Ellie's Room 

Ellie's Room 

小学生時代






≪ 小学生時代 ≫





小学生時代は、不安から始まった。
同じ幼稚園には同じ小学校に行く人が
一人もいなかった。すっごく不安だった。


 友達に

『私は人見知りするタイプなんだ』

って言っても本当に私の事を知っている人以外
誰一人として信じてくれないけどさ。
今でもそう。



  私は案外人見知りするタイプ



 でも、他の人がそう思わないのは、
そう感じないのは、いつも、人見知りしないように、
初めての人ばかりのなかに入るとき、

『行くゾ!!』


って心の中で自分に喝を入れているから。
気合を入れているから。
きっとこれをしなかったら、
自分から人に声をかけるなんてできないと思う。


だから、知らない人ばかりの所に行って
友達を作るなんて、私にとっては至難の技。

中国に来た日もそうだった。
中国人の先生(外国人の世話役)が
空港まで迎えに来てくれていた。
その時彼と、


 『はじめまして…エリーです』


しか言えなかった。彼の英語がわからなかった
とかそういうんじゃなくて、単に
緊張していていつもの『行くゾ!!』っていう
気合を入れるのを忘れていたの…。


 翌日彼と会った時には
もう普通にたくさんしゃべるEllieに
なっていたんだけどね。


 話は小学校に戻るけど、
本当に小学校の初めはイヤだった。
どうやって友達作ったらいいの?


実際どうやって友達作ったか、覚えていません。
でも、確か、私の得意な鉄棒絡みで
友達ができた気がする。
昔の私は猿みたいに鉄棒がうまかったから…。

 体育の授業で鉄棒の時間があったの。
逆上がりとかできない子をよそに、
一人でぐるぐる回ってた。
小さい頃から鉄棒してたから得意だったんだよね。


 小学校に入ってすぐのこと。今でも覚えていることは、
入学して早々にズル休みをした事。


 小学校一年生、まだ6歳。
でも、私は仮病を使って休みました。


 ズル休みをした日。
その日は、一年生の歓迎会でした。
普通だったら喜んで学校に行くのかな?


 でも私はとってもいやだった。
一年生の歓迎会で、一年生が在校生に対して
お礼を言う出し物をしなければいけなかったの。
それがすごくイヤで、、、


   人見知り+緊張屋なんです。


 イヤで朝、お腹が痛いと言いました。
でもお母さんは熱を測って熱があったら休んでも
いいと言う。母の基準はいつも熱だったから。

 結局熱はなかったんだ。
でも、隣の家に住んでいるおばちゃんが
ちょうど家に来ていて、お母さんに聞こえるように


 『熱がなくてもお腹痛いんだよね』


 って言ってくれたことで休む事になった。


 今ではちょっと後悔してるかな。
ちゃんと行っておけばよかったな~~。


 そんな私ですが、同じ小学校に6年間もいたら
そりゃあ、慣れに慣れてガゼンやる気な女の子。
かなり活発でした。

 よく放課後に男子からお声がかかって、
鬼ごっこしてたなぁ~。かなり男化してたんだろうな。
ロマンチックなお声じゃなくて、
いっつも男の一員みたいに扱われて
お声がかかってたな~~。(懐かしい)


 小学校の頃、いろいろな習い事をしました。
家にいる事、友達とのんびり遊んだ事って
今思うと、あまりなかったかもしれないな。

 私の両親は、いろいろなことをさせてあげたい。
エリーにどんな才能があるかわからないんだから、
いろいろなことをしたらいいと思う。
その中で何かエリーにある才能が見つかるかもしれない。

 こう考えていた人達でした。
今では、いろいろなことをするチャンスをくれた
両親にとても感謝しています。

 こんな私の習ったこと・・・


 ピアノ・エレクトーン・習字・英語
サッカー・水泳・スキー


 だったかな…。サッカーは市のサッカーチームに
入っていたんだけど、女の子は私一人だけ。
近郊の市のチームを合わせても私一人だけだったかな。
今でもサッカーは大好き。サッカーをもっと真剣に
したかったな~。

水泳は私が喘息だったから、
私の体を強くするために入りました。
ちょっと泳ぐのが速くて、選手コースっていう
グループに入ってしまいました。

 選手コースでは、毎日2時間の練習があるんです。
2時間で合計5キロくらいは泳いでいました。

水泳をやったおかげで、体はだんだん強くなったようです。
自分は実感がありませんが、母はそう言いました。
小さい頃のようにすぐに熱を出さなくなった…から。


 毎日習い事に行っていました。
母の送ってくれる車で毎日毎日。
曜日によっては、ひとつに2つの習い事がある日も…。
でも、大変だと思わなかった。楽しかった。


 今では絶対にこんなタフな日は送れないと思います。
あの頃は良くやったもんだ。
それで毎日学校にもちゃんと行ってたわけだから。。。
恐るべし子供の回復力&体力!!!



 それでは、小学校の時に私が感じていた親です。


 あるひとつの出来事で、


 それは小学校のマラソン大会。
1年生の時はわけもわからず走って、
14位くらいだったかな。
2年生では1桁台。
3年生は3位くらい…。

じょじょに親も期待するわけです。
私もがんばろうと思っていました。

しかし・・・


 4年生のマラソン大会の前、
私は風邪をひきました。同時に喘息おまけ付き。
体が強くなったとはいえ、相変わらず風邪を引いたら
必ず喘息おまけ付きでした。


 マラソン大会の前日か前々日まで休んでいました。
少し楽になったので登校。
それでもまだ歩くだけでも大変。
普通の速さで歩いたら心拍数が上がりすぎて、
呼吸が足りません。
学校に着いた時には『ヒーヒー』を細々としか
呼吸ができないありさま。
もちろん走ったらどうなるかなんて想像がつきます。


 しかし、母はマラソン大会を休むことなんて
考えていませんでした。私自身、休むともいえませんでした。
なんで言えなかったのかわかりません。
でも、休んだらいけないって感じていたんだと思います。
それよりも私には、マラソン大会の後の
思い出の方が大きすぎて、覚えていないのかもしれません。


 マラソン大会。
走りました。走りましたというより、歩きました。
走り始めてすぐに、呼吸ができなくなりました。
走っているとき、心拍数は上がるわけで、
その分酸素が必要になります。
しかし、私の体は充分な酸素を取り込めません。

 数秒で私の体はだるくなりました。
気を失いそうでした。呼吸が足りなくてフラフラしました。
それでもリタイヤしたら、


 『母はなんと言うだろう…。』


 そんなことが頭をよぎっていた。
歩きながらもなんとかゴールしました。
結果、後ろから2番目?1番目?くらい。
悔しかった。風邪さえひいていなかったら
こんな順位じゃなかった…。


 家に帰って、私は順位なんて言いたくなかった。
でも、母は楽しみにして聞いてきました。
案の定思っていた態度。。。


 『はっ?』


 大会中に歩いたことを言ったら



 『なんで歩いているの?』



 苦しかったんだって!!本当に苦しかったんだよ。
呼吸できなくて、目の前ボーっとしてきて、
それでも走りつづけたんだよ。
むしろ私は褒めてほしかった。
がんばりぬいたことを褒めて欲しかった。
どんな思いで走りぬいたのか、理解して欲しかった。

 でもきっと母には、私がただ走るのが
きつくて歩いたと思っていたんだろうな…。
わかってもらえなかった。すごく悔しかった。
(喘息の人にはわかると思います。)

それ以来、自分の中でなんとなく、
母の前での自分がどういなければいけないのか
わかった気がした。




『 母が喜ぶようにがんばらなければ・・・ 』
『できが悪かったらダメなんだ・・・』




 *・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*



 高校のとき、私が少し激しい喘息に再びなったとき、
母はやっと私の症状がとても深刻なものだと言う事に
気づいたようです。病院に行って点滴をその時初めて
しました。その様子を見て、


    『重病人みたいだね…』


だから、重病人なんだって!!!!
喘息の時に動いたらどれだけ大変か、
母はそれまで気づいていなかった。


小学校の時に気づいてくれていたらな…。








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