Emy's おやすみ前に読む物語

Emy's おやすみ前に読む物語

現在編 その5



この町の初めての夏祭り。賑やかで活気がある。
商店街を歩いてみようと思ったけど、結果A高の生徒達を
パトロールするようになってしまう。

”それもなぁ・・・。”

《咲花》に行く事にする。


20:40 いつもより少し早く店内に入る。
「いらっしゃいませ ――。 
 よかった。今お店閉めるところだったのよ。」
「もう閉店ですか。」
店内は僕と喜春さんの2人だけ。
喜春さんは鍵を閉めて、クローズのプレートを下げる。
「お祭りの日は早く閉めるんです。 以前、お祭りで飲みすぎたのね、
酔っ払ったお客様が店内で暴れて大変な目にあったの。
その時は主人がまだ生きてたから。
主人が相手をしてなだめて帰ってもらったの。
今思い出しても怖いし・・・。だから早く閉める事に。」
「僕・・・。」
「先生はいいんです。さて何になさいますか・・って聞きたいんだけど、
あまり材料もなくて。こちらで適当に作ってもいいかしら。」
「はい、お願いします。
・・・すみません、水を貰ってもいいですか。暑くて喉が渇いて。」
「先生、それなら・・・こっちでしない?」
と内緒話のように話すと、喜春さんが自宅の2階に上がっていく。
”まさか・・・2階に来いって事? しない・・って??”

少しすると喜春さんが缶ビールを持って現れた。
「ね、こっちにしましょう。」

『こっちにしない?』 が 『こっちでしない?』 に聞こえた自分の
大バカな勘違いに笑いがこみ上げてくる。

”―― 言うわけないだろ。”

店内に2人だけって事に思った以上に緊張している。
喜春さんはグラスに移さず、直接缶からビールを飲みながら
楽しそうに料理する。
僕にはグラスを出してくれたけど、喜春さんが美味しそうに飲むから
真似をして缶から飲む。・・・空きっ腹に効いてくる。
最初に、豆腐と酒蒸しした鶏肉をほぐしたものが乗った
カイワレのサラダが出てきた。ドレッシングが小さいガラスの器に入って
別に出てくる。
この気遣いと、缶ビールに口をつけて飲む喜春さんが
アンバランスで可笑しい。
続けて2品と、小さめのおにぎりが3個出てきた。
「先生、ビールもう1本飲まない?」
返事も聞かず、2階からビールを持ってくる。
1本僕に手渡し、喜春さんは早速2本目を開けて飲み始める。
「もう、僕は・・・。」
「・・・付き合って。」
小さい声で僕をさえぎる。
さらに続ける。
「まだ、帰らないで・・・。」
ビールのせいか、喜春さんの目が潤んで光る。
カウンター席。 喜春さんはカウンターの中で僕の前に座る。
「帰らないですよ・・・。ほらっ、そうだ、まだ食べ終わってないし。」
そう言うのがやっとだった。
僕は残りのビールを一気に飲み、2本目の缶を開ける。
「・・・ごめんなさい。先生、忙しいのに。
 私、何バカな事言ってるのかしら・・・。」

「喜春さん、ビール好きなんですか。」
「はい。強くないけど、飲むのは好きです。
 先生は、初めてビール飲んだのは何歳ですか?」
「18かな。大学入ってからです。先輩に飲まされました。」
喜春さんの潤んで眠そうな目が僕を見る。
“テーブル席だったら・・・。”
カウンターの高さと幅の分だけ、かろうじて僕の本能より理性が勝つ。
「・・・喜春さんは何歳で?」
「16かな? 15かも。 時々飲んでた。」
“16から飲酒か・・・。”
今の清楚な笑顔には想像もつかない。
僕の知らない喜春さんが好奇心を刺激する。
僕はおにぎりをほおばり、ビールで流し込む。

突然 《咲花》の入り口のガラスドアが叩かれる。
「―― あっ、初子さん。」
喜春さんがドアを開けるため立ち上がり、カウンターから・・
そして僕に小さくささやく。
「先生に“帰らないで”って行った事、初子さんには言わないで。」
そう言うとドアに向かった。
ドアを開けて戻ってきた喜春さんの顔は、さっきと全然違う。
ほんの少し僕に寄りかかるような顔から、店主の顔に戻る。
「おっ、いいね。喜春、私にもビール。」
『初子さん』が僕の隣に座る。
喜春さんが2階に上がる。
「私、お邪魔しちゃったかな。 口説いてた?」
慌てて否定する。
今度はこの初子さんが耳元で内緒話する。
「なんで?―― 口説いちゃえばいいのに。」
僕は初子さんを見る。
喜春さんがビールを持って現れ、カウンターに入る。
「初子さん、もうお酒飲んできた?」
「うん、《雪丸》でほんの少しね。中ジョッキ2杯くらい。
喜春の事誘いに来たのよ。お祭りの日に1人かなって。」
「・・・。」
「さて、ボクちゃんにカンパイ!」
ボクの缶ビールに軽く自分のビールを当てる。
「ボクちゃんて・・・僕ですか?」
「そう。27歳だって、可愛いね。
 私は八木沢初子。42歳。いい女でしょ。
 こちらが渡良瀬喜春。37歳。魔性の女ね。」
「魔性だなんて。」

喜春さん、37歳? 10歳も年上なんだ。
そうは見えない。・・・きれいだ。」
「ねっ、私等から見たら、27歳はまだまだボクちゃん。

本当は《雪丸》に板倉さん来ててさ。 仲間同士盛り上がっちゃって
喜春呼んで来いって事になったの。」




―― 突然、《咲花》のドアが開く。
3人の視線が動く。
渡良瀬が帰って来た。
目が合う。
明らかに様子が違う。
いつもなら笑顔で挨拶して、僕の隣に座るだろう。
なのに今夜はそのまま2階に上がってしまった。
「どうしたのかしら。」
喜春さんが誰ともなく話す。
「これは、コロちゃんとキスでもしたかな。」
「――えっ。」
喜春さんが僕を見る。
初子さんが続ける。
「高校生でしょ。キスぐらいするよ、今の子は。
大丈夫、エッチはしてないよ。着物乱れてなかったから。」
初子さんが残りのビールを飲み干した。
「さて、私戻ろう。板倉さんには適当に言っとくから。
ボクちゃん送ってくれる?」
ボクは喜春さんを見る。喜春さんが頷く。
「では帰ります。喜春さん、おいくらですか。」
「今日はいいわ。ビール付き合ってくれたから。」
「そんな、だっていつも・・・。」
初子さんが横から入る。
「いいって。喜春が言ってんだから。だからまた《咲花》に来てね。」



店を出て歩き始める。
「ねえ、ボクちゃん。」
「僕は“ボクちゃん”じゃないですよ。」
「私が《咲花》に行かなかったら口説いてた?
それとも実は口説いてた?」
僕は喜春さんの「まだ帰らないで。」を思い出す。
「生徒の母親ですよ。口説くわけないでしょ。」
「じゃ、生徒の母親じゃなきゃ口説いてた?」
「・・・。」
「どうして《咲花》に来るの?」
「それは・・・それは、飯うまいし。」
「そっか、そうだよね。レストランだもんね。
誰がいつ行ってもいいんだもんね。」
僕を横目で見上げる。
「その模範解答、充分“ボクちゃん”だよ。」
聞こえるように一言。

「・・・。」

「私、今日喜春から頼まれて夏恋の友達のビューティーちゃんに
浴衣着せてやったよ。」
「本庄、浴衣買ってもらったんだ。」
「あの子も先生のテリトリーの子なんでしょ。」
「テリトリーって・・・、ただの生徒ですよ。」
「そうかなぁ、夏恋はそう思ってないようだけど。」
「・・・。」
「やっかいな事にさぁ・・・、夏恋も・・。」
「んっ?」
「・・・喜春は、正直難しいよ。知れば知るほど。」
“”知れば知るほど――、16歳の飲酒も?“
「・・・とにかく、私は喜春の味方だよ。」
《雪丸》の前に着く。
「近日《雪丸》においでよ。
しっかりお代とって飲ませてあげるから。
先生の心意気しだいで味方してあげるよ。
それくらい喜春を落とすのは難しい。
・・・あっ、そうだ!情報として教えてあげる。
ビューティーちゃんの胸、Cカップはあるよ。
まっ、頑張ってね。ボ・ク・ちゃん。」

初子さんが《雪丸》に戻っていく。


“喜春さんは難しい・・・。本庄はCカップ・・・。“
酔って頭が痛くなってくる。早く家に着きたい。

『まだ帰らないで。』
喜春さんはボクにそう言った・・・。





---------☆---------☆---------

~夏恋の話~

今日、キスした。
ファーストキス。

唇って柔らかい、って思った。
柏田君の手も髪も頬も触った事があるけど、
そのどことも違う感触・・・。

お祭りの帰り道、手をつないでたのに
キスしたあとは、柏田君1人で前を歩き始めて
私は後ろを歩いて行く。
“何か怒った?”
冷たい態度に涙が出そうになる。
《咲花》の明かりが見えた時、振り返り、道を背に歩く。
「明日、図書館に行く?」
「・・・。」
「数学見てあげるよ。」
「うん、何時にする?」
「それはメールする。 夜、メールするから。」
私を《咲花》の前に置き去りにするように走って帰ってしまった。

《咲花》に明かりがついてる。
ママはお祭りの夜は早く店を閉めるのに。
“ママ どうしたのかな・・。”
いつもは家の玄関から帰宅するけど、店から入る事にした。

意外な光景が目に入る。
“―-― どうして?”
ママがビールを飲んでいた。
ママは飲むとほんのり赤くなり、甘えん坊になる。
パパが生きていた頃は低いソファーで隣に並んで座り、
酔ってくると私の目を気にせずパパの肩にもたれて
首に顔をつけたり頬にキスしたりする。
「秋彦さん」って甘えるママは本当に幸せそうで、満たされた顔をしていたし
少女のように可愛らしかった。
逆にパパはテレて、「ほら、夏恋の前で・・・。」とママを諭したが
本音は甘えられて嬉しいパパはママの髪にキスしたりする。

子供の頃は2人をきっと微笑ましく感じてたと思うけど、
いつの頃からか嫌悪を感じるようになった。
どうして美しいママがビール1本で、全身から汗が噴出しそうな
デブな男にくっついているのか・・・。
また、ママを抱き寄せるパパは、父親より男に見えて本当に気持ちが悪かった。
私はママがお酒を飲むと、自分の部屋へ避難するようになった。



―― ママは、パパに見せるあの顔を、先生にも見せたのだろうか。



先生が来店していた。
柏田君とのキスの後、先生の顔を見た時
なぜか胸がドキンと鳴った。
柏田君との初めてのキスなのに。

部屋に戻るとなぜか少し落ち込んだ。
今夜は・・・今夜だけは、先生の顔見たくなかった。


初子さんまで。
きっとママを《雪丸》に誘いに来たんだろう。

初子さんは勘が鋭い。
きっと誰よりも分かってしまったろう。
―― コロちゃんとのキス。




浴衣を脱いでTシャツ短パンでぼんやりしていると、
いつ2階に上がってきたのか、ママが私の部屋越しに
「お風呂沸いてるわよ。」
と声を掛けてくれた。
なぜか返事する気になれなかった。
着替えの下着とパジャマを持ってドアを開けると、ママの姿はなかった。





お風呂から上がると、柏田君からメールが来ていた。
『明日10時に。
暑いから図書館の中で待ってる。
明日もキスしたい。』

~手代木先生の話~
夏休みもカウントダウンに入る。
あの祭りの日から、昼間《咲花》に行くのはやめていた。
《雪丸》にも行ってない。
初子さんと会うのが嫌だった。
『ビューティーちゃんも先生のテリトリーの子?』
恋心のテリトリー。
僕が本庄に特別な感情でも?
でもこの学校の中で本庄を意識しない男がいるだろうか。
まして、あの美貌にCカップと聞けばそれ抜きには考えられない。
ターゲットとまでは行かない。でも、離したくない。
柏田が好きだと話してくれた。
・・・でも、柏田に渡したくないのが本音かもしれない。
『喜春は難しい。知れば知るほど。』


僕の知ってる喜春さんと言えば・・・
未亡人である事。
僕より10歳も年上な事。
《咲花》での清楚な笑顔と、美味い料理の腕前の持ち主という事。
八百屋の板倉氏に案外したたかという事。
16歳から時々飲酒していたという事。

そして忘れられない、僕に『まだ帰らないで』といった時の表情。
本庄は向かい合ってみたくなる。心を吐き出させてやりたくなる。
解かって上げたくなる。
喜春さんには、会いたくなる。ただ、会いたくなる。
理解したいと思う事。会いたいと思う事。恋しいと思う事。
―― 欲しいと思う事。

本庄は生徒で、喜春さんは生徒の母親で。
この足かせが、無意識に僕の恋心にブレーキをかけるのかもしれない。
そこを初子さんに切り込まれるのが怖い。
あいまいな部分に結論を出すのを先延ばしにしたい。
“だいたい大体誰が好きかなんて、初子さんに報告する必要なんてない。
27歳の男に向かって『ボクちゃん』と呼ぶのも気に入らない。

20:40  今週も《咲花》に行く。

「いらっしゃいませ。」
20:50  客はテーブル席に2組とカウンターには僕1人だった。
なんとなく喜春さんの立ち位置の前に座る。
カウンター内の渡良瀬が僕にメニューを渡す。
コース料理 雪・月・花の中から『月』を選ぶ。
「渡良瀬、《咲花》は夏休み取らないの?お盆も営業してたし。」
「取りますよ、1日だけ。・・・パパの命日。」
カウンター内の卓上カレンダーを指で示す。
「先生の夏休みは?どこか旅行にでも行ったんですか?」
「ううん、これから。実家に帰ろうって思って。」
「へぇ~、お母さんに会いたくなったの?」
からかうように笑う。
僕は小さく「バカッ。」と返す。
喜春さんが僕の前に料理を並べる。
「ママ、先生夏休みは実家に帰るんだって。」
「あら、いいですね。近いんですか?」
僕が質問に答える前に渡良瀬がまたからかう。
「先生って甘えん坊なんですね。いつもうちのママに甘えて、
夏休みは実家に帰ってお母さんに甘えて。」
“・・・そんなに喜春さんに甘えてるか?
 でも確か、堀切の時も彼女と別れた時も、
 喜春さんに話を聞いてもらったっけ。
・・・やっぱ無意識に甘えてるのか?”
「いいじゃないですか、実家に帰って甘えるなんて。
 お母さん喜びますよ。」
喜春さんがフォローしてくれる。
「ねぇ、先生――」
「夏恋っ、前に張り付いてたら先生食事できないわよ。
 3名様のテーブル席、食器下げてきて。」
渡良瀬は少々ムッとした顔をしてテーブル席に向かう。
喜春さんは食後のコーヒーを入れている。
渡良瀬が食器を下げ終わると、喜春さんがコーヒーを運んで行く。


---------☆---------☆---------

~夏恋の話~
2名様のほうのお客様がレジ前に来る。
常連の、信用金庫に勤務のお姉様達。

「ねえ、夏恋ちゃん。あの人って誰?
 ママと親しいの?」
手代木先生を目で合図する。
「私の学校の先生なんです。」
「マジ、カッコ良くない?独身?」
「あはは、内緒です。」
「もう、相変わらずガード固いな。
 ―― じゃ、またね。」

お客様の個人的な話は他のお客様に絶対話してはいけない。
これはママから特に厳しく叩き込まれている。
ママに、『年齢くらいなら、職業くらいなら』と聞いたら
一言、『沈黙が信用』と教えられた。
正直、ちょっとつまらない。
私は先生の事、信金のお姉様達に自慢したいのに。

21:20 店内は先生を含む3人になった。
ママが先生に食後のコーヒーを入れる。
「ママ、私もコーヒーちょうだい。」
私はカウンターから出て先生の隣に座る。
「夏恋、お手伝い時間は9時半までよ。」
「いいじゃん、10分くらい。」
ふてくされた態度でカウンターに戻る。
”先生、帰っちゃうじゃない。”
そんな私の想い、ママはお見通しだ。
「先生、急いでなければですが・・白玉ぜんざい作ったんです。
食べてただけませんか?」
「ワーイ、いただきます。」
私は冷蔵庫からキンキンに冷えた器を出す。
「夏恋、3枚出して。一緒にいただきましょう。」
ママが器に白玉ぜんざいをよそる。
私がスプーンを器の中に入れる。
「夏恋、先生のは左から入れて。」
ママが小さく耳打ちするけど、意味が分からない。
「ん?」
ママを無視してそのまま器を先生に渡す。
時計は21:30を過ぎている。
私もぜんざいを手に、カウンターから出て先生の横に座る。
「いただきます。」
2人で食べ始める。
先生がスプーンを持ち替える。
「――あっ。」
“先生サウスポーだったっけ。ママはこれを言ったのね。
だったらもう少し分かりやすく言ってくれたらいいのに。”
先生が食事するのは何度も見てる。
違和感を感じた事がないのは、ママが箸やスプーンの持ち手を
左向きに置いているから。
2人があまりにも自然で、私は先生がサウスポーな事さえも
忘れてしまった自分に言いようもなくガッカリした。
「ご馳走様。私、2階に上がるね。」
「お茶入れたわよ。」
「――いらない。」
ぜんざいの器をカウンターに置いたままに
私は2階に駆け上がる。

---------☆---------☆---------


~手代木先生の話~
21:45
《咲花》の閉店時間が迫る。
「・・・渡良瀬、どうしたのかな。」
「さぁ・・、乙女心は分刻みで変わるので。」
「喜春さん、もうすぐ旦那さんの命日だって・・・。」
「はい。お墓参りに行くので《咲花》お休みします。」
「夏恋さんと2人で?」
「いいえ。 お盆に3人で過ごしたから。
 命日は私だけが行きます。“デート”です。」
「お墓はどこにあるんですか?」
「C町です。」
「僕もその日から夏休みで、その先のD駅まで行って乗り換えます。
C駅まで一緒に行きませんか?」
「・・・待ち合わせはできません。
私、花を買ったり美容院に行ったりしたいので、
何時になるか分からないですから。」
「何時でもいいです。携帯に連絡下さい。」
僕は手元にあった紙ナプキンに空に書く真似をする。 
「喜春さん、ボールペン貸して。」
僕に少し強い口調で言われ、喜春さんは勢いでボールペンを渡す。
「必ず連絡して下さい。そうじゃないと僕も帰省できないですから。」
財布から5000円札を出しカウンターに置くと、逃げるように《咲花》を後にした。



家に着く。
22:00をまわって少し迷ったが、実家に連絡する。
「――もしもし、おふくろ?
ナオだけど、そっちに帰るの2日遅らせるから。」

---------☆---------☆---------



~夏恋の話~

24:00頃、お風呂から出てリビングに行ったらママの部屋のドアが開いていて、
珍しく鏡台の前に座っていた。
夜、お風呂から出た時以外で、ママが鏡台にの前に座るのは見た事ない。
ドアの前に立つ。
「ママ。」
ママはビクッと体を震わせ、お腹の引き出しに何かしまったようだった。
「ママ、お疲れ様でした。お風呂空いたよ。」
「はい。」
ママはタンスから下着とパジャマを持つと、私の顔を見ず、急ぐように横をすり抜けた。

ママがお風呂に入ったのを確認する。
“鏡台の引き出し――。”
お腹の引き出しを開けると口紅やフェイスクリームが整頓されて並んでいる。
“見間違いかな?”
引き出しをもう少し引っ張ってみる。
二つ折りになったナプキンが、ワニのように口を開ける。

“電話番号・・・。先生の?”
とっさに自室に戻り、携帯を取って来る。
番号の5番目まで押す。
“――かけたところで、どうするの?
 本当に先生の番号かも分からないのに。
でも、先生の番号・・・。”

電話をリセットする。


と同時に、柏田君からメールが届く。一瞬にして我に返った。
“私、ママの引き出し開けて、何してるんだろ。”

引き出しを閉めて部屋から出る。
ドア越しに部屋を見回してみる。
ダブルベッド、パパの私物、飾られたパパとママの写真。
“--―パパ、どうして死んじゃったの?
パパがいてくれたら・・・。
それでも先生はママを好きになったかもしれない。
けど、ママに電話番号を渡す事はないと思う・・・。
先生の番号・・・?”
ママがリビングでお風呂上りのビールを飲み始めた。
私はママの前に座る。
「まだ寝てないの?」
“私が寝たら、先生に電話するの?”
「柏田君にメールの返信してたから。」
この静けさと、引き出しを覗いた後ろめたさが重なって、
気まずさを感じる。
小さい音でテレビをつける。
「ママはやっぱりすごいよね。お客さんの特徴、ちゃんと覚えてて。
マヨネーズ使わないで塩だけで味付けする人とか、
コーヒーの代わりにホットミルク出す人とか。・・・サウスポーとか。」
「いつも来てくれるお客様だけよ。また来てもらいたいから、
細かい事に気がつくようになるのよ。
サウスポーは・・・手代木先生の事?」
「サウスポーって忘れちゃった。ママなら絶対忘れないよね。」

「どうしたの?」
「ママは、ママは・・・板倉さんの事好き?」
「板倉さん?板倉さんはパパが亡くなっても相変わらず
質の良い野菜をお店に入れてくれるし。」
「それはママが好きだからでしょ。迫っても来るし。」
それでも仕事の手は抜かないし、板倉さんがいなかったら
《咲花》はできないわ。好きとは違うけど、頼りにしてるわ。
「先生のほうが好き?」
「先生って・・手代木先生?
先生なら、“渡良瀬先生”が好き。」
「・・・。」
“冗談はやめて。笑えないから。”
「・・・そうね、手代木先生はずっと年下だし、ピンとこないけど、
もしも好かれたら嬉しいな。ママも女として自信持っちゃうかも。」
「・・・。」
「――夏恋、ママにはパパだけよ。
 もう一度出会うことができたら、迷いなく秋彦さんを愛するわ。」
“・・・じゃあ、あの電話番号は誰?電話はしないの?”
聞きたいけど・・・、それは聞けない。


---------☆---------☆---------


~手代木先生の話~

喜春さんから電話が入る。

「今から駅に向かいます。10分くらいで着きます。」

「ホームにいて下さい。僕探しますから。」
電話番号を渡して5日――、
この日が来るまで長かったし、緊張した。


ホームで喜春さんを探す。
なかなか見つからない。
その瞬間、前の女性が振り返った。
「あっ、先生。」

”――えっ?”

肩より少し長いゆるいカールのブラウンの髪、
濡れたようなオレンジのリップ、
ノースリーブの白のハイネックブラウスに
オレンジとベージュの大きな花の付いた膝下のフレアースカート。
アイボリーに細くゴールドで縁取りされたサンダル。
色とりどりのガーベラの花束。

「喜春さん。」
「ごめんなさいね。お昼になっちゃったわね。」

僕の知らない、見た事もない、
華やかで美しくて近寄れないような喜春さんがいた。

電車に乗り込む。
思ったよりずっと空いていて、座って行く事にする。
僕は自分の荷物と喜春さんの花束を網棚に乗せる。
「先生、実家に帰るのに荷物それだけ?」
「はい、手土産も無しです。
 久しぶりです、夏に実家に帰るのは・・・。」
去年の夏休みまでは、元彼女と2年続けて海外旅行に行った。
「先生、ご家族は?」
「親父とおふくろと、兄貴が2人います。」
「男の子3人なんて、想像するだけでお母さん大変だわ。」
「僕のおふくろは・・・、3歳の時の話ですけど、
例えばドーナツを6個買ってきて1つの皿に盛って
食べさせるんです。2個ずつじゃないですよ。
早い者勝ちです。4つ上の兄貴が3個食べます。
年子の兄貴が僕とタッチの差で2つ食べます。
泣いてる僕におふくろは、
『ナオ、欲しいものは簡単に手に入らないよ。
 本気で望む事、その方法を考える事、諦めない事。』
・・・って。田舎の母親だから。。。
そう育てられました。」

「素敵なお母さんですね。」

「でも、おふくろは本当に女の子が欲しかったみたいです。
何しろ長男はいいとして、次男と僕は
『女の子が欲しかった。女の子だったら良かった。』

って言われながら育ちました。


話しながら喜春さんの髪から美容院のやわらかい香りがする。
下ろした髪型を初めて見る。
黒髪をブラウンに染めて、グッと華やいでいる。
”ここまでするか・・・。”
亡くなった渡良瀬氏に複雑な思いが走る。
喜春さんの指先に目が行く。
淡いオレンジのパールのマニキュア。
これも初めて見る。
仕事もあってマニキュアは避けてるのだろう。
小さな手。
細い指。
マニキュアの爪。
――触りたくなる。


「喜春さんの家族は?」
「亡くなった主人と夏恋です。」
「実家のですよ。」
喜春さんの顔が曇り、下を向き少し黙り込む。
「・・・私にとって、家族は主人と夏恋だけです。」
下を向いたまま話す。
「・・・そうだ、喜春さんランチの時、
いつもプラスの1品頂いて有難うございました。
もっと早く言いたかったんですけど・・・。
どうしていつも?」
喜春さんが顔を上げる。
声が弾み、《咲花》の店主になる。
「夏こそたくさん食べて体力つけなきゃ。
 親元離れて男の人が食事の管理って
 なかなかできないでしょう。
 ちゃんと食べてるのかなって心配するより、
 おまけを付けて私が安心したいから。」
「――僕の事、心配ですか?」

「僕の事、しんぱいですか。」

言葉尻を捕らえて、わざと答えにくい質問をする。

「そっか。心配してくれてるんだ。」

喜春さんの顔が少し赤くなる。
《咲花》の店主の顔が、女子高生のような表情になる。

”喜春さん、可愛い。”

僕は調子に乗る。

「喜春さん、今日は電話してくれてうれしかった。」
「だって、私が電話しなかったら家に帰れなかったんでしょ。」
照れ隠しなのか僕を見ないで、少し怒ったような口調で話す。
「だから、有難うございます。
 喜春さんの携帯のアドレス教えてください。
メールしましょう。」
僕はジーパンのポケットから携帯を取り出す。
「私、携帯持ってないんです。
携帯で連絡取りたいほどの友達もいないんです。
だから・・・。」
喜春さんが再び下を向いて黙ってしまった。
僕も次に話し出すまで待つ事にする。
1駅区間分、沈黙が続く――。




「・・・友達もいないなんて、ガッカリしました?
 私、先生がイメージしてるような女じゃないんです。
だから色々聞かれると困るんです。
喜春さんの大きな目が僕を突き刺すように見る。
本当は怒鳴りつけたいのにわざと抑えたような
冷静な口調で話す。
こういう喜春さんも、僕は初めて見た・・・。

「――僕が?
 僕が喜春さんの何にガッカリするんですか。
 友達がいないことをですか? 
 それは僕じゃなくて喜春さんが気にしてるだけでしょ。」
 「とにかく、私の事聞きたがらないで。」
「僕は逆に聞いてもらいたいのかなって。
 16から酒飲んでる事も、実家の家族の事も、
 友達がいない事も。
 話題にしたのは喜春さんですよ。
 僕にとって、今の喜春さんで充分です。」

残酷にも、このタイミングでC駅着のアナウンスが流れる。
もっと楽しく笑いあって、見送りたかったのに、
気まずい空気が流れる。
僕は網棚から花束を下ろす。
喜春さんも立ち上がり受け取る。
そして僕を見る事もなく、目を伏せたまま小声で
「私――、今日の先生 嫌いです。」
そういい残すと電車を降りていった・・・。




15:00頃実家に着く。
「おふくろ、何か食うものある?」
この半端な時間でも、飯を頼めば文句を言いながらも作ってくれる。
『二日も帰って来るの遅らせて、今日もこんな時間に着いて!』
これだけでも、それなりに僕の帰省を心待ちにしてくれていた事が分かる。
喜春さんの実家はどんなだろう。
実家の台所のテーブル。
子供の頃から変わらない席に着き食べ始める。
お袋が向かいに座り、僕の幼なじみの話をする。
誰が結婚したとか、誰に子供が生まれたとか、
僕なりに聞いて返事しているけど、どうも気に入らないらしく
『ナオに話しても”うん”しか言わない。あぁ、娘が欲しい。』
相変わらずなおふくろに、僕は安心する――。



            ―つづく―



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