全2928件 (2928件中 2851-2900件目)
< 1 ... 53 54 55 56 57 58 59 >
今年最後の画廊廻りは、東邦画廊でした。今年、7月3日から7月22日までの3週間、京橋・東邦画廊で”堀本惠美子新作展”が開催されました。ちょうど、第12回京橋界隈2006の開催日、7月3日から15日間での開催日に重なった時期に開かれました。今年は、京橋界隈の14の画廊が参加しての、それぞれの画廊が、それぞれの画家を選んでの企画展でした。一般の人たちに、少しでも画廊廻りになじんでいただきたいと言う願いから始まったようです。銀座、京橋界隈の画廊は、一説によると、300以上もあると聞きますが、だんだんマニアの人のみが見る展覧会になってしまっているように思われます。それの突破口として始まったのが、この企画のようです。今は、各自治体も美術館を持っていて、これからも、次から次へと新しい美術館が出来ていきます。美術関係者や、記者や、評論家や、一般の方々も前より、美術館へ足が向いているように思われます。今、生きて活躍中の、又はこれからの作家の作品を現在進行形で見ることが出来るのが、画廊の展覧会の魅力のひとつです。好きな画家を見つけて、応援していける”生”(ライブ)の楽しみもあります。良心的な画廊で、優れた画家の作品を紹介している画廊が、次から次へと無くなっていくと言う話を聞いてから、もう何年にもなります。美術館に行く機会の、五の一を画廊へ向けてみては、、、、、と言うのが私の感想と提案です。京橋界隈2006のパンフレット京橋界隈2006のパンフレットの表紙の拡大パンフレットの中の、堀本惠美子新作展の案内そして、今年最後に観た展覧会は、東邦画廊の「田口雅巳展」でした。”昭和の絵師”と言われている(もう平成ですが)画家の読売新聞「編集委員が読む」挿絵原画展でした。236点に及ぶ、5年以上、毎週ほとんど描き続けた挿画の多様さには、本当にびっくりすると共に、社会風刺の挿画は、風刺漫画を越えている内容の深さにただただ脱帽でした。そのなかで、画家・三尾公三を取り上げた随筆(芥川喜好編集委員)「ある情熱のかたち」と挿画 [2003年7月6日]に、一人の画家として見逃すことの出来ない画家の原点を見ました。一年の終わりに、田口雅巳氏に5年を越える週間日誌(?)の絵を見せていただいて、持続する力のエネルギーを戴いたような気がしました。来年も、ブログ日記を続けて、少しでもお役に立てることがあったならと思っています。明るい、未来がひらけますように。。。。。[東邦画廊のホームページは、左のブックマークの中の東邦画廊をクリックください。] ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.26
コメント(0)
22日、今年最後の、銀座の画廊廻りをしました。来年の6月15日(金)-27日(水)堀本惠美子の画廊企画の個展が開かれる、ギャラリー日比谷へ立ち寄りました。個展はすでに65回以上開いていますが、このギャラリー日比谷での企画個展は、来年はなんと20回目となります。ギャラリーは、3階までありますが、1回から2階へ行く階段の常設スペースに私の作品が飾られていました。しばらく、飾られているようです。アトリエでは、来年の展覧会の準備を始めています。ギャラリー日比谷は、JR 有楽町駅・日比谷口より徒歩1分・晴海通り沿いのギャラリー日比谷ビルにあります ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.24
コメント(0)
神戸のルミナリエがきれいだそうです。昨年東京のミレナリオは最後となりましたが、その幻想的な風景をなつかしく思い出します。去年は余りの混雑に見るのをあきらめましたが、おととし見た東京のミレナリオの画像が今は懐かしいです。ちょうど、東京・銀座の銀座書廊に展覧会”コソボの子供の絵とともに”[左のブックマークの中の、東京IIIゾンタクラブチャリティーアート展/コソボ 参照] の打ち合わせに行った帰りに、有楽町駅あたりから並んで見ました。携帯電話の画像ですが、とてもよく写りました。目の前の人の多さにもかかわらず、現実の世界から、神秘の世界へと導かれるようでした。☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.21
コメント(4)
続いて、麺類の紹介です。ようやく、冬らしく寒くなってきました。風邪も流行っているようで、すぐ出来る、暖かい一品そどうぞ。1.うどん葛うどん、姿煮した[蓮根、大根、人参、牛蒡]、油揚げ、小松菜、水菜、ゆずの皮、海藻の精、白だし、しょうゆ、モグソール又は塩(海の精)。葛うどんを茹でます。葛うどんはつるっとしていて、のど越しが大変良いですし、栄養的にも風邪治しにはぴったりです。多め水に、海藻の精(昆布10cm角)と白だしを入れて暖めます。そこに、姿煮した野菜を適宜に切り、油揚げを加えて沸騰させます。(野菜に火が通っているのですぐ出来ます)味見をして、しょうゆまたは、モグソール又は、塩(海の精)で味を調えます。茹で上がった麺の上に、具沢山汁を加え、茹でた小松菜と、水菜、ゆずの皮を添えます。2.天日干し沢庵、うめぼし3.陽性のお茶
2006.12.21
コメント(0)
今日は、洋風のベジタリアン麺類です。1.スパゲッティースパゲッティー、青梗菜(ちんげんさい)、ほうれん草、ミニトマト、シメジ、しいたけ、桜海老(少々)、オリーブオイル、海藻の精、岩塩(少々)、にんにく2片、たかのつめ2本、イタリアンパセリ、大葉。スパゲッティーを茹でます。みじん切りのにんにくを弱火のオリーブオイルで黄色になるまで、ゆっくり炒めます。そこにたかのつめを入れてさらにいためて、その後たかのつめを取り出します。そこに、上記の野菜を適宜に切り加え、さらに桜海老を加え、オリーブオイルで炒めます。そこに、海藻の精、岩塩、イタリアンパセリとスパゲティーの茹で汁を少々入れて煮ます。(海藻の精が無い場合は、昆布10cm角、しょうゆ少々で代用します。)麺が茹で上がったら水をよく切り皿に盛り、野菜入りたれをかけます。上に、大葉を散らします。にんにくの香りがとてもよい一品です。2.姿煮の筑前煮こんにゃく、しいたけ、たけのこ、牛蒡(ごぼう)、人参、蓮根、鞘インゲン、海藻の精、しょうゆ少々、水姿煮した人参と牛蒡と蓮根に上記の野菜の乱切りを加えて、海藻の精としょうゆを入れて、ひたひたの水で煮ます。(海藻の精の代わりには、昆布10cm角を使います)3.生野菜きゅうり、パセリ、藻塩梅
2006.12.20
コメント(0)
そろそろ大晦日の年越し蕎麦の時期が近づいてきました。一年は早いものですね。今まで、”年越し蕎麦”とついている名前のものを買ってきて、おいしかったためしが無いので、このごろは家に常備している’”究極そば”と言う銘柄の乾麺を使うことが多いです。今日は、蕎麦の乾麺の中では一番おいしいと思った”究極そば”を使ったメニューです。1.蕎麦究極蕎麦、そばつゆには”がんこ一徹”と言う銘柄のそばつゆを使います。辛口がお好きな人向けです。2.精進揚げサツマイモ適宜、シメジ適宜、大葉適宜、全粒粉、冷たい水、オリーブオイル、白ごま油各野菜を適宜に切り、全粒粉を冷たい水で溶いて、オリーブオイルに少し白ゴマ油を足したしたもので揚げます。(水は、冷蔵庫で冷やしたものを使うか、氷を入れて冷やしたものを使うと、からっと揚がります)3.かぼちゃ饅頭前のものを参照 (かぼちゃとサツマイモを使います)4.ポテトサラダ前のものを参照 (マヨネーズでなく、とうにゅうーずを使います)5.天日干し沢庵6.長芋のおろしたもの7.大根おろし8.陽性のお茶9.蕎麦湯
2006.12.19
コメント(0)
ベジタリアン麺類ー1玄米菜食は基本的には、1日2食の人が多いです。中には、3食の人もいますが、玄米が重くて3食,食べられない人もいます。それで、1食は麺類を食べる時もあります。今回は、ベジタリアンのための麺類を紹介したいと思います。1.ベジタリアンラーメンベジタリアン用の乾麺(かんすいを使っていない)、姿煮した[蓮根1,5cm、人参1,5cm、牛蒡1,5cm]、しいたけ1個、しめじ小半パック、たけのこスライス1枚、茄子半分、にんにく1片、小松菜適宜、水菜適宜、海苔、オリーブオイル少々油で、にんにくのみじん切りを炒めます。そこに茄子の薄切りを入れて炒めます。姿煮した野菜や、しいたけ、しめじ、たけのこを入れて炒めます。多めの水を入れ,海藻の精(又は、昆布10cm角)と白だしを入れて煮ます。出来たら、ベジタリアンラーメンについていた添付のだしを味を見ながら加えます。別鍋で、麺を茹でます。小松菜も別鍋で塩茹でします。茹で上がった麺に上記の具沢山汁をかけて出来上がり。上に小松菜と水菜と海苔を添えます。2、付け合せぬかづけのきゅうりに、トマトと大葉を添えます。ベジタリアンラーメン(袋入り乾麺)は、自然食品店で販売しているものを使用しました。
2006.12.18
コメント(0)
急に寒くなってきて、風引きさんも多くなってきました。私も少し、風邪気味が続いています。それで、今回はとっても温まる豆乳シチューです。1.豆乳シチュージャガイモ2個、たまねぎ1個、人参(姿煮したものあるいは、生のもの)小1本、白菜3枚、オリーブオイル小さじ1、豆乳パウダー大匙4杯、よしのくず、イタリアンパセリ、バジル、ゆずの皮、海藻の精小さじ1。たまねぎを薄切りにしてオリーブオイルで炒めます。色が変わったら、ジャガイモの小さめの乱切りを加え、人参が生の場合は薄切りにして加えます。(姿煮の人参の場合は後から加える)白菜は3cm角くらいに切って全部を炒めます。ひたひたの水を加えて,海藻の精(または昆布10cm角2枚)と、ハーブ類を加えて煮ます。材料が小さめなので、すぐに火が通ります。ジャガイモが柔らかくなったら、豆乳パウダーを水で溶かして加えます。吉野葛も水で溶かして加えます。最後に味見をして味をととのえます。塩を使わなくても海藻の精や昆布の塩味と、ハーブの香りで塩分控えめの料理が出来ます。盛り付けに、水菜とゆずの皮を乗せます。2.ささがき牛蒡きんぴら牛蒡2本、オリーブオイル少々、海藻の精小さじ1。(喜界島の黒砂糖)皮を洗った牛蒡をささがきにします。オリーブオイル少々で炒めます。少なめの水を加えて、海藻の精(または、昆布10cm角)としょうゆ少々を加えて煮ます。甘めが良い人は、喜界島の黒砂糖を少々加えます。汁が煮詰まってきたら、七味唐辛子を加えます。(風邪でのどが痛い場合は控えます)3.かぼちゃの煮物かぼちゃ半分、水、海藻の精小匙1。(喜界島の黒砂糖)かぼちゃ半分を、ほんの少しの水に、海藻の精(又は、昆布10cm角)を入れて煮ます。甘みが足りない場合は、喜界島の黒砂糖を少々入れます。[喜界島の黒砂糖は煮物にぴったりで、少しなら身体にも良いです]4.りんご2種青りんごと赤いりんごを食後に5.玄米炊き方は、前のものを参照上に、姿煮したゴマをかけます。6.お茶野草茶風邪気味のときは、すぐに出来る上記のお料理がぴったりです。
2006.12.17
コメント(0)
「能面を観る会」で、50面以上の様々な能面を見ながら、それぞれの面についてのとても分かりやすい解説を受けました。女面でも男面でも、それぞれの顔が、それぞれの身分や性格などを現すのに、とても理屈にかなっているように彫られているということに皆、びっくりしました。たとえば、鼻の大きさについては、身分や立場などで、面の鼻の大きさが変わってくる話など、思わず参加者の鼻を見比べてしまうほどでした。又、翁の面でも、身分や立場や、内面で面相が違ってきます。年とともに、自分の顔には自分で責任を持つということが、良く理解できました。能面が無表情どころか、無限の表情を持つということが、50面以上の能面を観て,参加者に理解して頂けたのではないかと思いました。そして、私が17年前、入院・手術した時、病院の副院長先生に、父・羽生光善の能面集をお渡しした時のことを思い出しました。先生は外科の先生で、沢山の患者さんの手術や死に立ち会われています。そして、能面集を見て数日後、先生がおっしゃいました。「この能面集を見ていて、一面、一面、亡くなっていった患者さんの顔が浮かんできました。そして、涙でいっぱいになりました。患者さんたちの魂と又会ったように感じました。能面は、本当にリアルですね。」私は、その話を聞きとても胸が熱くなったのを思いだしました。実際”能”の中では、能面をつけた姿で舞台に現れるのは、あの世の住人としてなので。。。あの世とこの世の橋渡しをしているのが能面なのかも知れません。 ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.14
コメント(6)
ロレアル賞 ワークショップの4年目の5回目は、青のフェスタ・・・生死のあわい・・・」というテーマで、小林康夫先生(東京大学教授・ロレアル賞選考委員)との対談でした。2000年12月に、東京デザインセンターで開かれました。そこでは、私の臨死体験の話に及びました。小林先生は私の臨死体験がきっかけとなって、私が魂の世界を描くようになったと思われましたが、私はその前からすでに、魂や異次元空間の作品を描いていたということをお話したと思います。この度、12月8日、9日の対談や講演で、能の話や能面の話へとなり、”霊”の世界の話が出てきたので、これを機会に私の”臨死体験”の話をしてみたいと思います。以下は私の画詩集 [やすらぎの青 祈りの青」 からの抜粋です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青で絵を描きはじめてから30年以上の月日がたちました。青色で描くことで、どんな時にも私の心や魂は癒されてきました。人は生きていく中で、様々な経験をします。受験や失恋、結婚や出産と、そこまでは私も人並みでした。しかしその後の経験は、まさか自分に起きることだとは、夢にも思っていないものでした。結婚後15年ほど経てからの離婚。それは、自分が望んでいたものではなかったので、その決着がつくまでの3年近くの歳月は、自分の心と体を知らないうちに痛めつけるものになっていたのです。今では良く聞きますが、S字結腸ガンでした。その入院中の不思議な体験は、後から本やテレビなどで立花隆さんなどがリポートされている「臨死体験」というものと全く同じものでした。寝ているベッドから自分が離れて天上近くにいるのです。先生や看護士さんたちが慌てているのが見えます。私はこれほど元気なのにと思っても、どうしても伝えられないのです。実際、今まで体験したことのない至福感を感じているのです。しかし、看護士さんの「ご家族の方を呼びましょうか」という声、先生の「ちょっと待て」という雰囲気に以上な緊迫感を感じます。そして、カルテを読み直した先生が「点滴をはずせ」と大声で言いました。点滴の管がはずされると、私の目はパッとあき、今度は先生や看護士さんが、下から見上げる形で見えます。そして酸素マスクをされた息苦しい自分がベッドにいるのです。皆の「良かった」という安堵感が全身に伝わってきました。点滴ミスで、私が瀕死の状態に陥ったということは、その時にはぜんぜん理解できていませんでした。それがはっきりと、臨死体験、遊体離脱の体験と分かったのは、その後2,3年もたってからのことでした。”生きる”とは何か、”人は生まれ、そして死ぬ”とはどういうこのなのか、という疑問を、学生時代は哲学を通して学んでいました。私は、その答えを、自分が絵を描くことで見つけていこう、そう思って入ったのが、絵の道でした。この不思議な体験を通して、心は体を離れても存在した事実を知り、自分という存在は魂という形で永遠にあるという不思議な感覚とともに、なんともたとえようもない安心感を持つことが出来たのです。この体験は私を大きく変えました。死ねば終わりと思っていた私が、肉体が無くなっても魂は永遠にあると思えたら、生半可な生き方をしていたのでは大変なことになると思うようになったのです。頭で、”生や死””生き方”を考えていた時とは大きく変わってきました。今となってみると様々な経験も、私が心や魂の世界を絵で描いている中で、必然の出来事なのだと思えるようになりました。起こることには、すべてが意味のあることだと思えてきたのです。世の中に起きること、身の回りに起こることを、それをどのようにとらえて生きていくか、という学びの場が、この世なのだと気づかされたのです。この殺伐とした時代に、このようにして生まれてきた絵や詩を通して、みなさんが、やすらぎや希望、そして生きていく無限のエネルギーを感じ、心の扉を開くきっかけとなれば、それが私がこの世に生きてきた意味なのだと思います。瀕死の状態から、また生を受けた、私の役目なのだと思います。今、生かされていることに、感謝の気持ちでいっぱいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして今、私は高次元の魂の世界の表現に取り組むようになりました。 ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.12
コメント(4)
8日に、世阿弥の”言葉”を聞いて、9日は、「羽生光善の能面を観る会」でした。面打ち一筋70年余り、今年89歳の羽生光善翁の能面を、身近に手に取ったりして観る会です。能の本舞台で使える能面は、現代の作家の能面では非常に数が限られています。能舞台で無限の表情を見せる光善翁の能面を観るまたとない機会です。それで、声をかけた多くの人たちが、このチャンスに是非参加したいとおっしゃいました。寒い雨の降る日だったにもかかわらず、会場の和室には、沖縄からの参加者もいて、二度と無いチャンスに心躍らせてきた方々が多かったようです。はじめは、能面に関する四方山話から始まりました。90年の体験と研究からくるうんちくは、なるほどと人々を唸らせる話ばかりです。いよいよ、能面を木彫りのところから手にとって見せてくれます。棚に、50面以上の能面がきれいに整頓され、錦の袋に並べられて入っています。素人に分かりやすく、子供の面から青年の面、女面、男面、翁の面、鬼の面などと順番に、それぞれ面の特徴や見方をとても分かりやすく説明してくれました。室町初期に、猿楽の徒の中から観阿弥・世阿弥の親子が現れて能楽が今日の姿に近い存在になったようです。その当時に顔の研究が進んで、それぞれ”霊”になった人の心や身分を現す顔としての”面”が完成していたと思うと本当に感嘆いたします。(一部霊でない面もありますが)”面”はほとんどの場合、この世の住人ではない,“霊”の存在として、能舞台に登場するのです。”面”のよしあしが、能の重要な部分を占めます。今回は、能舞台での能面を見るというところまでは行きませんでしたが、手にとったり、顔につけた面を観たりと、博物館や展覧会場で動かぬ面を見るのとは違った体験となったと思います。最後に、謡曲連盟の会長でもある光善翁の情景の浮かぶような深々とした”松風”の謡曲のさわりと、沖縄の琉球笛の師範である、知念久光氏の民笛の、哀愁のある透明な音色に酔いました。そして、来年90歳とは、とても思えないエネルギッシュで、今でも探究心と研究心の衰えないその向上心にそこに居合わせた人は、皆ただただ、脱帽するばかりでした。終わった時にはすでに3時間を回っていました。「一期一会ですから]という言葉を残して、翁は次の予定の会場へと向かいました。羽生光善は私の実父です。生地の面を付けてみる女面を観る鬼の面を観る琉球笛を聞く ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.11
コメント(0)
ロレアル(化粧品会社)は、文化事業として、{「色」ー科学と芸術の出会い }をテーマに 、この10年の間に(1年に5回のワークショップ-対談など)「ロレアル賞連続ワークショップ」を東京・五反田の東京デザインセンターで開いてきました。今回が10年目で50回目を迎えますが、これを機にこのワークショップは終わりとなります。今年は、12月8日(金)、9日(土)、15日(金)、16日(土)、22日(金)と開かれます。ワークショップとは別にロレアル賞というのがあって、こちらは毎年1000万円の賞金が出るので話題になりました。私は、ワークショップの4年目の年の第5回目に招かれて、小林康夫先生(東京大学教授、ロレアル賞選考委員)と[青]について、私の屏風画の前で対談をしたことがあり、その当時のことが、懐かしく思い出されます。タイトルは、「青のフェスタ・・・生死のあわい」でした。ワークショップの会場に、3点の屏風と10点ほどの絵画を並べ、さながら小展覧会場といった雰囲気でした。対談では、私の臨死体験の話や、「青という色はとても神秘的で、絵を描いていると、心や魂の世界に導かれていく」という話をしたように思います。他に、3人の詩人も招かれていて対談をしました。。。。。今年が最後のロレアルワークショップと聞き、又、8日(金)は、まったく知らない世界のデザイナー三宅一生の登場ということもあって、是非参加したいと思いました。招待をされていたので前の席に座ることが出来、そのファッションをよく見ることが出来ました。小林先生は、世阿弥の言葉を基に、三宅一生の、それまでのファッションとは違った取り組みを分析して見せました。今でもなお、「初心」である三宅一生を解説してくださいました。又、お二人の対談の仲で、小林先生の質問に対して、一生さんは、「日本人は、一生懸命やっている人間に対して、冷たいのではなく、無関心だ」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。世界の三宅一生でさえ、日本人をそのように感じるのかと思い、日本人の国民性に対して、とても悲しい思いがしました。三宅一生の服の解説が始まり、とてもわくわくする時間でした。色使いがとてもビビットで、世界で活躍する日本人の仕事を見させていただいたという印象でした。私たち、アートをやっている人間からするとISSEY MIYAKE の服は”アート”に見えましたが、それはご本人は嫌っているそうです。会場には、ISSEY MIYAKE の服を着た人があちらこちらにいました。知らないファッションの世界を垣間見た、楽しいひとときでした。小林先生の、いきなりの世阿弥の言葉に不意を突かれました。又、それよりも明日(12月9日)開かれる”能面を観る会”の主催を私はしているので、そのシンクロニシティーにびっくりしました対談プリーツ加工した2枚の紙の間から服を取り出すプリーツ加工した服を着たモデルパーティー会場でロレアル賞連続ワークショップの詳細は、http://www.nihon-loreal.co.jpを参照 ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.09
コメント(2)
12月に入って、朝晩急に冬の寒さが感じられるようになってきました。頂いたエラブユリは、絵画教室の生徒さんにも、一箱づつ差し上げましたが、皆それぞれの家の庭で芽が出てしまっています。ちゃんと土の深くまで埋めたのですが、植えた時期が早すぎたのでしょうか?丈夫そうにどんどん育っています。もうすぐで霜が降ります。大きな植木鉢に植え替えたほうが良いか思案中です。忙しいと、家の外に一歩も出ないうちに日が暮れてしまいます。☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.07
コメント(0)
東京の殺風景な道路は、紅葉の頃はケヤキ並木や銀杏並木が延々と続く幹線道路がとても美しくなります。都内から郊外へ向かう路上からの写真です。絵を運ぶ大きな車の車窓からの風景です。☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.05
コメント(0)
12月6日・7日・8日と大丸(大阪・心斎橋店・南館 8F 美術画廊)にて、「名士寄贈書画工芸作品展」が開催されます。主催は毎日新聞 ・大阪社会事業団です。大変な金額が集まり、毎年社会福祉のお役に立てているそうです。私も毎年、毎日新聞・大阪社会事業団のお願いに答えて、関東地方から作品を2点寄贈させていただいています。このチャリティー展には、全国から書・絵画・工芸のファンが集まり作品を買われていくそうです。早い人は、朝の7時半ごろから大丸前に並んでいるそうです。東京での個展の折、会場で”私の作品を持っている”という人に会いました。でも、私はその人が作品を持っているということを画廊の人からも聞いたことはなかったので、どこで手に入れたのか聞いてみました。”大阪まで行って、チャリティー展で絵を買いました。”とのことでした。新幹線に乗って行ってもまだおつりがくるくらいにチャリティー価格になっているそうです。気に入った作品を見つけたら、本当に掘り出し物だと思います。近い方は、一度覗いて見られるのも良いかもしれませんね。作品は完売されるそうです。私は、今回は手彩色版画の作品と、墨の小品を出しました。まったく知らない方の家に飾られるのでしょう。 ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.05
コメント(0)
3日、KTの集いで、マンドリンの貴公子、堀雅貴君のミニミニコンサートが開かれました。2005年にKMA(Kubota Musik Akademie)器楽科卒業。同年第1回大阪国際マンドリンコンクールで、第3位の腕前を持つ大学生です。合奏のマンドリンは何度も演奏を聴いたことがありましたが、マンドリンの独奏会は初めてでした。マンドリンとマンチェロのの演奏の確実なテクニックは、いろいろなジャンルの演奏により、あるときは琴のように、あるときは三味線のように、あるときはハープのように自在に操られる音色はとても大学生の演奏には思えないほどのものでした。豊かな音の花園に舞い込んだようなひと時でした。その演奏の質の高さから、すでにプロとしてご活躍しています。きっと皆様も、これからいろいろなところで、堀君の演奏を聞く機会が増えることでしょう。私の屏風絵も、そのさわやかな演奏のお役に立てたようでした。 ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.12.04
コメント(0)
すき焼き風煮物は、味付けに少し甘みを入れた煮物です。忙しい時の一品。1.すき焼き風煮物人参。牛蒡。白菜。白滝。白きくらげ。えび。海藻の精または昆布10cm角。白だし。メープルシロップまたは、黒砂糖少々。しょうゆ適宜。姿煮した人参と牛蒡を乱切りにする。白菜は適当な大きさに切る。白滝も10cmくらいに切る。えびはお好みで。白きくらげの歯ごたえがとっても良い一品です。2.キムチ3.姿煮姿煮した、蓮根、サトイモ、人参にセロリを飾りつける。トウニューズ(大豆から作ったマヨネーズ)をつけて。4.玄米ご飯。以前を参照。5.お茶以前を参照。
2006.12.02
コメント(2)
今日は、洋風料理が食べたい時のメニューです。たまには、あじの天日干しもおいしいです。1.蓮根ハンバーグ姿煮した蓮根1節。たまねぎ中半分。パセリ少々。松の実少々。自然塩少々。オリーブオイル適宜姿煮した蓮根とパセリをカッターにいれてみじん切りにする。たまねぎを乱切りにしたものをカッターでみじん切りにする。たまねぎのみじん切りを少量のオリーブオイルで炒める。さめたら上記のものと松の実少々を入れて、モグソールまたは自然塩を加えて、よくこねて、楕円形にまとめる。オリーブオイルで両面を焼く。(姿煮した蓮根は、ねばねばしているのでまとまりやすい。松の実の適度のあぶらぽっさと歯ごたえが魅力的)ケチャップとソースと海藻の精(昆布の出汁)でソースを作る。付け合せのサラダは以前のものを参照。2.鯵の天日干し長ネギの網焼きと、パセリを添える。3.筑前煮風煮物前回を参照。4.かぼちゃ饅頭 (冷凍したものを常温でもどす)以前のものを参照。5.白菜の漬物6.野菜スープ前回のものを参照。7.昆布巻き8.玄米ご飯以前のものを参照。前回の作りおいた料理を生かしながら、次のお料理を決めるのも楽しいですね。蓮根ハンバーグは、みんなおいしいと評判です。肉のハンバーグのおいしさに負けていません、是非おためしを。
2006.11.30
コメント(0)
今日は、姿煮した野菜(人参、大根、牛蒡,蓮根)を煮物にしたお料理です。このお料理が一番の定番料理です。1.筑前煮風煮物干ししいたけ3枚。人参1本。大根4cm。蓮根(小)一節。こんにゃく1枚。なめこ1パック。たけのこスライスしたもの5まい。海藻の精小さじ1杯又は、昆布10cm角。白だし小さじ1杯。しょうゆ少々。水は材料がひたひたに隠れる程度。干ししいたけを水に入れて戻す。(戻した水は煮物に加える)短冊切りにする。こんにゃくをお湯で洗ってから、包丁で、切り目を両面に入れて、味が沁みるようにする。さいの目に切る。姿煮にした野菜をさいの目に切る。なめこを一房ずつにする。たけのこを大き目のいちょう切りにする。こんにゃくを乾煎りしてから、しいたけの戻し汁を入れて、干ししいたけを入れる。他の材料も順次入れていく。ひたひたの水を入れてから、海藻の精などの調味料を入れて、ふたをして煮る。干ししいたけに火が通ったら、火をとめてしばらく蒸らす。味が沁みて出来上がり。2.大根サラダ大根の皮をむき千切りにする。ミニトマト、大葉、ゆずの皮の千切りを飾る。ドレッシングは、りんご酢:オリーブオイル=3:1 の割合に自然塩少々を加える。3.小皿には、ゆず、天日干し沢庵、梅干しを載せる。4.吸い物白菜、春菊、豆腐、人参の薄切りを入れ、海藻の精又は昆布10cm角を入れ、白だしをいれて煮る。大根サラダの皿のゆずを散らして戴く。5.玄米おいなりさん圧力釜で炊いた玄米を一握りづつにして、油揚げ(海藻の精または、白だしとしょうゆで煮る)に詰める。甘めが良い場合は、オリゴ糖または、メープルシロップを少々だしに加える。6.陽性のお茶又は、3年番茶筑前煮風煮物は、何回かに分けて召し上がれます、お勧めの一品です。
2006.11.29
コメント(0)
今日は、姿煮の作り置きのないときのお料理です。冷蔵庫の中の物を探して、作ったお料理です。1.レンコンきんぴらレンコン小一節、牛蒡[ごぼう]中くらいの太さ1本,人参中1本,オリーブオイル大匙1杯、海藻の精小さじ1杯(又は、昆布10cm角)、白だし(小さじ半分)味を見てしょうゆ少々、七味唐辛子少々、水はお鍋に材料の3分の1位レンコンと牛蒡と人参の皮をむき、(今回は姿煮でないので早く火が通るように皮をむきました)短冊切りにして、オリーブオイルでいためます。そのあと、上記の調味料と水(浄水器などの水)を順番に入れて、ふたをして煮ます。時々上下をかき混ぜます。最後に七味唐辛子を入れて、かき混ぜます。 盛り付けの時にも上から七味唐辛子を散らしますので、少し少なめに混ぜます。2.サトイモの煮物サトイモ6ケ、海藻の精または白だし小さじ1杯、昆布1枚、しょうゆ少々、水は材料が隠れるくらいサトイモの皮をむき、上記の調味料と一緒に水から煮ます。水菜を添えます。3.ポテトサラダ前回と同じジャガイモと人参を水から煮て、きゅうりを塩もみ(自然塩)したものをトウニューズであわせます。4.大葉の納豆和え大葉8枚、納豆半カップ(しょうゆ、からしつき)大葉を細切りにして、納豆で絡めます。5.玄米ご飯前回を参照玄米に姿煮した(何十時間も煮たごまー市販のもの)すりごまをかけます6.お茶陽性のお茶 (三年番茶でも良い)庭で咲いているビオラを飾りました。
2006.11.28
コメント(2)
頂いた花束を生け花へ又ひときわ花の美しさが際立ちました。霜月の庭は、夏の花と秋の花と冬へ向かう花が渾然と混ざって咲いているのがうれしいです。霜が降るまでの賑わいです。アジサイ(今年は秋から咲き始めました)ベゴニア(長い間楽しませてくれる手のかからない花です)花手鞠(名前が間違っていたら教えてください)何回も花をつけます。インパチェンス(霜が降りるまでのあとわずかの命です)種がこぼれて育ったビオラとクローバー(ほっといても咲く花もあるのですね)ゼラニウム(丈夫な花ですが、においの嫌いな人もいます)ビオラとえらぶ百合の芽(9月に植えたえらぶ百合の芽が出てしまいました。このままでは冬を越せそうもありません。植え方が浅かったのかもしれません。)あと少しで、本格的な冬がやってきます。庭も何かもの悲しい雰囲気がします。それで、クリスマスの飾りをするのかもしれませんね。
2006.11.27
コメント(0)
雨に降られることもなく、無事にバザーを終えることが出来ました。バザーに来られる方は、だんだん慣れてきて、午前中に一斉にいらっしゃるようでした。デパートにあるようなものが大体あるような感じです。お値打ち品が多いので、一度いらした方は、又来年もといらっしゃるようです。東京3ゾンタクラブのコーナーでも、手ごろな価格のものからどんどん売れていきました。私が出品したケニアティー(東アフリカの子供を救う会)の紅茶は完売し、絵葉書も売れましたが、絵はなかなか難しかったです。やはり、場所柄もあるのでしょう。東京1ゾンタクラブのの目玉の篠田桃紅会員が病気で欠席のため、その絵のコーナーがシーンとしてしまい、その影響もあったようです。東京3ゾンタクラブの前のテーブルでしたので、、、。お早いご回復をお祈りしています。いろいろありましたが、さまざまなコーナーで、格安品を買っている会員もとても楽しそうでした。来年、近い人は是非どうぞ。。。クリスマス商品もお値打ち品がそろっていました。詳細は左記のブックマークの欄の東京3ゾンタクラブをクリックしtご覧ください。又は、 東京3ゾンタクラブの下記のページを参照ください。URL: http://blogs.yahoo.co.jp/zontacluboftokyo3/44587970.html ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.11.26
コメント(2)
日本オペレッタ協会・芸術監督の寺崎裕則さんから、梅野記念絵画館(長野)で7月にお会いした時、オペレッタへの熱い情熱をずーっと聞かされました。そこに居合わせたメンバーは、それでは一度オペレッタへ行ってみようかなと思う迫力でした。今回私は始めて、オペレッタの入門編の舞台を見ることが出来ました。銀座十字屋ホールでの”霜月音楽会”-”魅惑のウィンナ・オペレッタ”(その魅力と魔力)が11月22日(水)の7時よりありました。そもそもオペレッタという言葉を知っている人も少ないくらいです。わたしも今回始めてオペレッタを見て、その楽しさを知りました。オペレッタはごくごく簡単に言うと、オペラの喜劇版です。日本で言うと、能に対しの、狂言に近いかもしれません。マイクを使わないので、豊かな声量と踊りと演技が出来て初めて舞台が勤まるという、完成度の高い音楽劇です。寺崎さんは、「このような殺伐とした時代に、3角関係、4角関係,5角関係の男女のお話も最後には、元の鞘に納まるという、めでたしめでたしの喜劇のオペレッタを是非、日本にも広めたい]と熱い情熱を語られました。田代誠、万里生の親子のテノールの迫力と美声、オペレッタのマドンナのような、酔わせるような歌声の木月京子のアルト、針生美智子ののびやかなソプラノ、早川修司の歯切れの良いテンポのピアノと、どれも大満足でした。何よりも、オペレッタは笑いの中にお話が進むので、リラックスして見られるのが良いです。2月9日、10日、11日には、オペレッタの本公演があるそうです。「ルクセンブルグ伯爵」(平成18年度文化庁芸術創造活動重点支援事業)が東京JR 王子駅にある[北とぴあ・つつじホール]で開かれるそうです。又、行きたいと思いました。舞台後の写真を紹介します。舞台の上で左から 3番目・中村千恵子氏(銀座十字屋社長)真ん中・寺崎裕則氏 左・田代万里生氏 右・田代誠氏左から2番目・木月京子氏 真ん中・早川修司氏 右・針生美智子氏
2006.11.25
コメント(0)
今日、絵画作品や絵はがき、ケニアティー(東アフリカの子供を救う会)などを、3つのダンボールに詰めて、ゾンタクラブのバザー会場である、赤坂プリンスホテル・別館・1F・グリーンホールへ送りました。いよいよ、バザーはあさって26日(日)です。私の個展会場では、お見せしたことのない風景画も展示します。一足先に一部をご紹介します。沖縄・恩納村☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.11.24
コメント(3)
次の日曜日11月26日は、東京1ゾンタクラブ主催のチャリティーバザーが開かれます。東京3ゾンタクラブも創立以来、毎年参加しています。40のいろいろなショップの、とてもお値打ち品の出る見逃せないバザーです。又リサイクルショップもあります。東京1 のコーナーでは,篠田桃紅会員や吉田千鶴子会員の版画も並びます。ここでは、東京3ゾンタクラブの出品内容をお知らせします。私も絵画作品の小品「宇宙の愛のメッセージ」の絵と、個展会場では未発表の、日赤医療センター(広尾)で展示されているような花や風景画も少し並べます。希望・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第41回 チャリティ・バザー○ 会場 赤阪プリンスホテル 別館1階 グリーンホール (地下鉄銀座線・丸の内線赤坂見附駅ー赤坂地下歩道[D]紀尾井町方面口から徒歩3分)他○ 日時 2006年11月26日(日) 10時 ~16時○ 入場無料◎ 東京3ゾンタクラブのテーブル ワンコインでブランド品をゲット!恒例のフリーマーケット 画家による美しいデザインのカード、絵葉書、レターセット、絵画小品を特別価格で ホームメイドのクッキー(えっ、プロが作っていると思っていた!) ニュージーランド産高品質のマヌカハニーで、この冬も風邪知らず! 毎年ついつい欲しくなる、魅力的なアクセサリー各種 「東アフリカの子供たちを救う会」のケニア・ティー◎ 東京3ゾンタクラブのバザー収益は、主に、ドメスティック・ヴァイオレンスの被害女性や子供のための、シェルターや自立支援活動のために、活用致します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・詳しくは、東京3ゾンタクラブのホームページ(左記に記入)をクリックしてご覧ください。とっても、豊かな気持ちになれるバザーです。☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.11.23
コメント(0)
日赤医療センター(広尾)には、私の絵が5点飾られています。今日、定期健診に行ったので、写真を撮ってきました。3年前に入院手術をして、その後回復してきて、ようやく絵筆をもてるようになって、談話室などにある花を描いたのがこれらの作品です。秋田の田沢湖に行って、ついたとたんに腹部が痛くなって、そのまま東京に戻ってきて緊急入院となりました。スケッチ道具を持ったままの入院でした。手術は3回目でしたので、開腹手術もかなり難しく、結構危ないところまでいきましたが、又この世へ戻ってこれました。再び命を戴くと、花の命もとてもいとおしく思えます。30分も筆を持っていると体力の限界で倒れるほどに疲れてしまいます。その頃に描いたのがこれらの作品です。病院の担当者の方が私の絵を見て、「是非病院に飾らせていただければ]とおっしゃってくださいました。もちろん喜んで寄贈させていただきました。退院までに8点ぐらい描いて、そのうちの4点がこれらの絵です。今日、病院に行って、久しぶりに絵を見てとても懐かしく思いました。文字通り、手術直後に全身全霊で描いた「小さな花の絵」が、弱っている心や体の患者さんたちの心にぴったりと寄り添うのでした。そして絵を描いた私自身が、生きる力と勇気と希望を与えられたように思えたのでした。余談ですが、手術後食事が出来るようにようになってからの回復は、玄米菜食の料理を持ってきてくれた娘のお陰で、見る見る良くなり、先生方にもびっくりされました。日赤医療センター(広尾) 5F 西棟 談話室南の香りひめりんごと花たちきいろの花たち紫苑実は、花の絵や風景画は、チャリティー展以外では、個展(65回以上開いていますが)では発表していないのです。その後定期健診に行っている、内科の診療室にも ”宇宙の愛のメッセージ”の絵が飾られることになりました。生きる勇気と希望の湧いてくるような絵が良いとのことで選んだのが、この絵です。第二内科診療室の絵 ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.11.20
コメント(2)
展覧会が終わってしばらくすると、大きな作品の設置があります。昨日と今日は、たてxよこ が 112cmx175cm の作品 [黄金の光」(日暮里)と、112cmx175cm が3点が合わさった作品 「宇宙の風」(新横浜)の設置と見学に行ってきました。大きな作品が設置されるのはうれしいものです。作品を別のところで見ると、「子供が親から独立して離れていった感じ」に似ています。作品をご紹介できないのが残念ですが。帰りに、渋谷にあるbunkamura ザ・ミュージアムで開かれている スーパーエッシャー展を見てきました。雨で空いているかと思ったのですが、、、、。45分待ちました。こんなに長く並んだのは、ミロのビーナス以来です。美術系の若者が多く読んでいる「美術手帳」に特集が組まれたり、テレビで毎日宣伝されているためもあるのでしょうか? 多くは若者たちでした。若者に人気なのは、CG画の元祖だからということもありますが、1970年代初めに若者だった男性からの熱い視線もあるようです。「少年マガジン」の表紙で一躍有名になったそうです。私は、長崎のハウステンボスが出来たころ、そこでエッシャー展を見て以来ずっと気になっていました。今回、イヤホーンの音声ガイドを聞きながら、克明に見ていきました。後半の超不思議な秩序だった空間のだまし絵のような作品のみならず、前半のイタリアへ行って作り上げた版画のすばらしさを発見出来ました。むしろ、こちらのほうが、芸術的といっても良いのかも知れませんが。現代の作家でも、エッシャーの作り上げた作品のほんの一部を、一生かけて描いている作家も多いように思いました。エッシャーのあふれるばかりの才能と、緻密な思考に感嘆しました。人間界や宇宙界の相反するもの、善や悪、白と黒、上と下、表と裏を巧みに秩序だって表現するの異能に、芸術を超えた取り組みを感じました。ただ、死を迎えて最後に懸命に取り組んだのがだまし絵ではなく、克明に蛇を描いている秩序だった作品なのです。天使や悪魔も描いて、宇宙の秩序に関心を持った作家が最後に蛇を描いた理由を知りたいと思いました。天国的な気落ちで死を迎えられなかったのなら悲しく思えました。エッシャー展の切符売り場文化村のカフェはもうクリスマス ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.11.19
コメント(4)
「玄米”彩”食」の文章の中に、陽性、陰性とかアルカリ、酸性などの言葉が出てきますがそれらを大別した表を下記に記入しました。「千坂(ちさか)式食療法」では食べものの性質を、4つに大別しています 陰性・酸性食品 薬、たばこ、アルコール、 油、白米、 牛乳、果物、 菓子類、うどん、そばetc 陰性・アルカリ食品 夏野菜、生野菜、 きのこ類、山菜 、酢etc 陽性・酸性食品 魚介類、鶏肉、牛肉 豚肉、卵、etc 陽性・アルカリ食品根菜や海藻の長時間煮、 玄米の長時間炊き、熟成 した味噌、醤油 、梅干し etc それぞれ食べ物は、身体にとっていろいろな働きがあるので、それらを生かした食べ方をすると良いです。(陽性・酸性食品)と(陰性・酸性食品)は余りとらないほうが良いようです。いつも良いものばかりを、食べ続けるのも難しいと思いますが、なるべく身体に良いものを食べたいと思います。特に病気治しのときは、必要ですね。それでは、今日のメニューです。ベジタリアンカレー ベジタリアンカレーみじん切りの玉ねぎを弱火でオリーブオイル少々で炒めます少し小さめのぶつ切りにきったジャガイモと、太目の千切りにした肉厚のしいたけを加えて炒めます姿煮(11月15日参照)したごぼう、レンコン、にんじん、大根を加えて炒めます次に油抜きした油揚げの太目の千切りと、松の実を加えますよく炒めたら、ひたひたの水(浄水器やペットボトルの水がペスト)を加えて、具材がやわらかくなるまで煮ますそこに、ベジタリアンカレーの素を加えます。(動物性油脂の入ってないもの)時間のあるときは、自分で、スパイスをあわせて作ってください盛り付けた皿に、ペパーミントを飾りますライス玄米ご飯、黒米入り(炊き方は11月15日参照)トマトときゅうりのとうにゅーずあえ(15日参照)白菜キムチ福神漬け大根サラダ大根をスライスカッターで、薄く切り、水にさらしてから絞ります大根サラダのドレッシングりんご酢(2.5)、オリーブオイル(1)に、モグソール(自然塩、ヨモギエキス、昆布エキスで作られたもの)少々を入れ、よくかき混ぜますお水浄水器やペットボトルの水など安心できる水に、庭から取ってきたペパーミントを浮かせます庭のペパーミント
2006.11.17
コメント(2)
続けて、姿煮を応用した料理を紹介します。姿煮入りミネストローネ姿煮入りミネストローネ姿煮(11月15日の日記参照)したごぼう、にんじん、大根、レンコン、リンケッツ(大豆製品のウインナー状の物をスライスしたもの)を「海藻の精」または、昆布10cm角と、ケチャップと皮を湯むきしたトマトをつぶしたものを入れて煮ます。味見をしてから、最後に隠し味のしょうゆを少々入れます。濃くがでなかったらソースもほんの少々入れてみます。最後に水菜を散らします。(この後もいろいろなバージョンをご紹介します)このメニューは、人気があります。焼き油揚げ熱湯で油抜きして網で焼いた油揚げに大根おろしと水菜を添えます。かぼちゃとサツマイモの饅頭かぼちゃ(丸ごと又は2分の1にしたもの。2分の1にしたときは種をとりくりぬきます)とサツマイモ2本ぐらいを一緒に蒸かし器で蒸かします。同量のかぼちゃとサツマイモを別々に、皮をとってから、すりこ木で滑らかになるまでつぶしてから、二つをあわせて混ぜます。かぼちゃの水分や甘さにあわせて、干しぶどうの量を調節して、料理ベラで混ぜ合わせます。かぼちゃが少し水分が多い時は、干しぶどうを使って、水分を吸い込ませます。ラップ類を使って、茶巾にまるめてから、干しぶどうを上にも載せます。かぼちゃは有機栽培のものと、普通のものでは、味がまったく違うのでびっくりします。お子様もにも人気の一品です。(残ったかぼちゃの皮は、味があるので、味噌汁や煮物になどに入れて使います。)たくわん(天日干し)ブドウと柿普段は果物も食べませんが,頂いたときは時々食べます。果物類は病気を治す時には大敵です。(陰性なので身体を冷やします)玄米ご飯(小豆入り)炊き方は、11月15日参照圧力釜の中に土鍋を入れた炊くときは、お米がふやけないので、炊き上がったときお米の量は増えないのです。それで、お茶碗に少なに盛ってください。普通の玄米炊き電気釜を使って炊いても、土鍋を使って炊いても良いです。お茶陽性のお茶次回は、千坂式で言うところの、陽性と陰性、アルカリと酸性を説明したいと思います。
2006.11.16
コメント(4)
マクロビオティックと言う言葉を良く聞くようになりましたが、日本語では、”玄米菜食”です。余りにも生真面目過ぎる言葉なので、色とりどりのお野菜から作るので、私は「玄米”彩”食」と名づけています。私が絵を教えている生徒さんで、片道2時間30分かかってくる方がいます。その方は午後から夜まで通しで絵を習いに来ているので、どうしても夕食が必要です。私と一緒に食事をとり、あまりにおいしいので、とうとう絵だけでなく、玄米”彩”食も教えて欲しいということになりました。彼女が顔の怪我をしましたが、その治りもこの食事と千坂式の治療法で、みるみる良くなっていくのを見て本当に多くの人に知って欲しいと思いました。もちろん、私もいくつかの大病をこの食事療法で克服してきて、今の私があると思い、心から感謝しています。彼女に指導したメニューなどから、ご紹介したいと思います。冬の鍋料理から鍋料理も、風邪ひきさんの居る時などは、一人ずつ初めから取り分けてから並べると良いと思います。鍋料理焼き豆腐、白菜、ほうれん草、春菊、にんじん、まいたけ、えのき、白滝 (肉や魚は入れません)最後に水菜を入れます。 大根おろしとポン酢で食べます。このときの野菜は有機野菜(無農薬栽培)を使います。にんじんなど硬いものは、すでに姿煮してあるもの(下記参照)を最後に入れます。煮物姿煮した、にんじん、サトイモ、大根を[海藻の精」としょうゆ少々をいれて煮ます。一度煮てあるので、すぐ出来ます。大葉を添えます。「海藻の精」は昆布エキスなど海藻10種類ぐらいを煮詰めた調味料です。この代わりに昆布10cm角を使っても良いです。ひじきの煮物長ひじきを水で戻してから油揚げを入れます。油揚げは必ず熱湯で油抜きをして使います。調味料は、「藻塩梅」です。これは,梅肉といくつかの海藻のエキスから出来ている調味料です。これにしょうゆをお好みで入れます。[藻塩梅」の代わりに梅干1個とと昆布5cm角でも良いです。ポテトサラダゆでたジャガイモと、きゅうり、ミニトマトをとうにゅーず(大豆のマヨネーズ)であわせます。玄米ご飯圧力釜(電気釜タイマー付き)の中に水をいれ、その中に土鍋を入れて、3時間炊いた玄米ごはんです。今回は黒米入りです。これに、[藻塩梅」小さじ1杯を加えます。または、昆布10cm角と梅干2個を入れます。玄米5合に、水3合半で炊くので、米のかさは増えません。ねっとりとやわらかくなります。ー姿煮ー有機野菜の大根(1本)、にんじん(3-4本)、レンコン(1-2節)、ごぼう(2-3本)を皮をむかずによく泥を落として、土鍋に3cmぐらい水を入れたところに、一緒に入れて「藻塩梅」小さじ1パイと煮ます。約2時間ぐらいはじめは中火で、煮立ってきたら弱火で煮ます。「藻塩梅」は昆布2切れと梅干2個でも良いです。慣れないうちは、焦げないように時々鍋の中を見たほうが良いです。この姿煮は、4日ー5日ぐらいは冷蔵庫で保管出来るので、これを煮物に入れたり、味噌汁、スープへ入れたり、カレー、シチューに入れたりして使います。すでに火が通っているので、料理はあっという間に出来ます。姿煮を作った煮汁は、冷氷皿に入れて冷凍庫で固めます。煮物や味噌汁の時の出汁に入れます。今回のお料理も約30分で出来ます。玄米ご飯は早めに作っておき、そのまま保温できます。実は、忙しい人向けの調理法なのが、実際に作ってみるとわかります。この料理法でお分かりのように、砂糖は一切使いません。にんじんなど有機野菜の甘みを生かして料理をします。どうしても必要な時は、メープルシロップやオリゴ糖(安心のメーカーのもの)などをを使っています。 お茶は、お茶の中で唯一”陽性”と言われている、”陽茶”(やんちゃ)です。キクイモやタヒボ、ウーロン茶、プーアル茶、ヒノキや籾の抽出物も入っています。これは、代わりがないかも知れません。これらの食べ物の多くは、体を温める陽性のアルカリ性の食べ物が主です。細胞を新しく作る力のある食べ物です。これから、いろいろご紹介していきたいと思います。
2006.11.15
コメント(2)
コソボではどんな食事をしているのだろうかと、玄米菜食(マクロビオティシャン)の私は、はじめから気になっていました。食事療法をしているので、動物製品は食べられないことを初めから伝えてありました。コソボへ着いてすぐの夕方、ホテルの野外レストランで乾杯から始まりました。皆アルコールには強いようです。コソボ滞在中、本当に立派なレストランばかりに連れて行ってくださいました。給料は、日本の10分の1ぐらいですが、物価は余り日本と変わりません。レストランの食事代も日本並です。どうして生活が出来ているかと不思議でしたが、国連の援助があるのでどうにか生活できているようでした。高級そうなレストランばかりに連れって行って下さるので恐縮していると、他のところは安全な食事かどうか分からないので、大丈夫な所に案内してくださっているとのことでした。そのお心使いにまたまた恐縮してしまいました。私は肉はだめでしたが、コソボでチーズ類を食べないとほとんど食べられるものがないので、かなりチーズ類は戴きました。とってもおいしいチーズでした。一皿の量もとっても多いです。毎回たくさんのご馳走をして下さり、私たちへの歓迎が痛いほど伝わってきました。最後のお別れパーティーの開かれた会場は、私たちが泊まっているホテルでした。私たち以外にはあまり泊り客もいないようなホテルでこの後すぐ取り壊されることになっているようでした。いつも私たちの貸しきり状態でレストランのサービスはとても良かったです。壊されるホテルでしたので、部屋のあちこちには、不備が生じていましたが、、、、、。たくさんの思い出とともに、名残惜しいお別れパーティーでした。次には、日本で是非お迎えしたいと強く願いました。コソボアートギャラリーのルアンさんが1月に来日予定と聞いて楽しみにしている所です。コソボに到着して初めてのホテルの野外レストラン (関係者の方々と)山の頂上のレストランでの食事断食の時期に入っても、多くの人たちは食事やお酒を飲んでいるとのことお別れパティーのホテルのレストランコソボアートギャラリイーで発行した画集に堀本の作品が掲載され、サインをしてプレゼントをしてくださるところ今回の貴重なプレゼント(コソボアートギャラリーの館長のルアンさんが自費で出版)コソボ出発間際にプリシュティナの市場を散策種類は少ないが、色とりどりのたくさんの野菜や果物たちコソボの平和を心から願っています。。。。。。。。。。。。
2006.11.14
コメント(2)
電車を乗り間違えて、青梅行きに乗ってしまいました。立川駅の次は、西立川駅です。駅より2分の国営昭和記念公園を思い出して、立ち寄ってから家に帰ることにしました。昭和記念公園は立川基地跡に作られた巨大な公園です。年々整備されて、近頃はとってもすばらしい佇まいになってきました。都心の人にはあまり利用されていない穴場です。多摩地域の子供づれの家族や年配の方たちが多いようです。天候に恵まれたこともあって晩秋の空の美しい午後でした。11月は、コウテイダリアが満開です。イチョウの紅葉はまだ早いようでした。空気のすがすがしさもやはり都心にはないものでした。ここは季節ごとの花々も美しく、写生にも向いています。思いもかけず、1時間ほどの贅沢な小旅行を楽しむことが出来ました。水鳥の池コウテイダリア高さ4mになる中・南米原産の巨大なダリアですコウテイダリア紅葉した木々パンパスグラス高さ2-3mになる大型植物で豪華な花穂が出ますパンパスグラス☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.11.13
コメント(0)
10月24日は国連ディです。あまりなじみのない記念日ですが、国連の理解を深める日として設定されました。私の所属している東京IIIゾンタクラブでは、国連ディを記念して、国連公使としてご活躍された、木全ミツ氏をお迎えして11月10日に講演をお願いしました。講演のテーマは、「最後の切り札、日本女性という国家資源の活用」という、女性がとっても元気をもらえそうなタイトルです。木全氏の経歴は、ほかの人と比べようもないほどにすばらしいものですが、その努力もずば抜けています。このような女性が日本にいらして努力してくださってきたにもかかわらず、日本の女性の地位は他の先進国といわれる国に比べて、今だにまだまだ低い立場にあります。それが、国連での地位の低さにも現れているようでした。男性と女性がともに生かされる社会を作るのは、本当に難しいことだと思いますが、それぞれがそれぞれの立場で、一歩一歩考えていくこと、話し合ってお互いの理解を深めていくこと、そして実行していくことの大切さを改めて考えさせられた、かけがえのない講演会でした。東京ウイメンズプラザ(東京・渋谷)にて詳細は、左記のブックマークの中の東京3ゾンタクラブをクリックください。又は、東京3ゾンタクラブの下記のページを参照ください。URL: http://blogs.yahoo.co.jp/zontacluboftokyo3/44587175.html
2006.11.10
コメント(0)
明日から、沖縄でコソボの子供たちの展覧会が開かれますが、今回は、コソボの学校訪問でプレゼントしていただいたコソボの子供の絵などをご紹介いたします。訪問した3つの学校で、それぞれとてもユニークな作品を送られました。はじめに訪問した学校でプレゼントされた滝の絵とてもリアルに描かれていて、かなり大人っぽい作品です。教室に飾られている粘土細工(小学1年生にあたる年齢の作品)とても上手なのでびっくりしました。プレゼントして頂いた民族刺繍で出来ている絵とその上に載っている粘土細工とってもかわいいりんごです。日本からの子供の作品を各学校にプレゼント(私の教えている絵画教室の生徒の作品)とても喜んで頂けました。2番目に訪問した廊下に壁画のある学校の生徒の作品(毛糸の貼り絵とモザイク画)とてもユニークで、根気の要る見事な作品です。日本からのプレゼントー七夕の絵のちりめんの風呂敷7月7日の日の彦星と織姫のお話をしました。3つ目の学校でプレゼントされたコソボの民族衣装を描いた絵女性の校長先生(右)と絵の先生(左)コソボでは、いろいろな分野で女性がかなり多く要職に就いているので驚きました。日本の新宿区立・鶴巻小学校からのご好意で、コソボの学校へ贈られた生徒たちの沢山の絵や折り紙のプレゼントは、国際平和展/コソボの開催1ヶ月前に送ったにもかかわらず、私たちがコソボを離れる日までとうとう届きませんでした。私は、折り紙を多量に手持ちの荷物に入れておいたので、”平和の折鶴”を生徒たちに教える時には本当に助かりました。又、東京IIIゾンタクラブの”東京IIIゾンタクラブ・チャリティーアート展―コソボの子供の絵とともに”での収益からお送りした寄付金は、それぞれ、”生徒たちの絵を飾るパネル”、”中古の版画のプレス機”、”絵の上手な子供のための奨学金”とそれぞれの学校でとてもよく考えられて使われていましたので感激しました。いろいろなハプニングがあリましたが、コソボの子供たちの限りないエネルギーに未来の光を感じたコソボ滞在でした。 ☆カウントされると励みになりますので、 ↓各バナーへクリックお願いします☆
2006.11.09
コメント(0)
自然食料理の玄米菜食(マクロビオティック)を始めてそろそろ18年がたちます。きっかけは、癌の手術後の薬の副作用で手足の指の皮がすべて剥けてしまって、何もすることが出来なく、廃人同様になってしまったことからです。ちょうど個展開催中のとき、私の指の状態がどんどん悪くなっていく情況を知った絵のコレクターの方が紹介してくださった方法が、玄米菜食だったのです。その当時は、まだ良く知られていなかった方法ですので、その頃のほとんどの資料をコピーしてもらって、納得できたので初めました。千坂式というものでした。今はテレビで、身体には根菜類が良いとか、玄米が良いとか、海藻が良いとか紹介されていますが、実はそれは日本の昔からの食べ物です。又千坂式食事療法はそれらの食べ物をとって病気をなおしていく方法です。私は、スペース青というアトリエギャラリーを時々開催していますが、そこにご招待したお客様に自然食料理をお出しして、かれこれ10年近くになりとても喜んでいただいています。私の”宇宙の愛のメッセージ”の絵を描くエネルギーの元の重要なひとつには玄米菜食があリます。折に触れて、メニューをご紹介できれば、何らかのお役に立てるのではと思っています。玄米菜食やそれに近い食事をしていれば、日本の現代の成人病の多くは防げるのではと、日本の医療費も少なくなるのでは、と密かに思っています。根菜類ときのこ類、こんにゃくのミネストローネかぼちゃとサツマイモの饅頭ポテト饅頭ゆでキャベツの、ひき肉状グルテンバーガー(大豆製品)添え味噌味(仕立て)黒米入り玄米おにぎりトマトときゅうりのとうにゅーず(大豆のマヨネーズ)カナッペ大根、ごぼう、にんじん、レンコンの姿煮 作り方は、またの機会にご紹介いたします。
2006.11.08
コメント(4)
そろそろ、花壇の花の冬支度の季節となりました。霜が降りると、今まで庭でカラフルに咲いていた、インパチェンスやベゴニアなどは一気に枯れてしまいます。ほうずきの実は葉脈が網目状に残り、中の赤い実が透けて見えています。秋も大分深まってきました。今日は、パンジーとビオラを買ってきて花壇の開いているところと、ハンギングバスケットに植えました。これから、一歩一歩来年に向けての花壇作りが始まります。
2006.11.07
コメント(0)
日光の竜頭の滝の力強い滝の流れと中禅寺湖の静かな湖面は、近くにありながら動と静を同時に堪能出来る貴重なスポットです。歩いて約10分ほどのところにあります。中禅寺湖のこのスポットは静かに自分を振り返るのにうってつけの場所です。人もめったに来ない静かな所です。
2006.11.06
コメント(0)
今年は紅葉が美しいと、立山連峰を撮り続けている写真家が山からメールを送ってきました。私は予定がいろいろあり、紅葉を見に行けるか微妙なところです。近くの山の紅葉と銀杏並木の紅葉を見るだけとなりそうです。それで昨年の美しい那須の紅葉を思い出しました。山奥の古びた由緒ある温泉宿近くの風景です。
2006.11.05
コメント(0)
コソボの子供たちの絵の展覧会の日程が決定しました。日時 :2006年 11月10日(金)・11日(土) [いずみ苑文化祭の日]―12月末まで (詳細は会場にご連絡ください)場所 :老健施設 いずみ苑 (医療法人 和泉会)住所 :〒904-2205 沖縄県うるま市字栄野比1150電話 :098-972-7123 FAX :098-972-5688コソボの子供たちの絵 20-30点と 今までの5回にわたる日本でのコソボの子供たちの絵の展覧会の資料 と 私の絵と版画を各1点づつ展示いたします。和泉苑の苑長の安田未知子さんは、熊本で今日から開かれている身体障害者の”スペシャルオリンピック”に沖縄代表団を率いて行っています。帰ったら展示が始まるそうです。コソボの子供たちの絵の展覧会は、ガールスカウト日本連盟の本部(東京)でも展示されました。ガールスカウトは2004年、その年のテーマが”平和”であったことから、コソボの子供たちの絵の展示を決定してくださいました。そして、私の絵の展示と講演”国際平和展/コソボ”ー”アートを通じて世界をつなぐ、平和への思い”も開催されました。9月のことです。そして、偶然にも安田未知子さんは、ガールスカウト日本連盟の沖縄中部地区の代表でもあります。いろいろな縁の繋がりを感じました。沖縄で戦争体験のあるお年を召した方々をはじめ沖縄の方々は、コソボの子供たちの戦争体験を、本土の私たち以上によく理解共感してくださることと思っています。安田さんは沖縄でご活躍されている方々の会報誌”談笑”に掲載されていますように、”中部ひめゆり同窓会”のメンバーで、ひめゆり部隊の下級生で、”校長のおそばつき”だった方です。その壮絶な体験は、今読んでも凄まじいものです。それらの体験から、様々な方々の為に尽力される人生を今日まで歩んでいらっしゃいます。そのいずみ苑で、今回コソボの子供たちの絵の展覧会が開催されるのは、本当に貴重な機会と思っています。心より感謝しています。コソボの子供たちの作品 (日本の5年生から中学2年生の年齢の作品)[戦乱直後の絵](戦争はノー)(燃える家々)(戦車の行進)(赤く燃える夕暮れ)[戦乱が収まって穏便な日々を取り戻してからの絵](魚釣り)(川の魚たち)(サーカス)ー実際のサーカスを見て描いたのではなく、写真を見て描いたとのことにびっくりしました。(母の日をテーマに描いた絵) コソボには、先生に感謝する日 ”先生の日”もあるそうです。 日本の現状を考えさせられました。コソボでは、子供の時に、絵の授業を大切にしていることがよく現れています。学校の廊下に壁画を描かせたり、世界の名画を子供の時から見せていることからもそれは伺えました。コソボのどの学校に行っても、壁中に子供たちの絵が張り巡らされていました。それでも足りないようで、衝立まで並べて展示してありました。子供たちが、”心の平和”を絵を描くことで取り戻そうとしているのが、痛いほどよく伝わってくる作品たちです。日本でも”絵”を描くことの効用をもっと考えてみても良いのでは、と思える体験でした。
2006.11.04
コメント(0)
テレビ局で、思い出しました。2005年3月にコソボのテレビ局の一行が、私のアトリエに取材に来ました。コソボで初めて個展を開いた画家で、国際平和展を開催した画家ということで、外務省の紹介で来ました。”戦後60年の日本の現在”というテーマの取材です。敗戦の混乱から、驚異的に発展してきた日本はコソボにとって、羨望の的です。東大の卒業式の取材から始まって、愛知万博、広島、京都、大田区の工場地帯そして、国際平和展を開いている私のアトリエ取材へと回ってきました。アトリエで、展示してある私の絵を写したり、60点近くのコソボの子供の絵を写したりしました。そして、コソボの画家の作品は30点以上額装して倉庫に保管してあるので、裏庭にも行って大事に保管してあるダンボールの中から作品を取り出す様子なども撮影しました。撮影隊のうちのメンバーの二人は美大出身で、彼らの先生の作品もその中にあり、とても感激していました。そして、メインは、私へのインタビューともうひとつは、コソボのテレビ局のディレクターと構成作家の印象を私が即興で抽象画で描く実演でした。インタビューの質問は、なかなか興味深く、よく考えられているものでしたので、ここで紹介したいと思います。1.略歴をご紹介ください。2.作品のテーマは何ですか?3.稀有な作風ですが、日本の伝統的な絵画とどのように関連しているのでしょうか?4.形を通してではなく、色彩や動きで表現なさっているのはなぜでしょうか?5.プリシュティナのアートギャラリーで展覧会をなさいましたが、コソボの反応は如何でしか?6.昨年12月、東京でコソボのアーティストたちの展覧会がありましたが、どのようなお考えがあって開催なさったのでしょうか?7.コソボのビジュアルアートについて、どのようにお考えですか?8.日本とコソボのアーティストの協力による企画がおありですか?9.アートにおける新しいスタイルについて、お考えをお聞かせください。特にアートと科学技術のコンビネーションについて如何でしょうか?なかなか、鋭い質問ですので良く考えながらの答えとなりました。ビデオは編集されて、コソボで6つくらいのテーマに分けてシリーズ放映されたようです。撮影後にご招待したレストランでの食事の時、彼らは、「本当に日本が好きで夢のような国だ」と言っていました。「ずっと日本にいたい」とも言っていました。「日本にもいろいろ問題は山積していますよ。」と言っても彼らの恐怖と不自由さと貧困から見れば、日本の様々な状態を知っても、それでもなお日本は極楽の様に写るのでしょう。戦後60年でここまで発展してきた日本をお手本に頑張りたいという彼らの熱い思いが伝わってきました。そこにいた日本人のメンバーは心からコソボの平和を祈りました。そして、10月に行ったコソボの第12回国際平和展の会場で彼らと再会した時は、本当によく会えたものだと感激しました。まさか、こんなに早く会えるとは、内心思ってもみなかったので、、、。約束したその時の取材のビデオがまだ送られてきていなかったので、そのことを聞いてみましたら、まだ他の地域で放映中なので、終わってから送るということでした。。。。。しかし、何回かの催促にもかかわらず、未だに送られてきていないのは、とても残念です。いろいろな事情があるのでしょう。インタビューのテープはこちらでも取りましたので、機会があるときにご紹介出来ればと思っています。コソボからアトリエに来た取材陣コソボの第12回国際平和展の会場で再開
2006.11.02
コメント(0)
コソボのテレビの生出演では、絵画のタイトルである”宇宙の愛のメッセージ”の説明をしました。民族、国、言葉や各々の宗教を越えて、大きな宇宙の創造主の本に今ここに私たちは生かされていて、それぞれの立場を乗り越えて、お互いに生かしあいたいというメッセージです。それと同時に私の絵は”氣”の絵画よばれているので、その説明も求められました。「”氣”は、東洋の世界ではよく使う言葉です。私は英語には”spritual energey " (精神的エネルギー)と翻訳しています。科学ではまだ計ることの出来ない”氣”というエネルギーがすべての生命や自然や宇宙にはあるようです。目には見えない精神や宇宙の世界を描き続けてきた私にはとてもよく理解出来る言葉です。私は、その”氣”に突き動かされて絵を描いているように思えます。私の絵からは、よく”氣”が出ているといわれています。作品を見ると、安らぐだけではなく元気が出てくると、よく言われます。」こういった話にとても東洋の神秘を感じて頂けたようでした。12th 国際平和展 堀本惠美子出品作品12th 国際平和展 堀本惠美子出品作品2枚続きの current w-1201 Universe A・B をナショナルコソボアートギャラリーに寄贈
2006.11.01
コメント(0)
この10年来、私の絵の展覧会のタイトルは”宇宙の愛のメッセージ”です。今回の国際平和展と、私の絵の”宇宙の愛のメッセージ”について、コソボのテレビ局に生出演して話すことになりました。朝早く迎えの人とスタジオに入りました。コソボでは、年配者は英語をしゃべらない人も多く、又慌しい人の動きの中で、段取りがあまり分からないまま時間が過ぎていきました。いよいよ、カメラリハーサルが始まりました。本番は9時20分と聞いています。まだ20分ぐらい前です。通訳を介して”宇宙の愛のメッセージ”のこと、そして国際平和展でのコソボの画家の作品の印象などを聞かれました。私は、コソボの画家や作品の印象については、コソボの人口に比べて、画家の数が大変に多く、絵画が盛んであると思ったこと。そして、画家はコソボの不安定な情況の中で、描くことにより画家自身が癒されていると思ったということ。絵画は、世界共通語として、世界の人たちとつながる共通語であると改めて認識したこと。絵画を通して”平和”を願う気持ちを広げることが出来ると確信したことなどを伝えました。私は、テレビのモニターを見ながら、スカートのすその位置などを確かめながら、司会者がインタビューしているのを聞いていました。リハーサルなのに、随分ときちんとやるのだなと思いながら、コソボアートギャラリーのスタッフが真剣に質問に答えているのが、印象的でした。その時、”カット”と言う声とともにスタジオの皆が動き出しました。ざわざわと人が移動します。なんと、これが本番だったのです。「何で? まだ時間前なのに、、、、、。」実は、生放送も時間前に撮るのでした。そして、不都合なところはカットする時間が必要なので、少し前に撮るのでした。そのような説明もなかったので、生放送は生放送と、日本の感覚で理解してしまったのが間違いでした。それで、ソワソワとスカートや椅子の座る位置を直したりしている姿がテレビに映し出されてしまいました。本当に、皆で大笑いをしてしまいました。でも、話の中身はキチンと伝えることが出来たのだからと自分で納得して、スタジオを後にしました。コソボを発つ数時間前のことです。コソボのテレビ局のビル
2006.10.30
コメント(0)
コソボからの作家は、大作を展示することが出来たので、見ごたえのある作品でした。アルバニア人の中に、一緒にセルビア人の作品が展示出来たことは、本当に快挙と言って良いと思います。第1回から第4回までの国際平和展の中で、私が”宇宙の愛のメッセージ”をタイトルに展覧会をしてきたことは、コソボの中では、かなりセンセーショナルなことだったようです。”宇宙の愛”とは、民族、国、言葉や個々の宗教を越えて、それらを統合した大きな宇宙の創造主愛だからです。いろいろな考えを持った人々が集まっている会場です。そのような中で開かれたオープニングセレモニーは、広い展覧会場が埋め尽くされるほどの盛況でしたが、その賑やかさにもかかわらず、私はかなり緊張感を感じていました。オープニングセレモニーでは、”宇宙の愛のメッセージ”を会場の皆さんにお伝えすることが出来ました。セレモニーが無事終了した時は、心底ほっとするとともに、コソボの人たちにこのような”思い”が広がり”平和”が近づくことを祈りました。バルゼ ブザ の作品シェペンド チェリチ の作品ザナ ラマヂニ の作品 (正面の作品)ナディツァ ディエキッチ の作品 (セルビア人)エゼム バイマック の作品 (トルコ出身)
2006.10.29
コメント(3)
日本からは、出来るうるあらゆる方法を使って、ほどほどの費用で、ついに5人の作家の作品をコソボへと送ることが出来ましたが、フランスからはそのようには行きませんでした。どうしても、費用や大きさの点がネックになってしまうのです。フランスの一人の作家は、フランスでの作品輸送中の作品破損で出品を断念しました。もう一人は大きさの点で、コソボからの指示が間違っていたこともあり、シギエさんが飛行場まで手荷物として持ち込んだにもかかわらず、持ち込めませんでした。もう一人は、モロッコから参加の画家の作品です。本人が作品と一緒に今回の国際平和展に参加しようとしましたが、コソボからの許可をもらえず、とうとう断念しました。結局、モロッコからコソボへ作品を送ることも間に合わず、会期中には作品が届きませんでした。結果、フランスからの作品到着は、なんと2点のみでした。届いた作品がこれらの作品です。これらを見ても、コソボへの作品輸送がいかに困難かが分かると思います。アンジェリン サマノスの作品ウゾリヌ シェリエ の彫刻作品 (手前の2点の彫刻)
2006.10.28
コメント(0)
今回の第12回国際平和展/コソボ (コソボアートギャラリー コソボ・プリスティナ)の展覧会に快く参加してくださった日本、フランス、コソボからの作家(予定は各国5人づつの出品)の作品を紹介したいと思います。展示風景のみを見ると、一見、3カ国からの出品の何気ないグループ展覧会のように見えます。しかし、コソボでの展覧会となりますと、それぞれの国がそれぞれ、大変な努力の末に展示にたどり着いたことが分かり、本当に感慨深いものがありました。今回は、日本からの作品を紹介します。日本からのメンバーは、各ジャンルで日本を感じさせる作品を選択させていただきました。快く賛同してくださった皆さんの作品です。日本の古い絵や布などを切り取りコラージュ作品にする、アメリカ人の作家の方も参加していただきました。作品は、展覧会場に一部会期中に届かないものも出てきて、万全を期してもやはりコソボに作品を送るのは大変なことでした。日本からの作家の作品は、コソボでは、かなりすっきりしているように見えます。コソボのひとたちは、日本の作家の作品に東洋的な繊細さと神秘感を感じたようです。フランスからの作品はずっとコソボの感覚に近いように見えました。堀本惠美子の作品(和紙に水彩とミックスとメディア)澤井俊彦の写真(日本の四季)松島順子の版画(日本の草花など)小川淳の作品(インクジェットの作品や和紙に描いた作品)(左の2点は作品の写真を展示、アクリル画の作品は会期終了間際に届き、展覧会を2週間近く延長してくれました)ジェリイ・フォリーの作品(日本の絵や布などをコラージュした作品)
2006.10.27
コメント(0)
第1回から第4回目までの国際平和展/コソボでは、堀本惠美子展”宇宙の愛のメッセージ”が開かれました。2003年のことです。その時は、私は政情が不安定なことや、もろもろの事情でコソボには行けませんで、展覧会の開催に尽力を尽くしてくださったフランス人のシギエさんにすべてをお任せしました。今回のコソボ行きでは、その時開始された4箇所の展覧会場を案内してくださいました。第1回目の会場はコソボナショナルアートギャラリーです。ここは、今回第12回目の国際平和展が開かれたところでもあります。今回の第12回展の展覧会の会期中には、一部屋を使って、第1回目の国際平和展のオープニングパーティや展覧会の様子を、ビデオで部屋の壁いっぱいに大写しをしてくださっていました。私は、初めてその時の様子を、動く映像で見ることが出来て大感激でした。第2回目の国際平和展は、そこからすぐ近くのプリスティナ文化センターで開かれたそうです。外からは、ふつうのお役所の建物に見えました。その時は、日曜日で中には入ることが出来ませんでした。第3回目は、ミトロビッツァ文化センターで開かれました。ここで展覧会を開くことは、コソボの人たちにとっては、大変難しいことでしたが、成功すれば、”平和”への第一歩を踏み出したことになります。コソボの中で、アルバニア人とセルビア人との一番の紛争地帯になっているところです。橋をはさんで、アルバニア人とセルビア人がまったく分かれて住んでいるのです。橋を渡るのは、その当時でもほとんどが軍関係者や、大使館関係者のみです。それほどまだまだ不安定なところです。そのようなところを、実際の目で見ることが出来たことは非常に貴重な体験となりました。軍関係者の人からは、このようなところで、”国際平和展”を開いてくれたということで、感謝の念を持って迎えられましたが、周りには緊張感が漂っていました。心から平和を願って、早くその日が来ることを祈り続けました。胸がいっぱいになる一日でした。第4回目の国際平和展は、コソボの中では、一番トルコ的な雰囲気の漂うコソボの中では、南にあるプリズレンのハマムギャラリーで開かれました。この日も日曜日でお休みでした。コソボの中では明るい雰囲気が漂っているように感じました。ほっとするひと時でした。コソボアートギャラリーコソボアートギャラリー横のイスラム教会第1回国際平和展(IEP) の様子を写しているビデオ第1回IEP のオープニングレセプションのビデオミトロビッツァ文化センター(封鎖されていて今は使用されていません)ミトロビッツァミトロビッツァハマムギャラリー(後ろの建物)前にある建物はお風呂屋さん
2006.10.25
コメント(0)
コソボ美術館には、戦争時の武器や写真などを展示している棟と、土器の美術館があります。土器の発見は、旧ユーゴスラビアが昔から人が住んでいた土地だということを証明していました。コソボの人から、この場所から様々な文明が分かれていったのだと説明を受けました。”7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、2つの文字を持つ1つの国家”と言われたほどの旧ユーゴスラビア共和国連邦ですので、それも一理あると思いました。埴輪や土器は日本のものと似ていますが、良く見ると、宇宙人のような顔にも見えます。隣の棟には、大きな大砲が展示されていて、”太古の文明”と”破壊の武器”が隣同士に展示されているのも不思議な気がしました。
2006.10.24
コメント(0)
コソボの中では少数民族であるセルビア人の教会を訪ねることが出来ました。冷たい雨の中、”国際平和展/コソボ”の展覧会に出品したセルビア人の画家のご夫婦と(コソボの大部分を占める民族の)アルバニア人の2人、私たち日本人3人とフランス人1人で厳かな教会へと向かいました。入り口には物々しく連合軍の兵士が番兵をしています。アルバニア人が襲ってこないようにとのことです。紛争以来、イスラム教徒のアルバニア人が、セルビア教会へ入ったのはおそらくこれが初めてではないかと、当のアルバニア人も言っていました。私たち日本人やフランス人がいたから出来たことでした。こうした体験から、お互いのいがみ合いをやわらげるには、遠く離れた他民族の存在もけっこう役に立つものだと知りました。やはり、中にいらしたシスターのような人たちは、アルバニア人にもろに冷たく接していたのにはびっくりしましたが、それも長い争いの歴史を考えれば仕方のないことなのでしょう。中の神父さんは写真を示して、私たちに教会のことやセルビア人が迫害されてきた実情を説明してくれました。非常に複雑に絡み合った両者の長い争いの歴史は、外の者にはなかなか分かりにくいものがありますが、それでも”相手を知る”ことは”相手を理解すること”に繋がり、これも平和への小さな第一歩なのだと思いました。教会を出た時は、セルビア人もアルバニア人も”見せて良かった””見れて良かった”と言う顔になっていました。私たちもしばしの緊張感から解かれた思いでした。
2006.10.23
コメント(0)
”ハイキング”で行った山にも地雷はあるようでしたが、多くは、町に近いところにあります。プリシュティナの町の近くにあるこの山は、多くの地雷がまだ埋まっているそうです。この写真は昼食を食べたレストランから写したものです。山のすぐ前には広場があり多くの子供たちが遊んでいました。今では、その広場の地雷はほとんど取り除かれたそうですが、多くの子供たちが地雷で手や足を吹き飛ばされたそうです。地雷には、子供たちが喜びそうな蝶々の格好をしているものもあり、地面に突き刺さっているそうです。それに手を伸ばした子が吹き飛ばされるのです。今でも、地雷はいろいろなところに埋まっているので、道路からはずれて、歩かないようにと注意されました。私たちが、コソボへ行ったころは、道路の地雷はほとんど取り除かれたころでした。地雷からもれる放射性物質は長い間、地球を汚します。今ある地球上の地雷をのぞくのには、1000年かかるとのことです。コソボの地雷もじわじわと土地を汚染して、これからも農作物や水を汚していきます。
2006.10.22
コメント(0)
美しい沖縄の海から戻ってきたら、コソボでの美しい山の風景が懐かしく思い出されました。10月は、紅葉には少しまだ早いコソボです。大学の先生のアトリエ訪問の後、コソボで一番美しい山へハイキングに私たち日本人3人とフランス人一人を連れて行って下さることになりました。同行はコソボアートギャラリーの若い二人です。ハイキングといっても車での移動でしたので一安心しました。山の入り口には、ものものしい見張りの兵隊さんがいます。少し緊張しながら進みますが、途中、馬を連れたおじさんが歩いていたりしたので少し安心です。山の道はけっこう曲がりくねっていて、ひやっとすることも度々でした。だんだん山が奥深くなるにつれ、”はっ”と、思い出しました。コソボ行きを計画している中、私の家までいらして、コソボ行きを熟慮するようにわざわざ伝えにいらしてくださったセルビア・モンテネグロの日本大使館の方の言葉を思い出したのです。「山には山賊がいるので、行かないように」。。。「そうだ、この山がその山なんだ。。。」もう、遅いです。同行のアルバニア人を信じて行くしかないです。確かに、日本人だけでしたら本当に危ない感じでした。コソボへ行ったら、日本人はみんなお金持ちに思われますので。。。。途中、野生と説明された羊の群れに出会ったり、景色は本当に穏やかに見えますが、ところどころに屋根の吹き飛んだ家が現れ、コソボの現実に引き戻されます。地雷も埋まっているようでした。1時間半以上の運転で、ようやく頂上へ着きました。空気のおいしさは、たとえようもないほどです。そして、頂上だというのに立派なレストランがありました。コソボのトップの人たちや、国連や国連軍、連合軍関係の人たちがお客さんのようでもありました。そこで、写生をしたり、ご馳走を頂いたり、コソボとは思えないほどの贅沢な時間を満喫させて頂きました。しかし、帰りの運転はビールをたっぷり飲んだギャラリーの若者です。またまたヒヤリとする時間を体験しました。日本では飲酒運転は完全に捕まりますが、コソボでは普通のようです。[運転を誤らない様に。。。」ずっとお祈りをしていました。。。ここから2時間以上かけて、南のプリズレンへと向かいました。コソボの山の入り口コソボの山であった馬コソボの山の風景-1山の中の羊の群れコソボの山の風景ー2山頂の牛美しいコソボの風景美しい風景の中にも戦禍が。。。左の家は屋根が吹き飛んでいます。
2006.10.21
コメント(0)
全2928件 (2928件中 2851-2900件目)