全32件 (32件中 1-32件目)
1
2006年の国内散歩 宮崎県・青島・飫肥 神奈川県・横浜 鹿児島県・鹿児島市(後輩・奴隷案内有) 沖縄県・コザや那覇 宮城県・仙台市 長崎県・佐世保市 大阪府・大阪市平野区 岐阜県・郡上八幡市 大阪府・大阪市西成区 兵庫県・姫路市 鳥取県・鳥取市 神奈川県・鎌倉市 千葉県・成田市 新潟県・新潟市 山口県・萩市 渋谷区 宮城県・松島 葛飾区 兵庫県・明石市 2006年の海外散歩 カメハメ親善訪問 38度線親善訪問 タイペー親善訪問 世界一周 企画モノ 大阪府・歴史的建築物 目糞ハナクソシリーズ神戸・歴史的建築物 グーグル先生を使いこなせおじいちゃん バンコクからソウルへ人生7不思議シリーズ グーグル先生を使いこなせメイド喫茶 テナカンジ。
2006.12.31
コメント(2)
ベルギーフランドル地域の中都市。ブリュッセルより列車で40分。「青い鳥」の作者メーテルリンクの故郷。ファン・アイクによる祭壇画「神秘の子羊」はフランドル美術の最高傑作。街の建物は、煤けている。そんなとこのようです。 ブルージュから20分です。ブルージュのライバルです。
2006.12.30
コメント(0)
ということなんだねえ
2006.12.30
コメント(8)
無事帰国したのはいいのであるが、無事ジェットラグに悩まされている状態である。顛末はこんなところだ。一昨日は、午前2時半に寝ようと思い、ベッドに入った。おかしいな、眠れないなあと時計を見ると5時半になっている。5分程度しかたっていないと思っていたが、どうやら3時間気を失っていたようだ。もう少し眠ろうとしたが、眠れないので本を読んでいると、8時になり、お昼に起きて実家に行こうと眠った。はっと起きると13時になっており、おおもう起きなければと思った瞬間また気を失い、次に起きると16時半であった。昨晩は、4時半に眠り、6時半に目が醒めて、眠くないのでそのままの状態でベッドでうじうじしながら、文庫本を一冊しばいてしまった次第のまま、今朝の9時57分である。 そんな訳で、人は必ず夢をみるものだが、単に覚えていないだけで、起きる手前に浅い眠りに陥っている場合には夢を憶えている訳で、そんな訳もあり(どんな訳だ)、初夢をみた。 それは、イタリアに来ているのだった。私の同じ年頃の男と、初老のじいさん2人の4人で来ている。来月の24日にもまたここに来ることになっている。それで、ホテルの予約をしておこうということになった。そこで同じ年頃の男が、「来月は心斎橋渉君にも来てもらおうよ、自費で。」と言ったので、彼は仕事があるんじゃないかなと私が言うと、初老のじじいの1人が、出張ということにすればいいといい、そっかと妙に納得する。 それで、旅行代理店に行けばいいのだが、目の前にあるというのに、携帯電話でその店で働く女性店員の携帯電話に電話をする。目的はなんですかと質問され、「それは、観光ではなく、何かジジイが秘密結社の会合があり、それに出席するためなんですよ」と応える。部屋はどのホテルも満室といわれ、それは他の代理店に聞いても同じですかと質問する。 埒が明かないので、直接代理店に入ると、男性社員が対応してくれて、「ここって町の中心?ここから2,3分で歩けるホテルで空室ないですか?」と質問すると、「うん、うん」と頷きながら無視された。
2006.12.29
コメント(2)
下らないコップが0.99ユーロなんだよねえ。訳の分からない灰皿が0.75ユーロなんだよな。ピエールマルコニーニのチョコ、1個だけ買ったら、日本語で「一個ならただであげますよ」と言われて、思わず2個買ったんだよ。トイハウスのチョコも買ったボディパーツのグミ。美味しいよ。その他、ダイヤモンド100個ほど
2006.12.28
コメント(4)
メリークリスマス&ハッピーニューイヤー今年の年賀状。 20時間後の私、それは、気持ちE、誰よりもキモチE,どこまでもキモチE、勉強してる奴より、女と寝ている奴より、映画を見ている奴より、風呂に入ってる奴より、テレビをみている奴より、キモチE!E!E!E~、と忌野先生が代弁中です。それでは、今年もありがとう、来年お会いしましょう。予定航路(7日間世界一周)。
2006.12.27
コメント(18)
タイトルがいじけみたいでヤダ。 世界各国からプレゼントが届く妄想を抱きつつも、ありがたき豊かさを享受させていただき、欲しいものがないという状態が生まれた時から続いている。贅沢とは何か分からないが、それは時間であり、排泄するものであり、関係性であろう。頭の中にしか残らないもの、そいつが贅沢だ。与える偽善的喜びもある。上記写真のように、私は年収の約1パーセントを偽善に使っており、自動的にカードから毎月引き落とされている。申込書には、10000円、5,000円と○をつける欄があり、その下に自由書き込める金額欄があり、そこに、涙しながらも100円と記入したのが昨日のことのようだ。勿論、幸せと富豪には関係性がない。かといって、あまりにもないのも苦しいものではある。ジュエリーもその人が価値を決めるものだ。噂によると、ティファニーのオープンハートというのは原価が300円だという。私がハワイの問屋で買ったシルバーよりは安い。しかし、安いが悪いではないが、よく考えて買った方がいいということである。よく、TVショッピングで、宝石が大安売りされているが、考えてみれば、確かに安いのだろう。一括仕入れで、薄利多売しているのかもしれないが、安いから買うのは、宝石が悲しいのである。皆と同じものは嫌だなあ。つまんないなあ。 そういう私も18歳の時、宝石を大量に買い付けたことがあるのである。勿論、宝石の価値は知らないので、男女関係なくお土産用の石をである。インドのよくあるやばい工場で、半日かけ、チャイをしばきながら、あれくれこれくれとかいいながらブラックストーンやアメジスト、タイガーアイ、アイオライト・・・とにかく、カーペット屋やクルタパジャマ屋、絵画屋を蹴散らした上で、凡そ、1個10円から100円ぐらいまでの粗悪だが珍しい石を30個ぐらい購入し、今後半年間お土産に使えると喜んだものであった。しかし、それらは、誰に渡したかも忘れどこかにいってしまった。不幸である。宝石は不幸の道を歩み始めたのである。嗚呼。やっぱ、宝石には、物語が必要だぜ。(知ったかぶり)。そういえば、俺の髑髏の指輪どこにいっちまったんだ。
2006.12.26
コメント(12)
今朝、意味もなく、鼻血が出た。なぜだ。転んでもないのに・・・七転び八起き・・・あれ?違う。七回転んだら、起きるのは七回である。それとも、起きる所から始めるのか? 今、考えてみれば、ブログというもの、社会普遍性のあるものにせよ、個人的な日常の出来事を綴った日記にせよ、ブログのHP自体が潰れたり、自分から取り消ししない限り、今日、書くことをやめても、今後何十年、下手すれば何百年も残っていく可能性もあるわけだ。そして、いつまでこんなこと書き続けているのだろうかと考えても、今のところ特に飽きもしないし、特定の攻撃を受けたりしない限り、ずっと続くのである。しかし、過去に書いたものをまた読むかと言えば、自分自身がたまに読むかもしれないが、莫大なブログは莫大なものに埋もれてしまい、ないに等しくもなってくるような気もするのである。 もっと進んでいって、自分の本名を検索すると、自分自身がでてきてしまうのを避けるには、自分と同じ苗字の有名人の名前を自分の子供につけてあげないと、防ぎきれない時代もくるのかも知れない。(私が阿部君なら、子供に晋太郎とつけておけば、本人がでてくるのは、検索の何ページも後になり、誰もそこまで見ない)えらいこっちゃな。 妹が、リスボンに行ってきたという。前に会ったときにはチェコとかクロアチアに行ったといっており、むかついたが、ヨーロッパは小さいのであるなあと思う。インド一周はヨーロッパ一周に匹敵するし、もとより日本より広い国はスエーデン、フランス、スペインぐらいしかない訳だし・・・私の本業である(まだ利益0)散歩道の炎の叫びがうずうずしだしたのである。あと出発まで2日・・・
2006.12.25
コメント(8)
もてる男ってなんだ。ハンサム度はあまり関係がない。退屈しない、褒める、ケチでない、意外性、清潔、そんなところであろうか。それに加えて、幾らもてても、本命さんにもてなければ、じぇんじぇん意味がない。当てはまらない自分が情けないと言うことは置いといて、結婚式や葬式には当然、お金が動くのであるが、そのお金の勘定などが、現実的で面白い。今年おじいちゃんが亡くなったが、葬式後のお金の勘定や、行き先、戻しなど何かとなんだか、現実的で不思議な感じであった。非日常というのは不思議な感じなのだが、祭場で働く人々にとっては仕事であり、日常であるところが何か変に見えたのであった。笑顔や元気さが不要な職業って何だか面白い。 先週の結婚式では、お祝い金のお金が封筒に書かれているお金より多いとの連絡があった。新札だったので、重なっていたのであったが、それよりも、結婚式後1週間後にお金の勘定をしているところがおかしかった。そういえば、ニューヨークで、ダリ時計を買ったのだが、そこで新札ドルが重なっており、気がつかずに払ったのであるが、売人が、「おい、お金が重なっているぞ、正直に返してやる俺ってとってもいい奴だろ」なんて真顔で言われたなあ。 自由(わがまま)平等(金太郎飴主義抜け駆け禁止)権利(ゴネ得)人権(声の大きいもの勝ち)といった言葉はとても難しい。 性善説をとっているのは日本だけなのか。事件がおこり、そんなことするはずがないというコメント、少年犯罪を社会や環境のせいにすること、しつけや道徳の教育は不要だということになるよなあ。性善説をとりたい気持ちは私にもある。しかし、現実には、確率的におかしい奴ヤバイ奴、生まれながらにして邪悪な奴はいるのである。簡単に監獄から世間に出して、また犯罪を犯した事件があったが、あの三菱銀行の梅川事件も、彼は少年の頃殺人を犯した奴だったのだな。社会や環境もあるが、それだけなら全員が犯罪者にならなければならない。生まれながらにして脳に異常がある奴がいることを分からなければならない。といいつつ、福祉国家スエーデンで優性遺伝のためひどいことをしたこともあるのだから難しい。まあ、国家も個人もほっておいたらロクでもないのであろう。確かに自分自身、絶対捕まらないということが分かっていたら、殺人や貧困者からの搾取はしないが、多分、悪人から一生遊べるだけの金を盗むだろう。地面から煙・・・そうえば、刑務所では臭い飯というけれど、結構ヘルシー料理なんだよな。それをマスコミにコメントした人の意見は当然、黙殺されたよな。インタビューしながらも、もうメディアに載せる文言は決まっているんだな。期待されたことや書きたいことしか載せないのである。嗚呼、思い出した
2006.12.24
コメント(8)
中学1年、おこづかいは1,000円程度か。土曜は半ドンで授業は昼までで、何か男女数人で映画の話題になり、見に行こうかという話になった。しかし、何時からか分からない。とまで書いたが続きは次回・・ 半ドン、や、どんたく・・・オランダ語からきている。 オランダは、例えばアムステルダム駅を出発し、次の次の駅に行くとすでに、緑に覆われた自然豊かな地域に変わる。人口密度が高いにも関わらず、である。そしてそこにはゴミが見当たらない。運河も綺麗である。オランダはどこでも、同じような均一した都市構造で、街があり、町と町の間は緑に覆われている。しかしながら、街はイヌの糞なので汚いし、凡そ公共性が少ないように見える。大きな自然に対しては厳しいが、誰かが簡単に片付けてくれそうな身近に対してはえらく無頓着である。 オランダ人は、表向き、他のヨーロッパと違って平等である。オランダで、「それは差別だ!」というのが一番辛い言葉でもあるらしい・・・そんなことを書いてたらパンナムで世界一周したくなってきたわ。
2006.12.23
コメント(4)
行きそびれた地域、または国というものがある。私の場合は、国で言うと、エジプト、ビルマ、イスラエルなどがあり、実はベトナムにも行きそびれている。ベトナムは私が学生時代、ほんの一部のツアーでしか行けず、カンボジアともなると鎖国状態であった。働き始めると同時に、ソ連の崩壊後の雪崩式の開放政策で一挙に皆が行き始め、ベトナム戦争のことなら100倍あんたより詳しいぜという子達が旅行を始め、歯軋りをしながらも、横目で見ていたのであった。 働き始めて3年目にバンコクに行った時も、空港からカオサンロードVSGH(分かる人には分かる)に直行したら、そこの宿に泊まる日本人から、「長いんですか?ベトナムにいけるようになりましたね。どうやったら一番行き易いか知ってますか」と聞かれ「そうですねえ、分からないですねえ」と間延びした返事をしながらも「今日本からついたんだよ、しれねーよ」と心の奥深く思ったのであった。 そんな訳で、2,3週間前からベトナムにそろそろ諦めて行って見るかという気になっていたのである。それで本当に行くかというと、それはまだ来週になるまで決めきれないのである。 今日、先ほど、行き先を変更しようかと思案中である。やはり修行か。 ところでハルジ氏が結婚式や披露宴に出たことがないといっていたが、20代30代を日本にいなかったらそうなるのかも知れないものなんだなあ。それにしても、確かに、最近の女性は結婚しないのか、私の5年の結婚生活で、私が友達の結婚式に出席したのが、7,8回に対し、彼女は0回。おまけに日本は、片一方しか出席しないの法則なのか、一緒に出席したこともない、いや、あったわ1回、彼女の弟の結婚式。まあ、実はそんなことはどうでもよくって、というか、今日の日記はどうでもよくって、どうでもいいことを書いているようなきもするので、ここまで読んでくれた人には感謝感謝である。最近はハルジ氏もアップし、ハルジ氏にも勧められているユーチューブであるが、映像を撮る機器を持っていないので、まずは購入しなければならないのである。グーグルが16億5000万ドルで買収したのも驚きだがその買収スピードも驚きである。毎日3万5000動画がアップされ、アクセス数が1日600万以上でアクセス世界17位、1億回の映像が見られている。しかし、私を含め、多くの人が1年前にはその存在すら知らなかったわけだ。以前、某ライブドア経営者がテレビとネットの融合といってたけど、あれは正しくて、やりかたがまずかったわけで、結局は、電通がバックにいて潰したものだと思っているのだが、多分、新聞社も電通に完全支配されなくて各々の広告代理店を持っているのだとは思うのだけれども、時代は、そうなってきているのである。どうなっているのか、そうなっているのである。視聴率に意味がなくなっているのであって、視聴者は見ることができたらよい訳で、番組間のコマーシャルも不要だし、見る時間帯もごーるでんたいむでなくてよく、どれだけダウンロードされたかとか、ウエブでの評価、そして、例えばどれだけユーチューブで再放送されているかなどで、分かるかもしれない。広告主にとって、今や、視聴率が販売アップにつながっているか疑問なんである。 3日前から90分の映画を見ようとしているのだが、いつも30分以内に眠ってしまう。どうしたらいいのですか。NY
2006.12.22
コメント(10)
先日、結婚式に出席してきたのだが、チョトダケドリンカーの私としては、幾つかの結婚式に出席したが、結婚初夜というもの、ヘベレケ状態で、ただただ死んだように眠るだけというのが、残念ながら正しいところなのである。または、若い頃は無粋にも皆で酒を持って部屋まで押しかけて邪魔をするといったものであった。パターン1後輩Kの場合・・・新郎K君はもうヘベレケで前後不覚。それでも、ホテルの部屋に数人で押しかけ、勝手にドンペリを注文し、更に飲ますと、新郎K君は、見事本日3回目の嘔吐。もうあれ以来、奥さんは我々に会わない。Kにも会わせないように細心の注意を払っている。僥倖である。パターン2先輩Mの場合・・・新郎M氏は、早々にヘベレケになり、3次会中に眠ってしまったので、残された我々は、新郎新婦の泊まっているフロアに泊まり(新郎の金で)、勝手にドンペリを2本頼み、ドンチャン騒ぎであった。パターン3後輩Sの場合・・・特に憶えてないのだが、翌朝会社に行くのに、そのホテルで気分が悪くなり、私自身が吐いたことだけは憶えている。パターン4私自身の場合・・・起きたら、頭はガンガン、何故かまだ背広を着ていた。でも靴と靴下はちゃんと脱いでいた。・・・さて先日の2人はどうなったのであろうか。老婆心ながら、カフェや食事に行った時は女性を奥に座るように基本的アドバイスをばしておいたのであるが。自信のない男は働く女を嫌う・・・まあ、そんなことはどうでもよくて、先日のスターバックスにて。若者の中に、70歳ぐらいの仲の良さそうなご老人ご夫婦がコーヒーを飲んでいた。フト、おばあさんが、周りを見回し、おじいさんに行ったのである。「ねえ、あなた、奥の席に座っている男性はあなただけですよ」「おお、嫌かね」「そりゃ、嫌ですよ」おじいさんは黙って、テーブルの上に置いてあるコーヒーを入れ換えて席を立ったのであった。 その老人夫婦が帰った後にその席に来たのが、韓国人カップルの旅行者であった。男性が奥に座ろうとすると、女性が腕を引っ張って、韓国語でプンプン怒って文句を言っていた。そのまま、男は黙って手前の席に座ったのであった。世界は変わってきたのである。 帰りに満員電車に乗ったら、ウォータービジネスの女性の真横になった。その女性がガムを噛んでいるのである。別にガムを噛むのは勝手だが、その女性は口を開けながら、クチャクチャ音をさせながら噛んでいるのである。それが、やたらだらしなく見えて不快になった。音を立てて食べるな!と怒りつつ、本を閉じ、目を閉じると、噛み続けるのも疲れるのか、少し休憩してキュチャクチャ、クチャクチャ、小さくクチャクチャ、大きくクチャクチャ・・・クチャクチャ・・・何だか、とってもいやらしい気分になってしまったことを告白しておく。
2006.12.21
コメント(8)
指月山指月山に築城された。田舎饂飩、別に観光名物でもないか。道鯉のいる藍場川川にこうのとり日本海江戸時代の古地図を片手に歩ける町は、日本中探しても、そんなに多くないはずだ。戦災に遭った町や再開発した町も少なくない。一部分に昔の建物が残っていたりするが、町全体が昔のままとなると、極めてまれである。萩市は、そのまれな町の一つである。萩の町は、江戸時代の古地図が未だに使える。しかしである。萩の町は、みんなで努力して、古い町並みを残したのではく、昔のまま取り残されてしまったのである。毛利藩の城下町であった萩が、そのまま県庁の所在地になっていたら、萩の町の様相は一変していたであろうが、萩のように、城がありながら、県庁が他の場所に移ったケースはまれである。それほど萩は、不便で、三方を山に囲まれ、川の氾濫ばかりが起きる逆境の土地だったのである。吉田松陰の生誕地は、萩の町全体を見渡すことができる高台にある。そこから見る萩の町は、高い建物など、数えるほどしかない。ホテルかマンションぐらいだ。それも、せいぜい十階程度の高さまで、上に伸びると言うよりは、静かに横に伸びている町と言った印象である。明治維新に成功して、長州藩はそのまま山口県となった。戊辰戦争に勝ち、明治政府の中枢を担ったのは、ほとんどが長州人。そのために、自分達の藩をそのまま県にしたとの説もあります。そう言われてみると、鹿児島県は薩摩藩そのまま、高知県は土佐藩そのまま。一方、戊辰戦争に負けた藩は、まるで解体されたようにばらばらにされてしまった。しかし、長州藩が山口県になると同時に、県庁の所在地は今の山口市に移りました。殿様は、山口市に立派な邸宅を建てて、そそくさと萩を後にしました。要するに、萩は見捨てられた格好になってしまったのである。 関が原の戦いに敗れてた長州藩は、お家取り潰しの運命にあった。徳川家康を何とかなだめてくれる人がいて、長州藩は生き延びた。しかし、山陽道沿いにも、あるいはそれに近い所にも城を造ることは許されなかった。泣く泣く封じ込められたのが、現在の萩。もともと湿地帯で人の住む所ではなかった。だから、新政府になって、早々と萩を見捨てたというわけだ。お陰で、萩は古い町並みを残せたのだ。それが、今は観光都市として、生きながらえているのである。と言いながら、実は某撚会帰りでヘベレケなのである。
2006.12.20
コメント(6)
今回は、東京発萩経由大阪行だったので、お小遣いを奮発して、1億円程度に留めておいた。決して、1円置くのではない。しかし、全然土産にならなかったのは買った後であった。メイドイン山梨・・・ ビールフリークには見逃せない一品である。まさか萩=ハゲ=チョンマゲを連想しているのではないだろう。明治維新にひっかけるなら、ザンギリ頭ビールでも良かったかもしれない。 天に向かって駄目だといっておいたのに、小雨と、風は続き、ふがいない長持ちした三段式折り畳み傘も骨が折れてしまい、寿命を迎えたのであった。仕方ないので、ビニル傘を買ったが300円であった。これはダイソーで100円で売られている奴である。何故分かったかと言うと、ダイソーの値札がついたままだったからだ。一旅行者として苦言を呈すと、こんなところで200円もぼらないで欲しいということである。黙ってぼってくれ、ツーリストプライスはインドだけでなく、ここにもある。山口代表菓子銘柄、@男なら。なかなかシブイ、のであるが、何故神戸屋なのか?謎は深まるのである。名前の由来は不明であるが、男なら、一口で食っちまえということなのだろうか?食うのを我慢しろということなのだろうか。栗ソフトクリーム屋では、「夏みかんホットジュス」が飲める。私もジュスしたい。昔、お風呂で、お湯に冬ミカンをいれて、ホットミカンを食べるのが、まあまあ好きだったことを敢えてここで告白しておく。よく考えてお金は大事だよと、アヒルに聞かせてはみたものの、順当に無視された。せめて毛繕いは辞めて姿勢を正して風の唄を聞け。トイレに行きたくなったので、地元のスーパー「アトラス」に入った。そこで不思議なものを見た。地元のこの寒空の中ミニスカートの女子高生や、地元のただのオヤジが、変なものを飲んでいるのである。そう、ポテトを飲んでいるのである。そんな訳で、私も、一機奮発して、それを注文してみた。ジュースの上にプラステック膜があり、そこにポテトだのカラアゲだのマヨネーズ和えたこ焼きだのが乗っているのである。膜には、ストローの通る穴が微妙に開けられており、そこからチューチュー吸うのであるが、イマイチ意味が分からなかった。歩きながら、片手にジュースを飲みながら、片手にポテトを持つと、ポテトを口に持っていく第3の手が必要だということなのだろうか。行儀と伝統を重んじる私はいいたい。「座って食え」と。警察署の前を通ったのだが、河豚に警官、国家の安全を任すのはどうかと、私は簡単に思うのであった。維新ロードにて・・・「カッコいいぜ、車じゃないよ、そのマナー・・・」私は、歩きだよ、もう3時間も歩いているよ。歩くマナーなのだ。伊藤博文生家横公園伊藤博文像、結構キッチュで、おチビさん。それにしても、コノチビにして好色家。移動中の馬車の中でもいたしていたりして、明治天皇にまで叱られたそうだ。「そうはいわれましても」と反論までしたそうだ。伊藤だけでなく、首相経験者の山縣有朋も並ぶで。山口県の総理ゆいうたらなあ、桂太郎寺内正毅田中義一岸信介佐藤榮作安倍晋三おるで。ギョロッケ、ゲロッパ。一番の繁華街に行ったら、これは人で溢れ、通行さえ困難であった。左横は、神戸屋である。男なら、食ってみるかとも思ったが、神戸人としては、多分、創業者がカンベさんかと思った次第である。観光案内所、ってさ、ただのガソリンスタンドなんだけどなあ。ガソリン入れる時道くらい聞いてもいいよなあ。まあな。萩石見空港は、でっかい空港である。1日2本のみである。どうみても、空港職員の方が乗客より多いのである。来た時も飛行機は遅れたが、1日3便のバスも、ちゃんと、遅延に合わせて、遅延してくれた。乗客9人の内、このバスに乗ったのは4人である。ところで、靴下をみてびびった。昨晩のホテルでは、靴下がサービスでついていたのだ。なんと、デザインが似ているのでイブサンローランかと思いきや、クロスされた文字はYSLではなく、TYIであった、東横イン。78席の飛行機は15人の乗客を乗せて飛び立ったのであった。
2006.12.19
コメント(12)
本州で太平洋側(瀬戸内海)と日本海側に続く県があるのは、兵庫県と山口県だけである。しかし、そんなことは別に今、思いついただけで、もしかすると、青森県もそうかも知れない。 東京で起きたのは、5時台であった。昨日の結婚式の酔狂で、結婚生活破綻者からの的確な酔っ払いアドバイスが3,4つ飛ばさせていただいたことを反省するふりをしながら、空港に向かうのであった。126席に9人しか乗っていない飛行機は7時前に山口県、萩石見空港に飛んでいったのである。 石見と空港名を名づけたのは、世界に示したいことがあるのであろう。16世紀~17世紀の約100年の間には大量の銀が採掘され世界中に輸出されたり、徳川幕府の大きな財源となったのである石見銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれ、海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担ったのである。ソーマといえば、聖なるキノコを彷彿させられるものではあるが、当時の石見銀の産出量は世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれる日本銀のかなりの部分を産出していたと考えられているのである。フランシスコザビエルも銀の国と手紙にしたためているほどなのである。その栄光をこの空港の名前にしたのであろう。何せ、1日東京と大阪からの2往復のみであり、佐賀空港と同じようなものである。 いろいろ調整があったのであろうが、島根県の空港なのに、山口県の萩市の名前が空港名に入っており、10分でいける益田市は無視され、1時間15分かかる越県の萩が何かと口を出したのかもしれない。 それにしても京都は勝手であり、全国に小京都がはびこる。1月には九州の小京都、飫肥にもいってきた。 さて、萩である。薩長、明治維新を考えると、この萩、高杉晋作、田中義一、木戸孝允、何と、隣同士の通りに生まれたのであった。そこから30分も歩けば、伊藤博文が生まれ、その横に、吉田松陰の塾があるのである。高杉晋作、品川弥二郎、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤利助(博文)、山県小助(有朋)ら幕末・明治に活躍した多くの人材を輩出させている。塾生は、このほか久坂玄瑞、吉田栄太郎(稔麿)、入江杉蔵(九一)、久保清太郎、野村和作、佐世八十郎(前原一誠)、正木退蔵などがいた。何だか、不思議なのである。何故、土佐や薩摩、そして萩といった地方から日本を代表するスーパースター達が生まれたのか。そういう土壌があった訳なのであるわな。こうやって適当にまわり、ながらも3時間歩くのである。つづく。
2006.12.18
コメント(8)
今から書くのは昨日の話である。予定調和である。明日は、ネクタイをビシリと締め上げ、猛然と空港に向かい、一挙に上智大学に行くのである。入学する程度の学力はあると予想されるのだが、入学及び除籍はされずに、一気にチャペルに行くのである。チェペルでは、一気に新郎役も、牧師役もせず、なんていうのか、助太刀というのか、仲介人みたいのをするのである。中間搾取ではない。勿論、白いネクタイは嫌いなのであるからして、フツーのネクタイで行くのである。 仲介人を頼まれるのは、短い人生の中で2回目である。証人にはなったものの、カメラは手放さないのである。仕事は、指輪をはめるときにちょいとばかし、新郎の手袋を預かる程度である。しかし、一回目は、結婚式当日の朝に新郎からやってくれと電話をかけてきたらしいのでが、あいにく私はまだ寝ていたので、電話にもでず、別の人間がやっていたのであった、もとより、その結婚式には少し寝過ごしたのであった。高校陸上部同級生の結婚式ではあったのだが、芦屋駅を降りて、チェペルに向かってもうダッシュなのであった。ふと後ろを見ると、同じ長距離の同級生が猛ダッシュをかましていたのである。我々は社会人になっても走るのが好きであった。ちなみに、その後ろから猛ダッシュをかましていた同級生(スイマー)の結婚式に猛ダッシュもかまさず、猛然と式の終わりかけにやってきたのが、某心斎橋ワタル氏その人であった。勿論、髪はボサボサネクタイはひん曲がり、寝ぼけ顔で、「徹夜で飲んで寝過ごした」と新郎に対してスコブル失礼なことを言っていたのであった。まあ、そんな訳で、順調に上智大学での結婚式はお開きになるのであるが、そのあと、夕方まで時間がぽっかりあき、既に予定を詰めているんである。レバノン料理を食いに行くのである。「この店ははじめてですか」といわれ、必ず説明の前に「珍しいレバノン料理、珍しいレバノンワイン」と形容詞がつくのである。しかし、味と言う物、過去の記憶から探り出すしかない。あ、これは辛くないインド料理、あこれはトルコ料理ポイ、あ、これはクスクスみたい・・・とかね。その後、新宿を散歩するのである。考えてみれば、東京では新宿でブラブラしたことが一番多いかもしれない。 焼き鳥横丁歌舞伎町 アルタ前まあいわゆるギンザブラブラ銀ブラを終えて、式から5時間後、披露宴会場へ。 そういいながら、夜の宴会はきはちなのである。勿論、酔っ払っても、翌日、まっすぐ関西に帰ろうなんて気がない私なのである。その行き先については、あさってまで待て(誰も待ってない)といいつつ、3次会でヘベレケ状態になりながら空港近くのホテルまで電車が終わった蒲田からタクシーに乗るのであった。
2006.12.17
コメント(4)
今から書くのは7時間後の話である。予定調和である。明日は、ネクタイをビシリと締め上げ、猛然と空港に向かい、一挙に上智大学に行くのである。入学する程度の学力はあると予想されるのだが、入学及び除籍はされずに、一気にチャペルに行くのである。チェペルでは、一気に新郎役も、牧師役もせず、なんていうのか、助太刀というのか、仲介人みたいのをするのである。中間搾取ではない。勿論、白いネクタイは嫌いなのであるからして、フツーのネクタイで行くのである。 仲介人を頼まれるのは、短い人生の中で2回目である。しかし、一回目は、結婚式当日の朝に新郎からやってくれと電話をかけてきたらしいのでが、あいにく私はまだ寝ていたので、電話にもでず、別の人間がやっていたのであった、もとより、その結婚式には少し寝過ごしたのであった。高校陸上部同級生の結婚式ではあったのだが、芦屋駅を降りて、チェペルに向かってもうダッシュなのであった。ふと後ろを見ると、同じ長距離の同級生が猛ダッシュをかましていたのである。我々は社会人になっても走るのが好きであった。ちなみに、その後ろから猛ダッシュをかましていた同級生(スイマー)の結婚式に猛ダッシュもかまさず、猛然と式の終わりかけにやってきたのが、某心斎橋ワタル氏その人であった。勿論、髪はボサボサネクタイはひん曲がり、寝ぼけ顔で、「徹夜で飲んで寝過ごした」と新郎に対してスコブル失礼なことを言っていたのであった。しかし、それよりも、2次会をしない新郎の方がもっと失礼なのであった。その後、数年して、スイマーが家の近くに引っ越してきたというので、家に2,3回行ったことがあるのだが、常に奥さんがいないという状態でどないしたんと聞いても曖昧な笑いを浮かべるだけであった。こりゃひょっとしてひょっとしたら、と思っていたら、単純に子供が産まれていたのであった。そんな訳で私が結婚するという訳ではないのだが、結婚式は、大學のチャペルが安上がりと言うことは噂でも知っているのである。私の大學の同級生も自分の大學のチャペルで結婚式をあげたはいいが、披露宴には渋滞に巻き込まれ、遺体なき葬式ならぬ、花嫁花婿なしの披露宴が挙行されたことは、もう確か5年ほど前の話である。勿論、それでは寂しすぎるので、店のはからいにより、到着まで延長してくれ、最後の10分のみ、新郎新婦を拝み倒すという披露宴が挙行されたのであった。 遺体なき葬式、パキスタンのメラピークで崖から落ちていった先輩の葬式であった。先輩の遺稿が肉親から出版され、その中のインドのバラナシーのガートでオ〇ニーをしているサドゥの記述があったことだけ、憶えている。 まあ、そんな訳で、順調に上智大学での結婚式はお開きになるのであるが、そのあと、夕方まで時間がぽっかりあき、既に予定を詰めているんである。レバノン料理を食いに行くのである。何を隠そう、アラブ料理の代表的な料理がレバノン料理という事は、欧州人を始め外国人の方には認知度が高いのである。人によっては、世界4大料理の1つと言われる位、世界的には有名で、大変ポピュラーな料理なのである。人によってはがミソであるが、3大が何なのかは分からないが新鮮な野菜をふんだんに使うのでヘルシー料理と言うイメージがヨーロッパ人にはあるのである。味の感想までは、まだ明日の日記なので言えないのである。 そういいながら、夜の宴会はきはちなのである。勿論、酔っ払っても、翌日、まっすぐ関西に帰ろうなんて気がない私なのである。その行き先については、あさってまで待て(誰も待ってない)
2006.12.16
コメント(10)
ズンダズンダズンダッダ~。確か、景気が良くなるとミニスカートが増えるなんて噂を耳にするが、プレイボーイ誌研究によると、景気が悪くなると、プレイメイトは背が高く大柄な女性が好まれるというのである。そのほか、目は小さめ、胸も小さめ、年齢はやや高めになるというのである。そういう訳で、世の中の男性諸氏は、女性を見るふりをしながら経済予測をしているということが明らかになったのである。あなたは、人見知りをするタイプではないですか?あなたは悩み事があるのであはないですか?あなたは大胆になれるときと小心者の場合がありますね。あなたはあまり人を信用しないところがありますね?あなたはなかなか本音を話せないのではないですか?そんなことを占い師に質問されたら、まあ、詐欺だね。曖昧な質問なので、ドレも誰にでも当てはまるのである。こーゆーのは、バーナム効果ちゅうんだよなー。おまけ、松島瑞巌寺 一般民家の2階より国道を睨む仏様。宗教は、英語でレリジョンというけれど、これはもともと、ラテン語で、再び結びつくという意味である。つまりは、ほら、アダムとイブがけしからんことをして、神の世界から人間が切り離されたじゃない。 もう人間から神には近づけないが、神は、一度だけイエスキリストを人間界に遣わせて、彼を通して、再び結びついたわけね。そんなわけで、レリジョンとは、キリスト教を念頭においたものなわけで、そういう意味では仏教はレリジョンじゃないんだよなあ。仏教は宗教じゃないと何人かに聞いたことはあるけれど、再び結びつくという意味じゃないからねえ。涅槃ニルヴァーナを求めて修行をし、仏陀(=わかっちゃった人という意味)に神が結びつくのでもなく、最後の審判のようなものもなく、大本の教え、人生根本の教え、蓮如であるわけだわな。ケケケ。
2006.12.15
コメント(6)
追記 春次様 こんなところなんでしょうか。仙台の少年は、中学生になると、冒険のために松島まで自転車で国道45号線沿いに遠乗り(約16キロ)するのが通過儀礼なんですよ。そしていつも塩釜あたりで道に迷うんです。JR松島海岸駅前にある小さな遊園地でちゃんとジェットコースターに乗りましたか?(2006.12.13 13:35:33)誰もいないので乗れませんでした。塩釜・・・この地名を、子供の頃から知っていたあなたと、先日知った私の差はどのようなものなのでしょーか。報告 韓国ウォッカ「スミノフ」(1,200円)に「007カジノロワイヤル」のトランプがついていたのだが、これが、何故かオークションで2,000円ぐらいで取引されており、早速4本のウオッカを購入、既に2,200円と2,000円で売れたわ。何故なんだ。ビッグウエーブが去らないうちにあと2つを何とか売りたいが、3つ目は100円スタートで、まだ売れない。ビッグウエーブは去ったのか・・・まさにスピード経営である。報告2 昨日は、ヤキニクの大都会鶴橋ヤキニクを食いにいった。勿論、自腹でヤキニクを食べに行ったことは、30年の生活の中で、(イカン、またハルジに怒られる)1,2回しかないのである。昨日の肉は、一口500円とか600円とかいう感じで、クチャクチャクチャと3回噛んで、ごっくり飲み込むとすれば、1噛み200円である。私は、計算高いので、噛みながら、200,400,600、とテンポ良く、頭を駆け巡るのである。 雑感 それにしても、徒然草にも書いてあるように、年をとってくれば、若い者より、より死に近づいているというのに、逆に、だんだん意識しなくなってくるものだ。考えれば、一般的に、10代や学生時代は多感な季節ということもあって、死について考えるものだが、今となっては、死ぬ時まで死ぬことを意識しないのではないかと思うようになってきたどころか、老人になってしまったら、死ぬ時でさえ、死ぬことに気がつかないのではないかと思うのである。まあ、まあそれで精神衛生上よろしいことであろうが。(ま、ボケて死んじゃったおじいちゃん自身はまだ自分が死んだことに気がついてないみたいだけどさ)まあこうやって死にたいかな追記 予告 春次様 土曜日は、久し振りの結婚式(東京)出席の為日記はオヤスミです。
2006.12.14
コメント(12)
肝硬変。否、観光編、否、敢行変 日本3風景というぐらいなので、やっぱりカモメを見なければならないのである。実は、20年ぶりぐらいに、数年前にリチャードバックの「カモメのジョナサン」を読み直して感動した私がここにいるのである。カモメのジョナサンはもともと、ヒッピーの間で、出版前からコピーが出回っていたという歴史を持っている。松島町の人口は17000人である。町の木は松である。ちなみに我が神戸の借金は2兆7000万円、市民一人当たり180万円ぽっちである。近年、市営地下鉄海岸線も予定1日13万人の利用を掲げたが、実際は4万人・・・神戸空港も空港島の一部を売って建設資金にするでえといいつつ、1割も売れてない。利用者もいわずがな。東京路線以外は当初の予定通りガラガラ。外郭団体も多いよ。神戸市総職員数と一般会計対象人数の差が4500人。どこで何してるの?アイノウまつしまななことまつたかこの違い。
2006.12.13
コメント(14)
ケチケチ亭とか何とかイって、ここで飯をケチって食った訳ではないことを分かって下さい。 ありがちハロウキティ。一応、紹介。松島ンに、笹かまもこ。どうだ、遊びたいか、食いたいか、叫ばんかな、狂わんかな、熱血激烈鎮魂唄。絹のアイス、そっか。寒いんだ。耳取れたわ。中央にいるのは、密かに太宰治、本名・津島脩治、生まれてすみません。俺の深遠なる考えによると、「急いで誘拐せよ」冷えて仕方なかったからコーフィ飲んだよ。冷えて仕方ないから、いかぽっぽ食ったよ。冷えて仕方ないから、しょうゆラーメ食ったよ。冷えて仕方なかったから、背筋伸ばしたよ。てな訳で、水曜どうでしょう?
2006.12.12
コメント(11)
牡蠣食えば・・世界最高記録を出した日でもあった。6時43分起床、6時48分の電車に乗ったのである。数年ぶりに朝の歯磨きと、顔洗いは省略したが、DVDは返却した。服は1分半で着たが、荷つくりは30秒で終えた。ここ数年で最も早い速度で走り、電車に乗ってから次の駅になるまで動悸息切れ眩暈が治まらなかった。 とにかく、先日から、1人牡蠣牡蠣カキ病にうなされているのであり、昨晩11時半に急遽牡蠣を死ぬほど食うことに急速に決定したのである。全速力心斎橋ワタル羽田ダッシュの甲斐もあり、飛行機もガラガラ。仙台空港は不思議なことに2回目である。仙台空港から松島行きのバスもガラガラなのであった。起床から、4時間半後、私は生牡蠣にありついた。隣のOLさんぽい人が携帯電話で電話をしていた「今、出張で仙台来てる」といいながら、るるぶ松島をテーブルに置き、遊びの格好であり、前に座っているのは同じOLの友達にしかみえないのは、牡蠣のせいか。生牡蠣販売所に向かう。牡蠣をしばくためだ。牡蠣の大群に到着。建物の中で、牡蠣を剥いて、そのまま外に捨てられるシステム海から採ってきた牡蠣を外す人々、どうもどうも。牡蠣小屋 45分 2,000円 食べ放題。やったるでー。スコップで牡蠣を運ばれる。残念ながら生で食べるのは禁止、バーベキュー方式である。焼いて焼いて焼きまくる~、私は、なれた手つきで、左手は軍手、右手はナイフで牡蠣の殻を開けまくる。58個の牡蠣を食べました。もう今年は牡蠣いりません。牡蠣殻は、環境に良い。本日は環境に貢献しました。
2006.12.11
コメント(22)
スーツにネクタイ姿編。マニラ湾の有名な夕日。イメルダ元大統領夫人の常宿。え、何故5スターホテルに泊まれたかって。そりゃ、帰りの飛行機(ユナイテッド航空だったかノースウエスト航空だったか)が欠航になって、ホテルとお小遣いを用意してくれたんだ。ここでは、893がスパニッシュブラッドの女優の卵を2人はべらせて、プールサイドを歩いていたのさ。まるで、将来の自分を見るような光景であった。 フィリピンはイスラム教徒のモロ族解放戦線がある。新人民軍もある。もとはといえば、中北部に点在したイスラム教徒を南部に強制移動させ、現地キリスト教徒のフィリピン人をモロ族掃討させ、両者に亀裂を生じさせたのは植民地化したスペインのせいである。 みんなの知らない女史と過ごしている神戸生活編。パキスタン、カラチのアラビア海に難破船、私も恋の難破船。インドパキスタンはカシミール紛争がある。ヒンドゥとイスラムの宗教対立だが、元はといえば、イギリスが両国をまとめて植民地化していたからだ。(もともとは、カシミールのマハラジャは独立するつもりだったが、パキスタンに武力侵攻され、マハラジャはインドに帰属を条件に派兵を要請したことからはじまった)胸板編。ペルシア、王のモスクででっかく逝く。何かわたしってちっぽけな人間なんだなあ。イランイラク戦争は、ホメイニのイスラム革命に不安を感じたフセインの侵攻であったが、アメリカにしては飼いイヌに噛まれた気分だったんだろう。きっとイラクにけしかけたのはアメリカであろう。その後、アメリカは、日本のような従順なイヌに育てたかったイラクにまた噛まれたのであった。 風任女史と過ごしたアジア遍歴編。チベット。人民解放軍に銃を借りたんだなあ。フィリピンの軍隊はチャランポランで戦車にも乗せてくれるんだけど、あの恐ろしい人民解放軍も銃を持たせてくれたんだなあ。でも、イランイラク戦争中のイラン兵士はさすがに銃を貸してくれるどころか、笑顔のひとつもなかったんだなあ。ピリピリ・・・ チベット独立運動、あれ、西洋が直接絡んでないな。 ヌード編。聖なるガンジス河で泳ぐ。乾期なら対岸まで泳げるんだなあ。川幅はほんの200メートルくらいなんだなあ。でも泳ぐ時には、信用できる日本人を探し出して「命預けます」といって全財産とパスポートと、カバンカメラ一式を預けるんだな、これが。泳いでいる時には、ブヨブヨの死体や、川海豚に遭遇することはなかったので、一安心だったんだな。インドもパンジャップ紛争を抱える。パンジャップ地方はシク教徒が多い。だいたいインドパキスタンが分断されたとき、パンジャプは両国に分断され、シク教徒の多くはインド側に移住、インドに忠誠を誓うも差別を受ける。もとはといえばイギリスは悪い。 青年期編。インドのデユーン。世界中のサバクといったらほとんどは、漢字で書くと沙漠なんだなあ。でもさらさらの砂漠(デザートではなくデューン)は、ナルシストにさせる気質があるんだなあ。ニッポンジンならつきの砂漠の唄の一つでも歌いたくなるもんだが、本当は、暑くて、否、熱くてそれどころじゃないんだなあ。どのくらい熱いかというと、風が、顔の横からドライヤーの温風を吹き付けられている感じなんだなあ。動けるのは朝晩だけなんだよなあ。 朝鮮戦争の特需のおかげで日本は経済成長を果たしたわけであるが、これは、アメリカソ連の代理戦争他ならないわけで、ベトナム戦争より多い400万人が死亡。 お尻編。ケ-ビング。俗な話なんだけど、ボクはガールケイビングは苦手なんだけど、それは相手の気持ちが分からないからなんだけど、テクニック的にも問題がある訳なんだけれども、淡白という事情もあるんだけれども、八墓村の舞台となった岡山の洞窟にも行ったことがあるんだなあ。つなぎを着てヘッドランプつけて、ラダーで降りていくんだな。でも写真は、ボートでジャングルリゾートしてたときに川沿いに洞窟があって入っていった訳なんだな。でも隊員の1人に狭所恐怖症なお茶目な奴がいて(現在引き篭りハメドリカメラマン)、「早く出ましょうよ」を連発されたんだな。 セーターにネクタイ編。ジャワ島ボロブドゥールなんだな。最近、独立した東チモール問題。元々は、西チモールとその他インドネシアがオランダ領、東チモールのみポルトガル領。インドネシア独立時にもポルトガル領は残り、70年代に急にほっぽり出され、そのまま、独立したかったのに、インドネシアに併合される。元はと言えば、宗主国が悪い。 裸にネクタイ編。バイクを転がすビーチ。1日バイクを借りると狂ったように、島を1周2周3周、上半身裸のつっかけなんだな。足でギアチェンジするのが、大変なんだな。トイモイエンジェルフルスロットルなわけだな。 死んだ人たち編。海上に浮かぶバー。酔って飛び込むと怖いくらいの10メートルぐらい下に広がる珊瑚礁。サメが出てくるのではないかと、びびってしまうわけだな。海にバーが浮かんでいるから、泳いでいくわけではなく、船渡しのバンカのあんちゃんがいるんだな。ビールグビグビ、煙プカプカ、ノーテキンなウエイトレス、もう失神しそうなんだな。 幼年期編。毎日スモーク。ほっといてよ。いろいろ活躍中の自衛隊の海外派遣、何をしにいっていた(る)のか、戦争に加担するわけでもなく、後方部隊でもない、自分たちの命を守る為の派遣、まさしく、自(分護)衛隊である(と自嘲気味に自衛隊高官が話していた)
2006.12.10
コメント(8)
タイでもトレッキングに行った。泥の川を渡るのも愉快。 タイでも列車から飛び降りそうになった。扉は開きっぱなしなのは、いつでも飛び降りることができ合理的ではアル。 スコールで床が5センチほど浸水した宿。危うくラジカセが濡れる所だったわ。 こんなポーズも許してね。 ラクダおーいし、あのタール砂漠。気温55度。まだ死ねない。吉野家の牛丼を思い出すと、マジ、よだれが出た。 マレーシア、ペナンでバリ島Tシャツを着ていちびる。 伝説のバラーナス、OMロッジ、1泊45円。ノープロブレム。 ポカラ、ペタワール湖。1日借りっ放し、湖上スモークしっぱなし。ケロイド状態になり、布を買う。ボルネオ島の密林。 ・・幸せかい?幸せ、と言う言葉は、元来、日本にはなかった無理矢理の外来語を無理矢理の翻訳である。何故、幸せを求める?やっぱり、ハッピーかい?といったほうがしっくりくるものだ。ハッピーバスディツーユーはいまだ日本語に訳されていないことを見れば分かる。日本人は誕生日なんて関係なかったのだ。正月に、みんな、一斉に年をとった。正月は何だったのか。そう、幸せ、ではない、めでたい、である。今、幸せですか?幸福な人生だった。・・・私にはそういう質問にまだ違和感を感じるのである。おめでた人生である。(パート3に続く、次回を待て。誰も待ってない)
2006.12.09
コメント(12)
インドの山奥で修行をして、ダイバダッタに従事した。ダイバダッタはブッダに対抗した悪人として描かれることが多いが、そんなに非難してはいけない。もう、大きな石の上に行くまでにどんなに時間がかかったことか。 シンガポールからインドネシアのスマトラ島へのポンポン船。48時間。途中から川に入り、石油しか出ない退屈なペカンバルへ。ずっと自転車で旅をしていたこともあった。タイ、ペチャブリににて。いっておくがハンモックで優雅で無意味な日々を暮らした日々が自慢です。バスの上に乗る。こんにちは。ボートリゾート。1週間、川の流れのままに。
2006.12.08
コメント(16)
個人的にお歳暮を贈ったことはないが、組織的には一応贈られて個人的に貰うのである。大抵いつもビールである。しかしながら今のところオダギリさんからはきていないのである。私の推測するところ、贈り物を贈ったところで何のメリットもないからである。しかし、見返りを期待するのは、それが商売だからである。ダギリチさんとは商売の関係ではないので、無償の贈り物が届くのを口を開けて待ち続けるのボレロなのである。しかし、全世界に向かってここまで催促しているように見えるなら、それは本当である。取りに来てくださいと言われると、空港ぐらいまでは行ってもいいかなモジモジ君なのである。 キリスト教徒ではないのでクリスマスは関係ないのである。偶然か親もクリスチャンではないため、全然クリスマスを祈ってくれなかったのである。プレゼントもただの1度、大人の読むような活字だらけの昆虫図鑑を貰っただけである(多分、母親が自分で読む用だったのであろう)。そんな訳で無邪気な私は、今もサンタクロースを信じて、穴の開いた靴下をぶら下げているのである。(洗濯物を干しているだけという噂もある)。噂によれば、私自身、フィンランドの北極圏のサンタクロース村まで出かけたという経緯もあるのである。 24日にお食事とホテルでセックスをするのは、クリスマス価格で高いのでちっとも合理的でないので大変問題である。何故、皆リスク分散世界投資をしないのか不思議なものである。商業主義に躍らせるのは好きだが、踊らされるのは結構悔しいのである。皆、自分だけ得したいのである。紳士ズらした私からシテそうである。優雅に池の上を滑り行く白鳥の如く、水面下は、足を猛スピードでばたつかせているのである。しかし、そういうやせ我慢は結構好きなのである。スイーィスイースイーィ。 用あって松屋町筋に行って来た。どんな用事かというと、ヤボヨウ(仕事)なので詳しくは話さない。大阪人にとってまっちゃまちとは「人形と結納」の町である。そんな訳で、大阪にも人形にも結納にも私は、すべからく関係ないので、そういった用事ではないことは確かなのである。松屋町には、その他駄菓子屋、花火屋などがずらりと並ぶ、子供パラダイスなのである。しかし、子供は歩いておらず、たいていはいい年した大人ばかりなのである。昔は問屋街なのであったが、今は、それらはほとんどなくなり、そこにマンションなどが建っているのである。今でこそ、平成2年頃に花博が開催されて(ジェニファーロペスが無名時代にコンパニオンでバイトしてたとこね)地下鉄鶴見緑地線が通り、松屋町駅が出来たが、昔は、地下鉄が通るのを商店街が反対して、隣の筋の谷町線だか堺筋線になってしまい、陸の孤島になってしまったということを聞いたことがある。創業天保2年(1831年)たこ竹で食事するが、最近は、寿司と言えば江戸ばかりだが(いわゆる握り寿司系)、大阪寿司というのもあるのだ。大阪寿司とは瀬戸内の魚と厚焼き玉子、キクラゲ、エビ、穴子などを寿司めしと一緒に木枠の押し型に敷き詰め、作ったものを言うのだ。平たく言えば箱寿司である。その他、棒寿司、押し寿司などもあるのである。別に江戸に対抗しているわけではないのである。うっかり私がカクレグルメであることがばれたかも知れない真実の瞬間なのである。それにしても、まっちゃ町自体も江戸時代から400年ばかりの歴史を持つ町なのである。 今日のネタはサバやマグロやウニではなく、半分だけダギリッチさんのパクリである。 実に番号がなっている。うかつにぱちれない。
2006.12.07
コメント(10)
この日記では今まで約2万回程度ネタにしている国がオランダである。別に私がオランダを好きというわけもあるのだが、勿論、完璧な国もあるはずもなく、とにかく問題は勿論一杯あるのだが、ユニークなのが愉快なのである。同性愛の結婚合法化、安楽死の合法化、ソフトドラッグの合法化、売春の合法化・・・寛容の国なのである。何故だか、同じような内容の本でも、オランダとつく名の本を十数冊所有し、贅に入っているのである。そんな訳でオランダを語らせると、ページが200ページに及ぶのでこの辺でやめておく。(やめておくが、近日中に誉めてばかりではいけないのでけなす文章も書きバランスをとる所存である) 話題は、変わるが、その後、ちゃんと、生牡蠣を買って来て、自分でオイスターショットを作ったのである。あるが、何故か、ウォッカの力が強すぎ、酔っ払うのである。牡蠣にアルコールの力があるとは思えないので、私の想像するところ、ウォッカを入れすぎたものと推測される。 話題は、変わるが、先日郡山ラルジ氏の日記に 「しょおもないギャグを飛ばす中年上司に殺意を覚える」といったことを書いていたが、殺意を押しとどめるのは、命の尊さとか、自分の寛容度ではなく、本当に殺してしまった後の処理のメンドクササとつまらぬことで法的処理されてしまう情けなさと恐ろしさ、刑務所に行ってしまった後の生活の変化と失職の恐れ世間体の悪さでしかないのが悲しいのである。 その郡山ハルジ氏も以前Mムーアの華氏911を評論していたのだが、華氏451という本のもじりなんだなあ。華氏451度というのは、紙が燃える温度なんだなあ。焚書のアンチテーゼなんだなあ。「華氏451」という映画も面白かったよ。
2006.12.06
コメント(14)
3回目の海外旅行にバリ島に立ち寄った。よりによって、ジャワ島スラバヤからのバスが夜中の3時にデンパサールのバスステーションに到着するなんて。確かに朝に着くとは聞いていたのだが。そして、バスはどこに行くのだろうか、私だけを降ろして、更に東へと走り去ってしまった。深夜、寝静まったバス停の屋台でコピを飲み、卵を食べた。まだ真っ暗な中、クタビーチ行きのベモに乗った。客が集まるまで出発しないと言うのだが、音楽がガンガンかけられており、バリの暗さをつんざく。おまけに、テープは壊れ何度も同じ箇所で巻き戻され元に戻り30秒しないうちに同じ音楽が流れ、音は割れ、頭がおかしくなりそうなクレイジーなバリの夜明けであった。クタで安宿を探す前に、ビーチに行き、朝になるまで待っていた。徐々に、波の高い海が鮮明になり、ところどころ、現地の人々が歩き始めた。静かな朝だった。波の音だけがし、何も特に用事のない姉妹とバリの軟派師の男が私の横に座り、たわいのない話をした。頭の上にカゴを乗せた女の人がやって来た。そのカゴの中にはバナナの葉にくるんだ弁当があり1つ¥30のそいつを買った。ゆっくり食べる間、手で食べるというのに、スプーンを貸してくれ、スプーンを返してもらうまで、つまり私が食べ終えるまで、じっと横に座って待っていた。4,5時間座っていただろうか。10時近くになり、私は適当な宿屋にチェックインした。その後、安宿にチェックインしたが、どこの安宿でさえも、朝食がつく。バリコピとバナナだ。適当にチェックインしたわりには、偶然にも私の安宿の隣は、マジックマシュルームを食べさせてくれるレストランであった。そういう星に生まれたのであろうか。そして、その後、この安宿から抜け出せなくなったのである。今日のタイトルは放浪さんのパクリがえし
2006.12.05
コメント(4)
何を隠そう、私は合理的な生活をしている。家にいるのが不快になるような生活でもある。家では、読書、音楽、睡眠、映画鑑賞、パソコン、時々仕事、時々食事、時々アイロンがけ、時々トイレ&シャワー以外に何もないというシステムを採用している。システムとは、Aをインプットすれば、Bと必ず同じ答えが出ることであり、驚きハップンは基本的にないのである。棚にはアスピリンを常備しており、頭が痒くなったらシャンプーの代わりにアスピリン。今世紀最大級の薬の発見、王者である。バイエルンである。でも、本当は、薬がいつでも効くように、薬は全然安易に使わないのである。我慢の限界と快楽の時だけに使用するのが正しいのである。合理的である。キッチン上には、明治屋で買ったトマト缶。それからキャンベルスープなんか嫌いだという方々は多いのだが、私は、独身なので、時々は、クラムチャウダーやパンプキンスープを食することを許して欲しいものなのである。ナツメグは、パウダーではいけないのである。玉をゴリゴリ削ってカレーなどにまぶさなければいけないのである(トイモイ哲学)。それからオリーブオイルにも五月蝿いのである。我が家にはオリーブオイルは7種類ぐらいあるのである。(勿論、封は開いていないが、賞味期限も切れている)合理的である。床には新聞紙が反乱、否、産卵、否、散乱しているのだが、そのために床が汚れないというメリットもある。飲んだワインの空き瓶は、月に1,2度の廃品回収には間に合わない速度で消費されていくのが、問題と言えば、問題である。合理的である。床には観葉植物とオークション出品物も散乱している。私は、これでも遅れてきたフラワーチルドレンなので、決して小泉チルドレンではない。そんな訳で、夜しか家にいないので、夜に、一緒に二酸化炭素を生み出しているのである。ネットオークションのスペースは結構とってあるので、送り間違いも発送忘れも今のところ、エクセルで管理しているのでない訳だ。素晴らしい。エクセル管理表を見る限り、この半年で106個の出展で102個を売りさばいている。売れ残っているのは、台北で買ったスタバのタンブラーに、2007年のスケジュール帳、韓国で買ったペヨンジュンのスポーツドリンク、ハワイで買ったTシャツ、キャセイパシフィックの時計、スカンジナビア航空のよだれかけ等である。写っているのは、ファンケルの無撚糸バスタオルである。試供品である。800円で売れているのを確認しているので、ファンケルカレンダーつけて800円でオークション中である。ハンカチは、アイロンをかける用意周到さである。その横にあるのはコーヒー豆入れであり、帰ってからも日々の疲れに対し、5杯以上のコーヒーを飲んでから眠るのである。コーヒー豆代は、考えれば、月5,000円ぐらい使っている計算になるのである。今、気がついたので、1日4杯にしようかと思案中である。それらを置いているのが、オフィスなどで使うスチール製アングル棚である。まるでオフィスのようである。マイオフィスである。合理的である。ハンガーについては、母親が、ハンガーにちゃんと服をかけなさいと貰ったものである。多分、自分の家のゴミを私にくれたのであろう。何故、私が服をハンガーにかけていないことが分かったのか千里眼を持っているのか、わたしの性格を見破ったのかは謎である。とにかく、ありがたく貰ったはいいが、何故か床に落ちている。何故だかは、歴史が証明してくれるであろう。掃除機については言うまでもない。好きな時に掃除機をかけられるので、ずっと床に出ているのである。スイッチ一つで掃除機がかけられるというメリットがあるが、闇夜の中では、時々、足をブチ当てて泣くはめになるというディメリットもある。ちなみにテントも写っているが、これは、家でもテントが張れるようにというのは嘘で、キャンプに行く時にすぐに取り出せるようにである。しかし、誰かと住むとなれば、すぐ追い出されることが予想されるので、テントは床に転がしておく必要はあるのかも知れない。合理的である。扇風機は、年中出ているが、ストーブも年中出ている。出ていると言うことは、出してくる手間が省けるという合理性があるのである。ちなみに扇風機は、ベッドで眠る私の身体に当たるように、折り畳みイスに置いてあるが、私の家には、そのように、折り畳みイスが9脚あるのである。6脚は折りたたんだままなので、世間でいうところの在庫のように思える。でも中古で1個百円だったのだから9個買ってしまったまでである。誰にも文句は言わせないアルよ。ちなみに、時計が写っているが、アニエスベーである。賢明な方々なら分かると思うのだが、アビエスビーではないのである。合理的である。寝酒も飲めるように、置いてあるのである。しかし、埃が入るので、できるだけ空にしておき、できるだけ洗うようにはしておくのである。コップは、Iittlaである。フィンランドのメーカーであり、偉大なる、建築家アルバーアアルトーと関係あるのである。合理的である。洗濯物は室内で干しっぱなしが原則である。そうすることによって、仕舞う必要もなく折りたたむ必要もなく、収納スペースをとる必要もないのである。合理的である。床にカレンダーが置いてあるのは、床を汚さなくて済むからである。袋がいっぱい見えるのは、クリーニングの袋に過ぎない、あまり意味がないのである。しかし、合理的である。背広の終わり。背広に穴が開いたので、この背広君は終わりである。でももったいないので、どういしょうかと、置いたままになっているのである。しかし、考えれば、1へーホーメートルに幾ら払っているか考えれば、あまり得策ではないのかもしれない。残念ながら非合理的である。
2006.12.04
コメント(12)
2006.12.03
コメント(8)
子供の頃は、よく鍋で牡蠣がでたのだが、子供の私は、好きではなかった。大人になってからは、好きでも嫌いでもなかった。社会人になって、初めてニューヨークで生牡蠣を食べてみてから、はっきりいってよくも知らないのに牡蠣フリークの一味でもある。 ヨーロッパでも牡蠣三昧したのだが、日本の牡蠣がヨーロッパにも進出している。40年前にフランスの牡蠣がウイルスで全滅して、日本の牡蠣が進出してフランスを救ったのである。(3年前にも書いたような気がする)シアトルバンクーバーでも牡蠣三昧したが、日本の牡蠣がアメリカ大陸にも進出している。 シアトルは、シアトルの牡蠣があり、オリンピアオイスターという。近郊のオリンピア国立公園の名前から取ったものであり、かなり小さい500円玉程度の牡蠣殻である。シアトルのオリンピア国立公園が対岸に見えるが、その何だっけ、ピュージェット湾、淡水が混じって海水が薄く、干満が激しいというのが良いのである。 実は、オイスターショット、こいつが旨い。グラスにオリンピア牡蠣を5つ、トマトジュースにペッパー、そしてウォッカである。日本でもオイスターバーで飲める。私も早速家で造ろうと、ウオッカを買ってきた。 しまった!牡蠣買ってくるの忘れた。あ、トマトジュースも忘れた。今夜の俺は酔っ払いそうだぜ。
2006.12.02
コメント(14)
最近は何を作るのもレシピがHPのどこかに存在する。ワヤンが流れていた。インドネシアのジャワ島やバリ島で行われる、人形を用いた伝統的な影絵芝居であり、ヒンズー寺院での祭りなどで行われ、インドの古代叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」などが主な演目である。白いスクリーンを貼り、その裏から、石油ランプを当てる。間にワヤン・クリの人を置いて、芝居を行う。観客は石油ランプや人形の反対側から鑑賞するようになっている。ジャワ島の古都、ジョクジャカルタでは、どこでどう見たのかよく思い出せないが、夜な夜な鑑賞したような気がする。ジョクジャの近郊といえばボロブドゥール寺院が有名であるが、プランバナンというヒンドゥー寺院もある。ジョクジャ市内から20キロ程の郊外にあるのだが、よく分からなかったので、はじめ歩いていこうとしたのだが、途中でベチャ(インドネシア式リキシャー)を拾い、自転車で1時間程かけて出かけたのだが、寺院はまだまだ再構築中で、寺院よりも、ゴロゴロとまだ復元されていない無数の石材が雑然と積まれ、むしろその方に驚く。どう考えても、完全に復元されるのは、永遠に無理と言う感じであり、ほったらかしという感じであった。その石材にも、装飾が施されていて、1個ぐらい盗んでも誰も気がつかないのではないかと思ったほどだった。 ジョクジャカルタでは民家に泊めて貰っていたのだが、そこでは、遊びに来ていたワルガキに、手持ちの缶詰1個をくすねられたという思い出を残しつつ、ソロ(スラカルタ)に向かった。以上。
2006.12.01
コメント(6)
全32件 (32件中 1-32件目)
1