない程度である。 でも皆いろんなものを重くも背負って生きているんだ。私のように背負っているものはせいぜい借金程度というノー天気な奴もときおりいる。 統計的には10年前に消費者金融なりカードローンを組んだ人の8割がいまだに組んでいるというのである。10年では抜け出せないのである。いや、いつ抜け出すというのですか。 300万円で楽しむというM氏の本もでている。でも考えれば貧乏が楽しかったのは、今だけだからという妄想があった訳だし、貧乏を楽しむ程度の貧乏であった訳だ。貧困を体験したことはないけれど、アジア各地で貧困を見てきた。楽しいはずがないよな。 スローライフは信じられねえな、ロハスも良く分からないなあ。でもマニラの海岸通沿いに走るロハス通りなら知ってるぜ。それぐらいが私の自信だよなあ。そこにはカジノなんかがあって、勝った相手を地なまこで探す娼婦がいたりするんだよなあ。その目が真剣で怖いんだよなあ。その前にオケラなんだよなあ。 そういえば、書店にいけば真っ先に文庫本の新書のコーナーに行く、あたりまえだが、そのほかの本は高いのでもったいないと思うのだ。高そうな本でも文庫本になりそうか、それは内容的にすそく古くなってしまわないか吟味して、今しかないと思う時だけ単行本を買う。そんなこというてこの未読の本どないしょ。買い物症候群やねえ。あーストレス・・・ オゲー、オゲー、スローリー、スローリー、シーミー、フィールミー、タッチミー、スモークミー。
2006.01.07
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今日は、特にネタがないので、昨年の余り画像ネタでいきますよ?実家の裏の丘からは明石大橋がみえますよ?もう明石大橋ネタは自分でもあきてますよ?近寄ったらこんな感じですよ?明石といえば、タコですよ?明石のたこ焼きありますよ? 庶民のアイドル(偶像)蛸壺ですよ?子供の頃、タコを投げ釣りで釣りに行ったこともあるですよ?でも、釣れませんでしたよ?でも、釣る気なくて他の魚を釣りに行ったら、小さなタコを釣ったことは20回くらいありますよ?そうえば、昔、フィリピンから帰って来て、お好み焼き食べていて、そこで週刊誌開いたら、「タコ八郎、海で溺れ、海に帰る」と不謹慎な記事を読みましたよ?御節ですよ?いつまでも正月気分ですよ?ある男性モデルがネスレUSA社のネスカフェ・インスタントコーヒーのラベルに自分の顔を無断で使用されていたとして訴えていましたが、裁判所はネスレに対し、この男性に賠償金15.6ミリオンドル(16億円)を支払うように命じる判決を下したよ?訴えによりますと、その男性は1986年に赤いセーターを着て、ネスレカナダ社のインスタントコーヒー「Taster's Choice」の広告のためのテスト写真撮影をしましたよ?撮影は2時間かかり、3万円の仕事でしたよ?この際、この写真がプロモーションで使用されることになれば、2000ドルの報酬を受ける契約もしていたのですよ?ところがどっこい彼はインスタントコーヒーが嫌いで、スーパーなどに行ってもまったくインスタントコーヒーには目も向けなかったため、自分の顔が商品ラベルで使用されていることは気が付かなかったのですよ?2002年のある日、ドラグストアでたまたま若い頃の自分の顔が付いている商品を見つけ、びっくりしたのですよ?最初、ネスレは10万ドルでの和解を求めたが、彼はこれを拒否して9億円の和解金を提示しましたよ?訴えのあったカリフォルニア州ロサンゼルス地方裁判所では肖像権に関して、賠償金15.6ミリオンドル(16億円)の支払いを命じたよ?これは、この肖像が使われた期間の売り上げの5%をもとに計算していますよ?。ネスレは勿論上告しますよ? タイガーバームは塗るだけではないですよ?勿論、貼ることもできますよ?シンガポールも香港も惜しまれて閉館したキッチュの王者タイガーバームガーデンですよ?画像をクリックすれば、ちょっとだけタイガーバームガーデンを見ることができますよ?タイガーバームは日本流でいえば、オロナイン(大塚製薬)とメンソレータム(ロート製薬が米国メンソレータム社を買収)を足して2倍したようなものですよ?オロナインはメンタムに追いつけ追い越せというので、メンタムの容器に描かれた少女ナースの真似をして、全国看護婦コンテストなんかやらかしたり、大阪の遊郭に無償で配ったり、いわゆる大塚商法を発揮したという歴史があるのですよ?ちょっとだけ帰省ラッシュですよ?コムサデモードのシャツですよ?皺くちゃなんで、アイロンかける必要がないので便利ですよ?でも1,980円ですよ?だから行ってきますよ?何処へ?
2006.01.06
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田舎に泊る、何て芸当もさておき、夜に酔い覚ましに映画を見に行った。田舎に篭りっきりでじっとはしていられない性分炸裂状態である。東映漫画祭のようなガキ向け映画は別にして、何となく記憶にある初めての映画は「キングコング」(1976)か又は「大自然の驚異」であった。1933年の初めてのキングコングは1935年に作られた当時世界最高峰のエンパイヤーステートビルにキングコングは登った。1976年のリメイク版では1973年に作られた当時世界最高峰の貿易センタービルツインタワーであった。勿論、2005年版では、またエンパイヤーに戻っている。 神戸三ノ宮の阪急電車の高架下の映画館で、映画館に私だけを置いて、「また終わる頃戻ってくるから」と母は街に消えた。浮気相手とでも会いにいったのであろうか。今となっては分からないが、小学生3年か4年の私がその映画で覚えているシーンは、そのツインタワーに登っていくキングコングの雄姿だけである。「アメリカっつうところはすんげえ高い建物があるんだなあ」という感想を持った覚えがある。アメリカかどうか分からなかったが、世界地理をまだ勉強していなかった私には、外国とはアメリカであったような気がする。 それにしてもCGバリバリというのもちょっと飽きてきたなあ。 「大自然の驚異」については、多分教育的な映画だったと思う。親に勧められて神戸三ノ宮の駅前にある新聞会館まで、友達2人と見に行った。憶えてるシーンは、一番前の席に座ったことと、ラストシーンが、大雨の中ねずみが増えすぎて集団自殺するところか。そしておしっこが漏れそうになり、終わったらすぐトイレに行き、外の太陽がやけに眩しかったことである。 その後、中学校に入り、映画に興味を持ち、当時はビデオデッキもレンタルビデオも衛星放送もない時代、新聞の映画をチェックし、できるだけ全てを見るようにし、見た映画のタイトルやストーリーを書いた。テレビ番組だけで年間100本越えていたので、我ながらテレビっ子であったような気がする。映画館も一人でよく出かけた。映画館の料金をどうやってひねり出したのであろうか。 それにしても、今、思い出したが、当時、中学生の頃の正月の夜中映画の定番は、なんと行っても「エマニエル婦人」シリーズであったなあ。 最後に、最近見た映画でこりゃなかなかオモロイわいというのは「バタフライエフェクト」。ラストシーンはいまいちだが、内容の発想とテンポの良さが面白かった。思わず少し違うが、「フラットライナーズ」。を思い出してしまった。これもそんなに話題にはなってないけど。
2006.01.05
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去年の正月は偉大なる使命の為(嘘)日本を不在にしていたので、今年こそは実家と田舎に行かなければならないという重大な使命を帯びて、何となく行って来た。実は一族思いに溢れているということは恥ずかしくてなかなか紙面に書けないのであるが、敢えてキーボード打ち込みをしている。母の父いわゆるところのおじいちゃんも、認知症が進み恍惚状態にあるので、顔だけでもみておこうとも思ったのである。おじいちゃんは、昨年知らないうちに左目を白内障で失明しており、本人も気がつかなかったようである。年末にヘルペスに罹り、右側が腫れ上がり、右目がふざがってしまったときに「目が見えない」ということで初めて失明に気がついたという次第であった。 訪れた時には、腫れもひき、こちらを子供のような目で見て「あんた誰や」と言われた。ここ数年、おじいちゃんが私に発する言葉は「分からへん」と「あんた誰や」だけである。分かるのはおばあちゃんと、子供達(つまり母など)だけのようである。 考えれば、父母に似ていない私は、隔世遺伝でおじいちゃんの影響を受けているのかも知れない。(もしかしたらよその子かも知れないけど)おじいちゃんの色弱を伝統的に受け継いだだけではない。 昔、おじいちゃんの運転で、街中の一方通行を逆走しており、警察に捕まったことがある。おじいちゃんは、「こんな道が一方通行なのはおかしい。行政が悪い、私は悪くない!」と主張し、車から引き下ろされて行った。車内に取り残された妹と私は、婦人警官にねぎらいの言葉を授けられたが、何となく私たちは無言であった。 昔、おじいちゃんは、いつも寝転んでテレビを見ていた。寝転んでいるので、寝てしまうのであるが、寝ているのを確認しておばあちゃんがテレビを消すと、すぐに起き上がって「コラ、まだ見ているのに何故消すのだ」といってまたテレビを付け直させる。それを何度も繰り返されるのバトルなのであった。おばあちゃんは優しい。 昔、おじいちゃんは、日本酒が好きだった。でも面倒がりなので、おちょこやコップで飲むのを嫌い、ジョッキに入れて飲んでいた。注ぐのが面倒なだけであった。お茶からコーヒーから何でもジョッキであった。 昔、おじいちゃんと一緒に高松に行った。平べったい瓦を投げるお寺があって 瓦を一枚ずつ境内から下の森に向かって投げるのであるが、おじいちゃんは面倒なので、買ったものをまとめて全部一回で投げてしまうのであった。そういえば、鯉の餌にしても1回で投げてしまうのであった。長生きしておくれ。そういいつつ、おじいちゃんは、死を恐れない。死んでも死んだことに気がつかないであろうから。車は洗車して、(年数回実施)トンネルを越えて雪国でない所へ行って。城をみる。 初夢は、いや、人の夢というものは、なかなか自分の中でさえ滑稽無糖であるのに、ではあるが、敢えて、私的なことではあるが、記しておくとすると、丘の上に私と、誰か見知らぬカップル。3人で宙を飛ぶ。これは負けてられないと、私は、今度は水中を泳ぐ。息継ぎの必要もな私を見て、カップルは口々に「そんな技もあるのか」と悔しがるというもの。別に何のメタファーもないよ。ソコントコ宜しく。
2006.01.04
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博多のケリーさんに紹介してもらったラーメン屋に行こうかと画策していたのであるが、その前にいろいろHPをみたら、賛否両論で面白かった。否の部分は味に関することではなく、店の態度のことで、「ネットで来た」とか「一見さん」はお断りというもので、出されたお水を引かれてしまっただの、拒否されて憤慨するページもあった。ともすれば、「HPに中傷されているような対応はなく、気さくな奥さんでした」というのもあり、その日気分というのもあるのだろうか、と思いを馳せながら、では、一丁、挑戦してみるかと、私の心の内なる道徳心と闘争心が燃えるのであった。 思い出したのであるが、神戸にも、非常に難しいバーがある。気に入らなければ、追い出されるというバーである。今の所、3勝1敗である。2回目行った時に、入って「ビールちょうだい」と言ってしばらく、店主は考えて「知らない貴方にそんな言葉使いされる覚えはありません」といわれた。きっと、冗談だろうと思い、よっていたこともあり、「ん?あ、ビールいただけますか?それに初めてじゃないですよ」といったのであるが「もういいです、出て行って下さい」といわれた。「何か気に障る悪いことでもしたかな」と頭の中が?の3乗ぐらいになったが、店を出てから、憤慨した。あんな態度の悪いバーなんか潰れてしまえと本気で思った。 しかし、時間がたてば、ノー天気で心優しい私は、そんな恨み以外のことはすぐ忘れチャレンジ精神は残されたままになっているのである。何人かの他店のバー店主と飲んでいたときである。その店主は言った。「結構、私たちべろんヴロンになってるよね。肝試ししようか」といい、その店に向かった。どうやらその店では、バーというのに、酔って醜態さらすといけないのである。店の前で、我々は、ネクタイを締めなおし、目配せをして気合を入れた。そしてドアを開き「こんばんは、マスター」といって入っていった。そのとき、この店のルールを知ったのである。(初めて行った時には気がつかなかったが)店主が声をかけなければ注文してはいけない、というより、飲むものは店主が決めるといった、極悪ルールだったのである。我々は、今にも倒れるほどに、フラフラになっているのに、背筋を伸ばし、後ろからみると、怒られて立たされた生徒のようであった。我々は店を出て、「あー緊張したなあ」といって大笑いした。マゾの店とは知らなかった。リラックスして飲むのが旨い酒と誰もが信じている基本的お約束を反故にする由緒ある店であった。残念ながら、もう行きたくないと思った。 しかしながら、また後輩と飲んでいて、かなり回ってしまい、また肝試しに行ってしまった私は、いいカモである。後日、その出来事を酒の肴にするために・・・てな訳で、サワッディー ピー マイ(タイ語)、ボンナネ(フランス語)、シュチャストゥニー ノヴィー ロック(チェコ語)、シンネンハオ(中国語)、フェリス アーニョ ヌエボ(スペイン語)、サーレ ノウ モバーラキィ バシェ(ペルシャ語)、タシデレ(チベット語)、マリガヤン パスコ アッ マニゴン バーゴン タオン(タガログ語.)、クナシンニョン(朝鮮語謹賀新年)フロニャ ポラ(ギリシア語)、プロージット ノイヤール(ドイツ語)、ボン カポ ディアノ(イタリア語)、イェニ ユルヌス クトゥル オルスン(トルコ語)、サラマット サトゥ タフン(インドネシア語)てな訳で、先程の文章を英訳して和訳して英訳しなおして、和訳しなおしました。(意味なし)思い出しましたが、非常に難しいバーが神戸にもあります。 それが好きでないなら、それは消費されたバーです。 勝利1が壊れるのは、3です。 …今日、Itは、Itが二次的に、行くかもしれなくて、「それがそのような単語が知っていなかったあなたによって使用されたと思い出されていないこと」がしばらく思うことによって店主によって示されたように、入りました。 確実に、私は、それがパワーの冗談であると思います。 または、Neither、缶、遭遇、およびあなたが入手するビールItはそれで1番目です。 ". それは向上するでしょう。 出かけてください。 Say.Doesとそれ: Itがそれの後に飲みに外部まで行ったと言われて、ヘッドの店は示されました。 「あなたは悪い状態で何らかの自然を擾乱することによって、そうしましたか?」 それはそうでした。およそ3乗法になりましたが、憤慨しました。 そのような態度が悪かったバーが崩れなければならなかったとき、私は重要性について考えました。 のん気が時間が経過するならチャレンジ精神である間、どのように残るとしても、それはすぐ去られます、そして、忘れられているのが、そのような恨みの除外Watashiです。 ..お願いします。心優れてください。 それがそうである時です。それ。 店のバーの店主はいくつかを除いています、そして、それは酔っぱらっています。 店主は言いました。 「かなり、それは私たちのVronになります。 人の勇気をテストしましょう。 」そして、それとそれは解決されていて、面していて、店は噴出します。 明らかに内部になってください、恥さらしの振舞いでバーで毒を入れて、買い物をしてください。 それが見て、見ないようにふりをされて、私たちは、再び厳しく人に接して、店の正面で気合を入れました。 そして、それ。それの獲得… 平らになってください。利益を得てください。注意。crack.Door。 ..それは、始まって、入ります。 その時、それはこの店の規則を知っていました。 (しかしながら、あなたが初めて行ったとき、それは思いやりがありませんでした。)極悪規則がそれであるなら、それは嬉しいのが作られました、そして、店主も店主もそれを呼ばなかったなら、飲み物のためにそれ、注文、および依存について決めました。 秋までに私たちはFrafraでしたが、何時にそれで立腹するようになるか、しかし、私たちはそれがそれが後ろから見られている間、人の背骨を真っすぐにして、立つのが作られた学生です。 それは置かれました。 それは私たちが見せられた店から行きました、そして、それでは、「互い」で大笑いしました。 それに関して、それはそれのためにマゾヒストについて店を知りませんでした。 それに関して、信じられている店の美味しい日本酒が紙くずにあって、歴史がそれを緩和して、飲み終えたので、それは予想されました。 そのIがした私たちの後悔、Iが、思った基礎…Toはもうそれに入りたがっていません。 それは飲まれます、そして、それを作る私がかなりターンします、そして、しかしながら、勇気をテストします、そして、いいカモを変えます。 出来事を風味と酒の後部にしてください。
2006.01.03
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大晦日は忙しいのである。大掃除に正月の用意に見てないDVDの鑑賞に読みきれてない本の整理に挨拶の準備に年賀状の作成に。そんな訳で、世間は大忙しであり、飛行機の乗車率は20パーセントである。まるで私が暇人のように見えるかも知れないが、日々は企業戦士ゴッコをしていてスコブル忙しいのである。こういった日記も寝る時間を削って書いているのである。大掃除もDVDの鑑賞も読書も本の整理も挨拶も年賀状の作成も寝る時間を削って行われているのである。多分。 機上の人としての私は、急遽、100円で買った古本九州1周ガイドブックを見て柳川に行くことにしたのである。このガイドブックの以前の持ち主が大変熱心な書き込みをしてくれているおかげで「ここは時間があれば行く」とか「ここで絶対食べる」とかという情報が長崎のコーナーだけ満載されているので、ちっとも参考にならないところが味噌である。いや醤油並である。 そんな訳で、福岡空港から4駅、天神より、西鉄に乗り換えて45分間の電車の旅になった訳である。勿論福岡は数回行ったことがあるが、西鉄はバージンであった。 柳川といえば、川めぐり(正確にはお堀巡り)である。あるといっても、知ったのは機上でであるが。私の頭の中にだけ最新の情報を備蓄し、乗船料1500円を手に握り締め、柳川駅を降りると、「川巡りはこちら」というプラカードを掲げた兄ちゃんが立っていたので、その兄ちゃんには見つからないように、観光客とばれないようにその場を密かに去った。勿論、ディパック1つの私であるから、その風貌からシテきっと地元民と思われたであろうと、想像した。 幾つかの会社が経営しているようで、適当にその一つに行くと、先程のプラカード兄ちゃんが立っており、「あなた先程駅で見ましたよ。行ってくれれば車で送迎しましたのに」と笑顔で言われた。しまった、ばれていたのか、地図を抜き取っていたところを見られたか、チッと思ったが、彼の戦略にはまることにして、コタツ付舟に乗り込んだ。 そんな訳で、船頭さんの厳しい説明を耐え抜き、約1時間ばかりの行程を難なくこなし、程よく寒くなってきたことも幸いし、名物であると思われる鰻を食べに行く。東京にいた頃、取引先の人々は何かあれば「鰻食いにいきましょう」という。大阪で「焼肉いきましょう」や「河豚行きましょう」と同じ感覚なのかもしれない。ちなみに鰻の季節はやはり今なのである。有名な話であるが、夏に鰻が売れないので、勝手にドヨーのウシちゃらなんちゃら言って宣伝こいたのはエレキテルの平賀源内である。商売人だったのだろうか。暑い時に鰻食ってどうするアイフル。といいながら、おごりならいつの季節でも鰻を食うのである。 柳川城跡は学校内にある。まるで篠山城内に篠山鳳鳴高校があるかのようである。(マニアックである)兵庫県高校駅伝のスタートゴールだから知っているまでである。城跡といってももはや何もない丘になっているだけである。勿論誰もいない。そこがシブイところである。 柳川には工場工業がほとんどないそうである。御花西洋館は改修中である。よって休館である。 先日の松山の正岡子規に続き、北原白秋である。邪宗門である。思ひ出である。夢殿である。生家兼記念館は休館である。日本一の干満差(6メートルぐらいか。離れていても諫早湾締め切りのせいでそこまでなくなったとか)というが、川沿いの船も土の上に乗っているのが楽しい。
2006.01.03
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福岡空港は日本で一番便利な空港であると実感した。博多まで2駅、天神まで4駅、DAKARA,地下鉄、疲れないで床に座らないでおくれよ~。イエイ、人権守る君だぜ。西鉄シブイぜ。楽天KCって何や、カードでっか。試験に勝つ!しかし、試験前日に食べると胃にモタレソウデす、それにもめげずに渇!私の強力な鬼畜系読者兼評論家である郡山ハルジ先生、が好きそうなネーミング。いかがですか、輪毛尻巣、ご一緒に食べませんか、オーロラなんか見に行ってないで。何を隠そう、郷土料理、はなたれ、である。私は、正直、九州で、泣いた。ムム、何か分からぬが、変な窮屈そうな体制で屋根に転がっている物体を発見。手前の家がパンツシャツ各1枚の男やもめ、チョンガースッパーリアリズムである。その家の庭に鳥居があるのがちょとだけおっしゃれ~。笑顔は三文の得金はまだ集まってないの。嵐が、いや、トイレが俺を呼んでいるぜ。ありがたや、涅槃。スリーピングブッダ。何となく墓石がさりげなく乱雑に立てかけられていたことも追記しておく。しかし、このブッダ、全然、目がイッテなくて、性悪な893目ではある。 ムツゴロウのネーミングはさておき、「こ」の点々が目玉なのと、「う」が尻尾なのが、ルイビトン的ななでにお洒落さんである。てな訳でムツゴロウってこんな感じかな。貸し本屋については、私の世代では見たことがない。ネジ式スッパーリアリズムのつげ義春の世界である、が、看板があまりリアリズムしてないのが、残念。テレビラジオでは残念ながら全国的には有名ではないようである。頑張るぞ有明海。諫早湾を開けろ!モスクワは涙を信じない・・・同様に、大阪人はこのたこ焼きを信じない・・・
2006.01.02
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ことしもよろしゅう
2006.01.01
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