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前にも書いたような気がするのだが、記憶が定かでないので、もう一度書くことにした。私は、その朝、マニラ空港に行った。そして飛行時間4時間を経て、成田に着いたのである。今日の目的は、このまま関西に戻ることでなく、東京のどこかへ行った。どこか分からないのは、記憶が定かでないからである。とにかく喫茶店に行って、再開したのであった。その喫茶店に集合したのは、北海道からHさん、関東からY君とSさん、そしてマニラから私であった。以前にも書いたが、詳細の内容は違っているような気がするのである。何を隠そう、風任さんのこの日記に出てくるペインターSさんとこのSさんは同一人物であることは間違いない。 久し振りに会うというのに、その中の誰かが、大丈夫だったかと聞かれたのであった。24時間前マニラに向かうタクシーの中で日本人が銃で撃たれたというのである。タクシーごと強盗であった。 その集まりはなんだったかと言うと、チベットのラサで出会った即席メンバー、ガンジャフライヤーズの面々であり、風任さんもそうであったのだが、彼女は中国に言っていないということであった。(てっきり指摘されるまで合流したと錯覚していた) そこで、どんな秘密会議が催されているかというと、内容はすっかり忘れてしまったのであるが、メンバーの1人チンタオTさんが、川口に住んでおり、足を骨折しているということを聞いたので、皆で見舞いに行き、そのまま、泊めて貰おうという図々しい企画が誕生し、我々は川口市に向かった。どうやって行ったかは定かでなく、彼とどこで会い、家がどこだったかよく分かっていないのだが、夜になり、何だか田舎スナックに飲みに行った。そのとき、生まれて初めてカラオケで唄を歌ったのであった。 何故歌ったのかは分からない。記憶も定かでない。ただ、歌った歌は「異邦人」であった。「おっ、モンゴリアンが歌っているぞ」と言ったのはチンタオTさんでもあった。何を隠そう、アダナはモンゴリアンだったのだ。何を隠そう、辮髪していたからに過ぎない。 俺はカラオケなんか歌わないと公言していたにもかかわらずである。その後、はまったかというと、やっぱりカラオケはあまり好きになれないまま、現在に至るのである。 翌日、また別の人物(当時京都在住)とアルタ前で待ち合わせし、何故か、川口新宿間の時間を見誤り、1時間遅刻したことをここで、謝っておく。 偶然といえば、すごいのだが、中国の上海でわたしのことをアニキと呼んでずっとついてきた当時名古屋の高校生が、その後数年ぶりに関西に来ていると電話があり、いろいろ話していると、前日マニラで銃で撃たれたのは、彼の父であったということが分かった。 そんな訳で、キューポラのある町を先日観た。
2006.11.30
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自分探しが、昔から流行である。何か気取った感じがしているが、吉田ルイ子ファンでもあった私は、それはそうと思っていたのだが、自分探しなんて、大嘘で真っ平なのである。何故、自分が分からなかったり、見つめなおしたり、探したりしなければならないのだ。そんなことしたって何もない空っぽの自分が分かるだけではないか。 それとも、フロイト風に精神分析的に見ろというのだろうか。しかし、今となってはフロイトの学説も風化しているし、性的抑圧だのリビドーだのあまりに知れ渡っていて、「そうだったのか!」なんていう人は、少なくとも、少し学がある人なら知っていて何の感動もない。 そrえとも、出生の秘密を探ろうと言うのか、先祖を調べていこうというのか。まあ、それは、自分探しというより、自分の血統探し程度であろうか。 まあ、自分探しというのは、いったい何をしたらいいのか分からない、夢がない、このままでいいのだろうか、大変だ、今の自分は本当の自分ではない、といった類のことであろうか。そんなことは、30も後半に差し掛かった私でも、今でも、正直思っているのである。 いったい何をやりたいのか分からないというのは、単純にやりたいことがないだけなのである。或いは、ヤリタイことを調べたり、それに突き進んでいくのが面倒だったり変化していくのが怖いだけなのである。自己実現する自己など、そうそう普通の人間が生来持っているわけでもない。突き詰めれば、やりたいことなど分かりたくないのである。分かれば虚無の自分を知り、ショックを受けるだけである。 自分探しより、面白いもの探しの方がよっっぽどましである。本当の自分などない凡庸な自分を意識して、面白いものを探すと良い。 つまるところ、自分が分からない人は、人に自分のことを聞いて欲しいだけである。それでいいではないか。
2006.11.29
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1986年頃だっけ、その頃に日本で公開された「ストレンジャーザンパラダイス」を見直した。当時は、大学生になりゲ-ジツなるものにちょとだけ目覚め始め、分からないなりにフンフンフムといいながら、感性だよなやっぱといいながらも、理屈や理詰めや知識でいろいろ鑑賞したりしたものだった。多分、今でもそうで、芸術のことなんかちっとも分かっていない。 そこで、「ストレンジャーザンパラダイス」は、何かが起こりそうで、結局何も起こらないという淡々とした映画で、当時の私の中でも淡々として何も分からなかった。まあ、少しカナシズムがあったか。まあ、結局はカンヌ映画祭でどうのこうのとか、評論家の絶賛とか、「パリテキサス」の余ったフィルムで造ったとか、そんな理由で見た訳であり、白状すると、特に何も分からなかったのであった。 でも、私はちょっと気取っていたりなんかして、「どうだった」なんか聞かれたら、一応それなりの解説なんかして本当にただ気取っていただけで、「俺も見たけど、ホントわけ分からんかったよ」と言われた暁にはギャフンであった。 ただ、憶えていたセリフはあった。「新しいところに来ているのに、前からある風景と同じようにみえる」というセリフと「ここまで来てまた前と変わらないような部屋なのね」というセリフであった。はじまりはニューヨーク、でもエンパイヤーステートビルも5番街も自由の女神も何も出てこない、最後のマイアミもその辺にある浜辺と何の変わりもない。中間シーンの都市ともなれば、もうどこにでもある同じ田舎町。そして、それぞれの部屋がほとんど変わらない。 今、日本にしたって、どこであろうが、変わらない、どこに住もうが同じような部屋。退屈な天国より何だか不思議・・・
2006.11.28
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時効なので隠者の告白として告白するが、中学校の時、全国的に流行っていた犯罪であるのだが、ワル友達が、5円玉にセロハンテープを巻き、直径及び重さを100円玉に似せ、インベーダーゲームをしている奴と代わってもらったことがある。そいつの腕はなかなか職人的な腕を持っており、セロハンテープ対策がされても、百円玉糸釣り、そして、ガスレンジから取ってきたカチカチで機械をおかしくするなど、様々な犯罪に手を染めていた。何を隠そう私も、あるゲームセンターのある1台がずっと鍵を閉められていなくて、台をあけることが出来、こそっと開けてリプレイし、何度もギャラクシアンをした経験もあり、ギャラクシーゲームに関してだけはプロ並の腕を誇っていたのであった。 しかし、言い訳は言い訳であるが、単なるゲームがしたい一心で世の中のチュウボウ達は5円玉変造に励んだのであるが、時代が変わり、以前、韓国500ウォン(=50円)が日本の500円玉と直径が同じで、重さが変わらない(0.2グラム程削る)ということに目をつけてスゴイ勢いで自動販売機が遣られた時期があった。場所によっては2割、3割も被害にあったところもあり、500ウォン入れて返却ボタンを押して500円を出すのに、1分で1万円ぐらい儲かるのであるから、これはスゴイ勢いで流行った。でも、考えれば、自動販売機を開けた店主はどう思うのだろうか。泣くのであろうか。多分、想像するに、多くの自動販売機の持ち主やメーカーの担当者は、500ウォンを握り締め、他の自動販売機で500ウォンを500円玉に替えるというババ抜きゲームが横行したような気がする。 それにしても、いくら硬貨とはいえ、お金の変造はすんごく罪が重いのである。この場を借りてワル友達にことをお詫びする。ついでに北朝鮮も詫びて欲しいものだ。しかし、自動販売機メーカーにとっては取替え(その後500円玉も変わった)特需があったのだなあ。 追記:その3年後(私が高校生)の冬の寒空のある朝、ワル友達は、私の家に女を連れて来て、「悪いけど金貸してくれないか」と言って寒くて震えていた。薄着だったのが悪いのだろうが、唇が紫になっているのをみて慈悲心が芽生え、300円程貸してあげた。勿論、還って来ない。その後、彼は893になったと風の噂で聞いた。
2006.11.27
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サンジェルマンデプレでコーヒーを。 実は、水曜日に少し飲んだんだが(ビールジョッキ4杯、2件目でビール1本、シングルモルトロック、シャンペン4杯)、その日は文庫本を読みながら、電車で帰ったのだが、何故か翌日軽い二日酔いになっていた。昨晩、実は夜の10時から4時まで飲んだのだが(ビールジョッキ8杯、ショーチュー不明杯)、朝も早く目覚め、えらく元気だった。体調によるのだろうか。 最近、トロリーバッグ(ガラガラ引きずりバッグ)の人々が急増している。ふと、ある日、海外旅行行く人急増かと思いきや、会社に訪問してくる仕事人にもチラホラ見え出した。何だか、若い人がひきづっているのを見ると、何だか体力落ちてるのかなあと多少日本の将来を憂えるんである。 今週は、久し振りにフィリピンで狂犬病に感染した人が出たのだが、確かに野犬が多い多い、犬猫人間と、暇なのか、ボンボン子供を産みながら、うろうろうろついている。そういえば、昔、山にクワガタや蝉採りや土筆採りや野いちご狩りに行ったが、野犬に注意してバットなんか持って行ってたこともあったなあ。 ダギリチさんのを読んでて結婚時代を思い出した。 その日、家に帰ると、玄関で仁王立ちしている元嫁がいた。「このマックスマーラ、何故洗濯したのよ。縮んでしまったじゃない!」「すみません、弁償します」「ロンドンで買ったのよ、ロンドンまで買いにいくつもりか」ボクは黙って財布から3万円(足りるのか?)渡した。親切心から洗濯しても、親切にはならないのである。その後、また違う衣類をうっかり洗濯してしまい、縮めてしまい、またしばかれた。私は、ちまたにいる悪意のない厄介な単なる親切な迷惑な人なのである。原付10円
2006.11.26
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メモ帳CD借りすぎ道路に張り付いたお金
2006.11.25
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ヨーロッパに行くとですね、度々、ジプシー(今は一般的にロマと呼ばれる。ロマニー語を話すが、話せない集団もいっぱいいる)の子供に付きまとわれることがしばしありますね。インド体験をしていると、このぐらいの取り付きぐらいなら平気なのですが、インド辺りに行っていない人の中には、ジプシーにびびりまくるという日本人もいるのです。日本には、ロマはいないので、差別も何もなく、むしろジプシーキングスなど、音楽面で概ね好意的にみられていたりなんかしますね。 ジプシーはエジプシャンが訛ったものだとされてますが、起源は良く知られているように、インド北部辺りから流浪してきたと言われてますね。自分たちはロマ(人間という意味)と呼んでいます(一部は嫌がってもいますが)がですね、ほら、スペインじゃヒターノ(自分たちのこともヒターノと呼びますね。アルハンブラ宮殿の対岸の山の上の方のアルバイシン地区の洞穴に住んでいたのを目撃したのが印象的だったなあ)、フランスじゃジタン(ほら、タバコのジタンね、図柄はタンバリンか何か奏でているシルエットのタバコね)、ドイツじゃ、ツィゴイナー(ほらツィゴイネルワイゼンね)とか言われてますね。 何せ、定住化を好まないのか、どこでも差別されるから定住化できないのか、迫害に告ぐ迫害の歴史であるのですね。イギリスなんかじぷしーなら死刑という法令もあったし、ナチスの集団殺戮は酷いものでしたね。ユダヤ人は集団的で、知識人教育のある人も多く、今も戦争犯罪を問い続けているのに対し、文字を持たないロマは記録も残さず、ばらばらであるので、民族の悲劇を高らかに叫ぼうとはしていないのですが、実質、人口の2割から3割ぐらいの50万人が虐殺されたとされています。ここ最近やっとロマ連盟のようなものもでき、ヨーロッパ各国もいろいろ認めつつあるようです。 まあ、そういうことでですね、今夜はロマの人々に伝えられるジョークを紹介して、あたしは眠りの帰途につきたいと思います。 ロマの親子が川へ釣りに行き、父親が金の魚を釣り上げた。金の魚は「3つの願い事をかなえてあげよう」といってくれたので、父親はまず「私を白人にして欲しい」といった。そして2つめに、「私の妻も白人にしてくれ」といった。そして3つめに「ベンツが欲しい」と父親が言った。そこで母親がびっくりして、「あなた、私たちの子供のことを忘れているわ」とあわてていった。父親は「何いっているんだ、あんなのはただの汚いジプシーじゃないか」共産党とロマ共産党に入党したいロマが面接を受けに来た。面接官はマルクスの写真を見せて「コレが誰だかわかるかね」ロマ「わかりません」面接官はエンゲルスの写真見せて「コレが誰だかわかるかね」ロマ「わかりません」面接官は呆れて「やっぱりジプシーなんてこんなものだ」と言った。ロマは、ポケットから1枚の写真を取り出して「コレが誰だかわかるかね」と言った。面接官は「分からない」というと、ロマは誇らしげに言った。「この男はラツィ、我らの偉大なバイオリニストさ」インド人とアラブ人とロマが3人で旅行をしていて、1軒の農家に泊めてもらうことになったが、ベッドは2つしかなく、1人は納屋で寝なければならなかった。インド人が「じゃあ、私が納屋で寝ましょう」と納屋に行ったのだがすぐに帰ってきた。「納屋に牛がいました。、我々インド人には牛は神聖な動物、一緒に寝ることは出来ません」そこでアラブ人が「じゃあ、私が納屋で寝ましょう」と納屋に行ったのだがすぐに帰ってきた。「納屋に豚がいました。、我々アラブ人には豚は不浄な動物、一緒に寝ることは出来ません」そこでロマ人が「じゃあ、私が納屋で寝ましょう」と納屋に行ったのだが、牛と豚が帰ってきた。「納屋にロマがきました。どうかここで一緒に寝させてもらえませんか。とてもじゃないが汚いジプシーと一緒には寝られません」川沿いの家
2006.11.24
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俺は、隠すわけでも何でもないのだが、後輩と今日のみにいた。1件目は超安い居酒屋1人2,000円コースである。 おめえよー、全ての条件が一緒で右利きの女と左利きの女のドッチがいいよ、というあられもない質問をしたら、「そうですねえ、ボクは左利きなんで右利きがいいですね」とちっとも論理的でない答えをしておった。そして。「おめーよー。全ての条件が一緒で、バツイチの女と、そうでない女とどっちがいいよ」と質問すると、「そうですねー。自分の嫁をバツイチにしたくないからそうでない女がいいですねー」と全く論理的でない答えが返ってきた。「何の質問なんですか。あなたはどうなんですか」といわれ「俺は、同じ条件なんだから右利きであろうと左利きであろうとバツイチであろうと○いちであろうと関係ねーよ」というと、@ああ。そういう答えがあるんですね、そりゃ関係ないですわ。無理矢理答えて損しましたわ」とノタマッタ。 以上、ヘベレケ報告おわり。
2006.11.23
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人類が初めて立ち上がった時、目の前にいた宇宙人か神様かまだ立ち上がれない猿が見ていた。初めて立ち上がった人類は、何となく恥ずかしくて隠した。顔を隠さず、性器を隠した。それ以来、今まで、いやらしく厚顔無恥な顔を曝したまま、いろんな表情があるだろう性器を隠したまま、人類は突っ走ってきた。寒空の中でさえ、街を歩いていても、皆、顔を突き出して歩いている。顔には変に形作った髪の毛を乗せたり、油を塗ったり、金属をつけたり、鼻の上にガラスを乗せたりして澄まして歩いていたりなんかする。満員電車に他人の人格を認めず、我慢しながら服を媒体に体を擦り付けあったりしているのに、その上に裸の顔がちょこちょこ乗っていたりなんかしている。人格を消しているものだから、皆、無表情で、デスマスクのようであるのに、知り合いに会うと、いろんな表情をナマのまま見せていたりなんかしている。短くも長い人類の歴史で、人は、顔の違いで、人を見分けることができるようになった。人は、顔である!ということも言えるようになった。顔に性格や人生までが浮き彫りになるようになった。その間、服の中に隠された性器の表情はこの何万年にどう変化したのだろうか。 人類が、初めて立ち上がったとき、羞恥心で顔を隠していたならば、今頃、いろんな性器を見て、その人を判断する世の中になっていたのだろう。人は、性器である!きっと偉大なる詩人だけでなく、市井の人々もそう叫んだことであろう。でも、私の予測する所、そうなっていれば、陰毛は、髪の毛並に伸びるのが当り前で、性器そのものはそう簡単に見えないものだったかも知れないのである。それに、おそらく、人類は白人至上主義でなく、アフロヘアの大御所黒人の天下であっただろう。
2006.11.22
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オフィス街というところ、歩いていてもつまらない。そこは、金で金を売る或いは吸い上げるだけの場所である。世界中どこに行っても、魚屋は魚屋と分かり、パン屋はパン屋と分かり、花屋は花屋と分かり、乾物屋は乾物屋と分かる分かりやすさが良い。 ロンドン郊外のグリニッジに近い町に滞在したことがある。町の規模は小さく、端から端まで歩ける等身大の大きさが心地良い。その町には、町に1件の不動産屋、町に1件の金物屋、町に1件のフレンチレストラン、町に1件のインドレストラン、町に1件のタイ料理屋、町に1件の果物屋、町に1件の八百屋、町に1件の本屋、町に1件の靴屋、街に一軒の眼鏡屋・・・それだけで自足しているイメージ。歩いていると心地良い。軒先に商品を並べている光景は、原風景という感じである。 食べ物、着物、乗り物、金物、置物、履物、そういったモノと密接に私たちは暮らしてきた。今は、壊れたら捨てる、捨てる方が修理するより安く済んでしまうということなのだが、それでいいのか。何かに騙されている気がする。金銭的経済効率だけでいいのだろうか。 サランラップの代わりに、別の皿で、蓋をして冷蔵庫に余りモノを仕舞いながらフト思った。藻が、日本地図か
2006.11.21
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昨日、うっかり、大學OB総会を忘れていた。夜中にへべれけの同輩から「今日はどないしてん」とヘベレケ電話があった時には、夢の中であった。簡略していうと夢中である。意味変わっちまったよ。 とにかく、先日、渡辺権のアルツハイマーになる映画なるものをみたが、結構、ただ事ではないような気もしてくるのであった。健忘症の気は昔からあるし、昔の物事は覚えているのに、昨日言った事を忘れたり、曖昧になることも多いのです。 こうこうこういいました、と言われると、いつも、そんなことやってませんとか言ってませんと強く言えないのです。やばいです。 といいつつ、そうやって病気のせいしようとするよわっちい自分です。リンゴプリン520円。
2006.11.20
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塚本君、駄目ッよ、まさか、こういうのはなかった。ところで、私は誓いを立てました。京都日本海の天橋立、佐賀県の虹ノ松原、そして日本3大松景である宮城県松島に行く計画を立てました。(ついでに、人の人生を辿る第2弾、仙台ハルジというのもあるにはあるのだが、本気で、こんなことでキミの人生いいのですかと心斎橋さん(第1弾の人)に指摘されているので、躊躇してたりなんかもする、なーんちゃってカクカク) 子供の頃は、家に帰っても近所に学年関係無しに、戦争ゲーム(基地から泥の球を投げあう)や、野球をしたりドッチボールやサボテン(陣地盗りゲーム)をしました。年上がリーダー的な存在で、いわゆるガキ大将のようなもので、弱い者いじめは公然とありましたが、陰湿にはなかったです。勿論、知恵遅れの子もいて、皆、モロ子供なので残酷にもからかいながらも、一緒に遊んでいました。親は、子供の遊びに関知してなかったけれども、親父とキャッチボールをしたら、軟球なのに、素手で受け止める、というだけで、大人ってスゲエんだなあと感心しておりました。ともかく、核家族化で、今は親もストレスなんでしょうが、こんな状態では、子供も自然に親がボケてきたり弱ってきても面倒を見ないのではないかと思っても来ています。それにしても、過剰放送はやめて欲しいです。
2006.11.19
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30余年も生きてくると、人生には不思議なことがあるものだ。といっても7不思議ほどに数もないのだが、4つ目を思い出したのである。 あれは、結婚もしていた数年前のことである。当時は、自宅に自転車を2台も所有していたため、車は持っていなかった。遠出は専ら、自転車か、電車、最終電車がなくなったらタクシーか誰かに送ってもらうというような生活を送り続けていたのであった。幸いにも駅から3分のところに住んでいたので、駅まで行くのは、自転車を利用せず、専ら健脚な我が足を使っていたのである。 しかし、買い物や、クリーニングの際には、駅の裏側に行くので、自転車を利用していたのである。そんなある日、自転車を盗まれたのである。端的に言えば自転車泥棒である。イタリア映画の題名にもなっているほどである。鍵をつけっぱなしにしていた私が悪かった。 その自転車は、フランスのリヨンから留学してきていたパトリス君が日本滞在時に乗っていた想い出の自転車で、彼の置き土産でもあった。自転車のフレームには、「ぱとりす号」と気障にも書かれていたのであった。 しかし、昨今、自転車を盗られたら諦めるのである。しかしである、自転車を盗られてから1週間程度たったときのことである。私は、夢を見た。駅前の自転車が乱雑に置かれている裏側にパトリスの自転車が捨てられている夢を見たのである。 そして、翌日、私は、会社帰りに、その場所に行ってみたのである。そして、まさに夢に見たそこに自転車があったのである。鍵もついていたのである。正夢だったのである。もし、科学的に考えるとすれば、前の日に、偶然そこを通りがかっていたのかも知れない。しかし、人間には視聴覚に瞬時に恒常的に大量の情報が入ってきており、そこから取捨選択して知りたい情報だけを抜き取ったり、見たり聞いたり都合のいい情報だけを抜き取っている。それでなければ、情報が多すぎて狂って仕舞うからだ。しかし、そこは、潜在意識に情報は刷り込まれていたのかも知れない。その潜在意識と、自転車への想いが夢にて結合されたのかも知れないのであった。 このことは、ずっと忘れていたが、昨日、野外レストランで14万円を請求されて、ヤクザオーナーに怯えながらも、ぼったくりに抗議している夢を見て、がばっと起きて、そういえばこんな夢もみたなあと急に思い出したのである。自転車をタイの海に沈めたこともある。ちなみに以前にも書いたが、その他3つの不思議は以下の通りである。詳細は日記のどこかにか書かれている。1. 台風の日に泳ぎに行き、大波にさらわれ水中眼鏡が吹き飛んび、手足をばたばたさせると、手につかんだのがまったく知らない水中眼鏡だったこと。勿論、誰も泳いでなんかいないし、水中眼鏡が浮いているのもおかしい。2. 東京に出張していたときに、大阪の経理部に郵送で書類を送ったら、郵送物の中に、病院の患者のカルテが一緒に入っていると、経理から電話があった。その病院名を聞くと、近くの精神病院であった。3. 田舎の実家の近くにある公園の砂場のあるコーナーに砂を盛って、しばらく待ち、掘り起こすと、何故か100円がでてくる。何度やってもそのたびに出てくる。従兄弟が仕組んだことかもしれないが、数日にわたって続き、1万円くらいになったので、小学校低学年の従兄弟がそんな馬鹿なことをするのだろうか。それに従兄弟がいなくても自分でやって、暫く待ってもまた100円が出てくるのであった。
2006.11.18
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以前にも書いたが、子供の頃はテレビ漫画やヒーローモノが好きな子供らしい子供であったのだが、それは純粋無垢なものであった。それにしても、ショッカーの戦闘員はよわっちいのである。絶対仮面ライダーに負けるに決まっているのに、怪人は仮面ライダーに向かっていくことを命ずる非常な奴である。気の毒である。あれでは、生身の人間より弱いほど気の毒である。仮面ライダーは容赦しない。怪人ひとりにつき10人くらいの戦闘員がついているが、速攻でやられる。バロムワンのアントマンも、キャシャーンのヤルチェブラッキンも速攻でヤラレル戦闘員達である。悲壮である。はっきりいって、仮面ライダーは怪人以上の殺人鬼である。(戦闘員が人として認められていたらだが)おまけに戦闘員は時々、怪人に実験台や逆鱗に触れ、リンチで殺されてしまう。何と、ショッカーや怪人達は、罪なき人々を何十人か殺しているのだが、その間に、その1/4近くはリンチによって戦闘員を殺しているのである。戦闘員が何人いるのか知らないが、50億人の世界人口を制覇するには、12億5000万人ぐらいのショッカーがいないと、身内のリンチでショッカーがいなくなってしまうのである。つらいのである。私の考える所、ショッカーの人員は数百人から多くても10万人くらいではないだろうか。それでは、40万人の人類を殺した時点でショッカーは人員がいなくなるのである。勿論、子作りしたり、改造したりで戦闘員は増産されるのかもしれないが。 気の毒である。怪人も戦闘員も脳の外科手術を首領に受けているのである。マインドコントロールどころではない。責任能力はないのである。きっと裁判も不起訴だ。ところで、仮面ライダーシリーズでは、アマゾンである。 生後まもなく飛行機事故によって南米アマゾンで両親とともに遭難した日本人山本大介。23歳。大自然の中で動物とともに育ったため当初はほとんど言葉を話すことができなかった。 高坂博士の知人であった立花藤兵衛、高坂博士の甥・マサヒコや姪・リツ子からは「アマゾン」と呼ばれており、山本自身も自分の本名を知らぬまま成長していたため、周りから呼ばれるままに自身のことを「アマゾン」と称していた。山本大介(アマゾン)の怒りが頂点に達し「アーマーゾーン!」と叫ぶことで仮面ライダーアマゾンに変身。アマゾンの変身は「もがく」ように腕を動かしながら「アーマーゾーン!!」の掛け声で目を赤く輝かせ、光の中で姿を変えるというものである。日本語を喋るようになっても変身プロセスには変更が無く、変身に際してこれといったアイテム使用の描写も無い(恐らく変身にはギギの腕輪の力が影響していると考えられる)。 アマゾンライダーはマダラオオトカゲをモチーフとしており、相手に向かって高くジャンプした後に、腕や足についたヒレで相手を引っ掻き、切り裂く必殺技「大切断」を得意とする(一応、アマゾンキックとスピンキックというキック技も持つ)。ジャンプ力80m。能力的には敏捷性に偏ったスピード型のようである。彼の戦いを目撃したマサヒコから「仮面ライダー」の称号を送られる。
2006.11.17
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聖徳太子あたりから日本が統一されたとすれば、1500年も日本人は、北海道や沖縄は別にして、ずっと定住しているのです。それから1500年間の間に、外国との戦争の期間は日露戦争、日清戦争から第2次世界大戦の終わるまで以外には、百済に出兵した白村江の戦いがあり、それから900年後、戦っていないが元寇があり、その後、秀吉が朝鮮に3年出兵し、もう鎖国であった。何と、1500年間に60年程度しか戦争をしていないのです。以上、ニッポン自慢です。 かたや、例えば、イギリスである。紀元前からシーザーが遠征して以来400年間ローマの属国であり、その後すぐゲルマン民族大移動で、300年ぐらい各地に出鱈目に王国ができたのです。その後、デーン人(バイキングね)が押し寄せてきて(ゲルマン系第2弾)、200年ぐらい混乱し、紀元後1000年頃にはフランスからノルマン人が攻めてきて300年居座った訳です。現在のイギリス王室貴族上流階級はこの末裔なので、フランス系なのです。飯はフランス料理です。そのように乱れ乱れた歴史であり、ひいおじいちゃんの時代から、自分が生まれて死ぬまで、そして孫の世界になっても戦争は続いていた訳です。そして帝国主義で、攻めてこられたわけでもないのに、世界を勝手に取って行ったのです。オランダ人(ボーア人)が農民としてしこしこ南アフリカで耕していても、ダイヤモンドが出ると知るや、勝手にボーア戦争、勝手にセシルローズ、勝手に征服です。以上、イギリスの悪口です。 フランスと言えば、芸術の国!ということなのですが、プロデゥースがうまいだけなのですね。ピカソ、スペイン人。シャガール、ロシア人。ミジリアーニ、イタリア人。フジタ、日本人。あれれ、フランス人芸術家は?フランスは9割以上が国立大学で、大學の先生になるにはフランス人でないと駄目なんです。もしこの国籍条項を外すと、優秀な外国人に占領されるでしょう。フランスは拷問で有名です。フランスはムルロア環礁やアルジェルアで200回以上原水爆実験をしている野蛮な国です。武器輸出も盛んです、世界3位の死の商人国家です。以上、フランスの悪口です。 日本は、奴隷制度がなかったです。奴隷制度といえば、アメリカですが、エジプト以来、ほとんどの国で奴隷制度はあったのです。イギリスやフランスもつい最近まで奴隷の法律があったのです。勿論、中国も奴隷制度がありました。 まあそうこううい奴隷や戦争に日常的に馴れているヨーロッパですから、戦争の遣り方もスマートです。インドも指揮官以外はグルカ兵を派遣、ビルマも少数民族を派遣、戦争が終われば、知らん振り。植民地経営も奴隷と農民を巧みに使い、自分からは手を出さないのです。何せ、自分の目の前で母親を強姦され、子供が銃剣で刺し殺されるのを何百年も経験してきた民族ですよ。日本は、外国に慣れていないわ戦争に馴れていないわで、とことんまで直接交渉、挙句に、今も直接恨まれて居る訳です。 日本は島国であったことが、植民地を免れたその1です。対馬は波もきつく朝鮮半島からなかなか入ってこなかったのです。しかし、遣隋使や遣唐使で頑張っていいところだけを貰ってきたのです。当時10回に1回しかたどり着けないような厳しい船旅でした。イギリスのドーバー海峡など40キロで、簡単に渡れます。かといってハワイなどは遠すぎます。ハワイもアメリカに苛められて、日本の属国になりたいと何度も具申したのです。でも日本はそれどころじゃなかった。その間にアメリカに併合されました。 その2に日本人の性格がよかった。中国もインドもイスラムも何千年何百年の歴史にあぐらをかいていた。ヨーロッパが攻めて来ても、バカにしていた。意地でも譲らず、そのうちやられてしまった。しかし日本人は優しかった。「ヘヘイ、ワタクシがわるーございました」としたたかにへりくだった。中国文明、ヨーロッパ、アメリカとその手でやってきて、いいところだけとってきたのです。 そんな日本人も学ぶことばかりで、超大国になってしまいましたし、世界も急速に変わってきました。今後は、そういう訳にもいかなくなってきました。今後はどうすればいいのでしょうか。 よくいわれるように、日本は長い歴史の中で均一化してきて、これのよいところは、中間層が優秀なことです。アメリカには戦争に負けたけれども、日本人は2等兵でも文盲はほとんどいませんでしたが、アメリカ兵は自分の名前も書けないような兵隊がほとんどだったんです。サインには×××なんか書いていたんです。ヨーロッパも王様でさえ、文字が書けなかったんです。ヨーロッパも中国も王様はふんぞり返らなければ民衆からバカにされたので、酒池肉林でした。朝鮮の特権階級両班も地上に足をつけるなんてといい、歩くことさえしなかったぐらいです。かたや、日本の天皇でも、伝統的に田植えをデモンストレーションででもいいけど、やっていたり、今ではフツーのサラリーマンが「国家と○○」とかヨーロッパじゃ千部ぐらいしか売れないような本を読んでいるし、岩波文庫にしたら、世界中の名著が読めるのです。以上、日本を持ち上げています。 今後は、そうですね、超エリートをつくっていかなければならないのでしょうかね。外国語を子供の時から学びしっかり日本語も話せるのは、かしこい子でやる気のある子だけです。勉強を本当にしたい子を鍛え、スポーツの才能のある子だけをスポーツさせるというふうにしていかなければならないのかもしれません。嗚呼、夕刻の死よ、あっ、憂国の士だったわ。
2006.11.16
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大富豪なので、先日、台北まで1足100円の靴下を2足購入した。大富豪なので、お手伝いさんに洗濯をしてもらうのだが、かれこれお手伝いさんにずっと暇を出しているので、週一回自分で洗濯しているのであるが、大富豪が故、靴下がだんだん片一方しか亡くなっていくのである。大富豪なので、靴下に多少穴が開いても、その日は靴を脱がないと予測されたならば、気にせず履き、靴下の色が違っていても、その日、ズボンをずり上げる予定がないと予測されたならば、気にせず履き、靴下が裏返っていても、誰かに指摘されるまでは気がつかずに履いている訳である。 大富豪なので、下着は、寝巻きも兼ねており、普段着も兼ねている場合もある。下着ならば、その日、シャツを脱がないと予測されたならば、ほつれていようが、黄ばんでいようが、気にせずに着るのである。もし裏返しにきていても、誰かに指摘されるまでは気がつかずに履いている訳である。 大富豪なので、先日韓国まで、チジミの元を買いに行ったのであるが、チジミの元が非常に分量が多く、最近毎日チジミ三昧である。実に嬉しい限りである。大富豪が故、スーパー閉店前に半額弁当を買いに行くことを生きる手段としているのだが、今はキムチ三昧なのである。勿論、大富豪が故、親思いなので、韓国土産には、チジミの元を用意している。大富豪なので、ハワイ土産にはハワイアンジュエリー(10ドル程度)も用意しているが、既にヤフオクでいくつか売ってしまったことはまだ親には秘密である。大富豪なので、少し風邪をひいたようである。そんなときは、ビタミンCを大量に採るのであるが、大富豪が故、ケミカルでできるビタミンCは採らないのである。大富豪なので、ツタヤが半額の日に主にツタヤを利用し、今から「ブコウスキー、オールドパンク」を観るのである。ブコウスキーの小説は、論評が賛否両論である。だいたい文学かどうか、それすらよくわからない。路上言語などともいわれているが、ロードムービーのようだというものでもない。しかし、すごい。これはだれも書けない。少なくとも日本人の作家でこのように書く者は、いない。「町で一番の美女」「くそったれ、少年時代」あたりをマズは読んでみな。そだね。
2006.11.15
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例えば、テレビをつけてみると、郵便局で強盗を働いた警官が捕まったというニュース。警官や官僚や先生いわゆる役人の不祥事は責任をきつく問われるものである。しかし、アジアで一番怖くてやっかいなのも警官である。 アフガニスタンに近いペシャワールから夜行列車に乗った。木の簡易ベッドの上で眠って、ガムを噛んでいた。余った小銭で買ったガムがメイドインコリアであった。薄明かりの中で、少し震えながら眠っていた。列車の軋む音が浅い睡魔を持続させる。 背中を触る感覚に気がつき、振り向くと警官であった。懐中電灯で不必要に私の顔を照らす。悪人顔の警官は、車両間に私を呼び出し、結局の所は何かを私から奪うつもりでしかないことは見えミエなのだが、やたら、ガンジャ、ハッシシを持っていないのか聞いてくる。「ハッシシってなんだ」私はとぼける。マヌケな警官は、手を丸めてチュラムのつもりのような手姿をつくり、口に手を持っていき、ハシシを吸う格好をする。「なんだそれは?」私はいう。警官は何度もそのまねをして、いい加減に私は怒った。「フェ○○オか、てめえ」といってやった。挑発に簡単に乗った警官は身体検査をはじめ、私の急所さえも、ギューっと握り締めやがった。そして私のハラマキから彼の年収分ぐらいの金をみつけ、彼は大事そうに一枚一枚数え、笑顔で半分に割り、スーベニアなどとほざきやがるのであった。 私は、すぐさま、拳銃があることを確認し、これ以上はやばいと思い、懐柔策に出た。一挙に金を奪い返し、彼に抱きつき、「アッラーアクバル、キミと俺は兄弟」とはがいじめにするほど、抱擁し、すぐに、車両に戻り、皆が起きる音を立てながらベッドに戻ったのであった。 車両間に取り残された警官は、歯軋りをしていた。権力は信用できない。
2006.11.14
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日本はアメリカの属国であるが、ここは、トロイの木馬作戦ということで、いっそのこと、アメリカの51州目に参加することをお勧めしたいものだ。そうすると、人口の1/3が日本人ということになり、一挙にマイノリティー第一位に躍り出て、速攻で、大統領を日系から輩出でき、白人をいらつかせることができるよいうものだ。 だって、なんやかんやいって日本人は外人が好きなのか、「ねえ、きみって典型的日本人美人だねえ」といわれるより、「日本人離れした顔立ちだよね」の方が嬉しいのである。今では、なかなか、本に感銘を受ける年頃ではなくなってしまったが、何冊もあったものだ。鶴見良行の「バナナと日本人」って何度も読んだなあ。素直にそれ以降バナナを食えなくなった。鶴見グループからは「エビと日本人」というのもあって、根こそぎエビを採って、海底がつるつるになったり、マングローブが破壊され生態系が狂っていったり、そうそう、タイの田舎をを自転車で走っていると、エビ養殖場が地平線の彼方まであったりなんかして。それから素直にエビを食べられなくなったりなんかしたのだが、カップヌードルの中にも乾燥エビが入っている、ご丁寧にも、頭を取ったエビが。 ・・・土産にチジミの元を買ってきたが、ただの小麦粉のような気がする。学生の頃、差別問題を受講していたのだが、最後の授業で、アンケートがあった。朝鮮といえば、どのような印象がありますか。きっと出題者は、さべつん問題について書いて欲しかったのだろうけど、私は、キムチ、酒が強い奴ら、擬似ラテン系と書いた。今まで、一番旨かったキムチというと、鶴橋でキムチ屋を出している店の自宅用につけているキムチを分けてもらったものだった。甘い。甘さがきて強烈な辛さがくる。それは、くせになった。冴えないな・・・
2006.11.13
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その時刻、私は例によって機上の人となっていた、のではなく、クレーム聞き役の人となっていたのであった。人当たりの無難なソフトなイメージの私は、しばし、クレームに借り出されるのであるが、しばし、人当たりのいいただのいい人なので、問題を解決せずに持ち帰ってくる。 私の場合、大富豪ゆえ、いろいろ海外出張とか国内出張とか忙しく、3代前に乗っていた渦中の車の処分を逃げ回っていたのだが、(2年分の時間貸し駐車場代が払えないので、無視し続けていたのだが)、内容証明はくるし、弁護士の用意しているしと脅しやブラフしてくるので、とりあえず、遂に車を引き上げることを決意。今、引き取り業者と手続き中である。駐車場業者とは、金がないといい、毎月1万円づつ払って下さいということで手をうった。(向こうも業者なので、とりあえず口約束取り付けたら満足しているように見受けられた)。私自身も5年前に車を無料であげて、そのまま放置された恩を仇で返してくれた人を探しているのだが、もう、海の中の住民になっているのかもしれない。
2006.11.12
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ところで、(何がところでかは、私の頭の中にしかない。)先日、博士の愛した数式を観て感動したのであるが、何に感動したかと言うと、人間ドラマでなく、数字に感心したのであった。勿論、私は、友愛数や虚数や完全数や無理数を知っていたが、久し振りに言葉で聞き、説明を受けると、改めて、美しいものだなあ、と思ったのであった。完全数 1つは「6」のように自分自身を除く約数の和が,もとの数と等しくなってしまうものの発見です。6の約数={1,2,3,6}6以外の約数の和=1+2+3=6 このような数を「完全数」といったのです。6が最初の完全数で、2番目の完全数は28です。このことから古代の人たちは,神様が6日間で世界をつくった(月,九 水,木,金,土のつぎは休み)のは、最初の完全数が「6」だからであり、月が地球のまわりを、約28日で1週するのは、28が完全数だからである、と考えていました。 1世妃のころには、6,28,496,8128の4個が完全数であることが発見されていました。電子計算機が使われるようになって、完全数を発見しようと多くの数学者が努力しましたが、現在でも23個の完全数しか発見されていません。 友愛数 もう1つは友愛数の発見です。ピタゴラスがある人から「友人とは何ですか?」と開かれた時、「それはもうひとつの私です。たとえば220と284のようなものです。」と答えたそうです。220と284とはどんな数なのでしょうか。 これは、220の約数(ただし220は除く)の和が284になって、284の約数(ただし284は除く)の和が220になっているのです。 220の約数={1,2,4,5,10,11,20,22,44,55,110,220} 1十2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284 284の約数={1,2,4,71,142,284} 1+2+4+71+142=220 ここ1週間で読んだ本の中では、「浮浪者からホテル王になった男」というのがスコブル面白かったのであるが、後半、浮浪者から脱出して、仕事をしていってのし上がっていくあたりから、ちょっとつまらなくなってしまったと感じた自分がなんだか嫌だなあ。 なんだかさ、あるものを失って、同等の価値(のものがあるのか)のあるものを得た時に、それが同じ価値なのに、失ったモノに非常に損した気分になり、得たものに対してはそれほどではないと思うものなのだな。(1万円落としたら非常に後悔するが、1万円を得てもハアという感じになるということだ)そんなもんどっちでもいいのに、選択枠が多すぎると、こんなにたくさんの中から選べたのだから満足したなあというより、もっといいのがあったのではないかと悔やむ可能性の方が高いんだなあ。 そんな訳で、私は、どうでもいいもの(=世の中の大半のもの)を買う時には、ある程度のルールを決めている賢人なのである。(本当はこじつけで、本当は面倒なだけ、時間がもったいないだけなんだけれどもね)その1、買い物は、1件目ないし2件目で決めること。その2、まあこんなもんや、と思い手を打つこと。その3、買えば他を見ないこと。その4、買い終わったらくよくよしないこと、買った物に満足する太平洋より広い心を持つこと。その5、その買い物に期待しないこと、期待すると失望するのだ。しかし、これを実践できるのは、私が基本的に買い物が嫌いだからなのだ。以上処世訓、字余り。
2006.11.11
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今日の私は、今からシャワーを浴びる気がないのである。仕事中に、風呂に行ったからである。勿論サボって行ったわけではなく、仕事で風呂に入ったのである。 昨日は、アメリカの選挙について、詳しい洞察をして、アナリスト気分になったのであるが、例えば、候補者がABCの3人いたとし、今の人気はABCの順番であるとし、Bがスキャンダルを起こした場合、当然Bの支持率は下がるのであるが、そのときの下がった票はCにいかず、Aにいってしまうものである。しかし、スキャンダル後、暫く時間がたつと、Bの支持率は回復していくのである。回復の分、Cの票は減るのである。もともと人気最下位のCはいつもとばっちりなのである。そんな訳で、いつスキャンダルを暴露するのか、が重要なのである。AがBのネガティブキャンペーンを出すのが早すぎると、Bは徐々に人気を回復して、Aが負ける可能性もあるのである。そこんとこよろしく。 なんだか、医療が発達すると病気が増えるのに似ているのかもしれない。→医療の発達→病人が死なない→病源菌が死滅しない→どこかでまた病人が出てくる→それを治そうと医療が発達する・・・敬愛する今西コンジ先生の高崎山の猿は、餌付けを始めた→猿が死ななくなった→本来死んでいたはずの奇形猿も生きることができるようになった→それが遺伝してさらに奇形猿が増えた・・・今西錦司先生の進化論は、ダーウィンとは違い、大変面白いのである。「ある日、いきなり人は立ったのである!それだけだ!」である。 ところで、夜、1時間程度飲んだのだが、誰も客が来なかった。明日、腹を壊さないことを祈っている所存です。
2006.11.10
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2006.11.09
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コインランドリーコカコーラねえ・・・アメリカでは、中間選挙で、電子式投票機が使われたところがあるようだが、あんなの不正されるに決まっている。そういえば、イギリス人が選ぶ世界の危険人物で、ブッシュがビンラディンに次いで堂々の2位を取得しておったのう。 私は、今、困っているのである。印鑑証明のカードがないのである。印鑑証明書がいるのは、たいてい不動産か車のときぐらいなものである。それで、そのたびにカードを失い、そのたびに印鑑証明を作り直しているのだが、また明日作らなければならない。何であんなもの必要なんだ。放浪さんのところのコメントで思い出したんだけど、(→「痛っ!」をフィリピンでは「アライ!」といます。日本に来たピリピン人は新井さんという名前の人がいることを知り、笑っています。そういうのって多いですよねえ。確か昔アフリカの小国の大統領もバカ氏だったし、フィリピン(スペイン)では牛肉のことをバカといいますしねえ。あ、全然、日記と関係ない・・・)、そういう言葉は以外と多いのだなあ。有名なのは、インドネシア語でチンチンといえば、指輪、マ○コといえば、器のことだよねえ。タイでは、コーヒーといってはいけないとか。日本語で閣下、イタリア語ではウンコ。 日本語 あらまー まっ マレーシア語 あらっまー。日本語 だめ スペイン語→Dame~(私に~ちょうだい)。日本語 バ~カ! セルビア語 おばあちゃん!。日本語:神戸 スワヒリ語:kobe(亀)。日本語 チョンマゲ 朝鮮語 コンドーム。日本語 あるんだわよ 朝鮮語 美しい。日本語 もっこり 韓国語 首飾り(酒はマッコリ)。日本語 大丈夫? ロシア語 (掘らせろという意味の)尻よこせ!日本語 ウン○ ヒンディー語 あの方に(を) 日本語 ちょうだい ヒンディー語 FUCKする。日本語 やったなー ビルマ語 宝石。日本語 げろ ギリシア語 笑う。日本語 エロ本 フィンランド語(スオミ) さようなら。日本語 どういたしまして ベトナム語 二人はめっちゃ好き合ってる。日本語 ちん○こ ベトナム語 ハト(chim bo cau)。日本語 セガ イタリア語 オナニー(そんなわけで、イタリアでゲームのセガはシガ)。日本語 美徳 フランス語 あなるせっくす(bite en cu ビトクー)。日本語 寒い フランス語濡れる(ca mouille サムイェ)。日本語 待たれよ スペイン語 殺すぞ。日本語 やめて!スペイン語:もう、ぶちこんで!(ya mete)。日本語 ティッシュくれ! トルコ語 ありがとう。日本語 ~ですか? ハンガリー語 ペチャパイ。日本語 湯呑み 英語 お前は俺を知っている。
2006.11.08
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何を隠そう1960年代の大半を私は、あの世の住人でした。遂に1970年代を迎える直前、私は、手にバナナを、足に大人用スリッパを履きつつ、憂国の士であったのでした。 兎に角、昨晩は、イヤイヤながらワタクシ主催の慰霊会ではなく、慰労会を催したため、責任者としては、最後までその場に立ち会わなくてはならず、思わず、半年振りのカラオケに向かい、勿論、曲目のレパートリーが増えるはずもなく、相変わらず、ワイルドでいこう、とか、すっかりハイスクールロックンロールとか、YMCAとか机の上で絶叫し、機材やコップや同行者の人格を壊してしまったのであったのだよ。そんな訳で、帰宅は3時頃となり、大変、今も眠いので、狼が傷を癒すように、今から明日の朝まで眠るの所存です。まるでロシア人の気分であった。地球最後の日、ロシア人は、「今日は思いっきり飲んでも明日には二日酔いがないわけだ」というように。兎に角、声が出ないのである。声帯を壊したのであり、声変わりではないと予測されます。ところで、3年しかなかった昭和60年代には、私は、乞食のようになってしまったのでありました。相変わらず夕刻の氏のままではあったのだが。
2006.11.08
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27年前のこと。男女全員の名前はまだ覚えていた。●しゅんけ(いつも不良と一緒にいたが、皆が中卒で働く中、1人、学内で一番いい高校にいくという、周りから見たらちょっとやっかまれる奴)●オーサキ(野球部)● キンチャン(クラス随一のスケコマシ。イトマンに就職)● ソーセージ(検便でひっかかり校内放送で呼び出される。現大手広告代理店。小学校同じ塾。)● カズヘー(実家1分に住まい)● オクノ(背が低かった。隣の家に同じ学年の女の子が住んでいて、緊張しないのかなあと思っていた)● エテコー(クラスにほんまに出来の悪いのが2,3人はいたものだ。でも許容される空気が会ったなあ)● サルイチ(小学校6年までランドセルに象が踏んでも壊れない筆箱)● デカ(でかかった)● シュンスケ(夏休みに60匹の蝉を一緒に殺戮した)● モーモー(至って自分では普通のつもりだが、周りから見たらとてもスロオに見えて皆イライラしていた)● コマP(結婚式にも行った。そんな訳で奥さんとも仲がいい(と思っているのは私だけ)今でも年賀状あり。現大手製薬会社)● ワシ(省略)● 古川(なんと名前しか覚えていない)● モヤシ(名前からモヤシと呼ばれていたが本名もモヤシともじれる)● ヒロミチ(10円ハゲがあり、いつも鼻を垂らして、ズボンからシャツを出していた憎めない奴)● マッチャン(大人しいくせにヘビメタファン)● ミミコ(小学校の時にガキ大将的クラスにいたのに、中学校ではいじめられっこクラスに転落。但し本人は気がついてないかった。同じ塾)● ミーケ(学生に繁華街歩いていると黒服着て小さなチラシ配っていた。今は読めも貰い家も買い、米屋就職で更生済み)● トシオ(近くに医学生の学生が住んでおり、そこの医学書を見ると、いつも性に関するページが自動的に開くという実績がある。同じ塾)
2006.11.07
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日本の今後の改革案はどんなのがでてくるのかを知るには、年次改革要望書というのを読めばよい。アメリカ合州国が日本に対して内政干渉している要求書であり、アメリカ大使館のHPにも掲載されていて秘密でもなんでもない。郵政民営化もこれに沿ったもので、要は、アメリカが郵便貯金や保険(かんぽ)を狙っているに過ぎないのである。かつて、小さな保険会社を潰したのはアメリカの陰謀であり、癌保険や医療保険もかつて4年間だけアメリカ企業(AIGとか)に独占させておいた罪もある。小泉は、昔から郵政民営化を唱えてきたというのは、嘘だし、よくもまあ、税金使って解散選挙なんかしたものだ。国民の望むことは、景気回復論議とか、老後問題などに関心が高かったのに、郵政民営化反対か賛成か2者択一という単純な選択にすり替えた国賊でもある。個人的に何かアメリカに何か弱みを握られているんだろうか?アメリカによる聖域なき改革である。 犯罪にあわれた加害者に、遺族給付金や障害給付金が国から支払われるのは年間6億円に対し、犯罪者の国選弁護人や食糧医療費には年間300億円国から支払われている。何だかおかしくない? もし、犯罪者になってしまったら、日本では、心神喪失になればよい。あるいは、ヤク中でおかしくなっていたんです、と言ったほうが良い。不起訴になる可能性が高まるから。その際、心理状態を調べてくれる先生もしっかり調べて心身喪失を連発している医者を選べばよい。そうすれば、放免される可能性が高まる。裁判所や警察で出世に関わるのは、無罪判決がでることだ。会社でも、個人情報保護法という適当な法律の為、つまらない時間を費やしたり、気をもんだりする。何せ、範囲が広すぎるし拡大解釈するし、プライバシー権とごっちゃにしているし、つまらぬ金を使うしである。そんな訳で、尼崎の事故でも病院が発表を控えたり、役所が不祥事を匿名にしたり、名簿がどんどんなくなっているのである。阪神大震災の淡路島での救出は、地域コミュニティがしっかりあり、誰がどこにいて、どの部屋に寝ているか予測できたりなんかして、救出できた割合が全然違ったのである。名簿は閉じられたものなら問題ないはずだ。漏れても、それは学校や会社のせいでなく、漏らした奴の責任である。保護すべき情報と、地域や組織の共有すべき情報をごっちゃにしている。机の上に未読の本が積み上げられ、テレビが見えなくなったので、何とか整理をするつもりである。でも、整理したところで、テレビは壊れているんだった。私の言いたかったことが分かっていただけましたか。あ、分かった?じゃあ、もうこれ以上お話する必要はありませんねえ、ではまた明日。私の言いたかったことが分かって頂けましたでしょうか。あ、分からない?じゃあ、もうこれ以上お話しても無駄ですねえ、ではまた明日。皆さん、私の言いたかったことが分かって頂けましたでしょうか。あ、半分の方は分かって、残り半分の方は分からない?じゃあ、分かった方が分からなかった方に教えてあげてください、ではまた明日、御機嫌よう。
2006.11.06
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へえ、新潟からワンコールワット直通便あるんや。妙にシンクロナイズドスイミングしてしまう私であった。新潟にはその他、ロシアに3便就航しており、案内看板も日本語、ロシア語、中国語、韓国語、英語と優先順位が違うのであり、空港内にも、ロシア語が飛び交っている国際色豊かなのである。まあ、そういうことである。新潟の繁華街と言えば、古町であり、駅からは離れているのである。いわゆる、駅前は新市街で、信濃川を挟んだ地域が旧市街であり、外国のようである。古町では、何だか催し物がされており、ナガスクジラを食べる。ある種の鯨は保護しすぎて増えているんだよなあ。人間の消費する何倍も鮭を食いまくっているんだよなあ。スケープゴートなんだよなあ。オレンジローソン(と市民は言う) アルビレックスってなンや・・・初耳であったが、ググって見ると、サッカーチームであることが判明。県民一体となって応援している微笑ましい在り方のようである。ガウディのグエル公園並のベンチである。そんなものだから、ハトには餌を与えてはいけません。誰がハトを平和のシンボルに仕立て上げたのか?神社やお寺では、ハトが攻撃されないから、そこに集まっているだけではないか。西掘ローサ(ザではない) 裏日本を代表する地下街(日本海側唯一の地下ショッピング街ってほんまかいな)は、北からの高レベル放射能を避けるシェルターの役割を果たしていると噂され、豪雪にも耐えうる性能があるといわれている。検証はできないのだが、出入り口は地下街に相応しくなく、手動で開けるというシステムになっており、それの扉がなかなか重いのである。(建付けが悪いだけという噂もある)。西掘ローサ地下部分。地下街の中心部は、(多分)ローサといわれる人形女性がピアノを弾くまねをしており、老若男女の憩いの場となっている姿を発見。オギノ通り。オギノとは誰か、それは知る人ぞ皆知っているが、この通りは、なかなか新潟市民でも知らない通りである。防具なしの真剣勝負や、寸止めを信条としている輩には重宝される避妊法であるが、荻野博士がこれを聞けば泣くであろう。荻野博士が目差したのは、懐妊法なのであろうから。ちなみに、友達の荻野君は、「あれは、私の祖父である」と私を3年6ヶ月間も騙し続けた日々もあり、朴訥な私は、ハートブレイクさせられたのである。金井文化財館(旧金井写真館)金井君が東京で写真修業を終えた後、新潟で創業した写真館で1887年(明治20年)に建てられた洋風建築。現在内部は非公開らしいが、外の駐車場は近隣の人に貸している。○○様と駐車場にプラカードがかかっていて台所事情が少し垣間見える。地獄極楽小路。都合のいい名称であるが、料亭・行形亭(=極楽)と、旧新潟刑務所(=地獄)を分けている小路であることから、この名がついたという。ところで、仏教にもキリスト教にも地獄があるが、決定的な違いは、キリスト教は永遠に地獄に行くが、仏教では釈放されるのである。優しいのである。8大地獄があるが、そのうち、最も刑期の短い地獄(等活地獄)の刑期が、一兆六千二百億年ね。ドッペり坂。「どっぺり」とはドイツ語のドッペルン(=二重)が由来。昔、坂の上には新潟大学の学生寮があり、飲み屋街である古町に遊びに行く学生が近道としてここを通った。遊び過ぎると落第する(だぶる)ということから名づけられた。階段は59段で60点に1点足りず落第するという。ドッペり坂。しかし、私は、そういう言い伝えを無視して、階段の階数を数えると、63段あった。合格である。ドッペルゲンガーか。古町では、収穫祭で、イベントやってたわけ。実は、ここは、京都大阪江戸に次ぐ遊郭でもあったのである。その名残なのか、色町もかすかに残っている。偶然の発見であるが、おっさんが出てきて、「2万円です」といっていたが、何が、どこまで、がそうなのかシステムは分からなかったので、無視して更に歩いていくと、後ろから「コレ以上進むと、2万5千円になるよ」と声がかかった。それでもシステムは分からなかった。古町にはさらに、マンガストリートがある。新潟市出身の漫画家、水島新司の代表作のキャラクターブロンズ像が並べられた「水島新司マンガストリート」である。ドカベンだけでなく、あぶさんや、水原勇気とかもある。噂によると、完成当初は、『ドカベン』のキャラクター岩鬼正美の口から出ているトレードマークの“葉っぱ”が盗難される事件が相次いだため、現在は日中のみ葉っぱを取り付け、夜にははずすようになっているらしい。そういうわけだったのか。そういう訳で、大体、新潟市内のことは分かったつもりになった。
2006.11.05
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新潟空港、そこではるばる200キロの彼方からトヨタインテグラにて迎えに来てくれたはずのガスパージャダギリチガさんと、初めての第2種遭遇。しかし、バスからの風景を楽しみたいという訳でもないのだが、350円という空港から市内にシテは激安のバスにて25分、一挙に市内へ。小田切さんを見失う。恐らく、放浪の達人さんの通訳がなかったため、うまく意思疎通できなかったようである。スパシーボ。本日の使命その1は、心斎橋ワタル氏の奥さんは頼まれていないのだが、彼が約30年前に小学校時代の大半を過ごしたと言う謎にして日本海最大の大都市、新潟にて、彼の数々の悪戯を暴くという些細な企画なのである。些細な企画の割には、私は、早起きして、飛行機往復するという国家的な企画なのでもある。●新潟駅解説:大変申し訳ないのだが、新潟のイメージは、米と雪と拉致、それに最近は洪水、といったイメージしかなかったのであるが、20年弱前に初めて来た時(今回2回目)、その都会ぶりに少し驚いたのであった。しかし、明治時代には、日本一人口が多い県でもあったのである。心斎橋ワタル氏のコメント→転校するとき、クラスメイト数名が電車を追いかけてホームを全力疾走した。トイモイ氏のコメント→全力疾走したまま関西まで来た。ももあげもした。●3代目 万代橋解説:信濃川にかかる六連アーチの橋で,新潟市街では数少ない「絵になる」場所。日本一ながーい信濃川。朱鷺メッセという建物が見える。心斎橋ワタル氏のコメント→新潟駅から市内をつなぐ生命線。雪景色が似合うのだ。トイモイ氏のコメント→まだ雪は降っていなかった。●住んでいた家心斎橋ワタル氏のコメント→新潟市西大畑町×××(Googleアースかマップでググってみてくれ)トイモイ氏のコメント→多分この家ではなく、今ガレージになっているところではないかと推測される。この家は住居表示の枝番が7であり、清水さんがお住まいであった。残念ながら清水さんは不在で、裏を取ることができなかった。その隣の開店休業のお店では、不審者と間違えられたので、いそいそと退散した訳である。それにしても、普通の人には興味のない写真ではある。●竹石理容院(Googleマップにも出てくる)心斎橋ワタル氏のコメント→同級生の竹石君の実家の床屋。本人は現在、東京都内でカリスマ美容師。トイモイ氏のコメント→竹石理髪店という看板は上がっておらず、ツウの店に見えたところがシブイ。もしかしたら、里帰りした竹石君とすれ違ったかもしれない。親父は、カリアゲ美容師だったのだろうか。いや多分、カツアゲ理容師なのだろう。●監獄山(現在の名称は、たぶん西大畑公園)解説:旧新潟刑務所の跡地に造られた1.6ヘクタールの公園。園内には、かつての西堀をイメージした堀と柳が再現されている春は桜、初夏は花菖蒲が公園を彩る。旧刑務所入口心斎橋ワタル氏のコメント→小高い丘の上に延々と続く高いコンクリート塀が気になってよく見に行った。トイモイ氏のコメント→ボロガーのような人がいた。向こう側にある博物館前で共産党集会が行われており、新潟の明るい憂愁が流れていた。●新潟大神宮(自宅近くの神社)解説;1872年(明治5年)の教部省通達によって全国に神宮教会,神宮分教会が組織された。これをうけて新潟市にも神道事務分局(中教院)が開設され,施設が東大畑に置かれた。さらに教院地方本部が置かれて中教院を吸収した。以後,ここを拠点に皇道の布教が進められた。本部の施設は本町通8番町に置かれたが、火災で消失。西大畑の現在地に再建した(明治22年落成)。そういうことでした。したしたした。家と建物にキツキツに囲まれて。→心斎橋ワタル氏のコメント神社の床下を不法占拠して基地を作ったり、冬は境内の斜面でミニスキーなどフル活用。トイモイ氏のコメント→今日は、奇しくも753(5963ではない)。正装した1組の夫婦と子供に遭遇し、写真を3枚撮った。新潟にて唯一、商売人以外っと話をした一般民間人の方々であった。写真を撮ってあげる為に関西から行ったといっても過言ではない。それにしても、風呂丸見えの家が神社の横にあり、こちらが気恥ずかしかった。●新潟小学校→心斎橋ワタル氏のコメント小学2年生の2学期から5年生終了まで在籍。元墓地で、先輩の卒業写真は窓に心霊写真多数。選挙活動も盛ん。角栄チルドレンか。トイモイ氏のコメント→残念ながらお化けをみることはできませんでした。多分、当時とは随分改装されたのではないでしょうか。はっきりいって、小学校の外観はどこも変わらないので、心斎橋の幼児体験を探る旅でもっともつまらないところとなってしまいました。休日なのに職員室の電気はついていました。あれが心霊現象かもしれません。●日本海タワー解説;タワーというには、低すぎるのがネックであるが、別名「北の監視塔」といわれ。北を監視するという重要な任務を担っているのだが、中がかなりキッチュである。噂によると、新潟市民も半分も中に入ったことがないということらしい。詳しくは、コチラをどうぞ。 優美な建物、今となっては、タワーとは言いがたい。旧心斎橋亭も見える(視力5.0であれば)日本海に霞むロシア本土というか佐渡島。新潟県民もほとんどいかないという。フェリー代や駐車料金が高いからだという。魚も旨くないと言う噂もアル。行ったことがある人は「海外旅行に行った」とうらしい。そのあたりは淡路島に似ているが、淡路島は皆、何回も行く。それにしても、小松左京の日本チンポツで沈没しなかったのは佐渡島だけである。神戸高校出身なんだけどなあ。→心斎橋ワタル氏のコメント貯水タンクの上にある360度回転する展望台。恋人たちは夕日を眺めながらグルグル回るのだ。トイモイ氏のコメント→下部は水道関係の建物であり、お客さんで盛況であった。1人のおばちゃんと、お父さん子供の家族連れが1組もいた。帰り際に、レンタルサイクルを借りてぐるぐる市内を回っているマニアックなおじさんとすれ違った。大黒字である。遠くに、ロシアが見えた(気がした)。●寄居浜海岸(よりいはま)護国神社は七五三で大賑わい。→心斎橋ワタル氏のコメントよく遊んだ。護国神社裏(水族館裏)のあたりが、横田めぐみさんが金正日に拉致された場所。トイモイ氏のコメント→拉致しにくいように護岸工事しているのでしょうか。佐渡島も見え、ノンビリ釣りをしたり、ノー天気にデートしたり、関西からわざわざ散歩したりしている丘の上の馬鹿がいたりです。「横田めぐみさんが、・・・」とニュースの収録してた。
2006.11.04
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おのれ・タワー・鎌首・炎のかたまり・凶暴な肉器官・肉バット・蹂躙者・白い燈台・暴れる異物・きついお肉はん・銀のキー・クレーン・飴色の極太・発熱体・キリタンポ・回転ドリル・熱い野獣・鼠の亡骸・特性コケシ・象の赤ちゃん鼻・獣の器官・青筋たった狂気・股間のしるし・毛の生えた拳銃・荒れ狂うもの・なすび型・高ぶり・トーテムポール・彫刻・イギリス製鉄兜・火ごて・キングコブラ・傘肉・馬敬礼・みなぎり・抜き身・生命の根・真紅の弾丸・中足・ホオズキ・矛先・剛茎・坊主頭・灼熱の侵入者・フランクフルト・タフボーイ・若竹・野蛮刀・責め棒・赤銅色の杭・モンスター・尊厳・シャベル・肉ピストン・望遠レンズ・二十センチ級・ハルジ・いけない張本人・毒キノコ・鉄アレイ・芋・魔性の凶器・セガレ・獲れたて鮮魚・ねじれた大木・胴タヌキ・瓦屋根・憤チン・ボウヤ・コーラ瓶サイズの高射砲・ピンクステック・卑棒・男の尊厳・ナマコナマズ・望むモノ・肉地蔵・上反り・如意棒・萌える松明・焼けた鉄芯・茹でたウインナー・凌辱ロケット・形状記憶合金・掘削機・びっくりばこ人形・ごちそう・棒アメ・蛇頭性愛器官・空気を抜かれた風船・すりこぎ棒・鈴口の裏・王様・黒鰹節の棍棒・デクノボウ・大業物・牡茎・キノコ肉・お注射・珍宝・壊れ物・怒張器官・太鯰 カッシーナ
2006.11.03
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そういうこと。全世界に実名を明かしてはいけないのだが、私の後輩にタカシという奴がいる。それでは全世界に名前がばれてしまうので、私がいつも呼んでいるあだなで言うとすれば「アガシ」である。早速、アンコールワットの行き方とか感想とかを聞きに行った。彼は、そのあと、「何とか、インドには行きたいです。もう10数年行ってません。嫁を今からインド化するよう家庭内布教活動に務めています」といっていた。そういえば、私は結婚してたとき、「インド行く?あっ、行かない。じゃあ、俺行ってくる」といって1人行ったのを思い出した。以上。
2006.11.02
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大切な人が死ぬ前に、温泉に行きたいと言った。それを了承する優しい家族。そうして、温泉に連れて行った。危篤状態で、意識も消えては浮かぶ中で、温泉には入れない。そして帰宅。でも、畳では死ぬような人ではない。でも、故郷で死にたい。気力は続く。他人の迷惑にはなりたくない。だからトイレは最後まで自分で行く。最後に、コーヒーと、凍ったミカンが食べたいといった。故郷に帰った駅の改札で、昇天した。生き様を見た。死に様は生き様。
2006.11.01
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